散書
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2009年05月31日(日) うつつを抜かしまくる。

今更ながら、風神録が楽しすぎる。


時間がないから現実逃避してしまっているのか、あるいは純粋に5ステが好きすぎるからか。このところ、風神録ばかりプレイしています。
いや、なんつーかね。
5ステと5ボスの曲が好きすぎるのです。それぞれ『少女が見た日本の原風景』と『信仰は儚き人間のために』ですね。紅魔郷以来ずっと好きだった『亡き王女の為のセプテット』を完全に越えてしまいました。
初めて辿り着いたときから、この2曲は好きだったんですけどね。とうとうここまで脳に浸透してきたか。といった感じです。おかげで、ようやくC霊夢でノーコンティニューで八坂様まで辿り着けるようになりました。
開始数秒で瞬殺されましたけれど。
今のところの最新作である地霊殿は、好きなキャラも曲もさとり様止まりなので、今ひとつラストまでの原動力が足りないというか。
風神録も地霊殿も、バッドエンドにすら辿り着けていませんけどね。
つーわけで、良くないなあと思いながらも、まだまだ幻想今日に入り浸りそうな予感です。

補足の必要はないとは思いますが、難易度は全部ノーマルです。

まあ、紅魔郷から永夜抄までだって、ノーコンティニュークリアは、ただの一度も実現していませんけど。


現実逃避もいい加減にして、寝る前に少しばかり気合入れて頑張ってみます。


2009年05月30日(土) メモ

気持ちが時間を無視してる。


USBゲームパッドがへたれてきたのが気になってたので、こないだ大阪行ったときに新調したのを、試しました。
駄目だ。
東方やったら、霊夢がやたら挙動不審になる。しかもボタン押しても押せてなかったりする。
また買わなきゃ駄目か。

使い心地が気に入らなくて使ってないUSBゲームパッド、多分5個くらいある。
新しく買おうにも、6+LRボタンに拘るから、最近は全然良さそうなパッドが見つからない。LRは1個ずつでいいから、6ボタン欲しいんですよね。最近はL×2、R×2と4ボタン、ばっかりなので、いい加減に諦め時かなあ。とも。


下り最大理論値が倍になったからといって、表示が急激に速くなるかというと、まあそういうわけでもなく。
気持ちの問題だよな、こんなの。と。
まあ早くはなってるけど、期待し過ぎなくて正解だった。程度ですね。
電波が入りにくい場所なだけかもしれませんけど。

結局、一度も使うことのなかったADSLモデムを返送するときがきた。


すいさんにいただいたマイクは、まだ試せておりません。初期不良交換期限はいつまでですか(謎)。
Sing to Songがどこから起動できるのかわからない。インタフェースが‥‥!

なんとか音痴を克服できないか、歌を口ずさむときに音程をこれまで以上に意識してみたりしているのですが、試しにマイクで録音してみて、自分で聴いてみようかとか考え中です。
聞いた途端に首を吊りたくなったりしなければ良いのですが。


このところ、作曲に取り憑かれ気味です。楽しすぎる。お陰で小説書くのがちょっとおろそかになりがち。
別に、こないだ大阪に出かけたとき、ずっと探してたCDを偶然見つけて衝動買いしたのとは関係ないです。それ以前からです。でも、そのCD聞いてから、作曲ごっこへの傾倒っぷりが加速しているのも確かです。俺もあんなふうに曲が作れたら‥‥っ!

でも来月末には新人賞の〆切が。このところ、色々なものに移り気にうつつを抜かしていたので、いい加減に真面目に書かんと。
京都脱出に当たって、小説を収入源にできればいいなあとか、真剣に夢想中です。


今回もころんの一人勝ちかなあ。


2009年05月26日(火) 節約志向

でも、もしかしたら蛇足。


取り敢えず。インターネット用のデータ通信プランを見直してきた。
んだけど。
日記に書くほどのことでもないよなあ。とか思った。でもその直後、俺の日記ってそういうことばっかりだよなあ。とも思った。
以前、とあるサクセスストーリー的なノンフィクション記事を読んで、他人のマスターベーションを見せ付けられているようで気持ち悪いな。という嫌悪感を覚えたことを思い出した。もしかしたら、オンラインで不特定多数に向けて書かれている日記って、そういう面があるのではなかろうか。とか思ったら、臆面もなく日記を書いていた自分に怖気を感じる。
しかも世の中には、そういう、公開されている日記を読み漁ることを趣味にしている人もいるという。その趣味の俗悪さには、戦慄すら禁じえない。
とか思ったりもしたわけだけど。
オンライン日記というものが、近況報告として有用であることも確か。極論すれば、包丁のようなもの。料理に使うならその便利さは手放せなかろうけど、それを凶器として捉えると、なんでそんな危険なものがどうどうと子供が入れるスーバーで売ってたりするのかと、そういうのと似た問題だと思う。
要は、選別の結果如何によって姿を変える二面性があるということで、そんなものは、おそらくは、それこそ石器時代からあることで。
で、なにが蛇足かというと、この思索の下りね。
インターネットのデータ通信プランを見直して、今使ってるカードと、使うつもりで契約したけど結局一度も使えなかったADSLを解約の手続きして、新規にUSBのデータ端末の契約してきましたってことを説明するに当たって、そんな回想まで持ち出しての紆余曲折まで書く必要は、微塵もありません。と。
ともあれ。
今回の契約でまた事務手数料とか端末代とかかかるわけだけど、これから二年契約の満了までで考えると、その分を差し引いても、おおよそ1.2万円が浮く計算。それを月割りにすると、毎月5千円のお得と見ると、大きいと見るか小さいと見るかはその人次第ですよね、やっぱ。ちょっとでも削ろうと思って替えたけど。この2年で1.2万円の効果がどの程度効いてくるのか。見ものです。
来年の三月になれば、auの二年縛りが解けるから、それをemobileにすればさらに浮くわけだけど、仮に今、au解約して、ケータイをemobileにしたら、二年縛り失効まで使うよりも浮くのではなかろうか。ということを計算したい。まずはauの資料か。
ただその場合、スマートフォンを試してみたいのだけど、あれでできることって、別に俺、そう使わないような気もするんですよね。テキストエディタ突っ込んだりできないんでしょうか。音声録音とか。その辺が可能なら、かなり俺にとっての使い道は増すのですけど。
パンフ見たところ、フル充電で300時間とか動くようですので、ちょっと手が空いたときにテキストエディタで思いついたネタの素案まとめたり、ふと頭に浮かんだフレーズをハミングで音声録音してあとで曲作りするためのメモにするとか。たまにバス使うときとか、そういうのが欲しくて困るんですよね。メモなら手帳で済むけど、音声録音はちょっとそうもいかない。携帯電話の音声録音は、こういう使い方するにはちょっと不便なんですよね。
検索したら、引っかかるかな? スマートフォンの機能。

話は飛びますが、最近は家を出る前に朝食を食べられなかった日、出勤途中の道にあるサンクスで、2個120円のパンを買うようにしています。これで数は買えるんだけど、いまいち小さいですよね。サンクスのパン。
ただ、2個で120円だけど、1個だと70円なので、みっつ買っても、普通に他のコンビニで105円の菓子パンをふたつ買うよりは安くなるわけです。これで、一日に25円の節約。
そして。
ファミリーマートでは自社ブランドぽい缶コーヒーが100円なのですが、今はサンクスで一部缶コーヒーを93円で売っているので、今なら尚更サンクスがお得という。けれど、これでサンクスがコーヒー安売りをやめたら、パンだけサンクスで買ってコーヒーだけファミリーマート、と、俺はそこまでやるんだろうか。と煩悶。安い店を回ること自体に抵抗はないものの、レジに持ってく商品がひとつだけ、ってのには、なんか抵抗を感じるのです。コンビニの店員さんだって、商品陳列とかの仕事があるわけで、たったひとつのレジうちのためにそれを呼び戻すのはちょっと。というのがその理由。
‥‥俺だって接客業ですぜ? と。
とまれ、サンクスで缶コーヒーの安売りが終わると、どうするかなって考えたけど、冷静になって計算してみたら、値段は同じになる。のか。
そうなったら、別にその日の気分でいいわけだ。うん。それなりの大きさのをふたつか、小さいのを三個か。で。

まあ、しょうもないことで長々と書きましたが、最近はそんなところから詰め直して節約しています。
色々と、金を使いたい、あるいは貯めたい理由が増えてしまいましたからね。少しでも前向きに生きようかと。


明日は休日だけど、予定がわりと山積みだぜ。


2009年05月25日(月) 蒙昧、霧中

予測された過失の見落とし。


なんか、こー。この頃、インプットを怠っていたというか後回しにしすぎていたので、久方振りに積んでいた本を崩したのですが。
タイミング、見誤ったなあ。
一日ずらしておけば、水曜は休日だから、夜更かししてでも、気が済むまで衝動的に筆を走らせることもできたのですが。
っても、テキストエディタによるPC上での執筆ですけど。
思いつくままに色々と書き殴りたいのですが、すでに、寝なければ明日の仕事に差し障る時間を回っています。
前触れのようなものもありました。
今月はちょっとコミティア行ったり下の弟の誕生日プレゼントで奮発したりと、金銭的に心許なかったところでようやく迎えた給料日でしたので、郵便局に下ろしに行った帰り、毎月給料日、そういう儀式のように立ち寄る本屋で、気になる本があったので、普段の数倍の時間をかけて立ち読みしてみたり。
そういったところもあって、ちょっと自分の小説に対する姿勢を考え直してみたくなったりした次第。
それは別に、書き方を大きく変えようとかそういうことではなく、体感的なものを繋ぎ合わせてなんとか言葉にできる程度に方法化した自分のスタンスを、もっと突き詰められないだろうか、ということで。
見直してみれば、もっと埋められる隙間が、俺の書き方に見つけられるのではないかと、そんなことを思ったのでした。
何分、俺の周りには、他に小説を書こうという人がいません。ですので、方法論について話し合いたくとも、俺のやり方の穴を指摘してくれる人がいず、どうにもこの我流の書き方が、霧の中でとにかく手を伸ばして触れたものを無理矢理継ぎ合わせて作った、奇矯な奇形のオブジェのように思えたのです。
そのこと自体は、正直、どうでもいいです。絵を描いてみて、あとで見返したらなんか歪だってことは、今までいくらでもありました。むしろ、絵は人間が見ることにもっとも向いている二次元での情報です。見ておかしなところを直せばいいのだから、これは考えようによっては、あらゆる創作行為の中で、最も簡単な部類にあるのではないかとすら思えます。まあ、シンプルなものほど難しいのですけど。
そこを行くと、文字列による表現である小説は、読み手に対し、インプットした文字列をまず情報化し、それを情景化することで理解することを求めます。その段階において、相手の脳に、どれだけ理解のためのストレスを強いるのかは、あるいは、きちんと理解させることができるのかは、書き手の力量にすべてがかかっているといっても過言ではないわけです。
なんつーか、その辺、わかってはいたけれど、意識が足りなかったかな、という気がします。
これを自分で言うのもなんですが、物語を組み立てる能力自体には、自分では不足はないと思っています。不遜です。承知の上ですが、根拠なんてなくても、どんなことでもある程度の自信を持っていないと、足踏みするだけで前に進めなかったり、いざというときに判断力を支える平静を失って失敗するだけだというのが俺の持論なので、敢えて自分で言ってしまいます。自分の物語の構築力には、概ね問題ないと思います。少し弱気な表現にしてみたのはご愛嬌。
とまれ、そうなってくると、必要となるのは、まずはこの、相手の脳にかかるストレスを小さくする技術です。いかにコンピュータの負荷を抑えたプログラムを組むか、ということに似ているかもしれません。
文意が伝わらなければ、読み手はエラーを返す代わりに本を放り出すでしょう。読み下しづらい、情景を頭で描きづらい表現なら、良くても読み飛ばされ、悪ければ、やっぱり本を放り出されるでしょう。読んで欲しいなら、物語を紡ぐ以前に、読んで欲しいなりの文章の書き方というものがあるはずです。
大仰なことを書いているようですが、かなり今更な問題です。むしろ、今までこれが頭から飛んでいたことに、自分でびっくりです。
ただ。
たとえ奇矯で奇妙なオブジェでも、それは自分なりの努力と考察と反省とで積み重ねてきたものです。全部放り出す気は起きません。それに、どんな方法論だって、公開されて踏襲されるまでは、誰の物だって我流です。模倣されないから失敗作だという道理はありません。なら、どこがおかしいのかを見直し、手を入れてやればいいだけの話です。前衛的であるということが悪いことかというと、そんなことはまったくないわけで。
ということを、一晩でもかけてやりたい気分なのですが。やはり、一応は社会人たる身。お仕事をおろそかにするわけには参りません。
愚考と言われようが、愚慮の積み重ねのような思索でも、続けないわけには行かないし、やめる気もありません。
というわけで、続きは布団の中でやることにします。幸い、枕もとには手帳とペンも用意しています。創作やるなら、手帳の携帯は必須ですよね。

有用な情報は、意外と、当たり前のように目の前に転がっていたりするもので。
よく利く目が欲しいところです。


長いわりには、意味の薄い雑記だ。


2009年05月23日(土) 問題は山積み

って、表面化してるかどうかの問題でしかない、気もしてきた。


まあそれはともかく。
色々考え中ですが、なんか、こう、どれひとつとして結論を得られないまま日々が過ぎているような、手応えのない日々です。
焦っても仕方ないというか、慌ててもどうにもならないというか。
取り敢えずは、やりたいことだけでもやりたいのに、調べごとや必要な作業ばかりに手をとられて、なにもできないのがなんともフラストレーション。これが俺の実務能力の限界か。
まあ、なんか、そんなこんなで。
もうしばらくは、なんかこんな小康状態で。

一日が30時間くらいあれば。と思ってもそれは無理なので、足りない分を補えるくらい動けばいいじゃないかと思っても、それができるならこんなところでフラストレーション抱えねえよというか。
お金がないから遊びにも行けないのが余計にストレスなんですよね。給料出たら、また難波辺りに出かけよう。


いい加減、豚フルヒステリーも落ち着かんかね。


2009年05月18日(月) Happy Birthday

俺じゃないけどね。


というわけで、今日で下の弟が11歳になりました。
まあ、猫のときも思いましたけど。あのちっこいのが、ここまで大きくなるんですね。と、なんとなく感慨深く感じたりします。
ところでそれはそれとして。
誕生日ともなれば、それなり稼ぎのある身、誕生日プレゼントのひとつも調達せねばなりません。と、ここ数年は皆勤的な。リクエストのあった年は、そのとおりのものを例年調達していたのですが、今年はPSPとそのソフト。
死ねた。
しかもPSPって、メモリーカードが要るんですねえ。ポータブルゲーム機が何様だ。DSを見習え。とか思ってしまった次第。
んでまあ、事のついで。店頭に並んでるゲームソフトを見て回ってたんですけど、『ミマナ イアルクロニクル』、いつの間にか発売されてたんですねえ。なんでPSPなんだか。DSだったら買うか考えたのに。考えるのは、ガンホーだからであって、工画堂からだったら間違いなく買ったと思います。
とまれ。
最近はDSも、面白そうな新作は出ていなさそうな。といって、PSPも、買ってまでやりたいソフトもなく。
そういった状況で、いかに誕生日プレゼントとはいえ、PSPなんぞ買うのは結構な思い切りが必要でした。
そして断腸の思いで買ったプレゼントも、渡す前に当の本人が寝てしまって後日に繰越という悲喜劇。なんだかなあ。

振り返ってもみれば、俺も最近はDSやってない。でも時々、テレスが非常に恋しくなる。


そして今月は色々あって、急激に貯金が削られているという現実。気力も削がれるぜ。


2009年05月17日(日) 文章の要点。

基本形は、主語+述語+目的語、だよね?


例えば「三日後」とかいう場合には、いつから三日なのか、起点を明記して欲しい。てか、するべきだ。と思った。特に、日付をまたぐ場合。

主語はある程度は省略可能だろうけど、他は省いたら駄目だろ、基本。


なんか腹の具合が微妙に悪い。二日続けて。
明日くらいには治るかな。


「インストールに使用する言語」で日本語を選択できるのに、利用規約は英語というソフトを作る連中は、国語辞典で頭をぶつけて死ねばいいと思う。


梅雨の前の前哨戦。


2009年05月13日(水) 予定は未定

決まり文句ですけど。


今日は、このところサボり気味だった創作関連で色々やろうと思っていたのですが、毎週、クライアントの更新だけしているトリックスターで、今月のイベントはエイル絡みだということで予定変更、遊んでました。
っても、すぐ終わったんですけどね。
なんか、エイルが凄い、気持ち悪かった。で、そのあとで、エブリデークエストやろうと思って行った先のエイルがこれまでどおりで、凄く安心した。
つーか、まあ。
あっちのエイルが言ってたことを考えてみると、5月イベントのエイルは偽者だってことなんでしょうね。きっと。
つーわけで、次の定期メンテが楽しみです。どう話を捻ってくるのでしょうか。

正直、ルカンがうるさい。


どうもモチベーションが上がらんと思ったら、ノートPCの件が気になってたのか。昨日の日記を書いた時点で気づけ、俺。
これは修理か次のノートを買うか、早く決めなければ。

気にかかってることがあると集中できない、てのは、人間の大きな欠陥だよな、と思う。


デスクトップで鳴らしてる音楽を録音できるというフリーウェアを使ってみたんだけど、UA-25EXをソフトが認識しないのでオンボのサウンドカードで録音したら、低音が割れて酷かった。外部オーディオ機器を選択できるフリーウェアはないものか。


安いのでいいから、マイク買おうかな。と。SingerSongWriterの鼻歌入力も現状使えないし、手もとにある楽器で唯一まともに吹けるオカリナの生録りとかもしてみたいし。
と、音楽やるなら、DTMでもなにか楽器を生弾きできるようになれと連呼する某審査員のコメントを読んでて思った。
まあ、それに関しては以前から自分でも感じていたことで、だから鍵盤楽器弾けもしないのにPCR-300買って練習するつもりでいたわけだし。まだ全然してないけど。

あと、手もとにグロッケンシュピールもあるけど、これもあんまり練習できてない。音が想像以上に大きくて、なんか、近所迷惑かな、的な。
でも安いわりには結構音もいいかな、と思うので、暇を見つけて練習したいところ。

なんとなくベースに興味を感じ始めている今日この頃なわけだけど、このタイミングで、迂闊な場所でそんなことを口走ろうものなら、間違いなくけいおんと絡められてしまうのは目に見えているので、ああ、なんか、フラストレーション。
取り敢えず、ベースの発音音域だけでも知りたい。どこで調べればいいんだ。


こうして文章を書き殴るのは、文章書きとして、一種のストレス発散にもなる。なってると思う。


2009年05月12日(火) あれやこれやと

まとまらない構想の断片だけが増えていく。


せっかく修理に出したB5ノートが、原因不明の故障で電源が入らなくなり、1ヶ月くらい経過しました。
‥‥もっかい修理に出してみて、その上でまた壊れたら、仕方ないし新しいの買おうかと思ってたんですが、修理依頼で出したメールに返信ないし、もういいから諦めて新品買うか。とか悩み中。
なんか最近は、DTM専用ノートPCなる面白いものも製造されているらしいですね。まさか本当にDTMしかできないわけじゃないよな。と思って少し調べてみたところ、単に、パフォーマンスとかの初期設定を少し弄っているだけらしい、と。もしかしたらスピーカーが上等だったりするのかもしれませんけど。サウンドカードが高いのついてるとかするのかな。と思いきや、やっぱりそんなこともないようで。
でも、基本的に、作曲するとき、行程の大半をMMLでやってしまっている俺には、DAWが動くノートPC、と言われても、うーん、そこまでのスペックは要らないからもっと値段落としてくれんかね? と言うことになってしまうのではなかろうか。とかなんとか。
ところで最近、ノートPCも画面がワイド化が進んでるようで。
いいよワイドなんか。横幅増やすくらいなら縦幅くれよ。と思ったりするわけです。
普通にPCの用途を考えて、横にスクロールと縦のスクロールと、どっちが頻繁に使用するかって言ったら、どう考えても縦だろ? と。
16:9モニタが横行してますが、どう考えても人を馬鹿にしてるよね! と思わずにはいられません。つーか、動画見ながら作業するのはいいとして、同じモニタでやるな。と俺は思う。どう考えてもどっちかが邪魔になるだろ。
つーわけで、16:9及びワイドモニタへの反対運動、抗議活動を行っているサイトやグループがあれば教えてください。応援します。

で、ノートPCはどうするの? と。やはり用途の基本がテキストエディタなので、縦の解像度が欲しいのです。そこで、DTM向けノートの触れ込みで販売されている、「Note Beatribe Debut!」。サイズはB5ノートなのかな? で、画面は一応ワイドモニタなのですが、1280*800と、心持ち、縦が従来のノートよりも(俺の知る範囲で)広め。
これ、結構いいんじゃね? と。最近はB5でもスーパーマルチドライブとかついてるようで、便利になったようで。
プリインストールOSもXPだし、送料を別で考えれば、構成を変えなければ、8万で買える。これはなかなか美味しい。
難を挙げれば。
Intelなんですよね。CPUやチップセット。これがかなりマイナス大きい。
そして俺の見ているポイントが、片っ端から「DTM向けノート」のコピーを無視しているのもいとおかし。

ま、もうしばらくは考えますかね。いくらか、他の修理してくれる業者も調べてみんと。
仕事の休憩中とか、テキスト編集できるようになると、凄く時間が有意義に使えることがわかってしまったので、早くノートPCを復帰させたいです。


今更ながら、SingerSongWriterでのピッチの弄り方を確認したので、また作曲も進めたいところ。


2009年05月10日(日) 人間、うぜえ。

と思うこともしばしば。


社会って生きづらい。嫌いなタイプの人間が多い俺には、社会生活そのものが苦行のように感じたりもします。
生身で空を飛べて、生身で弾幕張れるようになれば、幻想郷に行けるだろうか。とか、最近はわりと真面目に考えたりします。誰か、俺にスペルカードをくれ。
まあ、取り敢えず、幻想郷で生きて行こうと思うなら、向こうの住人と張り合えるような、どこか偏った人間性も獲得しなければならないでしょうね。それでも多分、向こう側の人間や妖怪の方が、俺には接しやすいと思うのです。
別に厭世気取りではないですが。
牧歌的に生きたい。

有給で長期休暇取って、岩手の山中に迷い込んでみようか!


仕事中に、帰ったらやるぞ! と思ってても、いざ家に着いて机に向かっても、どうにも気が乗らないってのは、仕事で疲れて気力がそがれてるからなのか、仕事中に現実逃避してるだけなのか、どっちなんだろう。

どっちであったとしても、やらないことの言い訳になんてならない。


なんか、明日は飲みに行くらしいです。金、あんまりないんだけど。


2009年05月09日(土) 重厚

要は、要不要の篩い分け。


CGの塗り方や、作曲技法で考えると、わかりやすい話として。
他人のやり方を、ただ猿真似するだけの人、というのがやたら多いなと、創作をやってて感じるわけです。CGのハウツー本が氾濫する絵の世界、ネコも杓子もコード進行の音楽界。
模倣が練習になるのは、初めのうちだけだよな、と思ったりするわけですが、世間様では、そうは思わない方の方が多いようで、○○系、という言い方で表せてしまう画風の絵描きや、曲の作り方について話してみれば、取り敢えずドラムとコードと、それしか言えない作曲者ばかり。
おまえら、自分なりの方法論とか考えたことはないの? と思ったりするわけで。
CGの塗り方にせよ、コード進行という方法論にせよ、それらは長い歴史の中で、先人たちが(っても、CGの歴史はさほどでしょうけど)積み重ねてきたものを、後学の人間が勝手に分類、体系化しただけのものであって、ルールでもテンプレートでもないわけです。それなのに、したり顔をしたがる人間ほど、その鋳型に拘って、新しいものに対し、排他的になるきらいがある。
特に創作では、初心者が取っ掛かりの一例としてそれらを学ぶ分には異存ありませんが、それができていないから駄目、という言い方で潰してしまっては、伸びる芽も伸びません。俺も稚拙ながら、自分でも曲を作るようになって、そういった人たちが集まっているサイトなどを覗いたりするようになって、特に音楽の世界では、そういった傾向が顕著であるのを知り、若干辟易しています。他の試みなど認めないといわんばかりに、みんなが口を揃えてコード、コードと言っているのは、なんかの病気の集団感染のようにすら見えてきます。
触りとしてなら便利なものかも知れませんが、それを絶対視するのは、自分たちの先にある道を、自ら放棄することと同義であると気づいて欲しいものです。「悪魔の和音」とか呼ばれていたという減五度も、ベートーベンだったかが使い始めてからは、広く受け入れられたという話なので、要は、受け入れる柔軟さだと思います。
と、ここまでが前置き。前置きが長すぎて、なんか、こう、書いている側が面倒臭くなってきてしまっているので、読んでいる側には苦痛以外の何物でもないであろう駄文ですが、まあ、一応まとめようかと。
そういった頭があるので、ネットや雑誌で見かける、他の人の方法論については、「ふーん、へー」で済ますように心がけていたのですが、ただ、やはり人の数だけ視点があるということか、読み流すだけではもったいない含蓄も、あるところにはあるのだな、と改めて思ってみたりしました。
人間には目はふたつ、脳はひとつしかないので、個人ではやはり、気が回らないところ、思い至らないところがあるのは必然。ということは、俺のように、自分なりの方法論の構築、のみに拘っていると、他の人が発見して公開してくれている情報を取り落とし、自分で自分を狭い箱の中に閉じ込めてしまいかねないのだと、そんな危険性を改めて認識しました。
つーてもまあ、現在の音楽界に蔓延しているコード依存症に歩み寄ろうとか、そんなつもりは毛頭ないですけど。
つまりは、視野は広く持って、情報は広く取り入れ、その取捨選択をいかにすべきかということで。

ところで、こんなに長々と書きたくなるほど感銘を受けた記事があったのに、読み返してみると、どこでそんなに心を動かされたのか、どうしてもわからないのはどうしてなんだろう。


予定は、予め定めたとおりには進まないものだなあとなんとなく。


2009年05月08日(金) 認識の時差

シナプスこそがまず進化すべきだ。


自分が言ったことを、あとで思い返して、「ん? 違うぞ、〜〜じゃないか」と思い直すことは、思いの外、多い。‥‥俺だけじゃないよな?
特に多いのは、人物評を話題にして喋ったあと。類似パターンとしては、小説とか書いてて、あとで書こうとしてたことを間違ってることに気づく。というものも。
なんでしょうね。突発的に注意力に穴が空いたりでもするんでしょうか。あるいは、思考が寄り道したりする間に混線でもするのか。同じようなもんか。
そして、これが発生した場合、あとからはもうどうにも取り返しがつかないか、もしくはどうでもいいかの両極端。

かといって、紆余曲折すらできない思考では、人生も面白くなかろうな。


自分の手に負えない問題、が身近で多発するのは、社会の複雑化のせいだと思うわけだけど、そういう問題は、手に負えなくてもなんとかしなければ、と思うなら、とにかく力づくの解決しかないわけで、それが、頻発する突発的な殺人の根幹なのではなかろうか。とか。
おかしな殺人事件とかが起きると、専門家はしたり顔で何事か語ってくれたりはするわけだけど、だからといって、その事件の背景にあったなにかを根本的に解消するための働きかけを国に対して行ってくれたりはしない。結局は他人事なんだろう。
そんな体温のない『他人事』の積み重ねが、結局は衝動的な『ように見える』殺人の温床となるわけで、そう考えると、ああ、日本ってコミュニティはもう詰んでるんだな。と。王がどこに逃げても次の一手で詰みになる状況で、とにかくヤケクソで取れる駒を片っ端から取ってやれ、という、なんの解決にもならない将棋のような。
人が自分の利益を追求することばかり考えるようになったときから、この結末は目に見えてたよな。とも思う。
極論すれば、資本主義が人を殺すわけだ。

そしてこのどん詰まりの状況をなんとかしようと思えば、やっぱり力づくに頼る他なくなって、世界情勢や国家体制そのものをどうにかできるような力づくってのはまあテロか戦争しかないだろうし、そうするとまた人が死ぬわけで、自然死以外で極力人が死なないようにしようと思えば、『改善しているつもりだけど実際は横這い』状態を見て見ぬふりで続けるしかないわけだ。
なるほど。絶望的だ。

身近に、力づくでどうにかしてしまいたい人間がいる場合の対処法を、とにかくどうにか考えることが、今できる唯一の個人努力だろう。とかなんとか。


旅行は計画を練っているときが一番楽しい、という人がいるそうですが、確かに空想を弄んで画策している段階というのは楽しいものです。
でも結局それは、マイナス要素や不確定要素を除外して考えているからなんですよね。保険も考えずに成功はありえない。

できない言い訳に逃げるより、実行する努力。
喩えて言えば、まずは予算、8万くらい?
なるほど。絶望的だ。


取り敢えず、『負の感情』って言い回しはやめるべきだと思う。


2009年05月06日(水) 帰ってきたfromコミティア

やはりコミティアは良いイベントです。


相も変わらず、宝の山ですね。コミティア。目についた本を片っ端から買ってたら、財布の中身が6桁あっても足りないんじゃないかとか。大袈裟か。
そして今回は5月恒例の拡大版。参加サークル数も多い多い。見本誌コーナーで立ち読みしてたら、気がついたら3時過ぎてて、慌てて最低限目をつけたところだけ回りました。こんなうっかりで全部回れなかったのは残念無念。
ま、それでも本当に欲しかったところは見本誌コーナー行く前に確保していたので、ダメージは最小限でしたけど。

そして、雨が降っていたのでしばらくビッグサイト内で時間を潰していたのですが、どうにも止みそうもなかったので、折り畳み傘を鞄から出して秋葉原へ。そしてラジオ会館でサプライズな品物発見。もしコミティアで全部回れていたら、これを買うことはできなかっただろうと思うと、怪我の功名と言っていいのか複雑な気分。
おかげさまで、今月動かせるお金は限界まで使ってしまいました。もう余裕なんてないぜ。

本当なら今回は、小説ジャンルと音楽ジャンルを重点的に回るつもりだったのですが、前述のようなポカのために、結局はいつも通り、未満の巡回しかできなかったのが残念無念。今度こそは‥‥!

アダルトサークル、やたら触手モノが多かったのが非常に気になりました。なんなの? 流行なの?

そして、コミティア後は毎度発症する、創作同人始めたい病。そして気づけば『できない言い訳』に逃げ込んでいる病。


今回の夜行バスは、いやにご高齢の乗客が多かった。


2009年05月03日(日) 不備

明後日はコミティアですよ。明後日。


おおよそ毎度のことながら、交通手段の確立をすっかり忘れております。同じ過ちを何度繰り返せば。
取り敢えず、明日、夜行バスの空席を問い合わせて、空きがあれば予約。なければ、当日朝の新幹線で東京へGO。という算段。こんな行き当たりばったりは算段と言わない。
まあ、なんですね。
行くと決めたときに予約してしまえば良いのはわかりきってるんですが、夜行バスの他にも、新幹線、飛行機という選択肢があって、わりと直前まで迷うのです。ただ、旧世代を引き摺っている俺には、飛行機がなんかお高い感じがあるというかなんというか。そんなわけで、大体夜行バスか新幹線を利用しております。
飛行機に乗るなら、窓際の席に座りたいですよね。普段は見られない、高高度からの眺めがステキ。新幹線もわりと好きです。貧乏性なのか、凄く贅沢している気分になれるのとか。
まあ、なんていうのか。
なんらかの手段を用いて、取り敢えず東京行きます。新幹線も乗れそうになかったりした場合には、最悪、前日の鈍行乗り継いでいくとかで。GWだから、空席状況が不安なんですよね。予約出遅れてしまうと。

そして現地に着いてからのことは、ほとんどまったくなにも考えていない俺。


ぴゅあにーもふれくしょんが気になるので、頑張れ6thシリーズ。6thシリーズ一人目のちいかは店頭に余りまくってたけど、頑張れ、AZONE。
きっとまた、前回のころんのように、一人だけ売り切れ、という誰かが現れると俺は踏んでいる。

ちなみに、未だに店頭に残ってた5thのリアン、欲しかったりする。こないだ見たときにラスト一体だったから、次はないかも。うーん。


アニメ自体に興味はなかったりしながらも、kyoani shop!というところの、けいおんのブルーレイ予約特典が欲しかったりする。つーか、本編は観てないのでなんとも言えないけど、OPとED、特にEDのアニメーションが気になって仕方がない。
つーわけで、俺がブルーレイ予約して買ったら、誰かDVD買って交換してくれんかね。とか思ってたりする。ブルーレイは観られる環境がないし。整える気もないし。
ビジュアル的にはみおが好みです。つか、EDでのみおはクリティカルヒットでした。ベース抱いてマイクに口寄せてるカットとか特に。
性格面ではりつがツボに入りそうな予感。答は闇の中。
だから俺はアニメ見ない人なんだって。

本編どうでもいいからEDだけ欲しいって人間は珍しいだろうな。


家族について考えるとき、メリットとデメリットというものを意識せずにはいられない。


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