もくじ楽しい過去明るい未来


2004年07月29日(木) やはり親子!!

朝、旦那助の実家の父から電話が入る。

「よかったら床屋へ乗せていってくれないだろうか?」

とのこと。OKだぜ、お父さん。

「私もついでに床屋でカットしてもらおうかなー。女の人も扱ってくれるよね?」

ということで、いつも美容院へ行く母も一緒に床屋へGO!




カットが終わりすっきりした2人が店から出てきた。
…あっ!!あれ!?
お母さん、うちの旦那助にそっくりじゃん!!まじで!!

帰り際、母自慢の家庭菜園からミョウガやシソやきゅうりなどをもらった。
私のために一生懸命ミョウガを掘る母は、どうみても旦那助だった。
(特に斜め45度のラインが)


2004年07月28日(水) タイムスリップ

夕方用があって実家に寄った。

じゃあ、帰るね…、と実家を後にする際、母が

「お父さん、ふつ帰るんだってよ。」

と、父に声をかけたのだが、ナニが父の心に火を着けたのだろうか、
ものすごい腹式呼吸による大発声で

「達者でなーっ!」

と大きく私に向かって手を振ってくださったのだ。
なにか、上野駅を目指し就職列車に乗ってしまいそうな気分だった。


2004年07月27日(火) 妻夫木君

私は割りと妻夫木君が好きなのだが、そのことを旦那助に告白してみると

「妻だか夫だか知らないけど…。」

とおやじくさいことを言っていた。
それ以来、妻夫木君をテレビでみるたびに

「あっ、妻だか夫だか、だ。」

と2人で必ず声を合わせて言っている。


最近私の大好きな石ちゃんと妻夫木君がペアでCMに出演しているがアレは多分マンガ肉だろう。


2004年07月26日(月) ガッツ

最近ガッツ石松がブレイクしているようだが、
あの人をテレビでみていると、私の実家の父を思い出してしまうのはなぜ?

うちの実家の父は、
絶対にテレビに出たらブレイクすると思う。まじで。


2004年07月25日(日) おめでとう!!

今日は私の実家の妹の吹奏楽コンクールの日。
彼女は中学から始めた吹奏楽を社会人になった今も続けているのだった。

去年は銀賞をもらったのだが、今年はもっと期待していいかも…と本人は言っていた。
なぜなら今年から指導者がプロの音楽家にかわったそうで、
それにともないメンバーの技術もかなり向上したとのこと。

どれどれ、
どんな風に上達したのか聴いてみようとコンクールへ足を運んでみた。

実際に妹たちのグループの演奏を聴いてみると、素人の私でも去年よりぐんと上手になっていることが分かった。
っつうか、かなりうまいと思った。

自由曲の最後は、鳥肌がたつほどの迫力あるしめ方だった。
まるで1人の人が演奏しているかのような一体感があった。音にばらつきがなく、厚みがあって、重厚な感じがした。

自分の妹ながら、仕事をしながらの忙しい中、よくがんばったなー…と強く感心。

結果は…、

なな、なんとっ!!グループ創立以来、初の「金賞」を受賞したのだった。
すす、すんごーぉぉぉい!!


2004年07月23日(金) 健忘症

体操場で汗を流した後、仲良しのおばさまといつものお店でお茶を飲んで帰った。
ついついアイスココアを飲んでしまう根性なしの私とは違い、おばさまはウーロン茶を飲んでいた。

で、水曜日は生協で、高いけど結局は国産のうなぎを買ったんだって?何回も食べ比べて。

とおばさまに言われ私はびっくりした。
なぜならば、おばさまには私がネット上にサイトを持っているなんてことは話したことはなく、どうやって私の日記を探り当てたのか見当もつかなかったからだ。

「えっ!な、なんで知ってるの?」

と恐る恐る尋ねてみると

「なーに言ってんの!!木曜日の夜、そういう内容のメールくれたじゃない!自分で出したメールの内容も忘れちゃったの?大丈夫?ブァハッハッハッ…」

と笑われてしまった。


2004年07月22日(木) 私ってやはりしつこい性格だと思う

今日もマイホーム建設予定地の前を車で通ってみた。
(ほぼ毎日このように車で見に行っているわたくしだった。まだ何にも建っていないのに…。今からこの調子では工事が始まったら多分1日に何度も足を運ぶであろうよ、間違いないっ。)

今日は土地の西側角で、おじさんがひとりスコップで穴を掘っていた!!
O(≧▽≦)O ワーイ♪今日も何かがはじまっているのね♪

穴を掘っている場所から察するに、多分工事用の水道を確保しているのだろう。
今回も、思わず車から飛び降り作業中のおじさんの両手をとって

「どうかっ!どうかよろしくお願いします!!」

と、お願いとお礼を申し上げたい衝動に駆られてしまった。
でもおじさんも忙しそうだし、「あんた誰?」と聞かれたらなんと答えていいのか分からなかったのでやめた。


2004年07月21日(水) しつこい

今日は土用の丑の日。

うなぎを買いに生協へ行った。

中国産と国産の両方の試食が出ていたのだが、しつこいぐらいに食べ比べてみた。
三度ぐらい食べ比べてみたがどちらがいいかまだ決めかねた。
四度、五度と食べ比べているうちにわけが分からなくなり、それと同時に周りの視線も気になり始めたため六度目は中止することにした。

店内をぐるりと一周して頭を冷やしてこよう。

乳製品売り場までくると頭が冷えてきたので再びうなぎ売り場へ向かった。
そして六度目の試食を行い、ちょっと高かったけれど結局国産のうなぎを選んだ。

かごに商品を入れ、
再び最後の確認のため七度目の試食を行い売り場を後にした。
(試食だけで100キロカロリーぐらい摂取したと思われる。)


2004年07月20日(火) お願いします!!

今日我が家の建設予定地の前を車で通過してみると

なな、なんと!!

ショベルカーが入り土を掘り起こしているではないかっ!!



着工は28日からなのだが、その事前準備はもう始まっているようだ。
うわー、うれしー。(涙)

予定では10月中に引渡しになるらしい。
待ち遠しいなー。早く新しい家で暮らしたいよ。

車から降りて、ショベルカーの人に「くれぐれもお願いします!!」と両手をとってお願いしたい衝動に駆られたがやめた。だって忙しそうだったから。ジュースとか差し入れした方がよかっただろうか。


2004年07月19日(月) 田園散歩

2週連続でプラスチックのゴミを出し忘れてしまい、キッチンがプラゴミであふれかえってしまったことがあったのだが、
そのとき旦那助に

「もー、ふつちゃんは"田園散歩"なんだからー!」

と注意された。


…田園散歩?

そっかー、この言葉って、「おっちょこちょい」とか、そういう意味で使っても良しなんだー。へー。


2004年07月18日(日) 怪我

おとといの夜、
飲み会で酔っ払って帰ってきた旦那助は寝室のふすまに足をぶつけ指にひびが入るという怪我を負ってしまった。

昨日外科に行きレントゲンをとってもらい、痛み止めの薬をもらったのだった。

1ヶ月ほど前、旦那助の姉もひょんなことで足を骨折したのだが、旦那助は

「もう姉のことは笑えねえなー。」

と言っていた。

最近の姉さんのメールによれば、
姉さんは今ムレムレのギブスの臭いにはまっているとのこと。
(分かるような気がする。私はムレムレの絆創膏の臭いが割りと好きだ。)


2004年07月17日(土) 設計士の愛犬

マイホームに関する大きな打ち合わせは今日が最後だ。

今日は現場監督も同席し、図面上での最終確認を行った。
インターフォンの位置や照明の位置、スイッチの位置や外壁の色など、色々なことを確認した。

そうそう、
この日結婚式に呼ばれ同席できなかった設計士の人についてなのだが、
年齢は恐らく40代半ばという感じで、いつもメガネがきらりと光っていて知性的な人なのだ。
我々が口で表現する希望の間取りをサラサラとそれも瞬時に1/100の大きさで描いてくれるのだった。これがプロの技か!!すす、すごいっ!!

実は彼も家でパグを飼っているのだった。
はじめて彼に会ったときにパグを飼っているということを知ったのだがその日はそれ以上の話にはならなかった。
最近打ち合わせの回数が増すにつれすっかり彼とも打ち解けた雰囲気になり
先日、パグの名前を尋ねることに成功した。

「お名前は?」

と聞くと

「ぐーちゃんです。」

と答えてくれた。
いつか彼とパグ談義に花を咲かせたいものだ。


2004年07月16日(金) 脂肪燃焼

久々にやっと体操場へ行くことができた。
体重はまあ、まあ、増えていたわね。やっぱりね。

久々のエアロビクスということでかなりばてた。
先生にも「ひさしぶりぃぃー」と言われてしまった。
筋トレ仲間のおじ様とはガラス越しにパントマイムのようにお互い挨拶をした。
いつもこのエアロビクスのクラスに出席している仲の良いおば様2人は今日は欠席だった。ちょっと寂しかった。
そのおば様のうちの1人は、血圧が高いのだがなるべく薬は使わずに調整しましょうという医師からの指示があったとのことで、有酸素運動のみで血圧を調整していたとのことだった。すごいなー。
おば様もすごいけど、そういう指導をした先生もすごいと思った。今の医者はなんでもかんでも、患者を薬漬けにしたがるもんだからね。
確かにおば様は、通い始めた当初よりカラダが半分細くなった。

ところで今日は旦那助は飲み会。
私は家でちゅらさんの再放送をみながら号泣。
さんまの刺身とホヤをつまみに飲んでいたさっ。
酒が進んでやばいと思ったさっ。頭がちょっと痛いさっ。
おば様は半分細くなったさっ。
(↑ちゅらさん風)


2004年07月15日(木) デブ

ホントは今日、体操場へ行こう計画していたのだが
ぜんぜんだめだった。カラダが重くて外へ出かけることができなかったのだった。

あー、このまま無抵抗にデブになっていくのだろうか。


2004年07月14日(水) 田舎通勤

仕事の帰り生協に寄った。
車から降り生協の入り口へ向かう途中、ふと不安になりカバンの中をのぞくと…

ありゃりゃ、やっぱり…。

財布がない!!


朝家を出る際、財布を入れ忘れてしまったようだ。
しかしまったく不自由しなかった。

なぜなら、

お昼は家で作っていった弁当を食べたし、
お茶は控え室に用意されているものを飲んでるし、講習会の途中の15分休憩では施設の冷水機から水を飲んでいるし、車通勤だし。

まったくお金を使う機会がなかったのであった。
田舎通勤も悪くないかもね。


2004年07月12日(月) 巻きグソの壁紙

夕方から住宅メーカーとの打ち合わせが入っていた。
今日はいよいよ最終段階である水周りに関する打ち合わせだ。

キッチン、トイレ、お風呂などについて熱く討論を交わす。

1階のトイレのデザインは私が、2階のトイレのデザインは旦那助が担当することにした。

「思い切って2階のトイレの壁紙は巻きグソにしてみたらいいのでは?」

と旦那助に提案してみたところ、少し悩んだ末彼は

「やっぱりやめとくわ。」

との決断に至った。
(さすがに巻きグソの壁紙は存在しないのだが、巻貝の壁紙はあったのだった。ぱっと見た感じまるっきり巻きグソだったのだが…、いやはや残念。是非使って欲しい一品だったのに。)


2004年07月09日(金) 医者顔

そういえば、

ちょっと前の話なのだが…。



旦那助の実家の父が夜中に救急車で運ばれるということがあったのだが、(今はすっかり元気になり退院したが)夜中であるにもかかわらず急患がひっきりなしに運び込まれてくる様子を父の点滴が終わるのを待ちながら待合室で見ていた。
普段私が眠っているときも、このように病院は動いているんだ。看護師さんってすごいなー。先生ってすごいなー…、そのようなことを考えながら。

旦那助がトイレから戻ってくる途中のことだった。
他の急患の家族も我々同様ソファーに腰かけ処置が終わるのを待っていたのだが、その前を旦那助が通りがかった際、見ず知らずの急患の家族がおもむろに立ち上がり

「おはようございます。」

と旦那助に向かって挨拶したそうな。
旦那助は瞬時に

「マジかよっ!オレのこと医者だと思ってるよ、この人たち!!」

と誤解を察知したそうだが「いえ、私医者じゃありませんから。」とあらためて説明するのもちょっとアレなので、貫禄のある

「おはようございます。」

で応えたそうだ。

そういえば、
もっと前のことなのだが、旦那助の職場のおじさんにある日突然、

「あなたの兄弟に医者はいないのか?」

と聞かれたそうだ。
どういうことかとたずねてみると、
おじさんが先日行った病院の先生の顔が、うちの旦那助にウリフタツだったそうで「きっとお兄さんに違いない!」と強く確信したほどだそうだ。

確かにうちの旦那助は医者顔だ。
それも脳外科か心臓外科系だ。
でもホントはぜんぜん医者ではない。←まああらためて書くことでもないが。


2004年07月03日(土) 地鎮祭の風景

人形などが入っているそうな
いよいよ地鎮祭当日だ。
すっきりと晴れわたり空気もからっとしている。適度に風が吹いていてなんという地鎮祭日和。

私の実家の家族も参加してくれたのだが、相変わらず父は面白いことばかりを連発してくれていた。
黒いサングラスにものすごい柄のシャツをはおり、おまけにスキンヘッド。白髪まじりのあごひげがすごみに拍車をかけていたのだった。
指輪とネックレスとブレスレットはギラギラの金でキメてきたのだった。あ、腕時計も金だった。
なんだか全財産を身に着けての登場といったかんじ。

「お、お父様、こ、こわいですねぇぇー…あはは。(汗)」

と営業の人がビビッていた。

「結婚を申し込みに行ったときは私も死ぬかと思いましたよ。」

と旦那助が営業の人に説明していた。


上の写真の箱の中身は人形などが入っているそうで、これを土に埋めその上に家を建てるそうだ。
そのような内容のことを私の実家の家族に住宅メーカーの人が説明していた。
母と妹は「へー。おもしろいねー。」と感心していると間髪をいれることなく父が

「で、箱の中に何が入ってるんだ?」

とたった今聞いたばかりのことを質問していた。


このビニールテープにより、はじめて家のカタチをリアルに感じたのだった。
現場には家のカタチを忠実に再現したビニールテープが張られていた。

ああ、いよいよなのねー。
地鎮祭を迎えるまで現実のことのように思えず、今朝も家を出発する時点で、まだ他人事のような気分でいたぐらいだった。





家のアルジということで、旦那助がクワ入れの儀を行った。
細いカラダからどんな声を出すのか心配していた私だったが、なんだかとっても力強い大きな声で「エイッ!!エイッ!!エイッ!!」とやっていた。
妹が

「アルジって感じの発声だね。」

と義兄のことを絶賛。
私も彼にアカデミー賞を差しあげたい気持ちだった。

記念撮影♪

最後はみんなで楽しく記念撮影だ。恥ずかしいので画像はぼかしてみた。へへへ。

母に

「ひーむ君、ふつ、ほんとにおめでとう。」

と言われ、ホントに我々は家を建てるんだなーと強く実感したのであった。



さて、解散しましょうというところで

「お父さん!!おとーさーん!!おとぉぉーさぁぁぁーん!!!帰るよぉぉぉ!!お父さんってばぁぁー!!」

と、妹が大声で父を呼ぶ声が聞こえた。
それを耳にした営業の人が

「お父さま!帰られるそうですよー!(←爽やかに)」

と、自分勝手に好きなところをウロウロしていた子供のような父を小走りに、そして爽やかに呼びに行ってくれた。
我々を担当してくれている営業の人は、若いのにホントによくできた人だ。(顔もえらくハンサムなのでなおさら良い感じ♪多分彼は奥様キラーなはず。)


2004年07月02日(金) いよいよ一戸建て♪

なな、なんと!!

突然ですが実は家を建てることになっていたのだった。



ほんとにここ数ヶ月は忙しく、なかなか日記をしたためることもままならなかったのだった。
6月からスタートする長期のパソコン講習の準備や打ち合わせが5月からスタートし、それと同時に家を建てるという方向で話が進行していたもんで5月からほんとに忙しい日々が続いていた。

5月に住宅メーカーと正式に契約を交わし、11月完成を目指し6月は間取りなどの打ち合わせが続いた。打ち合わせは夜の11時近くまでに及ぶこともしばしば。

土日は時間が許す限り展示場をめぐり、
そのほか、住宅メーカーの見学会があると聞けば県北、県南まで車を走らせた。

そんなさなか、父が体調を崩し入院するなどのハプニングに見舞われるが、我々夫婦にしては珍しくファイトで乗り切ったのだった。

明日はいよいよ地鎮祭。
残念ながら旦那助の実家の両親は父の入院のため参加できないのだが、きっと病室で地鎮祭が無事とりおこなわれるよう祈ってくれているはず。


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