奇跡を信じて〜あれから〜
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10時ごろ外に出てみた
今日は風もなく暖かかった
空に星はほとんどなかったが大きな星を1つ見つけた

春の匂いがする中
「会いたいね」とつぶやいてみた

もう一度、0時過ぎに外に出てみました
夜空は曇り星は全く見られませんでした

「話したいね」とつぶやいてみました

何でも遠慮なく話せる人が逝ってしまってから
初めての春がやってきます

春の訪れが恐い

2003年02月28日(金)



 春色

今日も日中は暖かかったです
午後から降りだした雨は降ったり止んだりで
夜半になって少し強くなってきました

これからは雨が降るたびに
少しづつ暖かくなっていくのでしょうか

暖かくなる季節が来るのが
これほどまでに待ち遠しくない年も珍しく
私の心の中では
このまま春が訪れなくても
構わないとさえ思っています

春色は通常は
ピンクをイメージするかもしれませんが
私の中では想像できない色
無色のままで
クリアーでもありホワイトでもあるかもしれません
そこには
新しいはじまりの意味合いも含まれています
もう一つ
新しいはじまりの色は
グリーンとピンク
この色からは桜が思い浮かびます

私の苦手な桜

今年も早くに咲くのでしょうか

2003年02月22日(土)



 この場所だから書く事ができる

数ヶ月先の事
以前は
「そんな先の事はわからない
明日の事だって生きてるか死んでるか
わからないのだから」などと考えていました

1ヶ月の内、数日間は
3ヶ月〜半年前に決定した事を行ってます

昨年の今頃の予定も
やはり
半年前に決定した事を実行していた
その他に定期的にいらっしゃるクライアントさんの
ケアを行っていました

今、私は自分に言い訳しようとしている

そう
自分だけの気持ちを優先し
予定を変更するわけにはいかなかった

だから何なの?

だから
四六時中、病院にいる事は出来なかった
毎日に近いほど
出来る限り行ってはいたが
残されたメールを読むと
Hが口に出して伝える事が出来なかった事などが
書かれている

言い訳して何になるの?

自分を慰めているだけ

過ぎてしまった事

でも
今の私があるのは
その時やるべき事を実行したからである
何も知らなかった周囲の人々は
後になって驚かれた
そして
その様な時にでも責任を成し遂げた私に対して
信頼を寄せて頂ける事になった

だから?

だから私は自分に言い訳しながら
自分を慰めている

この場所だから書く事ができる

2003年02月11日(火)



 今だから言える

今日は月曜日
今週末には休みが入りそう

昨年の今頃は入院していたHが4泊5日で外泊した
Hが自宅で過ごした最後の日々
外泊から病院へ戻った後に
携帯から送られてきたメールには
「あなたは仕事かもしれないけれど
昨日今日と辛いし不安ばかりです
ストレスも溜まります
あなたのメールで時々綴られる文章は
安らぐけれどココ最近のあなたの仕事に
対する姿勢を見てると疲れます」
こう書かれていました

それでも立ち止まっているわけにはいかなくて
出来る限りの範囲内で
オフィスと病院の往復をしたつもり
それでもHには
伝わらなかった時もあった

ある時Hは自分の我ままだと言うかの様に
「暫くの間、見守って下さい」と
メールを送ってきた

私は無責任にクライアントを放り出す事は
できなかった
Hは口には出さなかったが
一生懸命に仕事をしている私の事が
気に入らなかったのかもしれない

今だから言える事として
あの時、立ち止まらなかったからこそ
今日の私がある
ポジティブな意味合いとして
そう思いたい

後悔はしていない

それでも
内心は私も辛かった
ずっと休んで病院にいたかった

いたかったよ

今だから言える

2003年02月10日(月)



 春は別れの季節

今日は、とても温かな1日で
春の訪れを感じました

いつの頃からか
春の訪れを寂しく感じる様になりました
私にとって春は別れの季節

2003年02月07日(金)



 死の瞬間

「死の瞬間、短い間に過ぎ去った人生での体験を
思い出す」とシュタイナーは言った
同じ様な出来事が生きている間にも起こる
それは死ぬ様な危険な目にあったり
大きなショックを受けた時である
水に溺れたり山から転落して死にそうになった人は
自分の人生が心のまえに現われるのを体験する

私も体験者の1人だ
しかも
それは自分の事ではなく
過ぎ去った人生を走馬灯の様に思い出していったのは
死の世界と旅立った人の人生の思い出だった

それが本当にその人の人生なのかどうかは
死の世界へ旅立った人に確認する事はできないので
わからない

その思い出は近い過去から遠い過去へと戻っていった
つまり誕生から、その日ではなく
その日から誕生までと行った様に逆の順序であった
走馬灯の様に人生が逆に流れ誕生の瞬間に至った

魂が次の肉体に宿る準備が出来た時には
前世で過ぎ去った記憶が現われるらしい
非常な苦しみを前世で体験したり
困難な人生を歩んだ人は
新しい肉体に魂の一部しか入らない
自分の人生を見てショックのあまり
魂が完全に肉体の中に入るのを控える

前世の自分の人生を見てショックを感じ
誕生を拒否するのではないだろうか

魂を癒す必要性があるのは
残された者の魂のみではないと私は思う
死へ旅立った人の魂を
生きている人が癒し次の新しい人生へ送り出す
それが出来るのではないかと思う

自然死は肉体から魂が離れる準備をして
死の世界へ旅立つ
よく耳にするのは
自殺者や事故死(即死)の魂は
さまよい中々あの世へいけないと聞くが
それは突然に健康な肉体を失った事と
関係があるのではないでしょうか

肉体は滅びても魂は残る

死は終わりであると思う方はその様に
死は始まりであると思われる方はその様に
考え方はとても自由

すべてが自由

2003年02月01日(土)
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