女の世紀を旅する
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2009年11月29日(日) 崖っぷちに立つ「日本航空」



日航は本当に必要なのか? 存在意義を問う
                      11月28日18時40分配信 産経新聞






 政府主導で経営再建中の日本航空。深刻な経営不振に直面する中、コスト増の一因とされる社員の待遇や企業年金などの課題が浮き彫りになる一方、国内外の不採算路線の撤退・減便を相次いで打ち出してきた。ただ、利用客減に苦しむ日本の地方空港にとって、日航の撤退は存続の根幹を揺るがす一大事にもなりかねない。「ナショナル・フラッグ・キャリア(国を代表する航空会社)」として不採算路線を背負い続ける日航を「血税」で支える必要性はどの程度あるのか。日航の存在意義を問い直す声が高まっている。


 ■日航の自負

 「このような事態に至った責任を痛感している」

 今月13日に発表された日航の平成21年9月中間連結決算。本業のもうけを示す営業損益が957億円の赤字、最終赤字も1312億円に上ることが明らかになり、西松遥社長は自らの責任問題に言及、再建計画策定後の辞任も示唆した。

 経営再建の成り行きが注目を集める状況で発表された深刻な経営不振。世界的な景気悪化や新型インフルエンザ流行を背景にした旅客減、航空料金の低迷など、さまざまな要因を背景に、改めて厳しい実態が突きつけられた。

 「国民の交通の『足』を守るため、大きな社会的責任があると自覚している」。日航広報は、自社の社会的役割をこう説明する。国内の不採算路線を背負い、公共交通を支えてきたという自負心がにじむ。

 一方で、同社は22年までに、国際線13路線、国内線15路線の計28路線から撤退する方針を明らかにしている。同社は「路線撤退や運休は、断腸の思いで進めている。第一に会社が生き残らなければ、責任を果たせない」と語る。

 今年10月、前原誠司国土交通相直轄の専門家チーム「JAL再生タスクフォース」は国内外45路線の廃止を提案した。しかし、政府方針のぶれや、債権放棄をめぐる銀行団の反発でチームは解散、提案は白紙に戻った。ただ、同規模の“大ナタ”が振るわれる可能性を指摘する声は根強い。

 ■「こんなに悪いとは…」

 国内に100カ所近くある地方空港。供給過多の状況で、平均搭乗率30%ほどの赤字路線を抱えるケースも少なくない。

 日航は関連会社を含めると、全国97空港のうち60空港、計158路線に就航している。

 今年1月、日航は福島空港から全面撤退した。福島県の幹部は「経営状態がそこまで悪いと認識していなかった」と語る。「何度も慰留に努めたが、厳しい状況を理解し、非常に残念だが、受け止めざるを得なかった」。昨年7月に突然、撤退を伝えられた衝撃を振り返りながら、幹部は声を落とした。

 21年度の上半期の同空港の利用者は約17万7000人。前年度同期比で40%減と大きく落ち込んだ。減少した約12万人の利用客は、JAL便を利用していた客数にほぼ匹敵する。20年度、空港施設利用料などの収入から、管理費などの支出を差し引いた収支は、単純計算で約3億5000万円の赤字。5年の開港以来、同様の状況が続いているという。

 県は「日航便にも、他の赤字路線を支えられる『東京路線』のようなドル箱はなかった」と認める。

 そんな中、近隣の仙台空港に加え、22年には茨城県に茨城空港が開港する予定だ。

 佐藤雄平・福島県知事は「いかに今の路線を使っていただくか、搭乗率を上げていくかが重要」と強調する。仙台、茨城両空港などとの位置関係に加え、ターゲットに観光客、大都市圏へのビジネスマンを据える空港の方向性などで重なる部分は多く、競争激化の懸念はぬぐえない。

 同県に住む男性(28)は「空港で発展が望めるならうれしい。でも、日航が去って、他もすべて撤退して、最後に何も残らないことだってあり得る。日航には残ってほしかった。空港が取り返しの付かない“負の遺産”になることが一番心配」と語る。

 ■経営再建は“足元”から?

 今月25日、日航グループの社員が全国各地で街頭活動を行った。語呂を合わせ、毎月25日を「日航(ニッコー)の日」と位置づけ、都内の駅前などで、通勤客らに旅行キャンペーンなどを伝えるビラを配った。

 今年9月には、西松社長自らが赤い法被を着て街頭に立ち、クリアファイルやパンフレットなどが入った袋を配布。「経営再建を進めていくには、財務体質の強化と社員のモチベーションという両輪が必要」と話した。

 ある社員は、「『半官半民』といわれたままで終わるのを良しとしない声は、社内でも強い。小さなことから汗をかいて、地道に努力しないと、国民の理解は絶対に得られない」と語る。同社広報は「国民から見限られかねないという危機感が社内で膨らんでいる」と説明する。街頭に立った社員には若手も多く、休日や空き時間を利用して、手弁当で参加したという。

 ただ、こうした活動が国民の理解に繋がるかは未知数だ。

 都内に住む主婦(60)は「社員さんがボランティアでどれだけPRしても、企業年金の話とかが目立つと、白けてしまう」と肩をすくめる。神奈川県に住む無職の男性(69)も「私も一般企業で一生懸命働いて、下請け出向もして、65歳でやっと引退できた。国益を守る航空会社が必要だというけど、大所高所で言われてもわからない。政府も体質改善を厳重に『指導』して」と力をこめる。

 ■「国民の理解」は得られるか…

 政治評論家の屋山太郎氏は、「30年前から『建て直し』の動きがあったのに、失敗を続けてきた。疑問だらけの経営再建を“国営事業”としてやるなんてとんでもない。郵貯・簡保の議論に続いて、日本を社会主義にするのか。日航はつぶすべきだ」と厳しい。さらに、「高い給与に、企業年金。ナショナル・フラッグ・キャリアとして、事業的に無理な不採算路線にわざわざ飛行機を飛ばしたことも含め、運輸行政も大間違いだった。再建に税金を使うことに、国民の理解が得られるわけがない」と語気を強めた。

 日航再建の動きをめぐっては、「同業他社」からも懸念の声があがっている。

 全日本空輸の伊東信一郎社長は今月10日の定例会見で、日航再建に絡み、「今後の航空行政で、企業間の公正公平な競争を確保してほしい。国際的にオープンスカイ(航空自由化)が進み、競争が激化する環境下で、(日本の航空会社が)いかに生き残るのかという観点を持ってほしい」と政府の“日航びいき”を牽制(けんせい)した。

 ■「膿を出し切るべき」

 「飛行機が飛ばない空白の空港がない形にしたい」。日航支援策の検討をめぐり、前原国交相はこう語っていたが、国が日航に不採算路線の継続を求め続けるのは現実的に難しいだろうとの見方が一般的だ。

 航空評論家の秀島一生氏は、「国を代表する責任を持って、安全な運航を実現する社会的使命を持った交通機関は絶対に必要」と断言する。ただ、日航に30年勤務した経験を踏まえ、「航空利権をめぐる政・官との癒着や、労使の距離感をはじめ、日航の経営悪化には隠され続けてきた問題がある。膿を徹底的に出し切るべきだ」とも語る。

 今月24日、日本航空は政府に対し当面の資金繰り支援を要請し、日本政策投資銀行と融資枠約1千億円の融資契約を結んだと発表。当面の資金繰りにめどがついた。前原国交相は「日航の運航が止まれば利用者や企業の活動に重大な影響が出る」と認定した。

 しかし、経営再建が進まなければ、最終的な負担を国民が負う可能性も出てくる。それだけに、再生へのかじ取りは慎重、かつ先を見据えた戦略性が求められる。

 ■日本の「空」の行く末

 秀島氏は「日航存続の是非を感覚的に考えてはいけない。日本を代表する航空会社をつぶすことが、世界での信頼にどのような影響をもたらすか、真剣に向き合わなければならない」と分析。「安全性や営業力、海外のビジネスマンをバックアップしてきたネットワークや信頼など、日航が培ってきたものは非常に大きい。ナショナル・フラッグ・キャリアの位置づけと、日航の経営問題は切り離して考える必要がある」と指摘する。

 航空自由化が進めば、日本国内の空路は、一層厳しい競争にさらされることになる。

 秀島氏は「不採算であっても、公共交通機関として本当に空路が必要ならば、国が責任を持ってコストを支援するべき」とした上で、「空港を含め、採算性や必要性を徹底的に精査して、日本の航空がどこへ向かって飛んでいくのか、指針を打ち出さなければならない」と強調した。


2009年11月28日(土) 株安/円高(1ドル86円台)、デフレ圧力,どうする鳩山内閣

株安/円高(1ドル86円台)、デフレ圧力,どうする鳩山内閣

  ―鳩山貧乏内閣で日本は未曾有の大不況へ突き進む― 




日経平均が9000円割れ寸前まで下げて、週をまたぐことになった。デフレ基調の国内経済に対して急速な円高が進んだところに、新たに「ドバイショック」も加わった。ある国内市場関係者は「日本株は売り材料ばかりで、八方ふさがりだ」と述べる。

別の市場関係者によると、TOPIXは811.01ポイントと低迷し、年初来安値の銘柄が続出している中小型株などを含めると「取引の実感としては、日経平均で7000円くらいまで下がっているとても悲惨な相場環境だ」と話す。

株安/長期金利低下と経済の体温が急速に低下しているのは明らかだ。デフレの色彩を強める方向に作用する円高は、原因が米国の超低金利長期化の見通しに起源を発するドル安である以上、日本が主体的にできることは限られる。

ここまで市場環境が変化してきた以上、「異例の事態の非常対応」として、大規模な財政出動による「デフレ総合対策」を政府が打ち出し、明確なメッセージを出すことが求められているように思える。

まず、実行に移すべきは2009年度2次補正予算案の規模をこれまで提唱してきた3兆円未満ではなく、6−7兆円の規模に膨らませることだ。エコノミストの中からは「定率減税を実施して個人消費を喚起するべきだ」という声も出てきている。

一時は放漫財政を懸念して1.5%近くまで上がってきた長期金利も、27日には1.245%まで低下した。財政プレミアムよりもデフレへの懸念が、市場に広がっている。

実際、銀行勢は投資先がなく「国債に資金を振り向けるしかない」(邦銀関係者)との声が多く、国債増発を消化できるとの見方が多くなっている。

「こんなに経済音痴とは思っていなかった」という声がマーケットでは漏れてきている。鳩山内閣の強いメッセージが出れば、意外感から相場の様子が変化することがあるかもしれない。

(ロイター)

コメントを掲載する (12)
2009年11月28日
9:57 pm JST 短期的な財政政策で株価対策をするという発想は原因と結果が逆転しておかしい。株価というのは企業の長期期待収益に対しての価格形成であり、どうかしなければいけないのは企業の収益力だ。もう日本の株価はちょっと躓いて転んだから起こしてやれば走り出すというレベルの話ではない。そして、減税なんて論外だ、借金の返済と貯蓄に廻るのは目に見えている。
どうせ債務を増やしても財政的な手を打つのなら、少なくとも次世代が恩恵を受ける太陽光発電の補助とかLED証明の普及とかを考慮すべきだ。先進国で日本ほど次世代に酷い借金とゾンビ企業を残す国は無い。そして、次世代に対して良い事をすれば株価は反応する。
株式市場の見栄えを改善したいなら、NYダウやハンセン指数のような少数の優良グローバル企業群の指数を作ればインデックスファンドで国民が買い易くなる。右肩上がりのインデックスファンドこそが普通の人が株式投資を考える敷居を低くするはずだ。日本にはまだ玉企業は多いが石企業に埋もれて見えないのが問題だ。

- 投稿者 第九の鉄人

2009年11月28日
9:54 pm JST 残念ながら民主党の皆様には危機管理能力がかなり欠乏していると思われ
るため日本経済は大不況いや大恐慌に突入する確率が高いのではないのでしょうか。本当に心配です。心配で眠れない日々が続きます。

- 投稿者 chiboo

2009年11月28日
6:40 pm JST 最近、あらためて鳩山内閣閣僚の顔ぶれを眺めてみると、経済感覚(特に国際経済やビジネスの実態に関する見識)を持つと思われる人物が全くいないということに愕然とする。いくら内需重視の政権と言っても、庶民感覚のない能天気ボーヤの総理や、陰で動く大ボス小沢一郎氏の「選挙が第一」票取り政策だけでは世界の納得は得られない。かといって、長年に亘り改革をさぼってきた自民党政権に戻りたいとも思えない。かつて暮らした米国等と較べてみても、本当に日本国民は不幸であると思う。
長期的視野に立って政策を立案し、果断にそれを実行するのが本当の政治主導である。今こそ鳩山内閣の中から、あるいは民主党の中からそのような真の政治家が生まれ出ることを強く望む。

ところで曾て議論されたデノミ(100円を1円に)を今こそ再検討してはどうだろうか?当時はインフレを助長する危険性等が指摘されたが、今はデフレの時代である。それほど大きな効果は無いとも考えられるが、気分的に少しでもデフレ抑止の方向に持って行ければ良い。諸外国との間の交易や人の移動時に通貨換算での感覚的利便性が増すという実利は間違いなく有る。

- 投稿者 60to90s

2009年11月28日
10:44 am JST >「こんなに経済音痴とは思っていなかった」という声がマーケットでは漏れてきている。
と書いてありますが、これは選挙前から予想できた話でしょう。
民主党が財政政策も金融政策もタカ派なのはつとに有名で、知らないわけないでしょう。
もし知らないんだとしたら、そうした人らには、もう言葉はありませんよね。
最近の事業仕分けなんてまさにそれを体現しておりますな。
全て削減削減の流れでしょう。
事業仕分けで無駄を洗い出し、より乗数の高い、或いは将来的なビジョンに基づき必要な分野への予算の組み替えと言うならまだしも、科学技術関連の予算まで削って、何がしたいんですか?
井上財政の二の舞でもやらかしたいんですか?民主党さんは(笑

そもそも事業仕分けでGDPが増えますか?労働者の賃金が増えますか?企業業績が改善されますか?株価が上昇しますか?
我々国民が望むのは中身より結果なんですよ。
そうした事は一顧だにせず、ひたすら削減でしょう。
マスコミ様もガラス張りになったのは評価できると、そればかりw
ガラス張りになったかどうかより、事業仕分けで暮らしがよくなるか否か
それが評価の分かれ目だという事を理解して欲しいですね。
マスコミ様にも民主党にもね。

- 投稿者 ふむ

2009年11月28日
3:41 am JST サインを拾っていただけているのか、タイムリーな記事が続きますね。
荒れ気味の為替市場ですが、85円を割れば政府介入の可能性が少しながら出てくるので、やはり反発がありました。
しかし、こういう未知の領域への動きは、1トライで終わる事が少ないので注意したいところです。

為替、日経共に、この辺で自立的に反発するか横横を一定期間保つかすればかなりマシなんですが、その確立を現在の各セクションの動向から推定するとお世辞にも高いとは言えません。
アメリカが長年築いて来た経済システムが、ある種のラグを生み出してしまっています。
しかもそのアメリカが、官民共に協調性をやや欠いている。
ご自慢のIQが高い優秀な人達が理解して対応すれば、最悪の場合も被害を縮小出来るでしょうに。
どなたかが別の記事で言っていましたが、バブルの被害をバブルをもって穴埋めしようとする、その場凌ぎ的習慣が未だに根強いのでしょうか。

そういえばバブルとバベルって似てますよね。
バベルの塔の話は確か西洋宗教の話だったと思うんですが。
地域といい、今回のアレは象徴的な出来事ですよね。
勿論、今はまだ大いなるバベルは倒れていませんが。

国内で救いなのは菅氏や一部閣僚の27日の発言からも、まるでここを見ているかのような反応の速さを感じられた事。
市場に不安が生じたら、緊張感を持てる姿勢を見せれただけでも意味はあるでしょう。
ロイターさんは経済情報のソースとしてはかなり一般的なので、情報を拾っている可能性はあるのですが。
為替介入に関して、政府サイドが各国との協調を視野に入れている事も悪くない。
だがそれでも最悪のケースにはまだ足りないかも知れない。
勿論、その可能性は今は1割程度だと思っていますが。
その場合は為替もですが、日経が特に心配になります。
私は上がっても下がっても個人的には利益も損失も無いので、杞憂で済めば何事も一番なのですが。

・・そう言えば某大手外資系企業は、90円代前半〜半ばで取っていたポジションをどうしたのでしょうかね。
ちゃんと政府は市場を観測、把握しているでしょうか。

- 投稿者 SYO

2009年11月28日
1:36 am JST 所詮は政権運営経験なしの素人の集まり与党。何をするにしても遅い。今ある状況の責任は全て前与党の責任に添加する。子供手当てなど、財政の悪いときにするものではない。今すぐにするべきことは、中小企業末端まで行き渡る経済対策しかないのでは。時期を先延ばしにすると、鳩山不況と歴史の教科書に載るのは間違いないであろう。

- 投稿者 しがない労働者

2009年11月28日
12:13 am JST 鳥の羽音を怖がって逃げ回る臆病者じゃ駄目だ。
絶好の買いチャンスが来たってことだろ?株が下がったら買えば良いんだよ。

無責任なたらればかもや、小手先の対策など何の意味もない。
「日本が主体的にできることは限られる」あなた自身が自分で言ってるじゃないか。がたつくな!
今頃、がたついて政府のせいにするようじゃお話にならん。
完璧な対策を出して自分で実行してみろよ。それで責任を取ってみせてくれよ。

口先だけの人の悪口評論家しかおらんのか?うんざりだ。

- 投稿者 VOU

2009年11月27日
10:51 pm JST 経済音痴…そのようですね。

- 投稿者 yochan44

2009年11月27日
10:46 pm JST ここまで円高・株安が進むまで政府はよく放置していたものだ。事業仕訳も必要な作業であることは理解できるが、今優先すべきことは別にある。まず他国なみの景気浮揚を実現させてから、政府としてやりたいことをやるべきだ。事業仕訳に時間を掛けるのは今でなくてもよい。まずは景気対策であり、資産インフレを図るべきだ。アメリカを助けるために日本の景気浮揚が遅れて良いのか。欧州中銀のように、確固とした自国・自地域の景気浮揚を最優先に考え、行動することを強く求める。

- 投稿者 桑原

2009年11月27日
10:23 pm JST ここまで円高・株安が進むまでよく放置していたものだ。事業仕訳も必要な作業であることは理解できるが、今優先すべきことは別にある。まず他国なみの景気浮揚を実現させてから、政府としてやりたいことをやるべきだ。事業仕訳に時間を掛けるのは今でなくてもよい。まずは景気対策、アメリカを助けるために日本の景気浮揚が遅れて良いのか。欧州中銀のように、確固とした自国・自地域の景気浮揚を最優先に考えることを強く求める。

- 投稿者 桑原泰之

2009年11月27日
9:04 pm JST 円高も永久に持続できるものではないし、こつこつと日本衰退財政破綻ポジションでも作ることにします。

投資先も戦略もないだろう6〜7兆とか定率減税とか、焼け石に水ですし、水戸黄門仕分けショーばかりやってないで、普通に「国をどうしていこうか」でも考えてればいいと思いますよ、現政権は。
少なくとも一つくらいは、政治家になったら「やろう」と思ってた事くらいあるのでしょう?

現政権が株とか為替に興味ないようだってことは既知なので、他になにをやるつもりなのかを見せて欲しいわけです。

- 投稿者 真紅

2009年11月27日
8:43 pm JST まさに経済音痴、本当に民主党に投票するのでなかったと悔やんでいる。
次回は全力で自民党に応援を奔走する。早く解散していただきたい。

- 投稿者 mmhu


2009年11月10日(火) 森繁久弥さん死去、96歳 

森繁久弥さん死去、96歳 

                      2009年11月10日20時58分




 舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」をはじめ、映画やテレビ、ラジオで幅広く活躍し、戦後芸能界の最前線に立ち続けた俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。喪主は次男建(たつる)さん。

 森繁さんは、「駅前旅館」「社長太平記」などの各シリーズをはじめ、「警察日記」「夫婦善哉」などの映画、「七人の孫」「だいこんの花」などのテレビドラマで喜劇から悲劇までを器用にこなす多彩な演技で知られた。また、「知床旅情」の作詞・作曲なども手がけ、91年には大衆芸能の分野で初の文化勲章を受けた。

 13年大阪府生まれ。早大を中退し、36年に東宝劇団へ。ロッパ一座を経て39年、NHKに入り、アナウンサーとして旧満州(中国東北部)に渡る。50年、NHKのラジオ番組「愉快な仲間」のレギュラーになり、芸達者なコメディアンとして注目された。

 52年からのサラリーマン喜劇の映画「三等重役」シリーズが出世作となり、「次郎長三国志」の森の石松役のほか「駅前」「社長」などの人気シリーズに出演。ドタバタだけの喜劇俳優とは違う、渋さの中に独特のユーモアをたたえた演技派として評価が高まった。また、再放送を含め、57年から08年まで2千回以上続いたNHKラジオ「日曜名作座」では、間の取り方に工夫を凝らした巧みな朗読で新境地を切り開いた。

 61年、「森繁劇団」を旗揚げし、舞台にも力を入れる。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテビエ役は、67年の初演以来、19年間に上演900回を重ねる代表作となった。自ら作詞作曲した「知床旅情」など、歌手としても「森繁節」と呼ばれる独特の節回しでファンを魅了した。

 56年にブルーリボン賞と毎日映画コンクールの主演男優賞をダブル受賞した後、NHK放送文化賞(65年)、菊池寛賞(74年)、菊田一夫演劇賞の大賞(76年)などを受け、84年に文化功労者となった。97年公開のアニメ「もののけ姫」ではイノシシの長の声を演じ、99年のCD「葉っぱのフレディ いのちの旅」では朗読を担当。近年まで現役で存在感を示した。

 ヨットが好きで、91年に日本一周を果たした。伴淳三郎の後を継いだ「あゆみの箱」の会長や、「アフリカへ毛布をおくる会」の会長など慈善運動にも力を注いだ。


略歴
● 出生
旧制第二高校教員、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)、大阪電燈等の重役職を経て後に実業家となった父・菅沼達吉(1858年 - 1915年)と大きな海産物問屋の娘であった母・馬詰愛江との間に出来た3人兄弟の末っ子。江戸時代には江戸の大目付だった名門の出身だった。しかし久彌が2歳の時、父が死去。母方の実家も色々と子細、経緯等があって7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「馬詰」姓から「森繁」姓となった。長男・弘(1907年 - 1940年代頃)は馬詰家を継ぎ、次男・俊哉(1910年頃 - 1982年)はそのまま菅沼家を継ぎ三男・久彌は森繁家を継ぎ名字も「森繁」となる。戸籍上の養父は南海電鉄の鉄道技師であった森繁平三郎である。

● 学生時代
堂島尋常高等小学校、旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院(現・早稲田大学高等学院)を経て1934年に早稲田大学商学部へ進学。在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉や山本薩夫と共に活動。この頃に萬壽子夫人(当時、東京女子大学の学生)と知り合う。その後、山本らが左翼活動で大学を追われてからは部の中心的存在となりアマチュア劇団に加わり築地小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演した。

●演劇の世界へ
1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。長兄の紹介で東京宝塚(現・東宝)新劇団へ入団。その後は日本劇場の舞台進行係を振出しに東宝新劇団、東宝劇団、緑波一座と劇団を渡り歩く。下積み時代は馬の足などしか役が付かなかった。日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を務めた時、藤山に頼み込み通行人の警官役で舞台に立つも全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた。座長の古川ロッパに認められた緑波一座では、盟友となる山茶花究と出会う。1937年、退座。

1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。満州電信電話の放送局に勤務。満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。甘粕正彦とも交流があった。満州巡業に来た5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭圓生らとも親交を結ぶ。この頃、新京の劇団に所属していた芦田伸介と知り合う。アナウンサーになったきっかけは「徴兵制度を避ける為。海外へ赴任出来る当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書に記している。その一方で川一本を隔てたソ連軍に対する謀略放送(見つかれば確実に生きて帰れないほどの接近をしたこともあったという)に行ったり、蘭花特別攻撃隊(B29に体当たり攻撃を行う航空隊(本土での「震天隊」に相当))の為の歌『空に咲く』の作詞も行っている。1945年、敗戦を新京で迎えソビエト連邦軍に連行されるなどして苦労の末、1946年11月に帰国。

戦後も劇団を渡り歩く。1947年、衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画初出演。1949年、再建したばかりの新宿のムーラン・ルージュに入団。演技だけでは無くアドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在として次第に注目を集める。

1950年、NHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』に倣ったラジオ番組『愉快な仲間』を放送。メインの藤山の相手役のコメディアンとして抜擢され、ムーラン・ルージュを退団。『愉快な仲間』は2人のコンビネーションが人気を呼び、3年近く続く人気番組となった。この放送がきっかけで映画や舞台に次々と声が掛かり、一躍人気タレントとなった。同年、新東宝『腰抜け二刀流』で映画初主演。1952年、源氏鶏太原作のサラリーマン喜劇(河村黎吉主演『三等重役』)に要領のよい人事課長役で助演。本作は好評を博し、後に河村が急逝したこともあって久彌が社長役として主演の「社長」シリーズへと発展する。1953年からマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに三枚目の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げるまで大活躍する。

テレビドラマでは、草創期から活躍した。テレビ放送が開始された1953年には、『半七捕物帳』(NHK)や『生と死の一五分間』(日本テレビ)に出演している。

1955年、豊田四郎監督の『夫婦善哉』に淡島千景と共に主演。この映画での演技は、それまで数々の映画に出演して次第に確立していった久彌の名声を決定的なものにした。同年、久松静児監督の日活『警察日記』で田舎の人情警官を演じこれも代表作の一つとなる。これにより、単なるコメディアンから実力派俳優へと転進する。

1959年の第10回から1965年の第16回まで、7年連続で歌手としてNHK紅白歌合戦に連続出場。このうち第10回は久彌の歌のラジオの音声が現存し、第14回(1963年)と第16回は映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で久彌の歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。第14回と第16回はNHK BS2で再放映されている。

ラジオやテレビでのトーク番組・バラエティ番組等では、その独特な話り口が「森繁節」として親しまれた。舞台では1959年より「森繁劇団」を結成し、持続的に演劇活動を行う。またミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』は900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じ、彼の代表作となった。

●晩年
1982年、佐々木孝丸の後任として日本俳優連合の理事長に就任。1986年、早稲田大学の卒業式に記念講演の講師として招かれた際、大学から卒業証書を受け正式に卒業を認められた。

1989年に満壽子夫人、1999年に長男・泉に先立たれた。長男が行っていた事業清算のため世田谷区にあった大邸宅を売却、等価交換の形で跡地に建設されたマンションのワンフロアに移り家族及び身の回りの世話をする事務所の関係者と住んでいた。死去前の数年間は年齢・体力的なこともあり、2004年1月2日放送『向田邦子の恋文』が最後の俳優活動となった。1980年代半ば以降、恒例であった芸能関係者の葬式での弔辞も2004年1月にした坂本朝一元NHK会長への弔辞が最後となった。

2002年12月、沖縄県で心筋梗塞で倒れ危険な状態に陥ったが無事に回復した。2003年に90歳を迎えたことを機に作家・演出家の久世光彦と<語り森繁、文は久世>の形で『大遺言書』を週刊新潮に連載し、題名どおり最後の仕事とするつもりだった。だが2006年3月に22歳年下の久世が急逝し終了してしまい、「どうしてオレより先に逝った…」と嘆きその葬儀以来公の場に姿を見せることはなかった。なお単行本は新潮社で4冊刊行された。

2007年2月23日、「最後の作品」と銘打った朗読DVD『霜夜狸(しもよだぬき)』が出されたが1991年に舞台用に録音されながらもお蔵入りになった作品を元に新たに編集したものである。現代社会への憂いを込めた「久弥の独り言」も収録されている(元々久彌自身が録音する予定であったが、声が弱っていることから親交の深い竹脇無我が代読したもの)。同年に日本俳優連合の理事長の地位を降り、名誉会長に。

晩年は天気のいい日は散歩や観劇に出掛け食欲も旺盛でフォアグラやステーキ等の肉料理を平らげ、ホットブランデーを愛飲するという元気な日々を送った(関係者談)。「体は思うように動かないが心は現役である」というコメントを発表した。

2009年8月、同年7月に風邪をひきそのまま8月3日現在に至るまで入院中である事が発表された。発熱などの重い症状は7月中に回復したが、痰が出る等の症状が治まらない為に大事をとって退院せずに病院で経過を診る措置がとられた。その後、9月15日に久彌が在住する東京都世田谷区内のイベント「第十一回世田谷フィルムフェスティバル」において開かれた『名優・森繁久彌展』へメッセージを寄せ、その中で入院の件にも「皆さんに多大なご心配をおかけしましたが、私自身はおだやかに秋をむかえております」と触れた。

11月10日、東京都内の病院で死去(老衰)[1]。96歳没。彼の訃報に多くの芸能関係者が追悼と哀惜の思いを込めたコメントを発表した。また新聞の号外も発行され、彼が一時代を築いた俳優であることを知らしめることとなった。


●人物エピソード

久彌という名前は、父が大実業家・岩崎久彌と深い親交を持っていたことに由来する。
幕末の奥儒者・成島柳北は大叔父にあたる。父・菅沼達吉は大目付・森泰次郎の次男であり、菅沼家の養子となった。泰次郎と成島は松本家の出身の兄弟であり(泰次郎が兄)、それぞれ森家、成島家の養子となっている。
向田邦子が本格的な放送作家となるきっかけを作った。
『知床旅情』でシンガーソングライターとしてもデビューしている。
『森繁自伝』で日本文芸家協会の推薦を受け会員となった。著書は単著で20数冊ある。
泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。
岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもある。
射撃を趣味にしていた時期があった。所有していた散弾銃は、独創的な機構を持つイタリア製の銘銃「コスミ」であったことが射撃界では知られている。芸能人・文化人の射撃好きで結成している『芸能文化人ガンクラブ』会長を長年務めている。
老年に入ってからは、整えられた白い口髭と顎髭を蓄えている。
記念すべき『徹子の部屋』第1回(1976年2月2日)放送分のゲストである。放送中に突然黒柳徹子の胸を触り(台本である可能性が高い)、ハプニングシーンとなった。この時の映像は、バラエティ番組で『徹子の部屋』第1回放送シーンが流れるたびに使われる。
7代目立川談志は、『立川談志 日本の笑芸百選』(NHK BS2)や自身の著書等で「日本最高の喜劇役者は森繁久彌」と絶賛している(ただしすべてを絶賛しているわけでは無い)。
竹脇無我の父・竹脇昌作とはアナウンサー時代からの親友である。無我は久彌と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っている。
久彌の成功の影響でコメディアンの中からベテランになるにつれてシリアスな演技者となりたがる者が多発したため、作家の小林信彦は著書『日本の喜劇人』でそのような傾向の人々を「森繁病」と呼んだ。ただ小林は同書で久彌は元来シリアスな役者志望者であり、たまたまコメディアンとしての才能もあったため一時的にそのように注目されたのであってそのため彼の「転身」を他のコメディアンが単純に真似するのはおかしいとしている。
受賞・受章歴 [編集]
1991年、伝統芸能以外の俳優では初の文化勲章を受章している。

紺綬褒章(1964年)
菊池寛賞(1974年)
紫綬褒章(1975年)
芸術選奨文部大臣賞(1979年)
第1回都民文化栄誉章(1983年)
文化功労者(1984年)
早稲田大学芸術功労者表彰(1985年)
勲二等瑞宝章(1987年)
文化勲章(1991年)
日本アカデミー賞協会栄誉賞(1992年)
日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞(1995年)
東京都名誉都民(1997年)
役職 [編集]
日本俳優連合名誉会長
「水と緑の館」名誉館長
芸能文化人ガンクラブ会長
社団法人「あゆみの箱」会長
関東小型船安全協会会長(初代)


2009年11月03日(火) JAL再建、年金債務圧縮に法的整理も浮上

焦点:JAL再建、年金債務圧縮に法的整理も浮上



2009年 11月 2日 14:46 JST [東京 2日 ロイター] 


日本航空(JAL(9205.T))が、公的機関の「企業再生支援機構」を活用し事実上国の傘下で再建を進める方針が打ち出された。一方で再建の最大の障害の1つである年金債務の圧縮については具体的な方策はみえておらず、民主党内では会社更生法の適用を真剣に検討すべきとの声も出てきた。

 公的資金注入に財務省が難色を示し続ける中、JAL再建は視界不良のまま第2幕に突入した。

 JALの再建は、前原誠司国土交通相の直属の専門家チーム「JAL再生タスクフォース」(リーダー高木新二郎・野村証券顧問)が9月末以降、1カ月間にわたり計画を作成してきたが、一転して今後の取り組みは支援機構に委ねられ、計画も練り直される。金融機関がタスクフォース案の年金債務圧縮計画の実現性に疑問を抱き、財務省も年金問題が解決しないと公的資金の注入は難しいと難色を示したためだ。

 タスクフォースの試算によると、JALは「存続を前提とすれば総額2700億円の債務超過、清算せざるを得ないと仮定した場合最大8000億円の実質債務超過」(タスクフォース関係者)となる。

 このため再建計画として、総額2500億円の債権放棄・債務株式化、3000億円の官民出資による資本増強、および3300億円の年金積み立て不足を1000億円までの圧縮などを提示した。年金債務圧縮のため、給付利率を従来の4.5%から1.5%に引き下げるか、希望するOBには本来受け取れる金額の現在価値分を一括支給する案も示していた。

 タスクフォースの高木氏や冨山和彦サブリーダーらは旧産業再生機構でカネボウを再建する際、厚生年金基金を解散し、あるだけの積み立て分を現役とOBとで公平に分けた。

 しかし、JALは厚生年金の代行部分を返上し、確定給付型の企業年金に代わっているため「カネボウのような『あるだけ解散』が使えない」(タスクフォース関係者)という事情がある。確定給付年金法は、給付額を減額する場合には、1)経営が悪化、2)受給権者の3分の1以上の同意が必要を条件としており、JALで年金受給権を持つ退職者9000人のうち、11月1日時点で3710人が減額に反対している現状では、年金減額に対して厚生労働省の認可が下りない。

 年金債務圧縮への明確な解決策が見えない中、民主党内には法的整理に活路を見出せないかと模索する動きも出てきた。ある民主党議員は、大手弁護士事務所のTMI総合法律事務所(東京都港区)に対し「給付額が著しく多く、深刻な積立不足が生じている確定給付企業年金制度について、当該企業が会社更生手続きを開始する場合、企業年金債務の取り扱いはどうなるか」と質問したところ、同法律事務所の坂井豊弁護士らは29日付で「支払額の3分の1まで最大限圧縮することは理論上可能」との回答を書面で提出した。

可能である理由として、年金債権は一般債権よりも優先される優先的更正債権であるが、相対的に優位に扱われれば、優先されることになるとの解釈を示し「例えば、一般債権の弁済率が10%である場合、年金債権の弁済率を20%として8割のカットをしても、相対的優先原則には反しない」と指摘した。

 ただ、一般的には退職年金には「賃金の後払い的性格があることから、その3分の1が(更正手続きで優先される)共益債権になるのが原則」と説明している。この見解を先の民主党議員は、今後財務省側などに伝える予定だとしている。

 これまで前原国交相は「JALの法的整理はさせない」と繰り返し強調、タスクフォースメンバーや金融機関側も「法的整理となれば、燃油などすべて現金払いになるため、つなぎ融資が1兆円近く必要になる」(メガバンク関係者)と慎重な姿勢を示してきた。

 しかし、国交相やタスクフォースから公的資金を要請された財務省は「JAL問題はあくまで国交省の問題。再建後どのような絵(将来像)を描いているかが大切」(中堅幹部)と主張。明確な成長戦略が欠如したまま、公的資金でJALを延命させるシナリオに強く抵抗を示す構えも見せている。

 年金債務の削減に、法的整理しか道がないのであれば、米ゼネラル・モーターズ(GM)のような再建型の法的整理が真剣に検討される可能性も残されているようにみえる。

(ロイターニュース)


カルメンチャキ |MAIL

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