女の世紀を旅する
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2006年12月31日(日) 2006年 内外十大ニュース

2006(平成18)年 内外十大ニュース
                2006/12/31



●日本編 十大ニュース

★1位 紀子さま男子ご出産


 9月6日、秋篠宮妃紀子さまが、入院先の東京都内の民間病院で帝王切開手術を受け、男のお子さまを出産された。皇室に男子が誕生したのは、父親の秋篠宮さま以来、41年ぶり。列島は祝賀ムードに包まれた。
 天皇、皇后両陛下にとっては4人目の孫となり、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。お子さまは同月12日の「命名の儀」で、「悠仁(ひさひと)」と名付けられた。「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでほしい」との秋篠宮ご夫妻の願いが込められている。

 皇位継承のあり方を巡っては、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に基づき、政府は女性・女系天皇を容認する皇室典範改正案を国会に提出する方針だった。しかし、紀子さまのご懐妊で見送られた。


★2位 トリノ荒川静香「金」


 第20回冬季五輪・トリノ大会のフィギュアスケート女子で2月23日、荒川静香選手が、金メダルに輝いた。

 冬季五輪史上、この種目での金メダルはアジア初。不振にあえいでいた日本勢にもたらされた唯一のメダルでもあり、日本中が歓喜に酔いしれた。

 フリー演技では、オペラ「トゥーランドット」に合わせた優雅な滑りを見せ、ショートプログラム3位からの逆転優勝を飾った。欧州の新聞各紙も「東洋の女神」「タンチョウ(ヅル)」などと絶賛した。

 上体を後方に反らせて滑走する得意技「イナバウアー」は、一躍流行語となり、12月、2006年の流行語大賞に選ばれた。


★3位 WBC王ジャパンV


 初の野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」は3月20日、米サンディエゴで決勝が行われ、日本が10―6でキューバを破り、初代世界王者に輝いた。

 一時は自力での4強入りを断たれる苦境に立ちながらも、小刻みに安打を重ね、盗塁をからめた「スモール野球」で頂点を極めた。イチロー選手(米マリナーズ)や松坂大輔投手(西武)、川崎宗則選手(ソフトバンク)らナインのプレーに、多くの国民がテレビの前にくぎ付けとなり、野球が生む感動を再認識した。 チームを率いた王貞治監督(ソフトバンク監督)に11月、正力松太郎賞が贈られた。


★4位 安倍内閣発足


 安倍晋三氏が9月26日、第90代、57人目の首相に選出され、安倍内閣が発足した。戦後生まれの首相は初めて。安倍氏は9月20日の自民党総裁選で、麻生太郎、谷垣禎一の両氏を破って新総裁となっていた。安倍内閣は、「美しい国」造りを掲げ、憲法改正や教育改革などを打ち出した。また、首相補佐官を5人任命するなど、官邸主導型政治の強化を目指した。

 就任直後、小泉首相時代に関係が悪化していた中韓両国を歴訪、首脳会談を実現した。10月の全国世論調査では、70・0%(歴代3位)の内閣支持率を記録した。


★5位 夏の甲子園 早実初優勝


 8月20日、第88回全国高校野球選手権大会の決勝戦が駒大苫小牧(南北海道)と早実(西東京)の間で行われ、延長15回の激戦の末、1―1の引き分けとなった。37年ぶり2度目となった翌日の再試合で、早実が4―3で駒大苫小牧を下し初優勝に輝いた。大会中、早実の斎藤佑樹投手は、青いハンカチで汗をさわやかにぬぐう姿などが女性たちの人気を集め、「ハンカチ王子」ブームが起きた


★6位 ライブドア堀江社長ら逮捕


 東京地検特捜部は1月23日、関連会社の企業買収に伴い虚偽の発表をしたなどとして、ライブドアの堀江貴文社長ら4人を証券取引法違反容疑で逮捕した。

 ITビジネスの旗手ともてはやされた若手起業家の転落は、大きな波紋を呼び、マネーゲームや拝金主義の危うさが浮き彫りとなった。 堀江被告は、9月に始まった公判で無罪を主張。起訴事実を認めた元側近らと法廷で激しく対立した。


★7位 「いじめ苦」自殺相次ぐ


 10月11日、福岡県筑前町の中学2年の男子が「いじめられて、もういきていけない」などと書かれた遺書を残し、自宅で自殺した。同月23日にも、岐阜県瑞浪(みずなみ)市の中学2年の女子が自殺するなど、いじめを苦にしたとみられる、中高生の自殺の“連鎖”が全国で起きた。

 首相直属の教育再生会議が11月、「いじめ問題への緊急提言」を取りまとめるなど、政府も本格的な対策に乗り出した。


★8位 日ハム44年ぶり日本一


 プロ野球日本シリーズ第5戦が10月26日、札幌ドームで行われ、北海道日本ハムファイターズが4―1で中日ドラゴンズを下し、東映時代の1962年以来44年ぶりの日本一に輝いた。初戦の黒星の後、4連勝での栄冠。今季限りでの現役引退を表明した新庄剛志外野手が、真っ先に胴上げされ、花道を飾った。


★9位 秋田の小1殺害 各地で子供犠牲に


 下校途中に行方不明になっていた秋田県藤里町の小学1年の男児(7)が5月18日、遺体で発見され、県警は6月、男児宅の近くに住む無職の女を死体遺棄容疑で逮捕(後日殺人容疑で再逮捕)した。女は自らの小学4年の長女(9)の殺害も自供し、7月に再逮捕された。ほかにも、子供が殺害される事件が各地で相次いだ。


★10位 飲酒運転で3児死亡 懲戒免職広がる


 福岡市で8月25日夜、一家5人が乗った車が、飲酒運転の同市職員の乗用車に追突され博多湾に転落、子供3人が水死した。その後も公務員などの飲酒運転が相次ぎ、自治体で飲酒運転者を懲戒免職処分とする流れが広がった。警察庁も一層の厳罰化を検討中だ。


11位 耐震偽装事件で姉歯秀次・元1級建築士ら逮捕

12位 北朝鮮核実験で制裁強化

13位 日本海側で記録的な大雪、死者100人超

14位 西武の松坂大輔投手が米レッドソックスに移籍決定

15位 高校の必修逃れ問題が発覚

16位 福島県前知事を収賄容疑で逮捕、自治体の不祥事続発

17位 北海道で竜巻、9人死亡

18位 駐車違反の取り締まり強化、民間監視員も導入

19位 サッカーW杯に日本が3大会連続出場、グループリーグ敗退

20位 埼玉の小2女児、プールの吸水口で事故死

21位 民主党の「偽メール」問題

22位 オウム松本被告の死刑確定

23位 パロマ湯沸かし器の事故死21人、企業倫理低下の事故多発

24位 高1放火で母子3人死亡、親を殺害する事件相次ぐ

25位 社保庁で国民年金保険料の不正免除問題発覚

26位 イラク派遣の陸自撤収

27位 各地で豪雨被害

28位 村上ファンドの村上世彰代表を逮捕

29位 小泉首相の在任日数、戦後歴代3位

30位 郵政「造反組」11人が自民復党


●海外編 十大ニュース


★1位 北朝鮮が核実験


 北朝鮮は10月9日、同国北東部の咸鏡北道吉州(キルジュ)郡豊渓里(プンゲリ)にある実験場で地下核実験を強行した。同国は核実験を「安全かつ成功裏に行った」と発表、米国なども核実験を確認した。
 国際社会は、北朝鮮が度重なる自制要求を無視して核実験に踏み切ったことに強く反発した。国連安全保障理事会は10月14日、大量破壊兵器関連物資の移転阻止のための船舶の貨物検査や金融制裁などを柱とする制裁決議を採択した。

 北朝鮮はこれに先立つ7月5日、日本海方面に向けて長距離弾道ミサイル「テポドン2号」を含むミサイル7発を発射した。安保理は7月15日、弾道ミサイル計画の全面中止などを求める決議を採択した。核実験によって、初の制裁決議に発展した。

 一方、日本政府の制裁措置としては、ミサイルが発射された7月5日、北朝鮮の貨客船「万景峰号」を半年間、入港禁止としたほか、9月19日には、北朝鮮の金融機関や貿易関連企業などに対し、日本国内からの送金を禁止するなど金融制裁を決定した。また、核実験後の10月13日には、〈1〉すべての北朝鮮籍船の入港禁止〈2〉北朝鮮からの輸入全面禁止――などを柱とする独自の制裁を決めた。

 北朝鮮の一連の挑発的行動は、金正日(キムジョンイル)総書記を頂点とする体制維持のため、意図的に緊張を作り出すことで米国を直接交渉に引きずり込もうとする“瀬戸際戦術”と見られている。

 北朝鮮の核問題を巡り、6か国協議が12月18日、約1年1か月ぶりに北京で再開されたが、北朝鮮に核放棄を実現させるメドは立っていない。


★2位 ジャワ島地震死者6000人


 インドネシアのジャワ島中部で5月27日早朝、マグニチュード(M)6・3の地震が発生した。人口密集地である古都ジョクジャカルタ一帯で約5800人が死亡、40万人以上が家を失った。耐震性の低い簡素な構造の家屋が多いことが被害拡大につながった。

 日本は、陸上自衛隊の国際緊急医療援助隊約150人を派遣し、現地で医療活動にあたった。
 7月17日にも同島南西沖でM7・7の地震が起き、南部の観光地パンガンダランなどに津波が襲来、約600人の死者を出した。津波早期警報システムは未整備で、23万人以上の死者・行方不明者を出した2004年12月のスマトラ島沖地震の教訓は生かされなかった。


★3位 北朝鮮がミサイル発射


 北朝鮮は10月9日、同国北東部の咸鏡北道吉州(キルジュ)郡豊渓里(プンゲリ)にある実験場で地下核実験を強行した。同国は核実験を「安全かつ成功裏に行った」と発表、米国なども核実験を確認した。
 国際社会は、北朝鮮が度重なる自制要求を無視して核実験に踏み切ったことに強く反発した。国連安全保障理事会は10月14日、大量破壊兵器関連物資の移転阻止のための船舶の貨物検査や金融制裁などを柱とする制裁決議を採択した。

 北朝鮮はこれに先立つ7月5日、日本海方面に向けて長距離弾道ミサイル「テポドン2号」を含むミサイル7発を発射した。安保理は7月15日、弾道ミサイル計画の全面中止などを求める決議を採択した。核実験によって、初の制裁決議に発展した。

 一方、日本政府の制裁措置としては、ミサイルが発射された7月5日、北朝鮮の貨客船「万景峰号」を半年間、入港禁止としたほか、9月19日には、北朝鮮の金融機関や貿易関連企業などに対し、日本国内からの送金を禁止するなど金融制裁を決定した。また、核実験後の10月13日には、〈1〉すべての北朝鮮籍船の入港禁止〈2〉北朝鮮からの輸入全面禁止――などを柱とする独自の制裁を決めた。

 北朝鮮の一連の挑発的行動は、金正日(キムジョンイル)総書記を頂点とする体制維持のため、意図的に緊張を作り出すことで米国を直接交渉に引きずり込もうとする“瀬戸際戦術”と見られている。


★4位 冥王星、惑星から除外


 プラハで開かれた国際天文学連合(IAU)総会は8月24日、惑星の定義を新たに採択して冥王(めいおう)星を惑星から格下げし、太陽系の惑星を9個から8個とした。

 1930年に発見された冥王星は当初思われたよりずっと小さな天体と判明、冥王星より大きい小惑星も発見されて呼称に混乱が生じていた。冥王星は、より外側の「第10惑星」などと共に新たに設定された「矮小(わいしょう)惑星」に分類された。科学的見地とは別に、冥王星は星占いでも重要なだけに、降格を惜しむ声は世界中に広がった。


★5位 米中間選挙で民主党勝利


 ブッシュ政権のイラク政策を最大の争点とする米中間選挙が11月7日行われ、民主党が12年ぶりに上下両院で多数を占めた。民主党は上院51、下院233の議席を確保。同時に行われた36知事選でも民主党が躍進し、非改選州も合わせた知事の構成は民主28州、共和22州となった。共和党の敗北を受けブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を更迭、イラク政策の見直しに入った。


★6位 フセインに死刑判決


バグダッドのイラク高等法廷は11月5日、イラク戦争で政権を追われた元大統領サダム・フセインに対し、死刑判決を言い渡した。1982年の中部ドゥジャイルでのシーア派住民虐殺(148人死亡)を「人道に対する罪」と認定した。人道に対する罪で元国家元首が断罪されたのは初めて。


★7位 ニューヨーク原油77ドル突破


 ニューヨーク商業取引所の原油先物相場は7月14日、指標となる原油取引価格について1バレル=77・03ドルで取引を終えた。終値で初めて77ドルを突破、最高値を更新した。イランの核開発問題に加え、イスラエル軍のレバノン空爆など中東情勢の緊迫化が背景にある。


★8位 鳥インフルエンザ死者100人超


 世界保健機関(WHO)は3月21日、アゼルバイジャンで鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)により、5人が死亡したと発表した。これで同ウイルスによる死者は2003年にベトナムで発生して以降、世界で100人を突破。死者は10月末に150人以上に達した。


★9位 元露FSB中佐、英で殺害


 ロシアのプーチン大統領を批判していた露連邦保安局(FSB)元中佐のアレクサンドル・リトビネンコ氏が11月23日、亡命先のロンドンで死亡した。放射性物質ポロニウム210が検出され、殺人事件と認定された。露情報機関の関与が疑われたが、露政府は否定している。


★10位 インドで列車同時テロ


 インド西部ムンバイで7月11日、列車や駅などで7回の爆発が起き、少なくとも179人が死亡した。パキスタンのイスラム過激派組織の関与が疑われ、両国関係は悪化、高官協議がいったん中止された。9月のキューバでの首脳会談の結果、11月に再開された。


11 イラクで本格政府発足

12 タイで15年ぶりのクーデター

13 英当局、航空機爆破テロを未然に阻止

14 韓国・ソウル大の黄教授、論文ねつ造で摘発

15 イラン、ウラン濃縮を公式に認める

16 イスラエルがレバノン侵攻

17 仏で若者雇用政策に抗議デモ

18 次期国連事務総長に韓国の潘基文氏

19 ロシアで初めてのサミット開催

20 イラクで宗派抗争激化

21 胡錦濤・中国国家主席が初の公式訪米

22 比レイテ島で大規模地滑り

23 ノーベル平和賞にバングラデシュのユヌス氏

24 ローマ法王がイスラム教“侮辱”発言

25 ムハンマド風刺画問題で中東諸国などで暴動

26 ポーランドで見本市会場の屋根崩落、66人死亡

27 イスラエル軍、ガザに本格侵攻

28 パレスチナ評議会議員選でハマスが圧勝

29 中国の外貨準備高が1兆ドル突破

30 鉄鋼メーカー世界1、2位が合併発表


2006年12月28日(木) 女優 岸田今日子が逝去

岸田今日子さんが呼吸不全のため逝去






「人間存在の哀愁」を漂わす岸田今日子(76歳)がなくなった。

映画で「存在感」を体現できる女優というのはそういるものではない。彼女はそうした希有な存在感をもっており,人の心に深い印象を与える。飄々とした演技の中に,妖しげな実在感をともなっていて,いつもこの女優には懐かしさを覚える。私の好きな女優の一人であった。

かつてドイツの実存主義哲学者ハイデッガーは人間の実存を「死ぬことへの自覚」としたが,岸田今日子の悲哀にみちた眼差しには,亡くなった母など肉親への喪失感が深く漂っていた。現実を超えた彼岸への憧憬の念というものが感じられるのである。こうした実存的な女優は今後の日本には二度と現れないだろう。世の中が明るくなりすぎ,軽佻浮薄な時代となったからである。




● 映画「砂の女」やアニメ「ムーミン」の声で知られる個性派女優の岸田今日子さんが、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全のため17日午後3時33分、都内の病院で亡くなったことが20日、分かった。76歳。葬儀は近親者のみで行われ、年明けにお別れの会を開く。今年1月下旬に脳腫瘍と分かり入院していた。11月16日には前夫の俳優仲谷昇さんが亡くなっている。喪主は仲谷さんとの間に生まれた長女西條(さいじょう)まゆさん。

 岸田さんは昨年暮れまで精力的に仕事をこなした。11月に舞台「オリュウノオバ物語」に主演し、12月にはドラマ「あいのうた」に出演し、コンサートのステージにも立った。今年1月下旬に体調を崩して頭痛などを訴えたため、病院で精密検査を受けたところ脳腫瘍と分かった。すでに手術ができない状態で、投薬治療などが行われた。8月に一時危篤状態になったが、持ち直して小康状態が続いた。亡くなる前日も見舞い客と言葉を交わしたが、17日に容体が急変。長女まゆさんら家族にみとられて息を引き取った。

 近親者で葬儀が行われ、親友の吉行和子(71)富士真奈美(68)も出席した。吉行は所属事務所を通して「『さみしい』の一言です」とコメントし、富士は気持ちが落ち着いたらコメントしたいとしている。

 劇作家で文学座創立者の1人、岸田国士さんの二女として生まれた。50年に文学座で初舞台を踏み、64年の主演映画「砂の女」はカンヌ映画祭審査員特別賞を受けた。69年からアニメ「ムーミン」の主人公の声を担当し、ドラマ「大奥」のナレーションも務めるなど、独特の声質と語り口でも人気を集めた。映画「八つ墓村」やドラマ「傷だらけの天使」で独自の存在感を示す一方、バラエティー番組にも出演。舞台でも「欲望という名の電車」やつかこうへい作「今日子」に主演するなど、ミステリアスな雰囲気の喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。エッセイストとしても活躍し、98年には「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 54年に仲谷さんと結婚して長女をもうけたが、78年に離婚。その後も仲谷さんとは同じ「演劇集団円」に属して良好な関係が続き、晩年は長女一家と一緒に暮らした。仲谷さんは11月16日に死去し、1カ月後に後を追うように岸田さんも亡くなった。岸田さんは仲谷さんの死を知っていたが、病床のため葬儀などには出席できなかった。



●関係者悲しみの声
 ◆萩原健一(56) 岸田さんが出演していたドラマ「傷だらけの天使」映画化の企画があり、主演の萩原は今秋、岸田さんに出演依頼をしたが断られたという。萩原は「出られないということで、急きょ脚本を書き直しました。具合が悪いと言っていたので心配していました。最後にお仕事したのは8年前のドラマ『冠婚葬祭部長』(TBS系)。僕に何かあると、いつも弁護してくれて『ただ怒っているんじゃないわよ。理屈があるんですから』と言ってくれました。しのぶ会にはぜひ出席したい」とコメントした。


 ◆脚本家市川森一氏 「傷だらけの天使」の脚本を書きましたが、怪しい、退廃的ムードを漂わせた探偵事務所のボス役で、得難い存在感でした。今年の正月にラジオ番組に一緒に出た際、「いまだに当時の役名で呼び掛けられるんですよ」と笑っていました。朗読劇を一緒にやる約束でしたが、それがお別れになってしまい、心残りです。


 ◆演劇集団円の俳優橋爪功 仲谷昇さんに続いて、今日ちゃん。しかもこの短期間に。本当にがっかりしています。今はもう、それだけで何も。ちょっと途方に暮れています。今まで頑張ってきて、ご苦労さまでした。とにかくゆっくり休んでください。


 ◆俳優渡辺謙(47) 何度仕事をご一緒したか数えきれません。僕の演劇における母を失ったようです。知的でいて、そしてかわいらしい母でした。


◆岸田今日子(きしだ・きょうこ)
 1930年(昭和5年)4月29日、東京生まれ。姉は詩人の岸田衿子さん。いとこに俳優の故岸田森さん。50年に「キテイ颱風(たいふう)」で初舞台。63年に文学座を脱退し、劇団雲を経て、75年に演劇集団円の創立に参加。94年に紫綬褒章を受章、99年に紀伊国屋演劇賞個人賞。


2006年12月21日(木) 塩野七生『ローマ人の物語』全15巻完結

塩野七生「ローマ人の物語」全15巻完結
                    2006年12月20日


塩野七生(ななみ)さん(69歳)がとうとう『ローマ人の物語』(全15巻)を完結させた。日本のみならず,韓国でも彼女の本は刊行するたびに翻訳され,ベストセラー入りするほどの人気らしい。並外れた行動力と知的好奇心のなせるわざで,一人の日本女性がまさに世界に誇れる快挙をなしとげたといえよう。かつて18世紀にイギリスの歴史家ギボンが『ローマ帝国の衰亡史』を著したが,これに対抗したわけじゃあるまいがローマ史1200年の推移をコンスルや皇帝などのエピソードを中心に15巻にまとめあげたのは特筆にあたいする。まさに執念のなせるわざであるが,それというのも古代地中海世界への歴史にほれ込んだからである。こういうスケールの大きい知的好奇心をもった野心的な女性作家は,日本には二度と現れないだろう。経歴がそれをものがたっている。


履歴 

1937
0歳 7月7日、東京都に生まれる。

1953
16歳 ホメロスの『イーリアス』を読み、地中海世界に興味を持つ。


東京都立日比谷高校を卒業。

1960
23歳 六〇年安保の学生運動に参加、政治について考えるようなる。

1962
25歳 学習院大学文学部哲学科を卒業。

1963
26歳 10月、イタリアに遊学。ローマに住み、ヨーロッパ、北アフリカ、中近東を旅してまわる(〜1968年10月)。

1966
29歳 10月、当時「中央公論」編集者で、その後まもなく編集長に就任する粕谷一希氏に、「ルネサンスの女たち」という題で作品を書くことを勧められる。

1968
31歳 『ルネサンスの女たち』を「中央公論」4,6,9月号に連載、作家デビュー。

1970
33歳 3月、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』刊行。
同作品により1970年度毎日出版文化賞を受賞。
再びイタリアへ渡り、フィレンツェに住む。
シチリアの貴族の出身で医師のジュセッペ・シモーネ氏と結婚したのも、この年と思われる。

1974
37歳 息子のアントニオが生まれる。
『イタリアだより』を「文藝春秋」5月号〜1975年5月号に連載。

1975
38歳 3月、『愛の年代記』刊行。
6月、『イタリアだより』刊行。

1980
43歳 1月25日、最も信頼していた編集者の塙嘉彦氏が他界。享年45歳。
7月、『コンスタンティノープルの渡し守』刊行。
10月、『海の都の物語』刊行。

1983
46歳 3月、『サロメの乳母の話』(『歴史の散歩』改題)刊行。
『男たちへ』を「花椿」6月号〜1988年1月号に連載。
9月、『コンスタンティノープルの陥落』刊行。
『海の都の物語』その他の著作に対して、第30回菊池寛賞を受賞。

1985
48歳 『男の肖像』を「文藝春秋」3月号〜1986年2月号に連載。
3月、『サイレント・マイノリティ』刊行。
10月、『ロードス島攻防記』刊行。

11987
50歳 4月〜9月、『聖マルコ殺人事件』を「週刊朝日」に連載。
5月、『レパントの海戦』刊行。
9月、『わが友マキアヴェッリ』刊行。

1988
51歳 『わが友マキアヴェッリ』により、1987年度女流文学賞を受賞。
7月、『マキアヴェッリ語録』刊行。
11月、『聖マルコ殺人事件』刊行。

1989
52歳 1月、『男たちへ』刊行。
2月〜8月、『メディチ家殺人事件』を「週刊朝日」に連載。
5月〜1990年8月、『昔も今も』を日本経済新聞に連載。

1990
53歳 1月、『メディチ家殺人事件』刊行。
『人びとのかたち』を「フォーサイト」3月号〜1994年4月号に連載。
『法王庁殺人事件』を「月刊Asahi」10月号〜1991年9月号に連載。

1991
54歳 4月、『再び男たちへ』(『昔も今も』改題)刊行。

1992
55歳 1月、『法王庁殺人事件』刊行。
7月、『ローマ人の物語I―ローマは一日にして成らず』刊行。
2006
69歳 12月 『ローマ人の物語』全15巻完結

●朝日新聞

 古代ローマの、1200年をこえる興亡の歴史をたどった、『ローマ人の物語』(全15巻、新潮社)が完結した。イタリアから一時帰国している著者の塩野七生さん(69)に、古代ローマの魅力について聞いた。

    *    *    *
 「古代ローマの及んだ地域には、道路、水道、闘技場などの遺跡が残り、日本人も目にしている。これらを、美術や文化として説明する本は多い。でも私は、ひとつの文明として、何のためにつくられ、人々がどう考えていたかを伝えたかった」

 古代ローマは、紀元前8世紀に都市国家として誕生した。元老院主導の共和政で、地中海をかかえこむほど拡大すると、矛盾も大きくなった。政治変革をめざし、殺されたカエサル(シーザー)の遺志を生かし、後継者アウグストゥスは、帝国としての政治システムを整えた。反動ととられることの多い帝政を、塩野さんは肯定的にとらえた。

 「『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』の時期は、広大な、ヨーロッパ、中近東、北アフリカの地域に、200年もの間、戦争が起こらなかった。ローマに負けても、多くは自治が認められた。中央集権と地方自治の微妙な組み合わせです。大英帝国など植民地を搾取した近代の帝国とはまったく異なる。皇帝の出身地も、ローマ本国だけでなく、属州のガリアやアラブ人まで広がった」

 隆盛の鍵は敗者への「寛容」にあった、という。多神教社会であったことが大きい。「彼らは自分たちは正しいにしても、他の人たちが間違っているわけではないと考えていた。戦いに勝っても、勝者の権利をふりかざさなかったんですから。でも日本の多神教とは違いますけれど」

 共和政、帝政の違いをこえて、宗教のかわりに、法が意味をもった。「さまざまな宗教、肌の色などが違う人々が一緒に暮らす共同体にはルールが必要で、それが法だった」

 法律や税制、安全保障(軍備)、公共施設、公共観念。代々の皇帝たちは、どのような点に苦心したか。歴史書や公文書、彫像、コイン、碑文などから、作家の想像力で、大胆すぎるほど断定的に往時を分析した。

 「すべての道はローマに通ず」という言葉があるように、帝国の隅々にまで道路が整備された。「万里の長城は防衛とともに、交通を遮断する。ローマ道路は、開かれた交通を大事にしている」

 3世紀前後から、多民族の侵入、内部対立などで混乱が続き、一神教のキリスト教が政治に浸透するにつれ、ローマらしさは薄れていった。

 「キリスト教公認までの約300年間、ローマ人はキリスト教を必要とはしていなかった。しかし、人間は、不安になると強いことをいう者にひかれる。キリスト教には、その強さがあった」

 「最後のローマ人」として他民族出身の軍総司令官を描き、イスラム教の出現を望むあたりで、最終巻は結ばれている。

 「西ローマ帝国滅亡のあと、キリスト教が支配する中世が千年近く続いたあとにルネサンスがおきた。いまヨーロッパは、自信をなくして不安になっているところが、ローマ帝国の最後あたりと似ている。新たな中世が始まる予感もします」

 ひとつの文明の運命をどう読むか。読者の自由にまかせたい、という。


●読売新聞

 1992年以来、1年1冊ずつ15巻。塩野七生(しおのななみ)さん(69)の歴史巨編『ローマ人の物語』(新潮社)が、ついに完結した。単行本・文庫の累計部数は774万部。非キリスト教徒によるローマ帝国の歴史は、「9・11」以降の世界へ多くの示唆を含む。この時代に思い出すべき寛容の精神とは――。イタリアから一時帰国中の作者に聞いた。(尾崎真理子)

 「なぜ、ローマ人だけが」

 初めにこの問いがあったという。ギリシャ人の知力に学び、紀元前2世紀に地中海の覇者となり、長いパクス・ロマーナを実現し得たのは、ローマ人の何が秀でていたからなのか。

 「人間の生活にとって最も重要なことは安全保障(セクリタス)。戦乱の苦しみほど不幸なものはないという真実を、彼らはよく知っていました」

 その統治は、独自の寛容さによって貫かれていた。征服した国や地域の神々をすべて認め、奴隷化してもローマ市民権への道を開き、有力者は元老院に招いた。「ローマ化こそ、最強の安全保障であるという信念がありました。軍事力で制圧すると、いずれ反乱が起こり、税負担が増える。この悪循環を見通していたようにね。ただしローマ人は、勝って、譲った。勝者の寛容なんです」

 ギボンをはじめ、西欧人による記述とは異なる印象の「帝国」が浮かび上がる。「少なくともイギリスの帝国主義とはまるで違う。要するに私は、キリスト教世界が書かなかったローマ史を、初めて書いたのだろうと思います」。淡々と語るが、すでに韓国、台湾でも翻訳されベストセラーに。英訳も進行する。

 著者の「ローマ的なるもの」の追求は、人間ならユリウス・カエサル(紀元前100〜同44年)に極まっているだろう。「ローマの歴史がカエサルを生み、彼がその後のローマ世界を決めた。熱中して書いているうち、ある時ふっと、彼の腕の感触を間近に感じたほど」

 カエサルの残した「ガリア戦記」のラテン語の散文は「簡潔、明晰(めいせき)、この上なくエレガントで」、シェークスピアやブレヒトらに感銘を与えた。現在の暦に近いユリウス暦の採用、ローマ最初の国立図書館や造本の発案、さらに元老院の討議の速報を壁新聞にするなど、現代のメディアの源流もことごとく彼にある。

 しかも同時代にあの雄弁家キケロがいた。当時の書簡集からこまやかに読み取られている古代人の喜怒哀楽。幸福感、挫折感。彼らだけではない。カルタゴのハンニバルからクレオパトラ、初代皇帝アウグストゥス……皆、同時代人のように風貌(ふうぼう)まで彷彿(ほうふつ)としてくる。

 「塩野七生は歴史を面白くし過ぎると、研究者から非難されます。でも“私が”歴史を面白いと思って書いた。ただただ、物語って行っただけですよ」

 第15巻「ローマ世界の終焉(しゅうえん)」は、6世紀半ばに「地中海がローマの内海でなくなった」のを見届けて終わる。しかし私たちは、もう一度ローマ人が歴史の表舞台に立つのを、この著者の『ルネサンス著作集』(全7巻)ですでに知っている。

 イタリアで執筆生活を始めて40年余。塩野作品は、これで紀元前8世紀のローマ建国から近代に至るまで、イタリアと地中海の歴史に一本の流れを通したことになる。その作者が、「今、世界中が中世に向かいつつあるのでは」と小声で言う。

 「古代においてはローマ帝国が、どうやって諸民族と共生できるかを実現し、それが機能しなくなって中世が訪れた」

 ルネサンス以降、フランス革命、啓蒙(けいもう)主義、2度の世界大戦の教訓から生まれたEU……。500年をかけて西欧諸国は、ようやく政教分離の寛容さを共有するに至ったものの、「その理念が通用しなくなりつつある。私は民主主義は最後の宗教と思っていますが、軍事に訴えても影響力は低下しつつある」と憂慮する。

 紀元前1世紀、「都市生活が快適すぎて」、少子化が進んだというあたりも興味深い。諸問題解決の糸口を求めて、愛読する政財界人が多いことでも知られる。「でも、私の提言など、どこにも書いていません。何を受け取るかは、読む方(かた)次第」

 1年1巻のペースを守るため、この15年、夏休みを取っていない。古文書から現代の研究成果まで丹念に目を通し、シリア、北アフリカからスコットランド……旧領土の隅々まで旅した。約1万枚の手書き原稿を書き終えるために潰(つぶ)した万年筆は、5本。

 「すっかり視力を悪くしちゃって」

 余裕の微笑が、達成感を物語った。

「高校で世界史を学ばないなんて。歴史の骨格を学ばないと、私の本も読めません」(東京・新宿区の新潮社で)


(2006年12月15日 読売新聞)



●韓国 中央日報

「ようやくローマが分かってきた」…『ローマ人の物語』書き終えた塩野七生氏

「自分の羽根を一本一本抜きながら美しい織物を織り上げていった『夕鶴』のつうのよう。丸裸になった気分がします。しばらく休んで羽根を生やさなければオーブンに入れられそう」−−。

「シリーズ物」ローマ人の物語で有名な日本の作家、塩野七生氏(69)が15年の幕を閉じるにあたり、14日に語った言葉だ。

自分のエネルギーを全てこの本に降り注いだ。彼女は子供を生むように15年間、ローマ帝国の興亡史を毎年1冊ずつ書いた。1992年1巻目「ローマは1日にして成らず」で始まり、15日に日本で出版される第15巻『ローマ世界の終焉』でピリオドを打つ。

このシリーズは14巻まで日本で540万部が売れた。塩野は15冊を書く間、イタリアにとどまり、1年の半分は資料収集および精読、残り半分は執筆に明け暮れた。

◆「ローマ人を知りたくて書いた」=塩野氏は第15巻のあとがきで「ローマ人の物語シリーズは自らローマ人を知りたいと思って書いた」とし「執筆を終えた今ようやくわかったといえる」と明らかにした。またどうしてローマの歴史を、それも15冊も書いたのかに対しても打ち明けた。「素朴な疑問から始まった。これまでローマ史とといえば一般な常識はローマ帝国の「衰退」にかかわるものだった。しかし衰退したらその前には栄えたということなのに、どうしてその繁栄期には関心を持たなかったのかということ。だれも私の疑問に答えてくれなかったので自分で答えを探そうとした」。

ローマ史のバイブルとして通じるイギリス人の歴史家エドワード・ギボン(1737〜94)の『ローマ帝国衰亡史』(6巻)がローマ全盛期(96〜180)から東ローマ帝国滅亡に至る時期のみを扱ったのと比べ『ローマ人の物語』はローマ建国から滅亡までをあまねく扱っている。

塩野氏は「一国の歴史は一人の生涯と同じだ。徹底的に知りたいと思えばその人の生誕から始まって死ぬまでを通さなければならないように(歴史も)同じだ」とし「15年の歳月と15巻のボリュームが必要だった」と強調した。

ローマ帝国が続いた理由について彼女は「ローマ人は人間という複雑な存在をしっかと見据えたうえで制度を作り出し、メンテナンスと見直しを怠りませんでした」と分析した。

ローマ史を論ずるのに「日本人塩野」は限界があるという一部の指摘に対して彼女は14日付産経新聞とのインタビューで「ヨーロッパの歴史家がローマ史を書けばどうしても共和制を高く、帝政を低く評価してしまう。まったく別の文明圏に生まれ育った私は、クールに描くことができたと思う」と自信をのぞかせた。

最終巻である第15巻で彼女はローマ帝国の滅亡とその後に現れた現象を列挙した。特にローマ帝国の滅亡を扱った既存の歴史研究書と差別化させるため「なぜ」よりは「どうして滅亡したか」に重点を置いた。

塩野氏は「中世ルネサンス時代のべネチア共和国、古代ローマ帝国など『盛者必衰』が歴史の理なら、後世の我々も襟を正して純粋に送ることが歴史に対する礼儀だと思う」とした。

◆塩野七生=1937年東京で生まれ、63年、学習院大学を卒業した。高校時代イタリアに興味をもち始め、東京大学入学試験に落ちた後、学習院大学を選択したのもその所にギリシア、ローマ時代を教える教授がいたからだった。西洋哲学を専攻し、学生運動にも加わったが、マキャベリを知るようになって懐疑を感じ、やめて卒業後、イタリアに渡った。イタリアで30年以上、ローマ史を研究した後、マキャベリの『君主論』のモデルとして知られるチェーザレ・ボルジアの一代記を描いた『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で70年、毎日出版文学賞を受賞した。

東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員

2006.12.15 09:26:32


2006年12月13日(水) 必修科目履修漏れ

《 必修科目履修漏れ 》

必修の世界史や家庭科・技術などの履修漏れが,なぜ今頃になって発覚したのか。文部科学省はこの事実をとっくに知っていたはずである。由々しき事態だ。大学受験のためとはいえ,必修科目を無視してきたのだから,日本の教育現場の事態は深刻だ。

663校が今年度,履修漏れがあったというから驚く。生徒の受験に配慮したカリキュラムを組んでいるためだが,世界の歴史・地理・文化の知識をもたない学生が大学に入ることなるのだから,大学生の教養の知識が浅くなるのは当たり前で,国際化の時代に外国の歴史・文化・哲学・宗教・美術などの知識をもたない大学生を大量に輩出するのだから,大学の教育現場にいる先生たちも途方にくれるだろう。経済・政治・法律・思想・哲学・文芸・地理などの知識は世界史のコンテンツに含まれている。大学の人文系の各学部では世界史の知識が前提となっており,これを履修しないで大学に入るとなると,ほとんど大学の講義についていけないだろう。なんのために世界史を必修にしたのか,よく考えていただきたいものだ。


●必修漏れ、24年前から 2003年度の総合学習新設で拍車
2006年12月13日17時33分

 高校の必修科目の履修漏れは、遅くとも82年度から続いていたことが13日、文部科学省の調査でわかった。漏れを認めた高校のうち4割以上が、情報や「総合的な学習の時間」(総合学習)が新設された03年度に、一斉に「偽装」を始めていたという。

 調査対象は、「今年度、履修漏れがあった」と申告した46都道府県(熊本県を除く)の公立と私立の計663校。最も古いのは、82年度からの私立。世界史が必修となった94年度以前には計11校あり、いずれも私立だった。

 94年度以降は公立でも始まり、公私合わせて毎年度、10〜46校の割合で増えた。特に、指導要領の改訂で情報や総合学習が新設された03年度には、公立170校と私立123校が始めたと回答している。

 履修したように見せかけた「偽装」を教科別に分類すると、地理歴史が公私合わせて460校とトップ。以下、情報247校、公民106校、理科76校、家庭74校と続く。



●「総合学習」の時間に受験教科 約30の都立高
2006年12月12日15時31分

 東京都立の約30の高校で、「総合的な学習の時間」を受験対策に充てたり、「理科総合」の授業で教科書を使わなかったりしていたことが都教育委員会の調べで分かった。都教委は「履修漏れには当たらないが、好ましいことではない」として、近く文書で改善指導をする。

 都教委によると、約20校で、総合学習の時間で、英語や数学といった受験教科の問題を解いたり、英語のリスニングを練習したりしていた。また、約10校では、物理と化学、または生物と地学を教える必要がある理科総合で、1科目だけを教えたり教科書を使わずに授業をしたりしていた。

 都教委は、「学習指導要領が教科の内容を一部省略したり、発展的な内容を教えたりすることを認めていることから、こうした拡大解釈につながったようだ」と指摘。しかし「まったく授業をしていないわけではない」として、履修漏れには該当しないと判断した。

    ◇

 伊吹文部科学相は12日の閣議後会見で、事実関係を調べるよう指示したことを明らかにした。そのうえで「グレーゾーンみたいなところで、にわかに結論は出しにくい。総合学習の枠の中で工夫してやっていたのであれば、違法ではない」と述べた。


●指導要領、私学しばらぬ 東京私立中学高等学校協会長に聞く
2006年12月04日10時40分

 公立高校に端を発した必修科目の履修漏れ問題は、私立高校も巻き込んで全国に広がった。公立と比べて自主性が尊重される私立は、文部科学省が定める学習指導要領にどこまで拘束されるのか。私立高校が全高校の半数以上を占める東京の私立中学高等学校協会長で、八雲学園中学高等学校(目黒区)校長の近藤彰郎氏に聞いた。 (聞き手・根本理香)

★授業の自主性、法に根拠

 ――学習指導要領は厳格に守るべきですか。

 私立は公立とは違う。長い歴史の中で自分たちの教育観を持ち、建学の精神をもって教育している。私立が学習指導要領通りにやらなければいけないなら、存在意義はない。

 学校教育法14条は、学校の授業や設備などで法令違反があった場合、都道府県教育委員会もしくは知事が変更を命じることができると定めている。ただ、私立については私立学校法5条で適用除外となっている。授業の根幹がカリキュラム。私立の自主性・独自性がここで法的にも守られている。

 ――高校の授業が受験対策中心になっているという批判があります。特に私立がそうだと。

 受験を否定しても意味がない。多くの子どもたちは、一つの短期的・中期的な目標があるから勉強する。試験のための勉強ではないと言ったところで、それは理想論。今の受験制度のもとで、理想論を押しつけるのは受験生に対して失礼だ。受験勉強を否定して、その結果大学に受からなかったら、だれが責任を負うのか。

 受験勉強したい人にはさせればいい。多くの私学は受験勉強だけを中心にすえているわけではない。建学の精神を大切にしながら、子どもたちの希望をかなえるために、発達段階にあわせて教育している。

 ――私立の独自性と高校生として学ぶべき標準とのバランスをどうとっていきますか。

 日本中の私立学校で、学習指導要領をまったく無視している学校は本当に少ないと思う。ほとんどの学校は指導要領の規定を自分の学校に当てはめてみて、時代の変化や子どもの発達段階にどうしても当てはまらない場合に、現場でアレンジしている。現場に柔軟性を幅広く持たせることが子どもたちを伸ばすことになる。

 ――公立はどうでしょう。私立とは事情が異なるんでしょうか。

 公立の経営者は教育委員会だ。教育委員会が、指導要領を守るべきだとの立場から学校現場での履修漏れを知らなかったというなら、その学校が教委の業務命令に違反したことになる。私立の場合は理事会が経営者だが、カリキュラムについて知らないなんてことはありえない。

 ――未履修が発覚した私立への補助金の見直しに言及する知事もいます。

 私学振興助成法の目的をよく読んでほしい。私立学校の教育条件の維持向上、父母の経済的負担軽減、学校経営の健全性の三つが柱だ。理由のいかんを問わず、補助金を減らすことは教育環境を悪くすることになる。その結果、困るのは子どもたちだ。

 補助金カットには何があっても反対だ。今回の問題で子どもたちに不安を与えた上に、さらに負担をかけようというのか。私立が補助金をカットされるなら、公立の教育費も減らすのか。ばかげた考えをするべきではない。

 ――今回の未履修問題は、70コマを上限とする補習で収束させることになりました。

 補習が必要ならするべきだが、センター試験も間近なこの時期に行うのは、一生懸命受験勉強をしている子どもたちに過酷な負担を与えると言わざるを得ない。06年度は来年の3月31日まである。補習は受験が終わってからでも遅くはない。卒業を延期させてもいい。子どもたちのことを1番に考えるのが教育行政ではないのか。

★公立の2倍強、チェック及ばず

 文科省の最新の集計によると、全国の5408高校のうち、必修科目の履修漏れがあったのは663校(12.3%)。公立校が4045校中371校(9.2%)なのに対し、私立校は1348校中292校(21.7%)で、履修漏れの割合は私立が公立の2倍強だ。

 公立も私立も、学習指導要領に基づいて必修科目が決められている。ただ、公立は教育委員会に設置管理の権限があるのに対し、私立は都道府県が「監督」するだけで、チェックが及びにくいのが実情だ。私立では「独自性と自主性」も尊重され、一部の自治体は当初、私立への履修漏れ調査に慎重だった。

 私立は生徒の集まり具合が経営を左右するだけに、募集に影響する大学受験での実績作りを公立より重視しがちだ。学校5日制が導入されても6日制を続けるなど、公立との違いを出そうと腐心する学校も多い。 履修漏れが70コマを超える生徒の数は、公立が約1万300人で、私立はそれを上回る1万5500人に達している。



●履修漏れ、私立校の22%に 計665校 文科省調べ
2006年11月22日18時20分

 高校の必修科目の履修漏れ問題で、文部科学省は公立と私立の計665校で漏れが見つかった、と22日発表した。私立の履修漏れの割合は全体の21.6%で、9.1%だった公立の倍以上だった。文科省教育課程課は「一部の教育委員会ではまだ調査を継続しているようで、確定値ではない」としている。

 同課によると、今回の数字は20日現在の集計で、最初に発表した1日時点より125増え、すべての国公私立5435校(中等教育学校の後期課程を含む)の12.2%にあたる。うち公立は371校、私立は294校だった。

 生徒数では、いまの3年生約116万人の9.0%にあたる10万4333人。

 未履修が4単位140コマを超える生徒は公立の1.6%に対し、私立は11.4%と7倍以上多かった。

●大学入試見直し、急な制度改革に文科相否定的
2006年11月13日22時42分

 高校必修科目の履修漏れ問題から生じた大学入試の見直しに関連し、伊吹文部科学相は13日、高校教育が入試で総括される風潮は「変えないといけない」としたものの、一足飛びの制度変更については否定的な見解を示した。日本記者クラブでの会見で述べた。

 伊吹氏は、大学入試センター試験などで高校生の習熟度を卒業前にチェックする意向を示していたが、この日は「あまり制度をいじらず、権限のある校長にやってもらうというのが一番いい」と説明。国会で見直しに言及したのは、「校長が指導力を発揮しないと、そういうことになるという警鐘と受けとめてほしい」と述べた。具体策としては世界史と日本史などの2科目受験が「現実的ではないか」と言うにとどまった。

●私学協会「補習すればいい」 本郷高、履修漏れ伏せる
2006年11月08日17時24分

 東京都が7日に履修漏れがあったと公表した私立本郷高(豊島区)が、最初に富山県立高岡南高校で履修漏れが発覚した10月末の段階で、世界史を必修科目にしていないことを自覚していたことが分かった。学校側は「文科省の緊急調査の際、東京私立中学高等学校協会に相談したが、『卒業までに対応すれば履修漏れにならない』と言われた」と説明している。

 本郷高の高橋雄校長によると、同校では「世界史B」を2年生か3年生の時の選択科目にしており、3年生66人が選択していなかった。都は先月末、私学協会を通じて都内の全私立高に調査を指示。高橋校長はこうした事実を協会側に伝えたが、「新科目や補習という形で卒業までに補えば未履修と考えなくていいのではないか」との説明を受けたため、調査には「適切に履修させている」と回答したという。

 同校は今月4日の保護者会で、70時間の補習を実施する考えを保護者に伝えていた。しかし、都が本郷高の履修漏れを把握したのは、教育課程表を再調査した6日になってからだった。


2006年12月03日(日) 近未来の日本の危機:少子化と高齢化


近未来の日本の危機:少子化と高齢化







●<少子化社会白書>日本「超少子化国」と定義  

 政府は12月1日午前の閣議で06年版「少子化社会白書」を決定した。05年に人口が戦後初めて減少に転じ、合計特殊出生率が1.25に落ち込んだ日本を「超少子化国」と定義。少子化対策を国の最重要政策課題と位置づけ、社会全体の意識改革の必要性も強調している。
 白書は少子化の直接原因として晩婚化・晩産化に加え、「未婚化の進行」を挙げた。具体的なデータとして、70年代は男女とも30代の9割が結婚していたのに対し、05年は30代前半の未婚率が男性47.1%、女性32%(国勢調査)に高まったことを紹介している。
 人口学は合計特殊出生率が1.3未満の国を「超少子化国」と定義している。日本の05年の出生数は過去最低の106万2530人(前年比4万8191人減)で、合計特殊出生率も1.25(同0.04ポイント減)と過去最低を記録、昨年に引き続きこの表現を用いた。合計特殊出生率が1.3を割り込んだのは3年連続。
 少子化対策としては、児童手当の乳幼児加算(0〜2歳児が対象)創設など「子育て支援策」と「働き方の改革」を中心に40項目の施策を列挙した。人口減少社会に適応した社会・経済システムの構築や国、自治体、企業、地域など社会全体で対策に取り組む重要性を唱えている。【渡辺創】
(毎日新聞) - 12月1日14時53分更新





●少子高齢大国日本/子育て支援きめ細かに    東奥日報

 政府の人口統計にはいつも驚かされる。昨秋実施した国勢調査について総務省は六月末、同調査1%抽出速報を公表した。
 国勢調査の調査票から全市町村ごとに百分の一、計約五十万世帯を抽出、年齢別人口など十六項目を集計した。
 同速報によると、日本の総人口に占める六十五歳以上の高齢者人口割合(高齢化率)が21%に上昇した。
 一九八〇年に先進国で最低レベルの9.1%。それが右肩上がりに急伸、二十数年で世界一の高齢大国に駆け上がった。
 少子化も同時進行だ。同速報によると日本の十五歳未満人口の割合が13.6%。子どもの比率が世界最低となった。
 この数値が示しているのは、日本が高齢化、少子化とも一番進んだ国になったことだ。
 特に少子化は深刻だ。事態を重視し国は二〇〇三年、少子化対策基本法を制定、〇四年に少子化社会対策大綱を策定した。
 基本法に「次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てる環境を」とうたうが、言うのはたやすく行うのは難しい。
 国、地方自治体、地域社会、民間企業などが総力を挙げた総合対策を長期間続けないと、少子化に歯止めがかからないだろう。子育て支援一つとっても、よりきめ細かな施策が必要だ。
 一人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率がある。この比率が2.08前後を下回ると、その国の総人口は減っていく。
 日本では同出生率が減り続け〇五年に1.25。生まれる国民より亡くなる国民が多い「人口減少社会」に突入した。
 現状は子どもを安心して産み育てる環境からほど遠い。国立社会保障・人口問題研究所が昨年六月に実施した「結婚と出産に関する全国調査」がある。
 妻の年齢が五十歳未満の夫婦六千八百余組が回答した。夫婦が欲しい理想の子どもの数と、産む予定の数が三年前の前回調査より減った。
 なぜ理想の数を産めないのか。その理由は切実だ。「子育てや教育にお金が掛かり過ぎる」が65.9%と最多。「高年齢で産むのは嫌」が38.0%。
 さらに「育児の負担に耐えられない」「仕事に差し支える」「健康上の理由」「欲しいができない」「家が狭い」「夫の協力が得られない」…と続く。
 抽出速報にこんなデータもある。二十五−二十九歳女性の59.9%、三十−三十四歳男性の47.7%が未婚だ。
 国は将来推計人口を甘く考えがち。ところが、現実の少子高齢化はもっとハイペースだ。
 厚労相の諮問機関・社会保障審議会人口部会は、社会保障制度設計の基礎となる将来推計人口の見直し作業に入った。
 推計人口を下方修正しないと公的年金、医療、介護保険など各制度に狂いを生じる。
 国の少子化社会対策会議は六月二十日、「新しい少子化対策」を公表。子どもの成長に応じた子育て支援策、若者や女性の働き方改革、「家族の日」「家庭の週間」制定…などを掲げた。
 施策を掛け声だけに終わらせず、しっかりと財政措置をしてほしい。「少子高齢大国」脱却は百年以上の大計である。




●高齢化世界一/少子化を止めるしかない

 日本の総人口に占める六十五歳以上の高齢者の割合を示す高齢化率が、二〇〇五年の国勢調査による速報値で21・0%と分かり、世界最高となった。
 一方、十五歳未満の年少人口の割合は13・6%と前回より1ポイント下がり、過去最低となった。これも世界最低水準である。
 つまり、世界で最も高進した「少子高齢国」になった。さらに、心配なのは、この勢いに陰りが見えないことだ。
 高齢化率は、二〇〇〇年の前回国勢調査から3・7ポイントも上昇しており、急激なカーブを描いているといってよい。また地域別で見ると、最高値となった秋田県の28・1%から最も低い埼玉県の16・9%まで、すべての都道府県で上昇している。
 日本は、平均寿命が男女とも世界一を維持する長寿国である。高齢者が多いのは当たり前で、むしろ喜ぶべきだろう。
 問題は、五人に一人がお年寄りという高齢化率なのだ。先ごろ発表された〇六年版高齢社会白書によれば、このまま推移すると一五年には26%にもなる。
 人口構成のバランスが崩れ、労働人口の減少で社会の活力が弱まるだろう。年金や医療、介護など社会保障制度の維持も難しくなる。繰り返し指摘されてきたことであり、深刻に受け止めねばならない。
 避けられない以上、高齢化に備えた社会づくりが急がれる。高齢者の就業機会の拡大▽健康と福祉の充実▽高齢者のさまざまな社会参加の促進▽交通機関や施設などのバリアフリー化の推進-などを早急に整備していく必要がある。
 高齢化率の上昇を抑えるには、少子化の進行を押しとどめるしかない。だが、その少子化も危機的状況に陥っている。
 昨年末に、日本の人口が初めて減少に転じたことが分かった。また、先月初旬には人口動態統計で出生率が1・25と、前年の1・29から大幅な低下が明らかになった。大きなショックが相次いでいる。
 先月下旬、政府の少子化対策がまとまった。乳幼児手当などの子育て支援策が柱だ。次いで、若者の正社員化や長時間労働の是正で、家庭を持ち、子供を育てる環境づくりへの支援策などが続く。
 しかし、施策全般にインパクトが弱いうえ、財源の裏付けもまだ十分ではない。少子化を緩和させる、との社会への強いメッセージにはなっていない。
 「少子化」と「高齢化」は決して別々の問題ではなく、社会全体の課題と受け止めるべきである。「世界最高」を返上できるように、衆知を集めたい。


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