女の世紀を旅する
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2003年12月31日(水) さらば2003年! 内外の十大ニュースと物故者

《 さらば2003年! 内外10大ニュースと物故者》

                   2003.12.31


 共同通信社は12月23日、加盟新聞社、テレビ・ラジオ契約社の合同投票で2003年の
内外10大ニュースを選んだ。






【10大ニュース国内編】

2003年の日本は激動するイラク情勢に揺れた。イラクで11月、日本人外交官2人が殺害された悲劇は、戦後復興に日本がどうかかわるのか、という問いをあらためて突きつけた。
日米同盟重視の立場から米、英軍のイラク攻撃を全面支持した小泉政権は、自衛隊派遣へ踏み出した。 7月にイラクへ自衛隊を派遣するイラク復興支援特措法を成立させ、12月に自衛隊派遣の基本計画を策定したが、現地の治安への不安は高まっている。
初のマニフェスト選挙となった衆院選は、政権交代を訴えた民主党が躍進した。自民党に対立する野党として過去最大となり、本格的な二大政党時代の幕開けを告げた。また、国民の生活に深くかかわる個人情報保護法、有事関連法が相次ぎ成立した。
凶悪犯罪の低年齢化や長引く不況が不安を深めた年でもあった。長引くデフレ下の経済は、りそな銀行と足利銀行に金融危機の回避措置がとられた。かすかに景気回復の兆しもみられるが、地方の地盤沈下はさらに進行した。
長崎の男児殺害事件に代表される凶悪犯罪の低年齢化や、外国人犯罪の多発は、安全神話崩壊をさらに進めた。また12月23日,米の牛海綿状脳症(BSE)感染で日本政府は新たな米国産牛肉の輸入を停止。吉野屋などの牛肉を扱う店に大きな衝撃が走る。



●1位 邦人外交官2人がイラクで殺害

11月29日、イラク北部のティクリット付近で、在英国大使館の奥克彦参事官(死後大使に昇進)と在イラク大使館の井ノ上正盛書記官が乗った車が銃撃され、二人とも死亡。日本政府、米軍とも襲撃状況からテロとほぼ断定した。イラク戦争開戦後、日本人の犠牲者は初めて。


●2位 衆院選で民主躍進、二大政党時代へ

11月9日投開票の第43回衆院選は、自民党が議席を減らしたが、公明、保守新との与党三党で絶対安定多数の275議席を獲得した。民主党(菅直人代表)は177議席で解散時より40議席増の躍進、共産、社民両党は大幅減。保守新は自民に合流し、自民、民主の本格的な二大政党時代に入った。


●3位 長崎男児殺害など少年の重大事件相次ぐ

7月1日、長崎市で幼稚園男児がビル屋上から突き落とされて死亡。中学1年の少年が補導された。六月に沖縄県で中学生が殺害され、高校、中学生計3人を補導。7月には東京・渋谷で小6女児4人が監禁される事件があり、凶悪犯罪の低年齢化や少年が巻き込まれる事件が目立った。



●4位 有事関連法が成立

6月6日、日本が他国から武力攻撃を受けた場合の自衛隊を中心とする対処方針を定めた有事関連法が、野党の民主、自由両党も賛成し成立した。11月には政府が、武力攻撃や大規模なテロ攻撃を受けた際の住民避難や救援策を定める国民保護法案要旨をまとめた。


●5位 イラク復興支援特措法成立、自衛隊派遣へ

7月26日、イラクに自衛隊を派遣するイラク復興支援特別措置法が成立した。米軍支援や戦後復興が目的。政府は12月9日、派遣可能期間を同月15日から1年間とする基本計画を決定。戦闘が続く外国領土での自衛隊の本格活動は初めてとなる。


●6位 りそな銀に公的資金、足利銀は国有化

5月17日、政府は過小資本に陥ったりそな銀行へ約二兆円に上る公的資金投入を決めた。初の金融危機対応会議による決定。また11月29日には、債務超過に陥った有力地銀、足利銀行(宇都宮市)の一時国有化を決めた。


●7位 阪神タイガースが18年ぶりリーグ優勝

プロ野球セ・リーグの阪神タイガースが9月15日、1985年以来18年ぶり四度目のリーグ優勝を決めた。星野仙一監督率いるチームの快進撃は全国に猛虎ブームを巻き起こし、トップ選手の大リーグ流出で人気低下が懸念されるプロ野球の救世主となった。


●8位 自民党総裁に小泉首相再選、中曽根、宮沢両元首相が引退

9月20日の自民党総裁選で、小泉純一郎首相が亀井静香前政調会長ら他の三候補に大勝。橋本派分裂で野中広務元幹事長が政界引退を表明、中曽根康弘、宮沢喜一両元首相は定年制適用で11月の衆院選出馬を断念するなど、世代交代が進んだ。


●9位 松井秀喜選手が大リーグ・ヤンキースで活躍

ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手は2割8分7厘、16本塁打、106打点の成績でチームの地区優勝に貢献した。新人王は逸したが、公式戦全試合とオールスターを含め、全大リーガー最多の181試合に出場した。
(シアトル・マリナーズのイチローの活躍も素晴らしかった。)


●10位 個人情報保護法が成立

5月23日、民間業者や行政機関に個人情報の適正な取り扱いを求める個人情報保護関連5法が成立した。報道規制や行政による個人情報不正利用への懸念の解消が課題だ。これを受けて住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)が本格稼働した。




【10大ニュース国際編】

 イラク戦争を中心に、世界が悲劇と不安に覆われた年だった。さまざまな亀裂が、不吉な予感とともに国際社会に広がった。十大ニュースのうち少なくとも八本は悲しみや恐れを人々に振り返らせる出来事となった。国連を舞台にイラクの大量破壊兵器問題で論戦が続き、武力行使容認決議をめぐる各国の対立が深刻化した中、米英両国は3月20日、イラク攻撃に踏み切った。世界に渦巻いた反戦運動も武力行使を止めるには至らなかった。4月にバグダッドは陥落、フセイン元大統領も12月に拘束された。しかし、政権崩壊後も米兵ら「占領軍」への襲撃はやまず、国連、赤十字、外交施設などにテロの標的は拡大。混迷するイラクに光は見えない。
 多数の犠牲を出すテロはインドネシア、トルコでも起きた。さらにテロ組織アルカイダは11月、東京もテロの対象にすると警告した。新型肺炎(SARS)の流行も人々を不安に陥れた。アジアを中心に経済への打撃も大きかった。今年後半になって感染は終息したが、再び大流行する可能性もある。日本にとっては、核開発カードを切る北朝鮮の瀬戸際外交も脅威。国交正常化交渉の行方は見失われたままだ。中国が有人宇宙船打ち上げに成功した。一国主義を強める米国と近い将来、覇権を争うといわれる中国の急成長ぶりを象徴した出来事でもあった。また12月26日にイランで大地震,ケルマン州の古都バムでM6.3。死者2万超,負傷者3万以上。



●1位 米英のイラク戦争、フセイン元大統領を拘束

米英軍は3月20日、イラク戦争を開始。ブッシュ米大統領は5月1日、大規模戦闘の終結を宣言した。フセイン元大統領は逃亡し12月13日、8カ月ぶりに拘束された。しかし、全土で戦闘は続き、米兵死者は400人以上、イラク側死者は兵士、民間人合わせて2万人以上とみられる。


●2位 新型肺炎(SARS)が世界的に流行

2月ごろから香港やベトナムなどで高熱、呼吸困難の症状が出る新型肺炎(SARS)の患者が発生。夏に終息するまで、カナダ、ドイツなど世界30カ国以上に拡大。世界全体で感染者は8000人以上、死者は700人以上に達した。アジア経済に大打撃。


●3位 北朝鮮の核開発めぐり6カ国協議

1月10日、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)からの脱退を宣言。8月の北京での日米中韓などとの6カ国協議では核保有宣言や核実験の可能性に言及するなど「核カード」を使った瀬戸際外交を続けた。


●4位 テロ続発でイラク復興混迷

広範な立法・行政権限を持つ、イラク人による「統治評議会」が7月13日、米軍の主導で発足。しかし、国連、赤十字、各国大使館などへの自爆テロが続発、治安は悪化し、復興の道筋は見えない。


●5位 中国で胡‐温体制がスタート

3月、中国の第十期全国人民代表大会は江沢民主席の後任に胡錦濤(こきんとう)副主席、朱鎔基首相の後任に温家宝(おんかほう)副首相を選出、胡‐温体制が発足した。貧富の格差拡大など、急成長する中国経済のひずみ是正が新体制の課題となる。


●6位 スペースシャトルが空中分解、乗員死亡

2月1日、米スペースシャトル「コロンビア」が、帰還の直前に空中分解、初のイスラエル人宇宙飛行士を含む乗員7人全員が死亡した。打ち上げ時に脱落した断熱材の破片が、左翼前縁部にぶつかって損傷したことが事故の主原因だった


●7位 イラク対応で米欧に亀裂、反戦の波が世界を覆う

イラクに対する国連安保理の武力行使容認決議案にフランス(シラク大統領)、ドイツ(シュレッダー首相)、ロシア(プーチン大統領)などが反対、決議がないまま米国と英国は武力行使に踏み切り国際社会に大きな亀裂が生まれた。3月には欧州などを中心に参加者数万人規模の反戦集会が繰り返された。


●8位 中国が初の有人宇宙船打ち上げ

中国は10月15日、旧ソ連、米国に次ぎ世界で3番目の国として楊利偉中佐を乗せた有人宇宙船「神舟5号」の打ち上げに成功した。技術力を見せつけ、宇宙大国の仲間入り。


●9位 パレスチナ和平はテロと報復攻撃で足踏み

米国と国連、ロシア、欧州連合(EU)の4者が策定したパレスチナ新和平案(ロードマップ)が4月30日発表された。パレスチナ暫定国家の樹立などを柱とした内容だったが、自爆テロはやまず、イスラエル側は軍事行動を強化。ロードマップは宙に浮いたままとなった。


●10位 ジャカルタなどで爆弾テロ続発、アルカイダが東京にも警告

インドネシアの首都ジャカルタの米国系ホテルで8月5日、東南アジアの地下組織ジェマ・イスラミア(JI)によるとみられる爆弾テロが起き、13人が死亡。トルコでは11月15日、ユダヤ教会堂爆破で23人、同20日の英総領事館など爆破で28人が死亡。オサマ・ビンラディン氏は音声テープで日本などに警告。11月21日にはアルカイダが「日本の自衛隊員がイラクの土地を踏み次第、東京に侵入、攻撃する」と再び警告の声明。






★【2003年 哀悼】
【国内】
1月12日 深作欣次(72歳)  映画監督「仁義なき戦い」「バトル・                 ロワイヤル」など
1月16日 秋山庄太郎(82歳) 写真家。女性写真の第一人者
2月15日 奥田元栄(90歳)  日本画家。鮮烈な赤色で山岳を描く
3月02日 生島治郎(70歳)  作家。日本のハードボイル小説の草分け
3月07日 黒岩重吾(79歳)  社会派推理作家。古代の歴史小説
3月14日 鈴木真砂女(96歳) 俳人。小料理屋も切り盛りし,波乱の                 恋を旬に託す
3月23日 天本英世(77歳)  俳優
4月01日 鯨岡兵輔(87歳)  元衆議院副議長。ロッキード事件の真                 相追及を主張
5月28日 藤田省三(75歳)  思想史家。天皇制の精神構造を分析
6月20日 松本弘子(67歳)  東洋初のパリコレクション・モデル
6月24日 名古屋章(72歳)  俳優。舞台・テレビなどで幅広い役柄
7月05日 桜内義雄(91歳)  元衆議院議長。自民党幹事長を歴任
8月09日 沢たまき(66歳)  歌手。公明党参議院議員
9月02日 笈田敏雄(78歳)  日本のジャズ歌手の草分け
9月05日 青木雄二(58歳)  漫画「ナニワ金融道」の作者
9月25日 夢路いとし(78歳) 漫才師。弟と組み,大阪弁でボケ役
10月31日 本郷かまと(116歳)長寿世界一。世界最高齢を引き継いだ      川手ミトヨ(114歳)も11月13日死去
11月01日 ジョージ川口(76歳)ジャズドラマー。渡辺貞夫,山下洋                  輔,日野晧正らを育成
11月26日 小林千登勢(66歳) テレビ俳優
12月26日 白井義男(80歳)  日本人初のプロボクシング世界王者
12月27日 風間完(84歳)   「青春の門」などの小説の挿絵画家 



【海外】
4月01日 レスリー・チャン(46歳)  香港俳優。歌手。自殺

5月14日 ロバート・スタック(84歳) 俳優。テレビ「アンタッチャ      ブル」で連邦捜査官役で人気化

6月12日 グレゴリー・ペック(87歳) 米俳優。映画「ローマの休       日」「アラバマ物語」「大いなる西部」「ナバロンの要塞」など

6月29日 キャサリン・ヘップバーン(96歳) 映画「アフリカの女       王」「旅愁」などに主演。「黄昏(たそがれ)」でアカデミー主演女優賞

7月25日 ジョン・シュレシンジャー(77歳) 映画「真夜中のカウボ      ーイ」の監督

7月27日 ボブ・ホープ(100歳) 米喜劇俳優。映画「腰抜け二丁拳      銃」など多数。「アメリカ一おかしな男」と呼ばれる

8月30日 チャールズ・ブロンソン  米俳優。映画「荒野の七人」など


9月08日 レニ・リーフェンシュタール(101歳) ベルリン五輪記録      映画「民族の祭典」などのドイツの女性監督

9月09日 エドワード・テラー(95歳) 理論物理学者。米の原爆開発      に参加,「水爆の父」

9月28日 エリア・カザン(94歳) 米映画監督。ジェームス・ディー      ンが出演した映画「エデンの東」や,「欲望という名の電車」

10月23日 宋美齢(106歳) 故蒋介石・台湾総統夫人






2003年12月24日(水) ダイアナ元妃の謀殺説の新事実

《 ダイアナ元妃の謀殺説の新事実 》
2003.12.24






 1997年8月31日にパリで元妃とエジプト人富豪のドディ・アルファイド氏ら4人が乗った乗用車がセーヌ川沿いのトンネル内の壁に衝突し、元妃とアルファイド氏ら3人が死亡した。アルファイド氏の父親で高級デパート「ハロッズ」を経営するモハメド・アルファイド氏は「息子や元妃は謀殺された」と訴え続けているが,たしかに様々な証拠から謀殺説が濃厚となっているようだ。

 今年に入って,ダイアナ元妃の驚くべき手紙の内容が披露された。彼女は事故にみせかけて殺される可能性をズバリ手紙で示唆していたのである。





●ダイアナ死去の直後から流れた謀殺説

1997年8月末のダイアナ元妃の死去以来、世界中でダイアナさんをしのぶ本が無数に発行された。ダイアナさんと一緒に死去した富豪のドディ・アルファイド氏の出身地だったエジプトでも同様の傾向だ。しかし、エジプトの場合、日本や欧米と決定的に違う特徴がある。ダイアナさんがイギリスなどの諜報機関によって殺害されたという説を展開する本が多いのである。
 このうち、「誰がダイアナを殺したか・・・王宮からの司令」(Who killed Diana? By Orders of the Palace)、「プリンセスの苦悩」(The Torture of Princess)、「恋に殺されたダイアナ妃」(Diana, A Princess Killed by Love)など3冊は、エジプトではベストセラーになった。「イスラム教徒に改宗していたダイアナ妃」(Diana's Conversion to Islam)などという本もある。

 いずれの本にも共通しているロジックは、次のようなものだ。

 ダイアナさんが殺されたのは、恋人のアルファイド氏がイスラム教徒だったから。アルファイド氏と結婚するならば、ダイアナさんはイスラム教徒に改宗することをイスラム教の側から強く求められる。だが、彼女が改宗すれば将来、イギリス国王の母がイスラム教徒だということになってしまう。このことに強い危機感を覚えたイギリス政府と王室は、二人がいよいよ結婚する決意を固めたため、交通事故に見せかけて殺害してしまった・・・。

 こうしたダイアナ謀殺説が最初に流れたのがエジプトだった。エジプトは中東のアラブ地域では、最も欧米社会に対して開かれた国の一つであり、欧米、アラブ、ロシア、中国など各国の情報機関が中東で情報を集める際の拠点となっている。

 そのため、カイロの外交関係者の間では、普段からさまざまな国際情報が流れている。こうしたルートで、ダイアナさんらが死去した翌日には、すでに謀殺説が流れはじめていた。

 数日後には、リビアの最高指導者カダフィ大佐が、ダイアナ謀殺説を支持する発言を行い、これを機に謀殺説が世界に広がった。インターネット上にも多くの謀殺情報サイトが作られ、一時は世界中で約300のサイトが謀殺説について載せていたという。



●謀殺説の内容

 謀殺説はいずれも確たる根拠を持ったものではない。そのことをはっきりさせた上で、謀殺説の内容について触れる。

 まず、事故が起きたいきさつについては、ダイアナさんが乗ったベンツが事故現場となったトンネルを通り抜けようとする直前、路面に滑りやすい薬品がまかれたという主張がある。ベンツの後ろからパパラッチ(追っかけカメラマン)に扮したイギリス諜報部員がバイクに乗って急接近し、ベンツの運転手が避けようとして滑り、壁に衝突したという。

 ダイアナさんは、1997年9月中にアルファイド氏と結婚する予定で、すでにエジプトのテレビによく出演するイスラム教の聖職者によって改宗を済ませていた、という説もある。イギリス王室の反対にもかかわらず、ダイアナさんが改宗を強行したことが、イギリス政府に「最後の手段」を取らせることになったのだという。

 食習慣がキリスト教などと大きく異なるイスラム教では、イスラム教徒以外の人と結婚することは歓迎されない。イスラム教徒の男性は、キリスト教とユダヤ教の女性とは結婚しても良いことになっているが、妻とその親族がイスラム教に対して理解を示すことが必要とされ、相手の女性が結婚する前にイスラムに改宗することが望ましいとされる。(女性は異教徒とは結婚できない)

 ドディ・アルファイド氏の父親、モハメド・アルファイド氏は、サウジアラビアやブルネイの王室の資金運用を任された結果、富豪になったとされている。いずれの王室もイスラムであることを非常に誇りとしており、当然ドディ氏の結婚相手がキリスト教徒のままでは不快に思うはずだ。ダイアナさんがアルファイド氏と結婚したければ、イスラム教に改宗しなければならない、ということになる。
 また、ダイアナさんがアルファイド氏との結婚を急いだのは、おなかに赤ちゃんがいたからだという説もある。




●イスラム教への改宗意志があったため謀殺されたとする説

 改宗についての情報は、事故そのものに関する情報より、信憑性が高い。というのは、ダイアナさんが以前、パキスタンを公式訪問した際、モスクの聖職者に対して、イスラム教への改宗意志をみせたといわれているためだ。

 イスラム教への改宗を希望する人は、パキスタンかエジプトに行き、しばらくそこに住んで改宗するよう、アドバイスされることが多い。ダイアナさんがエジプトだけでなく、パキスタンの聖職者に改宗を相談したとすれば、それは理にかなったことというわけである。

 そして実は、イスラム世界の人々にとって、ダイアナさんの死にまつわる話の中で最も重要な部分は、彼女がイスラム教徒に改宗した、もしくは改宗しようとしていた、という点である。そして、その直後の死。この二つが結びつくことによって、イスラム教徒、特にアラブの人々は、謀殺説がピンときてしまうのである。これはイスラム側が好みそうな憶測であることを指摘しておきたい。

 もっとも,アラブの人々がピンとくるのは、イギリスがフランスとともにアラブ世界を分割統治した20世紀初頭の植民地時代以来の陰謀の歴史があるからだ。イギリスは言葉巧みにアラブ世界の統治者たちを相互に対立させ、その後は武力を背景として土地を割譲させ、統治した。





●アラブとヨーロッパの歴史的対立

 アラブとヨーロッパとの間には、宗教、文明を挙げて敵対し続けた歴史がある。中世には、ムハンマドの軍隊がイスラム教を掲げてイベリア半島まで遠征する一方で,ヨーロッパから派兵された十字軍がキリスト教の名のもとにシリアやパレスチナなど中東の地に侵略した。今、中東でおきている出来事もこうした敵対の延長にあると考えることも出来る。

 数次にわたる中東戦争は、米英の支援するイスラエルとアラブとの戦いであり、パレスチナにいたアラブ人の多くは土地を追われ,難民となった。アラブ人は、今も対立の歴史を背負って生きている。ダイアナ死去もその文脈で読み取れば、欧米寄りの第三者である日本人から見るのとは全く違う事件に映ってもおかしくない。

 しかも、イスラム社会では,モスクの聖職者が説教の中で政治的な話をする。モスクの説教は、日本の法事の際のお坊さんの説法や、欧米の日曜日のキリスト教会での説教と同じように、人々にとっては身近な存在だ。

 モスクの説教では、世界の出来事を分かりやすく解説してくれるのだが、その論調はイスラムに敵対する欧米やイスラエルを攻撃するものだ。ダイアナ死去の物語をイスラム的に説けば、イスラム教徒になろうとしていたところを殺された、ということになる。分かりやすいので、イスラムの人々は皆、この筋書きを信じることになった。

 一方、イスラムを敵視し続けた欧米からみれば、キリスト教世界を象徴するような慈善事業にいそしみ、しかもヨーロッパ文明の中心の一つであるイギリス王室に属するダイアナ妃が、イスラム教徒に改宗するということは、まったくの悪夢にほかならない。

 キリスト教世界から見れば、仇敵であるイスラム世界は、テロリズムや「野蛮な」公開処刑、女性差別といったものに満ちあふれていなければならない。ダイアナさんの慈善事業がイスラム教に基づくものというイメージになってはまずい。イスラム側に寝返る前に、消えていただきたい、という願望は、彼女の死が謀殺だったかどうかにかかわらず、存在する。





●元プリンセスを包囲したスパイ群像

 その死から丸2年たった1999年にも、ダイアナ元妃の死にまつわる陰謀説が囁かれた。同年年12月にフジテレビが放映した『世紀末スペシャル』第1弾では、イギリス対外諜報機関“MI6”の元工作員の証言から世界に名だたる諜報機関が彼女の死の周辺にうごめいていた事実が明らかにされた。

 悲劇の事故の約2ヶ月前、一人のイスラエルの対外諜報機関モサドのベテラン工作員が、ある人物との接触を試みていた。ダイアナ事故の際にベンツS280を運転していたホテルリッツの警備担当、アンリ・ポール氏だ。

 ホテルリッツは中東の武器商人とヨーロッパの仲介人との打ち合わせ場所となっており、モサドはホテルの顧客のプライベートな情報を知り得る立場にあるアンリ・ポール氏を情報屋としてスカウトしようとしていたのだ。アンリ・ポール氏は、フランスの諜報部員と接触していたことや、事件で死亡した際に彼の遺体の衣服から大金が発見されたことなど黒い噂は絶えない。
 番組では、アメリカ・ニューヨークのジャーナリスト、ジェラルド・ボズナー氏に取材すると共に、かつてイスラエルのシャミル元首相の情報関係顧問を務めたアリ・ベンメナシェ氏に接触、知られざる事実を明らかにした。

 またダイアナ元妃交通事故現場から立ち去った白いフィアット・ウーノの持ち主で、事故の鍵を握る人物にも接触した。(この人物はのちに車内で不自然な自殺をとげている。)



●ダイアナ元妃の素顔

 夫の不倫や王室での生活に疲れ果てていた1995年9月、ダイアナ元妃は王立プロンプトン病院で、心臓外科医のハスナット・カーン氏に出会う。「自分が安らげる場所を見つけた。彼は私が必要とする全てのものを与えてくれる」と語るダイアナ。しかし、愛情が深まるにつれ、彼女の所有欲が高まっていく。そして一緒に表に出ることを嫌うカーン氏ととの間の溝が深まっていった。1996年7月に“非公式に婚約”というサンデー・ミラー紙の報道でカーン氏はダイアナに別れを告げた。

 そしてダイアナは傷心の旅に出て、そこでドディー・アルファイド氏と出会うことになる。事故の3ヶ月前、ダイアナはルモンド紙に「私は本能に従って行動します。一番の助言者ですから…」と語っている。

 ジャーナリスト、サリー・ベデル・スミス氏によるとダイアナは“境界パーソナリティー障害”という精神的な病いにかかっていたという。この病気は衝撃的な行動や、自暴自棄の感情、対人関係を維持できない、などが主な症状。一見すると魅力的で洞察力があり、ウイットに富み、快活であるが、その一方で非常に落ち込みやすいのが特徴だという。
 



●謀殺説の新事実

 トーマス・サンクトン著『プリンセスの死』が1998年に欧米で話題となった。言わずと知れたダイアナ妃の死について書かれた本だが、日本版は草思社から1998年4月に刊行された。この本の注目すべきは著者が集めた資料一万ページで分かるように、徹底した取材で詳細な分析を加えていることである。そこから浮かび上がってくるものはやはり「謀殺説にもきわめて信憑性がある」という新事実であった。その新事実だが・・・

 同じホテルに居合わせたイタリア情報部員は「あの8月31日の夜、リッツホテルには英国の情報部員(MI6)が徘徊していた」と語る。その夜のセキュリティ・ビデオにはうろうろしているMI6の人間が写っている。パリの英国大使館には七人のMI6部員がいて、その中からパパラッチを装ってダイアナの車を尾行する監視役が存在していた。また事故当時から奇妙なことが続いている。報道カメラマンが事故の現場写真をロンドンのオフィスに電送したところ、オフィスに侵入した何者かによって受け取る側のコンピューターを破壊されてしまったという。この手口が情報部員によるものと疑ってもさほど不自然ではない。やりそうなことだ。

 死亡した運転手アンリ・ポールは軍隊時代にフランス情報部に在籍し、英国はじめ各国の情報部員と接触する立場にあった。さらに助かったボディガードのトレバー・リース・ジョーンは、事故現場のトンネルにさしかかるとシートベルトをいきなりガチャリと締めたといわれる。ボディガードは常にシートベルトは締めないのが鉄則であるにもかかわらずである。彼の服は特殊な保護服であったとする者もいる。ダイアナの死後、フランスは彼女の遺体を解剖しようとしたが、血液検査さえ英国側の拒否にあって断念している。ダイアナ元妃の遺体はそのまま英国に運ばれ、解剖されたらしい。

 なぜ英国は必要にフランスでの解剖を執拗に拒否したのか。事実の経過から導き出されるのは「ダイアナの妊娠をフランスに知られたくなかった」という一点に尽きる。

 ドディ氏のアルファイド家の宗教はイスラム教であり、英国政府と王室は、二人の結婚は絶対に阻止する必要があった。ダイアナ元妃とドディ氏は昨年(1997年)の末に結婚する手筈になっていた。あの夜ドディ氏はダイアナを迎えに出かける前、執事に「夜中の12時には部屋に婚約指輪を置いて、シャンパンを用意しておくように」二度も念を押している。当然のように執事は「ドディ氏はダイアナさんにプロポーズするつもりだと思った」と証言する。そしてあの惨事である。伝え聞くところによるとダイアナ元妃は妊娠約六週間だったという。光の扉が開いて瞬時に閉ざされたような二人の運命だった。



●ダイアナは手紙で謀殺される危機を示唆

 英紙デーリー・ミラーは2003年10月20日、故ダイアナ元皇太子妃が「交通事故に見せかけて私を殺す計画がある」と執事に宛てて書いた直筆とされる手紙の写真を公開した。手紙は元妃が97年8月にパリで交通事故死する10カ月前に書かれた。手紙が本物であれば元妃の謀殺説を裏付ける有力な証拠となるだけにBBCなど英メディアはトップニュースとして報道した。

 手紙は元妃が住んでいたケンジントン宮殿のレターヘッド付き便せんにペンで書かれていた。皇太子夫妻の離婚確定から2カ月後の96年10月の日付がある。元妃は「ブレーキ故障で私が頭部を負傷する事故を起し、皇太子が再婚できるようにする計画がある」と書いている。元妃は謀殺を企てた者の名前を書いているが、同紙は「法的な問題に対応できない」という理由でその部分を黒く塗りつぶしている。同紙は「元妃が信頼していた人物だ」と説明し、元妃に近い人物であることを示唆している。

 また、元妃は手紙の中で執事のポール・バレル氏に「この手紙は将来に何かあったときの保険として保管してほしい」と書いた。バレル氏は元妃の死後にエリザベス女王から「この国には計り知れない権力が動いているから身の安全に気をつけなさい」と脅しめいた言葉をかけられたと主張している。
 同紙によると、手紙はダイアナ元妃の元執事ポール・バレル氏が保管していた。

 バレル氏は、「元妃は、手紙を封印する時、私に『日付を書いておきます。万が一に備えて、あなたに預かってもらいたい』と言った」と語っている。バレル氏は、ダイアナ元妃の所持品を盗んだとして窃盗罪で起訴されたが、検察側が昨年11月、訴訟途中で起訴を取り下げ、無罪となった。ミラー紙は同氏に高額の謝礼を払い、バレル氏の手記を連載している。元妃の事故死については、暗殺説も根強くささやかれたが、フランス捜査当局は、運転手が飲酒のうえスピードを出しすぎていたのが事故原因との結論を出している。

 問題の、直筆と思われる手紙は次のようなものだ。

「ポールへ(執事、バレル氏)
 10月のこの日、私は今、自分のデスクに座り、誰かが私を抱きしめてくれて、頭をしっかり高く上げているんだよと、励ましてくれたらどんなにいいだろうと考えています。私の人生は最も危険な時期にあります。(チャールズ再婚の)障害をなくすために---は私の車に事故を起こさせ、ブレーキを利かなくして、頭に重傷を負わせようとしています。」



 


2003年12月16日(火) 《 フセイン拘束と今後のイラク情勢  》


《 フセイン拘束と今後のイラク情勢 》


                 2003.12.16







世界史上に残る劇的なニュースである。
2003年12月13日,サダム・フセイン元大統領が米軍によって拘束されたことで,イラクと中東情勢は新たな局面をむかえた。対米追随の日本も,アメリカに恩を売っておかざるをえない事情から,小泉首相が自衛隊のイラク派遣を決めており,今後のイラク情勢を含む国際情勢を予測しておきたい。

以下はニュース記事からの抜粋。





【サダム=フセインの経歴】
1937年 4月 ティクリートに生まれる
1957年 バース党に入党
1958年 共産主義者の義弟を殺害したとして逮捕
1959年 カセム首相の暗殺を企てたとして死刑判決を受け亡命
1963年 帰国、投獄される
1969年 革命指導評議会(RCC)副議長に就任
1979年 7月 大統領に就任
1980〜88年 イラン=イラク戦争→アラブシャトル川の領有権を主張して,     フセインがイランに対し,戦争を仕掛ける
1990年 クウエート侵攻
1991年 湾岸戦争→多国籍軍,イラクを攻撃するが占領はせず
1996年 2月 娘婿フセイン=カメル氏を殺害
3月 湾岸戦争後初の総選挙でバース党圧勝
02年 11月 イラク、国連安保理決議1441を受諾、査察開始

〈2003年の動向〉
1月 4日 テレビ演説で「査察団はスパイ活動」と非難
3月 17日 ブッシュ米大統領、48時間以内の亡命要求
3月 20日 イラク戦争開戦。大統領関連施設など空爆
4月 4日 バグダッド市街を歩く様子をイラクのテレビ局が撮影
  7日 バグダッドで息子たちと会っていたとされる地点に米軍が攻撃
  9日 米英軍がバグダッド制圧。12メートルの銅像が倒され、体制崩壊
7月 22日 長男ウダイ氏、次男クサイ氏の死亡確認
  27日 米軍がティクリートの農場3カ所を急襲。「24時間以内にフセイ    ン氏がいた」と米軍
  31日 娘2人と孫9人がヨルダン国王から亡命を認められる
11月 16日 本人の肉声とされる音声テープ公開
12月 13日 アッドウルで拘束






●米軍,フセイン元大統領を拘束

 イラクの米英暫定占領当局(CPA)は12月14日午後(日本時間同日夜)、同国北部ティクリート近郊で前夜、サダム・フセイン元大統領(66歳)を拘束したと発表した。

 ブッシュ米大統領は同日のテレビ演説で、「暗黒と苦痛の時代は終わった」と語り、四半世紀にわたったフセイン独裁体制が名実ともに崩壊したことを強調した。だがこれで、駐留米軍などに対する旧政権残存勢力や国際テロ組織による攻撃が沈静化に向かい、戦後復興の動きが加速するかどうかは、まだ楽観できない情勢だ。米誌によると米軍は元大統領の取り調べをすでに始めており、大量破壊兵器の保有などについて追及しているという。

 日本の政府・与党は一様に治安回復につながることへの期待を表明、イラクへの自衛隊派遣に向けた準備作業はこれまでの想定通りに進める方針だ。

 ブレマーCPA代表と駐留米軍のサンチェス司令官の記者会見は14日午後3時(日本時間同9時)過ぎから、バグダッド市内のCPA本部で行われた。それによると米軍はフセイン元大統領の潜伏情報を得て、陸軍第4歩兵師団などの兵士600人を13日夜(日本時間14日未明)、捜索に投入。同日午後8時30分(日本時間14日午前2時30分)ごろ、ティクリートの南東約15キロの村アッドウルの農家で元大統領を発見し、拘束した。健康状態に異常はないという。会見に同席したイラク統治評議会のパチャチ元外相は、人道に対する罪を問うため元大統領をイラクの特別法廷で裁く方針を明らかにした。

 元大統領は農家の敷地内にある深さ約2メートルの穴の中に一人で潜んでいたという。短銃を持っていたものの、発砲など抵抗はしなかった。

 記者会見で公開された拘束直後の映像によると、元大統領は髪を長くのばし、顔中に濃いひげをたくわえて、やややつれていたが、負傷している様子はうかがえなかった。

  元大統領は拘束の後、バグダッド空港内の米軍施設に移され、取り調べを受けたという。

 米タイム誌(電子版)は1回目の取り調べの記録を読んだ当局者の話として、元大統領は挑戦的な態度を崩さず、質問には直接答えなかったと説明している。

 さらにイラクは大量破壊兵器を保有したのかどうかを問われたのに対しては「もちろん持ってない。米国が戦争をしかける口実をつくるために、でっちあげたものだ」と答えたという。

 イラクの大量破壊兵器の保有は、米英両国などがイラク戦争開始の大義として掲げながら、今も証拠が見つかっていない大きな問題。元大統領の拘束で実態解明がどこまで進むかが焦点だ。

 元大統領の行方の捜索は難航したが、米軍は7月22日、北部モスルにある元大統領の親族とされる男の自宅に、長男ウダイ、次男クサイ両氏が隠れているのを突き止め銃撃戦の末に殺害した。米軍は故郷ティクリートなど「スンニ派三角地帯」に重点を絞り行方を追っていた。

 元大統領の拘束で、ほぼ連日続く攻撃が、終息に向かうと米軍は期待している。しかし、息子2人の殺害後、攻撃はむしろ激化した経緯もあり、今回の拘束が今後のイラクの治安情勢にどう影響するかははっきりしない。来年6月の暫定政権設立に向けて、反米勢力や旧政権残党の攻撃が逆に激化する可能性も否定できない。





●拘束されたフセイン元大統領の発言要旨

 米ニューヨーク・タイムズ紙とタイム誌(いずれも電子版)は12月15日までに、拘束されたフセイン元大統領が、米軍の取り調べや、面談したイラク統治評議会メンバーに語った内容を伝えた。以下はその要旨。

 <大量破壊兵器>

 「もちろん所有していない。米国が戦争をしかける口実をつくるためにでっち上げたものだ。国連の査察を受け入れなかったのは、大統領宮殿などのプライバシーを侵害されたくなかったからだ」

 <クルド人に対する化学兵器の使用>

 「当時、イラクと戦争をしていたイランの仕業だ」

 <クウェート侵攻>

 「クウェートはイラクの領土の一部だ」

 <政権崩壊後、見つかった集団埋葬地>

 「(遺体の)親族に聞いてくれ。彼らは盗っ人だ。イランやクウェートとの戦争から逃げ出したやつらだ」

 <湾岸戦争時の米兵捕虜>

 「我々はだれも捕虜にしていない。(行方不明の米兵に)何が起こったかまったく知らない」 (12/15 )






●ベーカーの訪欧のねらい

 サダム・フセイン拘束直後の12月15日から,ベーカーはフランス、ロシア、ドイツ、イギリスなどを回り、各国首脳と会談している。各会談のテーマは「各国がイラクに対してこれまでに貸し付けた資金を債権放棄してもらうこと」だとされている。だが、これは表向きの議題でしかないという見方が出ている。

 債権放棄の問題はベーカーのような古株の大物政治家が扱うテーマではなく、比較的若手の現職の政府幹部でも扱える技術的な問題であり、単にイラク人の新政権が樹立されるときに、新政権が「フセイン時代の債務は破棄させていただきます」と宣言し、その後は債権国側と個別に交渉すればすむ話だ、という指摘もある。

 ブッシュ大統領は、ベーカーを高位の大統領特使に任命しており、ベーカーは閣僚級以上の人物が使うホワイトハウスの政府専用機でワシントンを飛び立っている。ベーカーは債務問題よりも大きな、隠された本命の任務を持って訪欧した可能性がある。本命の課題とは「アメリカがイラクの泥沼から抜け出るために必要な国際協調体制を取り戻すため、独仏やロシアなどがアメリカに協力してくれる条件を探ること」ではないか、という指摘がアメリカのコラムニストから出ている。


 ベーカーは、アメリカの単独覇権を嫌い、EUやロシア、中国など他の大国とのバランス関係で世界を動かしていく「国際主義」を好む「中道派」である。米単独でイラク侵攻する可能性が強まった昨年8月、ベーカーはブッシュ(父)と一緒に単独侵攻に反対を表明している。

 結局、政権内では単独侵攻を主張するタカ派やネオコンの影響力が強いまま、ブッシュ大統領はそれに引きずられて単独侵攻に踏み切った。ところがそれがうまく行かずに泥沼化し、ブッシュは一度は忠告を無視したベーカーに解決策を頼み、ベーカーは中道派的な国際協調関係を再構築するために訪欧することになったのだろう。すでに11月中旬の段階で「アメリカは泥沼状態から抜け出すため、イラク駐留軍を国際的な連合軍体制に移行することに了承した」とEU側がイギリスの新聞に明らかにしており、交渉はすでに始まっていることがうかがえる。

 ベーカーはヨーロッパのあとアラブ諸国も回ることになっている。EU、ロシア、アラブ諸国などがアメリカを支持してイラクに人員を派遣し、復興支援の国際体制ができれば、より多くのイラク人がそれに賛同し、攻撃を仕掛けてくる反米ゲリラ勢力はイラク人の支持を失うだろう、という戦略だと思われる。





●ベーカー訪欧を妨害したネオコン

 ベーカーの訪欧に対しては、親イスラエル派のネオコンが邪魔をする姿勢を見せている。ネオコンの大物ウォルフォウィッツ国防副長官はベーカー訪欧の数日前「イラク復興の仕事はドイツやフランス、ロシアには与えない」という趣旨の発表を行った。これは独仏やロシアを怒らせ、ベーカーの交渉を破綻させようとする行為だったとみられている。


 実際には、独仏やロシアはイラク復興事業の元請けを受注することはできないが、元請け企業からの下請けなら受注できる。また独仏などの企業でアメリカに子会社を持っているところは、子会社を通じた元請け受注も可能で、元請けを制限されても独仏企業にとってほとんど実害はない。しかも国防総省はすでに3週間ほど前にこのことを発表しており、ウォルフォウィッツの発言は、政治的意図だけのものだった可能性が大きい。


 EUやアラブが、アメリカが陥っているイラクでの泥沼に手を差し伸べてくるとしたら、その見返りとしてまずアメリカに求められそうなのは「パレスチナ問題の解決」である。パレスチナ問題が解決されないと、イラクやその他のアラブ人の反米感情がおさまりにくい。EUやアラブは、アメリカがイスラエルに圧力をかけてシャロン政権を譲歩させ、パレスチナ国家を実現するなら、イラクの問題に協力しよう、と要求している可能性が大きい。だが、これはイスラエルを強く支持するネオコンにとって許しがたい譲歩である。

(すでにシャロン首相はパレスチナ問題で譲歩すると言い出している。シャロンは機を見るに敏な人なので、ベーカー訪欧の前にもう隠密に米とEUなどの間で交渉が進んでいることが、このことからも感じられる。イスラエル側の譲歩は、一時的なポーズにすぎないかもしれないが)


 ベーカーの交渉が成功すれば、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、政権内の中道派がイラク復興を取り仕切ることになり、ラムズフェルド国防長官らタカ派とネオコンは権限を奪われることになる。ブッシュ政権はすでに1カ月以上前に「イラク復興の担当は国防総省からライス大統領補佐官に変更された」と発表したのだが、その後も国防総省はイラク復興の権限を手放さず、CPAのブレマー長官はライスではなくラムズフェルドに支持を仰ぎ続けてきた。こうした政権内の混乱した状況は、ベーカーの登場とともに終わり、タカ派やネオコンは一掃されるだろう、などという気の早い予測も米メディア界に出てきている。


 半面、ベーカーもけっこう汚い人だという指摘も出ている。ベーカーは本業が弁護士で、サウジアラビアの王室など石油利権とつながりが深い。1200億ドルのイラクの債務のうち270億ドルはサウジ王室が債権者で、ベーカーは独仏には債権放棄させる一方でサウジの債権だけは守るのではないかとか、イラクの石油利権が目当てではないか、などと批判されている。とはいえ、これも反中道派系のコラムニストなどからの政治的な揶揄なのかもしれないと考えれば、批判記事を一読したときに感じる「ベーカーは汚い」という印象とは違う意味を持ってくる。





●今後のイラク情勢の見通し

 このような中道派の巻き返しが始まった矢先に、サダム・フセインが捕まっ
た。サダムの拘束により、イラクが安定化することへの現実味が高まり、EUやアラブ諸国がベーカー提案に乗ってイラク復興に協力する可能性も高まる、と考えられる。

 ベーカーの交渉が成功し、独仏やロシアがイラク復興に協力するようになれば、日本の自衛隊派遣もやりやすくなる。今後、欧米間の協調体制が整っていく流れと、日本の自衛隊派遣の流れが合致していくとしたら、自衛隊派遣は対米従属の色彩が弱まり、小泉首相ら派遣推進派にとって有利な展開となる。

 とはいうものの、仮にベーカーの交渉が成功したとしても、今後のイラクが安定するかといえば、そうでもない。米側ではブッシュ大統領やサンチェス司令官らが異口同音に「これからイラク側の攻撃が激しくなるかもしれない」と言っている。イラク人ゲリラ組織は最近、外国人ジャーナリストの取材に応じるようになってきているが、彼らの多くが、サダムと自分たちのゲリラ組織は関係ないと言っている。サダムとは関係がないことを証明するために、ゲリラ側は今後、米軍への攻撃を激化させるだろうという予測もある。


 サダムがいなくなったことで、イラク人がどのような反応を見せるかということについては、硬軟両方の見方がある。一つは「アメリカを批判しすぎて米軍が出ていったらフセイン政権が復活してしまうので、それを恐れてこれまでイラク人、特にシーア派とクルド人は反米感情を抑えていた」という見方に基づき「フセイン政権が復活する可能性が消えた今後は、人々は気兼ねなく米軍に出ていってくれと要求し始めるだろう」という予測である。


 そしてもう一つは「これまでサダム側からの報復が怖くて米軍に雇用されたり協力したりすることに消極的だった人が多い」という点に注目し「今後は気兼ねなく米軍に協力したり雇ってもらおうとする親米派が増えるだろう」という見方である。


 また、サダムを捕まえることができたという自信をバネに、これまで誤射や誤認逮捕が多かった米軍は汚名を挽回し、今後は米軍の兵士たちの士気が上がるだろう、という予測がある。だがその半面、米軍は誰がゲリラ勢力なのかという諜報能力が弱いことを懸念し、米軍がこれから本格的に展開することを予定している「鉄槌作戦」(Operation Iron Hammer)がイラク人に対する無差別攻撃になり、無実の市民がたくさん死に、泥沼化が進むだろうという予測もある。


 もし今後イラク復興の主導権がタカ派から中道派に移れば、イラク人をわざと怒らせるような鉄槌作戦は中止されるかもしれない。しかしその反対に、ベーカーによる交渉が失敗すれば、タカ派がイラクを統治する現状が続くことになる。ホワイトハウスは今年7月にもベーカーを起用してイラク復興を中道派中心の態勢に移行させようと試みているが、政権内や議会に強いタカ派の反対によって潰されている。




2003年12月12日(金) 映画「たそがれ清兵衛」は面白い


山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は時代劇の傑作であり,日本映画史に残る金字塔だろうと思う。懐かしさが感じられる日本人必見の時代劇である。







●<ベルリン映画祭>「たそがれ清兵衛」にドイツでも喝采の嵐

 世界3大映画祭の1つ、第53回ベルリン国際映画祭で山田洋次監督作品「たそがれ清兵衛」が2001年Berlinale Palast(ベルリナル・パラスト)にて公式上映された。1200席ある会場は、ほぼ満員の盛況で、エンド・クレジットが出始めたところでまず拍手が起こり、最後にもう一度盛大な拍手が起こり、会場は拍手と歓声に包まれた。

 終了後、舞台にたった山田監督は「国も時代も異なる方々に観ていただくということで、理解していただけるのかどうか、途中で席を立つ人がいるのではないかと不安な気持でしたが、最後まで観てくださり、また温かい拍手をいただき本当にありがとうございました」と挨拶し、声は感動に震えているようでした。

 また、同じく挨拶をした余吾善右衛門役の田中泯さんは「演技も時代劇も、このような場で上映されることも、何もかも初めての経験で、この映画は一生忘れられないものになりました」とコメントしました。

※田中泯さんは暗黒舞踏派のダンサーで,映画では鬼気迫る異様な演技で観客を釘付けにした。

 また、公式上映に先立って行われた公式記者会見では、制限時間ぎりぎりまで質疑応答が繰り返され、質問の内容も映画のみならず、社会観、倫理観にまで踏み込んだ密度の濃いものでした。記者の中からは、「是非この映画が金熊を獲るべきだ」という意見も飛び出していました。

<ベルリン国際映画祭>「たそがれ清兵衛」公式上映記者会見


地元プレスのインタビューに答える山田洋次監督
Q:山田監督はこれまで77本の映画を監督していらっしゃいますが、この『たそがれ清兵衛』は初めての時代劇だとお聞きしました。なぜ時代劇を撮られたのですか?また、原作のどのようなところに興味を持たれたのですか?
山田監督:この原作は英雄や権力者ではなく、下級武士が主人公であり、それは不況が続いている現在の日本のサラリーマンに共通する部分があるのではないかと思いました。また、時代劇においては、対決の場面で刀を抜いて命のやりとりをするところにポイントがあると思うのですが、この原作にその要素も含まれていたのも興味を持ったところです。

Q:日本では時代劇が多く作られているのでしょうか。また、時代劇を作るのは簡単なのでしょうか?
山田監督:時代劇は今の日本ではそれほど多くはありません。確かにテレビでは時代劇が放映されていますが、その多くは低予算で作られており、時代劇と呼べるほどのものではありません。時代劇を作るのは簡単ではありません。まず、製作費が高くつきますし、時代劇を作るのに必要な様々な技術が伝承されていないということもあります。『七人の侍』が作られた頃には優れた職人が多くいましたが、今ではそのような人が少なくなってしまいました。

Q:田中さんに質問です。俳優として時代劇に出られてみてどうでしたか?
田中 泯:私は映画に出演するのも刀を持つのも初めてだったので、最初はいろいろと困難なこともありました。しかし、自分の今までの生き方を考えると、むしろ自分は現代劇よりも、むしろ時代劇の方に向いているのではないかと思います。

Q:現在のサラリーマンを直接描くのではなく、時代劇として描かれたのはなぜですか?
山田監督:現代の社会はあまりに複雑で、様々な問題の原因を簡単に表現するのは難しいと思います。この映画では主人公が藩主の命令で人を斬らなければならない、ということが実に明快に描かれています。サラリーマンの世界でも、上からの命令で部下をクビにしなければならない、というようなことがしばしばあり、実際、それが苦痛で自殺してしまう人さえいます。しかし、時代劇の方がそのようなことをよりシンプルに表現できるし、しかも、それが刀と刀が斬り合うというドラマチックな形で表現できると思ったからです。

Q:田中さんは舞踏の世界で活躍されてきました。踊りと殺陣との関係についてお聞きしたいのですが。
田中 泯:それは根本的に違います。踊りは目前に目的がなく、抽象的なものです。一方、殺陣はある目的に向かって動くものですから、私としては本来苦手な運動です。私は刀を持つのも初めてだったので、最初は苦労しましたが、動きを覚えてからは楽になりました。ただし、撮影中には覚えたことを忘れなければならないというのが難しかったところです。

Q:侍の倫理観と現代の倫理観の差についてお聞きしたいのですが。
山田監督:清兵衛の人生感は、つつましく、無欲です。彼は貧しさに多少の不満はあるでしょうが、人生に対して不満は持っていません。この姿に、多くの日本人は憧れのようなものを抱くのではないかと思います。清兵衛のように生きるのは難しいことです。この映画を見て多くの中年の男性が涙を流したそうですが、それは清兵衛のように生きて来なかった自分に対する後悔と同時に、清兵衛に共感できる部分が自分の中にまだ残っているという安心感から来る涙ではないかと思います。

Q:この映画には今の日本と大きく異なる過去の日本が描かれています。これを見ていると、監督は世界が余りに大きく変わってしまったことを表現したかったのではないか、と思ったのですが。
山田監督:そう意識していたわけではないのですが、撮影中にそのように感じたことはあります。清兵衛の生きていた時代は日本は鎖国状態にあり、長い間社会は変わっていませんでした。そこには進歩や発展はなく、また進歩や発展が良いことだという考え方すらなかったと思います。そのような停滞した状況をどう考えるべきか。私は、決して停滞がいいというわけではありませんが、その停滞の淀みの中から文化が生まれることもあるのではないか、と思います。現代の状況は、まるで激流の中にいるようなものです。


街頭ビジョンで上映される会見の模様
Q:宮沢りえさんの役のその後を岸恵子さんが演じており、映画は岸さんのモノローグで終わります。なぜ最後をこのような形で終わらせたのでしょうか?
山田監督:岸恵子さんの存在は、一種の額縁のようなものだと思います。ラストシーンの岸さんは、1920年代終り頃、つまり清兵衛の時代と現在との中間の地点にいます。彼女は成長の過程で日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦、更に大恐慌を経験し、これから起こるであろう更なる戦争を予感しつつ、父の墓に手を合わせていると言えます。実際、岸さんにも、そのように説明して演じてもらいました。

Q:宮沢りえさんをこの役に起用した理由は?
山田監督:宮沢さんには賢い女性だというイメージを持っていました。彼女は自分を客観的に語る言葉を持っています。彼女が演じたヒロインは当時としては進んだ考えを持った女性ながら、その考えをつつましく内におさめているという役柄です。宮沢さんならその役を演じてもらえると思ったのです。

Q:この映画は社会的、政治的な映画で、日本の伝統的な映画に立ち帰ったものであるように思いました。この映画で描かれる家族像は日本映画の中でも理想的な家族像だと思いますが。
山田監督:この時代の家族が全てこのようであったとは思いません。一般的には父権的な社会でしたから。ただ、日本には、憧れのようなものとして、囲炉裏を囲むという形の家族像があります。この家族は、貧しいがゆえに、家族全員が何らかの形で労働を行っています。つまり、家族が消費の場ではなく、生産の場であるのです。このような家庭を持ち得ない現在の日本人は、そのような点に感動を覚えるのではないでしょうか。

Q:日本ではこの映画はヒットしたと聞いていますが、若い人々はどう反応しましたか?
山田監督:ハリウッド映画にはかないませんが、日本映画の中では健闘しているといったところです。最初は大人や老人が多く見に来ていたのですが、年配者が若い人々にすすめたことにより、次第に若い人々も見に来るようになったと聞いています。

Q:この映画では現代の複雑さに対して過去の簡素さを描こうとしたのでしょうか?
山田監督:これで現在の複雑な問題が解決するとは思いませんが、少し前に戻って、自分たちが確信をもって生きていた時代を見つけたい、という考えはあります。接ぎ木の元の木を探し、その元の木からもう一度新しい社会を作ってゆきたい、ということです。

Q:時代劇をこれからも作りたいとおもいますか?それとも、これこそが山田監督の時代劇であり、もう作らないと思われますか?
山田監督:これまで多くの映画を作ってきましたが、この映画を撮ったことで新しい鉱脈にたどりついたような気がします。そういう意味では、その鉱脈を更に掘り下げ、2本目の時代劇を作りたいと思います。

Q:田中さんに質問です。俳優としてどのようなプロセスをとられたのでしょうか。
田中 泯:私にとってこれは初めての演技であり、演技と踊りの違いを考えました。役に入るということがどういうことなのか、その人に成りきることなのか、ある一定の距離を置くべきなのか、いまだにわかりません。ただ、そのままの自分で本番までもっていけたような気がします。

Q:私はニューヨークの批評家です。清兵衛がヒロインに対して恋心を抱きながら、積極的に行動しない理由は何でしょうか?また、ハリウッド映画とアジア映画の違いをどう考えますか?
山田監督:私には、ハリウッド映画は常に主人公が何かを獲得するべく行動する映画という印象があります。清兵衛にはそれがありません。恋心を抱いてもそれを実現しようとはせず、出世したいという野心を抱くこともない欲のない人間です。我々には欲のない人間への憧れがあります。小津の作品を見るとよくわかるでしょう。小津映画の主人公たちは、自分たちの生きている状態を大きく変えようという野心は持っていません。そこに我々は憧れを抱きます。私は野心的な人間に興味がないわけではありませんが、この映画にはささやかな充足への憧れが存在しています。もしかしたら、それがハリウッドとアジアの違いかもしれません。人生観の違いと言ってもいいでしょう。

田中 泯:私は余呉を演じていながら、清兵衛の役に対して共感を持ちました。最後に、余呉は清兵衛に何かを託したのだと思いますが、それは何だったのか。新しくやってくる時代を託したのか、あるいは、今の生活をそのまま守ってほしい、ということなのか。何を幸せだと感じるか、ということは、今非常に重要なことだと思います。
山田監督:余呉は野心を持っていた男だと思います。あるいは、清兵衛に対して、お前の生き方の方が正しかったのだ、と言い残したかったのかもしれませんね。




●ストーリー

時は幕末、庄内地方の小さな海坂藩の下級武士・井口清兵衛(真田広之)は、妻を労咳で亡くし,2人の幼い娘と老母の世話をするため、勤めが終わるとすぐに帰宅することから「たそがれ清兵衛」と同僚たちからあだ名される冴えない男とみなされていた。しかし、幼なじみ朋江(宮沢りえ)の危機を救ったことから、実は剣の達人であることが世間に知れてしまい、ついには藩命で上意討ちの討ち手に選ばれてしまうのだが…。

時代小説の大家・藤沢周平の短編『たそがれ清兵衛』と『竹光始末』『祝い人助八』をベースに、これが時代劇初演出となる巨匠・山田洋次が監督。当時の時代考証を綿密に行いつつ、ささやかな家族愛や忍ぶ恋心、そしてダイナミックな殺陣シーンなどを見事に具現化している。人間本来の美しい心のありようを、決して押し付けがましくではなく、優しくささやかに問いかけてくれる、日本映画でしかなしえない必見の秀作。真田の素朴さと宮沢の清楚な美、両者の好演がみものである。

●スタッフ

監督・・・山田洋次
原作・・・藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」(新潮文庫)
脚本・・・山田洋次
     朝間義隆


○キャスト

井口清兵衛・・・真田広之
飯沼朋江・・・宮沢りえ
余吾善右衛門・・・田中泯
飯沼倫之丞・・・吹越満
甲田豊太郎・・・大杉漣
晩年の以登・・・岸惠子
井口藤左衛門・・・丹波哲郎
久坂長兵衛・・・小林稔侍
堀将監・・・嵐圭史
寺内権兵衛・・・中村梅雀
藩主・・・中村信二郎
直太・・・神戸浩

●2002年度.第26回日本アカデミー賞最優秀賞と特別賞●

作品賞 「たそがれ清兵衛」(松竹)
監督賞 山田洋次
主演男優賞 真田広之 「たそがれ清兵衛」
主演女優賞 宮沢りえ 「たそがれ清兵衛」
助演男優賞 田中泯 「たそがれ清兵衛」
助演女優賞 北林谷栄 「阿弥陀堂だより」
脚本賞 山田洋次
朝間義隆 「たそがれ清兵衛」
美術賞 西岡善信
出川三男 「たそがれ清兵衛」
撮影賞 長沼六男 「たそがれ清兵衛」
照明賞 中岡源権 「たそがれ清兵衛」
録音賞 岸田和美 「たそがれ清兵衛」
編集賞 石井巌 「たそがれ清兵衛」
音楽賞 冨田勲 「たそがれ清兵衛」
外国作品賞 「チョコレート」(ギャガ・コミュニケーションズ)
会長特別賞 故蔵原惟繕監督
故深作欣二監督
協会栄誉賞 新藤兼人監督





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