ふうこの英国留学日記-その後

2004年05月19日(水) 英語の勉強再開とプロポーズ

元気が出てきたので英語の勉強を再開。
といっても通勤電車の中で英語聞いたり、読んだりするだけなのだが。。。

でも、今日仕事で英文を読んでいて、読むスピードが早くなっている気がした。小説とかはぜんぜん読めないのに、業務でよく目にする
ような単語や言い回しにに慣れただけか?

なんとなくネットで見ていたら、輸入食品専門の貿易会社の社員募集があってすごーく気になってしまった。応募締め切りは5月25日。。。
応募してみるべきかな?
でも、今の仕事はすぐに辞められるのかな?やっと半年たって有給が使えるようになるっていうのに。。。

そういえば、この間の日曜日付き合って3ヶ月(たったの?)の彼氏から、「俺と結婚して欲しい、俺の家族になって欲しい」とプロポーズされた。

私はその時、昼寝から目が覚めたばかりで、起きたらいきなり彼が真剣な顔で私をじっと見るので、恥ずかしくなって背中を向けたら、後ろから抱きしめられ、ぽそっと言われたのだ。
しばらくしてその言葉の意味が飲み込めた私から発せられた言葉は、「なんでこんな寝ぼけているときにそんなこと言うの?」だった。
彼は「ふうのあんな驚いた顔見たことないよ」って笑っていた。

返事はまだ当分しないつもり。彼にもそれを伝えると、俺は気が長いからゆっくり待つよ。とのこと。その言葉を聞いて、安心した。

今年の年始、誰かとこんなにすぐに結婚話がすすむとは自分ではぜんぜん予想していなかった。やっぱり、こういうのは縁かな?と思う。









2004年05月12日(水) 死ぬということと世界とのつながり

1ヶ月近く日記を書いていませんでした。
書く元気がありませんでした。

5月1日から10日間ずっと、体調を崩していました。喘息の発作に始まって風邪の症状が出始め下痢と吐き気と発熱に苦しみやっと最近普通に生活できるようになってきました。この半年間で初めて仕事でも病欠し、なかなか体力が回復しない自分の体にイラツキながらも、どうにかだんだんと良くなってきています。

先日、NHKのしゃべり場という番組を見て思うところがあった。テーマは「死について考えてみる」というようなことだった。
男の子の一人が自分の意識がなくなって、自分が死んだら、全部終わり。TVゲームのゲームオーバーみたいに主人公が死んだら他の登場人物も消えるんだよ。と言っていたので、なんて自分中心の考え方なんだろうと恐ろしくとなってしまった。

私にとっては、自分の死はこの世界の一部がその役割を終えて、また大きなエネルギーの一部へ帰っていくようなもの。
私がいてもいなくても、この世界は変わらず動きつづける。毎日この世界では大勢の人が死ぬし、またその一方で多くの命が生まれてくる。

一番大事なのは自分はこの世界という大きな体の一つの細胞のようなものだということを理解することだと思う。
私は私の自意識が消えてしまうことはもちろん嫌だし、そのときが来るのが怖いが、それは私たちの体の中の細胞が日々生まれ変わっているように自然なことなのだ。

私も死ぬ。あなたも死ぬ。それは今日か、数十年先か、誰にもわからない。
でも、自分が死んだあとも自分が愛し、愛された人々はこの世界にある程度の間は生きつづけるだろうし、私を取り囲む木々、大地、この大気は変化しながらも存在しつづける。

何もかもがずっーとつながっていて、私の命が消えても私が地上に残したささやかな影響がまったく消えるまでは時間がかかるし、私と血を少しでもわけあった人々がどこかで生き続けているかもしれない。

だから死ぬことは世界の終わりではない。
ただ自分という存在の自意識はなくなるだろうと思う。

死に行く人は、自分が死んだあとも周りの人間の大半、そしてこの世界は続いていき、あなたの死を受け入れ、消化していくことを考えて欲しい。
何かが途切れるわけではない、死も生もこの世界のいつもあり続けたまま、時は前へと進んでいくのだ。


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