ふうこの英国留学日記-その後

2003年10月28日(火) gonna とgottaの違い


英語で話していると、会話でしか使われない短縮形した言い方を耳にすることが多い。
中でもgonnaとgottaはその違いを聞き過ごしてしまいそうになるので意味を確認してみた。

たとえば「もう行くね」というようなときI gonna go. というのをよく聞く。
gonna は going toの短縮形なので
I gonna go. は I am going to go. となり、日本語だったら
私は行くつもりである=もう行くね。意味としては I want to go.に近いものとなるのである。

一方のgottaは have got to の短縮形で〜しなければならない
という意味を持つので、I gotta go. はI have to go.に近い。
なので、日本語だったら「もう、行かなくちゃ。」という感じかな。

たとえば、デートの時、なんか今日は乗らないなお家に帰りたいって時は I gonna go.
すごく楽しいけど、終電車の時間が来ちゃったってときは I gotta go.
なんて使い分けられるかも。





2003年10月27日(月) 恋人の体は私が泳いだ川


日本に帰ってから時間はあるはずなのに、ネットに常時接続する
環境がまだないことも手伝って日記を書いていなかったのですが。。。

今日久々にのぞいてみたら、
カウンターがいきなり1000以上も増えているのはどうして?
更新しないほうが増えるのだろうか??不思議です。
この日記を読んでいる方で、カウンターの数字が急激に増えた理由を思いあたる方
メールで教えて下さい。→

さて、本日の本題はEnglish Patientという映画について。
ようやくTSUTAYAのカードを作ったのでヴィデオ借りました。
最近観たのは、English Patient (邦題 イングリッシュ・ペイシェント)
これは邦題が良くないと思います。当時英語のできなかった私はこのタイトルを
見て、「はあ、英語の我慢?ってなんだ?」って思ったもの。
でも、直訳の「英国人患者」はさらにそそらない日本語だし、「愛と哀しみの果て」みたいなタイトルは古すぎるし邦題のつけ方は難しい。
私だったら、映画の最後に死にゆく恋人が書き残したこの言葉
「恋人の体は私が泳いだ川」(原文 The body we have entered and swim like rivers) がいいと思うんだけど長すぎるし、セクシーすぎるかな。
まあ、とにかくこの映画96年制作で当時アカデミー賞を8部門受賞した話題作だったのですが、いわゆる王道ラブロマンスにあまり興味のない私はノー・マークだたわけです。が、友人のあの映画で使われているBritishEnglishは美しいよ。という評をイギリス滞在中に耳にし、ウィリアム・シェ-クスピア劇場でこの劇団出身のレイフ・ファインズが久々にそこで主演した舞台を見て意外と彼の正統派の演技に納得してしまったこともあり(この映画の主役は彼なので)、なんとなく見なくてはと思って今回手にとったわけですが。。。
脇役の俳優が私の好きなコリン・ファースとウィレム・デフォーという豪華キャスト、それに加えて主演のクリスティン・スコット・トーマスの貧乳にもかかわらず(?)滲み出る知性ある色気にうっとり。。。2時間42分という長丁場にもかかわらず(正直途中で眠くなりました。眠いときには止めた方がいい映画です。)、最後まで謎解きのように緊張感をもちつつ進んでいく脚本が素晴らしい。戦火の中での人々の間に生まれる矛盾、愛の無力さと喜び、他人の優しさと希望、人生のせつなさが一つずつのエピソードからタペストリーのように描かれていく様は絶品です。

自分が愛したがゆえに招いてしまった恋人の死。自分の心臓はまだ動いているが
彼女が死んだその日、僕はすでに死んでしまったんだ。とつぶやく主人公。

「恋人の体は私が泳いだ川」に代表されるこの映画のラストの女主人公の遺書の
言葉の美しいこと。原作の英文の良さをうかがわせます。こんなに壮大なラブストーリーを生んだや英文学ってやっぱりすごいかも。。。と思いました。




2003年10月13日(月) 久々の日本とホームシック 改訂版

無事日本に戻ってきました。
もちろん、家族や友人に再会できるのは心から嬉しいのだが
着いて数日でイギリスホームシックになってしまった。
赤レンガの街並み、乾いた空気、街の中の英語のざわめき。。。

まだイギリスに残っている友達からメールが来るたび
悲しくなる、淋しくなる。。。。ああ、帰りたいって!!
あの生活は終わったんだと思うたびに胸が締めつけらる。

これって何なんだろうね? 
外国人として存在することの気楽さだったのかな?
私はイギリスにいる間、ほとんど日本の街並みや食べ物を恋しく思って
涙ぐんだりすることはなかった。つまりこれが人生ではじめてのホームシック?

私は日本人なのだから、ここ日本が私のベースなのだと
言い聞かせている。。。でもあまりにも留学生活が
充実していて楽しかったせいかしら?
私は海外にいたときのほうが自分に自信がもてた気がする。日本に帰ってくると
日本的価値観の中ではわたしなんてなんの価値もない三十女なのよ。。。と
すぐにいじけてしまう。

日本での現実にぶつかって傷ついても挫けないようにしなくては。



2003年10月04日(土) Bye Bye my friends

いよいよ二年間の留学生活を終えて日本へ本帰国する日が二日後に迫っている。

私は留学できてとてもラッキーだったと思うし、これからいろいろ留学に関して
感じることもあると思うけど、今の時点では留学して本当に良かったと思っている。

先日の成績発表では修士号を無事にとれたことを確認。
しかも、今年の夏に突貫で仕上げた修士論文ではDistinction(成績優秀賞)
を取ることができた。二年間の留学生活の締めくくりとなる修士論文が
今までで一番いい成績と言うのはとても嬉しくて、教授からのコメントも
「この論文はふうこさんがこの1年間でアカデミックな意味で成長したこと
を表している」とあって、もともとまったく言語学的なバックグラウンドがなく
翻訳学の学生としては落ちこぼれとしてスタートした私としては満足のいく結果だと思う。

私は修士論文に献辞をつけなかった(とても余裕がなかったので)が
その代わりにこの日記に書いておきたいと思う。

私を支え続けてくれた父と母、いろいろ細かい世話をしてくれた姉に心からの
感謝を捧げたい。そしてこの修士論文の指導教官のJoy、公私共によき相談相手となってくれたコースメイトのAlberto、夏の間手の込んだ料理を何度も差し入れてくれた寮の友達Minh、私の論文の英語のアドバイザーをしてくれた映画学のPhD学生AnnnaMariaに、謝辞を。この論文が無事に仕上がったのも彼らのおかげだと本当に
感謝している。

この二年間で一番おおきかったことは人との出逢いだと思っている。
二年間の移動生活の中で多くの別れも経験したし、イギリスを離れる今
私はもっとも大きな別離を体験することになるだろう。
でも、たとえこの先二度と会うことがないとしても、私が出遭って私に
いろいろな影響をその人たちが与えてくれたこと、楽しい時を、苦しいときを
一緒に過ごしたことは消えないし、私の中に残りつづけると思う。

人は1人ではたいしことができないなとつくづく思う。
個人の仕事に見えてもその影には様々な係わり合いがあるのだ。

美しかった日々、充実したときもいつかは終わる。
でも、たぶんそれを失う悲しさもそれを体験した者だけの経験だろう。

この二年間私は本当に幸せでした。こう言えることが幸せなんだと思う。
本当に本当に、私を応援してくれたすべての人に感謝を捧げたい。
今までありがとう、そしてこれからもよろしく。

ふうこ


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