徒然草日記...至都

 

 

でんわ - 2004年01月31日(土)

なにかに躓いたり 
なにかに疲れたり
なにかに空しくなったり
なんだか泣きたくなったり

そんな時わたくしは電話をします
わたしの友人へ

された方はたまったもんじゃあないか?
とも思わないではないがついつい甘えてしまう

いつもありがとう。
黙ってはなしを聞いてくれて感謝しています。

ま お互いさま だし (おいっ)

これもそれも携帯電話なんていう便利なモノが
簡単に使えるような世の中になったから
遠方でもなんでも個人的なはなしを
家人の誰かに気兼ねすることなく
はなせるようになったんだなあ

というわけで携帯の料金その他がいろいろ気になる
今日この頃


#明日からキャンプ・イン@プロ野球なんて
 信じられなーーーーい!?(自爆)#####


...

きげき - 2004年01月30日(金)

悲劇の後には喜劇が待っている。。。
じゃなくて待ってました。。。。。。。。。。

さすが齢90歳まで生涯独身一人暮らしは強し!
と思わせたのもつかの間で
すっかり本物の中身が抜け落ちた「ただ」のおばあさん
になってました<ただのが悪いわけではありませんが
此れでは復活!或は回復した。とは云えないなあ
もう一人暮らしも出来ないだろうし
もちろん学者としても駄目だろうし
(それ以前に90歳でPCで論文こさえてFDに入れて
 雑誌に投稿したり誰かのを校閲&校正などということ
 をしていた方が驚異!?なんですが。。。)
なので今後どうするか?というのが目下の課題です
幸い年金がっぽり組なので(羨)
自分のお金で何処ででも療養出来そうなんですが
が。やはり葬式だの埋葬場所だのに
もっぱら注意が向いていたのは否めず
ただいま親族間で紛糾中(苦笑)

一時は此のわたくしがそーいう交渉事を統括する。
という案も出て親族の長老から直接依頼を受けました
が結局はもっと年長のしかし現在の福祉や介護その他に
たいへんに疎い方々がそれらをすることになりました
さてどうなることやら???(溜息)

さっき疎い方々はたった「1」日で根をあげて
再度わたくしに「お願い」してきましたが
既に伯母はわたくしの知っている伯母ではなく
しかもその間に巻き込まれた結果の心労その他から
きっぱりと断ってしまいました

ああ激しかったり潔かったりした方々の次世代以降は
なーーーんか淋しいですねえ



...

ぞく・ひげき - 2004年01月29日(木)

悲劇 かもしれない と書いた
しかし実際のところ当事者たちは各々が懸命に時代を生き
おそらく悔いなど残していまい
そもそもの発端となった方には残念ながら聞けないが。

発端となった方は東京に出てどうやってかは知らねど
生涯を賭けて一心に愛するヒトを見つける
相手も彼女を同じように思ってくれてふたりは結ばれ
家庭を持つが決して仏は彼女を許さず
望んでも望んでも子を授けることはなかった
しかも彼女は当時としては一般的であったかもしれないが
40前後で病に倒れこの世を去らねばならなかった
どーして本当に愛するヒトの子は産めないのだと
罰が当たったのねといいながら
更に生涯掛けて愛したヒトを姉の身代わりでもいいから
と同じような強さと情熱で慕う妹を見ながら
この世を去らねばならなかった
妹にそのヒトを奪われる奪われると云いながら。。。
実際のところかれらは彼女の死後所帯を持ち子をもうける
それを黙って見ていることしか出来ずに
ましてや経済的な理由もあってか同居せざるをえなかった
かの乳飲み子
身内の血縁を欲したための暮らしでもあるだろうが
決して心安らかでは無かったに違いない

そして長い長い年月が過ぎいつの間にか
義姉妹と従姉妹として親しく行き来するようになる子の世代

その間に明治があり大正があり昭和の激動期があった
かのヒトは姉妹に強く慕われたかのヒトも
平成になってからだがこの世を去って久しい
あの世で姉妹で取りあって揉めてないといいよな

そんな子のたったひとりの人生がいま静かに終焉を迎え

残された我々恵まれた世代に何が云えようか
ただ忘れない記憶しているあなた方の歩んだ道を





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ひげき - 2004年01月28日(水)

それは90年前に始まった悲劇
去る旧家の跡取り娘は親に強いられるまま婿を迎えた
彼女にとって婿となるヒトは
どーーーしても生理的に受け入れられないヒトだった
女学校を卒業するや否やで強いられた結婚
短い結婚生活であったのに彼女は直ぐに身ごもってしまう
身ごもっても一緒に生活していくのが
どーにもこーにも耐えられず
結果的に彼女はふたつ身に
なると同時に子を実家に置いて家を出る
捨てられた婿はいたたまれずに実家に帰り
生まれたばかりの乳飲み子のみが残された
その乳飲み子には暖かく見守ってくれる祖父はいたが
生まれ落ちたときから両親と呼べるヒトはいない
それは決して乳飲み子のせいでなく。。。
乳飲み子が女学校に進むころ彼女の生みの親というのと
短い間東京で暮らしたらしい
生活には困らなかったが精神的にはお互いに満たされず
常にもめ事の絶えない家であったらしい
決して誰のせいでもなく。。。
女学校を卒業して大学に進んだ子は女学者の道を選ぶ
その時代においてはまだまだ厳しく辛い時代
しかし子は決してひとりで生きることに悔いは無く
最後まで最後の最後まできちんと自分のことは自分で決めて
そして。いま。人生を終わろうとしています。
かのじょの生き方を決めたのは彼女の実母であった
かもしれないがそれ以上に彼女は強い。ヒトでした

同じ道を歩みたいとは思わない
同じ境遇かといえばそうではなくだからというわけでもなく

悲劇というのかもしれないが大河ロマンみたいな人生
だなあとしみじみ思う

実家を飛び出したヒトの激しさに憧れるとも
決して責める気にならず
その子の女学者としての清々しいまでの生き方に
憧れずうらやむことも無し

されどいずれも大切な方々には違いなし



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みまい - 2004年01月27日(火)

お見舞い 行ってきました

感想; 行った
    疲れた
    くだらなかった。。。。。。。



その他;・結構回復していた<さすが90歳は強い!
    ・あ〜んなにラフな治療でいいんかいっっっっっ
    ・滅茶苦茶気取り屋満載のいや〜〜な病院。だった
    ・主治医ってもなんなんだあいつは〔怒)
    ・中も外も狭くて分かりにくくて最低(さいってい)
    

午後から会社を休んで行くほどのこと。。。無かったなあ
というか最初のお知らせの方が騒ぎすぎ慌てすぎ(^^;;;;;
困るよなあ(溜息)


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えっと - 2004年01月26日(月)

伯母の病気の話をしたら
今日は必要最低限の仕事をしたら帰宅してもいい
と言われた
ひとりで病院に行ってもあれなので(母とでなければ)
とりあえず美容院へ
この獅子舞のような月の輪グマのような髪を
なんとかしなければと思い
こんなことしてる場合なのかとか葬儀の準備なのかとか
いろんなことが頭の中を巡った

今日は覚醒して少し話せるらしいが
それも長くはあるまい

かなしいけれど たぶん それが現実

明日の午後は母と行く
少なからず泣き顔で別れたりはしたくないから


...

つらい - 2004年01月25日(日)

そ そんな っっっ
馬鹿なことがあるはず……あるか(ため息)

親戚で最も高齢だが耳も目も口も頭も大丈夫で
気力充実元気溌剌なあの伯母が

自宅でひとりで倒れていた と
たまたま訪れたヘルパーさんが見つけた と

救急車で最寄の救急病院に運び込まれて
一時は持ちなおしたもののその後心停止……

いまは まだ 生きている けど

つらい つらい つらい
かなしい かなしい かなしい

すぐに駆け付けられないことも
明後日の午後には行くから待っていて


...

そっか - 2004年01月24日(土)

そっか。そっかそっかそっかそーなのかーーー
と思いながら感じながらさる舞台を観て参りました
懲りずに観劇「メリー・ウイドウ」@オーチャード♪
ハンガリー国立ブタペスト歌劇団の引っ越し公演です

此の演目はお気に入りなので
そして此の歌劇団は特に御贔屓なので
(日本に)来てくれるごとに時間を作って観に行きます

今回は遂に一緒に観てくれる方がいないかと
かなーーーり悲観的でしたが直前には決まって一安心
此の舞台を見逃すなんてもったいない!はずなんだぞっ

アリアは美しくてうっとり〜〜〜〜
合唱のヒトの声の力には圧倒されて
肩意地っ張りな大人の芝居に魅了されました
しかもわき役であるはずのロションが美男で美声!!!
こりゃあ誰でも(人妻でも)転んじゃうよなあ(^^ゞ

何度でも何度でも観に行きたいな(^^)

しかも風邪も全快したのでいくらでーーーも
観劇後に呑み食いが出来るし(爆)


それにね
いろんな意味で感慨深かったの
そっか。そうなんだよなーって思ったの。
まーだまだどーなるかなんて
だーれにもわからないけど。ね(謎笑)




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よわい - 2004年01月23日(金)

叩かれ弱い
打たれ弱い
圧力に弱い

言い換えると

忍耐強い
辛抱強い
粘り強い

というわけでは 無い ということだ

なんか最近そういうヒトがみょーに増えているような

みーんな大切に育てられているから
自分がそんなにたいしたヒトでは無い 
って認められない

だから 向上心 とかが育たなくって

自尊心ばかりが強くなって
屈辱感に苛まれ
結果的に 自分に負けてしまう んだよね

自分が自分であることを
どう足掻いても自分自身でしかないことを
認められない

だから ヒトの声も聞こえなくなってしまう
だから どんどん孤立もしてしまう

弱いヒトには弱いなりの理由が有るのかもしれないが
少なからず自分はそういうヒトにはなりたくない
そんなふうに思ってる


...

ほしい - 2004年01月22日(木)

褒めて欲しい
認めて欲しい
解って欲しい

なんか欲しい欲しい病に罹っている方々
最近みょ〜に増えたような気がします

欲しい という気持ちは理解出来ますが
誰だって そーいう意味では 欲しい からね

しかしレッキトシタ社会人はそう簡単には
褒められたり認められたり解って貰えたりは
しない というか されない のが普通でしょうがっっっ

ヒトから求めてばかりいるのは子供だけ
ヒトに与えられることが出来て初めて大人
かなと思う

されど此れはあくまで個人的見解(念のため)



#####せんでん宣伝せんでんでーーーす!
年末年始旅日記だいたい完成しました(^_^)
最後の晩のいろいろはもう少ししたら
想い出の一部として普通の日記にupする予定ですが
というわけで一度読んだ方ももういいよって方も
よろしければもう一度目次をクリッククリック(爆)
20031228-20040103までが読み頃でーーーす♪######




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ただし - 2004年01月21日(水)

歌としても詩としても
世界でひとつだけの花♪は好きだ
メッセージ性をヒトの頭に残すようなメロデイライン
はさすがに槙原と思っている
こんだけ歌は有名になっているのに
作詞作曲したヒトについてはぜーんぜん語られない
ってのもあんまりだよねえ
かれの個人的趣味とかれの作りだしたモノとは
無関係ったら無関係なはず
それをCD販売中止だとか店頭からの撤去促進とか
騒いでなんでもかんでも一緒くた
にしてしまうのがいかにも日本だなと思う

そういえば以前にもレックスという映画
が放映禁止というか公開中止になったことがあったな
なんでも監督が麻薬だか大麻だとかをやっていたから
そのための制裁だか自粛だったらしいけど
此れにしたってどうよ。

というわけで作者と作品は別のものとして考える
ぐらいの大人の社会になってほしい
と時々考える




...

よりも - 2004年01月20日(火)

世界でひとつだけの花♪
が巷で流行しているらしい
その伝えたいメッセージは
《ナンバー1よりオンリー1》
でも此れってどうよ。
ヒトは誰でも生まれたときからオンリー1
なわけで
何を今更メッセージなの?
競争社会に疲れたから
ナンバー1よりオンリー1だと気付いた
としたら
あまりに鈍臭くないか?
癒しのイメージよりも負け犬の自己憐憫
に聞こえてしまう
そういう感じ方ってひねくれてる?
それよりも同じメッセージ性を求め伝えているのは
ゴダイゴのビューティフル・ネーム
だと思う
この世に生きとし生けるもの全てに名前があること
それこそがオンリー1!



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じしゅとれ - 2004年01月19日(月)

野球選手も来るキャンプインに備えて自主トレ開始中
そんでわたくしも自分の知識や能力を客観評価するために
自主トレならぬセルフトレーニング問題というのを
やってみました
結果は宿酔い(二日酔いではない)で受けたにも関わらず
正解率75%でした
此れで某資格認定更新点数75点(5年間に要獲得)のうち
必須とされたセルフトレーニング分の5点を確保
マークシートによる試験なんてホントに久しぶりに受けたよ
他人(学生さん)には始終やらせているくせに(苦笑)
鉛筆を持ったのも久しぶりだったし消しゴムを使ったのも
まあとりあえず合格点が獲得出来て良かったよ
駄目なら来季は真面目に勉強してリトライ覚悟だったから
そんなわたくしにウチの両親(いいかげんにしてほしい)
が云いますには
もっときちんとした態度で受ければもっと良い点だったのに
だってさ
でも此れはあくまで自主トレ(半強制だが)なんだし
資格試験だから高得点を競うのではなくて
認定必須点を取るものなんだってばっ
とか云っても結構面白かったので(宿酔いだったが)
来季も再度受験してみようと思う
でもうっかり油断していると来季は不合格かもね(汗)
ってか今回初の試みのためか問題安易であったと思うから
来季はきっともっと難しくなるんだろうなあ(苦笑)


###とかなんとか云ってますがおかげさまで此の日記も
昨日できっちり3周年を迎えました。
カウンターはのんびりゆっくり7000カウント強程度。
此の調子で独白続けていく所存で有りますので
みなさんよろしゅうに(^^)(^^)(^^)###########

(おまけ)なにげなくMSNでサーチかけたら
    此処引っ掛かりました(^^;;;;;


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かぜに - 2004年01月18日(日)

たわいないことを言い合ってじゃれあって
一日が終われたら……
どんなにかいいだろう

別に《貴重な得難い人材だから》なんて
演説ぶってくれなくても良かったのに

風当たりは弱いよりは強いほうが好き!?だし
風も当たらない下草人生なんて
自分はまっぴらごめんなヒトだしね

だけど…だから……

風に吹かれて生きている
それが自分の望んだ選んだ生き方


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たりない - 2004年01月17日(土)

旅日記をちびちびと書いています
もう少しで完成します
あともう一日分で終わってしまう
時間が過ぎると思い出が風化してしまうから
そうならないうちに書いておかないと残しておかないと
と気ばかりが焦る
旅でご一緒した方から写真が届きました
焼き増しとかささっと出来てしまう方っていいなあ
わたくしはどうもこーいうのは
ゆっくりというかのんびりというかのろまというか
とにかく遅いっ遅いです(^^ゞ
写真も現像はされてきたけれど。。。の状態で
まだまとめきっていません
入場券やパンフや絵葉書もまとめて貼るから
結構重労働なんだよね(←言い訳か?)
そんなこんなで重い腰を上げて整理してましたら
アルバムの台紙が足りないことが判明(^^;
そーんなに写真撮ったつもりなかったのになあ
たった6本@36枚撮なのに(えっ?撮りすぎですか?)
というわけで此の週末での完成は出来ないことに

さて次にその気になるのは何時になることやら(おいっ)


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ぶんがくしょう - 2004年01月16日(金)

昨日芥川賞と直木賞の発表があった
いずれもひとりに絞りきれないダブル受賞
此のふたつの賞に限っては日本中の誰もが知っている
と思われる大きな文学賞である

わたくしは本が好きだ
本を読むこと読みあさること読書がだーいすきだ
だから連日の様に本屋をのぞく寄る
未読の本が溜まっていても興味を引かれる本に出会うと
性懲りもなくまた買ってしまう
という活字中毒者でもある

そんなわたくしにとって今回の受賞者は 
どうよ。だ

芥川賞は元来若手で奇抜なモノを書いたヒトに与えられる
ことが多いとは思うが
今回の受賞者である金原ひとみという作家を
わたくしは知らない本屋で作品を見かけたこともない
そんなに話題にならなかったのか?それともアングラ系なの?
どうにも釈然としない
もうひとりの綿矢りさ名前だけは知っている
読んだことは無いが本屋でよく新書が平積みされていた
斬新で心を突かれる作品という旗がたっていた
だから どうよ。なのだが
名前を或は作品を知られてもいないヒトの受賞ってどうよ。
どーにもこーにも釈然としません
お二人ともこれっきりにはならないでね(辛)

一方の直木賞だが 此れも どうよ。だ
江國香織はわたくしのご贔屓作家のひとりでは有るが
が でも直木賞って どうよ。だ
京極夏彦については未読なので作品については述べられない
がとにかく長編ばかりで文庫本は文庫本とは云えない
とんでもない厚さ で売っている
本人は何処で上下に分けたらいいのか解らないから
というが それって どうよ。
此のふたりと直木賞って個人的見解だが違和感がいっぱい

いち読者いち本好きの意見などと無関係に決められる
のが文学賞って奴かもしれないけど
該当者無しっていうのも有りなんじゃあないの?
それとも本離れが叫ばれていて久しいから
賞の勢いで一時的にでも本を売ろうとしているの?
だからこーいう人選になるのか?
しかし此れは長い目でみれば
結果的には本離れを活字離れを助長するだけ
ではないのだろうか?というのは言い過ぎかなあ(苦笑)


...

うわさ - 2004年01月15日(木)

社内に目安箱を置くんだってさ
なんでも社員の社員による自浄作用を活性化するため
らしい が
此れってひとつ間違えれば両刃の剣なわけで
誹謗中傷だってわんさか来る可能性だって十分有るわけ
だ 誰がそれを区別するのか 
で その価値が大きく変わるだろう
今からトンデモナイことが起ってしまいそうで
なーんとなく心配
何処の会社でも不祥事っていうのは大概内部告発で表面化
ホントに不祥事だったら 公にする 
のはとても良いこと
というよりは そうされる べき です
が 実際に上手に活用されるか否かを考えると
出来ない或はかなり難しいんじゃあないか
と危惧してしまふ(苦笑)

誹謗中傷の類の噂 拡がっているんだかいないんだか
とりあえず当部署内では無駄口をたたくヒトがいない為
大変静粛にサクサクと業務がはかどっております
そーかんがえると能率向上でミス無しなんで
却って良かったかななどともおもふ(笑)

楽しいだけが職場じゃあないからね
なんといっても報酬を貰っているんだし(辛)


...

こわい - 2004年01月14日(水)

こわい怖いこわい恐いこわい強いコワイ
といろいろな「こわい」があるわけですが
わたくしと仕事する多くの方々が
良くも悪くも「こわい」と云います
ミスはミスとその都度認め詫び更に再発を防ぐよう指導
するからか 或は
頭を下げて聞きに来れば親身になって教える世話をする
がそうでなければほっとくからか
どうかは知らねど
ミスも2回までは詫びても詫びなくとも許し教える
のを基本としている
ただし3回目からはグワッと怒る叱り飛ばす
が だ
まあ しかし わたくしと仕事する方々は有る意味気の毒
かもしれない
指示をされると例えそれが口答で無く文書であったとしても
非常に非常に緊張しているのが 解る からね
とは云うものの最近とは云わずかつてわたくしが口答指示だけ
で済ましたことはただの一度も無いのだが
思い出せなければ何度でも文書を確認して欲しい
或は理解出来なければ聞いて欲しい
とただそれだけを望むのさえが我が侭というか無理
なのか

1週間休暇を戴いて復帰して
わたくしのココロは安らか(?)になったが
周囲(特に部下だな)の態度改善はあまり認められず。。。

ちょっと辛いっていうか悲しいぞ
誹謗中傷は慣れてるけどね


...

ぬぼーーー - 2004年01月13日(火)

昨日の休日出勤超ハードでした
今年初の休日出勤からこんな大当たりってなに?
ってか今年も引くおんななんかいっ

ということでぼぼぼぼぼーーーーー


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ぎゃっぷ - 2004年01月12日(月)

こーいうのをジェネレーション・ギャップ
っていうのかな???

此の1月から研修に来た2年目の女子
可愛こブリッコぶりぶり(死語!)でなんだかなあ〜
だったんだけど今日個人的にはなしを聞いたら
なーんと4月からわたくしの部署に配置される
というじゃあーりませんか(^^;(げげげ)

一応一人前みたいな口の聞き方をするんですが
が。 なのよ。
自己責任において仕事をするのは嫌だから(おいっ)
いつまでも研修生でいたい ですと!?
研修期間が2年じゃあなくって4年くらいあればいいのに
だって。。。。。(絶句)

わたくしの若い頃は(此の言い方は嫌なんですが)
少しでも早く仕事を覚えたかった
少しでも早くなんでも自分で判断・処理が出来るように
なりたかった
少しでも早く一人前と認められたかった
なのに。。。。。。。

責任を負いたく無いような方には
最初から此の職業を選択しないで欲しいのですが
というのは辛い???
だってチームリーダーで総合職なんですよ
最初からヒトを使う側に属するモノが
いつまでも誰かに使われていたいなんて考えられないっっっ
その意識の低さに愕然としました(^^;;;
こりゃこれからが大変だわ(大きな溜息)


そーいえば獅子の伊東監督が初日からルーキーに苦言を呈した
という記事を読みましたがその気持ち理解できます
初々しいとかいう問題じゃあなくって
自分をアピールするのは行動や言動だからね。まずは
実力のみの世界に生きるはずなのに
テレビや記者には緊張しても監督(上司)は関係無い
ってのは どうよ。
今時の若者に苦労しそうな予感がいっぱい
ああジェネレーションを感じるなあ〜


...

おみまい - 2004年01月11日(日)

此処数年此の時期になると
何故か親族の何方かの具合が悪くなる
というわけで今日もお見舞いに出かけた
旅行疲れがあるからとか
仕事始めしたばかりだからとか
明日は休日出勤だからとか
そーいう個人の理由はさておいて
まずはヒトとしての義理をきちんと果たさなければ
自分と相手の方の好みの花籠を携えて
思ったよりも元気そうだったけど
回復にはもう少しかかりそう。。。。。
でも元気になってまた復帰してほしいな



###宣伝です(笑)ゆっくりのんびり旅日記up中です!
さあ目次をくりっくくりっく(爆)


...

おちついた - 2004年01月10日(土)

かな? という感じです
体調もその他も です


声帯をやられてしまうという風邪でしたが
だいぶ元の声が出るようになってきましたし
ずっとお熱は出なかったし食欲はばっちりだったし
そろそろ全快のようです(^^)v


そんで会社内のごたごたは。。。。。
まあなるようにしかならん! のでほっといて(おいっ)


今日はこっそり都心のデパートでさるチェックを(笑)
パリでわたくし以外のみ〜〜〜んな
競ってブランド品を買いあさってたのですが
わたくしは自分がすっごく欲しいモノが偶然無かったのと
それほど安いとは思えなかったので(ユーロ強し!)
な〜〜〜〜〜んにも買いませんでした

でも帰って来たらなんかちょっと不安というか損したかな
とかいろいろ考えてしまって
今日価格チェックをしてきたのでした(^^;
結果的には日本とほとんど変わらなかったです<価格
品揃えは日本の方が豊富でしたし言葉の壁も無いし
でやっぱり世界一高いとか云われても
欲しいモノは日本で自分の価値観で買うのが一番!
と確信したのでした

そーいう意味でも落ち着いた(爆)


#旅の写真が出来てきました
今回は不慣れなカメラ(自分のが壊れて父のを拝借)の為か
自分的にはいまひとつだったのが残念です
さて此処にアップできるような洒落た真似が
わたくしに出来るのか(^^;;;;



...

たびにっき - 2004年01月09日(金)

此処には未だ全く書いておりませんが
日付を遡って書きます書く予定です

体調不良を言い訳に出来るのは此処ぐらい
だもんね(笑)

でもひと言???だけ

・南仏は山登りと思って間違い無し
・パリの街を初めて全くの独り歩き
・エデイアールのエクレアは美味しかった
・凱旋門には若いうちに登れ(階段284段!)

詳細は時々目次を確認してくださいね
お願いします



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こえをつかいきる - 2004年01月08日(木)

今日は新年初めの会議(もちろんわたくしが長)
ところが今月の第1木曜日って元旦だったんだね
というわけでいつもの会議室が取れずに急遽食堂で
此処が寒いったらないくらいに寒かった
底冷えする〜〜〜〜〜(ぶるぶる)
しかも食堂だからマイクが無いじゃん
いつもは地声がでかいのでマイクいりませんだけど
今日は風邪こじらせてて声帯腫れまくりなんですが
そんでもわたくしはGet Up and Go! な方なので
地声で頑張りました
会議は有意義に物事を決めることが出来まして
たいへんによろしかったのですが。。。。。。


声、かんっぜんに枯れました使い切り終了(とほほ)



...

きしゅこうかん - 2004年01月07日(水)

新しモノ好きのわたくしは昨年発売されたN505is
が欲しくて欲しくてたまらなかった
ちょうど会社の目の前にドコモショップも出来たし
部のみんなも続々と機種交換しているしで
わたくしも是非是非っっって思ってたけど
10ヶ月に満たなかったのでぐぐっと堪えてました

年が明けたら10ヶ月越えだったので
喜び勇んで機種交換に(笑)

附属のデジカメは138万画素だというけど
液晶は大きくてすんごく綺麗!
やや厚みが増してごっつい感じだったけど
うまーく流線型のボデイでカバーしてます(^^)

問題は。。。。。
今までの携帯電話ケースだとちと窮屈そうなこと
こんなことなら
向こうで新調すればよかったかなあ(こらこら)


...

えっ?ほんしゃ。。。ですか - 2004年01月06日(火)

というわけで青天の霹靂のお話が降って湧いた日

なんだかよくわからないけど管理職。。。の端くれで
新任職員(中途とか転任とかの)のオリエンテーション
では毎回先陣をきっておはなしをする役もしている
今日は1月付けで赴任してきた8人に対して
毎回やっているオリエンテーションをいつも通りにこなし

さて帰るか。。。とか思ってたら
急遽ウチの上司(副部長兼副社長)に呼ばれました
そんで年末の26日(だからあの件の後です)に
本社から是非是非此のわたくしを戻して欲しい
などと嘆願されたらしく。。。。。

「えっ!き、決まりですか?」(汗汗・いや〜ん本社)
「いや、少なくとも4月からは絶対無理と伝えたが」(苦虫)
「で、」(あの〜此処気に入っているんですが)
「将来的に此処は閉鎖するので自然に業務も減るだろうから
 その時点では、もしかしたらお返し出来るかもしれない。
 と伝えました」(君はどうしたいの?)
「少しづつ人員を動かすので早い時点で可能かもしれないが」
 (出来れば残って最後までまとめて欲しい)
「あの、3,4年前にもそのはなしは出ましたが
 その時はきっぱり断りました」(でも此処閉鎖ですよね?)
「実は去年の暮れも押し詰まってから本社の課長から
 個人的に会合を持ちたいと云われているのですが
 やはり此の件でしょうか?」(嫌だなあああああ)

とりあえず急転直下での移動は無さそうだけど(^^;;;;;

本社。。。。。戻りたくないなあ
昔だったら飛びついただろうけど今はちょっと
会社内のいろんなことが見えてくると本社勤務はちと辛い
ってか遠征に行けなくなっちゃうじゃんかっ(爆)


...

がしこうかんかい - 2004年01月05日(月)

いよいよ気持ちも新たに仕事始め!
と力強く云いたいところだけれども
年末から引き込んでいた風邪は明らかに(苦笑)悪化
言い訳なんてなーーーんにも出来ないから
一応元気そうに振る舞った一日でした
今年もこんなんで過ごすのね(笑)

お決まりの賀詞交歓会は午後4時30分から
といってももちろん多くの職員にとっては就業時間中だって!
毎回そのことを言い募っておるが改善の見込みは。。。

年末年始自宅待機を義務づけられなかった管理職(^^ゞ
だけど就業中でしたので酒には手を付けなかったが
とりあえず此れには参加

本社からも社長その他の重役連中が来ておりました
いつの間にか本社社長になっていたK先輩@創業者親族
遠くからわたくしを見つけますと
すすすと近づいて参りまして「昨年は娘が。。。」と
いや〜忘却の彼方の出来事になりかかっていました
ので「こちらこそ無愛想な対応で申し訳ありませんでした」
とご挨拶をしたのでした

社員2000名を越える程度の会社で本社社長に
顔と名前と所属と経歴と業績と。。。覚えていて貰えるヒト
って端から見るとどんなふうに見えるんだろうか???

年末の件はやはり中傷に過ぎないのかな(^^;;;

なにはともあれ今年もこんなそんなで始まりです


...

とりあえず - 2004年01月04日(日)

無事帰国いたしました
年末年始海外脱出だか逃亡よりの帰還です
おかげさまでココロの風邪は治りました

身体の風邪は悪化の道を一途に辿っております

とりあえずご報告まで(ごほごほ)


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ひとりあるき - 2004年01月03日(土)

今日は本当に全くの一日フリータイム!
予定が有ってないみないなもんだから
お気楽ったらお気楽だっ
何処に出かけようが何処でなにを食べようかも
全くの自由気まま(^^)
そういうの全くひとりでって海外は何回も来ているけど
あんまりやったことが無いので或る意味緊張も
している。それよりも楽しみが優っているからいいかな

予定無しだから朝食はゆっくりと
なんて思ったけどいつもの時間に目が覚めてしまった
バゲッジアウトに時間がかかると思ってたけど
ひとりぶんだけだとこーんなに楽
だとは思わなかった

昼食を上手に食べられるか解らなかったから
朝のクロワッサンは多めに食べました<なんと4個!
その他の定番もばっちりと詰め込んで
手荷物は壊れ物が入っているのはクロークに別預け
今日の手荷物バッグは昨日買ったばかりのアンリのバッグ
早速使うのがわたくし流

今日は午後からルーブルの予定だから
とりあえずはそちら方面へ向かうが
足は気の向くままのつ・も・り

ホテルのドア・マンが日本語でいってらっしゃいを(笑)

結構冷えると聞いてきたから覚悟していたけれど
強風に煽られていたためか登山(笑)専門だったためか
それほどの寒さは感じない

シャンゼリゼに出て左側に向かう
道沿いにはアーケードが並んでいて小さなお店がたくさん
そのうちのひとつは憧れのアニック・グダール!
今から15年前に初めてパリに来て以来ずっと訪ねたかった
お店なんだ(でもたぶん支店だろうけど)
開店時間が午前11時からということでとりあえず素通り
帰りには絶対寄ってシャワージェルとかサボンとか
買っちゃうぞっっっっっっ

隣には日本にもあるソフラ???髪留めがかわいい〜
思わず買ってしまう
それからそれからお店をぶらぶら見ながらそぞろ歩き

すると何故か大きなヒトの流れにぶつかった
何が有るのか解らないけど興味津々でついていくと
行き先はグラン・パレで丁度この日までの展覧会
を開催中でした(好みでなかったのでパス)

再びシャンゼリゼに戻って今度はエリゼ宮に向かう
大統領官邸には国旗がはためいているから大統領在中
なんでしょうねえ
左手には劇場と切手市が<いかにもの方々が集ってました

更に綺麗だなあエリゼ宮(大統領官邸)って眺めていたら
急に男前のポリスに早口で話しかけられました
もちろんフランス語で(^^;少しならフランス語解るんですが
あまりの早口で解らな〜〜〜い(^^;;;;;
どーも厳しい口調なんでどうやら職務質問であるらしく(汗)
しょうもないので わざと ゆっくり
「I am Japan. I do not Frennch. I...Go away,OK?」
と滅茶苦茶な英語をしゃべり解放してもらいました(^^ゞ
いやあ最初に心配していた職務質問ホントに受けるとは
思いもしませんでした<しかもいまはマスクなし

それから内務省の前を通って
<だからどーしてそーいうところに行くんだって!
有名なフォーブル・サントノーレ通りに
此処は世界の有名ブランド店があってパリマダムのお買い物街
らしい。。。此処来てみたかったんですよねえ
確かパリマダム御用足しの1点もの手作りアクセの店とか
もあるらしい
ゆっくり探してみるつもり楽しみ楽しみ(^^)
実際には日本に入ってないものなんて無いかもしれないけど

宝飾品は見ているだけで幸せな気持ちになれるし
どの店もウインドウ・デイスプレイが綺麗でお洒落
そーいうのを見ているだけでなーんにも買わなくても
幸せ。お手軽っていうかお安く済むっていうか(^^ゞ

でもビブレイ&ボッホでクリスマス限定ベルを
マイユで辛子・胡椒・オリーブ・タマネギの瓶詰めを
そして
マドレーヌ寺院では本物のサントン人形に感動し
世界平和を祈って厳粛な気持ちで十字を切り
長さ1mにもおよぶろうそくを献花(?)したり
初めて寺院の中に入ったけどとっても素敵でした

そーいえば今回は小銭をいつもポケットに入れてて
機会があれば教会でろうそくに灯火を灯してきました
何本灯して何ヶ所灯したか覚えきれないくらい
そーいう意味でも個人的には有意義だった

それからとらやに寄ってお昼はお雑煮
ほらお正月だし日本人だから(笑)

更に歩いていくと右手に上品な婦人がひとりで店番
している小物店が目に入り。。。
ウインドウに飾ってある首飾りに一目ぼれ!
値段も確認せずに店に飛び込み見せてもらいました
自分でつけてみると。。。おおっ結構いい感じ!
結局ブローチとイヤリングも買ってしまった
お値段がほどほどだったことと手作り1点モノ
というのに魅かれました(^^)(^^)(^^)

さあ午後はルーブル美術館の入館時間予約をしている
ので間に合わないと困ると焦って歩き出した
他にもいろいろ寄りたい小店があるけど。。。
うーん残念。また機会いつかはあるよね?

ルーブル美術館は15年前とは全く変わっていました
地下があんなんなってるとは思わんかった
何故か王冠&宝物展も共同開催されていて
バロア王朝・ブルボン王朝・ナポレオン・ナポレオン3世
の各々のモノを見ることができました
解説を途中までは聞いて廻っていたのですが
面倒くさいので途中で脱落して好きなものを好きに観る
ことにしてしまいました<ガイド代高かったのにな(けち)

外に出たら既に黄昏
綺麗なきれいな夕焼けです

目の前にはシャンゼリゼのイルミネーションが

忘れられない光景。。。。。


更にそこからホテルまでの3キロの道程を歩いて
途中懲りずに件のアニック・グダールに寄って
欲しかった欲しかったサボンなどを購入♪

ホテルに帰り着いたらもう午後6時半過ぎ
よくもひとりでよく歩きました
自分で自分にご苦労様です

ホテルを7時過ぎに出てシャルルドゴールへ


でもそれからがさーーーらに大変だったのですが
それはまた後日何処かで書きますねー


ということで旅日記いちおう終わらせまーす(^^)


#最後まで通しで読んでくれた貴方どうもありがとう#










...

ぱりでえくれあ - 2004年01月02日(金)

だーいすきだったアビニヨンのグランドホテルともお別れ
朝食は時間予約制だったからちょっと忙しなかったが
スペースが小さかったので致し方ないかと
きっと季節の良い時期だったら中庭のテラス席
が使えるんだろうけどな<次回は季節の良い時期に!

さてパリへはフランス国鉄が売り出し中のTGVで(^^)
実はTGVに乗るのは初めてじゃあなくって2回目
前回は乗るだけで夢中だったので今回は駅なども探索予定
ああ鉄の血が騒ぐなあ〜〜〜(爆爆)

駅は新設されたばかりということで
とってもモダンで機能的しかも華奢で綺麗なイメージ
朝早い(といっても8時過ぎ)せいかキオスクはやってても
カフェなどは閉まっててざーんねん
クリスマス飾もまだそこかしこに残っていて休暇の香りが
駅の裏側まで足を伸ばしてみたら
清涼飲料水の自動販売機やら切符の自動販売機やら

駅の2階がホームになっていてエスカレーターで登る
(階段で無くって良かった。。。としみじみ)
外はまたしても突風・強風で吹き飛ばされちゃうよ〜
向こうから電車来るんだってといって皆で待つ
カメラをかかえたヒトの群れを見てそこに混じりながら
ああ鉄な方々って(^^ゞ
写真撮れましたよん♪ちょっと逆光でしたが

TGVの車内はひとり座席なのでのんびりゆっくり
車窓は田園地帯から次第に都会へと変わっていく
途中車掌さんが来て切符を拝見していった
なんかいいな。こーいうゆったりとした時間が
詰め込みすぎ忙しすぎの南仏だったかもしれないから

約2時間強でパリ東駅に到着
と 都会だっっっ で 駅が重厚でかっこいい〜
2階のレストランは☆付きらしい
次回は此処で食べたいな

またしてもバスを乗り継ぎ一路ホテルに向かう
今回のホテルはシャンゼリゼ裏通りにあるル・ワーリック
凱旋門まで500mルーブルまで3キロの処に位置する
だから今回はずっと徒歩で過ごすつもりだ
地下鉄には乗らずに最後まで歩き通すぞっっっ

ホテルに早めにチェック・イン
夕食は☆付レストランを予約しているので
その時間を確認後ホテルを出発!
ひとり歩き開始(^^)幸い好天気に恵まれてるし(^^)(^^)

ホテルを出て右手に少し歩くともうシャンゼリゼ通り
右を向くと凱旋門が左を向くとルーブルが見える
きれーな1本道なんだなあ

とりあえず凱旋門に向かって歩き始める
道にはいっぱいのヒトヒトヒト。。。正月休暇なんだね
そんで目の前にはルイ・ヴィトンの大看板がっ

途中プジョーが新車発表会をしていた
車にはそれ程興味が無いけれど
あまりの人だかりに興味をそそられてのぞき込んだ
わ〜黄緑の車だ〜かわい〜い(はーと)
こっちは原チャリらしいけど妙に恰好良いぞ
おおっ此のオープン・カーなら乗ってみた〜い♪
などと歓声をあげてしまふ(^^ゞ
プジョーも良いですねえ(←単純!単細胞!)

更に歩くと凱旋門へ向かう地下道の入り口がみえる
地下道は暗いけどポリスがうようよいるせいかジプちゃん無
ちょっと歩いていくと前方に光が日光が
そこがチケット売り場でした でその場からてっぺんまで
ずうっっっと階段でした(^^;;;;;なんと284段!!!
しかもらせん階段なので目が回る目が回るで
登りきったら息が切れるのみならず
すっかり酔ってしまいました
でもそこからはパリの市街が一望出来て
四方八方にまっすぐにのびる道路の美しさに
計算された街造りについて思いを馳せたのでありました

当然帰りも徒歩で階段をグールグル廻りながら降り
見上げれば軍人マルスのレリーフなどなど大迫力
で眼前に迫ってきて。。。来てよかった

シャンゼリゼの反対側に上がって今度はセーヌ河へ
途中アンリ・パルシャンテリエ本店で旅バッグを購入
綺麗な花屋さんのウインドウデイスプレイに感激し
更にフォーシーズンズ・ホテルの正門に敬礼(笑)
エデイアールに寄ってモカ・エクレアをひとつ購入
ぱくつきながら歩くあるく気分だけはパリジェンヌ(笑)

セーヌ河からエッフェル塔が遠くに見えます
少し黄昏てきていてライトアップされはじめています
河畔にはバトー・ムッシュ乗り場が
今度は此れにも乗りたいな<天気良かったらだけど

黄昏に背中を押されるようにしてホテルへ向かう
途中街中の名もないようなスーパーに寄る
ミネラルウオーターを買って野菜売り場をのぞいて
あるくあるくパリの街を町を楽しんで歩く

ホテルで小休止の後は
ドレスアップして☆付レストランでデイナー
マドレーヌ寺院近くのグルマールという1☆の店
魚料理がメインでワインは白のシャブリ
ま 美味しかった です。。。もっと期待しちゃったよん

深夜のパリを楽しむ方々もいるようだけど
わたくしは明日の完全フリータイムに備えて
今日も此処で退散
ゆっくり休んで英気を養わなければ

旅も明日で終わりなんだなあ。。。。。
まーだ風邪治ってないのにいいいいい(爆爆)













...

きょうもやまのぼり - 2004年01月01日(木)

新年元旦の日記なのでやはり
あけましておめでとうございます! だろうか?
とは云ってもいつも読んで戴いている方々はご承知
でしょうが此の日の日記は年末年始中の旅行記
なので遡って書いているのでチトこそばゆいご挨拶(^^ゞ

  ###さて旅日記のつづき#####

今朝は朝が遅い昨夜のニューイヤーイブの名残かな?

例によってシリアル・ヨーグルト(此の銘柄は日本に無い)
焼き立てのクロワッサンを濃いめのミルクテイで
今朝はめずらしくズッキーニやトマトなどの生野菜もあった
ばくばく食べる風邪はだいぶ楽になってきて咳き込まない

今日の予定はメインがアルルの女の舞台のアルルとゴッホ
一日中バス移動と下車の繰り返しだろうな
きっと登山(笑)はないはずだ(うしし)

まず古代ローマの水道橋であるポン・デユ・ガールへ
最寄り駅からとんでもなく遠くてバス便もまばらなのに
橋の手前には大きな観光センターが!?
きっと世界遺産に登録されたから観光化がぐぐっと進み。。。

観光センターを横目に見ながらゆるやかな下り坂を(^^)
を歩くと目の前に見上げるばかりの大きな大きな水道橋が
京都の明治時代建築の水道橋とは比べ物にならないくらい
おおきい<実は似たり寄ったりだと思ってた(^^;

橋の上にも登れるし橋のたもとまでも降りれますよ
と云われたわたくしは迷わず(爆)降りるほうを選び
川面はゴウゴウと音をたてて流れる激流!?
その中にしっかりと根を下ろした水道橋が
二千年以上の時を越えてそびえ立っています

世界遺産に登録される前には此の橋げたが半分切り取られて
誰かの屋敷に使われたり
自動車が通れるように舗装した道路が作られたりしたらしい
そーいうことを考えると
身を半分削り取られても立っている立ち続けている
のって素晴らしいよね

で帰りは当たり前なんだけど登山(だって降りたんですから)
しかもバスまでもがゆるやかな上り坂(しくしく)

次に向かったのはアルルの女の舞台であるアルルへ
アルルは別名ゴッホの街でもある
ゴッホの住んでいた家や行き慣れた喫茶店
ゴッホの入院していた病院なども現存しているという

街のはずれにある「跳ね橋」に寄って写真をパチリ
記憶の中の絵とピタリと重なる

いよいよ街中へ中世からあまり変わっていないと思われる
街並みを石畳の街並みを歩くあるく歩く
こーいうのがすっごく好き。
頬にあたる冷たい澄んだ空気がとてもとても気持ちいい

まずは元病院だった中庭に
絵と同じ角度から庭を眺めると。。。おんなじだ〜
次に街中の広場へ此処に面してある喫茶店がゴッホの店!?
黄色い壁にCAFE VAN GOGH って書いてありますが(笑)
記憶の底の絵に従い同じ角度から眺めてみる
今は昼間だけど絵では夜だから と

更に歩いて歩いて国旗はためく(なにしろ旗日だ)市庁舎
古くからあるという教会(礼拝中で入れず残念)
現在も野外劇場として活躍中という古代劇場跡(なのか?)
現在は闘牛が見られるという古代闘技場跡(かなあ?)
なんか歴史がそのまま生活の一部になっているようで
素敵だなロクタシオンの本店も此の街にあるはずなんだけど

昼食はガイドブックにも載っている店で子牛のワイン煮込み
日本から誰かが持ち込んだ日本酒も振る舞われた
お正月だもんね

またしてもバスで風車を見に行く
此れは土地の民話だか童話だかの舞台なんだそうな
ただし此れがまたしても洒落にならない程の山のてっぺん
例によってバスは入れず登れずふもとから歩く登る(辛)
確かに絶景なんですが でも足下は
ごろんごろんの大きな小さな石・いし・石だらけの山道
何度も足を取られそうになってこけかけた(汗)
原作の舞台を見たので邦訳のその童話を読みたくなった
帰国したら探してみよう<A・DODEって知ってる?

時間が有るので土地の礼拝の地レ・ボーに寄っていくことに
礼拝の地。。。やはり山のてっぺんに齧り付いたような街
まーた懲りずに山登り(泣笑)
しかも礼拝堂はてっぺん中のてっぺんだし
正月のためヒトヒトヒトの土地の方々だらけでぎっしり
石畳・生活の匂い・屋台の塩味の効いたクレープ
暖かな街でした

疲れ切ってホテルに帰宅(笑)
夕食はフリーなので自室でおにぎりとみそ汁とほうじ茶を
ああ日本人だなあ

明日はいよいよ南仏を離れてパリに向かいます
ゆっくり休養を取っておかねばっ
なにしろパリは一日半も全くのフリーだし







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