観能雑感
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2003年02月09日(日) 宝生会月並能

宝生会月並能 宝生能楽堂 PM1:00〜

相変わらず不調。前日良く眠れず痛みもある。食欲も全くない。他にもいろいろ不具合が。後で解ったのだが処方された薬のひとつによる副作用によるものだったらしい。この薬に関しては副作用のみしか実感できなかった。余計具合が悪くなっただけ。服用を中止したら嘘のように楽になった。もともとボブ・サップ−130kgの私の体重がさらに2kg減。サップが1ポンド痩せるのと私が2kg痩せるのとでは事の重大性が異なる。因みに私はアーネスト・ホーストの方が遥かに好きである。均整の取れた美しい肉体。キックとパンチの絶妙なコンビネーションで相手を倒す。格闘技の美学を感じさせてくれる。
話が逸れたが気分の悪さのせいで出かける事を断念しかけるが、「あの方」が久々にシテを勤められるのだ。チケットを購入する前に番組に変更はないかと確認したくらいなのだ。行くしかあるまい。開場が自宅から一番近い能楽堂であり、全席指定なので大いに助かる。
開場に到着すると入り口の花に目が留る。和英師の初面のお祝いなのだろう。
所謂能評家と言われる方々を数名見かけるが、村上湛氏が正面席最前列のほぼ中央に座っているのを発見。氏は他の会でもこの位置に座っているのを見た事があるのだが、最前列が好きなのだろうか。彼の批評は賛否両論あると思うが個人的に興味深く読んでいるので、どのように評価するのか楽しみである。
尚、観た後時間を置かず書く事を旨としているが、体調不良により日数が開いてしまっている。最近こういう状況ばかりであるが、甘受するしかあるまい。記述に曖昧な点があるが諦めるしかない。

能 「金札」
シテ 近藤 乾之助
ワキ 則久 英志
ワキツレ 舘田 善博 他一名 名前不明 ツレは番組に記載なし
アイ 高澤 祐介
笛 一噌 庸二(噌) 小鼓 住駒 匡彦(幸) 大鼓 柿原 光博(高) 太鼓 松本 章(金)

本曲は観世流では半能になっている。ついでがあったので観世流袖本を購入したのだが、詞章まで半能になっているとは予想しておらず、某サイトで全詞章をダウンロード。バカである。
地頭は佐野萌師。乾之助師とは互いに「ケンちゃん、ハジメちゃん」と呼び合う仲らしい。どちらかがシテを務めるときは片方が地頭という機会が多い気がする。
後見によって一畳大と宮の作り物が運び入れられる。「羅生門」の時と同様。因みに振ってくる金札も羅生門で用いられる札と同じ将棋の駒の形をしている。
ワキは則久師。ついにツレではなくワキが付いたのかと感心。いわゆる家の子ではないので師匠がいかに面倒を見るかでその人の能楽師人生が決るらしいのだが、宝生閑師はこういう点においても目配りが行き届いている。さすがである。下居姿に締りがあって良い。美しく座れるかどうかはワキ方において重要である。
シテは風折烏帽子に濃香(こげ茶)の狩衣、白大口に直面。敢えて直面にしたのは昨年春の別会での不調以来、能のシテから遠ざかっている事を考慮してか。思えば昨年何度かシテを観る機会があったのだが全て代演。舞囃子を一度観たのみである。こうしてシテを勤められる姿を観る事が出来て喜ばしい。御髪がきれいに白いので、いかにも気品ある尉姿である。良い状態の時を知らないので何とも言えないが、声に張りが感じられない。力感には欠けるが小走りで橋掛りまで行く際、上体が微動だにしないのはさすが。
シテが作り物の中に入ってから、末社の神が登場。前シテと同様濃香でまとめた装束で統一感があり良い。声は悪くないと思うのだが、小舞は不思議と魅力がない。単なる時間稼ぎになってしまっている。
後シテはあの狭い作り物の中でよくぞと思うくらいの大変身を遂げていた。厚板法被肩上げに半切、黒垂に輪冠金札立。華やかである。ここでもやはり直面。後見が作り物の布を引く動作が無駄なく見事。眼目の矢を射る場面だが、矢を番える際手元が震えてやや不安定。いくら直面でも露骨に弓矢を見る事は出来ないので仕方がないと思われる。矢は至近距離に落ちた。敢えて飛ばさなかったように見えたのだが、どうなのだろう。すかさず後見が片付ける。舞働も滞りなく済んで弓を外し、目付柱に置いて扇に持ち替え終曲。神の威厳は感じられたものの、何とか無事に一曲終わらせた態か。本調子とは程遠いと思われる。もう少し早い時期に観たかったなぁというのが本音。

狂言 文相撲(和泉流)
シテ 三宅 右近
アド 前田 晃一、高澤 祐介

家来が一人しかいない大名が相撲に負けて逆切れする話。自分の経済力を省みず家来を沢山抱えようとする大名を太郎冠者が諌める様が面白い。結局一人だけ増やす事になり、行き合った板東方の男を連れてくる。太郎冠者の前田師の肩衣は鮒か鯉の柄なのだが、板東者の高澤師の肩衣、蛍か何かなのだろうが、ゴキブリに見えてしょうがない。複雑。彼は相撲が得意との事で大名と闘って勝利。負けて悔しい大名は秘伝書を紐解き一度は勝利するが、三度目の闘いで再び敗北。伝書など何の役にも立たないと太郎冠者に八つ当りして投げ飛ばす。相撲で負けて口でも負けて、大名は散々であるが、とばっちりを受けた太郎冠者こそ哀れである。長めの割に演じ映えのしない曲だと思った。面白くなくはないのだが。

能 「胡蝶」
シテ 宝生 和英
ワキ 森 常好
アイ 三宅 右矩
笛 寺井 宏明(森) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 観世 元伯(観)

現宗家の長男の和英師、初シテは昨年勤めているはずなので、今回が初面という事であろう。見所も彼の関係者と思われる人々で埋まる。しかしお調べが鳴っている時に名刺を配り出すのはどうかと思うのだが。
昨年無残な形で母を亡くし、父の行状も改まった様子が見られず、一人の少年として彼の置かれた立場は過酷であるが、舞台に立てばただの役者である。3年前に父と「石橋」を勤めていたのを映像で見た事があるが、子供という事を考慮してもあまり頂けなかった。その後の舞台評も厳しいもので、今回どのような姿を見せてくれるのか注目。ところで稽古は誰に付けてもらっているのだろう。
観世流の袖本を参考にと持参したのだが、こちらではワキの僧にツレもいるのに対し、前列に座っている方の謡本を垣間見たところ、宝生流では僧は一人だけらしい。こちらのほうが曲趣に合っているように思われる。
正先に梅の作り物が置かれる。紅梅と白梅が混じっていた。
笠を被った僧が登場。相変わらず美声の森師である。シテは幕内からの呼びかけ。声量はある。姿を現した和英師、最近の子にしてはかなり小柄。しかしこの先どうなるかはまだ解らない。足が小さめなので、鬘物を演じるには良いと思う。ハコビはおそるおそるというところか。かなりふっくらした若々しい小面を付けている。とりあえず決められた事をやっているという感じ。曲趣云々以前の模様。謡事体は思ったより悪くはない。ただ下居姿のだらしなさはどうであろう。下居は誰でも辛いものだろうが、若いのだからもっと締りがあって良いはずである。面もクモリ勝ちで見るも無残。
間語り、右矩師は右近師の息子さんであるが、まだ十代とは思えない程実に堂々とした語り。確か最近協会員になられたのではないか。先代宗家による嫌がらせとしか思えない状況に置かれながらも腐らず、時間をかけて、弟子を、息子を育ててこられたのだなぁと思う。
後シテ、胡蝶の天冠を付け、長絹大口姿で登場。鬘物の中でもっとも軽い本曲、舞うのは太鼓入り中ノ舞。念願かなって梅花に戯れつつ成仏するという幻想的な流れとなるのだが、何故か足拍子が鬘物とは思えない程無駄に力強い。これでは可憐な胡蝶ではなくモスラ来襲である。いかにも心配気な表情の地謡座の面々。ある意味シテ本人より緊張しているのかもしれない。地頭は三川泉師。
笛は寺井久八郎氏のご長男であるが、父よりは遥かに良い。元伯師の太鼓、今更ながら粒がそろっていて見事。基本的な技術なのだろうが、左右同じように打つのはやってみるとなかなか難しい。(私はスネアドラムの経験しかないが)。
特に大きな破れはなく終曲。まずはめでたいが、ここからいかに精進するかが肝要。後見座にいるはずの父の姿は見えず。英照師、中途半端な事はせず治療に専念されたほうがよいのではないか。しかし初面を父に見てもらえないのは何とも哀れである。

能 「藤戸」
シテ 寺井 良雄
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 殿田 謙吉、舘田 善博 番組に記載なし
アイ 三宅 右近
笛 寺井 義明(森) 小鼓 宮増 新一郎(観) 大鼓 亀井 忠雄(葛)

危惧していた通り、体力的に消耗しきっていたのでこの曲では途中ウトウト。地頭は今井泰男師。繊細な宝生流ならではの地に眠気を誘われてしまったが、非常に心地良かった。曲の内容は陰惨なのだが。
シテの寺井師は寺井久八郎師の弟さんらしい。笛は久八郎師の次男。兄の演奏の方が個人的には好きである。
前シテは息子を殺された母であり、意気揚揚と恩賞として与えられた領地にやってきたワキの佐々木盛綱を責める。「ああ音高し、何と何と」の部分は閑師ならではの演劇的要素が盛り込まれ、ワキの動揺が手に取るように伝わる。本曲、観世流で映像では見た事があるのだが、その時には見られなかった(と思う)母が床几に腰掛けたワキのすぐ近くまで立って詰めより、ワキが扇で遮るという、大きな動きがあった。息子と同じように自分も殺せという、庶民である母の出来得る限りの哀しい抵抗である。弔いの管弦講を催すからとなだめ、下人に母を送り届けるように命じる。下人はアイが勤め、狂言送り込みという本曲の眼目となるのだが、流儀、また家によってコトバがかなり異なる模様。庶民として母の気持ちも、また武人に使える身として戦の非常さもわきまえているという、両者の接点となる難しい役柄。右近師の語り、どちらかというと主人よりに感じられた。
後シテの面は二十余という本曲の専用面。漁師が二十余りで殺されたと詞章に出てくるところから来ているらしいとパンフレットの解説にあった。青白く、刺された上に海に投げ捨てられたという悲惨さを物語るような不気味さを湛えている。
地謡、特に大きく抑揚を付ける事もなく、淡々と殺された若い漁師の様を謡うのだが、それが逆に劇的効果を産むのであろう。浮かれ気分で領地入りした盛綱、明るい春の風情から一変して過去の罪業を見せつけられる、その想いとはどんなものなのだろうか。これこそ武門の習い、じっと受けとめるしかないのであろう。殺された漁師も称えられると思えこそすれ殺されるとは予想外だとワキを責めるが、弔いにより成仏する。こんなにあっさり成仏していいのか?と疑問を持つのも当然だが、ここは恨んでも詮方なき事、妙な言い方だが成仏した者勝ちである。一見勝者である盛綱こそ、修羅の道を歩んで行かねばならないのだから。
あくまでも私の印象であるが、この曲の地謡が一番好みだった。半覚醒状態になってしまったのも、きっとその為だ…という事にしておこう。しかし今井泰男師、お元気である。今の私の方が遥かにヘロヘロであろう。何だか申し訳ない。

帰り際、一人笑顔で観客を見送る和英師を見る。師の境遇を思うと、その笑顔が何だが痛々しかった。能楽師として、一人の少年として、彼の今後に幸多からん事を祈るのみである。

それにしても、私も今後どうなるのだろう。あの具合の悪さが薬の副作用だと思うと空しいというか、脱力する。それさえなければこの前の観世会も、今回の宝生会も、もう少しマシな状態で観る事が出来たのに…。能的に表現するなら「これも前世の定め」なのか…。

♪なにか〜ら〜なにま〜で〜まっく〜ら〜やみよ〜♪(若者はこの曲、知らないんだろうなぁ。そう言えば私もタイトルは知らない)。


2003年02月02日(日) 観世会定期能

観世会定期能 観世能楽堂 AM11:00〜

最悪である。私の体調がである。かねてから持病に悩まされていたが、試みに訪れた病院の対応があまりに酷く、藁をも掴むような思いでネット検索して予約した病院の医師が、日本ではまだ数少ない専門医。専門医が一人もいない都道府県もあるとのこと。患者数は数十万とも言われる。またアメリカの統計によると深刻な症状の場合、QOLは透析を受けねばならない患者さん達よりも劣るという。私の場合とにかく痛みが酷い。前日も明け方痛みで目が覚めてから眠れなかった。ただでさえ私は朝が弱い。しかし飲まねばならない薬は眠気を誘う。開始時間が早い観世会定期能。開場は10:00〜。年間予約席を購入しないと指定席に座れないという観世会のシステム。不安を抱えながらも出かける。なんたって「あの方」がご出勤なのだ。すごく楽しみにしていたのだ。が…。予想どおりこちらの体調不備で楽しめなかった。記憶も記述も断片的。無念。
とても声の大きなCaucasian男性がいて、当日入手した「須磨源氏」の謡本を読もうとするのだが集中できない。アクセントからして英語が第一言語ではないようだが、舞台で狂言方が勤まりそうなほどの大音声。こちらとしては別にあなたがどこに行こうが何に興味を持とうがどうでもいいのだが、聞こえて来るものは仕方がない。ああ。
中正面に席を取り、不安に包まれながらもとにかくスタート。

能 「花月」
シテ 津田 和忠
ワキ 殿田 謙吉
アイ 山本 則孝
笛 内潟 慶三(森) 小鼓 宮増 純三(観) 大鼓 高野 彰(高)

囃子方の後見に流儀の異なる亀井広忠師が出てきてちょっと驚く。何故かは解らないが笑いを必死にこらえているように見えたのは気のせいだろう、きっと。
さて、本曲、離散した父子の感動の再会というよりは、春の清水寺における美少年の芸づくしに主眼が置かれているのだが、何というか、シテが美少年に見えないのだ。かっしき(漢字変換不可)の面をかけているのに何故?後を向くとかっしき鬘は不思議と艶めかしいなぁと思うのだが。全体的に動きが硬く、面使いが悪いのか、鶯を狙う場面でも1メートル以内で目の高さの位置に鶯がいるようにしか見えない。弓矢を使う日必然性なし。鞨鼓の舞もやはり華やぎがない。中年男性にが無理やり少年の格好をしているようにしか見えないのだ。能とは微妙な芸能なのだなぁと改めて思う。アイの則孝師が若いのでいっそ替わればいいのになどと不埒な事を考えてしまった。
装束は淡赤の厚板に濃青の水衣。淡朽葉の大口(やや記憶が曖昧)。あまり趣味がいいとは思えなかった。要するにグリーンにオレンジに黄色である。
最近宮増純三師の演奏が好きになってきた。ついに来る所まできてしまったのか、自分。

狂言 「佐渡狐」
シテ 山本 東次郎
アド 山本 則重、山本 則俊

和泉流では佐渡のお百姓がシテだったように思うのだが、大蔵流では奏者がシテなのだろうか。佐渡のお百姓は則俊師。
則重師、若いが安定した発声と見所に媚びない態度に好感が持てる。もっとも山本家に限ってそんな事はありえないが。髪を切って随分すっきりした印象。順調に成長している若手を見るのは気分がいい。
奏者に賄賂を渡すとろこは両者の微妙な心理がくっきりと描写されて「狂言は微妙な心理劇」という東次郎師の主張に大いに頷ける。人物に奥行きがある。つい惹き込まれてしまうのだ。
結局奏者の助けがあった時はなんとか乗り切ったものの、二人きりになり狐の鳴き声を尋ねられて嘘がばれてしまう。話としてはそれ程盛りあがらないと思うのだが、山本家の狂言はやはり面白いと思った。
斜め前に座っているかなり大柄な男性が身を乗り出すので視界がかなり遮られた。こういう事をする人の特徴として長時間(たとえば一曲通して)は続けない事である。本人も疲れるからだろう。背もたれに背を付けて観るのはマナーだ。乗り出すのはマナー違反である。

能 「隅田川」
シテ 片山 九郎右衛門
子方 観世 喜顕
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 工藤 和哉(番組に記載なし)
笛 一噌 幸政(噌) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)

正に本日の主眼。シテもワキも囃子方も豪華。地謡も地頭に野村四郎師、他に坂井音重師等、強力メンバーである。
しかし、こちらの体調がとにかく悪い。痛みも強くなってくるわ、薬の為かぼーっとするわ、観能には甚だ不都合な状況。案の定悲惨な事になってしまった。
シテの出、何か強い意思に突き動かされて歩を進めざるをえないような、そんな緊迫感を漂わせる。それでいてどこか虚ろ。カケリで舞台を一周。私はカケリの一瞬エアポケットに落ちるような、そんな瞬間が非常に好きである。淡萌黄の鬘帯が美しい。
そして恐れていた事態。舟に乗ってから話の展開の上で最重要部である船頭の語りの記憶がないのだ。悔やんでも悔やみきれないが仕方がない。塚の前に連れて行かれて「掘り返してくれ」と訴える場面の動きはかなり抑制されたもの。念仏に合わせて塚の中から子供の声が聞こえる。子方を使う演出で観るのは今回初めてなのだが、ずっと作り物の中に入っているわけではなく、途中から入るのだと知った。最初から入っている場合もあるようだが、そちらのほうが舞台効果の点から考えると良いように思うのだが。広げた母の手をすり抜けて再び塚の中に入り、再度の念仏にもう一度姿を現すが、やはり母と触れ合う事無く塚の中へ消えていく。この時シテは地謡座の方を向き、シテ柱と目付柱の中間あたりに座りこんでしまうのだが、そこには哀しみとか絶望とかいうありきたりの感情を超越してしまった、重たい虚無感が漂っていた。感情が動くくらいならまだ救いはある。本当に強い精神的衝撃を受けると、心の行き場はどこにもなくなる。九郎右衛門師は、そんな人間の心理の有り様を見事に具現化していたように感じられた。きっとこの母親にはこの後何を尋ねても返答はなく、表情もなくなってしまっているのだろう。橋掛りを行く重い、虚ろな足取りにそんな事を思った。脇正面から一瞬拍手が出かかったが、他に便乗する人が出ず、囃子方の退場まで拍手が出なかった。
子方を出すか否かは創作当時からの論点であるが、個人的には出さないほうが良いように思う。姿を見せず声だけ聴かせる演出もあるそうだが、あえて子方を使うならばそちらの方が良さそうだ。何と言うか、子方の登場で一気に物語の世界から現実世界に引き戻されてしまうように感じたのだ。
それにしてももっと良い体調の時に観たかった。勿体無かった。残念至極。

仕舞
「難波」 浅見 重好
「放下僧」小歌 武田 宗和
「釆女」キリ 坂井 音重
「歌占」キリ 観世 清和

詳細は省略。正直あまりに気分が悪いため帰ろうかとも思ったのだが動く気力もなく、最後の能まで観ることにした。「放下僧」の小歌が宝生流に比べて意外に重いのに驚いた。

能 「須磨源氏」
シテ 高橋 弘
ワキ 村瀬 純
ワキツレ (村瀬 提(?) 他 1名 番組に記載なし)
アイ 山本 泰太郎
笛 寺井 久八郎(森) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 金春 國和(金)

というわけで、もうほとんど気力なし。休憩時間化してしまった。遠い曲の部類に入ると思うので楽しみだったのだが、残念。ああ、今回この言葉を連発している。
前シテの老人が現れたのは記憶にあるのだが、ふと気付くとますますスッキリ痩せた泰太郎師が間語りをしていた。あまり無理なダイエットは良くないのでは…とちょっと心配になったりする。ま、大きなお世話であろう。
後シテは光源氏その人。「青鈍の狩衣」と詞章にあるが、そのままの姿。面は今若か。初冠に黒垂がいかにも貴公子の風情。しかし「源氏供養」では作者の紫式部が成仏できずにさまよっているのに対し、こちらの光源氏は天上界の住人である。ああ、なんたる不公平。シテがどのような方なのか(それなりの経験と年齢に達してらっしゃるというのは解る)よく存じ上げないのだが、小気味の良い早舞だった。そしてあっさり消えて行く源氏。物語世界の住人が天上界にいるという設定、源氏物語の影響がいかに大きかったかの証なのだろう。

それにしても今回は観ているのが辛かった。機能障害で器質的疾患ではないが症状があるのは確かで非常に辛い事は事実なのだ。完全に回復するのは不可能なので、少しでも良い方向に向かえば良いのだが。せっかくの良い舞台も楽しめないのはかなり辛い。ますます落ち込む。そして社会復帰は何時?
この文章も数日後、頭痛と寒気と共に書いている。ただの風邪ならいいのだが。関節も痛むしなぁ…。不安。とにかく今の内に書いておかないとますます記憶が曖昧になりそうで辛うじて記す。

「ああ、人生に涙あり」(水戸光門のOPテーマタイトル)。


こぎつね丸