観能雑感
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2002年02月27日(水) 銕仙会青山能 

銕仙会青山能 銕仙会能楽研修所 PM2:00〜

仕舞 歌占 (キリ)
西村高夫
 
11月以来の青山能。まるで何度も出かけているようだが今回で2回目。他の会でこの舞台に足を運んでいるので、親しみを感じているのだろう。
地獄廻りの恐ろしさを見せた後、偶然めぐり合った我が子と故郷へ帰っていくシテ。死して三日後に蘇生するという稀有な体験のせいか、若いのにもかかわらず白髪という異形。能の形で観て見たい。


狂言「岡太夫」
シテ 野村萬斎 アド 石田幸雄 小アド 2名

最近不調と(某掲示板で言われている)萬斎氏である。痩せた。映画「陰明師」のころに比べて頬が明らかにこけている。体調は良くないのであろう。声も疲れているという印象。さして広くない能楽堂だが、いっぱいに響き渡るという力強さは感じられない。「オレを見ろ!」オーラも影を潜めていた。可もなく不可もない。
しかし、見所は無暗に笑いが響く。何をしてもおかしいのだろうか。萬斎氏出勤のため、若い女性の観客が多かったが、彼目当ては若い女性だけではないのだ。60歳以上も彼を見ることが目的なのである。人気は相変わらずだ。
ストーリは、物覚えの悪い聟が逆切れし、妻を切ろうとするが、結局なし崩し的に関係修復がなされる話。夫婦のちょっと不可解だが良くある話を描いているのだろうか。それにしても自分の物覚えの悪さを妻に転嫁する聟は、あまり知り合いになりたくない人物である。石田氏、好演。太郎冠者に酒を注げと命ずる聟は限りなく偉そうで、こういうところは萬斎氏、良さを発揮する。
悪くはないが良くもない。わざわざ観ようとは思わない。彼はこれからどうするのだろう。じっくり狂言に向かい合う必要があるのではないだろうか。このままで良いとは思えない。


「千手」
シテ 浅見 真州
ツレ 若松 健士
ワキ 森  常好
笛 松田 弘之 小鼓 吉坂 一郎 大鼓 亀井 広忠
 
今日こそは正面席で観ようと開演40分前に到着。本当はあと10分くらい早く来るつもりだったが、ま、こんなものであろう。道に並ぶことなく素直に入場。中正面にあたる席に座る。数名が「柱が邪魔になる」と場所を変えたが、舞台全体が見渡せて、良い席だと思う。しかし…。今日もやはりイタイ観客の近くに座ってしまった。前の中年女性。足を伸ばして座っている。こちらの足を置く場所がなくなり、無理に縮めて結局こちらのお尻が痛くなってしまう。ああ、12月も似たようなことが…。彼女はなんと途中退場。狂言だけで帰った中年夫婦も目の前にいた。私のとやかく言う事ではないが。ただ、桟敷なので前に座る人の姿勢がこちらに直接影響を与える。辛い。せっかくの舞台に全く集中できない。彼女が退席した後は身を入れて観賞できた。
松田氏を正面から見るのは、舞台では初めてかもしれない。映像でならあるのだが。本来は9日の九皐会例会でそうなるはずだったのだが、ダブルブッキングによりならず。しかし、相変わらず良い笛の音である。
小鼓、どうも音に芯がないとういうか、緊張感がない。大鼓、音より掛け声に特徴あり。大小は不発だった。
地謡は6人だったが、11月の時よりも良かったような気がする。若手中心で健闘していたように思う。しかしやや平坦か。
ツレ、貴公子の華やぎが感じられない。シテ並に重い扱いだそうだが、じっと床几に腰掛けている時間が長い。扱いは重いが勤めるのは困難で忍従が強いられるのかもしれない。
シテ、橋掛りで重衡のもとへ訪れる際の心情を述べる場面が登場から暫く続く。捕われの身の貴公子に対するあ憐憫と憧憬が感じられる…と思うのだがとにかくオシリが強烈に痛くて集中できなかった。哀しい。まだこの部分は良かったほうである。一度は対面を拒否されるが、ワキのとりなしで通される千手。観音扉を開けて入ってくるところで、閉ざされた空間と外界が繋がる。この瞬間から、千手は彼に恋をしたのかもしれない。それには「才知にも歌舞にも長けた都の貴公子」という事前の情報が大いに関与していたと思われるが、そんな都合の良さも物語なのだから良いのである。物語のなかでしか、こういうことは起こり得ないのだから、これでいいのだ。
出家の願いが聞き届けられず、悲嘆に暮れる重衡を道真の歌を引いてなぐさめ、重衡もやや気をとりなおす。ワキを交えた静かな酒宴が始まる。
再三述べたとおり、舞台に集中できなかったので、詳しい事が書けないのだが、苦しい姿勢から開放された後の序ノ舞は、じっくり観賞できたと思う。千手は何を考えながら舞ったのだろう。一夜限りの客を相手に舞いを見せる白拍子以上の想いが、そこにはあったと思う。平家物語では千手は後に出家してしまう。そんな印象的な、一度だけ、でも忘れられない唯一無二の出逢いだったのだろうか。
面は小面、銘は「早蕨」というそうである。あまり頬がふっくらしていなくて、かなり大人びて見え、千手に相応しいと思った。老成した女性では勿論ないし、かと言って無垢な少女でもない。「若い女性」と簡単に括られてしまう属性を見事に表現していた。少し哀しげだけれど、芯に強さを秘めた、そんな表情。
酒宴も果て、重衡は都に呼び戻される。二度と会う事のない二人が一度だけすれ違う。ただ運命を受け入れるしかない千手は涙を流し、ただただ去って行く人を見送り続ける。一瞬だからこその濃密な恋心の発露なのだろうか。それが、後の出家に繋がるのだろう。彼女自身、己の行く末を考えていて、そんな時に起こった出来事なのかもしれないけれど。
橋掛りを戻って行くところで救急車のサイレンが聞こえたが、気にならないくらい舞台には哀しみが溢れていたと思う。いや、勿論聞こえない方がいいのだが。浅見氏の舞台、また観たいと思う。

演能終了ご、能楽小講座。装束の中の花について。解説は清水寛二氏。実際に平面な着物を立体的に着つける様子を見るのは面白かった。男性の装束には花そのものではなく、文様として表現するのだそう。なるほど。清水氏によると「やはり花は女性のもの」なのだそう。笠井氏の説明の中で、白川静氏の名前がでてきてビックリ。意外なところで出会ってしまった。「衣」という字は魂が抜けてしまわないように、しっかりと着物を首に巻きつけるという意味があるのだそう。なるほど。着物を巻くというのは、己の情念を内に込めるというような意味があるようだ。
「春なのになんで秋の花の着物なのか?季節は関係ないのか?」という質問に、「ありません」と明瞭に言い切った清水氏。なんだか受けた。
帰り際、道に出たところで広忠氏らしき人物とすれ違う。かなり周囲に人がいたが、気付かなかったのだろうか?グレーのタートルネックのカットソーだけという軽装。だれかを待っていたのだろうか、行った道を戻ってきていた。寒くないのか?今日は出待ちはいなかったのだろうか。着物は恰幅がいいほうが似合うが、洋服では大分つらい体型だなぁ。舞台意外ではただの人という感じだ。あたりまえか。
かなり有意義だったと思う。ああ、お尻さえ痛くなければ…。


2002年02月09日(土) 観世九皐会二月例会

観世九皐会二月例会 矢来能楽堂 PM1:00〜

九皐会例会初観賞。30分ほど前に到着したが、8割方座席はうまっていた。あと10分ほど早く着くはずだったのだが、予想どおり駅を出てから曲がる方向を間違える。ま、こんなものだろう。正面席の通路をはさんだワキ柱の丁度正面にあたる席の最後列に座る。やはり例会らしく、高齢のご婦人が目立つ。1時間くらい前から開場しているのだろうか?全席自由だからか?

素謡 弓八幡
シテ 中森貫太 ツレ 鈴木啓吾 ワキ遠藤喜久

素謡を聴くのは初めて。素人会では良く出るのだろうが。脇能なので位取りが難しいのではないかと思ったが、颯爽とした雰囲気で、なかなか良かった。地謡、4人とは思えない程の大迫力。シテとツレが不揃いに思えるところがあったが、やはり間違えがあったらしい(シテのHPにて明らかとなる)。あまり出ない曲なので、若干急いでいたか?面を懸けていなかったせいか、謡明瞭。

能 弱法師
シテ 中所宣夫 ワキ 和泉昭太郎 間大藏吉次郎
笛 松田弘之(代演一噌隆之) 小鼓 幸 正昭 大鼓 安福健雄

素謡終了後、本来ないはずの休憩が10分取られ、笛の代演がアナウンスされる。思わず「残念」と呟いてしまった。本日一番楽しみにしていたのが松田氏の笛だったので。
囃子方登場。しかし笛方がいるべきところに別人が(後に後見だったと気付く)。「一噌隆之師って、こんな顔だったっけ?」とまず思った自分が大分情けない。笛方の位置につき、なにもせず、そのまま座っており、気が付くと一噌氏が登場して吹いていた。開始時間に間に合わなかったのであろう。松田師は急病だろうかと思ったが、もうしそうなら最初から代演が告げられていたはずである。帰宅ご中森師のHPで日付を勘違いし、他の会に出勤していたことが明らかとなる。本人も関係者もさぞ慌てたことであろう。笛方は舞台開始時間のどれくらい前に楽屋入りするのだろうか?あまりぎりぎりまでまたず、もう少し早く連絡を付けていれば、曲の途中から笛が登場するという好ましくない事態は避けられたのではないかと思う。
ワキと間のやり取りが終わった後、シテが橋掛りに登場する。謡が全く聞こえない。正面席で、橋掛りから一番離れているとは言え、もっと広い会場もあることだし、声量不足と言わざるを得ないであろう。舞台に登場してからは少しは聞こえるようになったが、橋掛りでの所作がかなり長いので、もどかしく思った。弱法師の面は諦観した静謐さがあり、写真で見るよりずっと美しかった。あるがままを受けとめた者がもつ、諦めの表情。現状を静に受けとめ、淡々と生きていく者の清々しさを感じる。同時に痛々しさも。「目は見えなくとも心で見るのだから構わない」と言いつつも、人にぶつかってよろめき、笑われる我が身の哀しさを嘆く俊徳丸。袖に触れた梅の香を楽しみ、見えない目を向けて心に浮かび上がる難波の情景を愛で、狂おしい気持ちとなりあたりを歩き回る。謡が盛りあがるところだとか、大きな所作があるところではないところに、ふと心を動かされるのが能の不思議だと思う。今回も何気ないところで俊徳丸の憐れさに、いたたまれなくなる。杖を斜めに出し、抑制された動きをするシテは、そうとう体力的に辛いものがあるのではないだろうか。
ワキが自分が父であると名乗ると我が身を恥じて立ち去ろうとするところは、俊徳丸の純粋さに心打たれる。讒言を信じ、無実の自分を追放し、そのために盲目になっても誰かを恨むわけでもない。人に嘲笑われる事にも耐え、じっと身をかがめるように生きてきた彼のような人こそ、本当に強いのだろう。最後は父と共に家に帰ることになり、大団円を迎える。世阿弥はシテを妻帯者としたそうだが、薄幸の少年としたほうが、劇に爽やかさをもたらすのではないかと思う。青い水衣がとてもきれいだった。
大鼓、安福健雄氏の息子さんではないかと思うのだが、どうなのだろう。


狂言 口真似
シテ 大藏義教 アド大藏基誠 大藏彌太郎

1月の宝生会に続いての大藏家。今回は劇自体の面白さで笑えた。あまり声に出して笑うことはないのだけれど。真面目に演じるからこそ見ているほうに笑いが起こる、お笑いの基本を見た気がする。好演。


仕舞
巴 坂 真次郎
長刀を使った豪快な舞。としか言えない。
雲林院 観世善之
会主登場。鶯色の紋付に、小葉田色(?)の袴。ご本人が白髪で、還暦を過ぎていらっしゃるのでとても良く似合う。この色にした意味はなにかあるのだろうか?しっとりした、素敵な在原業平だった。会場も食い入るように見つめていた。
葵上 五木田三郎
前場の終了真際、臥せっている葵上に迫り、我が身を嘆き、逃げて行くところ。実際に観ると、やはり六条御息所は葵上を車に乗せて行くのではなく、浅ましい我が身を車に乗せて逃げて行こうと解釈する方が自然である気がする。反対の解釈の演者も多いようだが。
実は葵上を舞台で観た事がまだない。能に興味を持ち始めてすぐに、NHKの能楽観賞講座で見ただけだと思う。今年は観られるのだろうか。


能 善界
シテ 小島英明 ツレ 坂 真太郎
ワキ 野口能弘 ワキツレ2名
間 大藏千太郎
笛 一噌幸弘 小鼓 森澤勇司 大鼓 高野 彰 太鼓 小寺真佐人

若いシテとツレ。シテは本日初シテだったことが中森師のHPにて判明。ツレも若くて(凄く華奢だと思う)、爽やかな舞台だったと思う。前段は直面なので、謡が楽に聞き取れる。後場はシテの謡はあまりないので、良く聞き取れたと思う。弱法師では地謡も抑え気味だったが、こちらは切能なので豪快。
後シテ、頭の微妙な動きが赤頭を効果的に見せる。面の表情と首の角度が密接に関係があることを実感する。ワキ、延暦寺の高僧という品格と緊張感に欠ける。闘っているのだから、もっと緊迫した空気を感じさせても良いのではないだろうか。
大きな型の連続で、一生懸命さも伝わり、飽きさせない舞台だった。思わず天狗を応援したくなるくらいだった。ところで赤頭、何ゆえ一筋白いのか?
囃子方、ついに「能楽com」の森澤氏を拝めると思っていたが、以前も見た事があった。後見に付いていたのを見た記憶がある。ああ、彼がかの人だったのか。幸清流だったのだな。笛、鋭いヒシギで豪快。太鼓、父子そろって良い。掛け声もいい感じだと思う。個人的に。顔もかわいいしなぁ。ふう。
最後を飾るに相応しく、豪快で爽やかな一曲だった。

「弱法師」終了後、廊下と舞台を仕切っている壁を取り払い、パイプ椅子を置いて観客増加。補助席というやつだろうか?廊下を歩く人の姿が見えて、少し興ざめ。仕方ないのだろうけれど。
全体として、こじんまりとまとまっているという印象。大きな破れもないかわりに、大きな満足もない。それもまあ、良いのだろう。


こぎつね丸