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色々なことをやりたい、こなさなければならない。 そういう状況のときに、頑張って全てをやろうとする。 そして頑張った結果、全てやり遂げる。 しかしその後、さらに負荷が増え続けたとしよう。 そういう事態において、 「だから前以上に頑張る」 と負荷を増やし続けるのは、戦略的ではない。 そのやり方ではいずれ、限界を超えてしまう。
限られた時間をどこに重点配分するか、 また少ない時間の投入でどれだけ効率的にリターンを得られるか。 そういう戦略的な時間の使い方が重要になってくる。 とくに年齢を重ねれば、若いときほどの体力もなくなるわけだから、 いつまでもとにかく徹夜で頑張るというわけにもいかない。
仕事に関して言えば、ただ結果を出せば良いのではなく、 限られた時間の中で効率良く結果を出すことが大事になる。
2006年10月19日(木) |
死にゆくマスメディア |
『新聞を読まなくなって7〜8年になる。航空会社のラウンジで、なんにもすることがないときくらいしか、読まなくなった。新聞を読んでいるときに困るのは、大きな活字だと重要なニュースだと思ってしまうこと。ニュースの重要度は、自分の頭で考えたほうがいい。日経や朝日など、新聞各社の恣意など今さら知っても仕方がない』(大前研一)
日々の情報を入手する手段として、 新聞というのは最も広く利用させている媒体の一つだろう。 しかし彼らの情報には多くの恣意が含まれている。 テレビの報道になるとさらにひどい。 インターネットの普及に伴い、 このような従来のメディアに頼る必要性は低下している。 そして彼らの欺瞞も、簡単に暴かれるようになった。 今でも新聞とニュース番組を一つずつチェックしているが、 これらのマスメディアは少しずつ死んでいくのだろうと思う。
フィンランドでは教育費は基本的に大学院まで無料であり、 この教育費は高額な所得税と消費税でまかなわれているらしい。 教育の機会を公平に与えるための資金を国民皆で負担している。
個人のお金ばかりがかかる日本の教育はどこへ向かうのだろう。
社員が必死になって頑張って結果を出したのを聞いても、 僕は喜ばないんです。 社員を楽させながら成果を出せるのが、 僕にとって凄く嬉しい。 古い経営者はそうは言わないんです。 (宋文洲)
日本ではとにかく頑張ることが美徳とされるが、 それは必ずしも正しくはない。 必死に頑張る、と言うときの「必死」という言葉は 必ず死ぬと書く。 もちろん、死ぬことが正しいわけはない。
頑張る場合にはその目的がある。 頑張ること自体が目的ではない。 頑張る目的を見失わないように。
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