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2005年08月27日(土) 同窓会(小学校編)

同窓会、というものに初めて参加した。
小学生のときの同窓が、一堂に会した。

最初、会っても話題がないのではないか、
いやそもそも名前を思い出せないのではないか、
と思っていた。
今でも連絡をとっている人間など、
数えるほどしかおらず、またそういう相手とは、
同窓会を利用して会う必要はとくにない。

でも会ってみれば、全員とは言わないが、
結構名前と顔が一致する。
遠い記憶が、よみがえる。
記憶とは、忘れるものではなく、
普段は思い出せないだけなのだ。

久しぶりに会えて、話せて、楽しかった。
その一方で、終わりに近づくにつれ、
居心地の悪さも感じた。
何人かとアドレスを交換もしたが、
ここから先の未来には多分、つながっていない。

僕を度々憂鬱にさせた質問が、
「今何をしているの?」というものだった。
僕がそれに答えると、
「すごいね」
「エリートだね」
と皆が皆、口を揃える。
そう言われる事も、
それを変に意識して、
上手くレスポンスできない自分も、
どちらも嫌だった。

ある一人がこう言った。

「みんな小学校のときは同じだったのに、どこでそれぞれの道がこんなに別れたんやろな」


2005年08月19日(金) 勝ち負け、幸せ。

『ドラゴン桜』というドラマの中で、こういう台詞があった。

「東大に行けば人生が変わる」
「今まで自分を馬鹿にしてきたやつらを見返してやれ」

それはすべてとは言わないが部分的には真実であることを僕は知っている。
僕は昔、勉強をしない子供だった。
一部の教育熱心な大人たちは、僕をダメな子供だと見なしていた。
しかし僕はあるとき勉強を始め、
いわゆる進学校、そして一流大学に入学した。
僕を否定する大人たちはいなくなった。
くだらないがそれが世の中の少なくとも一部だし、
だったらそれを最大限に利用してやればいいのだと思う。

あまり好きな言葉ではないが現代の言葉を使えば、
「負け組」であった僕は「勝ち組」へ転身したといえる。
だが僕がそこで学んだことは、
勝ち組の中にもさらに勝ち負けがあるということだ。
僕は一度負けて以降、その時々のステージにおいて、常に勝ってきた。
最初に述べた『ドラゴン桜』の基準に照らし合わせれば、そうなる。
それがどうしてかというと、一つは運で、
一つはいま何をすれば少し先に自分が有利になるかを常に考えているからだ。

ただしここで、付け加えておきたいことがある。
上に述べた「勝つ」ということは、社会的な意味においての話である。
しかし最終的に重要になるのは人間的に「勝つ」こと、
つまりは幸せになることであり、
社会的に勝つことが自分の幸せにとって必要だと思うから、
そのための道を歩いている。それだけのことだ。


2005年08月16日(火) トップランナー

精密な論理も秩序あるプロセスもすべては本当は重要ではなく、
ただそれがあれば自分も他人も納得できるからそうしている。

しかしときに、論理や秩序を超えたスピードが必要となる。
その迅速な決断を下せるかどうかが、
トップランナーとそうでない人間との差でないだろうか。

そして優れたランナーは、その決断を間違わない。


『思考や発想の道筋は、それ以前に存在している。理論なんて、つまりは、
ただのコンクリート舗装か、ガードレールみたいなものに過ぎない。
あとから来る人のために、走りやすくする、という役目をしているだけなんだ』
(森博嗣『今はもうない』)


2005年08月08日(月) September 11 in Japan

The Cabinet of Japanese Prime Minister Junichiro Koizumi has set
September 11 as the date for a snap election after Parliament
rejected a proposal to privatize the country's postal system.
(---CNN)

投票日が9/11というのは何かの符合だろうか。


政治手法や答弁の仕方等、色々と問題もあるが、
小泉純一郎の不退転の信念を僕は評価している。
郵政を民営化したいと思っても、
それを言い続けて一国の首相になり、
そこから4年かけてここまで来ることは、
他の誰にもできなかったことだと思う。
果たしてこの人は、この先に行けるのだろうか。


2005年08月04日(木) 恩人

僕が研究室でとてもお世話になっている人が、
来春から違う職場に移ることが決まったと知った。

今はポスドクという立場で研究していて、
定職ではないため次の職場を探していたが、
来春からは自分の研究室を持つことになり、
自分のしたい研究をそこで始めるらしい。

良い結果を聞けて本当に良かったと思う。
この人ほど努力している人なら、
当然ついてくるべき結果ではあるのだが、
実際に努力が報われることを示してくれたことが嬉しかった。
努力した人が必ずしも成功するとは限らないが、
成功した人はみな努力している。

研究に関しても僕はこの人から多くのことを教えてもらったし、
まだ残りの時間、色々と助けてもらうことになるのだと思う。
そしてこの人がいなくなるとき、僕も今いる場所を出て行く。
それは別々の道であり、お互いにとっての新しい始まりでもある。

心の底から、感謝しています。


2005年08月02日(火) 近代化後の信仰

個人の自立、目標のある人生。
それらは聞こえの良い言葉だが、
なぜそれらが大事なのかは証明されていない。

自立し、目標を達成した人間の中には、
大きな影響力をもつ人間も多い。
彼(彼女)たちは、
自立すること、目標をもつことは、
素晴らしいことなのだと宣伝する。
自ら歩んできた道の正しさを主張する。

しかし彼(彼女)たちではない我々は、
自分も自立し、目標を持ちたいと思えば、
そうすれば良いだけのことで、
そうでなければいけないわけではない。


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