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2003年02月21日(金) On the way to becoming someone

人がみな幸せになれる世界が実現できるか、という問いに対して。
誰かがこう言った。

「それはわからない。だが、私は幸せになる」

人の幸せには、持って生まれた環境(例えばどのような国に生まれたか)が影響することも多い。環境のせいにするのは言い訳だ、というのは、恵まれた環境しか知らない現実を見ない意見だろう(といっても、俺自身、恵まれない環境に身近に接したことはないが)。だが、たとえ環境が整っていても。それは十分条件ではない。何もしなければ、ただ願っているだけでは、たいていの場合、いつまでもそのままだ。現状に満足しているのなら、もちろんそのままで良い。しかし、「何か違う」と思うのなら、歩き出そう。
そんなことを、この日記でも何回か(何回も?)書いてきたように思う。そして今も書いているということは、結局、俺自身がまだまだ自信を持ちきれていないという表われなのかもしれない。そもそも、「どのように」歩けばいいのか、ということが問題の一つだ。それを考えるのを放棄したなら、次に歩き出せなくなる。考えずに盲目的に歩くというのも、ある時期には大事だが、そうもいっていられない時期に誰でもやがてさしかかる。

(まとまらない)


2003年02月16日(日) 決断の結果として

(02/13の日記のつづき)

結果としては、無難なところに落ち着いたというところでしょうか。半ば不可抗力で、ですが。
なんか、以前にこの日記でアメリカに行くと勢いよく書いていましたが、まあ、色々ありまして(というかほとんど一つのことが大きいのだけど)、中止に。というわけで、このweb日記は春休み(なのです、現在)の間もちょくちょく更新されると思われます。

結果は、受け入れて、与えられた状況の中で模索するしかない。


2003年02月13日(木) リスク⇔リターン

う〜ん。う〜ん。
迷う。
リスクとリターンの綱引きをこれだけ真剣に考えるのはひさしぶりだと思う(前に少し考えなければならないことがあったが、これほどに切羽詰ってはいない)。普段どれだけ平和に生きているかの証拠ともいえるかもしれない(少し大げさだが、少し本当)。まあ何のことだかこのweb日記だけを読んでいてもわからないのだけど、あんまり具体的に書くと、ね…。ともかく悩んでいるということ。具体的なことを書かずに悩んでいると書いても、そんなん勝手に悩んでろ、という感じでしょうけど。いや、具体的なことを書いてもやはりそうかな…。


2003年02月10日(月) 耳に残るは君の声

当たり前のことなのだけど。
俺の知らないところで、俺とは違う人の人生が色々と動いている。
たとえ友人でも、知らないことは多い。知らないうちに、何か大きなことがその友人に起こっていて、でも別に俺がそれに対して関わることはなくて、俺がそれを知ったときにはすでにその友人は自分で答えを出している。そういうことが、ある。ただ事後的に話を聞くだけということが。でも、話を聞かせてくれるだけでも、それは光栄なことだ。たとえば、こんなことを聞いた。

「絶対に生きてやる」


2003年02月06日(木) 興味の変遷

以前は素通りしていた物事が、今ではとても興味のある物事になることがある。そういう場合、どうしてもっと早くに興味を持たなかったんだ、そうすればもっとそれに時間を注げたのに、と思うことがある。でもその当時はその対象の価値や意味がわらなかったのだ。わかるようになるために、これまでの時間が費やされたのだ。「無駄なことなんてない」とよく言われるが、それはそういう意味なのかもしれない。そういう意味ではなく使われる場合もあるだろうけど。


『時の中で失われてゆくもの。
時の中で磨かれていくもの。
どちらも自分は知らなかった。
それに気づかないほど無邪気だった時の中を私たちは過ごしていた。』(引用元不明)


2003年02月02日(日) 知人≠友人

もうすぐ一つの区切りがくる。いままで一緒だった大学の友人とも来年度からはほとんどみんなバラバラだ。まだ同じ大学という組織に属してはいるが、進む道が各々で異なる。それでも時々、何も用がなくても会いたい人。それがつまり友人であり、知人ではない。さて、そんな友人がどれだけいるだろうか……そんなことを、最近考える。誰かに会って話をしながら、この人はどうなんだろう、と。

どうなんだろう?


『小学生のころにも仲のいい子どうしのグループがあった。中学生のころもあった。学年ごとに新しくグループを作っていたような気がする。当時一緒のグループだった友だちで今も連絡を取り合っている子はいない。(中略)そういう仲間とは、どうしても話さなければならないことを話していたわけじゃなかった。
 ただ、そういうグループは大事だ。(中略)でも、小学生から年寄りまで、ずっとそういうグループを作って生きていかなければならないのだろうか。(中略)わたしは何をしに大学に行くんだろうか。単に、一緒に居酒屋に行って楽しくはしゃぐような、そういう新しいグループを見つけるために大学に行くんだろうか。』(村上龍『最後の家族』)

(もっとも、経験上、知人だと思っていた人が、バラバラになってから、ふとしたことで友人になることもあるのだけどね)


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