29号の日記
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2002年03月31日(日) 選挙

横浜市長選挙に行ってきました。結果はどうせ初めからわかってるんだろうけど。


2002年03月29日(金) 職場飲み会

昨日の、正式な職場飲み会に引き続き、今日は職場で非公式飲み会。
最近多かったがこれでひと段落。ただ、この時期、職場関係ばかりで、しかも居酒屋とカラオケばかり。友人と花見をしたかったなあ。


2002年03月27日(水) 4月から

  4月からは転勤で忙しくなる見込みです。今日、前任者との引継ぎに行ってきたのですが、予想を上回る激務らしいです。
「電車の定期を買っても、元が取れるほど毎日終電までに帰宅できないよ」
という話。ただ、土日は休めるとの話(自主出勤してる人もいるけれど強制ではないとのこと)だそうです。

 忙しくなるのに備えて、今のうちに出来ることをと思って、先週の日曜は独りで買い物とかしてきました。忙しかったら休日は寝溜めをするのに精一杯で、時間のかかる買い物なんて苦痛になりそうだから。
 今まで、自宅の固定電話、留守電機能のついていないシンプルな電話だったのですが、一気に「FAX付留守番電話」に買い替えました。といっても、誰か
からFAXが届く見込みって、今のところあまりないんだけどね。

 歯医者にも行っておきたかったんだけど(この2年間で、4本中、3本の親知らずを抜いたが、虫歯になっていなかった1本だけは残していたのだが、どうもそれが最近侵食されつつあるような気がしてるので、一度診てもらっておきたかった)、そこまでの余裕はなく、4月に突入してしまいそう・・・。

 4月から日記の更新が少なくなるかと思いますので、毎日読まれている、ごく少数の方々、御理解の程宜しくお願い致します。


2002年03月26日(火) お疲れモード

ここのところ、年度末で忙しくなってきています。その反動で、今日も帰宅してから、何もやる気が起きず、普段はほとんど見ない、バラエティー番組をぼんやり見て、帰宅後の時間を過ごしました。


2002年03月25日(月) FAX付電話をとうとう購入

昨日の夜、
「お取り寄せの品が店に到着しました」
との連絡を受けたので、今日は帰り道、ヤマダ電機に立ち寄り、注文をしていたFAX付電話を持ち帰りました。
しかし、帰宅してから、俺が作っているノンケHPで述べてる内容について、出版社さんに頼まれていた原稿を、書いていたため、梱包をほどくことさえせずに就寝。


2002年03月24日(日) 買い物

今日は、あちこちの店を回って、チラシにあったお買い得品を買うということを昼間してました。買ったのは革靴一足、スポーツシュース一足、などです。

夕方から自宅にて元彼に会って、少々話をしました。


2002年03月23日(土) 日帰りスキーツアー

ノンケの友達(読み物「Come Outその2」の友達参照。)と日帰りバスツアーでスキーに行ってきました。群馬の川場。朝5時半に家を出て、6時半横浜駅出発。11時着。現地は曇り時々雪でしたが、時々晴れ間ものぞく典型的な「山の天気」。
下界では既に花見の季節となっている事情もあってか、土曜にもかかわらず空いており、運休リフトや休業してる食堂があるほど。

一度融けた雪が最凍結していて足をとられ易く、滑り心地はあまり良くなかったです。友達は久しぶりということもあって、何度も足を絡ませて転んでいました。

リフトも強風で減速運転したり、一時運休したりしてました。
しかし、標高2020米の山頂付近では、木々の梢に霧氷が出来ており、時々太陽の光が差し込むと反射して、角度によって、水銀を塗りたくったように鈍く光ったり、ガラス細工のようにきらきら輝いたりと見事でした。

バスの中では彼と、仕事の話や結婚に対する考え方の話などをして過ごしました。
家には11時少し前に帰り着きました。


2002年03月22日(金) 危うく正夢

遅刻する夢を見て、ハッと目が覚めたら午前4時。
もう一眠りと思って再び横になったら今度は6時。目覚ましは鳴った筈なのに、何故?
顔も洗わず家を飛び出して、なんとかギリギリセーフ。危うく正夢になるところでした。


2002年03月21日(木) 骨休め

昨晩、原チャで遠出した為か、疲れが残っていて、起きたのは昼過ぎ。だるい上に外は強風。外に出ることもなく、また、部屋が散らかっているのにも関わらず、片付ける気力もなく、1日を過ごしました。


2002年03月20日(水) 銭湯に行く

以前、ネットでお仲間が出没するという噂を知った、石川町駅近くの「えびす湯」という銭湯に出掛けました。お仲間らしい人はいたんだけど、坊主頭の熊さん。結構混んでいたにもかかわらず、それ以外は分かりませんでした。それよりも、組の人と思わしき、刺青を入れた方々が少なからずいたのが印象的でした。タトゥーを入れてる精悍な感じのかっこいい人がいたんだけど、組の人とおぼしき人の背中を流していたから、お弟子さんなんだろうな〜、なんて思いました。


2002年03月19日(火) 鉄分不足?

ここのところ寝起きが悪い。目覚ましに強制的に起こされてから40分くらい布団から抜け出せずにぐずぐず、ウトウトしてる。貧血気味なのかも。最近外食が多かったからなあ・・・。


2002年03月17日(日) ツーリングその2

朝飯の後、用を足す。大の後、トイレの水が十分に流れないので、とりあえずブツを水の中に落とし込んでおけばいいやと、そのようにしておいたら、相部屋の同僚達に
「ブツが流れきってないぞ!信じられない!」
と突き上げを喰らう。宿のおばちゃんに聞きに行ったら、宿の水道事情が悪いらしく、断水とのこと。俺は、
「何もしなくてももうすぐチェックアウトの時間だからそのままでもいいじゃないか」
と言ったが、それじゃダメと言われた。でもやっぱり水が出ないから手の施しようがなく、結局同室の方々には諦めてもらった。
彼等は
「信じられない。ぜってーこの宿2度と使わない」
と言ったが、俺は、
「まあまあ。水道事情を良くするための設備投資をするだけの経営体力がないんでしょう?仕方ないじゃない。」
と反論。
昼に、海岸にある露天風呂に立ち寄る。道路から、入浴してる人が丸見えというすごいところ。女性も入浴していて、一応分浴になってはいるものの、やはり丸見え。他のグループがこっそりその姿を写真に収めてはしゃいでいたのが印象的。俺もチラっと女性の姿を見たら、他の同僚に「女たらし」と言われた。彼等は、本当は俺が、背の高い茶髪スリム君の方に注意がいっていたのだということは夢にも思うまい。(笑)

その後、東海岸を海岸線に沿って北上。昼飯(猪丼。野生のものとのこと)を食べて、後はまっすぐ帰宅。


2002年03月16日(土) ツーリングその1

職場の有志で伊豆にツーリングに行きました。山間部に立ち寄り、昼飯にはそばを食べました。有名な「天城越え」の舞台の地に建てられた「道の駅天城」にて特産のわさびソフトクリームを食べ、その後、沢筋にわさび田が点在する山を降り、海岸に出ました。海岸では既に早咲きの桜が散りきっており、まるで5月の桜状態。その後海を見ながら北上し宿へ。
宿を一目見た感想は、「うっ、ボロっ!昭和40年代の建物だなこりゃ」
でも、夕飯の舟盛の刺身は豪華でした。その後部屋に戻っての飲みで、俺の話になって、俺がどういうHをしてるかという話になり、危険を感じたので、疲れたし眠いのでということで、席をはずして寝ました。


2002年03月15日(金) 関東なのに関西風うどん

「なか卯」(カウンター形式の牛丼&そば・うどんのチェーン店)にて昼飯を食べた。
以前食べに行った際、割引券をもらった為。食べたのは、牛丼と小うどんのセット。
ここの店のそば・うどんは頑固な関西味の為、関西で暮らしたことのない俺にはおいしくない。
汁の色は透明に近く、だしの味が利きすぎで、かつ、かなり塩味が濃い。
素晴らしいことにカウンターの上には醤油差しがあったので、醤油を掛けて味を調えて食す。
ただでさえかなりしょっぱいのにますます塩味が濃くなってしまうのだが、まあ、背に腹は替えられない。他にもうどんに醤油掛けてる人いないかな〜、とカウンターを見渡すが、殆どの人がもとの透明な汁のままで食べている。みんなこの味に満足してるのだろうか?


2002年03月12日(火) 口応え出来ないで溜まるストレス

職場にて、コーヒーメーカーに水を注ぐ為の、ピッチャーみたいな容器で職場の観葉植物に水をやってたら、「てめー、ナメてんのか!その容器で水を注いで作ったコーヒーを俺は飲んでんだ。俺は植物と同じ扱いか!」係長に文句を言われた。そんなことでいちいち言いがかりを付けるなよ!と叫びたかったが、職場内での係長との軋轢をこれ以上こじらす訳には行かないので、不満を胸のうちに押し殺したまま謝る俺・・・。マジでストレスたまった。


2002年03月11日(月) 三拍子

仕事帰り、販売店に直行し、原チャリの修理を依頼する。店のお兄さんと一緒にトラックに乗り、駐輪地点に案内。
「今日はもう閉店時間なので、実際に修理するのは明日になります。明日電話で状況をご連絡します」
とのこと。

店から自宅への帰り道、道沿いのラーメン屋で夕飯にする。初めて入る店。オヤジ一人、若い子二人の計三人で切り盛りしてた。若い子のうちの一人がスリム・ロン毛・茶髪という三拍子揃ったかわいい子。その子の受け持ちポジションと思われるカウンターの前に座って注文。思惑通り、ラーメンを持ってきてくれたのもその子。会計を担当してくれたのもその子。

ああ素晴らしき「小さな幸せ」哉。


2002年03月10日(日) 伊勢旅行その2

二日目は、彼は既に一度ならず行った事があるということだったのですが、伊勢といえばやはり伊勢神宮でしょうという俺の希望で、伊勢神宮に行きました。

その門前町が非常に充実していて、さながら江戸〜明治時代の町並みを再現したテーマパーク。勿論入場料ナシ。朝飯を食べていなかったことが幸いして、いろいろ食べ歩きしました。魚のすり身団子うずらの卵入り、豆腐ソフトクリーム、じゃこ天(一種のはんぺん)、それとみやげ物屋の試食。

それにしても、3月というのに5月のような陽気で、半袖になってしまいました。

そして境内へ。車椅子のおばあさんが、参道の階段を登れずに、石段の下から両手を合わせていたのに、「手をお貸ししましょうか?」との一言を言えなかったが心残りでした。

その後、地元資本のチェーン店にて名物の「手こね寿司」「伊勢うどん」のセットの昼飯。
「参拝帰りの人の3人に2人は赤福の袋ぶら下げてるな。」
と彼が話し掛けてきたのに対し、
「赤福って何?どんな土産もの?」
と俺が聞いたら、
「えっ、知らないの?」と驚かれました。
「京都の八ツ橋と同じくらい有名ですか?」
と聞いたら、
「同じくらい有名だよ、新幹線の車内でも売り子が売りに回ってくるよ」
との言葉。
そんなに有名ならば味見をと、
昼飯を食べたばかりなのに、道路を隔てた「赤福」の茶屋に入り、その場で赤福とお茶のセットを注文。
さて、問題の赤福の正体は、、、おもちの上にこし餡が乗っかった茶菓子であり、激甘でした。

その後、松阪市内に立ち寄って、町並み巡り、城跡巡りをした後、桑名駅前で別れ、彼はクルマで、俺は新幹線で、それぞれの家に帰りました。
ちなみに、「赤福」彼が言った通り、車内販売されていました。

さて、つつがなく帰宅、の予定が、最後の最後、大番狂わせが・・・。
駅近くの河川敷に転がしておいた俺の愛原チャリが、いたずらされてて、動かせなかった・・・。
一晩くらいなら、という考えが、まさか巨大な墓穴を掘ってしまう結果になってしまうとは・・・。
一時間程試行錯誤した挙句、結局諦めて、明日販売店に行って、診てもらうことに・・・。


2002年03月09日(土) 伊勢旅行(その1)

北陸在住の年上のメール友達と、伊勢観光してきました。
行き先に伊勢を選んだのは、互いの中間地点であり、かつ、春を感じられるところという、それだけの単純な理由。お互い、どこを見てどこに泊まるかということは何も計画しないまま、当日を迎えました。
彼は名古屋駅までクルマで俺を迎えに来てくれ、(注1)一般道をひたすら南下。
道路沿いの店で昼飯(かつ丼)を食べた後、海岸に立ち寄り、砂浜を歩く。
砂浜には浜大根(注2)が生えていたので、俺は採集。彼は
「店で野菜買えばいいのに?」
と不思議がっていた。一般人としてもっともな意見ではあるが、俺は反論。
「水っぽくてやわらかいだけの最近の市販の野菜(注3)と違って、味と歯ごたえがあって、これが美味いんですよ。」

その後砂浜をずっと歩いて、小さな川の河口に突き当たった。砂浜はそこで途切れ、消波ブロックが積み上げてある。
彼が、「ブロックにこびりついている貝、牡蠣だよ。小さいけれど。」と俺に指し示した。見てみるとなるほどその通りである。一匹や二匹どころではなく、ブロックにびっしりと、である。
釣り人はいるのに何故誰も牡蠣には見向きもしないのかなと不思議だった。
彼は「小さいからじゃない?」と言ってたが。

その彼は、同じくブロックに張り付いている。たにしみたいな小さな巻貝を、食べる訳でもないのに、面白がって集めて岩の上に並べていた。
「たにしを集めて並べる行為の、どこがそんなに面白いのですか?」
と聞いたが、納得のいく答えは返ってこなかった。天才の考えることは良く分からない。

その後、そういえばこの辺りにヤマギシ(注4)の農場があったよな、という話になり、あまり気が進まなさそうな彼を俺が説得する形で、地図場所を確認し、見に行くことに。

なんか、周囲の山々、それに田畑と家々の混ざり具合が、俺の育った田舎に似てるなあ、と思いつつ、
丘の中腹に忽然と姿を現した、学校風の建物。アレに違いないと近寄ってみると、そのそばに、コンビニをさらに一回り小さくしたくらいの広さの直売所があった。時間は夕方5時半。
もう閉店間近なのか、駐車場にお客さんのものと思われる車は停まっていなかった。
ガラス張りの店内を見ると、レジ係の人が暇そうにしてる。車を降りると、そのレジ係の方々(注5)と目が合ってしまった。「あっ、よそ者が来たぞ」と言わんばかりの警戒心に満ちた視線。怖い。

びびっている俺を尻目に、彼は悠々と店内に入って行く。俺も覚悟を決めて店内へ。
レジの人にケーキとコーヒーをタダでご馳走になる。
でも、男の方が見るからに、「はまっています!」という人に特有な目つき顔つきをしていて、やっぱりちょっと怖い。教団の悪口でも言おうものならタダじゃ置かないぞという意思が顔に出ているとでも言えばいいのだろうか?
レジの人曰く、折り紙つきのオススメ品とのことで、
俺はソフトクリームを、彼はプリンを買って食べる。
ソフトクリームは今まで俺が食べた中で一番形が格好悪かったような・・・。でも味は確かに美味しかった。
プリンは彼によれば「卵の味が濃すぎる」との評価。自分も食べさせてもらったけど、確かに、もっと卵の味は薄い方がさっぱりしていていいのではないかと感じた。
レジ係の方、ご親切にありがとう。

その後、幹線道路に戻る途中で、高田という、中世の環濠都市に立ち寄りました。巨大な総本山の寺が、市域の半分以上を占めるという、かつての宗教都市。半分以上というのはすごいな、と思いました。彼は歴史的町並みを散歩するのが結構趣味みたい。

さて、辺りはすっかり暗くなったので、夕飯を食べる店を探しつつ、道を南下。
飯に結構こだわる彼のお眼鏡にかない店はなかなか見つからず、一時間以上車を走らせた末、もう、お腹が減ってどうしようもないからここらで妥協しようということになり、松阪市と伊勢市のちょうど中間の田園のど真ん中に位置する、一大郊外型ショッピングセンターにて夕食となる。

郊外、幹線道路といえばラブホ。そのショッピングセンターから程近い、「ホテルスウィート」にて宿泊。ラブホに泊まろうと言い出したのは俺なのに、開き直った彼が、「オトコは度胸だ」とばかりに先頭に立ってリード(エスコート?)してくれました。
素晴らしいことに、基本的にフロントの係と顔を合わせなくても部屋まで入れてしまえるタイプの所だったので、オトコ二人、断られることもなく、無事入室。

入ってみて、その広さにびっくりさせられました。部屋15畳、風呂6畳、その他の水回りと廊下・玄関とで8畳くらい、あわせて30畳くらあったのではないでしょうか。ダブルベッドひとつとっても、畳4枚分くらいの広さがあるんじゃないかな、と感じました。

そして俺は、ちょっと羨ましく思いました。ノンケって、この値段(2人で6900円だった。)で、こんな豪華なところでHしてるのか、、、と。

続く。



(注1)ターミナル駅まで自家用車が入ってこれる名古屋ってすごい!
(注2)平安時代頃に栽培されていた大根が野生化したもの。根は貧弱な為、主に葉を食べる。
(注3)とりわけ菜っ葉類に関して、この傾向が顕著だと思う。
(注4)ヤマギシズム。一種の原始共産主義イデオロギーに基いたカルト的集団。
(注5)男女二人組だった。二人は夫婦だとのこと。


2002年03月08日(金) ポピュラス ザ ビギニング

ヤマダ電機にて、パソコンゲーム「ポピュラス ザ ビギニング」の廉価版が売られていたので買う。
2800円也。2年前くらいに知り、欲しいと思っていたものである。宗教の力で世界を征服するという趣旨のゲーム。


2002年03月07日(木) 長電話

去年、俺が一時期恋愛感情を持ってた友達と、久しぶりに電話で長話。
その頃の俺の心理状態の変化が全て彼に見破られていたことを知る。恐るべし、彼の恋愛感受センサー。


2002年03月06日(水) 今日の新聞

「ひらがなすら満足に書けないまま高校生になってしまう生徒が出てきている」
とおいう記事を見て、愕然。
なんでも、一例として「しんじゅく(新宿)」を「しんじく」と書いてしまうのだそうだ。
まあ、実際の発音は「しんじく」に近いのかもしれないけど。
怖い、怖すぎ・・・。


2002年03月05日(火) 固定電話

今、俺が使っている固定電話には、着信履歴表示機能がない。
ヤマダ電機にて、着信履歴表示機能の付いた電話機が安いことを広告で知り、見に行ってみる。
売り場を見ていたら、ファックス付の電話が欲しくなってしまった。一旦家に帰って考えることに。


2002年03月03日(日) 初顔合わせ

 一ヶ月程前に、「ホームページを見ました」と、メールをくれた人(24歳、スリム系)と、何度かのメールのやり取りの末、昨日、初めて実際に会ってきました。新宿で待ち合わせて昼飯を食べて、腹ごなしに新宿御苑をお散歩。その後、行った事がないという新宿のあの界隈に行って、「モンスーン」をはじめとする、昼間空いているはずの喫茶店系の店を、知っている限り2、3軒行ってみたんだけど、どれも営業していなくて、仕方なくドトールへ。
「さてこの後どうしましょうか?」
と聞いたら、
「29号さんのウチに行きたい」
との返事だったので、自宅に案内。BADI等の雑誌を見せたり、(彼は購入経験無しとのこと)自分の昔の写真などを見せたりしました。

 彼はまだ、「彼氏を作りたい」とかそういう以前の人であり、
「何も知らないので、生身のこっちの世界の人に会ってみたい」
というのが今回の希望だったので、
「じゃあ、俺以外の人にも会ってみる?」
と聞いた上で、ウチの近所に住んでる元彼(HPの「別れて二ヵ月後に来たメール」参照)に電話して、
「今から夕飯食わない?」
と誘って3人でお食事。

 一対一だと、時々話が途切れて
「あー、とぎれちゃった。どうしよう?何か他に・・・」
となってしまいがちだったんだけど、3人だと、話がとぎれなくて、また彼も、第三者の目を通した客観的な俺の姿というものを見れたりしてよかったのではないかな、と思います。

 今度は飲み屋に誘ってくださいとのことです。


2002年03月02日(土) ノンケと飲み会

学生時代の連中4人と会って、ボーリング&飲み会をしてきました。
コップにビール2杯とサワー1杯で、体がまだら模様になって、眠ってしまいました。普段はそこまで極端には弱くないのに、「樽生」ビールのアルコールが強かったんだろうか???

飲んだ場所が新宿だったのと、終電を気にしないで飲んだ為、発展場「イエロービーム」にて一夜を明かしました。以前来た時と違って店内ガラガラで、拍子抜けでした。


2002年03月01日(金) 280円の牛丼とバイト

今日は「なか卯」で昼飯を食べました。
人件費削減の為か、お客さんに対しての店員の絶対数が足りてなくて、
お茶下さいと言ってもお茶がなかなか出てこないわ、客からとった注文が、厨房に伝わっていないわで、店員さんが短気なお客につるし上げられていて、見ていてかわいそうなくらいでした。

幸い俺が注文した牛丼はちょっと遅かったくらいで済んでたんだけど、食べ終わって食器を下げてもらい、店を出ようとした時に、「牛丼のお客様、お待たせしました!」と、どんぶりを差し出されたのには苦笑を禁じえなかったです。

際限ない価格破壊が、このように弱い者(この場合はバイト従業員)の犠牲の上に成り立っていることを思い知らされると、普段は安い安いと喜んで食べているのに、複雑な気持ちになります。


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