29号の日記
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2002年01月31日(木) ゆきぞう君のおやつ

特に変わったことはないので今日もゆきぞうネタです。
キウイフルーツの皮にむしゃぶりついています。
下に画像があります。ただし、テレホタイムだと「サーバーが込み合ってます」という理由で表示されないかも・・・。


2002年01月29日(火) ボロ靴をベッドにするゆきぞう君

先日、ぼろきれにくるまっていたゆきぞう君、今日はボロ靴の中に「ハムスターのおふとん」(←要するにただの綿。ペットショップ等で売られている)を持ち込んで寝床にしてました。


2002年01月28日(月) 寄り道

仕事からの帰り道、帰り道とは逆方向のスーパーに立ち寄り、にんにくの芽ひと束10円、人参を4本58円で購入。満足。なんか行動パターンが「主夫」してる俺。初めて立ち寄ったスーパーだったんだけど、このスーパーでは横浜生活の必需品「水」が、ペットボトル持参で2リットル20円で購入できる販売機が置かれていることを発見。試験的に、手持ちの2リットル空きペットボトルに詰めていきました。それからホームセンターに寄って、米を10キロ2970円で買いました。「複数原料米」なんかではなく、「山形県産ひとめぼれ100%」これにも満足。遠回りした甲斐あり。それにしてもホームセンター、夕方のかきいれ時なのに、5つほどあるレジにレジ係の人を一人しか配置していないなんて、リストラしすぎ!


2002年01月27日(日) ぼろきれにくるまっていたゆきぞう君

昨日帰ってきたら、留守の間部屋の中で放し飼い状態にしていた「ゆきぞう君」飼育ケースではなく、靴箱にいました。靴磨き用のぼろきれで「巣」を作っていて、俺が靴箱を開けたら、ぼろきれの間から顔をのぞかせてくれました。
今日は特に予定もなく、また、午後から晴れてきたので、ゆきぞう君をハムスターボール(透明なプラスチック製の球形ケース)に入れて公園に連れ出し、日光浴兼お散歩をさせました。


2002年01月26日(土) 札幌にスキー旅行

職場関係の懇親会で、札幌にスキー旅行に行ってきました。
とは言っても、課内旅行ではないので、むしろ、顔もしらない参加者の方が多かったです。

1、2日目は札幌国際スキー場へ。
「国際」と謳っていながら、実際には売店や案内の表示は日本語表記のみ。
「国際」とは日本人に「国際水準のスキー場ですよ」ということを、真実はどうであれアピールする為だけの意味しか持たない接頭語なのね、と思わずにはいられませんでした。

3日目はテイネハイランドスキー場へ。札幌オリンピックの際の会場になったスキー場。
リフトやロープウェイで手稲山山頂まで登ると、眼下に広がる札幌と石狩平野のパノラマがすごかったです。残念ながら札幌国際からも石狩平野が遠くに見えるのですが、ちょうどこの手稲山が邪魔になって、札幌市街が見えないんですね〜。晴れてよかったです。
ちなみにここのスキー場、地元の人が多い印象でしたが、皆さんコース外滑走しまくり。ここは雪崩の恐れがあるので、滑ってるのを発見次第リフト券を没収します、と書いてバリケード張ってる所は、よほど人気の「コース外コース」らしく、みんなゾロゾロとバリケードの中に侵入してました。

パック旅行ではないので、個人行動する時間があったという事情もあり、12月末に、飛行機の予約の関係で参加を早々に決めた際に、このHPとリンクしてる、札幌の「ぴいたあ」さんに、「今度札幌に行きますので、宜しかったら会いません?」とメール打ったんですが、返信すらなかったんですね。なので、滅多にないチャンスなのにお会いすることが出来ませんでした。「今付き合ってる人がいるということだから、仕方ないのかな〜」と思っていたけど、返信すらないのは何故なんだろう?と思い、
悪友Tに相談したところ、、
「普段滅多にメールのやり取りをしてない相手に、いきなり「会いませんか」って誘ったら、相手に、新興宗教の勧誘かなにかじゃないかと疑われるのがオチだよ」
と言われ、「ふーん、現代人ってそんなものなのか〜、と空を仰がずにはいられなかったです。

泊まった所は札幌市内の「札幌グランドホテル」繁華街に近くて便利な場所でした。二日目の夜は、飲み会の後、ホテルに帰るなり夜遊びするなり自由にしてくださいとのことだったので、せっかくだから札幌ルミエールでも探して、どんな感じか見てみようかと思い、友達のW氏に電話して、場所を聞いて行ってみた。

喫茶店の2階のわずか10畳程のスペース。横浜の「スタディー」よりも狭い感じだった。そして、新宿のルミエール本店の雑然とした感じではなく、置いてあるフライヤーなども少なかった。


帰りの飛行機では、羽田空港の着陸順番待ちのためか、高度を落とし始めてから着陸までに時間がかかった。荷物を受け取って空港を出て電車に乗ろうとしたら、快速がちょうど出てしまったばかりで、結局、最寄り駅までずっと各駅停車。去年九州の宮崎に行った帰りは空港から自宅まで一時間あまりで帰れてしまったのに今回は2時間近くかかってしまいました。しかも真冬なのに雨・・・。家に帰り着いたのは12時過ぎでした。


2002年01月21日(月) 「世界ウルルン滞在記」

昨日、帰ってから、新聞のテレビ欄でイチ押しと紹介されていた、「世界ウルルン滞在記」を観た。芸能人(若くてスリムでかっこいい感じの人。名前は忘れた・・・(笑))が、アマゾンの原始の部族の村でホームステイするという内容のもの。
その芸能人に、長老(といってもまだ30代か40代くらいで若い)の娘が恋心を抱いて、芸能人の方でもその気持ちに応えてあげるべく、大蛇やワニを(長老の手助けもあって)仕留めてきてプレゼントしたりしたものの、やがて別れの日が来て、芸能人が村を離れるときに
「俺も彼女のことを好きだけっど、日本に彼女がいるんでごめんなさい、」
と本気で涙を流すシーンがあって、心を打たれた。

まあここまでは、テレビ主催者側の期待通りの感動を俺は持ったわけだけれど、もう一つ、すごいなと感動したことがあった。

実は、番組で説明されていたことだが、「原始の部族」といっても本当に「原始」だったのは数十年前までで、現在は、大多数の村人は、村に観光客がやって来る時だけ、民族衣装である腰蓑(こしみの)を身に付けて踊ったりして、観光収入を得ているという。
そうなった理由を、長老が話してくれていた。
数十年前に部族の間で伝染病が大流行し、今の長老のオヤジに当たる、先代の長老をも含む、部族の殆どが死んでしまい、長老は一大決心をしたという。
先祖代々暮らしてきた土地を棄て、比較的都市に近い今の場所に、部族丸ごと移住し、観光客を受け入れて現金収入を得、その金で、街で薬を買ったというのだ。そしてそのお陰で部族は全滅の危機から免れたそうである。

数十年前まで、外の世界と隔絶した、原始の生活をしていた彼にとって、貨幣経済の仕組みを理解するだけでも十分すごいことだと思うのに、自分達にとっての日常の生活が、都市に住む者にとってはものめずらしいものであり、そこには「観光」という高次元な産業が成り立つのだということに気付いたビジネス感覚!(例えば、記録に残る歴史だけでも千数百年もの歴史を誇るわが国でさえ、「観光」という産業が発生したのはようやく江戸時代になってからである。)

彼に率いられた彼の部族は、すごく幸せだな、と思った。


2002年01月20日(日) 18切符で大阪(2)

店を出て、やすくに君は自宅へ。俺は近くの有料雑魚寝スペース「S」で仮眠をとることにした。
俺が酒臭かったせいか、それとも坊主頭のせいか、はたまた、最近気になってきている腹のぜい肉のせいか、何事も起こらず翌朝を迎えた。俺って、自分で自覚している以上に、イケてない化が進行しているのかも???と感じずにはいられなかった。

その後、朝8時に大阪駅で新快速に乗った。
乗り継ぎが非常に良かったのだけど、米原から名古屋までの一時間の間、4両しかない車両に立ち乗り客多数で、ずっと座れなかった。マイナスの意味でびっくり。
浜松で大急ぎで食べた立ち食いうどんは一杯260円と、関東並の価格。関東と同様のしっかりと色のついた汁で美味しかった。
昼飯がそれだけで腹が減ったので、最寄駅で降りてから、途中ラーメン屋に立ち寄って、夕方5時に帰宅。


2002年01月19日(土) 18切符で大阪(1)

18切符を使い、「ムーンライト長良」で大垣に向かう。この列車を使うのも、「大垣夜行」と呼ばれ、指定席がなかった時代も含めて、かれこれ5度目か6度目になる。
全席指定なので、予約とか手続を面倒臭く感じて敬遠してしまう俺は当然着席できず、床に、持参してきた古新聞(注1)を広げて、身を丸めてゴロ寝。ドア近くのスペースしか確保出来なかった為、駅でドアが開くたびに冷気に襲われて寒かった。
大垣から列車を乗り継いで9時半少し前に大阪駅に到着。
環状線に乗って、天王寺に着いたところで、やすくに君に電話。出ない。
昨日、待ち合わせ場所と時間について、電話で話して決めたときに、
「早い。その時間は寝てるかもしれない」と言われていたので、
そのせいかなと思いつつも、おかしいなと不安を感じる。
でも、昼間は、やすくに君と会う以外に行くアテは考えていなかったので、さらに乗り換え、そのまま
待ち合わせ駅へと向かうことにする。
彼の最寄駅である待ち合わせ場所に着いて電話しても通じない。不吉な予感がする。「既に駅に着いているので、これ聞いたら折り返し電話してきてください」と留守電に入れ、駅周辺を散歩しつつ、15分おきくらいに電話するもやはり応答無し。
ひょっとして呼び出し音をバイブにしてるのかもしれない、と考え、一時間半後、試しに携帯にではなく、自宅電話に公衆電話から掛けてみたら、繋がった。なんかものすごくやつれた声。
「悪いねんけど、今ほんまにつらいから会えへん。復活したら、後で夜こちらから電話するかもしれないから、その時は宜しくな」
辛い理由が分からないし、突然なので腑に落ちなかったが、待っていても今は会えないと分かった以上、5時に別の友達(職場研修友達)と会うまでの時間を有意義に過ごさなくてはと気持ちを切り替える。
とりあえず、昼飯を一人で食べなくてはいけない。まずは大阪に来たからにはたこ焼きを食べなくては!ということで、近くのたこ焼き屋で11個200円で食べる。(さすが大阪のたこ焼きは安い!)
そして天王寺に戻り、駅構内の立ち食いそば屋でうどんを食べる。かけうどん一杯190円!(安う!!!)9年前に新大阪駅構内で食べた時は、大阪の中でも新大阪という場所が「東京都大阪出張所」的な色彩の濃い地域であったためか、噂ほどには東日本の立ち食いそば屋で食べるそれとの違いは際立っていなかったという印象だった。しかし今回は、近くに「通天閣」とかが存在する、大阪の最深部。出されたうどんのつゆはまさに、「温めた塩水かつお節エキス入り」という印象。単にしょっぱいだけでなんとも味気ないが、「これだよこれ!まさにこれが、噂の究極の『関西の味』だよ」と、喜んだのであった。
それから新世界(地名)に行って、ふぐの看板(有名ですね)をデジカメに収め、「どて焼き」と「串揚げ」を食べた。串揚げはともかく、「どて焼き」はどんなものか知らないままに食べたのだが、要するに肉の脂身を焼いたもの。まさに「コテコテ」という、ディープな大阪を表現する際に使う形容詞がぴったりする味だった。

あとは辺りを行ったり来たりぶらぶらしながら、歩いてなんば駅に向かった。
どうにか時間をつぶして、予定通り5時に職場研修友達(2年程前に、全国研修で、同じ「班」になり、仲良くなった奴)と合流。彼は奥さんとのショッピングの帰りとのことで、奥さんともご対面。
彼が良く行くという安い居酒屋(単に安いのではなく美味い)に行って2時間ほど飲んだところで、やすくに君から電話あり。今から待ち合わせない?との誘い。
「今日は夕方から仕事って言ってなかった?」
と聞くと、結局つらくて欠勤したとのこと。
「とりあえず、今は別の友達と飲んでるから終わったらこちらから電話するよ。」
と言って電話を切り、職場研修友達と別れてから電話し、なんばに来てもらう。

ほぼ2年ぶりの対面かつ、お互いの髪型も変わってしまっていたので、待ち合わせ場所で携帯を鳴らすまで、お互いの存在に気付かなかった。
やすくに君は「オレ最近老けたで〜」と言ってたが、実物はしわがあるわけでもなく、歳をとったなという印象はなかった。
仕事の都合で黒髪でなければいけないことを非常に「黒髪のオレって似合ってねえ〜」ってぼやいてたけど、そんなに似合ってないとは思わなかったな。茶髪金髪フェチを自認する俺が言うのだからこれは間違いなし!

やすくに君も既に夕飯は食べてるとのことなので、
「近くにオススメのバーってない?」
と聞いたところ、なんば周辺の店には最近行ってないとのことで、堂山に行くことになる。

そして、時々飲みに来るというバーで、やすくに君の終電の時間になるまで飲んだ。
やすくに君が
「ここのおでんはおいしいで〜。そこらの屋台とかのおでんよりずっといい味してるで〜」
と勧めるので、食べてみた。汁は、大阪にしてはかなり透明度が低く、どちらかというと関東の味付けに近い感じに思えた。
店を出て、やすくに君は自宅へ。俺は近くの有料雑魚寝スペース「S」で仮眠をとることにした。

(注1)予約を取るのは面倒なくせに、こういう準備はしっかりしてる。(笑)
(注2)彼のHPが以前あったのですが、既に閉鎖されています。

〜大阪といえばこれでしょう〜


2002年01月17日(木) 日記

今日からこの日記スペースを借りることにしました。


2002年01月13日(日) 一泊スキー(2)

ゆうべは、宿に戻ってビールを飲んだら、あっという間に眠気が襲ってきて、俺は寝てしまった。酒のせいもあるけど、通常平日寝る時間が、朝起きる時間に合わせて早い(10時〜11時)為、酒がなくても寝てたかもしれない。悪友Tに「まだまだ宴は始まったばかりなのにすぐに寝ちゃってロクに話もできなかったじゃない!」と非難される。
その上、俺じゃない誰かの携帯のアラームが、朝4時半頃にけたたましく鳴り響いて、それがきっかけで俺が目を覚ましてしまい、トイレに行ったりお茶すすってたりしたら、「朝からごそごそ動いてうるさい」と、これまた非難された。しかし俺は明け方はT氏の喘ぎ声の方が声量が大きかったと確信している。

起きてからもまたしても昨日の続きで、悪友Tは、携帯が通じないことにぶつくさ文句を垂れている。さすがにたくま氏も彼の文句に付き合うのにうんざりしたらしく、
「あれこれ文句言ったって、通じないものは通じないんだからしょうがないでしょう?しつこいよ!」
と一喝。

朝飯を食べに言ったら今度は悪友Tはおかずの貧弱さにキレてた。本当、文句を並び立てるのが好きなのねえと思った。

****************

それから6時間ほど滑りました。いろいろネガティブなこともあったけど、全体としては、宿はともかくとして、面白かったです。


2002年01月12日(土) 一泊スキー(1)

朝4時に起きてスキーに。今シーズン初。今回は悪友T及びその愛人である「たくま」氏、俺の3人。
板はかついで、バッグは背負って、原チャリで駅に向かう。
大宮でT氏達と合流し、越後湯沢に10時少し前到着。オンボロのアクセスバスに20分程揺られて神楽三俣田代苗場スキー場に到着。

リフト券売り場の目と鼻の先にある旅館に荷物を置きに行く。たくま氏は建物をひと目見るなり、
「まるで民宿じゃん。サギー!」と文句を垂れる。
「まあまあこんなもんでしょう」と言う俺。
しかし、部屋に荷物を置いたあと、部屋鍵を閉じこんでしまい、代表者のT氏が宿のおかみさんにそのことを告げたら、「何てことしてるの!」とあからさまに不快な表情で愚痴られ、傍目で見ていてすら非常に不愉快な思いをした。

さて、いつもは全速力で転げ落ちるように滑りまくる悪友Tは、今日ばかりは彼氏のペースに合わせてのんびりまったり滑ってる。新設の連絡ゴンドラ「ドラゴンドラ」に乗って、苗場ゲレンデにあるN場Pリンスホテルで昼飯を取ることに。高度を稼ぐわけではない連絡ゴンドラ乗ってる時間って、時間のロスが馬鹿にならないから、俺はあまり乗り気ではなかったんだけど、一人だけはぐれて行動するのも嫌だったので、ご一緒する。

ピーリンスホテルの食堂では、オススメの新メニュー「イタリア風ホットサンド」を頼んだところ、800円もするのに、コンビニの100円コッペパン程度の大きさのがポツンと一つ、皿に載せられただけのものが出された。メシというよりまるでおやつ。とても腹にたまらなかったので、仕方なくさらに800円出して、別のメニュー「ロールキャベツパスタ付」を追加する羽目に。T氏には、こういうところでは丼ものとかの定番を頼むべきだよ、と教えられる。

食べ終わってまたリフトとゴンドラを乗り継いだら、もう営業終了時刻。宿に戻る。

悪友Tとたくま氏は、しきりに「ここの宿最悪!携帯圏外じゃねーか。メールを送れない!」と文句垂れてる。そんなの帰ってそれぞれ一人になったら読めばいいだろうが、と思い、
「せっかく3人で来てるのに、アンタ達、目の前の人間よりも電話の方が大切なわけ?せっかくこんなトコまで来てるんだから、タイムマシンでこの2日間だけ10年前の世界に戻ってると考えればいいだろう?ケータイケータイってアンタ達、そこまで大切だったら生身の人間じゃなくてケータイを恋人にしたら?。」
と言ってやった。

「ドラえもん」のS嬢並に風呂好きな悪友Tは、風呂をチェックしてきたらしく、「案内には豪華大理石風呂と書いてあったのに、4人も入れば浴槽の隙間がなくなるくらいの広さしかない。最悪〜。」とまた文句を言ってる。そのために、宿の風呂は使わずに、近くの町営風呂(温泉?)に行くことになった。
悪友Tとたくま氏は雪道の中、仲良く手をつないでる。俺が昨年、当時好きだった子と、Tの前で手を繋いだ時は、人前なんだからそこら辺ある程度自制した方がいいんじゃないとか言われたような記憶があるが、それは空耳だったのだろうか?でもまあいいや。空耳だったということにしておこう。


2002年01月11日(金) おばちゃん

明日からのスキーの為に、金券ショップで、「青春18切符」を購入。本当は1日分だけ必要だったんだけど、3日分余ってるものしか残ってないとのことで、3日分を購入。

その後、気は重かったが、この間「雪代」を購入した店に行って、おばちゃんに、「この間ここで白い子を買った者ですが、申し訳ないです、一週間足らずで死なせてしまいました。」と告白した。最初、「あの時一緒にいたほかの二匹は、まだ売れ残っているけどこんなに元気だよ。なのに、(以下略)」と言われ、怒られた。「で、あなたはもう飼わないわけ?」
と聞かれ、
「いや、こんな私ではありますが、また飼いたいと思って今日来ました」
と言った所、
「そうしなさい。その方がいいよ。実は昨日、飼えなくなったから引き取ってくれって頼まれて、一匹引き取った子がいるんで、この子でよければ譲ってあげるよ」
と言われ、おばちゃんは奥から飼育かごを取り出してきて、俺に見せた。
「それじゃ悪いですよ。お金払いますよ」
と言って財布を取り出したが、おばちゃんは受け取ろうとしなかった。

俺は、その子(雄)に、「雪三(ゆきぞう)」という名前を付けた。
今日は、先日の眼鏡屋での件に引き続き、人情を感じられた気がする。そんな、心温まる一日だった。


2002年01月10日(木) 眼鏡を買い替え

先日、無くしたコンタクトを探してもらってお世話になった「メガネストアー」で眼鏡を買い替えることにした。。今の眼鏡はもうかれこれ4年程前に作ったものだから、お世話になった御礼を兼ねてということで。レンズは一番値の張る最新の超薄型にしました。普段は殆どコンタクトなんだけど、それでも、牛乳瓶の底みたいなのは嫌だからね。2日後に出来るとのこと。


2002年01月09日(水) 一週間足らずでの死

起きてみると、やっぱり雪代は動いていなかった。最後の望みとして、こたつに雪代を入れ、こたつをつけっぱなしにして俺は出勤した。帰って来ると、既に雪代は腐臭を放っていた。社宅の敷地の隅に土葬した。土を掛けながら「ごめんね」と謝った。その後、納得のいく死因を調べたいと思い、ネットで調べたりなどして夜を過ごした。

話は替わって年賀状。今年は大幅な「輸出超過」に終わった。電子年賀状はもっと悲惨だった。10通くらい送ったにも関わらず、届いたのはわずか1通。やっぱり電子年賀状はもらっても嬉しくないのかな?


2002年01月08日(火) 単なる冬眠モード?それとも・・・?!

ゆうべは、部屋の中で雪代(ハムスター・雌)を放し飼いにして眠りについた。彼女はどうも俺の耳をかじることがお気に入りらしく、何度も耳にかじりつかれ、「俺はドラえもんか?」と言いたくなった。
今朝は冷え込んだ。夕方、仕事を終えて家に帰ると、雪代が、飼育かごの底に敷いたおがくずの上で、手足を伸ばした状態で固くなっていた。ハムスターは意外に寒さに弱く、気温が低いと自動的に冬眠モードに入ってしまい、そのまま死んでしまうこともるということなので俺は、不吉な予感を感じつつも、暖房を効かせて再び動き出すのを待った。が、動かない。ゆうべはあんなに元気だったのに・・・。
そのまま胸の上に乗せて、暖めながら俺は寝た。


2002年01月07日(月) コンタクトを買い直す

昨日コンタクトを探してもらった眼鏡屋にお世話になろうかと思ったけど、新聞広告で見た「半額」という文字に誘惑され、職場近くの眼鏡屋に、新しいコンタクトを作りに行った、出来るのは4日後とのこと。


2002年01月06日(日) コンタクトを無くした!その2

今日も前日に引き続きやる気無し。夕方、最後の望みを託して、駅近くの「メガネストアー」に行って、「目の中にコンタクトが、ずれて入っているかもしれないので見ていただけますか?」と聞く。その店は二年程前に一度、コンタクトの洗浄液を買ったことがあるだけだ。なのに、店員の若い女性は親切にも、俺の目の中を覗き込んで、念入りに探してくれた。結局見つからなかったが、何よりこの眼鏡屋で眼鏡やコンタクトを買ったわけでもない俺のために、金になるわけでもないのに時間と手間を割いてくれたことが嬉しかった。


2002年01月05日(土) コンタクトを無くした!その1

朝、部屋でコンタクトをつけようとしたら、見失ってしまい、それっきり。昼まで探すも見つからず。探すのに疲れてからは、何もやる気出ず。無為に一日を過ごす。


2002年01月04日(金) 雪代

横浜の下町である、横浜橋商店街にある小鳥屋で、雪雄君と同じような白いのが1000円で売られており、購入。今度は雌。


2002年01月03日(木) 横浜に戻る

帰ってから、雪雄君の替わりを求めて、ペットショップをはしごする。しかし見つからず。明日に期待。


2002年01月02日(水) 実家にて

横浜の亜熱帯の気候に慣れてしまった俺には、実家の気候は寒く感じる。ヤバい。ヤバすぎる。この程度で寒いなんて言ってるなんて情けなさ過ぎる。

郵便局に年賀状を買いに行ったついでに、一人で初詣に出掛ける。
実家のある北関東の商業都市の、旧市街の外れにある神社と寺。
旧市街地の中心部は、シャッター商店街どころか、あちこちに更地が広がり、まさにゴーストタウン。学生時代、塾講師のバイトをしていた6階建てのビルまでもが更地になっていたのにはびっくり。

倒産した某総合スーパーの空き店舗は、以前は巨大な空家になっていたが、いくつかのテナントが入居していた。でもまたいつか巨大な空家になるかもしれない。

普段は引かないおみくじを引いたら「吉」だった。読んでみると結構いいことが書いてある。
「勝負事10中8・9は勝つ」「縁談よし」「家移りよし」
今年の誕生日が来たら、結婚計画を発動しようと考えているので幸先がよい。
クソ狭い社宅ともいい加減お別れして、マンションでも借りようかと考えていたのでこれも幸先がよい。最近楽しいとか、充実してるとかいったことがないが、おみくじに励まされたような気がした。


2002年01月01日(火) 欽ちゃんの仮装大賞を観る。

俺が一番かつ唯一好きなお笑い系番組だ。今回は残念ながら、傑作と感じられるようなものはなかった。


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