『たけぐせの随・弐』

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2002年02月28日(木) 「月」

雲間から月が見ている!?

   ー郡山にて、携帯より


2002年02月27日(水) 『我慢』

納得のいかない我慢は、
いくら慣れたといっても、
いくら時間がたっても、
『我慢』でしかありえない。

身につくものではない。
身につけるものでもない。
       
ー青森にて、携帯より


2002年02月26日(火) 「余韻」

「なにごとにしろ余韻があるというのはいいことだ」
           
           立原正秋『恋の巣』より抜粋

良いことならなおさらそうであろうし、
凹むことでもその余韻(想い)も以ってして、
その先を良いものにしようとする後押しになるのなら、
やはり、そうであろう。

しかし、
その余韻が起こるようなことをしなければ元も子もないが。


2002年02月25日(月) 「次」

グループ展終了。

余韻まで堪能してしまったぁ。

さて、気持ちを切り替え、

次!


2002年02月24日(日) 「誉められて」

誉められて気付く。

その誉められた箇所は
過去に俺が周りの人達にしてもらったものだ。

いままで俺に良くしてくれた人達の影響が、
長い時間をかけ、染みているのだろうな。

ー感謝。

そして、誉められもせぬトコロは、
きっと俺の足らぬトコロなのだろうな。

ー精進。


2002年02月23日(土) 『素直に』

モガく下っ腹にパンチをくらわせ。
うつむいて歩くぐらいなら、
しゃがみ込んでもいいから
涙でも流してみろ。

モガく下っ腹に力を込めて声をだせ。
声を聞かずに歩くより、
声を出して、声を聞け。
そして、涙でも流してみろ。

時間を流すより、涙を流せ。


2002年02月22日(金) 「そこに視るモノ」

いくつもつながりて、
いくつも切り離れて、
ひとつひとつ積み重ね、
ひとつひとつ崩し重ね、
それを登り、越え、何時も歩いてみる。

ひたすらに歩いてみる。

ひたすらに歩いて、視る。


2002年02月21日(木) 「本日も晴天なり」

グループ展、二日目。
本日も晴天なり。

初日にくらべ、来場者は少なめでした。

しかし、いくら暇ができでも
ギャラリーで過ごす一日は幸せです。

きっと脳みそのシワはなくなってます。

ということで、
俺の脳みそも晴天なり。


2002年02月20日(水) 「本日は晴天なり」

グループ展、初日。
本日は晴天なり。

ついでに、
俺の心も晴天なり。


2002年02月19日(火) 「ウマい言葉」

どんなに言葉を知りえても、
どんなに経験積もうとも、
どんなに大きく構えても、
その一点を貫くような、
ウマい言葉はみつからぬ。


2002年02月18日(月) 「ゴミタメ」

うちは、フローリング6畳・キッチン3畳の1Kです。

すでにキッチンは段ボール山積みです。
洗濯機が埋もれそうです。
二人の人間はすれ違えません。
御多分にもれず、
キッチンの一部が申し訳玄関のようになっていますが、
その境はすでにありません。
ある意味、キッチンのみアメリカンです。

6畳間もすばらしいです。
いわゆるデスクとパソコンラックがすでに部屋の半分を占領しています。
布団をしくスペースと、あと半畳程度フローリングが顔をだしています。

さて、あしたはグループ展の展示です。

こんな部屋で、もう駄目押しです、展示の用意は。
もう人間の住むトコロではなくなります。
布団もしけなくなります。
「ゴミタメ」のようですな。

さて、
そこらの段ボール箱を押しやって、
布団をしいておやすみしましょう・・・




言うまでもなく、
こんな部屋がわたしは好きだったりします。

あしからず。


2002年02月17日(日) 「その可能性」

「人間というのは不思議なもので、
自分達のやってることが、
ひとつのちからとなって高められてくると、
前後が見なくなり、
わけもなくその坩堝のなかに入り込んでしまうものです。
そんなときに、これは危うい、と感じる人はごくまれです。
それがわかる人は、やがて、
人間のまいにちのごく平凡な生活に目を戻し、
あの坩堝は危うかった、と歩いて来た道をふりかえるものです。」

                 立原正秋『きぬた』より抜粋



気づくか、気付かぬか。
感じるか、感じられぬか。

そして、戻れるか、戻れぬか。


2002年02月16日(土) 「生活必至」

20日よりグループ展『真冬のTシャツ展』が始まります。
(くわしくはHP→「news」にて)
そのために昨日よりバイトを長期連休。
19日が展示ですから、あと二日あるわけです。

毎度、展示前の連休に思うのですが、
至極贅沢な時間です。
「活動」で食えるようになれば、
こんな時間がずっと持てる訳です。

が、こんなバイトと活動の「やりくり」も好きだったりする。

自分の造語にて好きな言葉があります。
『生活必至』
直訳すれば、”生活は、かならずやってくる”
と、訳が分かりません(笑)

俺は「生活」とは、『自分を活かし、生きること』ととっています。
それが”かならずやってくる”って、
毎日がそうなのですから、言われるまでもない。
要は、『自分を活かし、生きること』の意味での「生活」をしていこう、
ということです。

そんな意味でも「やりくり」は「生活」であり、
「活動」も「生活」なのです。

バイトで出会う人、活動で出会う人、昔からの友達、
みな違う空気があります。
「活動」がウマくまわったとしても、
他の空気にも触れてはいたい。

すべて、『生活必至』であるでしょうから。


2002年02月15日(金) 「記憶」

頼るトコロが大きい割に
アヤフヤなトコロも大きい。

助けられもせ、
縛られもせ。

その瞬間がいかに大事か。


2002年02月14日(木) 「チョコ」

愛をくれるより
チョコをくれ。

甘く溶けてなくなるのなら

愛をくれるより
チョコをくれ。ー20000119.




いや、

チョコは買うから
愛をくれ。

甘く溶けてもなくさないから

やっぱりチョコより
愛をくれ。


2002年02月13日(水) 『活きてゆくために。』

あなたが活きてゆくために
彼を取捨選択するでしょう。

彼が活きてゆくために
あなたを取捨選択するでしょう。

誰もが活きてゆくために
誰もが活きる、取捨選択を。

つながるコトへの取捨選択を。

ー青森にて、携帯より


2002年02月12日(火) 「雪」

舞って燈に入る冬の夜の雪。

綺麗なのだが、くしくも、
夏の夜に、街灯にむらがる虫たちのようにも見える。

ー青森にて、携帯より


2002年02月11日(月) 「魅力」


オリンピックでてる人達っていい表情(かお)してますね。
オリンピックでてる人達っていい瞳(め)してますね。
たまたま、オリンピックですが、
内面から出てくる表情は違いますな。
ああいう瞳にはめちゃくちゃ魅かれますな。

「魅力」ありまくりですわ。
・・・ったく。


2002年02月10日(日) 「ここちよきコト」

前向きな連中と過ごすコト。
ひろがり、つながる。
つながり、ひろがる。
ここちよきコト。


2002年02月09日(土) 「なんとなく」

携帯はdocomo。
メールアドレスはいまだに電話番号のまま。
当然、ひっきりなしの迷惑メール。
「電話番号のほうが教えやすいし」なんて理由もあったが、
いまは「なんとなく」。

「なんとなく」なモノはどうでもいい。
料金がかかろうが、
充電がなくなりやすかろうが、
気にさえならない。
迷惑メールも迷惑にもならない。

ただ「なんとなく」、どうでもいい。
掛からないから、どうでもいい。


2002年02月08日(金) 『掛かる事』

掛かる事、曖昧なれば活きられぬ。
ヒカリもクスミも、
凹も凸も、
私の裡で、はっきりさせねば活きられぬ。


2002年02月07日(木) 「ドジ」

ドジった。
くそっ。
かなり悔しかった。

ーこの悔しさを忘れなければ、これも勉強だ。

なんて強がり?


2002年02月06日(水) 『天賦の才』

みな平等に在る「努力」。


2002年02月05日(火) 「ほっとけば」

ほっとけば、
何時間でも机を前に座ってる。
ほっとけば、
何も考えず机を前に座ってる。
ほっとけば、
タバコをふかし、
コーヒーを飲み、
音楽を流し、
ラクガキをし、
何も気にせず机を前に座ってる。

ほっとけば、
かなり幸せな奴。

ほっとけば、ね。


2002年02月04日(月) 「あほうもの」

それに「触れる」ことをしなければ現状はわからない。
また、
それに「触れる」以上に「えぐる」ことをしてしまえば、
これまた現状はわからなくなる。

触れずともえぐっても、結局同じ。ー1998xxxx.

結局同じではあるが違う。
しかして俺は「えぐる」方を選んでしまう。

あほうもの。


2002年02月03日(日) 「散歩」

そこにずっと立っていれば目の前の景色は変わりません。
そこから歩いてみて下さい。
目の前の景色は、
歩けば歩くだけ、
広がるから。
変わるから。

ちょっとだけ散歩してみてください。


2002年02月02日(土) 『チヂコマリ』

所詮小さく縮込まる。
これ以下には縮込まらぬほど、
所詮小さく縮込まる。
そこから見物(みもの)の
”チヂコマリ”。ー20000526.

また、過去の言葉が浮かぶ。
自分に当てたような「語り」は
ついぞふたたび現れる。

こんな短い自分の人生で何度同じようなことを繰り返すのか。
繰り返した先に成長を確信することがあり、
気付けば同じ風景を見ることもある。
その実、現状は動いてるということか。

どの時点でも自分であるからには、
その時点時点のやるべきことをやるしかない。

それ以下には縮こまらぬなら
大きくなるだけでしょ。

いつでも見物(みもの)の”チヂコマリ”。


2002年02月01日(金) 『ヤバいぞ。』

 充実のトキの中に
 薄れてゆくものがある。
 確実にある。
 ヤバいぞ。ー19990804.

状況は違えど、この言葉が浮かんだ。
やりたいようにやりゆき、
触れないようにしてしまってるものがある。
やりたいコトがままならない、その隙間に、
これに触れてしまうコトはあったが、
やりたいコトをやっている時に
これに触れる時がこようとは。

 充実のトキの中に
 色濃く浮かぶものがある。
 如実にあらわる。
 ヤバいぞ。
 逃げるなら。 
 
 ヤバくはない。
 立ち向かえば。ー20020201.


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