17時、今頃実家では逮夜のお経が上げられているころか。
昨日まで震災のあった宮城へ行っていた弟が実家へ戻っているはず。
明日はもう初七日。
まだ信じられない。 涙が止まらない。
仕事をすれば、涙も止まるのだろうか。
おばあちゃんは、今の時期を選んでくれたのかもしれない。 5年間医療安全管理者として勤めてきたが この春、手術室に戻るよう内示が出た。 「私がやらなければいけないことがあるならやります」と答えたが 素直に「はい」とは言えなかった。 なぜ今更…、もやもやしたまま日が過ぎていた。
医療安全管理委員会の後、知らせを見て お葬式の後、そのまま週末になり、 結局仕事は5日間も離れてしまった。 今の時期でなかったら、こんなに実家にいられることもなかっただろう。
おばあちゃんはきっと、 ごちゃごちゃ過去を振り返らずに これから命を救うことに専念できるようにしてくれたのかもしれない。
母と、祖母の家に行った。 手前の路地でこけた。 ひざ小僧がえぐれた。 不思議と痛さも感じなかった。
家に入っても、 やっぱり誰もいなかった。 家族の写真や旅行の写真がたくさん貼られていた。 これを見ながらすごしてたんだな。
母の涙をみるとやっぱりつらい。
18時57分バスに乗って帰ることにした。 母の前ではもうなかないようにしようと思ったのに やっぱりだめだった。 バスの窓から触れた母の手はかすかに温かかった。 新幹線の中でも、涙があふれてきた。
帰宅後、シャワーを浴びると ひざの痛みと心の痛みで涙があふれた。
実家で目が覚めた。 昨日の事はうそなんじゃないかと思った。 けれど、おばあちゃんは写真の中にいた。
頭が痛くて、半日寝てた…。
やっぱり、おばあちゃんは目を覚ましてはくれない。 何度見ても何度見ても変わらない。
10時30分お葬式 12時火葬 納骨
よく晴れた日だった。 おばあちゃんはもういないなんて 信じられない。
ほとんど眠れないまま朝を迎えた。 もう一度おばあちゃんのほうを見ても やっぱり昨日と変わらなかった。
母も、すごく小さく見えた。
10時、納棺。
今夜も、三人で寝た
今日15時05分、 対象7年7月30日生まれのおばあちゃんが 一人娘の私の母に看取られ亡くなった。
今日一日、携帯電話をチェックしなかった。 私が担当する最後の医療安全対策会議が終わって 部屋に戻り携帯をチェックすると、 母からの着信とメールが入っていた。 何をしたらいいのかわからなかった。 とにかくいったん自宅に戻り 新幹線で実家に戻ることにした。 19時12分新幹線乗車。 涙が止まらない。 最終のバスは出てしまっていたので タクシーを飛ばして自宅へ向かった。 玄関を入ったとたんにまた涙があふれた。
22時、おばあちゃんが安置されている場所へ…。 夜道を歩きながらも涙が止まらなかった。 おばあちゃんはすごく小さくなっていた。 手も足も脹れて、冷たかった。
一番つらいのは母なのに 声を出してないてしまった。 今夜は、おばあちゃんと、母と三人で寝た。
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