01. 初めて




■さよなら三月また来て四月■ 東京は春です


 薄いが透けない、ただ白い芸のない便箋を観月は広げた。綺麗にぴったり三折りにされていた。中にくるまれていた真っさらな札を、その数を確認せずに、通帳の何ページ目かに挟んだ。

 便箋は二枚重ねられている。上になった一枚には、見知った市外局番の電話番号がやわらかく乗せられている。故郷のタクシー会社の番号だった。雛鳥の産毛についた卵の殻を除くように、そっとその一枚を持ち上げる。現れた同じ便箋には別の言葉が同じ文字で記されていた。

 卒業おめでとう。よくがんばったね。

 観月は手に取った一枚目の便箋をびりびりと破いた。ここからなら電車で三時間の地元の駅は大きくて、本当は呼ばなくたってタクシーは捕まる。その番号はただ観月をずっと許していた。破られるかもしれない「帰らない」という誓いを、はじめから許していた。最初の約束通り、使われなかった帰りの切符代は進学祝いの小遣いになった。新しいシューズが買える。

 観月は聖ルドルフの高等部へ進む。他の補強組も全員、持ち上がりを希望した。野村と柳沢は寮を出てそれぞれアパートを借りる。柳沢のいた舎監室に木更津が移り、観月の同室は不二になる。

 一枚目を紙吹雪のように細かく破り終えて、観月は二枚目を手に取った。そこに書かれた文字をしばらくみつめた。それからびりりと真二つに破いた。小さく、小さくなるまで破いた。最後にそれらの入っていた白い封筒を破いた。机の上が羽根が積もったように白くなった頃、携帯電話が震えた。

「観月さん、今部屋っすよね。窓開けてもらえますか」

 裕太の声の向こうにみんな居る。また下らないいたずらでも思いついたんだろう。わかりましたと応えて、開けっ放しの机の抽出に通帳を戻して閉めた。窓の外、遠い校庭の旗を眺める。風がないことを確かめて、ベッドに膝を着き出窓へ近付いた。

 覗き込むと携帯電話を片手に持った裕太が手を振った。その向こうで木更津がビデオカメラを構えている。填め殺しの出窓の側面の、細い換気窓を押し開ける。はしゃいだ笑い声を上げる赤澤と金田が真下に見える。

「なんの馬鹿騒ぎですか!」

 観月は少し大きく声を張って呼び掛けた。携帯を畳んだ裕太が答える。

「先輩たちの退寮記念を!」
「観月ー! 約二年間お世話になった同室の野村に一言!」

 カメラを回しながら木更津が言う。

「‥‥寂しくなったら泊まりに来なさい。裕太くんがベッドを貸しますよ」
「優しいなあ裕太」
「ほんとに優しいね。じゃあ次、舎監の柳沢に観月から!」

 他愛のないやりとりはしばらく続いた。何故か観月を窓にへばりつかせたまま、一人ひとりカメラに向かってメッセージを吹き込んでいく。撮影を裕太に替わって木更津がレンズの前に立つ。ぼそぼそと呟く声に耳を傾けて周りはしんと静まり返る。「聞こえませんよ!」観月が怒鳴ると木更津は笑いながらフレームを観月に戻した。液晶に映った観月の膨れっ面に裕太が吹き出す。そのままズーム。

 もしこれが本当のさよならでも、自分達はこうして笑っていられるのだろうか。いつか来るその日の練習をしている気がして観月は不意に眉を顰めた。鼻の奥に何かの欠片を吸い込んでしまったような、微かに痛むむず痒さだった。

「泣くなよ観月」

 下を向くと赤澤がいた。冷ややかな視線だけでそれに応えた。撮影会はいつの間にか脱線して、木更津の指揮で『不二くんから金田くんへ一言』などの余分なコンテンツが付け足されていく。カメラを前にしどろもどろの後輩二人を眺めた。視界の隅で赤澤の白いシャツが動く。だめだ。

 本当はもうずっと気になっている。まるきりいつもの顔で笑っているのを見つけて、どうしたって目がいってしまう。平気だ、平気だ、平気だ、言い聞かせても上手く(赤澤ほど上手くは)知らんぷりできない。だけど自分でした約束だ。せめてこれくらい、これだけは守りたい。

 卒業式から新学期までのたった数週間。赤澤は前と同じに笑った。同じ声で観月と呼んだ。『無理だったら、忘れて下さい。僕も忘れますから』まだたったの一週間、いや六日目だ。わがままを通したからこれくらいは守りたい。

「あ、いいね。じゃあマネージャーから赤澤部長に、もしまだ何かあれば」
「いや、木更津!」

 赤澤が慌てたようにカメラに向き直って制止した。白いシャツが揺れる。本当に風のない日だな。思った次の瞬間、観月はベッドから飛び退いた。机に降り積もった白い小山に手を伸ばした。両手で掬った。

 ちりちりと目を焼くように輝きながら、花吹雪は舞い落ちた。流されることなくゆっくりと、揺れながら静かに落ちていった。

「あー観月ー‥‥」

 木更津が呆れ顔で溜め息をつく。けれど誰もが予想しなかった光景に、それ以上の言葉はなかった。見つかると叱られるとか後片付けが大変だとかいうのは皆わかっているのだ。それでもその景色はうつくしかった。たった一攫みの花びらは、何万分の一秒をすら惜んで、花吹雪はなかなか降り止まなかった。

「観月ー」

 ちょうど降り注ぐ真下で、赤澤が呼ぶ。髪やら額やらに細切れの紙片を貼り付けて真顔で見上げている。その顔、それで充分だ。

「この間の返事、OKですからー」

 そう言ったのも腹が立つほど同じ声だ。頬杖の観月はひらひらと手を振った。あっちへいけなのかこっちへこいなのか、自分でも意味はよくわからなかった。とにかく手を振った。それから勢い付けてベッドに倒れ込んだ。

 今となっては何を期待して、この街へ来たのかわからないんだ。期待していたような気もすれば投げやりだったような気もするほど、とにかくそれは曖昧な漠然としたものだった。観月は目を閉じようとした。けれどできなかった。穏やかに目を閉じるなんてとてもできないくらい昂っている。自分の中に力を感じる。得たものは確かにあると、今なら胸を張って言える。

 窓から強い風が吹き込んだ。階下で叫び声が上がる。申し訳ないなと殊勝なことをちらり思い浮かべながら、観月は両腕を顔の上に交差した。今まで出したことのない大きな声で笑いたい気がした。

「観月こら!顔出せよ!」
「っていうか降りてきて手伝えばか!」
「観月さん後で覚えてろよ!」
「わっ! バカどもが何をやってるだーね!!」
「あっ柳沢先輩これお願いしますっ不二それ置いてこい、あっ部長」
「部長じゃねえって言ってんだろうが!」

 きっとこんな日のことはいつか忘れてしまうのだ。だとしても、彼処にいる、観月が初めて好きだと言った人はこれから先も他の誰かでは有り得ない。百万人に同じことを言っても変わらない。百万回嫌いだと言ってももう塗りつぶすことは出来ない。地球の上からすべての記憶が消えてしまっても、事実は残った。


(了)



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も た ね え よ 。
この長さで10本書いたらもうサイト作っていいと思う。
ていうかすでに三日目ですがようやく一本だよ。メイド喫茶行ってる場合か果たして。
とりあえずルドっこがわらわら寄り集まってしまうので次回は二人きりにしてあげたい。

2005年05月18日(水)

きてますよ。元気です。オタクです。

病気の話はあちこち障るよね‥‥ということで、気にならない方のみお読みください。
あくまでもこう、『少女漫画のヒロイン=病弱』くらいのノリでお願いします。



■感情外来■ さなゆき二年の秋


「さなだ」

 幸村は先刻まで持っていなかったファイルをひらひらと振って真田を呼んだ。そして人指し指を天井へ向けた。「2階だよ」前後に並んでエスカレーターに乗った時、それがカルテなのだということに気が付いた。

 受付にカルテを提出すると幸村はベンチに腰を下ろした。出口にも診察室にも窓にも近くない、かといって真ん中というわけでもない半端な位置だった。そこへ座ると徐に鞄の中を探りはじめた。

「おにぎり食べよう。持ってきたんだ」
「俺も食べていいのか」
「食べたら帰りにコーヒーおごってくれ」

 差し出されたおにぎりはラップに包まれ海苔もきちんと巻いてあった。二つ、幸村の膝の上にもう二つあった。どれも親の仇みたいに馬鹿でかかった。

「具は焼きさばと塩辛だよ」
「えっ」

 真田は言葉を無くした。幸村は得意げな笑みを浮かべて受け取るよう促した。

「一緒にじゃないよ。ちゃんと一個ずつ握った」
「自分で握ったのか」
「簡単だろうおにぎりくらい」

 幸村はけろりとして言ったが、おにぎりが握れるのならあんパンを二つに割るくらい簡単だろう。ゼッケンを四角く畳むくらいわけないだろうし、日程表の枠線を欠けさせずにコピーを取ることだって雑作のないことだ。

 それから玄関脇の自販機で買っていた紙パックのコーヒー牛乳にストローを突っ込んだ。食いちぎったビニールのストロー袋が口の中に残ってしまったのを指で掻き出した。

 朝、言われた時刻に家へ迎えに行った。普段の生活と比べれば無理の要る時間ではないが、休みの日に病院へ行く時間としては早いのではないかと真田は思った。幸村は乗るべき電車の時間もバスの時間も知っていた。「次の急行だよ」そう言って、ホームを去る各駅停車を静かに見送った。

 一年ほど前、青春学園に練習試合を申し込みに出向いたことがある。幸村が勝手に言い出したことで二人で行った。結局その話は流れ、あまり強くなくて申し訳ないですとその場で相手をしてくれた三年生があまり強くなかったとか、あの子と打たせてあげたいですねと彼が指差したのが手塚だったとか、そういうどうでもいい顛末だ。だけどあの日、帰りのホームで幸村は多分同じように「次の急行だよ」と言った。壁の時刻表を覗き込む横顔を見て後悔のような不安のような気持ちに襲われた。

「帰りたい?」

 おにぎりを頬張りながら幸村が覗き込んだ。

「いや。すまん」
「こっちこそすまない。せっかく部が休みの日につきあってもらって」
「それは構わんが」

 あの日起こり得ない不安は、今日充分に起こり得る不安であり、起こり得ないあの日起こったことで、起こり得る今日起こることを免れた。

「が?」

 幸村のせいではない。

「珍しい」

 幸村は眉を寄せて笑った。

「一人では行かせてもらえないんだ。妹が来るとか母さんが来るとか」
「そういうことか」
「うん。たまんないだろ‥‥なんて言っちゃ悪いけどね」

 返事をし損ねた。幸村は齢の近い妹ととても仲がいいし(多分この年頃では珍しいことだ)母親を大切にしている。幸村の口にしたある種の「たまらなさ」は決してそれらと相殺しあうものではない、ということがやけに真直ぐ伝わった。感じたことのない感情に共感して真田は戸惑った。

「暇ならあれ見ているといい」

 幸村が向こうの天井を指差した。奇妙に動くものがある。

 壁伝いに天井をずっと移動していく四角く薄っぺらいものが、レールに沿って角を折れ、最後は傾きながら天井へ吸い込まれて消えた。カルテだ。上の階へ運ばれていく。症状の経過が、所見と処置の記録が、様々の現実的な抽象図画をクリップで止められながら白く透けないファイルに畳まれて手から手へ渡る。

 自動販売機の動きだと思った。幸村がコーヒー牛乳を買った、紙パック専用のあの自動販売機だ。強化ガラスの内部の必要以上に大きな空洞の中で、スライド式のアームが上下左右に動き回って、ボタンの押されたパックをベルトコンベアの上に落とす。「病院にはどこも結構置いてあるんだ」その緩慢な動作に気を取られていた真田に幸村が教えた。町中では見たことのない種類の機器だった。

 暇つぶしなのだ。レールを伝うカルテも金属アームの自動販売機も、長い長い待ち時間の意識を薄く間引くためにある。直視すると耐え難い浪費から優しく注意を逸らすためにある。ボタンを押してからコンベアの上の紙パックが受け取り口に吐き出されるまでの時間。それがここでの時の速さだ。誰もがその時間に慣れることを強いられる。

 幾つもの棟を持つ四角い城の中で、時間は閉塞的にゆっくり流れる。診断はゆっくりと下され、治療はゆっくりと施され、病状はゆっくりと改善、あるいは進行する。カルテを待つ。診察を待つ。検査を待つ。検査結果を待つ。会計を待つ。処方箋を待つ。調剤を待つ。次の来院日を待つ。

「さなだ」

 顔を上げると、幸村はその場にすっくと立ち上がっていた。人指し指と中指の間の小さな紙片をひらひらと振った。

「旨いかな」

 受付の大きな液晶に映し出された数字を見て、紙片が整理券だとわかった。おにぎりには小骨の刺さったままの塩鯖が一欠埋もれていた。「旨い」答えてかぶりつくと幸村は、破顔した。

 朝、片付けの済んだ台所でひとり立っている。朝食の皿から除けておいた鯖を入れて、飯を握る。しまったばかりの塩辛の瓶を冷蔵庫から取り出しスプーン一杯分包んで握る。味付け海苔を貼りつけてラップで巻く。ジャーの中のありったけの御飯を使い切ってしまうと、満足して蓋を閉じる。

 幸村は均衡を保とうとしている。不足を補おうとし過剰を切り捨てようとしている。そう努力している。

 やがて液晶の数字のひとつが消え、ひとつがゆっくりと点滅しだした。幸村はスリッパを靴を引きずるように向きを変え垂れ下がったカーテンに向かった。そしてふと立ち止まり、振り返って、小首を傾げてみせた。

「実は、ここの喫茶室のアップルパイも美味いんだ」
「たかるな」
「その代わりお前の分は俺が出すよ。コーヒーでいい?」

 幸村はにやりと笑った。真田はコーヒーが飲めない。


(了)






真田に抵抗する幸村と幸村の抵抗を受け入れたい真田(でも受け入れられない)が主題です。
「真田は何にもわかっていなくて幸村は始終いらいらする」というのがさなゆき萌えのベーシックですが私にはそんな真田が書けません。
かっこいい真田が真田萌えのベーシックですが私にはそんな真田が書けませんと同じ意味です。

幸村くんは二年の全国大会後から症状が出はじめて通院、二月頃緊急入院、新学期に一度戻ってきて、
地区大会前に手術を前提とした再入院 というタイムスケジュールだと思います。

2005年05月16日(月)

しぶりに日記を開いたら前回の記事がすげえ不穏な一言で始まっていた。

読んでみるとなんていうか、なんか、ばかかおまえは!あーもう心配して損した!ばか!
回り回って赤澤と観月は今かなり普通におつきあいしてる(俺の中で)
しかも結構お盛ん(死んでくれればよかったのに)

蓮華がばっちり食えちゃったので次なる関門と思って幸赤にチャレンジしたら赤幸だと判明した。
まだ確定出てないけど多分そう‥‥幸村が赤也をいじめていじめていじめて突っ込まれる赤幸‥‥
ていうか私、幸村攻めがだめなんだ。赤也に顔射を強要する幸村がマイブーム
駄目ッス!無理ッス!駄目!あ、ゆきむらぶちょ‥‥


そういえば携帯を変えたよ!今度のはカメラ付きだよ!
今までカメラ無しで暮らしていたからどうだというのだね。
11万画素?
なんか芸術品のような写真がとれるよ。
印象派っつうか‥‥暖かみのある色合いの‥‥
まあどうせすぐに飽きること請け合いなんだけど。
私写真嫌いなんですよ。少しも思った通りに撮れないから。
あとパソコンにデータ取り込む用のUSBケーブルを早速無くしたよ。
たぶんW邸の居間の片隅に置いてきたと思うんだけど
場所が場所だけに出てくるかわからないよ。



ちなみに念のために言っておくけど幸村が自分の顔の上で射精するよう赤也に強要するんだよ。

2005年05月08日(日)

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