こんなこと・あんなこと

2002年12月25日(水) クリスマスに寄せて

いろいろあった1年でした。
夏至の少し前に夫が亡くなり、半年。夫の闘病中は本人の辛さを思うと、どんな困難も困難と思わない日々が続いていました。一緒に闘う同志のような気持ちでした。その同志を亡くし、一瞬はもちろん辛かったのですが、それも闘病中の夫を思えば、いかほどのものと乗り越えることができました。

それが、ここへ来ていろいろな意味で夫の存在が大きかったことに改めて気づかされ、糸の切れたタコのような、錨を失った船のようなありさまで、そんな自分を少し持て余してしまい、落ち込む日々が続いていました。
仕事で大勢の方にお目にかかれる私、多少、体調がすぐれないときでも、仕事となればシャキッとできたものですが、それすらあやしい。すべてを投げ出したくなりました。
もっと辛いときは平気で乗り越えられたのに、なんなんだろう……、などと思うとますます落ち込んでしまうのでした。

人間も次の人生に向けて、さなぎになる時期もあるのだろうと、ようやく思えるようになりました。さなぎでもいいさと開き直って、すべてを投げ出して、好きなことだけに数日、没頭しました。映画を見て、音楽を聴いて、本を読んで……。妹に会いに行き、両親に会いに行き……。
そんなこんなで、少しずつですが脱皮できそうです。

クリスマスの25日。こんなことがありました。
今月の中旬、「年賀状が作れなーい」と助けを求めてきたTさん、60歳過ぎの女性です。IT講習会で6日間だけ、ご一緒した方なのですが、お話を伺うと、うちの教室に来ていただくよりはお宅におじゃました方が早いのは間違いないようでした。時間がなかなかとれなかった私は、その役目をYさんにお願いしました。その折にはそれなりにできていたようなのですが、Tさん、やっぱり自分であれこれやろうとすると越えられないハードルの数々。今日、また電話があったのでした。これは私が行った方が話が早いと思い、出かけていきました。

Tさんが悩んでいたのは実に些細なあれこれです。しかし、使い慣れない方にとってはウィンドウサイズが変わっていたり、画面の倍率が変わってしまっただけでも一大事です。フロッピーとマイドキュメントの違いを認識するのも難しいし……。

パソコンを操作しながらあれこれお話を伺うと、Tさんのご主人は15年前からパーキンソンを患っており、長く自宅で介護されていらっしゃったのですが、この秋、容態が悪くなり、入院されたとのころです。Tさんご自身も10年前からリウマチを患っており、それはそれは大変な毎日だったようです。
それをあっさり、何でもないことのように言えてしまうTさん。傍から見れば「大変!」と思えることも乗り越えられるのは私も経験していることなので、私とTさん、なんだか近しいものを感じてしまいました。

「昨日のケーキの残りなんだけれど」と出してくださったケーキ、こんなに思いがたくさん詰まったクリスマスケーキをいただくのは初めてです。ご主人が入院中で一人暮らしのTさん。Tさんにしても、イブは一人だったけれど、クリスマスはなんだか騒々しい私と一緒でよかったと思ってくださっていることでしょう。それは、そっくりそのまま私もそうなわけで……。

無事、年賀状もできて、本当にうれしそうなTさん。うれしそうなTさんを見て、私もとってもうれしいわけで、お互いに何だかかけがえのないプレゼントを交換しあったような気分でした。
と、こんな気持ちが世界中に広がっていけばいいのに、と思ったクリスマスでした。

ありがたい曹洞宗の戒名をいただいて旅立った夫ではありますが、お店に「黙示録」とつけるぐらいだし、ジャズに傾倒したのも教会で聞く賛美歌がきっかけだったと言っていましたので、今日のあれこれは夫からのプレゼントだったのかな、と思っています。



2002年12月15日(日) 新聞から

ちょっとおもしろい記事を見つけたので、長文だけど、頑張って入力しました。
暇なときに読んでね。

朝日新聞(2002年12月14日・23面)
<文化>科学を読む
デジタル時代の「監視ゲーム」−時空超え見られる恐怖
黒崎 政男(東京女子大教授 哲学)

デジタル・テクノロジーは、刻一刻、世界を大きく変化させている。少しぼうっとした生活をしていると、自分があっという間に浦島太郎になっていることに気づかされる。
 先日、BSデジタルTVを購入する。契約しないと映らない有料チャンネルへ試しに試聴するために電話をかける。TVに付属してきたB−CASカードの20けた程度の番号を伝えて十数分待つと、自分のTVで突然そのチャンネルが映るようになる。地球を回る衛星から、数限りない大量のTVのうちで、我が家のTVが個別的にピンポイントで操作されたのだろうか。
 クルマにカーナビを取り付けた。GPS衛星を利用して現在位置を正確に示すもので、見知らぬ街の、例えば寿司屋の電話番号を入力しただけで、その場所まで実に懇切丁寧に道案内をしてくれる。私のクルマの位置は、もしかすると、つねに把握され記録されていくことになるのだろうか。
 久しぶりにインターネット上の電子書店にアクセスする。ユーザーIDやパスワードを入力したわけでもないのに、冒頭で「あなたは黒崎政男さんですね。お勧めの本があります」と表示されている。確かに私の興味をひく本が並んでいる。なぜ、アクセスした人間が私だと分かったのだろうか。
◆日常でも許されぬ匿名
 これらデジタル・テクノロジーをめぐる出来事は興味深かったので、その仕組みを調べてみた。デジタル放送のB−CASは、暗号技術を利用し、各受信機に固有の暗号鍵を使って、個人あてにメッセージを送ったり、限定受信を可能にするものだ。すべてのB−CASカードのID番号は、基本台帳で一元的に管理される。クルマの「ネットワーク対応」やITS(高速道路交通システム)によって、個々のクルマの位置は常に把握されていくようになる。
 ホームページを閲覧すると、いくつかのWebサイトは、ユーザーIDやその他の情報を書き込んだ「クッキー」というファイルを、我々のコンピューターに投げ込む。最訪問すると、サイト側はそのファイルを参照して、個々人に向けた情報を提供する。クッキーでホームページ訪問者は知らないうちに管理されていることになる。
 電話の通信記録、クレジットカードやATM使用、街中の監視カメラなど、<私>の行動が、管理され記録されていることは知っていた。デジタル時代は匿名を許さず、むしろ管理・監視こそ、その特徴なのだ。だが、上記の三つの出来事は、<私>の日常生活のこまかいひだのうちにまで、デジタル・テクノロジーの眼が深く浸透してきていることを実感させた。
◆全員が管理される側に
 M・フーコーは『監獄の誕生』において、完全な監獄の建築モデル「一望監視装置(パノプティコン)」に言及している。それは囚人を一望できるように設計された円形の監獄で、看守は施設の中央塔から囚人を常に見ることができるが、逆に、囚人は自分がいつ看守から監視されているのかを知ることができない。誰かにいつも見られているかもしらない、という意識は、その視線を内面化させ、囚人のうちに第二の看守が生まれ、結局、囚人は自ら従順な「主体」に変容する。
 このパノプティコンは、近代的名権力の「監視」様態を象徴するものであるが、社会学者M・ポスターは『情報様式論』で、夢想にすぎなかったパノプティコンに機能は、今日、情報通信テクノロジーによって、完全に現実化するとして、それを「超パノプティコン」と呼んでいる。
 しかし、さらに社会学者W・ボガードは『監視ゲーム――プライヴァシーの終焉』で、現代のデジタル情報技術は、観察者と被観察者の区分を無効にし、<見えない監視者>の位置に特権的に立つものも、常に監視される側にまわりうる「ポスト・パノプティコン」の時代だとした。確かに、権力の中枢的な情報に、悪意ある市民ハッカーがやすやすとアクセスすることがいまや日常的出来事であるように、ここでは、従来の、強大な国家権力=対=無垢な市民という構図が崩れる。
◆瞬時に再生される<私>
 だが、もっとも重要な変化は、現在形の監視から、蓄積された情報に<遡る>監視が可能になったという点であろう。<私>のあらゆる行動、行為が電脳空間のここかしこに(海底に静かに塵が堆積し、地層をなすように)データベースとして遍在していく。ほとんどは沈殿し沈黙したままだが、何らかの意図でそれらを寄せ集めれば、<私>についての驚くほど膨大で詳細な情報が、瞬時に組み上がる。
 どこかにある神の眼に見られている、という意識は消えるかもしれないが、いまや、スピノザの神のように、至る所に神は遍在する。それは文字通り、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキーナ)だ。さて、<私>の行動の規範や倫理はこのデジタル時代に、どう変容していくのだろうか。



2002年12月05日(木) IT講習(要約筆記付講座&手話通訳付講座その2)

◆伝えるスピード
要約筆記と手話を比べると、ごく日常的な会話であれば、手話の方が伝わるスピードは格段に速い。私は手話ができないので、私の話を手話通訳者が伝えてくださるのだけれど、それはそれは見事です。双方とも手話ができる場合は、健聴者と変わらないスピードで情報は伝わっていくようです。細かいニュアンスを伝えにくいということはあるものの、手話はすごい!

要約筆記は、「書く」という作業ゆえに伝わるスピードに差があるのは当然で、そこで「要約」という作業も必要になるわけです。

人の会話のスピードは、日本語では10分間に3000字前後と言われています。速記の検定試験1級だと、10分間3200字の朗読を速記符号で書き取り、手書き原稿に直します(反訳)。速記符号だと、書いた人しか読めません。
パソコンでの入力は、練習次第では10分間に1000字はいけます。単語登録などを駆使すれば、1500字ぐらいはいけます。
これが、手書きだとがくんと落ちて、10分間に200字から300字。話すスピードの10分の1。

書くのがいかに大変かということもあるけれど、音声で伝わる情報量の多さ、これを耳の不自由な方と接すると、如実に感ずるわけです。



2002年12月04日(水) IT講習(要約筆記付講座&手話通訳付講座その1)

帯広市の一般向けIT講習は11月で終了。今月は聴覚障害者2団体の講座を担当。一つは中途失聴者のためのもので、もう一つは聾者のためのもの。
聴こえないという状態に違いはないのだけれど(これとて、聴こえの程度、耳鳴りの有無、さまざまですが)、人生半ばで失聴した方と、聾学校に通って手話をコミュニケーションの手段にしている方とでは、大きな違いがあります。
昨年、聾団体の講習を担当させていただいたのですが、「そうだった、そうだった」と認識を新たにさせられることも多く、そのあたりを日記に書き記しておこうと思います。



2002年12月01日(日) 12月1日の日記

7時半起床。教室のストーブをつける。8時10分、レンの散歩。
9時より検定試験。10時に終了。清水よりお越しのKさん、お疲れさま!

その後、適当に食事をとりながら、喪中ハガキの作成、テープ起こし、テープの聞き直しの三つの仕事を3時半まで行なう。
喪中ハガキはとりあえず裏表200枚作成。新規に起こさなければならないテープは、ちと特殊な内容で、疲れる、疲れる。それでも45分間分、起こす。聞き直しの方はどんどん進んで、1時間半のうち、1時間分を終える。

4時からイルミネーション点灯式&寒中ビアガーデンの手伝い。
点灯式はなかなかよかった。夕暮れの駅前ハルニレの木は必見です。駅北広場のイルミネーションもなかなかよいです。
今日から市役所、NHKなどのライトアップも始まりました。

ビアガーデンは予想を上回る人出で、熱燗が売れる、売れる。
私は仕事を残していたのでアルコールは1滴も飲まずに頑張りました。
ホタテやチカ、差し入れのカキまであって、おいしかった!
7時を過ぎたころから撤収作業が始まり、8時前には完了。屋台に流れるメンバーに別れを告げて、帰宅後、レンの散歩。

残っていた速記録の聞き直しの方を片し、新規の方も15分間分、起こし、喪中ハガキももう少し頑張り、11時。
その後、友人にもらったホテルパコの入浴券で、1時間、ほぼ貸し切り状態の温泉を満喫。
なんと濃厚な1日でしょう!!


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Hiroko Watanabe [MAIL] [HOMEPAGE]

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