2003年05月17日(土) At the end of the day 一日の終わりに?
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いろいろな言葉が生まれては消えていく。
消えては再生する。
再生関連で最近の白眉は、20世紀のどんづまりにリバイバルを果たした、

At the end of the day(最後は、結局は、いろいろあるけれどやっぱり、結果的に、)

というフレーズだろう。

これは英国語で、使い古され、いわゆるcliché (クリシェイ)としてのアングルしかなかったが90年代に復活。一説に、スパイスガールズが米国上陸の際に使い、大人気となり、瞬く間に英語圏に浸透。

以後定着。こんな記事もある。

2002年、英国の18歳のヘアドレッサーの男性が、腕にタトゥーをした。ところが、漢字で「愛し、敬い、従え」というつもりで彫ってもらった三文字のタトゥーが、実は、

At the end of the day, this is an ugly boy.(結論として、この男の子、醜い)

という意味の中国語だったことがわかった。£90払ってこうなって、それを£600かけてレーザーで除去してもらうそうだ。

この記事のサイトはhttp://www.cantonese.sheik.co.uk/essays/tattoos.htm

そこには腕の漢字の写真も載っているが、僕にはちんぷん漢文だ。
三文字のうち、最後の2つ、「亜」と「男」はわかる。だぶんこれが、ugly boyということか。わからないのは、最初のat the end of the dayを表す漢字。

この“事件”は、とんでもない意味の英語のフレーズが印刷されたTシャツを静かに着こなす勇気ある若者たちを思い出させる。

それはともかく、At the end of the dayは、マドンナも濫用していたという。そのせいか、現在の彼女は英国人になったような感じさえする。『ダイアナザーデイ』では一番OO7映画らしいムードをかもしていたのが彼女だったなあ。それにして最近の彼女の歌、素敵である。それはともかくスパイスガールズに戻ると。

自分たちのことを:

“At the end of the day, we're just entertainers," sighs Ginger Spice.

“We're like girls behaving badly," Scary says. "Girls on holiday," adds Baby.
Ginger: "But at the end of the day, we're mates, we're friends.”

そして彼女たちへのコメント:

And at the end of the day, they are still very much together.(いろいろあるけどまだまだ彼女たちの結束は固い)

コリン・パウエルまで使っている。

The pervasive use of trade embargoes and other forms of sanctions "shows a degree of American hubris and arrogance that may not, at the end of the day, serve our interests all that well," Powell told the Senate Foreign Relations Committee. (広範囲に使われる貿易禁止やその他の制裁措置は「アメリカの思い上がりや傲慢を表すこともあり、それが、結果的に、わが国の利益にうまくつながらないこともある」とパウエル長官は上院外交委員会で述べた)

イラク戦争直前の記事だ。ウーム、結局つながったのではないか。

さきほどの最初の漢字を見た、コロラドのひろみさんから、あれは「夕」の字だとの指摘あり。

なるほど、たしかに夕はat the end of the dayだ!

それにしても、わからないということは大変なことだ。
ものすごい意味の英語の文句が印刷されたTシャツをニコニコ着ている人もいる。

www.engrish.com

という面白いサイトがあり、そこには巷の間違った英語が写真入りで出ていてとてもおもしろい。



2003年05月11日(日) Bank, not Bunk 銀行危機ジョーク
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インターネットのあちこちで見るジョークを紹介します。
誰でも自国の窮状を笑うのは潔しとしないもの。
特に、垂直文化の日本では、たとえば銀行は「上」であるという視線があり、それを笑うのは、そのままずうっと垂直に上まで笑い声が届いてしまうという「恐れ」が生まれる。で、もっと「上」が「しかる」ことが良しとされる。
一方、たとえば上や下の存在を建前として嫌う水平文化国では、銀行を笑うことは、別に横にあるものを笑うことで、笑いは水平に波及し地球を一周してしまうといった「楽観」が生まれる。世界のどこも、我々と同じように笑うに違いない、といった極端な水平感覚まで生まれるかもしれないし、そうでないものには、徹底的に研究して、できるだけ笑ってもらおうとするかもしれない。

さてこのジョーク、銀行の危機(なのかな)をテーマに、笑いを誘うような仕掛けが面白い。いろいろな銀行が出てくるが、名前はすべて外国によく出まわっている日本語がついているから、あ、これは日本の銀行に違いないとわかる。
たとえば、

Origami Bank had folded.(折紙銀行は閉じた)

これは、folded(折った、たたんだ、商売を閉じた)という語がミソ。
オリガミはfoldするものだから、(はいそうです!)語呂合わせpunなのだ。

Sumo Bank has gone belly up.(相撲銀行は倒産した)

これまた語呂合わせ。go belly up(腹が上になる、倒産する、転覆する)をうまく使っている。

Bonsai Bank plans to cut back some of its branches. (盆栽銀行は支店を縮小する計画だ)

これは盆栽はもちろん、広く園芸で行うcut back(切り戻す)というガーデニング用語(切り詰めるの意味もある)を、branches(支店、だけでなく、枝の意味あり)と抱き合わせで駄洒落ている。

Karaoke Bank is up for sale and is going for a song.(カラオケ銀行は売りに出ており二束三文で売却されそうである)

これはカラオケに、for a song(歌一曲歌ってもらうほどの値段、つまり、二束三文、捨て値で)をうまく掛け合わせてある。

500 back-office staff at Karate Bank got the chop.(空手銀行のバックスタッフ500名が首になった)

これはget the chop(解雇される)のchop(切ること)を、「空手チョップ」という連想にからめている。

最後に、

There is something fishy going on at Sushi Bank and staff there fear they may get a raw deal.(寿司銀行では不可解な動きがあり、スタッフは不当な扱いを恐れている)

寿司銀!?は、fishy(怪しい、うさんくさい)の元の意味「魚のような」と、get a raw deal(不当な扱いを受ける)のraw(剥き出しの)が「生(なま)」とを抱き合わせている。

全文はこうなる。

The Japanese banking crisis shows no signs of improving.
If anything, it's getting worse.
Origami Bank had folded.
Sumo Bank has gone belly up.
Bonsai Bank plans to cut back some of its branches.
Karaoke Bank is up for sale and is going for a song.
500 back-office staff at Karate Bank got the chop.
There is something fishy going on at Sushi Bank and staff there fear they may get a raw deal.

一応訳すと、

日本の銀行危機は改善の兆しがまるでない。
むしろ悪化している。
折紙銀行は商売をたたんだし、
相撲銀行はひっくり返ってしまった
盆栽銀行はブランチを切り詰める計画だし、
カラオケ銀行は歌一曲分くらいの値段で売られそうだし
空手銀行のバックスタッフ500人は蹴り出された。
寿司銀行では生臭いことが起こっていて、スタッフの運命は会社に握られている。

コツ1。

これを披露するときは、イントロ部分のあと、どれかやりやすい一行をまず試してみる。相手がクスリと笑えば二行目をやる。

コツ2。

折り紙や相撲など英語になったものなので、アリギャーミとかスーモウとかボンザイとかキャリオーキとかクラーリとかスーシーとか言わないと外国人にはわかりにくいところが面倒なところです。

コツ3。

BANKの発音ちゃんとせい。BUNKとやると「でたらめ」となり、意味がわからん。

以上、こつこつやってみるのもよい。

国際ユーモアは、自分の国を笑うのが肝心とくれぐれも自覚のこと。



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