forget-me-not

2011年08月25日(木) 止まらない時間

父方の祖母が亡くなった。

昨日がお通夜で、今日がお葬式。

まるで父の後を追いかけていったかのようだ。

死因は聞いていない。

おばあちゃんが、父が亡くなったことを聞いていたかどうかもわからない。

老人ホームに入ってから、認知症が進んだそうで
何をどこまで理解できていたかもわからない。

でもなんとなく、おばあちゃんは父のことをわかってたような気がする。

一人ぼっちで逝ってしまった不憫な父を、おばあちゃんが
放っておかなかったんじゃないかと思う。

母親と乳飲み子は離れたところにいても、母親のおっぱいがしくしく
痛み出す頃、赤ちゃんも泣いているものなんだそうだ。

母と子って理屈じゃなくつながっているんだよね。

生後一ヶ月の赤ちゃんを抱えた私は、やむなく葬儀に
行くことができなかった。

人間の別れってあっけないものだ。

おばあちゃんにも本当にお世話になった。

おばあちゃんの料理する煮物は本当に甘くてやさしい味がした。

なんであんないい人が、うちの母のせいで辛く苦しい思いを
しなくてはならなかったのか本当に悔やまれる。

私が何度も忠告して止めたのに、終始聞く耳を持ってくれなかった父にも
今更ながら憤りすら感じる。

でももう全てはあとの祭り。

もう二人とも、記憶の中でしか生きていないのだから。


きっと今頃お父さんは、

心穏やかに親孝行していることだろう。


・・わが娘はすくすくと育っている。

最近、少しずつ笑ってくれるようにもなってきた。

疲れ果てた私の顔が、彼女の澄んだ瞳にくっきりと映っている。

どん底の年に生まれてきてくれた私の希望。

ありがとうありがとう。

お母さん、

少しずつ元気になるからね。



2011年08月17日(水) 母親狼の黄昏

娘が昨日で生後一ヶ月を迎えた。

そして今日はお宮参り。

毎日ただただ必死にオムツがえして授乳して家にあるものを食べて
ぼーっとして昼寝して時々涙ぐんで迎えた一ヶ月。

その日が何日だろうが、何曜日だろうが
昨日の夜何を食べたか思い出す間もなく化粧もせず
ボサボサ頭で時には乳丸出しで子育てマシーンのように、
赤ちゃん狼を育てる母親狼のように、寝不足の目をこすって
必死に日々をやり過ごしてきた。

誰からも評価されることもなく、社会との接点もぷつりと途切れ、
ただただ自己満足のためだけに掃除、炊事をこなし、
目減りする貯金を眺め、日々何度も繰り返される同じニュースを
むさぼるように見て、その日みたニュースと主婦友とのメールの
やりとりからとるにたらない話題のネタを探し、疲れて帰宅した
夫に嬉々として話をするもシカとされ、八つ当たりし、
時々にやっと笑う娘の笑顔に癒され翻弄された一ヶ月。

辛いといえば辛い。
幸せといえば幸せ。
鬱といえば鬱。
物忘れが深刻といえば深刻。
・・でも大丈夫かと聞かれれば、たぶん大丈夫。

昨日は、産後検診があり実母と弟が病院に来てくれて
あかちゃんを見ててくれた。二人とも本当ににこにこして娘を
かわいがってくれた。

今日は、夫と義理の両親と一緒に近所の神社へ。
義理の両親もあかちゃんにはでれでれだった。

あかちゃんのパワーって凄いな、と思った。
お金にかえられない親孝行ができている気がする。

私の野生的な日々も少し日の目を見たように感じた一日。

ここに実父もいてくれたら、さぞかし良かったのに。

幸せなはずなのに、父がいないことを思うと泣けてくる。
中途半端な親孝行しかできなかったことが、何よりもやりきれない。

でも、今やるべきことを直視して前に進まねば。

外の世界でもいろいろな動きがあるようだ。

同僚のAさんが来月で仕事を辞めるとか。
幼馴染のBさんがおしどり夫婦だった夫と別居しているとか。
留学中に仲の良かった友人が離婚してたりとか。

人生で起きることって、ジェットコースターのように、
もう一度走り出したら避けては通れないようになっているのかなと
思ったりもする。

今は、一も二もなくあかちゃんのお世話をしなくては。

いつの日かひとりだちができるよう、
しっかりと見届けなくては。

人間、死ぬときは誰しもひとり。

後悔しないように、日々自分を大事にしながら、
とにかく目の前にあるなすべきことをなす。

そうすればきっとまた、

道は開けてくるはずだから。



2011年08月01日(月) こんにちは、あかちゃん。

父の四十九日の日に、待望の赤ちゃんが誕生。

かわいいかわいい女の子。

毛深いところとか、びっくりするくらい私の赤ちゃんの頃にそっくりだ。

7月14日の夜20時過ぎ。
陣痛の間隔が5分くらいになったので病院に電話をしたが、
取り合ってもらえず。

初産は時間がかかるだの、
病院に今来ても家にいるのと変わらないだの、
それなら家で翌朝まで寝ていた方が良いだの。。

初めてのお産だったので痛みの加減もわからず、言われるがままに
電話を切ったがその後、とてつもない悶絶の痛みにのたうちまわり、
結局、翌日午前1時過ぎに旦那に産院に連れて行ってもらい、子宮口が
既に全開だったため、即、分娩台へ→40分後には第一子が誕生。

安産だったのは良かったものの、
あと少し遅れていたら家のトイレで産んでいただろう。

お産に、というより病院の助産師さんに軽くトラウマ。

あれから早16日が経過。

子供がずっと苦手だったけど、やっぱり他聞にもれず
わが子ってかわいい。

めちゃくちゃ疲れていても、あかちゃんのためなら
何でもできる気がするから不思議。

産後、母ともコミュニケーションがうまくいかず、結局、里帰りなし、
ヘルプもほとんどなしでなんとかここまで乗り切ってきた。

退院後、夫の両親と私の母が我が家に来てくれて、
その後、電話で母と相談し、○○日にきてもらう話になっていたのに、
衝動性が抑えられない彼女は、電話の翌日アポなしで我が家を突撃訪問。

その日の朝、携帯にもすごい数の着信履歴。

私は産後疲れに加え、またもや自分の意思を踏みにじられたという思いで
母が来ても相手にしないでいたら、「歓迎されてないみたいだから」と
リビングでベッカーズを食べ10分ほどで帰ってしまった。

案の定、プライドが傷ついた彼女はもともと予定した○○日も
「いけないから」と断ってきた。

体はしんどかったし、ちょっと涙も出てきたけど、
母がいるストレスを思えば一人で産褥期を乗り切ったほうがよほどマシ、
と歯を食いしばってなんとか頑張った。

今はネットスーパーだってあるし、
困ったら助けてくれる友達もいる。旦那さんも必死に助けてくれた。

あかちゃんさえ元気でいてくれたら、
いろんな親子がいたっていいのよ。

父の四十九日のある日の午前に生まれてきてくれた娘。

父が孫娘の姿を見届けてから仏のもとに行ったんじゃないかって
夫がぼそっと言っていた。

いろんなものを失ったけど、
今いろんなものを手に入れつつある。

今はあかちゃんのことを最優先に頑張らねば。

どういう巡り合わせかわからないけど、
遠いところへ行ってしまった父にかわって、遠いところから
わざわざ娘がやってきてくれたんだもの。

贅沢はできないけど、
大事に大事に育てなくては。









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