はにまろの日記
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2002年01月30日(水) 国会答弁

国会では女性閣僚4議員が、小泉総理の「女性の涙は武器だ」
という発言に対しての感想を求められていました。

一般的な意見でいうと、限りなく女性蔑視の意味合いが含まれて
いたんだろうと推察できます。そこで野党に追及されたのです。

さて感想を求められた4閣僚ですが、さすがはここまで上り詰め
てきただけはあって、なかなかキレのある答弁をしていました。

森山法相
「女性の涙に男が弱いというのは本当だと思う。男性に泣かれても
女性は弱い。お互いさま」

川口環境相
「すばらしい男性の前で涙を流し、女性の武器だと一度言われてみ
たい」

遠山文部科学相
「感想を求められた時に率直にお話になられることは魅力だ」

とても機転のきいた答弁だったのではないでしょうか。明らかに
総理が不利な話題を、ユーモアを持ってうまく切り返しています。
実はもう1人扇国土交通相の答弁もあったのですが、かなりピント
が外れていて他の3人に比べればかなり見劣りがしました。

しかし・・・。最後にこの人が発言を・・・。

小泉総理
「だから涙が女性の武器だというのは事実なんです!いつの時代も
どの小説を読んでもそう書いてある!(以下略)」

せっかく女性3閣僚がうまくかわしてくれたのにねぇ。おそらく
こういう事にはかなり鈍感なんだろうね。本人は全く自覚してない
んだから。

実は昔から国会中継は好きだったりします(笑)


2002年01月28日(月) 少年犯罪

「個の拡散」

自分が自分じゃない感覚。自分のしていることの
重大さに気づかない。まるで他人事のように。

テレビでは、中学生はホームレスの老人を襲って
死亡させたという事件が報道されています。

今を生きる少年たち特有の問題なのかもしれません。

数年前、猿岩石という若手のお笑いコンビがユーラシア
大陸をヒッチハイクで旅をするという企画が、ある
テレビ番組で放送されました。

この企画はヤラセだとか、スタッフも一緒だったとか、
いろいろと批判を受けました。猿岩石に次々にふりかかる
災難。とても辛くあるはずなのですが、確かにどこか2人の
冷めた感じは画面から伝わってきます。まるで他人事の
ような感じが。

のちに2人が書いた『猿岩石日記』を立ち読みしたことが
あります。そこには鬼気迫る自分達の状況が全く垣間見ら
れない文面が綴られていました。

まるで自分をテレビの画面を通して見てるような感覚。
もちろん猿岩石の場合はテレビ番組の企画でしたが、この
2人への私達の共感は、結果として高視聴率として表れ
ました。

ホームレスを襲って死亡させた少年達。ユーラシア大陸を
ヒッチハイクした猿岩石。また彼らの映像を共感、あるいは
批判的にしろ興味を持って見続けた私達。

どうしても何か同じ病理があるように思えて仕方ありません。


2002年01月27日(日) 1回戦敗退、そして不幸は続く

バスケットボールの市内大会に出てきました。結果は初戦敗退。
もはや準優勝や3位になっていた頃の面影は、我がチームには
存在しません。練習してないので当然の結果です。ちなみに
試合には出場せずじまいでした。はい。

仕事の話しですが、突然オナガレになってしまいました。さすがに
ヘコミを通り越して呆然としています。

いやはや。。。


2002年01月24日(木) 見出し目玉飛び出し

再検査の結果を聞きにまた大阪に行ってきました。「高血圧傾向」
「高コレステロール傾向」だそうです。そんなんで再検査さすな
ちゅうーの。

電車に乗ってるとき、横のオッサンがスポーツ新聞を読んでいました。
その見出しが「中田」「バッジョも泣いた」「緊急速報」との文字が。
中田の顔写真の右下に、バッジョが両手に顔を覆う写真が載ってました。

「え!?中田死んだの!?!?!?」

ビックリしてもう少し詳しくオッサンの新聞を盗み見してると、横に
小さく「ブレシアDFの○○逝去」と書いてありました。まったく・・・。

そう言えば昔、「岡本綾子」「バンカーで失禁」「スコア大崩」という
見出しに、岡本綾子がうなだれている写真が1面のスポーツ紙を見た
ことがあります。もちろん岡本綾子がバンカーで失禁してしまった
訳ではなくて、単にプレー中に野良犬がバンカーでおしっこしたという
事でした。

相変わらずパパンのいた会社は大きく紙面を割いています。。。


2002年01月23日(水) 男の背中

再検査に行ってきました。

その日は4月から採用される大阪府の教員の方々たちが大量に
やってきていました。イマイマシイ・・・。とか思いつつ順番
を待ってると、後ろに座っていた男の人に話しかけられました。

男「校種は??」
私「え!」
男「府教委の検診じゃないんですか?」
私「あぁ、一応そうですけど・・・」
男「僕は養護学校です」
私「あ、僕は臨採の方なんです・・・」

両者無言

それから話していると、その男の人は僕の前任校に行った事が
あると言うのです。世間は狭い。

私「どういう用事で○○学校に行かれたんですか?」
男「□□のスーパーバイザーということで・・・。
  N先生とかK先生とかまだおられますか?」
私「N先生はおられますよ。K先生は某市に転勤されました」
男「へー」
私「スーパーバイザーというと、9月まで勤務してた学校で
  お世話になった先生もスーパーバイザーされてたようでした」
男「えー、どなたですか?」
私「H先生」
男「あ、H先生!?知ってます知ってます」

なんと言う偶然でしょうか。H先生はこの日記の最初でお言葉を
拝借した先生でした。慌ててそれまでの足を放り出していた悪態を
ついていた格好を改め、ちゃんと座りなおしました。世の中は悪い
ことできないようになっています。

なんでも35歳にして採用試験に合格されたとか。別れ際には
暖かい言葉をかけていただきました。いい人だ。

今朝、パパがテレビをかぶりつきで見ていました。パパは現在
無職です。昨年の12月に、30年近く勤めてきた会社を希望
退職したのでした。テレビで大々的に報道されたのは、まさに
1ヶ月前までパパが勤務していた会社でした。

「バカな事を・・・」

テレビを見つめそうつぶやくパパの背中は、とても小さく見えました。


2002年01月21日(月) 尿蛋白&高血圧、そして吉報が凶報に

どこの自治体も採用前には健康診断を受けなければなりません。
今日は大阪の淀屋橋の結核会というところまで行ってきました。
何分も待たされダルイなぁと思いつつ受信していました。本当
にダルかった。折からの昼夜逆転の生活。。。

嫌に長く待たされるなぁと思ったら・・・。

後日再検査らしいです。尿蛋白と高血圧のために。。。高血圧
気味なのは自分でも自覚していたけど(許容範囲より4超えてた
だけですが)、尿蛋白は。。。そういえば宝塚で検診受けた時も
「腎機能が少し低下してます」と言われたなぁ。健康だけが取り柄
だと思っていたのに。日頃の不摂生がたたっているのでしょうか。

次の学校の勤務開始日がずれてしまいました。

教育委員会にも現場の学校にも迷惑をかけております。まさか
自分でもこんな結果になるとは思ってなかったので(汗)反省。

ツイテナイナァ(反省の色薄し)

とか思って家路に着いたら、12月まで勤務してた某市の教育委員会
からTEL。「また養護学校で空きがでたんですけど・・・」との
事。うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。もう少し早く言ってくれよぉ!!!!
養護学校での体験はとても刺激になり、もう一回養護学校でという
思いはすごく強かったのです。だから今回の教委巡りでもその旨は
どこの自治体にも伝えていたのでした。何でこんな事に。。。

ヒドク凹んでいます。。。


2002年01月20日(日) メッセージ フロム タイランド

またしても見知らぬ外国の人からICQのメッセージが。
今度はタイ人でした。片言のニホンゴで話しかけてきます。

5分くらい経ったでしょうか。タイ人のBOW君は「時間が
ない。もうすぐ行くところがある。メアド教えて!」と
言い出してきました。メアド教えてって言われても。。。

こういう場合教えていいのでしょうか。普通、見知らぬ人に
メアド聞かれても教えないですよねぇ。ネット上では違う
のでしょうか。BOW君には「基本的にメアドは教えない
事にしてる」と言っておきました。

BOW君は去り際に、自分のメアドを残していきましたが
、さてどうしたものでしょうか。送るべきか送らないべきか。
タブン送らないでしょう。もう1回、ICQのメッセージが
来たら考えましょう。はい。


2002年01月18日(金) 呼ばれて飛び出て

大阪の某市の教育委員会から電話がかかっていました。
中学校の講師の依頼です。履歴書を持って行ったのが
1週間前。あまりの速さに自分でもびっくりしています。

今度は介護休暇を取る先生の代わりだそうです。ただし
介護を受けている方(休まれる先生の親でしょうか・・)
の容態がかなり悪いらしく、勤務期間は容態次第だと
いうことらしいです。最短の場合は0日勤務だそうです(汗)

条件としては非常に悪いです。勤務する学校も近くは無い
ですし。しかしそこは講師稼業のツラサ。2つ返事で引き受け
ました。僕らには選ぶ権利はナシ。呼ばれたところに
行くだけです。まぁ、選んだところで仕方ないのですが。

しかし、赴任前はいつでも緊張します。もうすでにソワソワ
落ち着かずにいます。途中からある先生の代わりに入るって
ことは、とても難しい事です。何せ相手は難しい年頃の
中学生ですから。

どうしよう。考えたところでどうにもなりません。とりあえず
体1つで飛び込むだけです。思い悩むのは何かにぶち当たって
からにしよう。今までの学校だってそうでした。最初はどうして
いいのかわからずあたふたと。でも、最後にはどの学校でも、もう
少し勤務したかったと思ってきたはず。

呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン

今度はどんな出会いがあるのかな?


2002年01月17日(木) 阪神淡路大震災

もう7年になるのですね。


当時、僕は神戸の予備校に通っていました。

1年を棒に振って勉強してきた事の総決算。

まさに受験直前でした。


僕の住む町もひどい被害に遭いました。

家が全壊した友人も身近に何人もいました。


数日後、電話をかけてきてくれて会った女の子。

一緒に腰をかけたドブ川の堤防。

たんたんと家が壊れて行く様子を語っていました。


何かあの子に言葉をかけてあげたっけ?

言うべき事は何1つ言えなかった。

本当になんにも。


自分の弱さ。自分の狭さ。

今でも胸がチクリと痛みます。


2002年01月16日(水) 1年前の写真

写真屋さんに現像された写真を取りに行きました。机の上に1年間
おきっぱなしにしていた使い捨てカメラの写真です。まだ半分以上
フィルムが残っていましたが、思い切って現像に出したのです。

1年前、僕は大阪の某S市の中学校に臨時講師として勤めていました。
勤務期間は1月初めから3月中頃まで。期間としては短かったのですが、
いろいろな状況が重なり赴任早々にある1年生のクラスの担任代行と
いう大役を任された思い出深い学校です。

勤務最終日に担任代行をしたクラスのみんなと撮った写真なのです。

久しぶりに見た写真の中のみんなの顔。眺めているだけでなんとも
言えず和やかな気持ちになります。担任代行とはいえ、初めて自分が
受け持った生徒たち。目に入れても痛くない子たちです。

薄暗い教室の中で使い捨てカメラで撮った写真は、みんなの顔の輪郭も
ぼやけてお世辞にもいい写真とはいえません。でも、当時の全てのもの
がその写真に詰まっています。写真の端からずっとその子達の顔を
眺めて行きます。今でも生徒全員の名前を覚えているのは自分でも
驚きです。

あれから1年。当時中1だった生徒たちも、もう3年生になろうとして
います。中学生は成長めまぐるしい時期。もう写真の面影はないのかも
しれません。写真と何も変わってないのは僕だけかもしれないですね。

オレモマケズニガンバロウ!


2002年01月15日(火) こっち向いてよ、裕希ちゃん!

オンラインゲームにはまってしまいました。その名も
『サマァフラワァ』。無料のゲームと侮るなかれ。
その内容はその辺のゲームより十分楽しませてくれます。

断っておきますが、基本的には『ときめも』と同じ
恋愛シュミレーションです(汗)

僕自身、恋愛シュミレーションゲームは遠い昔に
友人達と何だかんだ言いながらやった事があるくらいで、
一人ですることはありませんでした。しかし実際
やってみると、これがはまるはまる。。。

登場する全て女の子とのハッピーエンドを見ずに終われなく
なってしまうのです。製作者の思う壺です。しかし、
男だったらそうせずにはいられないはず!!(タブン)

で、今ワタクシは地団太を踏んでおります。ヒロインの
裕希ちゃんだけ、何度アタック(アタックって・・・)
してもフラレてしまうのです。完璧にストーリーを運んで
いるはずなのに!!もう悔しくて悔しくて。。。

せめてゲームの中でくらい夢を見させてくださいよぉ!はい。


2002年01月13日(日) Message From Canada

ICQというチャットソフトを使っています。このソフトは
なかなか便利で、オンラインの友人と簡単にチャットが出来
てしまいます。

しかしこのソフトは、全然知らない人からもメッセージが
届く時があります。そういう時はだいたい無視と決め込んで
います。実際HPの宣伝とかが多いのです。でも、今日来た
メッセージはその類ではありませんでした。

送り主はカナダ人の大学生で、「明日のニホンゴの授業の
宿題を手伝ってくれ」とのことでした。軽い気持ちで「いいよ」
と言ってしまったが最後。次々に質問が飛んできます。基本的に
簡単な文章ばかりだったので、英文を和訳するのはそれほど
難しくはないのですが、日本文を英訳するのにはやはり結構骨が
折れました。

日本文
「dou itta goyouken desuka ]

英語で何て言うんでしょう(汗)簡単なはずなのですがすぐには
浮かんできません。

「watasi wa koukousei desu nai」
この文章のどこが間違いで、どう直せばいいのか英語で説明する
のは僕のジツリキでは到底不可能です。ニホンゴでの説明さえ
おぼつかないのに。。。(激汗)

「 watasi wa koukousei dewa nai 」
「 watasi wa koukousei dewa arimasen 」
「 watasi wa koukousei jya nai 」
「 watasi wa koukousei de nai 」
         ・
         ・
         ・

品詞分解して英語で教える訳にもいきません。。。

でも、本来ならば会うことのない様な人と話せるってのはとても
刺激を受けます。そして何よりも楽しいです。

そういえば数ヶ月前に、ドイツの女子高生からメッセージが届き
ました。「アニメのカードを集めてる。もしカードを持ってたらその
画像をメールで送って欲しい」との事でした。自分が持ってない旨を
伝えたうえでアニメの話をしていたのですが、その子は「セーラー
ムーン」と「めぞん一刻」が大好きと言っていました。

「セーラームーン」はわからないでもないが、「めぞん一刻」とは。。。
「めぞん一刻」は、ヨーロッパ人にはどういう風に解釈されているのか
不思議です。

ちなみに、この人たちとの会話はとてつもなく稚拙な英語を用いて
行われていたことを、ここに告白しておきます(汗)

英語勉強しとけばよかった。。。


2002年01月11日(金) 教育委員会巡り

大阪方面の教育委員会を回ってきました。まずは
大阪天満橋の大阪府庁で講師登録してきて、豊中
・池田・箕面に履歴書を持って行きました。はっきり
言って手ごたえなし!時期が悪かったかな。。。
あるところでは、来年度の4月からは話があるかも
しれないとのこと。そんな先の事を言われてもねぇ。

今度の履歴書には「学校図書館司書教諭資格 所得
見込み」が書き加えてあります。平成15年度より
全国のどの学校にも司書教諭が配置されるらしいです。
どこの自治体もこれには頭を悩ましているそうです。

悩まずに採用してくれればこちらは楽なのですが(笑)
といいつつも、この資格はホントのペーパー資格。
放送大学で講義を受けたのですが、実際に放送を
見たのは1回。後は適当に参考書から文章を抜き
取って、単位認定のレポートを仕上げたのでした。

司書教諭の仕事なんて何していいのかワカリマセン(汗)


2002年01月10日(木) リンク貼り

HP作成ですが、全然進みません。難しい!!!作成ソフトには
「簡単!!初心者にもすぐに出来る!!!」と書いてあったりし
ます。簡単に出来るのはTOPページのみで、あとは何だかんだと
ややこしいことばかりです。出来る人には簡単なんだろうなぁ。
WORDを最初に触った時と同じ感じがします。

実は1ヶ月前までパソコンの授業とかしてました。。。(汗)
T君ゴメンネ。まぁ、そんな難しい事はしてないんだけど。

どのくらいで一通りのリンクが晴れるのでしょうか。はぁ。


2002年01月09日(水) 少しずつ少しずつ

HPですが、プロフィールとBBSのリンクを貼りました。
BBSは日記同様に外部から借りてきています。友人も
借りてきた方が楽だと言っていましたが、実際にHPを
作成してみてわかりました。はっきり言って楽です。はい。

少しずつ少しずつ見られるサイトになってきたでしょうか。

今日は教育委員会回りを計画しています。大阪のほうを攻めて
みるつもりです。豊中・池田・箕面あたりかなぁ。吹田も
捨て難いが遠いもんなぁ。しかし去年は何故吹田に縁があった
のでしょうか。何のアプローチもしていなかったのですが。
やっぱり縁でしょう。

いろいろな縁に導かれ、いろいろな人に出会って、いろいろ
なご迷惑をかけつつ、今年も過ごして行くのでしょうか。

少しずつ少しずつ成長しているのでしょうかねぇ。


2002年01月08日(火) 日記開設(祝)

何だかんだと日記開設までこぎつけました。とはいうものの、この
日記を書いている今現在作りかけの我がHPには繋がっていません。
何故故って??それはリンクの貼り方がわからないから。。。

「 ぼちぼち行こか Take it easy ! 」

昨年度お世話になった人からの年賀状の文言から抜粋させてもらい
ました。頑張ります。はい。


はにまろ