| 2015年05月31日(日) |
「ON AIR 祝15th LIVE」 |
落ち込んでいたわたしは海に連れて行ってもらった
『ON AIR 15th Anniversary LIVE』
場所は糸島方面西区サンセット未満、 ざうお本店裏ビーチw ◎連れて行ってくれた方の友人のお店の15周年◎ 屋外 海辺 貸切 ライブ☆ そのやみくもにたのしいPARTYに、 救われた気分になりました なぜなら… ほんとうにおもしろいPARTYだったからッッ 笑笑 いきなり三つ編み金髪ヅラ男性太めボーカリストに、 度肝抜かれましたw そのラストソングが金爆でまた吹いたww 歌を知っててほんとうによかった! 笑笑 人波をかいくぐって、、 まず、紹介されたお店【ON AIR】のママ。 挨拶しようとしたそのときです!
「あ!久◎病院でお会いしてますよっ ストレッチしてるの見てましたもんw」
なんと、同じ病院の患者仲間でした―(爆) ◎最初からわたしの顔は割れていた◎ 最初からおしりが割れているのと同じですっ
びっくりぽんですッッ 笑笑
世の中狭いッッ 狭すぎるッッ!! でも、見知られているというのは驚きでした 病院ではストレッチしてただけだもんほんと。 おぼえられているというのは 舞台人、ダンサーとしてうれしいかぎりです! 一寸先はや、、じゃないw 一歩外に出た瞬間からたたかいは始まっています☆
「いや、だって目が引かれたもんw オーラある人、私はおぼえてるわ」
俺のオーラは後付けですっ 笑笑 この台詞も軒並みリハビリしかできない自分にとって 大いなる救いでした。 ママの目を見ればわかりますが、ママこそが ただ者じゃあありません。 一目見ればわかることw そのカラダからあふれる才気と風格、半端じゃない 肝っ玉母さんの類です。あきらかに。 わたしがそう言うと、 連れて行ってくれた方が言いました。
「そうじゃなきゃ15年も続けられないわよ?」
そうだろうな。この世はいつだってきびしいものね その後、会場にいたsingerの女の子を紹介してもらい ました! その名は《井形さゆり》ちゃんw 対面したときの物凄い低姿勢にびっくりしたけれど その歌は とんでもない力を帯びていました!!
目ん玉飛び出そうになったくらいです
歌が “上手い” なんていうのは飛び越えてる 歌を “自分のものにしていた” んです― すごい。 次元がちがう その声量に、勇気が引き出されてくる気分でした この声質は才能でしょう すごい力です… フツーじゃあない 心が震えました 対面したときのオドオド感は一体なんだったのかw ぜったい偽装だ!きっとそうだ! 今流行ってるもんね! だまされたッッ(爆) まったく堂々としたステージでした― これは踊りにちかい、そう直感したくらいです なんだろうこの圧倒的ド迫力!! 俺もこんなダンスが今すぐ踊りたい!! 踊れるものならほんとうに踊りたい!! そうおもいました― そして、いつか自分の舞台でも歌ってもらいたい!! そうおもいました―
海岸に面したLIVE会場、実は初体験です。 海岸には子連れ親子がたくさんいました。 とっても晴れた日で、これ以上ないサイコーの日和。 そんな日にわたしは遊びました。 いつもジムとかプールにしか行ってないんです。。 素直な気持ちで砂浜にいたのですが 小さなこどもたちの列に並んでは割り込みされ、 並んでは割り込みされつづけ、、 わたしの気持ちは粉砕されましたw ブランコこげるまでどんだけ時間かかったか 笑笑 ◎こいつらよりもぜったいにあそんでやる◎ キレかけて事前行動にふみきったくらいですw
「あのね〜 お兄さんも並んでるんだよ〜」
滑車スロープにも乗りました 遊びましたッッ 今の自分にできるかぎりの勢いで縄につかまりますw スロープは木につないであったんですが、遊ぶことだ けにとらわれて 最後どうなるか、考えてなかった― 日々の地味トレで鍛えたぶんのスピードが、 突然わたしを襲いました!! 迫り来るヤシの木ッッ うわあーーーーー!!(爆)
滑車にブレーキは “ない”
とっさに飛び降りたわたしでしたが、 飛び降りれた自分に驚きました 飛び降りれるくらい回復しててほんとうによかったw 毎日リハビリしててほんとうにほんとうによかったw 晴天の中、いい大人がマジで遊んでやりましたッッ
あぶなく病院に逆戻りだったのは秘密です 笑笑
大人になると遊ぶことが “恥ずかしい” と思ったり することありませんか?? でもそれってほんとうに “恥ずかしいこと” なんでし ょうか?? 笑笑 わたしはいつでもおもいきり遊べる大人でいたいw
そうでなくちゃダンスなんて踊れないのですw 感情をあらわにするダンスには、 いつでもそれが問われているのだと。
たのしいことをたのしいって本気で言える。 人間にとっておそろしく大切なことだとおもいます
その事実を聞いたとき 圧倒的な理不尽を感じました わたしたちのカラダを救ってきてくれた先生が、 亡くなってしまうだなんてまったく信じられない 練習でどうにも動けなくなっていた本番前。 これまで何度も無理を言ってしまった先生です。。 先生はそれでも夜遅くに施術してくれました そうしてこれまで踊ってきたんです― 松永先生はほんとうに笑顔で、、 笑顔しか出てこないひとです ほとけさまとなった先生の顔を拝見しましたが、 もう、、ぜんぜん違うひとだと感じた 別人だとおもった
だって、だって… 笑っていないんですよ
ほんとうに笑顔しか出てこないんですッッ 先生は笑っているイメージしか出てきません。。 今このときになって気付いた
先生はそれだけわたしの前で笑ってた
笑顔しか出てこないなんてとんでもないひとです 無理をしながら踊っているわたしたちを施術して くれている先生が先に亡くなるなんておかしい ひとのカラダのために尽力している先生が、 先生が亡くなるなんて、ぜったいにまちがっている もしかみさまがいるのならぶん殴ってやりたい そうおもったんです
「タイスケくん、体の調子はどう?」
そのメールが最後でした 今年の2月のことでした 先生には去年、手術してから会えていません わたしはそのとき自分の脚のことで精一杯でした
だからどうしたッッ
命のまえでどんなことも言い訳になるもんか!!!!
わたしは返信していなかった よくなればすぐに会えるさ、そうおもってた これを書きながら、泣きながら後悔しています なぜそのときに返事をしなかったんだ、俺は!!
いくら泣いても決して取り戻せない
あんなにわたしのことを心配してくださった先生。 先生こそがたいへんな時間をおくっていたはずです なぜあのとき一言おくることができなかったのか それは わたしの慢心です わたしはわたし自身で手一杯でしたが、 先生はその比ではないひとだったんです 《そのとき》が一体どんなときか、 それは あとでわかるべきことじゃない
いつでも《そのとき》を大事にしなければ どんなときも、一言が言えるひとでいたい
そう、わかっているはずなんです! ステージで踊る人間がそれを知らないはずがない。 見に来てくれる人がいる、その時間がある それがどれだけうれしいか わたしでさえ自分のカラダのことを言えるひとは 限られています。 誰にでも言えることじゃない。 きっと先生も自分のことをそう考えていたはずです だからこそ、一言にたいせつな意味がかくれてる それがどんなに社交辞令な文面だったとしても 決して社交辞令や挨拶ではないのです その深さは決して他者には量れないのです
ああ、松永先生 ほんとうにほんとうに今までおつかれさまでした そして、ありがとうございましたッッ
松永先生のように毎日笑顔でいたい いられるように毎日をがんばりたい そして生きているかぎりそれができること それを先生がおしえてくれました
また会えるのをたのしみにしています
それまでに、たくさん踊っておかなくちゃ
| 2015年05月29日(金) |
初!インド古典ヨーガ |
今日は友だちのヨガ講師に誘われて、初。 インドヨーガのクラスに出ました! 《古典》は初体験となります。 一体どうなることやr… 行けばわかるさw たんのもーう 笑笑 すぐ目に入ったのは鍋ッッ
包帯が煮られてました 鍋で。
ちょっと長めの包帯、参加者分が煮られていた。 一体どうなることやr… 先生はひとりずつその包帯を渡しながらこう言った。
「じゃあこれを喉から通していって下さい いける人はどんどん通していってね〜 ヨガする前に体内を清めます。デトックスねw 今配ったガーゼ30〜40cmを端から飲み込んで 食道から胃に通してください。 水を飲みながらやるといいですよ」
え…
全員が怖じ気づいた瞬間でした― わたしたちは一様に何かをつぶやいていた。。 先生は言った。
「しゃべらないで飲みこむッッッ」
ええええええええええええええええええええ
たぶんここにいるすべての人が心で叫んだとおもう。 これ、、強制ですか― ◎心が叫びたがってるんだ◎ いや、ほら… 朝ヨガだったし!! しっかり朝ごはん食べてきてるし!? しびれをきらした先生はインドでのリアル動画をわた したちに見せてきました。
「ほらこんな風に〜 小学生くらいの女の子とかフツーにしてるよ?」
うん。フツーに飲み込んでますねw それも俺たちが盛ってる包帯の1.5倍くらいの長さねw わたしたちはその動画に驚愕してました
「これ、ヨガ前の準備だから〜 カラダを内部から洗って、それからヨガして、 身も心もリフレッシュ、整えるのよ! あっ!危ないから家ではしないで下さいね〜」
しませんよ。しませんってww
しかし、今、なう、しなくてはならない空気ッッ わたしは万をGして水と一緒にのみこm…
「うえぇ」
なんとも言えません。 包帯を飲み込んだ者としかわかりあえません。無理。 でも、がんばって伝えますね! 笑笑 わたしは気合いで水と一緒に包帯を飲み込みました。 飲み込んでる最中。 インドの女の子みたいに飲み込めるようになりたい、 だなんて ただの一度も願いやしませんでしたw
まるで拷問のような準備です
インド古典ヨーガにはこんな準備があるのか。。 世の中は知らないことばかりですねw いや、むしろ知らなくてもいいんじゃないかな。 でもわたしは知ってしまいました。無理。 飲み込んでいる間、わたしはいろいろ体内を考えた。 わたしたちの食道からの体内には、 その管を守るための粘液がありますよね。 で、この包帯飲み込みではその粘液を除去する作業と 言えます。 そう。包帯を出したらネバネバ粘液がついてきますw いやマジであまり見たくないっ しかしここであたらしい感覚に気付きます。
あ… なんだかスッキリ感がすごい
たしかにこれは、何かがある。 とても正しいことをしているとは思えないがッッww 先生は言った。 「粘液を取るのでこの後食べるものには気をつけて」 「最長で7mくらいかな〜 ほら、腸とかすごく入り組んでますからね〜」
◎インド古典ヨーガおそるべし◎
何よりもおそろしかったのは、 誘ってくれた友だちが《私は包帯たべません》意志を 最後まで貫いたことです いたって真剣にわたしたちを包帯食べに誘う先生。 わたしたちがパワハラに屈していく中、 まるで動じない人がこんな近くにいた― 笑笑
こんな風に生きられたらきっと人生バラ色です わたしはなんと弱い人間なんでしょうか
さて、そういうわけで わたしの古典ヨーガはおおよそ準備だけで、 死ぬ気を味わうことができました。 こんな簡単に死ぬ気を味わえるなんてね。 知らないということは毎日を新鮮にしてくれますね。 なんとすばらしい☆
さてヨガのことも載せときましょう! この日のピークポーズは《コブラ》でしたw 至って真剣です。 ヨガしてる人ならわかるでしょうが、 コブラのポーズは基礎中の基礎。 コブラのポーズができた!とか言う人まずいませんw 古典ヨーガではポジションや指を閉じる、 両手両脚は常にパラレル平行を意識する。 これは必ず先生がチェックして正されます。
ポーズができるようになる、というよりも 圧倒的に自力整体でした
これがまた全然あまくない。 先生は言ってました。 「ヨガはカラダの流れを整える、つまり血流の流れ を整えることです。 だからポジションは守って」 ほんとうに “基礎こそ奥義” の世界。 おかげさまでその翌日背筋に可能性を感じたほどです 今までよりも圧倒的に背中が伸びていた その結果、背筋が完全に筋肉痛ですッッ 笑笑 ◎筋肉痛とは可能性です◎ 今までいけなかった場所へ行けた証明なのです!
そしてヨガは呼吸です。 特におもしろかったのはこの古典ヨーガでは、 呼吸音をさせないことを意識させられたことです。 先生の一言がとても印象に残ったので入れときます!
「まるでここにいないような呼吸をして下さい」
深呼吸をするよう言われることはあっても、 “ここに自分がいないように” なんて初めてです!! これを実際にやってみるとかなり別次元でした― まるでここにいないように、なんてのは、よほど楽に そのポーズでいることができなければ無理なのだw
そう、呼吸こそが奥義です
その呼吸を守ろうと意識するとカラダは応えてくれる これまで以上に応えてくれたのです 発見でした。 特に、インド古典ヨーガでは一つ一つのポーズ中に マントラを詠唱します。 これは、がんばっているカラダでは詠唱できません。 がんばっていたら、くるしいからですw 今までも呼吸を意識してきましたが、自分がいないよ うになんてところまで考えたことなかった
呼吸できるということは、 カラダに無理がないということ
自然体のダンスを踊るには実はこれが必要不可欠!! 言葉にされるととても指針がはっきりしてきます。 あやふやなものがまとまる感じ ダンスを踊る者としてはあまり言葉にしたいと思って いませんが、これはその逆の力でしょう 言葉にするってほんとうにすごい力ですからね! 是非あなたもインド古典ヨーガに行ってみて下さい。 世界、変わりますよ〜〜〜
想いをダンスにするってとても、とてもむずかしい なぜならその想いが複雑で混沌だからです しかし 複雑だからこそ、すべてをダンスにできるのです たったひとつのことじゃありません すべてです ダンスはそのすべてを踊ることができる わたしはこれこそがダンスのすばらしさだと、 そう感じています☆
プールでも例外なく《存在》が影響を及ぼす。 たとえば、誰かが行き着くのがスタートだったりw 人はそんなものを無意識的に “きっかけ” にしている。 最近それがわかった―
わたしは毎日初心者レーンでビート板バタ足の人です ビート板バタ足こそプール史上最強最低の技w クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ… そのいずれにも属すことのできない泳法です。 いや!泳法とも呼べないんじゃないか?? なにしろこれ以上ない最強の道具を使うんです!!
自分で浮こうとしなくていいんだものね
プールでこんな楽な道具は他にないでしょうw しかし、バタ足をやってみればわかります。 ただ ひたすらにバタ足です。
スピードは迷惑なほどに遅い 見た目以上にあきらかにキツイ そして人から見られる視線がイタイ
わたしは泳ぎにきているのではありません。 リハビリです。 リハビリと思わなければ、 ビート板バタ足なんてするもんかッッ(爆) ほんとうにやってみるとわかりますが、
圧倒的に退屈
だけど今の状態では致し方ない。 脚力目的ではこれが一番キツいんです!! バタ足がしっかりできるようになって、 キックできるようになって、他の泳法も試しました。 でも、他の泳法では足に意識を向けられません。 息継ぎをはじめ 手で水をえぐるほうにどうしても、 意識が割かれてしまうのです!
泳ぎ上手になるためにわたしは泳いでません
そんな4ヶ月を泳いできてわかったことがあります。 それは泳ぎの上手な人の特徴。 水泳をしている、あるいはしてきた人たちは―
とにかく動きがなめらか 無駄がない タイムを見る癖がある 休まずに泳ぎ続けている
上の二つはビート板バタ足では出来ないのでw 三つ目に焦点を当てました! 冗談で二つ目もやってましたけどッッ 笑笑 この頃わたしは《断続的》に泳げるようになっていた とにかく休まない。 泳ぎつづける。 気が付けばバカンス気分で泳いでる人たちを圧倒して いました 笑笑
正しく『ウサギとカメ』をやってたんです(爆)
ビート板バタ足が “上手” と言われることはない。 しかし、自分でも今日まで気が付いてませんでしたが どうやら《異様》に見えていたらしいw なにしろバタ足だけをしてるのはわたししかいません バタ足を始めてしばらく時間が経過したときです。 なんだかまわりからつめたい視線を感じました… その視線の内容おそらくはこれ。。
「何!? この人ッッッ???」
なんたってほんとうにバタ足しかしません。 他の泳ぎに移行しないんですw その上、まったく休まないんですよ?? 笑笑
そう。 わたしは最低最速の遅さで他レーンの人たちに、 人知れずプレッシャーを与えていた なんだかこっちを見る目がちがうんです― きっとこう思ったんじゃないかなw
“バタ足には絶対負けたくない”
自分だったら耐えられないかもしれません。 だって一番遅いヤツにいつの間にか負けてるんです! だってビート板つかってるようなヤツにですよ?? 人間ってむちゃくちゃ面白い☆
いつの間にか目の敵のように まわりの人たちのスピードが上がっている!!
正直、わたしは驚きました わたしは今できることを精一杯やってるだけです ビート板バタ足がどれだけ恥ずかしいか だけどわたしには理由があります 膝をなんとしてもできるだけはやくなんとかしたい ダンスと向き合いたい 恥ずかしいという気持ちは何の役にも立たない この気概でこれからもやっていくだけです
そんなわたしでも誰かの何かになっていた
目の敵でも きっかけでも、何だっていい こんな自分でも世界に影響をあたえていたんです わたしは、わたしが生きていることを実感しました
◎とてもしあわせです◎
| 2015年05月26日(火) |
Romancing 佐賀2 (3) |
術前検査をかるくパスした翌日。
また佐賀にいってきました
2015年、どれだけ佐賀に行ってるんでしょうかw Romancing 佐賀 やってるからしょうがないよね 笑笑 そいういうわけでもう三回戦です!
◎天高くミミズ干からびる佐賀◎ っていうか… まだぜんぜん春です 春なんですッッ だって5月なんだからしょうがないよねッッ(爆) 歩行者道には干からびたミミズの群れ。 その先には水出しっぱの水道蛇口。 この水があれば干からびることもなかったろう… 人間の罪をひしひしと感じましたね。
なんてところだ…
マジで何もない
何もないが、連なる家々
人は生きています 生きているんです
歩いてる人、俺以外にいないけどね
人間ってすごい
秋空高くさわやかに、、って秋じゃねーーーしッッ
わたしは子どもの頃、
さわやかにをズワイガニの友だちだと思ってました
一体どうして秋空高くサワヤカニなのか
もうぜんっぜんわかりませんでした
リアル実話です 涙涙
【Romancing 佐賀】 スタンプを乱打できない多久ww これまではどこ行っても乱打できたのに!! 多久では正しく商売に繋がっていた― ◎わたしは感動しました◎ 他の地区では極めてテキトーに置いてあったんですw とんだパーフェクト商法ですよッッ か、買わざるを円っっ 笑笑 そう、まず多久には史跡がまるでないのだ。 ゼロ!史跡ゼロッッ!! 正直、史跡に行きさえすればすぐさまスタンプラリー を終わらせることができたんです 笑笑 あまくない。 あまくないぞ Romancing 佐賀!! 何もない多久を歩き回ってラストスタンプ枠。 わたしは【岸川まんじゅう】に急行した もう列車の時間やばい 下手しなくても 1時間に 2本レベルなのだ!!
まんじゅう購入 すごく人のいいおばちゃんを横目に 笑顔でスタンプ乱打 まんじゅう美味いッッ
こうしてRomancing 佐賀2 多久編を完遂w ガタンゴトンガタンゴトン 時の流れゆるやか超セレブ気分☆ 佐賀市内に出る時間ちょっとくらいあるだろう。 が、列車はおそかった… 超鈍行だった… 電車じゃないし… 佐賀駅到着。 一息つけるような時間はまるでなかった― 息もつかずに特急電車乗り換えw
列車の外はただの俗世間でした 笑笑
本日の佐賀は多久だけで終わりましたw 干からびたミミズと超美味い岸川まんじゅう。 その二つしか記憶にのこってません。 いったいどんな旅をしてしまったんでしょうか― これが Romancing 佐賀 です!!(爆)
わたしはお土産に買ったレンコン オ・レを一気飲み。 超美味かった 笑笑 まずは自分で飲んでおかないと人に渡せませんw それに、面白いものしか人に買ったりしないww
その後、そのレンコンが本当に多久特産で、 “セレブリティ れんこん” だと知りました☆ ネイバーはなんて物知りなんでしょうか ますます佐賀の謎は深まるばかりですッッ 笑笑
◎次回はついに Romancing 佐賀2 最終回◎ つづく。
| 2015年05月17日(日) |
たたかうよりも難しいこと |
白鵬のドキュメント番組を見ました。 プロとしての心構え、そしてプロとしての常識。 白鵬は言ってました。
「横綱とは、宿命だ」
「場所ではテーピングしない その日のために何時間もかかって来る人も いるわけでしょう??」
たたかうことだけが相撲じゃない。 そんなものを感じずにはいられない一言でした。 やはり格闘技とはいえ、見ていただくもの。 美しくあるべきだと。 これは、舞台人に深く刺さる一言です!
舞台にはその人の世界との向き合い方が表れます。 自分がどうありたいのか そして、自分がどうあらなければならないのか 信念や夢、そんなものさえも現出します
どこまでの深度で、どこまでの真剣さで挑むのか
これは、実は、毎日のことです
決して舞台だけが特別な場所じゃない。 その積み重ねが舞台につながっているんです。
人生は、敵と戦うより難しい
毎日は自分とのたたかいです 自分を自分らしく輝かせる場所です そして、わたしたちが成長していくところです
| 2015年05月16日(土) |
ありえない奇跡がおきた |
今日はDiorに寄りました。 先日見た『Dior & I 』の感想もあるし 笑笑 実のところ、映画情報はDiorで聞いたものです。 Bagを修理に出したときにw 地元唯一の Dior homme 消失で心配してたけど、 さすがは一流ブティック、完膚なきまでに受け取って もらえましたッッ 笑笑
そういうわけで、完璧になって戻ってきました☆
さすがは世界のDiorです!! そして、せっかくなので映画の感想を… 熱弁しすぎてしまいましたッッ だってラフ・シモンズも言ってたもんw
「ファッションは対話だ」って
対話じゃなくて一通気味だったのは秘密です(爆) 店員さんたちの正体は「3度見ました」な人たちw 明らかにDior 愛が違うのだ。 これこそは一流ブティックの鑑だと思う。 “好き” じゃない人間はここで働いてないんです! そんな店員さんにわたしは感想を述べに述べました。 だって映画、おもしろかったんです!! 前回のblogで書けなかったこと置いておきましょう。
ラフ・シモンズがファッションショーを行う場所とし て豪邸を借り、イメージをリアル試作したときのこと ラフは壁一面に花を敷き詰めました 造花じゃありません。 生花です!! その花の量は膨大で、尋常じゃあなかった そして、なんと部屋ごとに色が 花が ちがいますッッ こんなファッションショー… 人生で二度と同じ体験はできないでしょう… できるなら死ぬまえに一度は実感したいしてみたい ◎圧倒的 空間演出◎ そこへDiorトップ、二人のうちの一人がやってきた。 偉い人はラフに話しかけます。
「すごいな!! 外の路地にまで香りが舞ってるよ これだけ敷き詰めるのにどれくらい時間 かかったんだい??」
「5時間ですw
「ええッッ
「ははは… 冗談ですよw 50人の人介で、48時間かかりました」
えっと、、はっきりいって笑えないよね それw そう。 これには大変な時間と労力がかかっていた― 圧倒的とはそういうものですッッ 汗 舞台とはそういうものなんですッッ 涙 経済的な差はあれども、わたしたちでさえ、 こんなものに?というところにお金がかかります! 見てもらう、というのはたいへんなことなのです このときのラフとその右腕の人物の話が、 実は物凄くおもしろかった。 二人は豪邸の端っこでこんな話をしてました。
右「どのくらいお金かかることになるんだ? 大丈夫なのか??」
ラ「あの二人のうち一人を唸らせられれば、 大丈夫さw」
これが芸術の正体ですッッ わたしはたいへん感動しました
押し切れるほどの圧倒。 一面の花の壁にはそれほどの力があったんです
この頃はおもいきり春でしたからリニューアルな 風が街をつつんでいましたw わたしが通うプールのあるビルには、壁一面に、 花のシールがラフのイメージのように貼られてた。 映画でその花の本物を見てしまったわたしです。 毎日このビルに通うのがまことに苦しかった!!
ほんものだけがくれる圧倒的な感動
その真逆のビルに通う自分ッッ(爆) なんだろう、、この圧倒的まがいもの感ッッ 笑笑 イミテーションはイミテーションでしかない―
わたしは絶対にほんものを踊ろう、そう誓いました
話戻しますw 酸欠になりそうになったので感想を終えると、 奥からなんだか偉い人が出てきて包みをくれました―
「こんなに映画の感想を言ってくれた人は はじめてです! よかったら、お持ちください」
袋には今季のファッションノートと共に、 『ディオールの世界』という本まで入っていた! ありえないありえないありえないありえないありえな いありえないありえないありえないありえないありえ ないッッ すごくうれしかったですwww
『ディオールの世界』 川島ルミ子 ディオール衝撃のデビューから55年。 今語られる “永遠のモード” の秘密! 1947年、第二次世界大戦の終結を喜ぶパリに、 彗星のように現れたクリスチャン・ディオール。 彼はその時、42歳。 そしてわずか10年後、 52歳で他界してしまった “モード界の革命児” その知られざる生涯とその時代背景を、 数多くの弟子や友人の証言を交えながら明かす。
なんだろうw きっと、勉強しろってことですね― こうしてわたしはさらなるたか…深みへ!!
どんな世界もほんものは奥が深いッッ
一流と呼ばれるものや人には秘密があります。 それは向き合い方の原点です。 良いか悪いかは別として、 ずぼらな人が一流とは呼ばれませんよねw 凛とした印象は、自分を律していない人に現れはし ないのです!!
では『ディオールの世界』でまたお会いしましょうw つづく。
| 2015年05月15日(金) |
「コンドルズ ソロダブルビル」 |
◎東京からソロダンスがやってきた◎ あまり足はすすみませんでしたが、気力を振り絞り、 ない頭を向けてすすんできましたッッ 席についたらすぐ前の席にギャル◎ンの店員さんがw おっそろしくかっこいいから即わかりです 笑笑
『ハラホロヒレハレ』 『手のひら』
ふたつの作品に共通するのはとても個人的な事情を 踊っているということ。 これは自分も踊っていて痛感するのですが、舞台の上 というのは、《個人的な事情》がとても《他人事》に 見えてしまうのです。 《他人事》としてつくるのも一つの技術ですが、今回 はどちらかというと丸投げに近い。 それが、わたしには刺さりませんでした―
どうしても響いてこなかった
ソロは、ほんとうにむずかしいです。 情動の距離感。 考えただけでもゾッとします 15分を超えての尺ともなると、同じ踊りを続けられま せん。自分が飽きる前に、見ている人が飽きてしまう だから、感受性の起伏がどうしても必要です。 完全に振り付けられたものであればまた別ですが、 勢いや気持ちは “そのとき” に現れるものです これを制御するというのは生半可にはいきません!! リアルを受け取ってもらおうとするのなら、 まずは自分自身がリアルにならなければ。 ここにウソがあると、踊りになりません
カラダはウソをつけないものです
どうやったらひとりひとりに向き合えるのか それには、自分自身に向き合わなければなりません。 結局はここに行き着いてしまいます どれだけ自分を知っているか 自分の気持ちがほんものかどうか その根源、その衝動がダンスを生み出すのです そして深度。どこまでそのダンスが深いのか これはもう、、ほんとうに終わりがありません!!
これまで見てきた偉大なダンスたち。 そこには自分を知っているとは真逆のものもあった。 《自分を知らない》からはじまるダンス。 自分自身を最後まで探していくダンスです。 知らないこともまた、終わりがありません!!
もしも知っているのなら、どこまで知っているか それが踊りにあらわれます。 ああ、この人はこんな人なんだなあって
その内観がどうにも抜け切れていない感じがした
これは技術ではなく、感じとる “何か” です 個人的な事情をダンスにしたとして、それを楽しく 見てもらおうとすると自虐的な方向をたどって、 ピエロのようになります これは笑えません。。 だってその思いが、本当は “重い” んだからw
すごく大切なことを、かるいダンスにしてしまうと ほんとうにかるくなってしまうんです
誠実に自分の気持ちに向き合ったら、 きっときっと重いダンスになるはず。 しあわせだーーーって人はこんなの踊る必要ないw そんな人のこれくらいでいいやーーーってのの、 《これくらい》が《どれくらいなのか》 っていう 世界なんです!! だから、もっともっとずーんと重たいところから 光を見つけ出してほしかった かんたんに光なんか見えやしないんです いたみやくるしさだってけっしてこんなところの ものじゃない そして、そして… その先にはきっと命の輝きがあるはずなんです そんなことを思ったのは、たぶん、、 今の自分を救ってほしかったからだとおもうw
だって、ダンスにはその力があるんだものね!!
| 2015年05月14日(木) |
「Double Invitation」 |
しまった! またやってしまった― 叫べ! チョベリバ!
『Double Invitation』 5/10 或は、招かれなかった客たちの宴
タイムマシン使うときは魂の叫びトリガー。 それは、誰も使わなくなった死語への哀悼w 死語を叫ぶのは罪悪感からきてる習慣ですw 五ヶ月前のことをblog化している現在、それから さらに過去にさかのぼる絶望感ったらありません!! なぜだろう… やっぱりこれも衝動かなあ 笑笑
今というときはダンスを見るのは苦痛です。 だけど、今日は絶対行きたい。 なぜならこの作品の振付家が友だちだからですw コンテンポラリーダンスを学び始めた頃、 本番を一緒に踊った仲間のひとり 深堀絵梨。 そんなホーリーは東京で活躍中。 2011年自らのグループ《HOLIDAYS》を結成。 そう、これは凱旋公演と言えますッッ すごい。ほんとうに。
その成長を今こそ見よう!!
でも、完全なダンス作品じゃあなかったッッ 涙 演劇フェスティバルが土台だからまあそうだよね… 演劇とダンスのハイブリッド作品。 ダンスだけが見たかったけれど仕方なし!
これが、、かなりむずかしかった
あくまでも個人的な感想なのだけれど。 とにかく《こうきたか》みたいな驚きがない。 ダンスもどちらかといえば “状況” 寄りでした。 わたしは状況説明の踊りが一番退屈だと思っています なぜならまったく心がうごかないから。 わかってしまえば想像力がはたらいてきません。 わからないからこそ知ろうとするのです。 しかし、これまで見てきた状況の踊りで感動までいっ た作品があります! パパタラフマラ『SHIP IN A VIEW』 これから先もこれを超える作品はないとおもう その決定的な違いは状況を超えていたこと。 ひとりひとりが圧倒的に “生きて” いたんです あれほど厚みがある作品を見たことがありません。 説明などというものをはるかに超えていた
涙がでた
状況で感動が巻き起こるなんて初めての経験でした。 つまり感動を呼び起こすには、それほどひとりひとり の真に迫る力が必要だということです! あれほどまで状況を踊り抜いたコンテンポラリーダン ス見たことがありませんッッ
その舞台はまるで世界そのものでした
考えてみれば わたしたちは状況に生きています。 ここには生半可な演劇では迫れないんじゃないか!? ウソくさい台詞ひとつでぶち壊しです ダンサーの毎日が精神と肉体をつなげる努力なら、 役者は精神と台詞をつなげなければウソです。 その人の生き様が問われるくらいでなきゃ。
さて、状況の踊りに近いということでついそんな踊り の極みについて言及してしまいましたが、 ここを目指してるわけじゃないだろうので展開します この作品はおそらく強い心情を謳ったものじゃない。 身を滅ぼすような激情ではないんです。 招かれなかった者、もしくは招かれた人、そして 宴を開く側の気持ちの移り変わり。 そんなささやかな事情と気持ちの変化。 そんなものを喜劇テイストに仕上げられた作品です。 かるい気持ちで最後まで見られました! だからこそ曖昧に “見えた” のかもしれません そうおもいました
この作品でこころに残ったのは松尾望ちゃんですw その踊りが… 物凄かったッッ 舞台に松尾望ちゃんがいるときはまったく他に目が いきませんw その勢いは白井さち子さんを彷彿させるものでした― 小さいけどその力が、力量が、異常なんです 笑笑 もう一目で何でも踊れるぞこの子ッッって思った!! だからこそ作品の一部ではなく本当に踊りたいものが、 そのダンスの方向が、知りたくなりました。 そして是非いつか一緒に踊りたいなあ☆
でもこれは作品のことじゃない
作品を見て感じたことはやはり自分に返ってきます 自分だったらどういったものにしたいか もし、わたしがつくるとすれば… 《どうしても伝えたい》ものがないと無理です やはり踊るからには見ている人の何かに訴えたい だからこういった、さわやかな作品をつくれるという のは、それはそれでわたしにはできません。 しかし、ささやかなものの中にだってたいせつなもの はあるはずです。 やっぱりここに焦点を絞りたい。 そう考えるとわたしにとってはどうしても演劇は邪魔 です。 芝居ではどうしても見た目にわかりやすくなってしま うために、どうにも浅はかに “見えて” しまうのです こころが震える感動はここからはうまれにくい。 どうしてもここに挑戦したい気持ちになりました―
これまで見てきたすごい作品たち。 そこには《分析》なんてする余裕はありません。 少なくとも鑑賞している最中に、 そんな余地はないのです
だから、まだまだいけるでしょう☆
終演後 ホーリー&松尾望ちゃんと写メ撮ったんですが、 俺が一番おんなのこっぽく見えて吹きました(爆) 身の引き締まる一日でしたね。。
CYBEXを終えてプリントアウトされた筋力数値と そのグラフ。 それを見てマッキーは言った。
「おっ!? いいじゃないですか〜」
そうだろう。そうだろうともw でも、わかってもらえないだろうが、、 「いいじゃないですか」じゃ足りないんだ! 自分がどれだけのことしてきたか自分だけが知ってる そして今日はついに執刀医・s医師による診察です。 今日という日のために結果を叩き出したんですッッ たとえていうなら江戸時代、血判状を持って殿様にお 目通り叶うも、かるく斬首!みたいな気持ちかなッッ s医師はCYBEXの結果を手に取って瞠目した―
「さぁどうかな〜?? おっ おおおオオおおオおおおッッ!? すごいじゃない!? タイスケく〜ん!!」
「あたりまえじゃないですか」
「いやいや… 感心した!! 前回からの追い上げすごいじゃない!! 手術いつだったっけ? 8月? 9ヶ月でここまで数値上げるとは― なかなか上がらんよ?? アスリートでも途中で投げ出したりするのに、、 よく頑張ったね〜!!! 君のこと初めて褒めたよ 笑笑」
はっはっは、なめんなよ!! 何を隠そう いつだって投げ出しそうだよッッ(爆)
s医師はまず褒めたりしません。 ほんとうに結果が出ないと何もすすませてくれない。 そんなs医師がめちゃくちゃ褒めてくれたんです―
そうだ、これだ!!
そのくらいのことをやってきたんだッッ 本気で賞賛してくれたのはドクターだけでした 俺のことわかってくれるのはドクターしかいない☆ そう、おもったw ちょっと泣きそうになった うれしかった
今こそ時計の針をすすめよう
わたしは一気に手術日を決めました。 これが最後の手術。 抜釘さえ終われば、あとは再復帰するだけですッッ よっしゃあああああああああああああああああああ ざまあみろ人生!!
◎手術日は 6/9 です◎
| 2015年05月12日(火) |
CYBEX 第三回戦 |
【CYBEX 第三回戦】ついにこの日が来た。 前回の二回戦は 3/4 。 あれからの努力が明らかになる日。 決戦です 前回は総合力が全般的に上がったという結果でした。 全体的に力が上がったのはいいことなのだけれど、 右脚力との差はぜんぜん埋まっていなかった 右も左も同じだけ筋力が増していたんです… 毎日筋トレして毎日泳いで、力が底上げされたのは 確認できましたが、目的は違います。 目指しているのは右脚力と同等のつよさ。 同じことをしていても結果は変わりません。 わたしは日々のトレーニング方法を変更。 特に、左脚に対する負荷を上げた。 負荷を上げればそれだけ痛みを伴いますが、 ここは頑張りどころでしょう!! そのための痛み止めです!! 笑笑 いざゆかんッッ
◎今日は王様気分で拷問されるお話です◎
前回の結果数値から筋トレを強化。 今日の数値でその方法の有用性の真偽がわかる。 さぼってたりするのは論外です。 そう、サイベックスこそは現時点 最大の敵。 担当PTマッキー&ソームがそれを審査。 大変にこやかな顔で裁きを下してきます。
裁かれるのは “人としての器”
本気でダンスに戻ろうとしているのか。 その本気がほんものかどうかが問われています!! すべては《何の為にリハビリしているのか》、 その《原点》 ハートの問題です! ここのPTはみ〜んな厳しいから、がんばってない 人間どもはかんたんに切り捨てられてしまいますw なんというおそろしい世界でしょうか。 かなり極端な文章ですが、マジリアルです。
病院はやさしくされる場所じゃない
少なくとも、リハビリ室とはそげなところです☆ サイベックスに呼ばれると、 新PT 3人が実践をかねてわたしを血祭り…じゃない! 超丁寧に電極付けてくれたり、ベルト締め付けたり… 王様気分で拘束されていきました(爆) 3人もの人間にお世話されるのは初めてのことですw 拷問イスの設定中、最終確認にマッキーが登場。 もう、そうとう、エラそうでしたねw 君臨!って感じ!? 実際エライんですけど 笑笑 そうして始まる写真撮え…じゃないw リハーサルっっ 「蹴ってみてくださ〜い。よさそうですね〜 じゃあ次、本番でーすw」 このときからいきなり罵声に変わります― 「蹴る!曲げる!蹴る!曲げる!蹴る!曲げる! 蹴る!曲げる!蹴る!曲げる!蹴る!曲げる!!」 その罵声は「殴る蹴る」に近いww 4人のほほえましい視線を浴びながら、いつものよう に脳の血管がブチ切れるくらいにやりました。 脳裏にはただひとつ。《やっぱりこれ拷問だよね》
そして、わたしはついに80%を叩き出した
それはまるで人生に勝利した気分でした― まだぜんぜん人生にも手が届いてないんですけどね― そう、すべてはこれからです!! ざまあみろ人生 ついに先へすすめるときが来たんですッッ 俺はマッキーにむかって叫びました。
「こんちくしょう! ありがとう!!」
手術から8ヶ月半… リハビリも、もう何ステージなのかわかりません これまでたくさんのステージをクリアしてきました できないことができるようになっていくお話です できるようにする手術をしたんです
次はいよいよ抜釘手術ッッ 今回、靭帯再建の最終手術・入院となります
つづく。
『トワノクオン』は、故・飯田馬之介監督が最期の メッセージを込めたSFバトルアクション。 病床で最期まで本作に取り組み、 自らの思いをスタッフに託した。 監督が作品に託したらすとメッセージとは!?
『トワノクオン』 想いが暴走する世界で、人類が試される―
真実はいつだって残酷だ 生きていたい、ただそれだけなのに 「もっと、こうなりたい」「こんなことがしたい」 「違う場所に行きたい」 「もっと、もっと、もっと!」 思春期に誰もが一度はとらわれる、そんな想い。 その想いが現実に形を持ち暴走する。 突如、能力に目覚める少年少女達。 力を望む少年は “強い力” に。 美しくなりたい少女は “変身能力” に。 誰かを憎んでいる者には “殺す力” に。 それぞれ想いが具現化し、力となって現れる。 少年少女は次第にその力に魅了されていく。 そしていつしか、力に意識まで取り込まれ、 怪物に変わり果てる。 己の欲望をただ叶えるだけの怪物に― オトナとコドモの間で揺れ動く不安定な時期、 制御できない哀しみに、次々と暴走する心。 「苦しむ心の声が聞こえたから」 「ただ、守り続けたくて僕は…」 彼らのもとに現れ、自身もまた、迷い、痛み、 哀しみを共有しながらその魂を受け止め、 共に生きようとする、謎の少年・クオン。 人知れず 彼らの戦いはつづく―
さっそく主人公・クオンの台詞からいきますw
「さっきみたいに暴走すると思うのかい? 君は一生懸命練習したじゃないか。 自分が力を選んだわけじゃないと思って いるのかな? でもそりゃ違うよ。 君が心の底からほしいと思う力、 それが能力なんだ」
ターゲットが低年齢層なのは否めませんが、内容は大 人にも通じます。 実際、思いの力が暴走すれば犯罪 にも繋がるたいへんな力ですッッ ぶん殴りたい、とか、めちゃくちゃにしたい、とか。 突き抜けたら “やって” しまいかねません!! ◎一生懸命制御しないといつだって暴走できます◎ この作品では能力が具現化してしまいますが、具現化 しなくてもチカラの使い方は問われるものです。 そのチカラとは “心の力”、“心の方向” です! 主人公クオンは誰かのために力を使います。 そして暴走するのはいつも自分本位の能力者。 おもった。
やっぱりそうか… 自分に使う力はせいぜい自分の命を守るためくらいで いいんじゃないか
この作品にはそんなものを感じます。 自分本位の人は大概人の話を聞くことができませんし 自分のことしか興味ないのがほとんどです。 相手のことを考えない人には傲慢さが見えます。 ほんとうに強い人というのは、誰かを倒すことよりも 弱い者を助けることを考えていますよね? どうやったら協調できるのか 寄り添えるのか たとえ今が苦しくても過去を変えることはできません クオンの過去を尋ねた女の子。
「クオンは… 人を殺したの?」
「ああ、、殺したよ…」
「よかった クオンってさ、物凄く長生きしてるんだよね? そんなに生きてるのにさ〜 昔やったことをずっと悔やんでる 長く生きたからって悟ったりしないんだな〜 って思ったら、 人間っていいなあって思えたんだぁ だってさ! それって千年生きても、あたらしい 恋ができるってことじゃない!!」
千年生きるって… どうなんでしょうねw 千年、たのしさをふりまけたりするんでしょうか?? この女の子みたいにポジティブになれるんでしょうか その千年って廊下に立たされてる気分じゃないのかな 千年も人を助けつづけるなんてこと、 自分がゆるされたいからじゃないと、もしくは、 罪や業を背負っていなければとても考えられません! 《〜しなければならない》という気持ちがなければ、 自分自身をたもてやしないでしょう そして《〜しなければならない》という義務感は、自 分を奮い立たせるものでもありますが、同時にいきす ぎれば縛り付けるものにもなります。 これは子どもでも大人でも同じだとおもいます。 本気で考えてみたらおそろしいことになります―
ほんとうに自分の力を解放できる世界だとしたら、 とんでもないことができてしまう 自分の思うようにしようと思ったら必ず暴力に及んで しまうことになる
わたしたちにはいつだって葛藤がつきまといます クオンとの戦いで “ほんとう” に気付いたイプシロン。
「俺は、ほんとうに戦うべき相手と戦う!!」
ほんとうに戦うべき相手。 それはおおよそわたしたち自身です!!
実はその終盤も終盤、たいへんな局面がやってきます これ以上ないほど疲弊したクオンは、 敵に完敗を喫してしまいます。 意識が薄れる中、クオンのまわりにこれまで救えなか った人間がつぎつぎと現れた― 彼らに謝罪するクオン
「ごめん、、精一杯 努力はしたんだ… 僕は、頑張れたかな??」
しかし、死者は首を横に振りました
そのときのクオンの返答こそが伝えたいメッセージ。 “ほんとう” だとおもった そう、受け取った
「そうか… なら、もっと頑張らなきゃ 」
正直、この台詞には度肝を抜かれました 文章でそれが伝わるかわかりませんが、 ほんとうに度肝を抜かれたんです
こんな展開、人生で一度も見たことがありません 死ぬほど努力した主人公に対して 「まだ足りない」って言える人がいたんです!!
わたしたちは死んだ人間を前にしたら、 《まだがんばれる》んですッッ
これは、はっきり言ってこころの問題です 実際にできることと思いの差がいくらあっても わたしたちは絶対につづけることができます
そう、死んだ人にはまるでウソがつけないのです 自分がしようとしていること したいこと 自分のほんとうの思いにウソはつけない
わたしたちが頑張っている人間だとしたら、わたした ちよりも明らかに頑張っていない人から「がんばれ」 って言われると怪訝な気分になるはずです。 お前に言われたくない!とか反発心まで湧きます。 努力を重ねてきた人に言われればこそ、わたしたちは 勇気が出せるのです 説得力はカラダに、声に、すべてに宿ります
わたしには美樹さんという方がいました わたしの人生を変えてくれた人です 上は大学生、下は中学生、三人のお子さんをもつお母 さんでした。 病院で美樹さんと出会わなければ、わたしの今はあり ません。 どんなに感謝してもしたりないほどの人 6年前からもう何度もblogに登場していますが、 どうしても生死の話になると避けられません。
死ぬほど《生きようと》した人です
カラダは動きませんでしたがその意志はたいへんなも のでした。 その目でさえ不自由でしたが、目の奥に 力を感じるんです!! わたしは美樹さんを勇気づけようとしました。 どうにかして勇気づけたいとおもったんです。 それは自身の小さな世界から脱出できた瞬間でした 自分にできるのは踊ることしかない。 生きているうちにダンスを見てもらおうと、 必死にリハビリに取り組みました。 わたしは圧倒的に回復していきました。 だけど間に合いませんでした 今でもそれが悔しくてなりません
正直に言えば、今も苦しい毎日です ダンスに戻れたというのに 図らずも靭帯断裂、 再建手術からのリハビリです 毎日毎日トレーニングをつづけ、何も変わらない毎日 踊りにもまだまるで手が届いていません 毎日が嫌で嫌でたまらないんです そんな自分でも毎日をなんとか楽しくしようとして このblogみたいな感じです たどっていけば苦しさにぶつかってしまう
毎日が同じことの繰り返しになると、 わすれてしまいそうになるのは 《今、自分がなんのために生きてるのか》 トワノクオンはそれを思い出させてくれました まだまだ、ぜんぜん、頑張れるッッ
スポーツクラブ入会は2月。 5月にもなれば少々話せる人ができるものです 笑笑 わたしは2ヶ月毎に退会します。 いつでも、やめるためにここにいるからです とにかく2ヶ月で結果を出すために全力を尽くす。 ダラダラとすごすわけにはいきません!
期限をつくるのは自分を間違わないための手順です
そんなわけで今回は2度目の退会手続きw 来週のサイベックスでいい数値を叩き出せなかったら また再入会ですッッ ちくしょうめ! そんなわたしにblack woodちゃんが迫ります。 (※black wood:数少ない話せるstaffのひとりw) 仲間たちが辞めてblack woodちゃんは人知れず昇進。 そんな女の子が漫然と新人をあててきやがった―
まあ… いいけどね
とつぜんわたしは新米受付嬢トレーニング係に就任w それはblack woodちゃんのあからさまな甘い罠!! なんという狡猾な女でしょうか!! 新人女の子の説明がなんとダンスに見えることよ― 〜身振り手振りが可愛くてウケる〜 この子は本当に新米でしたからね。 仮免許も持ってないくらいです。 ええ、ええ、そりゃもうどんなにしくじろうと、 わたしは怒りませんよ? 見守りますよ?? わたしのような聖人みたいな鬼教官いないよ? 笑笑 ◎人間、生きてりゃいいんです◎ ってか俺、職員じゃなくて客なんだけど―!? 手続きが完了した後、black woodはこっそり言った。
「あ、いける!(タイスケさんなら) …っておもったんですよ〜〜〜〜〜」
どれだけなめられてるんでしょうねw チッ 俺のことよく見抜いてるじゃない!!(爆) こうしてblack woodちゃんはわたしのお気に入りに なったのです ちくしょうめ!
| 2015年05月09日(土) |
「Dior & I 」 |
映画終わって泣いてる人見たのは久しぶりでした
『Dior & I 』 そのドレスは世界を魅了する―
Dior新任デザイナーと誇り高きお針子たちの パリ・コレクションまでの8週間。 ディオールのアーティスティックディレクターに 新しく就任したラフ・シモンズが8週間で開催する 事になった2012年オートクチュールコレクション。 様々な美しいドレスがランウェイで披露されるまで ラフ・シモンズとディオールメゾンの 誇り高いお針子たちの舞台裏に迫る、 ドラマティック リアル ドキュメンタリー!
面白かったのは一流メゾンのお仕事の仕組み。 ラフ・シモンズがインスピレーションを与えて、 そのすべては針子たちの技術に懸かっていること。
ここにこそ超一流の技がある
針子たちはラフ・シモンズの意図を汲み取って、 メゾンのプライドをもって最高の仕事をする。 どんな行程かというと、まず、ラフのデザイン画を 作業場の机いっぱいに広げて、 つくりたい服を針子たち本人に選ばせます。 職長は言いました。 「そのほうがいいものができる」 興味深かったのは、選ばない人がいたことw その針子にインタビューするとこう言った。 「私は選べないんです。 一番むずかしいものがまわってくるから」 これこそが職人の中の職人!! 自分も踊りでそんな発言がしてみたい!! ラフ・シモンズもDiorメゾンの歴史をないがしろに、 好きなものをつくれるわけじゃありません! Diorのすべてを引き受けなければならないのです。 自分の作品といえども、 Diorらしさを引き出してからのもの。 そのうえラフはオートクチュール未経験! ここにおそろしい重圧がかかっていることを、 この映画はおしえてくれます。 なんといっても、 この後ろには商売が成立しているからです!! 事実、映画でもそんな話が出ます。 1seasonで5000万円を使ってくれる顧客。 その いち顧客のドレスのためにドレス部門職長が 世界へ飛ぶのです。 そのためにショーの服がラフのもとにこず、 ラフが怒りをあらわにする場面さえあります。 1つのショーを行うまでのたいへんな苦難。 これには正直、納得してしまいました。 ギリギリまで服を扱う針子たちや、 本番当日の不安と恐怖 その渦中のラフ。
そこから解放されるのは本番の後しかない
わかる。わかるなぁ… 圧し潰されそうになるプレッシャー、その恐怖! わたし自身、またその恐怖のド真ん中に行こうと しているんですからとんだ物好きですよね 笑笑 その恐怖は望まないと得られない恐怖です でも、ここでしかできないことがあるんです。 ここに立ち向かえない人は舞台には立てません。 人に見られることはたいへんな恐怖です。 ソロ公演なんてことになれば震えが止まりません! 震えは舞台に出る寸前まで続きます
わたしは、ファッションショーではそんなことには ならないだろうと思ってました だけど全然同じでした ギリギリのギリギリまで作業してた 最後の最後までいいものをつくろうとしていた もしかしたらどこまでも終わりがないのかもしれない そんなことをしているんじゃないか 舞台はいつだって完成ではなく節目 今できる最高のところにいこうとしつづけること そうおもったんです 人にいいものを見せたい 気持ちを通わせたい そんな根底の強さがなければ到底できることじゃない ショーが終わったとき ラフは号泣してました
わたしは、ファッションの世界が 泣くほどのものだと初めて知りました
| 2015年05月08日(金) |
「月の影 影の海」(下) |
つづきです。 下巻でも陽子は余裕で幻の猿に惑わされ続けましたw
「そんな甘いことを言ってるからサァ、裏切られて いいカモにされされるのサァ」 「裏切られてもいいんだ」 「甘いなァ」 きゃらきゃらと夜を裂いて猿は笑う。 「本当かい? 本当にそれでいいのかい。 カモにされるほど莫迦でいいのかヨォ」 「裏切られてもいいんだ。 裏切った相手が卑怯に なるだけで、わたしの何が傷つくわけでもない。 裏切って卑怯者になるよりずっといい」 「卑怯になったが勝ちサァ。 ここは鬼の国だから なァ。 お前に誰も親切にしたりしないんだぜ。 親切な人間なんか、いないんだからヨォ」 「そんなのわたしに関係ない!」 追い詰められて誰も親切にしてくれないから、 だから人を拒絶していいのか。 善意を示してく れた相手を見捨てることの理由になるのか。 人からこれ以上ないほど優しくされるのでなけれ ば、人に優しくすることができないのか。 「…そうじゃないだろう」 陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切る ことは何の関係もないはずだ。 陽子自身が優し いことと他者が陽子に優しいことは、何の関係も ないはずなのに。 独りで独りで、この広い世界にたった独りで、助 けてくれる人も、慰めてくれる人も、誰一人とし ていなくても。 それでも陽子が他者を信じず卑 怯に振る舞い、見捨てて逃げ、ましてや他者を害 することの理由になどなるはずがないのに。 猿がヒステリックに笑った。 ただ突き刺さる声で笑いつづける。 「…強くなりたい…」 柄を固く握りしめた。 世界も他人も関係がない。 胸を張って生きるこ とができるように、強くなりたい。 猿が突然に笑いをやめた。 「お前は死ぬんだ。 家にも帰れず、誰にも振り向 かれず、騙されて裏切られて、お前は死ぬんだ」 「死なない」 ここで死んだら愚かで卑怯なままだ。 死ぬこと を受け入れることは、そんな自分を許容すること だ。 生きる価値もない命だと烙印を押すことは たやすいが、そんな逃避は許さない。 「死ぬんだ。 飢えて疲れて首を刎ねられて死ぬんだ」 渾身の力を込めて剣を払った。 草叢を切り裂い た切っ先は空気までを斬って、強い手応えを返し た。 散った葉先の間に猿の首が跳ぶ。 地に落ち、血糊を撒いて転々と転がった。 「ぜったいに、負けない…」 涙が止まらなかった。 硬い袖で顔を拭って、歩き出した陽子の足許には 金の光が落ちていた。 陽子はしばらくその意味を取りかねて、呆然とそ れを見つめる。 土の色を変えた血溜まりの中、蒼猿の首があるは ずの場所にそれはあった。 もうずいぶんと昔に失くしたはずの。 鞘、だった―
《ぜったいに、負けない》 これはリハビリにおけるわたし自身です! しいては人生における自分自身です! そして、この言葉は、 “何に負けないか” をわかってる人のものです。 わかってなくてこの言葉を使ってる人いないよね??
そう、負けちゃいけないのは《自分の決めたこと》 自分の信念をあきらめないこと!!
然るに、信念がなければやめていいことですw
自分自身の進む方向を間違えないこと。 自分が自分であるためのこころ。 これがなければ何もがんばれやしないでしょう。 そういうわけで、がんばっている人は信頼に値します どんな人でも無条件に手放しで信じることができる。
では、逆に頑張っていない人はどうでしょうか?? 指針のない人は自分が定まっていないので、 とらえようがなく、たいへんむずかしくなります。 何が好きなのか、どんなことをしているのか。 もうぜんぜんわかりませんw 自分からそういう発言をすることもありません。 教えてくれないというのと、言えないというのは、 天と地ほどの差があります。 すくなくとも堂々とは見えないはずです。
しかし、自分を見つけなくてもいいというのは、 ある意味で、たいへんなしあわせかもしれません 何も決めなくていいって、、 とんでもなくしあわせじゃないですか?? 笑笑
自分だけならいいけれど、 他者といきる世界では、そうはいきません!! 陽子は生命の危機にさらされることで、 否が応にも己を知ることになります。 そうして孤独から自分自身を確立させました。
陽子は故国で人の顔色を窺って生きていた。 誰からも嫌われずに済むよう、誰にも気に入られる よう。 人と対立することが怖かった。 叱られることが恐ろしかった。 いまから思えば、何をそんなに怯えていたのだろう と、そう思う。 ひょっとしたら臆病だったのではなく、単に怠惰だ ったのかもしれない。 陽子にとっては、自分の意見を考えるより他人の言 うままになっているほうが楽だった。 他と対立してまで何かを守るより、取りあえず周囲 に合わせて波風を立てないほうが楽だった。 他人の都合にうまく合わせて “いい子” を演じてい るほうが、自己を探して他と鎬を削りながら生きて いくよりも楽だったのだ。 卑怯で怠惰な生き方をした。 だからもう一度帰れればいいと思う。 帰ったら、陽子はもっと違った生き方ができる。 努力するチャンスを与えられたい。 そんなことを静かに考えながら歩いた―
気付くというのは、おそろしいほどの《成長》です 気付いてしまえば変わらざるを得ないからです! そして、それまでの考えに考え抜いたことが、途端に あっさりと答えがだせるようになっています☆ これは本当に不思議ですね… あんなに悩んでいたはずなのにw
一瞬で人は変わるんです
気付くということはそれくらいの力を秘めています。 ただ、深度の深い気付きということになると、 自分でも《知りたくない》と思えるほどのものです。 自分自身をほんものにするには自分自身と対峙せざる を得ません! それは見たくない自分自身の本性ですッッ ただ、これを抜けている人は一目みればわかります。 ◎どこからどう見ても前向きだから◎
前向きさは、胸を張って生きているという証明です
| 2015年05月07日(木) |
「月の影 影の海」(上) |
お見舞いにいただいた【十二国記】に着手! シリーズ本編となる衝撃の第一作です。 おっそッッッ ほんとうに遅くてすいませんw この場をかりてあやまっとこう!!
『月の影 影の海』(上) 小野不由美
「お捜し申し上げました」 女子高生の陽子の許に、ケイキと名乗る男が現れ、 跪く。 そして海を潜り抜け、地図にない異界へと 連れ去った。 男とはぐれて一人彷徨う陽子は、 出会う者に裏切られ、異形の獣に襲われる。 なぜ異邦へ来たのか、戦わねばならないのか。 怒濤のごとく押し寄せる苦難を前に、 故国へ帰還を誓う少女の “生” への執着が迸る。 「わたしは、必ず、生きて帰る」 流れ着いた巧国で、容赦なく襲い来る妖魔を相手 に戦い続ける陽子。 度重なる裏切りで傷ついた心を救ってくれたのは、 《半獣》楽俊との出会いだった。 陽子が故国へ戻る手がかりを求めて、雁国の王を訪 ねた二人に、過酷な運命を担う真相が明かされる。 全ては途轍もない決断への幕開けに過ぎなかった―
手に取った遅さは今日の日のためでした。 ファンタジー、、もう全然読んでなかったもんねw ◎あっという間に読み終わってしまいました◎ もう読める読める進む進む 笑笑
おもしろかったッッ
正直、ファンタジーとおもってなめてました。 が、これは読める。 現実にも力になる そんなものを感じました。
だって陽子の道中があまりにもひどい過酷さだもの
いきなり知らない世界に放り出された上に、 誰もたすけてくれる人はなく、 一人で生きなきゃならないリアル。 もちろんお金ももってません。 その世界でどうすればいいのかもわからない。 人間、ほんとうにそんな境地に立たなければ、 世界の本性などわかりはしないでしょう。 考えたらゾッとしますよね!? 主人公・陽子は終始そんな状況ですw もうぜーんぜん笑えない
日本を出国?するときに陽子にはケイキの仕業で、 護身のために刀を渡されます。 その刀は水禺刀と呼ばれる妖刀。 気を抜けば心を読まれて陽子を惑わしてきた。 幾度となく執拗に陽子のこころをゆさぶってきた。
「帰って、それでどうなるんだい、えェ? 戻ればそれで、大団円になるのかい?」 「…黙れ」 分かっている。 戻ったからといって、陽子はこの 国を悪夢だと忘れてしまうことはできないだろう。 何もかもなかったふりで、以前の通りに生きていく ことなどできるはずがない。 ましてや、戻ったか らといってこの姿が元に戻るという保証があるのか そうでなければ《中嶋陽子》のいた場所に戻ること はできないのだ。 「浅ましいこったなァ。 呆れた莫迦者だよ、お前はナァ」 きゃらきゃらと遠ざかっていく哄笑を聞きながら、 陽子はもう一度身を起こした。 どうしてなのか自分でも分からない。 莫迦だと思うし浅ましいとも思う。 それでもここで諦めるぐらいなら、もっと前に諦め てしまえば良かったのだ。 陽子は自分の身体を思い出す。 怪我だらけで血と泥に汚れたままで。 ボロ布のよ うな有様になりつつある服からは、身動きするたび に嫌な臭気がする。 それでもこうしてなりふり構 わず守ってきた命だから、簡単に手放す気にはなれ なかった。 死んでいたほうがましだったというの なら、そもそもの最初、学校の屋上で蠱雕に襲われ たときに死んでいれば良かったのだ。
死にたくないのでは、きっとない。 生きたいわけでも多分ない。 ただ陽子は諦めたくないのだ。
帰る。 必ずあの懐かしい場所に帰る。 そこで何が待っているか、それはそのときに考えれ ばいいことだ。 帰るためには生きていることが必要だから、守る。 こんなところで死にたくない。
人間は状況に襲われると簡単に自分を見失います。 事故や病気がわかりやすいでしょう。 生きているものすべてに襲ってくる現実です。 それが大きなものであればあるほど、それまでを疑う はずです。
なによりも先ず《なぜこうなったのか》 意識的になろうとしてなるものでないのなら、 絶対に疑うはずです そして、相手がいる場合はその相手を恨むはずです アイツさえいなければ。。 ここで完結している人もいるでしょう。
未来永劫、誰かを呪って生きる生き方の完成です
これは遠慮なくありふれたお話です。 この世には、 誰かを呪わずにいられない人がいるのです。 わたしたちですら、明日は分かりません。 家族や大切な人を奪われたりしたら、どうなるか… そのときにならなければわからないことです。
しかしどんなことでも同じことがあります。 それは、その後も生きていかなくてはならないこと
物語では猿みたいなまぼろしが問いかけてきますが、 これはまったく自分自身の分身と同じものです。 いつだってわたしたちにはこれと同じ者がおり、 いつもわたしたちに邪念をふっかけてくる。 あきらめればいいじゃんw 俺じゃない、あいつがわるいんだw わたしたちの心にはいつもいつだってそんな自分が います。 そして、それを打ち払えるのも受け入れて しまえるのも自分しかいません。 自分をどうするか、知らないうちに決めてたりす―
問題はその《決め方》です
なりゆき状況に流されてしまうと、光を失くしてしま いかねません。 流されることは囚われるのと似ています。 誰かを悪者にするのは簡単ですが、 その分、自分自身に光を見出だせなくなってしまう。 いい方向。 明るい方へいこうとするには、これでは 踏み出せないのです。 そこで陽子ですw 上の文章にはおそろしいほど見惚れてしまいました! こういうの、味わったことありますか?? “こういうの” とは “筋道をたてること” です。 今の自分がたどりつけるだけの奥底まで深く潜ること たぶんこれこそがすべてです 何かとんでもないことが起こらないとここまで深く、 自分の中を探ることなどしないでしょう。 ◎そこは、想像では決して到達できない地点です◎ わたし自身まだまだ弱い存在ではありますが、 これまでどん底から這い上がるまでにしてきたことは、 まさにこれです
自分の人生にとっての《優先順位》 それは、自分自身でありつづけること
それをするまでまったく自分を決定できませんでした いつも自分を疑っていました ぜんぜん “生きよう” となんておもえなかった
どんな場所にも堂々とした人、かっこいい人がいるの ではないでしょうか。 そんな人たちに共通しているのは、 《自分自身が定まっていること》です。 わたしは入院していたとき、病気と向き合っているあ るお母さんと出会ってその強さを知りました。 いろんなことをできる人が考えもしないような あたりまえ、《生きるということ》です 生きることが困難だからこそ 全力で生きようとするんです
生きることが困難だからといって 生きることをやめようとする人はいませんでした
進むためには自分と対決せざるを得ません。 自分自身を決定しないと前へ進む気持ちなんて 湧いてきやしないんです
つづく。
| 2015年05月04日(月) |
MASTER YODA YOGA |
今日は5人分のTシャツを持ってstudioへ。 もう足を運んでないのも1年になろうかとしていた―
お仲間全員分の《MASTER ヨーダ Tシャツ》を 揃えるのがこんなに困難だとはおもわなかったw
そもそも置いてない店舗があるとか反則よね!! かけずり回って探したSTARWARSコラボTシャツ。 標的はヨーダがYOGAしてるTシャツのみ 笑笑 三日月のポーズ。アンジャネアーサナしてるヤツ! 今日はそんなTシャツを team潜水艦をはじめ、 先生にまで配布。 超赤字です 涙涙 まあ、1年に1回こんな日あっていいよねw たまには息抜きも必要さ! それに、こんなことできるクラスもここくらいだし。 そんな輩が押し寄せてクラスは変貌を遂げました。 生徒の身勝手な思惑が今日を特別にするのです 笑笑
本日の勝手にスペシャルクラス ◎MASTER YODA YOGA◎
そういうわけで1年くらいかかってヨガ復帰初戦w よくもまあ、というか ようやくヨガ復帰です。 ガルーダとかは今できないけどね 涙涙 いやぁ やっぱりいいなあヨガw 鍛えてきた部位の連動性をたしかめられる。 部分を強くしても使えなかったら意味ない踊れない。 地味にキープがキツイあたりが膝にたまらん!! でも「あとたったの3呼吸〜」がなくてつまらん!! 以前のほうが格段につらくて面白かったなあw 初心者の回転がはやいstudioだから仕方ないか。 対して、深めようとする人たちは消えるの早い。 むずかしいところか… まあわたしは、、面白けりゃなんだっていい☆ とにかく楽しくするために全力Tシャツです 笑笑
2015年 これで思い残すことはないw
はやくもこのstudioではやりきった感です。 まだ今年が終わるまで7ヶ月もあるんですけどね〜 まあ努力とはまったくの別次元ですっ その後ジムに行ったら時間がなかった!! 思い切りゴールデンウィーク祝日営業でした― だ、だまされたあーーーーーーッッ わたしは着替えもせずすぐさまマシンへ
マシントレーニング 8 × sunset 一気に畳み込みました!!
ってかsunsetって何だあああああああああああ (爆) 相変わらずの予測変換に吹き出してしまいましたw 気合いで3つ終わらせたものの、まるで足りません。 入館時点で残り時間5分って何!? 笑笑 最初からカラータイマー点滅状態かよ まるで 人生でやりのこしたことを一気に済ませて しまう勢いで猛烈にできることをやりましたw ってそれ筋トレだけじゃーーーーーーーん ゆるすまじゴールデンウィーーーーーーー苦ッッ そして流れくる、ああ無情極まる館内アナウンス
「今日も、お楽しみいただけましたでしょうか? また明日もスタッフ一同、お待ちしています!」
いつものアナウンスが、、 こんなに胸を撃つとは知りませんでした…
後日きいたことですが― そのアナウンスした女の子も、わたしのことが頭を よぎっていたたまれない気持ちになったそうですw
声はすっごく明るかったんですけどね(爆)
結果この日は YOGAが唯一のリハビリ。 ◎MASTER YODA YOGA BANZAI◎ 今日という日の支えとなりましょう!!
| 2015年05月02日(土) |
人生初挑戦! ボルダリング |
タイムマシン連続使用ッッ(涙) 今日は、、4/23 へ!!
「叫べ!アウトオブ眼中ッッ」(死語
なんかこれ、、定例化しそうで怖いなあ。。 そんなに死語補完してないぞ 俺! 笑笑
◎ボルダリング初挑戦◎
ボルダリングのスペルは― “BOULDERING” です。 友だちの sなえちゃんに一緒に行ってもらいました☆ 何事も最初はひとりじゃ怖い。 なによりも《あそび》ってのが怖い 笑笑 もうずいぶんの間、あそんでないんです― 木曜日はレディースデイ。 安いッッ 女子は…ね!! はいはい、初回特別料金w 初回も…安いッッ!! あ〜んど、ボルダリング専用靴レンタル。 人生初の人は注意説明を聞かねばなりません。
同じエリアに人がいたらやらない マット敷いてあるけど飛び降りるな危険 以上をふまえて― 同じ色とマークの数字をたどっていこう!
ボルダリングやってみてわかるのは… すっごく頭を使うってこと☆ もちろんリアルに使うわけじゃありませんw 瞬時に判断するイメージの領域です。 これ、、ほんと頭よくないとできない!!
まずは自分のルートを頭に入れる。 そもそもこれが初心者には決定的に困難。 何しろ色とマークがめちゃくちゃあるんですよw それからどうやって進むかをイメージ。 これがまた… 全く簡単じゃあないッッ
イメージできなきゃ渡っていけないのだ
そのあとは技術。 たとえば、目で見て届かないところには 目で見ず(顔を向けずに)手を伸ばせば届く。 そんな実用的な技術w それには自分がどれだけ動けるかを知らなければ、 なりません。 とにかく自分自身を確かめる 反復練習して自分自身を手に入れる。 墜落するわたしに sなえちゃんは盛大に言った― 「タイスケさんに初めて勝てたわ!」 ま、わたしの友人はみんなこんな感じです 笑笑 sなえちゃんには人生初敗北だ 涙涙 やみくもに挑戦しても結果は墜落。 なぜ?どうして? 考えをたどっていけばいくほど、 この順序が非常に興味深いことに気付きますッッ 《できる》には、まず《自分を知ること》 今の自分ができることを把握することなんです!!
これって、実はどんなことにも言える
ダンスを踊るには、自分を知ることです― 何を伝えたいのかもわからずに何かが伝わるのなら 苦労なんてしません。 技術ではない感情や景色ならなおさらです。 そして人間関係にさえ応用が利く奥義w 真剣に向かおうとしたら向き合わざるをえません。 いつも、いつだって大事なこと。 それは自分自身を冷静に客観視できること。 ボルダリングでそんなことに気付かされましたw すごいなボルダリングッッ 笑笑 実際、馴れさえすれば簡単にできることでしょうが、 最初は頭がパンクしそうになりました!!
頭痛がするほど面白かったんです 笑笑
頭痛がするのにたのしいとか初めてですッッ ちなみにダンスの練習ではこうです。
脳の血管がブチギレそうな感じ(爆)
その厳しさは目指すものがあるからにはフツーです。 自分で追い込んでいく種類なのでワクワクも…ないw
ここ最近リハビリで気が狂いそうになってましたが、 新しい発見にワクワクが止まりませんでした!
◎何よりもわかるのは《知らない自分》です◎
知らないことをやるときほど、 自分を感じることができます どんなときにワクワクするのか。 どんなときに慌てふためくのか。 どんなことも、 知らないことをやればこそ、自分が知れます! だから、やっぱり勇気をもって踏み出すことが、 楽しさを、そして人生を生み出すんじゃないか。 わたしのダンスの先生(コンテンポラリー)は、 常々こんなふうに言ってました。
「知らない自分に会いにいきなさい」
| 2015年05月01日(金) |
1000m 遠泳 直接対決 |
当blogはついに五月5月MAY皐月(さつき)へ!! おまたせし― いやいやいや!!待て待て待て!! わすれてたわすれてたわすれてたーーーッッ あれは小城からの帰り 4/20 のこと。 あまねく生命の危機を乗り越えて、 わたしはそのままプールへ向かったのです。
すっかり大事なことをblog化しそこねてた― 三歩進んで二歩下がる気分です―
むむむ… やむをえんッッ タイムマシン起動です。。 ガビーン(死語
社員記録を更新するk野さんと水泳対決!! 華々しい業績を上げつづけるk野さんは、 その業績と引き換えに表情を完全に失っていた―
もう見るからにやつれているのだ
しかし、だからこそ、あえての対決ですw 何よりもk野さんは真面目に超をつけたような人物。 わたしのヨギー人生を狂わせた張本人です(爆) 入院患者のわたしに【ヨーガ・スートラ】を与える ほどの人物ですッッ それは、3行読んだらたちまち 眠ってしまいそうになる超弩級難解本w 入院中に読破できるのなら、俺、悟りひらけてる! 本気で嫌がらせじゃないかと疑いましたね 笑笑 人として、その借りは返さなければなりません。 仕事帰りの社会人に負ける理由はない! 楽勝でしょうw わたしこそは毎日筋持久力を鍛えている人間です。 膝がわるいなんてのはかるいハンデですよ。 そしてプールがあるビルを間違えて伝えてしまいます 体育館裏確定。 すべては万事ですッッ 笑笑
k野さんは言った 「まあ 今日の目標は300だから〜」
そんなk野さんの隣レーンで黙々とビート板バタ足を 続けるわたしは、地味に、地味に、進みます。 目標を聞いておきながらかるく上書きしときましたw
「じゃあ、とりあえず1000ですね〜」
その後は何も言わずひたすらにわたしたちは泳いだ。 300mなんてとっくに超えています。 実のところ、わたしは1000m泳いだことはなかった。 この日まで泳ぐ前に45分は水中歩行やるところを、 今日はその歩行からのダッシュやら後ろ歩き、さらに サイドステップまでもすっ飛ばして泳ぎに入った。 毎日いつもバタ足のときにはすでにキツかったw 〜それが、何ということでしょう〜
歩いてなかったら足 超かるいッッ 何コレ超楽勝じゃないか!! 今までヒイヒイだったのがウソみたいですッッ
スタミナありまくりじゃん☆ これならビート板バタ足でも勝てるかもしれん。 相手は手負いですからなおさらです! って… 俺のほうが手負いでしたw とにかく勝つんだ― 泳ぎながらわかった。
相手がいるというのは 疲れをわすれるほどの力です
人間には《競争本能》が仕込まれており、自動的に 発動したんでしょう。 なんだろうこの感じw 不思議ですよね?? 時間など簡単に超えてしまいました!! 残り150mほどでフリースタイルのk野さんに追い越さ れるまでわたしはビート板 独走態勢でしたw ちくしょうめ!! ラストで追い抜かれるほど悔しいことはないッッ 次は、次こそは、絶対駆逐してやる!!(爆) そうはいってもk野さんはすごいな。 確実に運動不足だろうに、いきなり1000m泳ぐとは。 これも対戦が生みだす力でしょう。
意志力がいつもの力以上の力をひきだすんです
はっきりいってこれ、心の力以外の何ものでもない! プールにやってきてる時点でk野さんの翌日の心配な ど知ったこっちゃありません☆ わたしはわたしの全力でk野さんの野望を打ち砕く! この日、はじめてバタ足がたのしいと思えましたw そうして1時間くらいただただ泳いでいたのです― はじめて1000m泳ぎきった 次からはこれを最低ラインにできます。 時間はかかりましたが、自信につながる数字です! k野さん来なけりゃもっと先延ばしにしたかもしれん 自分の力をためすってなかなかできないことです。 〜ひとりでは引き金は引けないものなんです〜 そして、相手がいれば、 ひとりでは出せない力が出せる事実。 こりゃとんでもない力ですッッ
たのしささえも引き出せるくらいですよ?!
いつもならツラいことでも今日は清々しく帰れる☆ 毎日こんなだったら既にわたしは踊っているはずです
◎すべては心の持ちようでしょう◎
|