まろやかな日々
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2006年01月28日(土) 大盤振る舞い

昨日は、病院の後
彼とラブラブデートだったのです。

病院が終わった時間がお昼近かったので
そのまま、憧れの浜寿司でランチ♪

そして、谷中の建築会社に行きました。→いえぶろ☆参照

その後、地元に戻って
デパートでお買い物した後、イタリアンでディナー♪

ご飯は全て、彼の奢り。
ちなみに、イタリアンのお店は
彼の同級生のお店でソムリエしてました。

そのお店では、サプライズデザートまで。。。
大感激です。

ちょっと遅れたお祝いだったけれど、すごくうれしかったよ。
ありがとね。

あの頃私は。。。
2002年01月28日(月) 今日の夕食

2006年01月27日(金) 最後の診察

今日は、大学病院での
3ヶ月ぶりの診察でした。

彼も、一緒に来てくれました。

「エコーで診ると
 切ったところは、ほんの少し痕が判るくらいかな。
 もう、妊娠しても大丈夫だよ。
 診察も、今日で終わりだね」
と、言われたので
12/3に風疹の予防接種を受けたことを話すと
「じゃあ、妊娠は後1ヶ月我慢だね」
と、訂正されてしまいました。

それで、「今から病院で検査を受けるのは大丈夫ですよね?」と聞くと


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なんだよ、それ!
また最初からじゃないか!!!
何のために、ここに来たと思っているの。冗談じゃない!

いつでも病院に行けるように
術後の経過の手紙を今もらいたい、とお願いして
最後の診察は終わりました。

何となく、ショックでした。
そんなに時間を掛けられるほど、私には余裕がないのです。
今すぐにでも、来てほしいのです。

何だか、「赤ちゃんは当分来ない」と
暗に言われた気がしてしまいました。

そんなことない!
大丈夫になったら、全開で頑張るって決めたんだもん。

きっと、来てくれるよね。


あの頃私は。。。
2002年01月27日(日) きぬ@二次会
2006年01月26日(木) むち打ち

昨日、彼は素敵なプレゼントをくれたけれど
彼の心の中は不安でいっぱいだったのです。

月曜日くらいから「左の腕が冷たい気がする」と言って
「後から症状が出るって聞いたけど、これがそうなの?死んじゃう???」と
ずっと怯えていました。

なのに、昨日はプレゼントを贈ってくれたのでした。

でも、職場では何も手に付かなかったらしく
昨日は特に溜息ばかり吐いていたので
上司が見かねて「明日、もう一度病院に行きなさい」と言ってくれたのです。

そして、今日。

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と、脳外科のセンセイに言われたそうです。

何でも、後から症状が出るのは脳が縮んだ人らしく
仕事をガッチリするような人には現われないということです。

結局、今回も検査はなし。
でも、彼は晴々と帰って来ました。
納得したみたいです。

ほら。やっぱり大丈夫って言ったでしょ?
でも、よかったね。




あの頃私は。。。
2006年01月25日(水) プリムラ

帰り道、彼が「花屋さんに寄りたい」と言ったので
いつもの花屋さんに行きました。

クルマの中で待っていると、彼が植木鉢を抱えて戻って来ました。

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とてもビックリしました。
彼がこっそりと、こんなコトをしてくれるなんて。

びっしりと咲いた、可愛い紫と白の花。
花言葉は「永続する愛」。

大切にするからね。
ありがとう。


あの頃私は。。。
2005年01月25日(火) リーチ
2003年01月25日(土) 誕生日
2006年01月24日(火) 紹介

彼は、実家に
マイホーム購入のコトを何度か相談しているみたいです。

今日、夕食を御馳走になっている時に
彼の母が、自宅を施工した建設会社を紹介してくれました。

私たちは私たちで
少しずつ見学会などにも言っているのだけれど
無下に断るわけにもいかないので
比較対象の参考として、お話を伺うことにしました。

今週の土曜日です。

正直、あまり実家に入り込まれると
自由な選択がしにくくなるんじゃなかろうかと心配もあります。
でも、彼が「それは大丈夫だよ」と言ってくれているので
気にしないで、有効な情報だけ頂くつもりでいようと思います。

体外受精の費用と、住宅資金の兼ね合いが不安だけれど
やるしかないね。

いよいよ、始まったんだなぁ。






この話の続きは、ここで。

あの頃私は。。。
2005年01月24日(月) 30年
2002年01月24日(木) きぬ@デンワ
2006年01月22日(日) 破水

3月末に出産予定の友だちが
破水して入院したと連絡がありました。

まだ1000gちょっとしかない、小さな生命。

頑張って。
頑張って。

輝く未来は、すぐそこだよ。



あの頃私は。。。
2005年01月22日(土) コイバナ
2006年01月21日(土) 寂しい


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何がどう、寂しかったんだろう。私は。
夢の中でさえ。

もはや、何も解りません。


あの頃私は。。。
2002年01月21日(月) きぬ@ねほりーな
2006年01月20日(金) エコー

しばらく休んでいた隣の係の後輩は
妊娠していたのだと知りました。

今日から1泊で、課の旅行です。
彼女も、身重の身体なのに参加していました。

バスの中で、私の斜後ろの席で
うれしそうに母子手帳を眺めるのです。
エコーの写真を見せるのです。

私には、子どもがいない。
妊娠するかも解らない。
長期休暇を取った理由は、みんなきっと薄々知っているはずなのに。

逃げ場のない、バスの中で
眠ったフリをしました。

涙が出そうだったのを我慢しました。



あの頃私は。。。
2003年01月20日(月) 記念日
2002年01月20日(日) きぬ@報告
2006年01月18日(水) なんばーわん

彼は、私がどんなに励ましても
事あるごとに思い出して、食事もノドを通らないほど落ち込んでいました。

それは、ある意味
私が落ちる不安のループにも似ていて
お互いが理解しあうことに一役買ってはくれたけれど
お医者に「大丈夫」って言われたのに
周りの人に惑わされて、いつまでも不安がるコトもありません。

「ねぇ、大丈夫だよ」
「大丈夫だってば」
「頭痛くないんでしょ?」

どんなに話しかけても、生返事。
遂に私は、イライラしてしまいました。

「もうっ!私の言うこと信じてくれないの?家出する!!!」

彼は、やっと
自分の頭のコトから、意識が離れたのでした。
そして、私のゴキゲンを取って
保証書を書いてくれました。

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イイモノをもらっちゃいました。
ありがとね。

絶対に、大丈夫だから。






あの頃私は。。。
2006年01月17日(火) 生命の危機

仕事中、彼から電話がありました。

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・・・死んだらどうしよう」

えええぇ〜っ!
大丈夫なの?痛くないの???

「大丈夫なんだけど、周りの人が脅かすから不安になってきた」

そうなんだ。気を付けて。
後で報告してね。

不安を押さえながら仕事を続け、連絡を待ちました。
お昼頃、彼から「大丈夫だった」と連絡がありました。
脳外科の先生と話をしただけで、検査もせずに終わったそうです。
よかった。。。

仕事が終わってから、彼を迎えに行き
現場を見せてもらいました。
壁の2ケ所に穴が空いていて、そこから亀裂が長く伸びていました。
あまりに凄かったので、インスタントカメラで写真を取ってしまいました。
でも、壁の素材は比較的柔らかく
それで彼は助かったのだと思いました。
彼の様子を見て、医師の言うとおり全く問題ないのだと確信しました。

でも、彼は
職場の人に聞いた「症状は後から来る」という言葉に
とても怯えています。
食欲もないみたい。

大丈夫だよ。
早く元気になってね。




あの頃私は。。。
2005年01月17日(月) 2週間
2002年01月17日(木) きぬ@相談/まろ@電話
2006年01月13日(金) 修善寺

今日から1泊で、彼の両親と修善寺へ行きます。

今まで、私が提案しても「別にいいよ」と言っていた彼が
初めて「1回くらい、両親を旅行に連れて行きたい」と言ったのです。

彼の両親は、とても喜んでいました。
今まで散々夫婦で旅行に行っていても
不精な息子に連れて行ってもらうのとは、訳が違います。
会社の斡旋の安い宿でも、目立った観光がなくても
その気持ちだけで十分って思ってくれていると信じています。

手術を受けてから、大きなお風呂に行くのは初めてだけれど
気にしないで楽しもうと思います。

雪が心配だったけれど、何とか大丈夫だし
初のホスト、頑張ります♪

みんな楽しんで行ってこれるといいな。


あの頃私は。。。
2003年01月13日(月) 花嫁切手の使い道
2002年01月13日(日) きぬ@指輪/今日のお昼
2006年01月08日(日) 惨め

友だち夫妻の家で、新年会&友だちと私の誕生日会をやった。
彼女の家には、去年生まれた双児がいる。

色々な葛藤があって
気持ちをいっぱい伝えて、解ってもらえていると思っていた。
私も乗り越えたハズだった。
私が望むのは1つだけ。

昨日、集まったのは
友だち夫妻・私たち夫妻と、まだ結婚していない友だちカップルの6人だった。
私たちが引き合わせて仲良くなった6人だった。

年末、「年賀状のやり取りをしたい」と友だちに言われて
住所を双方に伝えていた。
私たちに届いた年賀状には、双児の写真はなかった。

私は、写真がないことにガッカリさえしたのだ。
なのに。
独身の友だちは言った。

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それは、独身の友だちには写真入りの年賀状にしたということだ。
私が、子どもが出来ないことに悩み苦しんでいるから。
写真を見せていい人と、見せてはいけない人に分けている。
もしかしたら、見せてはいけない人にされているのは
私だけなのかもしれない。

でも。
それに何の意味がある?
毎月、こうして逢って
子どもたちの成長や、幸せな様子を見ているのに。
「遠慮することない、気を使われるコトの方が辛いんだよ」って
何度も言っているのに。

結局、子どもを望んでも出来ない私は
可哀想な人間ってコトなんだ。
そう思われているってコトなんだ。

完全に吹っ切れたわけではない。
子どもを見て、辛い気持ちが全くないわけではない。
でも、普通に接しようと努めてきた。
それが全部、バカバカしく思える。
どんなに頑張っても、彼らの中で「可哀想な人間」という評価は消せないんだ。
子どもが出来ない限り。

惨め。。。惨めだ。
彼らにそんなつもりはなくても、何気ない態度で思い知らされる。
帰りのクルマの中で、運転しながら号泣した。

彼は「きっと出来る」って、言ってくれるけれど
もし、このまま子どもが出来なかったら
ずっと、こういう思いをしていくことになるのだろうか。
彼らからだけではなく、至るトコロで。
そんなの、苦しすぎるよ。



あの頃私は。。。
2003年01月08日(水) 結婚式をした方に100の質問
2006年01月07日(土) 餓鬼

結局、
私宛に届いた年賀状は48枚(1/6まで)。
喪中のお知らせは7枚。
今日は、年賀状を出してない人と
喪中の人に宛てて、寒中見舞いを書きます。
年賀状を出せるのは、松の内(1/7まで)だけだからね。

でも。。。
今年戴いた年賀状は、傷つくコトが多かったです。
妊娠・出産・子どもの成長・住宅の購入。
私にはないものばかり。
年賀状で近況報告してくれるような、遠い友だちから来る
何気ない年賀状。
本当に辛かった。
いいなぁ。。。って、呟く。何度も。
そして、もっと傷つく。
そんな私の様子を見て、彼も傷つく。その繰り返し。

年賀状で、年始の挨拶で
辛いコトなんて書くはずない。
でも、私は
自分にないものを持っている人の「影の部分」を知らないと
ココロから喜べなくなっていた。
だから、遠い友だちの幸せを知るのが辛いんだ。
どうして、今まで気が付かなかったんだろう。
なんて、ココロの貧しい人間なんだろう。
最低。

自分にないもの、届かないものだからこそ欲しい。
今だって十分幸せなのに。
どうして、それで満足出来ないのかな。。。

私は
餓鬼に取り付かれているの?



あの頃私は。。。
2003年01月07日(火) 結婚式
2002年01月07日(月) きぬ@外回り/まろ@一生モノ
2006年01月06日(金) 年賀状

元旦には数える程しか来なかった年賀状だけれど
ダラダラと10枚くらいずつ、毎日届いています。今日も。

困るのは、元日をとっくに過ぎているのに
書いていない相手から届くこと!
特に今年は休日が短いし
急いで書いても、届く前に職場で会っちゃう。
気まずい。。。

しかも、こちらから出したのかどうかも
もはや解らなくなってしまっているのです。
もしかしたら、私が出したので
後から送ってくれて遅いのかもしれないし。

そんなわけで、今頃来た年賀状への返事は
寒中見舞いとして出すことに決めました。
ダブって出してしまっていても、誤魔化せるしね。

ご了承ください☆


あの頃私は。。。
2003年01月06日(月) 結婚式【はじめに】
2002年01月06日(日) きぬ@問題
2006年01月03日(火) ελπιc

子どもの七回忌に。
オペを頑張ったご褒美に。
結婚3周年に。
30歳の記念に。

自分のお小遣いで、ピンキーリングを作った。
プラチナで、小さなダイヤを3つ入れた。

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今日、出来上がったリングを取りに行った。
蔦が伸びて、ダイヤを抱えているようなデザインのそれは
とても素敵で、彼も羨む程だった。
小指に着けると、ちょっと重く感じた。

頑張ったね。
頑張ったね。
これからも、頑張ろうね。

大変なのは、これからなんだ。


あの頃私は。。。
2005年01月03日(月) 寝る間際
2003年01月03日(金) お約束

華泉 |MAIL
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