的といじの日記
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2002年01月26日(土) イオンはイーヨン

昨日の続きでスーパーのCMの話。ジャスコを展開するイオングループ、あのCMは非常にうまい。ジャスコといってもちっとも高級感を感じないのはさておき、あのCMに”少し高級”というイメージを植え付ける工夫を発見してしまった。ランドセルのCMを見ると、全てのカットに木の緑もしくは土が必ず映っているという点である。これは凄いことである。意図的としか思えない。スーパーのメインは食料品で、食料品といえば、有機栽培無農薬減添加物が高い価値を正当化する権威として一般的に認知されている。またそのイメージは極論すれば”自然万歳””土に還れ”である。それを利用したのか?ここでたちどまって少し考えてみれば、この手法はモスバーガーの広告手法そのものだということが分かる。
”モスバーガーは好きだよ、でも最近そういえば行ってない。
 マっクは昨日昼に食べたけど。”
という会話が皮肉にも全国津々浦々(関西ではマクドだが)で目撃されるように、モス=オーガニックというイメージを借用したのかな、ふと思う。まったくの別会社なのに・・・いいのか?


2002年01月25日(金) てゆうか、など

 ”てゆうか”という言葉が優香の名前の由来だというのは結構有名な話だと思うけれど、それはさておき、指揮者の小澤征爾が今朝ワイドショーのインタヴュー(番組名は忘れた)で”てゆうか”(もちろん接続詞)を連発していたのには驚いた。卑俗な若者言葉ではなかったのか?もちろん氏はとうに還暦過ぎのおじさまなのですが・・・。抑も”てゆうか”は広く用いられていたんじゃあないかという疑念が湧き起こる、てゆうかバッシングが巻き起こっていた当時から釈然としないものがあったけれど、つまりそれは妙な語尾のばしが”てゆうか”という言葉と結びついた為に不快感を感じさせるものと成り、且つ受け取る側が揃いも揃って自己の感情の原因を取り違えていたということなのではなかったか、ふと思う。
 閑話休題。cmでは背景色もしくは背景が重要な要素であることは誰の目にも明らかだ。スーパーのCM例えば、イトーヨーカドー、ダイエーなどのCMがある種土臭く垢抜けないのは、商品の値段を前面に出していることに一因がある。しかしそれならば”欧米”のイメージの具体化のような自動車のCMにだって値段を出しているものもあるわけで、強い理由とはいえないだろう。最もたる原因は背景が一色のベタ塗りだという点にあるだろう。あまりに安易な感じを与えるのである。経費節減で安さをアピールできた時代もあったろうが、今となっては百貨店や専門量販店と同じような品を同じような値段で置いていても、なんか安っぽく見られてしまうだけである。このことがスーパーの没落の遠因のような気がするのだが。
 スーパーや洗剤のCM(若い、もしくは少なくともオバサン太りしていない主婦とおぼしき女性と子供そしてなぜか一軒家の庭というものばかり、なぜ?)はそれとして、本題に移る。化粧品のcmはどうしてメタリックが基調なのか?大手になればなるほどその傾向は強まるのであるが納得いかない。プラチナもしくは銀の輝きは宇宙服もしくは氷山などを連想させるように”手の届かない遠い権威”をおもわせるのは確かであり、紫外線という細胞にとって有害なものに近いという点から権威を生じ古代あらゆる文明で高貴な色とされた紫とともに美を訴える力が強いのは分かるが、現代では化粧品に求められる効果は必ずしも遠い存在としての美ではなく、親しみやすさとしての美である場合の方が多いのではないだろうか。それなのにメタル系の色にこだわるのは不自然に思えて仕方ない。なんだかんだ言っても、結局化粧品なんか使わないから分からないんだけれど。実際どうなの?さらに、女性タレントは化粧品のCMに出たら一流と認められる風潮があるらしく(雑誌で読んだ)CMの雰囲気と妙にそぐわないようなタレントが起用されてることも多いようだ。目にする度、その意図が透けてしまい気に食わない。あえて個人名は挙げないけれど。 
 


2002年01月18日(金) CMの音声効果

ラジオCMはテレビCMよりも購買につながるらしい。それはなぜか。実感としてはやはり親近感が沸くということだろうけれども、それでは何の説明にもならなってないので具体例を示そう。アイフルのテレビCMに愛想よさげな若い受付嬢(高卒後一二年の設定なのかと思われる。)が大写しになっているものがある。目的は中高年の飲んだくれを相手にしているという現実を隠し、企業の清新さをアピールする点にあるのだろうが、それはさておき、彼女と我々は画面をはさんで正対する構図になっている為彼女とその象徴せんとする会社の精神はあくまで”むこう”の存在として理解されてしまう。親近感という点でいけば”ららら無人君”のほうが優れていたと思われる。こちらとて画面の”むこう”に人がいるという点では同じだが、こちらの場合は登場人物は会社そのものでは決してなく、むしろ会社と視聴者の両方から等距離にいる”両者が共に笑う対象としうる第三者”、であり故に、立場を共有しているという幻想が生まれ親近感が生成されるの。心理学的には正対して座る二者よりも横にならんで座る二者のほうが親しいとされる。分かりやすくいえば、ラーメン屋でカウンターに座るカップルはかなり親しいということである。ところで、ラジオCMは音だけであるから、受け手は聴覚に頼る。目に見えるものは常に他者で、鏡でも使わなければ自分自身を見ることはできない、一方聴覚は自己の音声にも他者の音声とほぼ同様に開かれている。しかも聴覚によって音源の位置を特定することはできないこともないが、わりに難しい。このことがラジオCMに親近感を沸かせる能力を与えているのではないのか、ふとおもう。


2002年01月10日(木) あまり時間が無いので

CMに関してはお休み。
下宿についたのが10時半大学生は家にいないのです。
今日驚愕したのは元国税局長の脱税による逮捕のニュース。
腐敗は確実に進行している、気づいていないだけだ。珍しくぞっとした。
腐敗は暴力と共に進行する、いわゆる経験則ってやつですね。

うた
密やかに 去りゆく日ごと ふくよかな 梅干ひとつ 吸える快楽


2002年01月09日(水) イメージ広告の技法

映画なんかを観るときには、俳優以外の背景や小物に目をやる余裕がありますよね。(自分だけかも)一方CMの場合、新規な情報が短時間に高密度で一気に与えられ、切り替えも早いからどうしても目が一点集中してしまいます。たとえば武富士の旧バージョンのCMで男性ダンサーが最後列にしっかりといたことを覚えていますか。意外に見落としがちだったのでないでしょうか。(新バージョンでは見事に消されていますが。)特にCMは画面の中心に視点が釘付けにされやすいものなのです。ここで、イメージCMというのは主に商品ではなく会社のイメージを訴えるものであると勝手に定義します。各種英会話学校、美術系の専門学校、KDDI、JR、ユニクロ再春館製薬、武田薬品などを想定してます。とりあえず。もちろんガムだらけの駅とか、卒業しても就職なんかあんまりできないとか、半年通っ他後で”語学なんて才能だ”と叫びたくなったりという現実を隠す為のものでしょうが、これらのCMに共通するのは背景に余分な物が少なく、人物を中心に配しロゴも横書きで中心に出てくることでしょう。自分自身英会話を習おうと思ったことがあるけれど、学生には授業料が高すぎるので一瞬で諦めた。ところで、ECCとかの教室って、よくいえば手作り感がありますよね。(要するに画用紙がべたべた貼ってあるということ)今盛んに流されているECCのCMは背景が赤一色で人間の動きが幾何学的で一定のリズム感があるという点でイメージCMの典型じゃないかと思うんです。少なくとも悪い印象は与えない。お金のことは一切いわないし。全くの当て推量だけども、一点を見てると洗脳されやすい状態になるんじゃないの。
今日のまとめ
CMの傾向の分析に中心への集約度を考えても面白いんじゃないの
イメージCMの傑作
 家庭教師のトライの”mother,mを取ったら他人(other)です”
悪い噂の絶えないトライですけど、このCMで家庭教師が身近な選択肢になったのではないでしょうか。これは文句なしでしょう。おわりma酢。


2002年01月07日(月) cm批評について

宣伝会議という雑誌があります。立ち読みしたところ、昨年のCMと企業ポスターの表彰がされていました。しかしどれもこれも大企業のものばかり。トヨタとか旭化成とか。ところでCMって、いいなと思ってもそのCM自体をさす名称が無いから、(もしくは、あっても一般人には分からない)”**が出演してたcm”とか
”**(商品名もしくは企業名ね、KDDIとかを想像してください)のあたらしいcm”というような形でしかコミュニケーションに載らないから、CMに対する批評は
貧しいんじゃないのか、とふと思ったわけです。ということでメインはCMに関することになりそうです。よっぽどテレビばかり観てんのかな、ここ最近。むーん。
今日は序ということにしma酢。


2002年01月05日(土) 練習

ただの練習です、ハイ。


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