長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2007年04月30日(月)

 嗚呼、解った――之は、恐怖だ。


 快晴、全開にした窓は、夏の風を室内へと招き入れた――其れは、網戸と、純白の紗幕越しだったけれども。

 関東に来て初めて雨戸という言葉と実物と概念とが、一致した。北国ではお目に掛かれない代物だなぁと思いつつ、あれを毎日閉めるという行為には慣れなくて、結局私は開けっ放しになっている。朝陽が差し込まない窓に何の意味があるだろう。日中でもカーテンを明けられないことにも苛立ちは募るけれども、其れは其れ、土地が狭く密集した住宅地で、隣家との境界が、つまりは窓と窓とが近い此処では、仕方のないことと納得するしかないのだろう。
 夜になると、猫が縄張り争いをして喧嘩している。何て、長閑。

 卯月に夏日を体感できるとは思わなかった。冷え性の私は、暑いのも寒いのも嫌いだけれども、部屋の中に居る分には外が暖かいのは好ましいことである、何せ部屋の中が心地良いから、其れはもう、眠気を誘うほどに。


 音に過敏に反応するようになったのは何時からだろう。幼少時からピアノやら声楽やら習っていた所為? 成程、確かに其れは一理あるかも知れないけれども。そうではなくて。――声だ。脳内に響く声がある。
 今夜も携帯が鳴る。嗚呼、ほら、だからこんなの持ちたくなかったんだ。何時だって縛られている、監視されている。自由なんてないことを、其の希望さえ持ち得ないことを、思い知らされるだけ。



2007年04月29日(日) 私を縛り付ける糸は、マリオネットのストリングか。

 快晴、太陽の光は、真夏の匂いがした。――此処では其れが初夏の薫りなのかも知れないけれども。


 新年度開始から一月が経過して。私は、恐らくは一人暮らしを満喫していると言えるのだろう、毎朝お弁当を作って、掃除もしてから出勤する日々、休日には近くの商店街へ買物に出掛けて、時には少しだけ遠出を――散策という名の探検を、するのだ。
 一人暮らしを始めれば、実家を出さえすれば――其れは、合法的な家出であり、母から、そしてあの忌まわしい関係性からも解放されるもの信じていた。信じ切って疑いもしなかった、そんな愚かさを――今は、呪わずにはいられない。確かに私は一人暮らしを満喫はしている。……毎夜の電話とメールを除いては。

 兄が一人暮らしを始めた時は、週に一度、週末の夜に電話をするのが精々だった。それでも見ていて鬱陶しいと思っていた私だったけれども、週に一度くらいなら仕方がないか――と妥協したのだ、少なくとも同じ家で毎日顔を合わせるよりはマシ、と。其れが、実際は如何だ。母は殊もあろうか今まで絶対に持たなかった携帯電話を購入し、毎日メールしてくる始末。自分が持っていなかった頃は、食事中に私の携帯が鳴っただけでも口喧しく言って来たのに(因みに私は食事中は電話であれメールであれ無視するのが基本なのだけれども)。今は、如何なの、私のメールの返信が少し遅くなっただけで、電話で「如何したの」「何かあったの」と問うて来る始末。……開いた口が塞がらない、と言うのか、之は。

「夜は何を食べたの?」
「今日は何をしていたの?」
「明日はどうするの?」
 ――――云々。

 心配性? 否、良くも悪くも、ていうか悪くも悪くも、過保護に超が付くだろう。うんざりである。

+ + + + +

 明日が休日であるのをいいことに、自由が丘まで散策に行った。関東は――何処も、小さな街だなぁ、と思う。道路が細く、地図と照らし合わせるのが難しい(女性は地図を読むのが苦手と言うけれども、私は地図を読むのに苦労しない。御蔭で海外でも迷子にならずに済んでいる)。札幌と京都は、地図なんて一度見てしまえば後は鞄の中に入れた侭でも動けるのに、此処ではそうはいかない。本当に、道とは思えないほど細い道なのに主要道路だったりして、其の上碁盤の目状じゃないから札幌育ちの私には苦痛だ。喫茶店には、並ばなければ入れないし。お洒落な街なのに、勿体無いなぁ。
 陽射しが、肌に纏わり付くように灼いていた。之が、突き刺すような痛みを伴った熱に変わるのだろう、夏には。そう――沖縄で体感したような、陽射しに。
 幸い、小さいけれども良い美容室を見つけられたことと、可愛らしい雑貨屋さんを数軒見つけられたことが、今日の収穫か。喫茶店は一寸無理だ、また次回ということで。

 其れにしても物価の高いところだな、関東圏は。世界の五指に入る高物価は、伊達じゃない。



2007年04月15日(日) 識閾下

 うーわー如月弥生は何一つ書き残さなかったのね、私は。そうして卯月も半分が過ぎてしまったわけだ。光陰矢の如し。


 人生最後の受験にするという意識の許で自分なりに努めてきた訳だけれども、私は世の中が然程甘くはないということも理解しているわけで、逃げ道ではなく、然しそれでも英語圏の国へ一年なり三年なり留学する――という選択肢も、持ってはいた。親も、如何やら其の選択肢を考えていたらしい。
 運命は判らないし、其の上皮肉的だ。何の因果か、私は関東圏に滑り込みで就職し、今こうして一人暮らしをしているわけだ。――何て、皮肉。

 嘗て――持っていた、守りたかったもの。守り通せなかったもの。其れを、今守れる筈も無くて。仮に守れたとしても、大きな代償を抱えることになるのだ。わかっている。知っている。理解している。そして、実行は出来ない。そうするだけの覚悟を、私は持っていないのだろうか。

 恐らくは音楽が導いてくれた今の職場は、学生生活とは勿論異なるものだけれども、他の企業に比べれば自由度も高くて、成程私に合っているのかも知れない。ずっと――此処に勤められるかどうかは、今はまだわからないけれども。同時に私は――夢を、諦めたわけでは決してないのだけれども。


 今は。唯静かに、考えている。










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