Wakako's Diary 道すがら記

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国民年金 / ヨン様ブーム - 2004年04月30日(金)

国民年金未納の議員が続出。まあ、現行の議員年金に比べれば国民年金は雀の涙だろうから、貰わなくても、、というのは分からなくもないし、制度自体が分かりにくいと思うのだが、、
しかし、年金改革を論じている側の人間が未納だったというのは、国民年金のCMに起用された江角マキコが未加入未納だったという以前の問題で、なんともお粗末な限りである。

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ところで、最近、
女性週刊誌のタイトルに「ヨン様」の三文字が踊る、踊る、毎週あちらこちらに出ているのでは。

ヨン様、こと「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンは、
確かに、礼儀正しい紳士的な青年のようにお見受けするし、甘いマスクと共にマダムから若いお姉さん達までの心を捉えてしまっているようである。

そう、俺さまって何様よ@キムタクなんざより、ずっと社会性を感じるのである。

やはり、マダム達の心を掴むためには、氷川きよしやヨン様のように、礼儀正しさが必要である。

そういえば、キムタクってヨン様と同年生まれなのだが、ジャニーズ事務所はアイドルに礼儀を教えないのだろうか。ちょっとした疑問。



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- 2004年04月29日(木)

空気がからっと乾いて良い天気。

妹が来て、神社の散歩などをした。

なんかほんと風邪をひきやすくなっている。

さる11月3週間、3月3週間、4月、この前の日曜に冷えて今週に入ってから喉→鼻の順に風邪。

うがいは励行してるけど、手洗いもね。微生物実習で常在菌ではあるが、黄色ブドウ球菌が私の手から採取されたし。。

風邪ひきにくくなりたいものです。


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- 2004年04月28日(水)

病理の授業は先生によっては二時間ぶっ続けなので聞くのが大変。今日はあさかぜ薬を飲んだせいか朦朧として辛かった。ノートテイクの時かなりうつらうつらして本当にごめんなさい!

プレパラートのスケッチは3枚だけで割とラクチンだった。

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閣僚の国民年金未納がどんどん露出してきている。呆れるし、先日の江角マキコが非難されたのもなんか可哀想になってくるくらいである。。

まぁ、議員先生達は国民年金になんか加入しなくても、現行制度では手厚い議員年金があるからよいのだろうけど。。


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葛根湯 / 本2冊 - 2004年04月27日(火)

昨日、気温が下がっていたにもかかわらず、少々襟元が開いた服を着ていたがために、今朝起きると喉が痛くなり微熱が。少ししんどいなぁと思いながら、夕方葛根湯ドリンクを飲むと楽になってきた。
葛根湯ドリンクは、風邪の初期に効きます。

今日の微生物学実習はまあまあ楽でした。
次回はまた待ち時間が長そう。

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本屋にて。
面白そうな本を発見。
「クラウド・コレクター」クラフト・エビング商会(ちくま文庫)

あと、一昨日購入した佐々木健一「美学への招待」(中公新書)は、人文科学の思考法と日常の感性をつなぐ好著。美学に興味ある若い人にもお勧めしたい。


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爆睡 / 未熟 - 2004年04月26日(月)

月曜日は、五月の半ばまでは授業が午前中まで。
午後、あれこれしようと思うのだけど、帰宅すると爆睡してしまう。
体調崩すよりいっかぁ〜と自分を慰める。

授業って、集中して聞いていると、それなりに疲れるものなんだな、と痛感。高校生の時は一体どうやって授業を乗り切っていたのだろう?
こころが飛んでいた?それとも50分だから疲れなかったのかな?

やでやで、いろいろ散らかってるけどいいとするか。

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安定してきたように勘違いしていたけれど、我ながらいまだ未熟で、時々(?)不安定になったり人を妬んだり自分を哀れんだりしてるなぁと痛感(苦笑)。

先日書いた文章。

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我ながら心が狭いと思う。
これは未だ過去が克服できてないせいなんだけれど、
早くに結婚した人が時々すっごく憎たらしくなる。
その人なりの苦労を私が分っていないと言うことなのだけれど、
ひとりの時間や孤独を知らないだろ!と勝手に決めつけて悲しくて悔しくて、時々ぼろぼろ泣いてしまう。

恥ずかしながら、
いまだ、研究室にいけず、助けを求める方法も分からずに、
図書館で泣いてばかりいた大学院生時代を克服できていない。
もう何年前のことなんだ、と思うのだけれど。

ただ、ひとりで泣いたという友人のことは憎たらしく全然ならないし(むしろ、どれだけ辛かったんだろうと思う)、
進路に迷っていたなど事情を知っている人のことは憎くならないから、自分で勝手に決めつけているんだと思う。

あと、留年したことも私なりにどれだけ悔しかったか、苦しい中頑張ったか、
(勿論、留年せずに進級したことのほうがどれだけ頑張ったかと言うことなんだろうけど)
それを分からずに差別すんな!と時々ものすごく悔しくなる。

去年、留年した時、
「古野さんが泥まみれになりながらも最後まで頑張っていたのを知っているので、残念です」
と言ってくれた人がいた。
この一言でとてもすくわれた(今も、この言葉のおかげで救われている)。

まぁ、その場を容量良く流していく方が余程留年しないと思う。私は容量良くなかったってことか(苦笑)。
(医学部と言う所は、全て必修科目で一つでも落とすと私の言っていっている所は留年するので。)

おかげで、留年してからは真面目に(昨日は薬理で寝てしまったけれど)授業に取り組んでいる(はず)。

見てくれている人は見てくれてるんだ、と思って、
それだけでなんとか自分を慰めている。

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暖かいコメントを頂き、
自分がどれだけ辛いのか(主観的に)、ということに目を奪われて、
他人の痛みや悔しさに盲目になっているのではないか、とふと反省しました。

それでも、人間は食べ物を食べたり排せつしたりするのと同様に、
喋ったり聞いたりという出し入れがないと窒息するそうなので、
未熟な私は、溜め込んでるよりいいかなぁ〜と
吐き出すことを正当化してしまう。

自分のキャパシティーが大きくなって、
問題が自分で解決がたやすくなるくらい
小さくなっていけばいいのですけどね。

ああ、相変わらずセルフィッシュアニマルだわ(汗)。

少しずつ、成長していく、それだけ。


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- 2004年04月25日(日)

オフ会に出た。面白かった。もう少し話聞きたかったです。


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殺人犯に狙われる夢 - 2004年04月24日(土)

変な夢を見た。夜間の学校を出たり、通訳のアルバイトをしながら職を得た苦労人の宇宙工学研究者に狙われ、殺されそうになる夢。彼は50代で、友人を殺し(それもお金持ちじゃなかったのだけれど)、味をしめたらしく、さらに私をなぜか狙ったらしい(狙われる理由としては、お気楽そうに見えるという以外思い付かなかった)。途中4日間ほどいろいろあったが、詳細は忘れた。最初は彼が犯人だとは全く思っていなかったのだが、とにかく怖くて、最後筆跡からこの人が犯人だ!と確信し、近所の交番に「殺人犯を逮捕して下さい」と届け出た。若い女性の警官が逮捕してくれたらしい(私は怖くて、近所の母の家から様子を伺っていた)

そのあと、一緒にいた人たちはイギリスから飛行機で日本に帰っていった。部隊がイギリスだったような気はあまりしなかったのだが。。多分、朝のワイドショーでベッカムが出ていたせいだと思う。

とにかく怖かったけど、途中で宇宙観測船の実物大模型がある大学が出てきたりして、興味深かった。



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姉バカ - 2004年04月23日(金)

心を痛めている妹のことを、心配している。

こういうとき、ど〜んと構えて見守っていられたらいいのだろうけど、心を揺らしている。

そういえば、最近「動けないのよ」というメールを何回か貰ったし、気付くのが遅かったけれど(汗)、しんどかったのだな。。

勿論、妹が心を開いてくれるのは姉としてはとても嬉しい。

しかし、開いてくれているのは悩んでくれているからか、と思うと、複雑で、彼女の心が晴れるのを祈っている。



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他愛もない暑かった今日 - 2004年04月22日(木)

最高気温が30度近かったらしい。暑かった。
明日は10度くらい最高気温が下がるらしいから気を付けなければ。。

細菌実習でグラム染色やら性状試験やらした。結構みっちり時間かかる。

ああ、ラットの脳はほったらかしだなぁ。。
その他も何やら抱えているような。。

少し身体が学校になれて来て少し楽になってきたかな。


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期待外れの文学部 - 2004年04月21日(水)

私自身ブンガクブ出身で、学部の専門課程に入った時は趣味のお勉強ばっかりで天国!と思ったものだ。ブンガクブ、それは自由な場所だった。

いやはや、ここまでは、ちょっと勉強の詰めが甘かったかもしれないし本を目論んだほど読めていなかったが(これは今だ選挙の争点の一つになるくらい京都の図書館環境が悪かったせい、、って人のせいにしちゃいけないかもしれないけれど、、も大きく)、まあまあ計算通りに進んでいたのだ。憧れた通り古い家に間借して、美学美術史学に進学し、研究室の同級生と気が合うというのは期待していなかったが、代わりにお姉さんたちとの出会いがあり、夢のような(??)3年生生活であった。

ただし、自由すぎて、修士課程に入った時、私は最初から論文をどうしようということが気になり、毎日雲がかかったようで(今振り返れば、あの脅迫されているような毎日は十分神経症的だったと思う。ほんと、早く手段を知っていてば、と悔やまれてならない)、最後は指導教官の指導を仰げず(正直白状すると、仰ぐ勇気もなく)、安定剤を飲みながら精神科の先生に論文の進ちょく状況を報告してなんとか修士号を頂いたのだった。。。

余談だが、この精神科医はゆっくり時間をかけて診察される方で、この先生を見て、人の力を引き出すってすごいな、と、再受験しよっかな〜と思っていた私の気持が、まずは再受験に踏み出した友人を見て固まった上、さらに具体的に固まったといって過言ではない。

で、昨日、たまたまとあるホームページを読んでいたら、医師を志した理由が出ていて、この先生というのが登場していた!なんとも奇遇である。わ〜、センセイ、一体何人の背中を再受験に押しちゃったのよ?(ってこのセンセイご自身、再受験生なのだが。。)

さてさて、本題。とある現役女子大生。法学系に入学したものの、1年次真面目に勉強した結果、法学がイヤになってしまったらしく、3年次に文学部に進学した。

が、4月、授業が始まって一週間余りで早くも後悔し始めているらしい。授業が余りにもいい加減で、ただでさえ文学部は就職がないといわれているのに、こんな所にいて大丈夫なのか、と甚だ不安になっているらしい。

好きなことすれば、資格とるのもよし、私の同級生も、女子に限っても外務省へて代議士になってる人とか、会社起こした人とか、NGO勤務だとか、作業療法士や言語聴覚士、弁理士、いろいろいるよ〜(私も医学部に入り直してるし)と言ってみているのだが、本人は甚だ不安に感じられているようである。

社会学なら社会調査士(?)とかの資格もとれるじゃないと言ってみても、なかなか不安のほうが強く、明るい展望が持てないらしい。

こんなとき、どうしたらいいのだろう?
元気になれる人材や進路を示すことでいいのだろうか?

#まぁ、自助努力が一番しろってことだろうけど、大学の先生方にも少なくとも教育する義務があるんだから、授業ちゃんとやって頂きたいわね〜〜まったく。


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コノゴロ / 自己責任論にたいするちょっとした感想 / スパム大過ぎ! - 2004年04月20日(火)

実習で細胞を培養してグラム染色を行なったりスケッチをしたり。1時から5時までかかって、午前中の授業と合わせてなんかそれで十分疲れちゃって、帰宅してから4時間近く爆睡。最近こんな風に学校行って帰ってくるだけで十分疲れて仮眠を必要としてしまう。ま、いいか。

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あやふやな人間関係、のように思える中で漂い、サークルとか、親密な同窓会とか、仲良しグループとか、そういった集団での確固とした所属を感じられず(所属という意味でいえば、そう言えば、再受験の勉強をしている時、「所属がないんだよね〜」と周囲にこぼし、寂しいからサークルでも入ろうかな、とか、どこか行けば常に誰かいる所ないかな、とか言っていたが、相変わらず今も確固として大学生であるがそこだけに自分を完全にアイデンティファイしていないことに苦笑する)、つまり自分が求めているほどの親しさに満たされた集団にいないということでもあるが、バーチャルなかつリアルなおしゃべり系のMLは親しい集団を作っている訳だし、さらに、自分をちらちらと見てくれている人もあり、期待していなくてもふと結婚式に呼んでくれる友人もいる訳で、捨てた訳でもない、そんなふうにあやふやな中で漂いながら生かされている。

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朝日新聞の今朝の朝刊、「NGO関係者に聞いた 自己責任論を問う」という記事が社会面に載っていた。人道支援をする以上、誰かが危険な地域に行かなければならない、最新の注意は払うが、邦人保護は政府の仕事ではないか、という意見に個人的には同感です。色々な問題があり、それぞれに誰かがやらないといけない(やらないといけない、というより、やらないと進まない)ということだと思うんだけどねぇ。。

スパムメール元来多かったのだが、今日など実習中2時間のあいだに17通もスパムが。。多すぎる。防止方法をどなたか伝授下され!
ちなみに、サンネットのサービスを使っているのですが、迷惑メールに対する意識が低いプロバイダーのような気がします。2、3回苦情を言ったのですが、反応が鈍い。かといって乗り換えるのも面倒で。。むう。

#いやはや、教えてもらうためにはゲストブックを復活させなければ(汗)


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夏日 - 2004年04月19日(月)

4/18

最高気温が29度のよく晴れた夏日だった。空は水色でまだ春の色だったけれど。

久しぶりに大文字山に登った。登山道を少し進んだだけで、とても爽やかな風が吹き抜けて心地よい。さらに、きれいな目にしみる新緑の色。

余りの気持良さに風を感じる度に立ち止まった。

途中からは逐一感動する余裕はなくなったけれど、しんどくないようにゆっくりゆっくりマイペースで上がった。歩くスピードが落ちている。

天気がよく、人出が多く、頂上も混み合っていた。中高年の方がメインだけれど、ボーイスカウトや、学生のサークルの新歓ハイクなど。

またゆっくりゆっくり降りて来た。涼を楽しんだひとときだった。

4/19

今日は打って変わって雨。湿度が高いおかげで気温が下がったのも気にならない。

授業は午前中だけで、帰宅後、事務的なことを済ませてから暫し夕寝。すっきりした。涼しいと眠くなりやすいような。。


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- 2004年04月17日(土)

朗報:イラクでの日本人人質2人が無事解放された。

悪い出来事:パレスチナのハマスの指導者がまたイスラエルに殺害された。

気温が上がる。朝の天気予報で聞いて吃驚したのだが、なんと京都は1年のうち3分の1以上が夏日だと言う!131日とか言っていた。これが平均値なのか、平均値だとしたらどの期間なのか、或いは昨年の話なのかは分からないが、ともあれ、一年のうち3分の1以上が夏日でまた冬の冷え込みも厳しいとくれば、気候が厳しいと言える。

京都駅前で久々に楽しく飲み会。待ち合わせまでに久しぶりに駅前の地下街でぶらぶらしたのだが、安カワ服が沢山売ってますね〜。最近ベイクルーズかデパート(それもポイントをためている大丸)かユニクロかとなっていたので値段感覚の基準が高くなっていて(汗)、品質はさておき、あ、もっと安いんだ〜と衝撃を受けた次第。もっとオシャレに着こなしたいものです。

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それにしても、人は話を聞いて貰えてる時往々にして恍惚とした表情を示すものですなぁ。。
気持良さそうに話してもらうためには聞き上手になることが必要?


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花の命は短くて - 2004年04月16日(金)

逃げ出したくなる

消えたくなる

春先

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病理の授業で、ガンで死ぬのはオシャレと冗談まじりに先生が仰って、それは数十年前まで感染症で亡くなる人が日本も多く、今は先進国になって衛生状態がよくなっているという意味合いが含まれているのだが、腫瘍の写真を見て、ああ、花の命は短いな、私たちの生活はきれいな所が目に入るようになっているな、隣り合わせの病や老いや死がどこかに押しやられているな、と思った。

ふと、あと100年もしたら、この教室にいる人間はみな(ギネスブックに載るくらい長生きしなければ)死に絶えているんだな、屍となっているんだな、と思った。ある日大人になったり、小学校を卒業したり、そんな風に1人ずつあの世に旅立っていくんだ、と想像した。

当たり前のことではあるのだけれど。

きれいな洋服を着て、きれいな靴を履いて、プロポーションがよくて、ファッション誌を見てきれいな格好をしていられる時間は限られている。

それでもどうして人は着飾り、きれいな世界しかないような顔をして生きていられるのだろうか。ファッション誌のモデル達の蔭にどこにも死は見当たらず、誌面の死も、どこか観念的な物語の中にしか存在せず、無菌状態で生きている。

花の命は限られているからだろうか。
だから人は精一杯生きているのだろうか。

 命短し、恋せよ乙女

という古い唱歌が脳裏を横切り、帰りの道すがら、口ずさんでいた。


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- 2004年04月15日(木)

4/14
嬉しい知らせ。友人の就職活動がうまく行ったらしい!おめでとう!
勝手にやきもきしましたが、その甲斐があった(?)ようで、、いやいや、
何より勿論のこと友人が一生懸命動いた甲斐があった!よかったよかった!

4/15
疲れが蓄積している。。朝、ギリギリまで寝てしまって、おまけに何を着ていくかわらわらして授業に30分遅刻してしまった(汗)。

授業が今日は早く終わったので(3時20分終了)、やった−チャンスだと美容院に行ってパーマをかけた。2週間前に髪を切ってストレートの状態だったのだが、このところ連日髪の寝癖がひどいのでランダムにパーマをかけてた。きれいな巻き髪とはちょいと違いますが、、ひとまず寝癖防止に(汗汗)。

さて、ついにイラクでの日本人の人質が解放された。よかった。。

イタリアやドイツ、さらに再びアメリカの民間人で殺害された人もあったから。。



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- 2004年04月13日(火)

2004/4/12
授業開始。あとから思うに暑かったせいかもしれないが、しんどくて、午前だけの授業の後、実験していたのだけれど、待ち時間の8分だの9分だのを利用してはうつぶせて眠っていた。全く急に暑くなるんだもの。。実験はいい結果でず。

2004/4/13
実習が始まる。今日はグラム染色を行なった。午前の二時間目の授業で途中眠くなって困った。新学期は途中で気がめげやすいなぁと*消え入りそうに*弱気になったりもしたが、手を動かして実験しているうちに元気になれてよかった。
それなりに基礎医学っぽくなって来ております。
家庭教師があるのはしんどいなぁと思っていたが(あまりにがんがんに体力がある訳でないので、学校なりなんなりびっちり一日動いた後で夜のお仕事週3は昨今こたえるようになっております。泣)、この暑さで生徒さんもしんどかったようで、1時間で引き上げる。おかげでこちらも楽でしたが、、生徒さんも大変です。
やはり私には夢が、というか心が飛べる(???)所が必要だ、、、なんて思ってみたりもして。
とまあそんなにバリバリ調子がよい訳でないですがまあなんとか飛行しています。


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- 2004年04月11日(日)

友人と奈良に行く約束をしていて楽しみにしていたのだが、
体調が悪くキャンセルさせてもらった。
明日から授業が始まるから長引かせたくないし。。

それにしても楽しみにしていたのにーどうもこう体調が悪くなるんだ−(泣)

自分の体力のなさがとても恨めしいです(涙)。

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午前中一眠りして少しマシになって来たし、鎮痛剤が切れてきたので買いにいった。この前歩いた川沿いの桜が、まだ満開の木もあるけれどすっかり葉桜になっていた。昨日の高温で一気に様替わりしたのかな?

なお、体調不良の一因として、昨日お腹の痛みが大脳皮質の方にまで響く感じで、それで寝つきが悪かったのもあるかも。。

今日は久々に曇り。


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- 2004年04月10日(土)

人質問題進展しているという報道はなし。

よい天気。残り一枚の青春18切符を使おうとしたが睡眠を優先させて少しゆっくり眠ったり実験が気になったりしたので結局じみ〜な使い方に。

冬のソナタ、ハッピーエンドらしい。どれだけ揺れても安心して見れるって訳ね(汗)


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- 2004年04月09日(金)

イラク情勢は一体どうなるのだろう。韓国人の牧師らは解放されたそうだが。

それにしても彼らが、例えば高遠さんが「平和を愛している人」だったのは分かるし、非常にお気の毒としか言い様がないし、皮肉だとは思うが、この時期に(急転直下で情勢が緊迫しているので直前の情報を集めることも容易でなかったかもしれないが)行くことで捕まって、いくら自分達が平和を愛していようと、政府の機関に関係なかろうと、日本人であると言う理由で国家との交渉の道具にされるとは思っていたのだろうか。
果たしてそこまで予想していなかったとは思うが、その点に関してはおおかたの日本人同様、そして派遣されている自衛隊の描いていたシュミレーション同様、甘かったのではないか。
自分達の意図とは関わりなく、交渉の道具にされることはあり得る。

++

桜は相変わらず満開で、葉桜もみられるが、まだまだ咲き誇っている。入学式を無事迎えた桜達。

入って来た情報によれば、
世界では以下の映像が流れているそうです。

ユーロニュースの映像

刃物を突き付けられ、悲鳴を挙げて泣叫んでいます。

意図的に犯人グループは流しているのだろうし、
意図的に政府もこの報道を規制しているのだろうけれど、
(つまりどちらも考えがあってやっているのだろうから一概に銅のとは言えないけれど)
どう対処するのがいいのだろうか。

テロに屈するのがまずいというのなら、
法律に則った抜け穴はいろいろあります。

ともあれ、昨日からマスコミの報道を食い入るように見て来ましたが、
しらなさ過ぎる、ということです。


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- 2004年04月08日(木)

今日も善い天気だった。昨日より気温が上がらなくて夕方は寒かったが。

桜がきれいで、また路傍の桜を楽しんだ。

それはそうと、大変なことになった。
人道支援活動をしていた人たち3名の日本人の民間人がイラクにて誘拐されたのだ。自衛隊を3日以内に撤退しないと彼らを殺す(焼き殺す)という。

街頭インタビューにもあった言葉を借りると、
「引くのも国としての道」
だと私も思う。

果たして、派遣していない(手を汚していない)独仏露あたりは、アメリカの犬を高笑いしてみているのではないだろうか。

拘束された3名のうち、

▼高遠菜穂子さんの個人HP

▼高遠菜穂子さん プロフィール

1970年生まれ。北海道千歳市出身。大学卒業後、東京で1年間OL生活。退職後渡米し黒人解放運動の活動家田尻成芳氏のもとで「生き方」を考える。帰国後、カラオケボックスを経営。30歳になる2000年を機に、インド・タイ・カンボジアでボランティア活動を開始。2003年4月からはイラクで緊急支援活動開始。8月に一時帰国し、11月に再度イラクへ。治安の悪化で国連やNGOの外国人スタッフが次々と国外退避するなか、日本でのアルバイト代を資金に現在も単身バクダットで活動を続けている。主な著作に「愛してるって、どういうの?(文芸社)がある。

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ついに映画love actuallyを見た。まあたわい無い話ではあるが。
ワーキングタイトルらしい映画だ。
病気の弟を抱えた内気なOLの恋の行方が気になる。

その映画館、平日だったせいか、観客がほとんどいない。ガラガラなのだ。
受付に2人、案内係の男性が2人、清掃係が1人に観客3名。観客より従業員が多いッてどうよと思った。多分レディースデーとか夏休みの人気映画上映時は大入りなんだと思うけれど。



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- 2004年04月07日(水)

桜満開。

オリエンテーションや健康診断あり。体重、2年前と一緒だった。好いのか悪いのか。。

桜吹雪がきれいで、高野側沿いに歩いた。

京大の学部と大学院の入学式があったようだが、最近の入学式スーツは地味で質実というか、就職活動兼用の格好みたいな人ばかり。1人だけ薄いグレーの女性を見かけたけど。私が大学に入った頃なんて、女の子はわりとピンクとかクリーム色とか、パステルカラーが多かったのにな。。そう、就職活動には使えないようなスーツだったよ。
時代なのかな。

大学生協の本屋で、わーと刺激を受ける。眺めているだけでほとんど手に取っていないのだが、それでもああ、もっとがむしゃらに食い付いていかないと、沈んでいく!と思った。





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- 2004年04月06日(火)

メガネが汚れていたので泡のでる錠剤で久しぶりに洗ったら、最近見えにくいなぁと思っていたのがとってもすっきりした。わーお。よかった。

非常にぽかぽかしていて、久しぶりに京都駅の方まで自転車でいった。桜が満開。今日は大山崎のアサヒビールの山荘にいった。
春のしつらいと言っている割にモネ4点で新館、これで終わり?って感じ。
まあ景色を楽しむ所なんだろうな。
新館が安藤忠雄のコンクリートで木造の洋館と不釣り合いで、
残念でした。あれでいいのかなぁ。。

暖かで久しぶりに長距離自転車で移動したもので、帰宅してから疲れて頭痛がして少し休んだ。

明日は、、ついに学校のオリエンテーションだ。。


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- 2004年04月05日(月)

夜の闇は艶やかで、

見えない息吹で人を誘う。

++

帰省している間、

まとまったことはできず、寝ているか、下手な聞き役をやっているか、

そんな感じだった気がする。

のんびりした、というのかな。

話を聴くのが、我ながら下手だ。

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今日は切なくなるほど空が澄んで青かった。

こんな青い空もあったな、とどこか遠くから思い出した。


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- 2004年04月04日(日)

布団のマットレスを変えたらとってもふかふかしていて暖かかった。

さて、そのせいか否か、高校を舞台にした夢をまた見た。

まず最初は私は生徒で、夏服か合服の制服を着ていた。周りにいるのは中学や高校のときの友人か、見知らない人。昼休みに数学の問題を考えながら解いていると、「わかこが勉強しているなんて珍しい」と言われてしまうw(゜o゜)w

お昼にしようよーと、席を立ってから、なぜか35Rという教室をのぞく。そこは松井が講師に来るなどユニークな英会話の授業をしていた。お昼休みも生徒が楽しそうだ。

(多分、高校のチアリーティング部の特別ドラマ、そのあと「冬のソナタ」再々放送の初回を見たせいだと思われる。。どちらも高校が出てきますから。。)

次に見た夢は、どのようにつながっているのか覚えていないが、舞台は高校のままで私は新米教員だった。生徒は素直だったが、なんともお目付け役の先生にいちいち私は叱られ、注意され、びくびくしていた。授業時間が延長しては時間配分が悪くてすみませんと謝り、試験の答案を返すにもお目付け役の先生の許可を得て、さらに黒板の消し方が悪いだのゴミが教卓付近に落ちているから掃除しておけだの(掃除は生徒の役目のはずなのに!!!!)、ともかくあれこれねちねちいわれ、私は半泣きになって「やめてやる!!!!」と心に誓っていた。
ただ、そのまま逃げ出そうか、なぜか学校に掲げてある名札を一文字消そうか(三原を原としようとしていた。って私は原でも三原でもないんだけど)、なんて考えていた。

いつの間にか舞台は時代劇の渦中に変わり、置物のサルは昔だれ某が変わったものだとか云々とか説明を受けたらとたんに枯れたサルの仮面が変化した。
香川照之あたりがその土俵の中にいた。

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ところで、ヨン様フィーバーが炸裂している様子。なんと8日まで日本にいらっしゃるらしい。

日本であれだけ清涼感を持つ俳優さんがいるだろうか。
年齢的にいえば藤木直人が近いが、彼はもうちょっとフェロモンが強く出てる気が。。個人的な美的度からいえば、福山雅治級でございます。

記事はこちら。

▼http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=720514「冬ソナ」ペ・ヨンジュン来日、狂騒曲が始まった! (サンスポ)2004 年 4 月 4 日

日本で「冬ソナ」ブーム拍車 NHK教材が売り切れに

いやはや、すさまじいみたいです。


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- 2004年04月03日(土)

午前中はのんびり眠っていた。おかげで、いろいろな夢を見た。赤いニットの、前にボタンがついているワンピースを着て、学年の(高校か??)出し物であるダンスの練習をしている夢とか。出てきたのは誰だったかなぁ。。今のメンバーか、それとも普通に友人が出ていたのか、定かでない。ただ、振り付けは(中学のときの同級生の)○○ちゃんだなぁとボーっと思ったのは覚えている。

午後はなんとはなしにこれまたのんびりと過ぎていった。

夕食はヘルシーなべと鰹の叩きとお赤飯。


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- 2004年04月02日(金)

4/1 ようよう帰省しました。ぽかぽか日和で気持ちよかった。当初の野望としては尾道によっていきたかったのだけど、それよりも数時間余計に眠ることを選択してしまった私。桜があちこちできれいです。

母は、また薬が応えているようでした。妹が先に帰省していて、久しぶりにたくさんしゃべったら、白血球の数が増えていた、と母が妹に言っているのを聞いて、ああ、話すことや誰かと交流があること(プラスのほうの)は大切だなぁとおもいました。

4/2 ヤ○ーのサービスが悪かったので、ヤ○ーを解約し、光ケーブルを導入しました。珍しく、父が主体的かつ意欲的で、なんかうれしかった。

母がポツリと待つのは応えるといっていたのが心に沁みました。



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