Wakako's Diary 道すがら記

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思うに、 - 2002年11月30日(土)

人のことを気遣う(と言うか、勝手に心配する)のは結構だけど、それより自分のこと心配した方が良さそう。
再受験生と(学士編入の方も?)は、基本的に、(多分)、勉強グループとかないし(まぁわたし自身どっちかっていうと個人で行動する主義だし)、勉強は一人でするものみたいなスタイルになっちゃってるんじゃないかな。うん。それに、私に勉強会のお誘いなんて来た試しないし(別にいいけど)。それに、誰だってフリーで動ける訳ないし。バイトもあるし、ご家庭とかあれば特に。


束になった方が得られる情報としては大きい。
けど、いいトシした大人は自分で勉強しなさい、できるでしょ、ってことかい。

べたべたし過ぎるのは好きじゃないし。

自分での努力をもうちょっとする必要アリ、かな。

おそらく、他人との距離の取り方が下手なんだろう。
全く無関心を決め込むには情に厚く、
ほどよく個であるには寂しがり屋なんだろう。


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峠は越えた、らしいが、 - 2002年11月29日(金)

午前中、一月ぶりにk大病院に行く。薬の処方だけで済ませようと思ったのだが、先生と話した方がいいでしょうと受付の人にいわれ、診察も受けた。
この頃ようやく落ち着いてパニクラずに勉強できるようになりました、それでも疲れてくると訳もなく電車の中で涙がこぼれることがあります(2、3回/月だと思う)、と伝えた。あと、よく眠るようにしているので、疲れは翌日に持ち越していない、とも。

峠はこしたのでしょう、と先生に言われ、自分でもそう思った。ただ、相変わらず薬は処方してもらった。

一月後に予約を入れた。

また古野が授業さぼってると思われてるんだろうな、と思いながら学校に向かう。でも、病院行く時間ぐらいあっていいじゃないか。平日の午前しか予約なしならば行けないんだから。それに午後は毎日実習じゃないか。

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学校にいき、いよいよ今日は内分泌の再試験の日程を決めた。
今まで3回も決を取っている。50名該当のうち今まで30人程度しかそもそも希望を出さず、そのうち2/3は12月14日を希望していたが、都合の悪い人が出て来た。その時点で、14日希望が多いことは動かないが、その日は来れない人がいるから実施できないと、言い切るべきだったのだろう、今思えば。

今日は留年したら困る云々、全員通れる日程でないと行けない、とついつい長々演説してしまった。そんなことより、14日では、試験を受けられない人が出てくるから実施できません、冬休み中にします、と言い切って、異議がある人のみチェックすればよかったのだろう。

私だってアブナイ人ベストファイブくらいにはいってるだろうけど、
結局、自分の決めた日程のせいで、誰かが留年する(再々試がない以上、14日実施で全員通るとは思えない。少なくとも3割は落ちるだろう)と思いたくなかったのだろう。

我ながら手際が悪い。

また、今日から解剖実習の実施方法そのものが変わった。
実習プリントが配付されるようになり、指定教科書の不備を補うようになった。また、質問を受け付けるために教官も多く巡回していた。
試問の方法も急に変えられた。

我々の班はうっ血がひどく、なかなか組織が識別できない。難儀する。
病理の勉強には非常になるし、どれだけ生前苦しまれたことか、と思いを馳せるけど。

それやこれで疲れてしまい、あろうことか、解剖中に泣いてしまった。
そして、再試に引っ掛かってばかりの私は怠け者だと思われてるだろうな、とか、思うように力が出せてないこととか、悔しくて悔しくて、そして、体力もないし、辞めた方がいいんだろうか、医学部なんて私がいるべき場所じゃないんではないだろうかとか、いろいろな思いが去来して、涙が止まらなくなった。

はっきり言って試験なんて、同一条件で測れてるものじゃない。
少なくともその準備の過程は同一条件なんてことはあり得ない。

涼しい顔して試験に通れるほど私は器用ではないし、
そしてそもそも自由にとれる時間もない。

若い子に体力では負けてる再受験生をカバーするのは勤勉さというけど、
勤勉さを発揮できるほど暇じゃない、悲しいけど。
そもそも私は超マイペースと来てるし。

もういやだ。

感情失禁。

病気。

一旦泣くとスッキリしたけど。

あとはできるところまで明日の組織学の試験の準備をすることだ。

それが終わったら試問の準備をしよう、胸部の。


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11/27-28 - 2002年11月28日(木)

11/27
解剖実習は午前中に終わる。去年より期間も短くなったとのことで、実習書を簡単なものにかえたらしいが、学生がさっさと観察し過ぎているということで、実習書を替えるとかいう話も出ているらしい。そんな。。
それならそれで、きちんと実習中学生が質問できるように最低4名程度の先生に在室お願いしたいところだ。

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家庭教師の教え子をなんとか薬大に押し込んだが、大学側もドロップアウトしないようにと事前に教科(化学、生物、英語、数学)の課題を与え、学力をつけさせる模様。数学なんか特に忘れちゃってるようなので、教える必要がある(箸にも棒にもかからない状態になっているので)。ああああああ。まだお役目ごめんじゃないのかよぉぉぉ。
でも、今だってギリギリ精一杯(以上)行ってるんだから、これ以上増やせというなら他の人雇って下さいというしかない。

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初めて大阪出身?と聞かれた。

11/28
今日も家庭教師。おまけにモシ前で3時間(数学なのですぐすぎたけど)。昨日は午後、組織学の勉強ができたけど、今日は1時間目の空き時間と、家庭教師の時、教え子が問題といてる間と帰り道に授業プリントを見て過去問ちょっと解いたくらい。
勉強させて!、私の勉強時間をくれ、って叫びたい。


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構い過ぎ? - 2002年11月26日(火)

再試験の日程の希望を取りまとめる。皆さんいろいろご希望がおありで、決をとった後にさらに意見がいろいろでたのには、一瞬もうどうにでもなれ、と思ったが、何が大切か考えると取るべき行動が見えて来た。みんなが勉強できて合格できる日程にすること、なのだ。

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実習に来ない学生に対して。自宅生なら押し出してくれる人がいるが、そうでなければ、ただ同居人がいないという理由で、休みがちになってしまうことがある。いい年した大人だ、自分の面倒は自分で見なさい、とも言えるが、どうなのか。どこまでが構い過ぎでどこまでが適切なのか。


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- 2002年11月25日(月)

解剖では肺の観察。病との格闘のあとを御遺体から感じた。

今日は骨学がなかったので午後3時半過ぎに終わる。他の授業より終わるのが早い、落とされることがない、となぜか女子に(男子にも?)すでに好評である。それくらい、意外に苦痛はなく、私も含めて皆さん取り組んでいる模様。

泌尿器、生殖器の再試を受ける。10問中6問が本試験と一緒だった。
こうやって一つ一つ潰していこう。

次は組織学(本試験)。さらに細胞生理学(再試験)、代謝生化学(本試験)、(そしておそらく)内分泌(再試験)が控え、そのあと循環器の試験だが、解剖中、血管や筋肉、神経の位置や名称が分かっていないとお話にならないことに気付き、帰宅後、循環器の本試験分の解答例を作り、プリントアウトして持ち運びやすいようにした。ちょっとずつ覚えていこう。

最近、こうして、ようやく、医学部での勉強の仕方(?)が分かって来たような気がする。何ごとも一歩一歩。

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夕食はロッテリアの松茸バーガーとカボチャのスープ。





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友人と勉強。 - 2002年11月24日(日)

同級生と再試験のために勉強会。彼女はとても豊かな心の世界と才能をもっていると初めて知り、いたく感心した。
肝心の内容はちょっと量が多くて、オーバーフロー気味かも。。

そのあと家庭教師。人身事故で電車が一時間遅れたのをいいことに、車中でちょっとリラックス。

家庭教師の帰りはもはや睡眠モード。乗り過ごさなくて良かった。帰宅後すぐ朝まで眠る。

今(11/25朝)から「思い出す」訓練です。







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きれいな秋晴れの土曜日に。 - 2002年11月23日(土)

部屋がものすごく散らかっているので片付けようと思案中。分厚い医学関係の教科書などは、殿を見習って小さめの段ボール箱に入れてみた。確かに、これは使い勝手いい。

その他、ラックに吊るすことのできる布製のホルダーを買ってみた。
100円ショップでは紙の穴空け機、携帯用染み抜きなど買い込んだ。
ホットカーペットカバーは適当なものがなかったので、重そうでもあるし、通販で頼むことにした。

それから冬の普段パンツがほしかったので、コーデュロイの8分丈のものを買う。

午後は同級生と勉強する予定だったが、彼女の都合がつかず、明日に延期。
なんだか青い空と一緒にポッカリ隙間が空いてしまい、誰の心にもいない寂しさ、寂しい時に寂しいと言ってはいけないのだろうか、以前私は常に人に構ってもらわない時がすまないタイプだの言われたことがあるけれど、私は今までずっと一人でいきていきたんだ、確かにアマちゃんかもしれないけど、それを見ずに勝手なことを言わないでほしい、だのつらつら考え、久々に電車で涙ぐんでしまう(泣かなかったところが、良くなりつつあると言うことか)。帰宅後眠ってスッキリしたところだ。

これから泌尿器&生殖器の再試験(改めてみると、この出題、内分泌に比べてなんと楽なことか!)と、組織学の試験の準備と、解剖の予習。
解剖は、初日やってみて、実習書は分かりにくいが、その日の見るポイントを押さえれば(人体構造学および生理学などの授業と関連づけること!)恐れるに足りないと実感。今までの生物学や、顕微鏡での組織観察の実習の延長線上にある。朝、父から電話があり、その時解剖が始まったと告げたら、いい年して「きゃー、気持ち悪くない!お父さんだったら卒倒する!」とお茶目にも叫んでいたが、ほんとにあれで当初医学部に行きたかったんだろうか(父の仰々しい説明によると、医学部に行きたかったが難聴のため欠格条項のこともあり断念した云々ということだったが。。)?

そんなこんな土曜日です。


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初☆解剖。 - 2002年11月22日(金)

本日よりいよいよ解剖学実習。
ホルマリンの刺激が強くならないように、部屋は寒くしてあったので、余り臭いとか思わずにさくさくと終わった。

今までは解剖はしんどいとか、どうやって耐えぬこうとか思っていたけど、固定してあることもあって、さほど違和感もなく、また、後期の専門の授業が始まったことによって、肉眼で身体のつくりを確認できる貴重な機会と思い、しっかり観察させて頂いている。
学生には、各御遺体の簡単なプロフィールおよび遺族からの一言がつけられており、各御遺体の個人差が、その方の死因に始まり人生を想像させ、人に対する見方が深まる(?)と言うのか、やはり医療は人を診ることだなと思った。

その他のことも含めて、持っている力をそれぞれが出し合ってより過ごしやすくすることって大事だなと思う今日この頃である。

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最近の買い物。
・着せ替え携帯の着せ替えパネル(ミラー付き)。
・ホットカーペット本体(二畳用)
・パソコンのプリンタ(win/mac共用機)

最近の頂き物。
・お茶犬のはなちゃんのぬいぐるみ。

最近の「譲ります」グッズ。
・パソコンのプリンタ(win専用機)
・自転車(大学の最寄り駅においていたもの)


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5冠達成。/ 面接指導 - 2002年11月21日(木)

人体構造学の最後を飾る、内分泌、54点で不合格(TT)。半端な勉強はいかんな。。正確を期そう。
人体構造学5冠達成(--)v、さらに目下細胞生理学(これは後期に入って理解しやすくなったので勉強ちゃんとすれば大丈夫だと思う)、統計学(試験の旅に難しくなっており先生がきれかけている)を抱え、とで再試の女王の名をほしいままにしているが(汗)、諦めずに一つ一つ潰していくことだな。そう、留年はしない。
ちなみに内分泌は恥ずかしながら人体構造学のなかでこれが今までで一番よい点で、一応上昇中である。

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教え子の面接指導をした。学校の先生は、学校の沿革など細かいことを要求し過ぎ。限られた時間の中では、コミュニケーション能力と何が出来何がしたくてそのためには何が必要か聞きたいと言うところでは?
進路探しは、自分を知ることであり、さらにしたいこととそのために必要なことを明確に指定行く段階だと思うのだが。


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留年はしたくない。 - 2002年11月20日(水)

今日は内分泌の試験だった。そして、人体構造論の授業の最後を飾るイベントだった。これでいよいよあさってから解剖だ。

今迄5回の人体構造の試験で一番時間をかけて勉強したとはいえ、十分ではなかったような気がする。うろ覚えの答えを書いてしまったし、教科書に丸ごと乗っていたことすら気づかなかったこともあったし。

と、達成目標に対しては不十分であった(そして今抱えている再試の数は、いかに私が基礎的なことを積み重ねてきていないかを物語っている)。おまけに、統計はもうこれ以上再試をしてくれないとのこと。ほかの科目が年度末にすべて通っていたら合格、そうでなければ(つまり留年することになるのであれば)統計も落とすらしい。

今日は同級生に初めて「前々からふるのさんヤバイと思ってたんスよ」とズバっといわれたが、おそらく笑顔で接してくれている人たちも内心「大丈夫かな」もしくは「勉強しない(できない)ダメなやつ」と思ってるんだろうな(汗&涙)。いや実際、絶対的に足りてないんだから現実的にできてないと思われるのは仕方ないんだろうけど、大学院のときのことを思い出して悔しくなる。

ただ、個人的には、人体構造論の試験で初めてぱにくらずに勉強でき(逃避モードには入ったけど)、試験前に泣きもせずに受けることができた。前回の実習テストに続く快挙(?)である(実習テストはほぼ落ちないという安心感もあったが)。

ただこのことは、私的には大きな一歩であっても、医学に必要な知識という点からはなんら評価されないことである(まるで、論文が学術的にはなんら価値がなくても提出できることに喜びを見出した大学院のときのように)。

が、留年することはデメリットである。
欝で心身ともに調子が出ませんでした、その上生活費を稼がねばなりませんでした。
確かに「がんばってるアタシ」かもしれないし、今もバイトをやめたくてたまらない。が、
留年すればその分学生期間が延び、
生活費を余計にバイトで稼がなければならなくなる。学費も余計かかる。
(大学側、あるいは再試を実施する先生側にしてみればそんなことはしったことない、できてないものはできてないというしかないのだろうけど)

逆に、そんなやつは淘汰したほうが大学にも社会にも本人のためにもいいのかもしれない。

でも、現実問題、辞めてどうするなんて事は考えたくない。できるところまでやりたい。

とにかく、留年しないようにすること。
それが今年度残りの時間の私の最大の目標だ。

医師になる、と、

意志を強く持つこと、なんだろうか。


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心電図の読解と診断 - 2002年11月19日(火)

今日は生理学実習(人体機能)で心電図の波形の読解と診断をした。細かいところにも注意して目を向けることが必要だ。この授業では前回も血圧の測定(触診法と聴診法)をしたし、2回生でもうこんな臨床的(?)なことをするんだなぁと感心した(おそらく、旧カリキュラムでは3回生で行っていたと思われる)。

聴覚障害のある同級生のサポートのために補助金が申請されているよう。彼女の希望に沿う形でサポートが行われるとのこと。大学の構成員の利便の向上のため、必要なものを実現する場として大学生協が4月から設けられるように、いい形で大学が動いていることが嬉しい。


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ヘビイな(?)日常。 - 2002年11月18日(月)

午前の生化学の授業、なんだかチンプンカンプンだ。積み重ねをしていかないと。。今度で最終回。分厚い教科書1冊分終わっちゃうんだ。。昼は新しくできるという大学生協の説明会にいき、質問をする。
午後の組織学は、授業たったの全4回で教科書150ページほどテストの範囲になるんだから、高校までの懇切丁寧な授業があった科目のテストとは大違いだ。最終回のスケッチで神経細胞を描く。スケッチが3つで考察含めて楽だった。

そのあと家庭教師。今日は私も試験勉強をさせてねと言う条件でお許しを得ていたが、余りはかどらず。おまけに途中で眠くなるし。。教え子は一人でも独り言を言いながら勉強するとかで、ましてや私がいれば喋りながら作業だ。集中を!とおもうがいつも全心血を注いで集中とは行かないか。。

ただ、彼女は、大学入っても私に見てもらいたい(!!!!)・・確かに私は医学部で彼女は薬学だから・・と言っているようで、びっくりだけど有り難いような気もして。

そのあと帰りの電車のダイヤが事故で乱れていて、おまけに地下鉄で寝過ごし、帰宅したら11時半頃だった。
家庭教師に行くと2時間の指導でも前後の休憩や食事、行き帰りをいれると4時間はそれに費やすことになる。時給は2500−3000円。
試験勉強を、と思いながら自分の休息を優先して結局朝まで眠る。

家庭教師がない日に集中して勉強することかな。。




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カフェで  - 2002年11月17日(日)

京都駅の地下にsolareというカフェがある。そこはテイクアウトもできるパンやケーキの他、野菜沢山のサラダやスパゲッティやどんぶりなど軽食を食べることができる。お腹がやけに張っていたので、野菜を沢山取りたかった私は、ひじき入り雑穀ご飯に豚の角煮がのったどんぶり(小さめ)と、ブロッコリーと生ハムのボール一杯のシーザーサラダを頼んだ。

ふと隣のテーブルを見ると、50代と思しき夫婦がおそろいのパン一つづつと、カフェオレを頼んでいた。夕食ではなく、休憩かもしれなかったが、私にはつましい食卓に見え、夫婦の姿が好ましく思えた。

その時、記憶が蘇った。イスタンブル(トルコ)のトラットリア(軽食堂)。名前は失念したが、市内に数店鋪あるチェーン店で、こぎれいで低価格で野菜のサラダバーがあり、その他のメニューも非常においしかったので、滞在中、私も友人も頻繁に通ったものだ。安いし、とにかくおいしい。日本のチェーン店でもこれだけのメニューがどうして出来ぬのか、と話したものだ。食料自給率200%のトルコだからできるのかもしれない。
安い安い、といつも私も友人もサラダバーでお腹一杯野菜を取るのだった。

しかし、たいていの客は私達ほどサラダバーでボールを大盛りにはしていなかった。ほどほどに、私達よりはつましい食卓。
そうだろう。私達日本人には安くても、現地では他のトラットリアよりはこぎれいでお洒落な分、少し割高で、決して安くはない価格だったと思う。ちょっとよそいきの顔をした食堂だったのだ。

その時感じた心の痛み。何か、ここでは経済力というパワーの上にあぐらをかいて享受する豊さ。

こぎたない格好をしている学生が、ふらふらと中東やアジアを旅することができる、その豊さ。

豊かさは私達が求めているものだが、最初から下駄を穿いている、そんなところに私はいる。

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i woke up past 2:00 in the morning (or at tne night) and checked the questions and answers for the nest exam. for the first time i notice this kind of the test require about 20 hours to prepare at least.
in the afternoon, i bought a colorful book on biochemistry and molecular biology. i think it will be helpul to understand my study at medical school.

2002/11/17


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あうう。 - 2002年11月16日(土)

統計の再試験(本試験より難しくてやられた。ちゃんと過去問を入手して、過去問そっくりだった本試験で通っておくべきだった)、そのあとすぐ家庭教師にいって4時間(!!!)教えて、カニを頂いて、帰ったら11時過ぎていて疲れたので眠って起きたら午前2時(翌17日)すぎ、お風呂はいってメール転送&ダウンロードして、という感じで(汗汗)昨日から内分泌の勉強がはかどって無い(汗)。当然(??)だすべき解答例もまだだ。がんばじゃ。ああ、愚痴モウドなり。。
やはり、受験勉強(特に社会人しながらだと)もだが、時間確保ってだいじだ。。
仕事の傍ら授業にちゃんと出ておられる方々のお姿には背筋が伸びる。



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I am Sam - 2002年11月15日(金)

昨晩は泣いたあと、スッキリしたのと、体力的にゆとりがあったのとで、久しぶりに集中して勉強ができた。つまり、今日の細胞生理学実習の実習テストの準備ができた。
実際のテストは穴埋め+短答方式ではなく、実験方法や活動電位の発生についての記述式でちょっとびっくりしたけど、ギリギリまで書いた。

午後の特別講議で久々にノートテイクを試みた。
以前、文学部にいた時、いきなり授業内容をできるだけ書き取ってといわれ戸惑ったが、全て完璧に再現することは期待してない、ポイントと授業の雰囲気を字幕のように教えてくれたら嬉しい、と任されたことを思い出した。字は汚いが書くのははやいと思う。ちょっと力を出すことが役に立つのなら嬉しい。

夕方、アンコール上映中の映画I am Samを観た。家族の形。父と娘がここまで絆が強いというケースも珍しいし、理想化してるかなとか思ったが、同時に親権(共同親権とか、面会権、養子、育児サポートなどのありかた)など、考えさせられた。実の親が養父母にまさるとは言い切れるのかなぁ。
なぜか中学校の時から自分の遺伝的な子どもでなくていい、愛せると思って来た私は、考え込んでしまった。
ともあれ、期待以上の佳作だった。
全編を通じて流れるビートルズ・ナンバーと、ビートルズのアルバムをまねたちょっとお茶目な演出が快い。



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血圧測定 / 缶コーヒー代分の電話代の涙。 - 2002年11月14日(木)

生理学実習で血圧および脈拍の測定を行った。聴診器を初めて使い、触診法と聴診法を行った。臨床実習前のオスキーでも出て来ますから、ということだが、2回生からこのような実習を行うとは思わなかった。嬉しいような時期の早さに戸惑うような。。

実習は早く終わり(なんと3時に終わった)、バイトも入れていなかったので、帰り、Mr.ドーナッツでまずお茶してリフレッシュ。念願の景品、スケジュール帳をゲット。それから美容院へ。前髪を短く、あとは重いところをカットしてもらった。すっきりすっきり。

久々に5時には帰宅し、今から内分泌と細胞生理学実習テストの準備をします。

++

このごろ、勉強しなきゃ、とか、家庭教師の子が本命受けるまでどうにかしなきゃとかいう強迫的な思い、そしてほんとにあのひとは私と云々というのを実行するんだろうかいう不安が毎日よぎっている。

ついに泣きながら電話してしまう。
缶コーヒー代分の電話代。

品を下げている。

でも泣いてスッキリした部分もある。

私はバカなんだろうか、真に受けたりして。
単になだめられているだけなんだろうか。

良いトシした大人だ、言葉には遊びもあるかもしれないけど、
責任も伴っている、と思うのだ。



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デパ地下通い - 2002年11月13日(水)

昼までしっかり眠ったのもあり、午後からは快調。内分泌器官のスケッチも考察自分なりに書いて手際良くできた。

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この頃のりつぎ駅にあるデパートの地下、食品売り場を利用することを覚えた。お惣菜の種類は豊富だし、そう高くはない。なにより、最寄り駅でおりた時のコンビニとは桁違いに品揃えが良いし、なんとなく、歩かずに寄れるので楽でもあり、ちょっとした楽しみである。

ただ、野菜の値段だけはちょっと高い気がする。
例えば、ブロッコリーならばスーパーなら特売で98円とか100円で売られているが、ここでは298円する。
なぜか。
値札をよく見て納得した。スーパーなら、輸入品の野菜が物価を押し下げているが、ここは野菜は国産なのだ。

私達が自給率を上げようという時、
こうしたちょっとした物価の上昇と献立の変更をも末端の消費者は受け入れることになるのだろう。

++

解剖班、私の班は3人から4人に変更になった。

家庭教師の教え子は三つ目の試験まで意欲満々でがんばるとのこと。
わたしも今週末も連続四時間の指導をすることに。

内分泌の試験は、問題を学生から公募するとのこと、努力点がもらえるらしいので、私も応募しよう。



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- 2002年11月12日(火)

心電図の測定。
ものすごく室内が暖房してあったため、気温差にやられ、
帰宅後猛烈に頭痛。
早く実験が終わったのを幸いと家庭教師の時間までちょっと眠るつもりが
遅刻してしまう。本当にバイトやめたい、とこの瞬間思った。

翌日(11/13)、昼からの授業であるのを良いことに
昼間で眠ってしまう。、、試験勉強をしようと思っていたのに、、
過眠なのか疲れているのか。。


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サクラ サク - 2002年11月11日(月)

家庭教師の教え子が、薬学部の試験に合格しました。
真面目な子でこつこつ努力したのが実を結んだのでしょうか。
入学後も大変でしょうが、
おかげでこちらも肩の荷が大分おりました。
いやぁ、偏差値30からの合格、快挙です。

ふと気付くと、生活費の財源のことなど新たに考えねばなりませんが、
ひとまず12月当たりからバイトを減らして
後期の大変な山を過ごせそうです。

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しかし同時に私は相当なストレスを溜め込んでいるようで、夢の中で
第二弾の試験を終えて、答え合わせの結果できていなかったことが判明した教え子にたいして「がんばってもダメな時もある」と声を荒気ていて、
さらにおそらくレポートが途中のまま眠ってしまったことに対して、
「料理が途中のままでごめんなさい。今片付けます」と母に謝っていた。
現実でも良く眠り、珍しく夜甘いものが食べたくなってドーナツを1個食べた。疲れてはいても運動不足なので身体をこまめに動かすようにしたい。

今日は組織学実習の結合組織のスケッチが結構手こずった。
(正確には、何を書くべきかわいわいやってる時間が長かった)


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- 2002年11月10日(日)

お疲れ気味です。
今朝は起きてからシャワーや家事(調理、洗濯)ののち開館と同時にレンブラント展(東山七条・京都国立博物館)へ。静ひつな作品が多く、良い展覧会でした。

そのあとは必要なものを100円ショップとドラッグストアで、また教え子のテキストを買いがてら河原町付近でカレーのランチ。

帰宅してから3時間近く睡眠、起きだしたところです。
このあとまた家庭教師。ちょっとレポートが気になりながらも、生理学実習の方はディスカッション部分のみ、それからもう片方の生化学もなんとかなるでしょ、、、

友人と、ウツで退学する人が例年いるでしょ、という話が出た折、わたしも他人事ではないといったところ、あんたの場合はウツ傾向はあるとしてもそれより疲れ過ぎていることのほうが心配だ、あんたは疲れが蓄積する方だから、と言われました。確かにね、世の中には忙しい程元気が出る人もいるけど、私はそうじゃないからねぇ。

休養は大事です。



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極めて低空飛行、ながらも、かろうじて飛行しているようで、 - 2002年11月09日(土)

寒波が来ているせいか、夜になってから軽く頭痛がしている。

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昨日はご多聞に漏れず家庭教師の後帰宅、何もせず昼間の服のままバタンキュー。とうとう級友が一人、退学手続きをとったようだ。

今日は、そんなこんなで、一、二時間割けば済む状態になっていたモシの採点の仕事を伸ばし伸ばしにしていて締め切りをとうに過ぎていたため、大阪校まで持ち込みせざるを得なくなった。うちの信頼問題です、一つの作業がおくれることで何億と言う損失が出るんです、と社員さんに厳重に注意され、終わってなかった分はその場で採点した(ネジを巻くと早いのだが。。)。そして、締め切りにおくれることが最近度重なっているので、処遇についてはこちらで検討させて頂きます、最悪もう採点して頂かないかもしれません、と言われ、申し訳ございませんと頭を下げながら、迷惑をかけているのは事実だ、9月に10万稼いだし、もういいかもしれない、とぼんやり思った。

そんな訳で、予定を立てた時点では全く問題なかった午前中の家庭教師に行けなかった。教え子は明日、推薦試験の第二弾であるし、教える予定の範囲が残っており、さらにこちらは全く教え子には預かり知らぬことで行けなくなっているので、教え子が本日泊まる甲子園のそばのホテルまでその足で家庭教師の出前をさせてもらうことにした。全く、変なところで責任感が強いのだ。
まぁこちらは、ご理解頂いて、過去問の解説をさくさく終わらせた。

教え子が到着するまで、甲子園のダイエーのフードコートでお茶をしていた。ぱらぱら書類や手帳をみているうちにあっという間に時間が過ぎたのだが、阪神間のこぎれいで新しいショッピングセンターの例に漏れず、若いファミリーが多く、ああ、私が求めている仕事も家庭もって、そんなにハードルが高いんだろうか、一昔前なら欲張りと言われても仕方なかったかもしれないけど、今はごく普通のことじゃないか、と思ったりもするのである。
うむ。

ま、私が締め切りを守らなかったのが今日の元凶ではあるのだけど。はあ全く学生家業の傍らの自活も楽じゃないよ、わたし個人が元来体力に満ちあふれてる訳じゃないもんね、なんたって諸般の間に合わせるということに対して気力も体力も湧かない。まずいなあ。自分への誇りが低いから気力も薄いのがあるんだろうけど、疲れてるんだろうなぁ、、

ま、いいこともあるさ、前向きにいきましょう。



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- 2002年11月07日(木)

この頃弱リ気味である。週の半ば過ぎると疲れて来るのもあるが、それに加えてテストなどのプレッシャーがある(まぁ、単純に勉強しさえすれば良いのだけれど)
昨日などは、テストなのに、朝起きておかずの残りを詰めて弁当を作って勉強しようと思いながら、風邪薬や鎮痛剤を飲んで眠くなって寝てしまった。よって勉強を十分にしなかったことに加え、
寝過ごして遅刻し、優先順位をつけられていないことや、自分にネガティブフィードバックをかけてしまっていることなど、自己嫌悪に陥った。情けないでしょ(苦笑)。

また、自分に独りひとりと暗示をかけ過ぎているのでは、と指摘されたがそうかもしれない。程よく距離をとっていければいいのでしょうね。。

試験に関しては、1発で通りたいという気はとっくの前に失せてしまっている。体育の苦手なひとにしか分からない比喩だと思うが、自分のとれそうにないバレーボールの球を取りに行こうとしなくて、だけどラインの中に球が落ちてしまい、チームメートのひんしゅくを買うように、動く気すらしなくなってしまっている。だから試験を通ることで身につけられる基礎知識が積み重ねられていない。まずいよなぁ。

そんなこんなでテンで低空飛行だと自分では思うし、自分のバランスをとれていないことが幼く恥ずかしい。






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言い訳に逃げないためには? - 2002年11月06日(水)

わたしがウツ傾向にあることを、勉強しない/できないことの言い訳にしてはならない。

わたしが(一応)自活していることを、勉強時間が十分でない/十分確保できていない言い訳にならないようにしたい。

・・たしかにもうひとりでがんばるのには疲れた。疲れた。疲れた。

がんばり過ぎているのか、がんばっていないのか、私には分からない。
気持ちだけがんばろうとしていて実際はがんばっていないというのがありそうなところだ。

ひとり、でもひとりではないのだろう。でもひとりなのだろう。

でも歩いていかねばならない、いや、休みながらでも歩いていきたい。


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再試の女王 - 2002年11月05日(火)

本日、再試をさらに追加してしまった。
いまいったいいくつかかえてるんだ(ははははは。と笑うしかない)
いや、ここは友人のM嬢式に、
「分かってなかったら勉強するまでだよ!」と明るく前向きに乗り切りましょうか。。

ほんと、そろそろ元気になって来たことだし、うち止めにしたい。

と、思った矢先、二日程薬を飲み損ねたせいか、はたまた緊張の糸が切れたせいか、久々に電車の中でポロポロ涙をこぼしてしまった。

まぁ、自分を追い詰めない程度にぼちぼちいきましょうか。。

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落ち込んでばかりもいられないし、
まずは身体から、デパ地下で食料品を買って豊かな気分になって帰る。

今日の夕食:
・牛肉、ひじきいりつみれ、うどん、もやしのすき焼き風煮込み(手作り)
・ひじき煮(お惣菜の残り)
・かぼちゃとさつまいものサラダ(レストランのお惣菜)
・炊き込みご飯(おこわ、もとを利用)
・じゃがいものポタージュ(紙パック製品を利用)

ほどほど既製品を利用しています。
お家デーとならぬ、お家ご飯の友の会でもつくろかな?


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waitng - 2002年11月03日(日)

またもや某課題が甚だしく遅れている。ごめんなさい、だ。
自分に対してかける負荷を減らしていこう。ほんとに。

課題が思うように終わらないことのプレッシャーが原因だと思うが、
またまたもう一人でがんばるのはいやだ、と涙してしまった。

ほんと、人生は長丁場なんだから、バランス取って歩んでいけるようにしたい。

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今日も家庭教師。さらに入力のバイト。そのあと課題ははかどらなくて自己嫌悪(まぁ確かに、スケジュールがギチギチで自分の勉強時間を確保できてないよな。。)。
テストもそうだけど、
学業に関しては特に今は思うように自分の力が出せなくて
(ウツだからだけど、これは重み付けとか、バイトのこととか、自己評価とか、
いろいろな要素が絡んでいる)
それが人から見ると怠け者に見えるだろうなと思う。悔しいけど。
でも実際学習項目が十分に達成されていないから仕方ない。

いい方向にエネルギーを回していって
成果を目に見える形にしていけるようになりたい。

ここ数年(臨床実習までが目標!)は、自分のペースにあう生き方を模索することが
ひとつの大きな課題なんだと思う。
その中で、自分が医師が勤まるかとか、勤まるとしたらどういう形態でかとか、
家庭生活は、とか、送れるとしたらどういう形でかとか、
見えて来るんだと思う。

逆に、今学生であることはラッキーかもしれず、
そして結婚が遅れたことは自分のペースを掴む猶予をもらったのかもしれない(すんなり結婚していたら、家庭も学業/仕事も全力でがんばろうとし過ぎたかもしれない)。

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余り個人的なことを書いてはいけないが、
去年大学に取材が来て全国放送で放映されたこともあるから許してもらおう。
難聴で、だから人より努力しなきゃと思いながら
ちょうど今下宿を始めたりなどが重なって、調子を崩し気味の同級生がいる。
彼女の勉学の環境を整えようということで
教官有志と友人の有志で動き始めていて、
彼女が自分にあったペースを掴んでいく過程は、次元は違うかもしれないが、私にも参考になると思う。

高度成長期のモーレツサラリーマンみたく走り続けていることばかり
要求されて来た医療現場の医師のあり方も、
彼女が(私も!?)ほどよく努力と自分のペースで仕事できるよう
変わっていけることを期待しつつ。
構内保育園を始め、滋賀医が面白くなったら、それこそ面白い。

人に恵まれていると感謝を繰り返すことのできる彼女は、
本当に素直に人やチャンスに感謝することができる心を持っていると思う。

しかし、同時に、本来は(というより、現代先進国社会では)保証されて然るべき権利とも言えよう。

そしてまた、以下のことが思い起こされる。

私のかつての難聴の同級生が文学部卒では自分はコケにされて終わりだ、と、医学部再受験を試みていた頃は、まだ医療関係の仕事につくには身体にある程度以上の障害を有するものに対して禁止条項があったこと、そしてそれが解かれたのはごく最近のことであること。
彼女は授業理解のため大学に掛け合ってノートテイク(クラスメートによる授業内容の口述筆記)を雇い始めたこと。
そして彼女は医学部が自分のペースには合わないことを時間をかけて受け入れ、転学部して薬剤師となったこと。そしてそれは彼女は今はペースを大事にできる仕事として高く評価していること。

同じ大学に約30年前に入学した私の父も難聴であったが、
彼は授業に関してなんらサポートがなかったこと。
だが、奨学金を3つもらいながら彼は努力してオール優をとって地方の大学に助手のポストを得たこと。

時系列に従って、障害を取り巻く状況はゆっくりではあっても改善されているのであろう。そして、滋賀医でできることに、そしてひいてはスローライフの模索に、私もできる範囲で協力していきたいと思う。


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「私はナニモノ?」×家族 * バザーの献品 - 2002年11月02日(土)

ブームからちょっと遅れてるけど、シルヴィ・バルタンのベストアルバムCDを買いました。中島みゆきの「悪女」のフランス語版が入っているのにはびっくり!これからわかこ邸をますます居心地のいい巣であり、かつくつろげるCAFEであるような空間にしていこうと思います。

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漫画「ベルサイユのバラ」の池田理代子さんがテレビのトーク番組に出ていました。

彼女は漫画家として大成したあと、47歳にして音大に入り直し、今はオペラの舞台など手掛けたりもしています。

テレビで話題になっていたのはそのことと、入学と同時に結婚したことです。確かに人生は長いしね。出産を自分でしないと割り切るのなら、結婚ならいつでもできる。今は別居でも、いづれ一緒に、と考えることができる。
そして彼女は番組で、「好きな人と単に一緒に暮らすというのと、結婚するというのは違う」と言っていました。それは、「自分がナニモノであるか問わなくていい」からだそうです。

相変わらず私は夢を見ているだけかもしれないし、必ずしもどの家庭も幸せとは言えないにしても、家族は上手く機能している限りにおいていいと思います。

そこでは自分は何者なのか問わなくていい、と言うか、(うまく機能している限り)役割がそこにいることだけですでに与えられているから。そして、うまく機能している限りにおいて、子ども時代はそれだけでいい。○○さんちの子ども。小学校何年生です。それが役割の全てであって構わなかった時代。

ただ今は、将来が不安な、二度目の学生をしているだけの私は、根無し草のようで、

何の役割もなく、、(確かにお母さんお父さんにとっては離れて暮らしていては娘ではあり、家庭教師の教え子にとっては先生であり、同級生達にとってはクラスメートではあるけれど)
何者でもないから。

そして入りたい音大に入り、舞台を企画し、これだけ自己実現している池田理代子さんのような方でも、「私は何者?」って自分に問うんだ、と思いました。

家庭教師の教え子がかなり不機嫌で手を焼いたのもあり、
気疲れして、帰ってから久しぶりに涙が出ました。

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近所の教会付属の保育園のバザーに、着ていない衣類を出品するため、持参しました。教会が主催するだけあって、バザーに出品する品は「献品」と呼ぶのでした。
穴が空いたり擦り切れたりすれば別だけど(それでも最後まで雑巾などに活用してからお別れします)、私はまだ着られる洋服は、いくら着なくなっても絶対捨てることができません。身近なところからできることを。

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この頃、授業中眠らないように、眠るよりはマシとよくガムを噛みます。最近のお気に入りはロッテの「梅ガム」(9枚いり、95円)です。酸味がいい!


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- 2002年11月01日(金)

肺砲の組織のスケッチ、バイトに行きたいがために細胞をいい加減に観察してしまった。

成績発表のことについて授業時間の始めを使ってちょっと議論になった。
連帯感を養うと言うのは、なにも成績を公表しなくても、これだけ1年から6年まで同じ授業を取りグループ作業もあるのだから、自然に培われるような気がするのだが。。




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