ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

SWEET CANDY RAIN - 2012年02月28日(火)

この十数年来、どんなに辛い時も悲しい時も、
いつも心を癒してくれるのは、THE YELLOW MONKEYの曲、
YOSHII LOVINSONそして吉井和哉の曲だった。
あの日以降、全く吉井和哉の声を聴こうという気に為れなくて、
その事がまた辛く哀しいと感じていた。
ここ何年も、「自分にとって最大の娯楽が吉井和哉」だと、
そう思い込んで、どんどん吉井和哉という人に、
己の理想像を託し続けていた、その間違いを一気に突きつけられて、
当惑してしまった、更に勝手に自分のトラウマまで抉って、
大ダメージを受けてしまった、ただそれだけの事なのにね。
ずっと長い間私は、彼の作り出す楽曲やLIVEや
音楽雑誌に載せられたインタヴューの言葉たちから
吉井和哉という人の生き様というものを、目で見て聴いて
感じて生きていきたいと願って来たけれど、
そもそもそれが間違いだったのだろう。
この熱愛騒動でワイドショーに取り上げられて、
元「イエモン」と紹介される吉井和哉という存在も
バックで流されるTHE YELLOW MONKEYやソロの吉井和哉の曲も
全て汚されたようで、価値を引き摺り下ろされたようで、
その事がたまらなく悔しかった。
自分が最高と感じて来たその価値観を否定されたような気さえした。
Facebookで厳しいコメントが多く寄せられていたけれど、
ファンは決して「女の嫉妬」からの意見なのではないのだ。
女性ファンが多い「吉井和哉」という存在を
本人がもっと強く自覚すべきだったとは思うけれど。

もう曲の背景なんて考えるのを止めよう。
曲を作りLIVEを披露する吉井和哉もそれを創り出す
生身の吉井一哉という人間までをも丸ごと好きでいたかったけれどなあ。
吉井一哉と吉井和哉とは、別物。
そう、(やっと今に為って)判ったら、すっきりした♪

恐る恐る、「SWEET CANDY RAIN」をかけてみたら、
大丈夫だった。やっぱりこの歌は、良い。
「喪失を欠落を受容せよ」
この言葉をもう一度噛み締めようと思う。
そして哀しみ傷ついたかつての自分も、恥じることなく、
認めてあげようと思う。
誰も恨むことなく、誰の所為にもしないで。

『ありがとうありがとう
 私に流れた色んな人たちの血』

このブログへのコメントや、メールフォーム、
Twitterやmixiへのメッセージ、メール、その他、
たくさんの方々から頂いたお便り、
本当に嬉しかったです。
思い起こせば、THE YELLOW MONKEY活動休止の時も、
解散正式発表の時も、吉井和哉「自伝」発売の時も、
語り合う皆さんのお蔭で乗り越えられて来たのでした。
どんなに励まされ勇気づけられて来たことか!
ありがとうございました。
こうやって皆さんとTHE YELLOW MONKEY、吉井和哉を
応援し続けて来れた事が私の誇りです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。







煩悩を払う旅に出ていたのだけれど - 2012年02月25日(土)

綺麗な景色を見て、美味しいもの食べて、
温泉入って、諸々全部洗い流そうとしたが、
無理だった(汗)
思っていた以上に、煩悩塗れの自分に驚く。
23日朝に「熱愛騒動」の第一報をTwitterで知ったのだが、
その日は、そのまま夕方まで外に出ていたので、
ワイドショーも見ず、スポーツ新聞も読まず、
夜になってお友達のブログでおおよその事を把握した。
昨日朝早くから温泉旅行へ出発し、今日夜帰って来て
これを書いている。全然浄化されていない(笑)
衝撃度で言えば、自伝「失われた愛を求めて」の時の方が、
余程大きかった筈だが、あの時は、吉井和哉という人は、
何て身勝手な男だ!と驚いたものの、赤裸々に語る
その姿勢が潔いと思ったし、危うさも全てひっくるめて、
愛おしいとさえ思えた。
今回の「熱愛発覚」は、お互い独身の男女なのだから、
別に問題は無い筈なのに、どうしてこうも祝福出来ないのだろう。
吉井和哉には、どんどん良い恋愛をして、良い曲を作って欲しい。
そうずっと思って来たのだけれどなあ。
もともとあまり好きではないタイプの方だったということもある。
ワイドショーの生放送で『全て順調にいってます』だの、
『(お腹が大きくなる仕草をして)コレは、ありません』だの、
発言される方じゃなかったら良かったのに。
元はと言えば、写真週刊誌にスクープされる脇の甘さが
招いた事だろうが。
けれど、「中学時代からのファンだった」と仰るならば、
真っ赤なベンツで局前まで送迎させるなんて、
(本人がそうしたがったとしても)そんな目立つ事は、
止めて欲しかった。
今後もバラエティ番組に出演される度に、
「吉井和哉さんとの熱愛」が話題に登るのだろう。
「the APPLES」「After The Apples」、
これから発売される「BLUE APPLES」と、
こんなにも素晴らしい本業の音楽活動でなく、
芸能ネタで取り上げられるという事が、
物凄く悔しいし残念に思う。
ファンからすれば唯一無二の存在のロックスターを
「芸能人の熱愛のお相手」というようないじられる扱いに
貶めないで欲しかった。
『吉井和哉は変わらない』と本人が仰っているが、
たとえ本人が変わらずとも、曲達や映像を
受け取る側の意識が変わってしまうのが怖いのだ。
facebookで青木さんが
『実は完成している新曲を早く聞いてほしい!!』と
書いておられる。
待ち遠しい。でも本当は、自分がどう受け止めるのか、
正直少し怖い。



ここからは、非常に個人的な事を書きます。
亡くなった父(そういえば大腸ポリープの手術しました)は、
恋多き人で、私の母と大恋愛の末、結ばれ私が生まれ、
けれどまだ私が幼い頃、14歳年下の若い女性と
不倫の関係になり、修羅場、離婚、再婚となりました。
私は、母、母方の祖母、父の妹宅、母、父の新家庭へと
次々に住む場を変えました。
居場所が不安定な怖さ、トラウマです。
未だに、心の底からは愛が信用できません。
やっと克服できたと思うのに、最近真新しい記憶は、
どんどんこぼれ落ちていくのに、
父との苦しい思い出ばかり繰り返し嘆く実母の介護で
「何で親のエゴで子供はいつまで経っても苦しむのだろう」と
思わされる事が多々あります。
本当に余計なお世話かと思いますが、
「順調な交際」のその幸せの傍らで
傷つき心を痛める存在がありませんように。






続・ 「煩悩コントロール」考(極私的) - 2012年02月21日(火)

前回、「煩悩コントロール」について、
神が紡ぐ様々なシナリオ、人間とロボットの命とは何か、
人間の心と魂とは、ということを考えた。
けれど「青い龍との約束」とは何かが謎だった。
何を『最後にする』と言うのだろう。
「煩悩コントロール」を何度も聴くうちに、
『僕らはまた出逢った』
『青い龍が空を駆け抜け僕に約束させる 』
『「これでもう最後にするならいい」  さあ』
『なぜ急いでここから出たいんだ』 
「輪廻」ではないかと思う。
「僕」は、「輪廻」の輪の中にいるのではないかと思う。
仏教において、

天道(てんどう)人間より優れた存在の天人が住む世界。
 苦しみが少なく空を飛び、享楽の内に生涯を過ごすが、
煩悩から解き放たれてはいない。
人間道(にんげんどう)人間が住む世界。
 四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、楽しみもある。
修羅道(しゅらどう)阿修羅の住む世界。
 終始戦い争う、苦しみや怒りの絶えない世界だが、苦しみは自らに
 帰結することが大きい。
畜生道(ちくしょうどう)牛馬など畜生の世界。
 ほとんど本能で生きる、救いの少ない世界。
餓鬼道(がきどう)餓鬼の世界。激しい飢えと渇きに悩まされる。
地獄道(じごくどう)罪を償わせるための世界。
 迷いあるものが、この六道(りくどう・ろくどう)を輪廻するとされる。
六道輪廻(あらゆる生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返す)という。


仏教では、輪廻を死後におもむく世界ではなく、
心の状態として捉えるのだそうだ。
そして、この六道に迷える人間を救うのが、
観世音菩薩だ。
観世音菩薩は、龍上観音、あるいは、龍騎観音というように
龍に乗った姿で現すことが多いけれど、
龍そのものを観音の化身とする例もあるらしい。
だとすれば、「青い龍」は、輪廻の輪の中で藻掻く「僕」を
救うのではなかろうか。
「これで最後にする」事を条件に。
永遠に繰り返される、誰かの描いたシナリオ通りの「生」ではなく、
リセットされてまた新しくプレイされる「命」ではない、
ただこの「今」を生きる「僕」だけの「命」の記録。
この「命」の記録を刻み付けるのは、あくまでも
「僕」自身であるという強い決意と誇りというものが、
最後の『僕の全てはコントロールできないよ』に
現れているのだろうと思う。







「煩悩コントロール」考 - 2012年02月17日(金)

「バイナリードメイン」のゲームを実際にプレイしていないので、
吉井和哉が「煩悩コントロール」で何を歌いたかったのかの、
本当のところを理解出来てはいないだろうが、
自分の感じたままを書いてみようと思う。
極私的解釈だ。
歌詞については、「愛・哀コントローラー」にまとめた。

まず、『見えないコントローラーに繋がれ・・・無数の神の糸』
私達人間は、誰も皆、各自、目や耳や触覚で感じた事柄を
判断して行動しているのだと思っているけれど、
実はそれは、神というようなもっと大きな次元の存在が、
あらかじめ複雑に組み上げたシナリオを、
それと知らずにただ導かれて、「生きて」いるのではなかろうか。
そう、まさしく「コントロール」されているのではなかろうか。
人間と機械との違いとは、何だろう。
「バイナリードメイン」には、
感情を持ち、人間のように思考するロボット=ホロウチルドレン
というものが登場する。
意志と感情を持ち、遂に子供を孕むロボット、
それは、人類とは、どう違うのだろう。
私は、「魂」を持つか否かだと思う。
感情を持つロボット、それは、それぞれ受け取る情報を
あらかじめプログラミングされた人工知能で判断し、
細かな電流=感情をもたらしているのだろう。
そこに「個」、「自我」は、無いのだろうと私は思う。
自分自身の命、「種」としての存続を守ろうとする目的はあっても、
自分自身以外の他者を慈しみ、守ろうとする心、
誇り、祈り、そういう人間の「魂」は、ロボットには、持ち得ない
ものだと思う。
108の煩悩全てを与えられて私達人間は、この世に生まれて来た。
何も疑わず、コントロールされて「生きていく」存在。
だけれど、「僕」は、「未来の音で目覚めてしまった」。
だからすぐに向かわなくちゃいけない。
「新しい扉を開ける鍵」を見つけに行かなくちゃいけない。
本当の自分=109の煩悩を自覚して受け入れた上で、
他者の「心の声」を聞くことが出来るように。
人は、脆く儚く切ない生きものだけれど、
それだからこそ、人の魂は、尊く眩く輝くのだろう。
そういうことを歌っているのじゃないかと思う。





切なさ爆弾 - 2012年02月16日(木)

Twitterで2010年7月の
続・「LOVERS ON MAIN STREET」
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=61315&pg=20100708という記事について
書いて下さった方がいて、久方ぶりに
この「LOVERS ON MAIN STREET」を聴いたら、
切なさ爆弾が炸裂してしまった。凄い威力だ。
当時からこの歌詞が何とも言えず切なくて、
郷愁があって大好きだったけれど、今あらためて聴くと、
発売時には気付かなかった事が、理解出来るようになった気がする。
“ 乾いた心に水滴が広がる
 裂く日をじっと待って果物ナイフのように
 踏まれた果実の敵をとらなきゃ
 魂のリンゴの皮をむくその日まで”

『踏まれた果実』
『魂のリンゴの皮をむく』
この「LOVERS ON MAIN STREET」の歌詞は、
この曲が正式に発売された2010年の10年前に
作られたものだという。一度は、発売中止になったものが
2010年の発売に合わせて、改めて歌入れをされて日の目を見た。
長い時を経て、2011年に、
「The Apples」と「After The Apples」、
そして映像作品としての「LIVE APPLES」、これから発売される
「BLUE APPLES」に繋がっていくのだと思うと、
とても感慨深い。
Apple(リンゴ) って、心臓っていう意味もあるのだってね。
固く閉ざされた『魂のリンゴの皮』を剥いて、
『清らかな血を流して』、
吉井和哉は、瑞々しい果実を誕生させたのだね。

歌詞検索で出てこないので反転させます。

LOVERS ON MAIN STREET 作詞:吉井和哉

ブラジル色の雨と 人々の谷間が
この街に散らばった悲しいシナリオ 映し出す土曜日
君はどこにもいない 僕は身体だけだ
もっと強くなるんだ 眠らないんだ
ヘラヘラ笑うなよ
いつからか裏通りが 賑やかになってきた
カラフルなビルの中 入ったけど何も無かった

アフリカ色の愛が 絶滅してしまった
もっと早く気づけよ 誰が悪いんだ
ボロボロこぼすなよ
寂れてた裏通りが 賑やかになってきた
思い出のあの角を 曲がったけど何も無かった
灰色の空は今 審判の真っ最中
いつか君に逢えたら 朝靄のいつものカフェで
コーヒーをおごるから

乾いた心に 水滴が広がる
裂く日をじっと待って 果物ナイフのように
踏まれた果実の敵をとらなきゃ 
魂のリンゴの皮をむくその日まで

いつからか裏通りが 賑やかになってきた
ビニールの傘をさし 人々が溢れてきた
僕はこの裏通りで  清らかな血を流し
いつか君に逢えたら 朝靄のいつものカフェで
コーヒーをおごるから





『BLUE APPLES〜born again〜』発売決定&「煩悩コントロール」配信開始 - 2012年02月15日(水)


【送料無料】BLUE APPLES〜born-ag...

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価格:4,662円(税込、送料別)

4月4日
DISC 1(DVD)
・「Flowers & Powerlight Tour 2011 〜born-again〜」(2011.12.28 日本武道館)全21曲完全収録
DISC 2(DVD)
・ ビデオクリップ「母いすゞ」「マサユメ」
・ 特典映像:吉井和哉・バンドメンバーのオフ会、2011.12.23 大阪城ホールほか
DISC 3(CD)
・ボーナストラック「Born (OUTTAKE Ver.) -2011.1.13」を含むライブ音源
(2011.12.28 日本武道館)全9曲収録
[Bonus Track]
09. Born (OUTTAKE Ver.) -2011.01.13 [スタジオ録音]

※2012年のツアースケジュールが発表されるフォトカレンダー付き
※完全受注生産限定スペシャルBOX仕様

大阪城ホール映像が入るのが嬉しいなあ!
そして2012年のツアースケジュールも。
でも4月4日発売なのだから、ツアーも夏か秋以降だったりするかも。
一番期待大なのは、「Born」のアウトテイクだ。
値引率が一番大きそうなamazonが未だ予約開始になっていないので、
現時点で一番お安い楽天ブックスにしようかしら。
『完全受注生産限定』だもの、気を付けないと!

そして本日2月15日、「煩悩コントロール」配信が開始された。
iTunesで無事購入したけれども、まだ歌詞がUPされていない。
ラップ部分が気になって堪らないので、
早くなんとかして下さい!(笑)




感情を持った機械「ボーグ、ナンバースリー」 - 2012年02月05日(日)

吉井和哉「煩悩コントロール」MVで、
新スタートレックの「ブルー」のエピソードを連想し、
またカズブンコの「共喰い」で「SF」という言葉が
出て来たものだから、この「ブルー」の回を探して見てみた。
昔よくスーパードラマチャンネルで放送されていた時は、
この「ボーグ、ナンバースリー」に登場するボーグは、
「ブルー」と表記されていたが、本当は、
「心・精神」を語源とする「ヒュー」が正しいのだそうだ。
5人乗りのボーグの船がある星に不時着して、
ただ一人だけ重傷の若いボーグが取り残される。
通り掛かったエンタープライズに収容されるが、
弱々しい身体ながらも「我々はボーグだ」
「お前達を同化する」と反抗姿勢を取り続ける
このボーグを乗組員達は、警戒する。
それでもこの「親から離れた子供」のような彼と、
真っ先に打ち解けるのがジョーディだ。
ナンバースリーが「ヒュー」という名前を貰うシーンが好きだ。
でも本当の事をいうと、
「顔色が悪いからブルー」という訳は酷いと思うのだけれども、
『あなたは優しい目 だけどとってもブルー』の歌を
つい口ずさんで仕舞うほど、切なく寂しげな彼には、
「ブルー」という名前が良く似合っていると思う。
「ブルー」にウイルスを仕込んでボーグに送り返し、
内部からボーグを崩壊させるという案が検討される。
けれど、かつてボーグに故郷の星を滅ぼされた
ウーピー・ゴールドバーグ扮するガイナンも
実際「ブルー」と合って話すうちに、考えを変える。
以前ボーグに同化され「ロキュータス」にされた
苦い経験を持つピカード船長は、
「ロキュータス」を装って「ブルー」に対面する。
この時のピカード船長がもう本当に格好良い。
そして「ブルー」が集合体の存在「我々はボーグだ」ではなく
「私はボーグだ」と、自我を持つ個の存在であることを現す。
「ひとりで寂しい」という感情を持ち、
「ジョーディと友達」「ジョーディと一緒にいたい」
けれど、ここにいると迷惑を掛けるから
「ボーグへ戻る」という「ブルー」が
切なくて堪らなかった。
最後にボーグの船に転送されていく「ブルー」が
ジョーディを見遣るあの切ない瞳が心に残った。
新スタートレック
では、アンドロイドであるデータ少佐が
大好きだけれども、この機械と感情というテーマが
「バイナリードメイン」「煩悩コントロール」にも
繋がっているように思う。
吉井さんは、この「ボーグ、ナンバースリー」を見ているかしら?
もしあるなら感想を聞いてみたい。







吉井和哉ファンが読む「共喰い」 - 2012年02月03日(金)

吉井和哉が「カズブンコ」?でお薦めしてくれている
「共喰い」を読んだ。
万人の方におすすめというわけにはいきませんが、
昔の僕のように自分の血に疑問を持っている方には
ものすごくお薦めします
もちろん、やみくもにグロくもエロくもありません
おこがましいですが、僕がたまに歌にする「昭和の夏」の
セクシャリティがふんだんに盛り込まれているところも
個人的に嬉しかったです[ヘンタイ]
後半ちょっとSF的に感じた父と母の決着のシーンも[トランスフォーマー]
舞台が昭和最後の年というのも切ないです
当然
いすゞ度
★★★★★



昭和最後の夏の「川辺」の
家庭排水や汚水が流れ込むヘドロと魚のはらわたの
生臭さ、そして人が流す血までもが
匂って来そうな心地がした。
17歳になったばかりの主人公遠馬。
暴力的なSEXの性癖を持つ父親円、遠馬が生まれて一年で
子を残して円の元を去った母親仁子。
この円より一回りも年上で、右手を空襲で失い、
義手をつけて魚屋を営んでいる仁子というのが、
肝っ玉が座っている、正に母「いすず」のような女性だ。
現在遠馬と父親と一緒に暮らしているのは、
飲み屋で働く琴子。
円に殴られて時折、頬や目の周りに痣が出来ても
「何故別れないか」と聞かれて、
「体がすごいええて」、「殴ったらもっとようなるんて」と
答える女性だ。
少し頭が足りないんではないかと思うような、
柔らかな巨乳というイメージだ。
この人にも私は、「いすず」の面影を感じる。
遠馬が千種と川についてやり取りする場面が
印象的だ。
父親が「川は女の割れ目」だと評したことを、
千種が『うまいこと言うやん』
遠馬は『どんだけ頑張って生きとっても、
最終的にはなんもかんも川に吸い取られる気ィする』と。
遠馬は、初めて父親の好物の鰻を釣り、
『裂けて、半ば崩れた鰻の頭を目にして』
性的興奮を覚えて戸惑いを覚える。
女を殴ってSEXする、そうしないと興奮しない、
そういう父の血が自分に流れている・・・
恐れていた筈なのに、千種の首を絞めてしまう。
父が通う女のひとりに、
アパートの角に座り込む女もいる。
千種に拒絶された遠馬がこの女のところへ行き、
頬を打ち髪を掴んで犯す。
『自分自身は、一番新しい父だと感じた』
その感覚は、どれほどゾッとするものだったろう。
子供を宿した琴子は、この家を去る決意を固め、
ついに決行する。
この後、吉井和哉が
『ちょっとSF的に感じた父と母の決着のシーンも
[トランスフォーマー]』へ繋がって行くのだけれど、
「SF」&[トランスフォーマー]と表現する吉井和哉は、
流石、一種独特だと思った。
息子の父親殺しを阻むため、己の義手で突き殺す、
母の一途さ・強さが凄まじい。
おそらく、人を殺めた血の穢れから鳥居をくぐらなかった事を、
一度止まったもの(生理)がまた復活したから「すごい女」だと
皆に噂されて、遠馬が笑い泣きそうになるところが、
なんとも言えずせつないおかしみを感じた。
仰る通り
いすゞ度
★★★★★ でした。





「煩悩コントロール」MV - 2012年02月01日(水)

「煩悩コントロール」には、是非格好イイMVを作って
バンバン流して欲しいと願っていたので、
放映前にSSTVのサイトでディレクター高橋英介さんと
表示されていたのを見て、嬉しかった。
これは一体いつの間に撮っていたのだろうか?
髪の長い吉井和哉がレスポールを弾き捲っている。
ギターの音が赤と青の電流?波動?をビシバシ放っている。
時折、バイナリードメインの映像が挿入される。
これがもう滅茶苦茶格好イイ!
『愛別離苦 怨憎会苦  求不得苦 五蘊盛苦』のところは、
やはりこれで合っているだろうが、
これに被さるように唱えられているのは、
「生・老・病・死」
ラップの最後の部分は、『残りのひとつはコントロール』。
『全てをクリアして心のドアをひけ 』ではなく
『全てをクリアして心の声を聞け』
『未来の罠』ではなく『未来の音』なのだねえ。
一番の衝撃だったのは、ラスト近く、
吉井和哉の顔がホロウチルドレンと化す場面だ。
THE YELLOW MONKEY最後のアルバム「8」の
ブックレットに吉井和哉の顔がロボット化している
フォトがあった。
あの時私は、大好きなスタートレック、
ネクストジェネレーションのブルーのエピソードを
思い浮かべたのだけれど、今回は、より強く、
「もし機械が感情を持つようになったら」
「もし機械が人と同じように生殖したとしたら、
それは生命と呼べるのじゃないだろうか」という事を
考えて仕舞った。
それにしても、友人がこのMVを見て、
『ギターになりたい』と言った気持ちが良く判る!
痺れます♪








My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間