ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

チャリティーオークション - 2005年01月30日(日)

THE YELLOW MONKEYチャリティーオークションが
2月9日にスタートする事が発表された。
THE YELLOW MONKEYが長年支援活動を行ってきた障害者通所授産施設「クッキー工房マミー」と
昨年の新潟県中越地震で被害を受けられた方々へ義援金を送るために
メンバーの協力のもとにヤフーチャリティーオークションを実施するそうだ。

「メカラウロコ15」で、展示されている衣装や楽器や写真などが
いずれオークションに掛けられるとは知らされていて、詳細が明らかに
なるのを楽しみにしていたのだけれど、
《『メカラ ウロコ・15』の会場で展示された、ライヴ、
プロモーション・ビデオなどで本人が使用した楽器、
ジャケット写真やプロモーション・ビデオ、ライヴなどで本人が使用した衣装、
インディーズ時代から最後のライヴとなった『メカラ ウロコ・8』、
そしてソロ活動までの間に撮影されたライヴ写真、アーティスト写真、ジャケット写真等と、
過去のツアーで販売されたアーティストグッズ各種
総点数300点以上を出品》と記されているのを見ると
その規模の大きさに改めて驚いた。
写真だけでも相当数あったけれど、衣装も楽器もかなり含まれているのだろう。
楽器については、メンバーに愛用された楽器が手放されるのは淋しいと思う。
けれど楽器は、音を鳴らしてあげないと可哀想だから、
ライブツアーでガンガン使われていた以前とは違ってしまった現状では、
整理されていくのが妥当であるだろうなあと思う。
出来ればコレクターではなく、楽器を愛して音を鳴らせてくれる人に引き取られて欲しいと思う。
衣装については・・・欲しい人がオークションで競るのも有りなのだろうな。
でも、ジャガーの衣装とマリーさんのドレス、マリーの指輪だけは、手放さないでいて欲しい。
ジャガーの衣装といっても黒や赤など色々あったけれど、
一連のジャガーとマリーとの(二人で)一揃いの衣装(+指輪)だけは、
一緒にBOWINMANの事務所に保管し続けて欲しいと切に願う。
ファンなら誰しも一度は手にしてみたいと思うだろう。
実際12月26日もあのブースは、凄まじい混雑だった。
YOSHIIはもう二度とマリーの衣装も身に着ける事はないだろうけれど、
それでも、ジャガーとマリーを捨て去る事だけは、ないと信じている。

ともあれ、写真の一枚にでも手が届けば良いのにと願う。




ピースサイン - 2005年01月27日(木)

昨日の夜、YLOFCのBBSが10000件HITした時YOSHII LOVINSONが現れて
『10000ヒットの方にはプレゼントをあげます。臨時ニュースでした。』と言って自分で10000を踏んでいた。
しかも3重カキコで。自分はちょうどBBSを見ていた時だったので、貴重な瞬間を見られて良かった♪
その直後バグってしまい、『BBSが壊れちゃった。オレのせいかな?』だの
『10000ヒット達成者へのプレゼントは「WHITE ROOM」のサンプル盤だったのに残念』
とか書いちゃって、相変わらず面白い人だ。
そのあと「SMOKEY KAZUYA」も更新されていて、
TOP画像に為っていた「事務所でピース!?」の訳が判った。
『皆さんのおかげで、“CALL ME”がオリコン2位になりました。』
この文字を目にして、じわっと来て仕舞った。
週間売り上げ2位と言う事も勿論嬉しいけれど、私はその後の売れ方が嬉しい。
このところずっとデイリーランキングを見るのが日課に為っているけれど、
先週デイリー12.13位だったのが今週始め6位まで持ち直し、新曲が出た昨日、今日も19位と
デイリー20位内をキープしている。順位だけの事を言いたいのではないけれど。
巷に「CALL ME」が良く流れ、この曲を「良い曲だね」と言ってくれる人が増えた。
その事を心から嬉しく思う。
『メジャーからシングルで出すからには、必ず何らかの形で
人の心を癒さなくては意味のないものだと思っています。』とYOSHIIは書いている。
『「癒し系」と言われるたぐいのものではなく』
その人なりの音楽で、イイ気持ちになれる音楽・・・YOSHIIの音楽が
沢山の人に必要とされているのだ。
YOSHIIは「癒す」という言葉を使うけれど私は、音楽は人が心を委ねる事の出来るものだと思う。
人の命を生きていく上で、喜びや悲しみや痛みや快楽といった心の状態を拡げるそういう為に
音楽はあるのだと思う。
YOSHIIの曲は、私を最高に響かせてくれる。
『数年前、メジャーからシングルなんか出すのをやめようと』まで思っていたという
その記述に胸が痛んだ。
自分を『ボロカス』だったとさえ表現するほど追い詰められていたのかと思うと、
その苦悩の深さが怖くなる。
けれど今『音楽の神に感謝する』というYOSHIIの言葉は、
とても良い状況で音楽に取り組んでいるだろう様子が伺えて、
本当に頼もしく、これから我々に披露される豊かな実りに凄く期待が高まる。
「銀色の遥かな道」をどこまで行っちゃうのだろうか。
でもきっとYOSHIIなら誰よりも遙か彼方まで、音楽の道を進んで行けるのだと
信じている。




最後の「JAM」 - 2005年01月25日(火)

Rockin'on JAPANやuvなど、幾つかの音楽雑誌に、昨年12月26日の
「メカラウロコ15」のレポートが載り始めた。
Rockin'on JAPANでは、見開き2ページの「JAM」のフォトのみ、文章はない。
けれどそれも彼ららしい最後のようで納得出来た。
uvでは思いがけず扱いが大きく、大き目の写真と記者によるレポが載っていた。
“コンチクショー”と思った箇所が同じで大いに頷いた。
最後の「JAM」が余りに儚くて、幻だったのでは、とさえ感じていたけれど、
あの「JAM」の演奏がTHE YELLOW MONKEY解散という事実をこの上なくはっきりと
告げていたものであった事を今更ながらに実感した。
先週、福岡の深夜番組でこの「JAM」がフルオンエアされていたのだ。
福岡の方にビデオを送って頂いて、この映像を見る事が出来た。
ステージに4人が現れて、おもむろに楽器を手にして、演奏が始まる。
いつものようにアニーがリズムを取ってドラムを叩き、ヒーセがベースを、
エマがギターを、三国さんがキーボードを、そしてロビンが歌う。
でも演奏された曲は、私達が身体に馴染んだ「JAM」では無かった。
メロディーは同じだし、ロビンの歌声も違って聴こえた訳ではないのに、
“涙化粧の女の子”と客席を指差す仕草も、間奏でマイクを離れ観客を煽るのも、
あの頃のように見えるのに、「JAM」そのものが違っていた。
かつてTHE YELLOW MONKEYだった人達があの日一日だけ集まって「挨拶」した
曲だった。
このビデオを見て、私は心の底から初めてTHE YELLOW MONKEYがもう居ない事を
認識した。
この4年以上ずっとTHE YELLOW MONKEYのLIVEを見たいと願い続けて来たから、
再始動を信じ続けて来たからこそ、この最後の最後の「JAM」は、
私に「夢が終わった」事を判らせて呉れた厳しくも有難い別れの言葉だったのだろう。
忘れる事も捨てる事も出来はしない。
そんなに生易しいものじゃない。
でもYOSHII LOVINSONのソロ活動にギター菊地英昭が参加するからといって、
YOSHIIとヒーセが変わらず親しくしているからといって、甘い期待を寄せる事は、
もうやめよう。
これから4人がそれぞれ進んでいく音楽の道・遠い遠い遥かな道のりを
自分の場所から見遣っていきたいと思う。




物語は、まだ始まったばかり - 2005年01月20日(木)

YOSHII LOVINSONのファンクラブYLOFCでは、
毎月YOSHIIさんのお仕事関係の方々による月刊エッセイが配信されてくるけれど、
2005年初の今日の配信は、東芝EMI制作ディレクターの立入さんが書かれたものだった。
ヒーセさんと昔のライブ仲間だったという立入氏がまだTHE YELLOW MONKEY
結成したばかりの頃のヒーセとアメ横で出会ってLIVEに誘われた話、
LIVEに行かないまま14年も過ぎて途中入社した東芝EMIでYOSHIIで出会ったという話は、
縁は繋がっているものだなあと感じた。
そしてとても印象的だったのが、『ファーストアルバム「at the BLACK HOLE」制作時、
MIXINGまでやった後のマスターテープの本数は40本、その中で厳選して
20本ものテープををニューヨークへ持って行った』というくだりだ。
『YOSHIIさんの3年間の「音への想い」の重さ』という言葉に、
MONKEY休止後にYOSHIIが取り組んだ「音楽を創る自分との闘い」の時間の濃さと重さを感じた。

1stアルバム発売から1ヶ月半後に既に次作のレコーディングを再開していた事にも驚いたけれど、
今回のマスターテープは6本、ニューヨークへ立入さんが運んだのはDVD-R1枚、
マスタリングに使用したのもDVD-Rだったという事がとても大きいと思う。
YOSHIIは惑いの時を脱したのだろう。
研ぎ澄まされた集中力が密度の濃さとクォリティーの高さを生み出しているのだろうと、
頼もしくて仕方ない。
立入さんは、『プロフェッショナルなアーティストの条件は、「良い作品を生み出す」
「身の丈にあったプロモーションが出来る」「記憶に残るライヴをする」の3つである』
『3月9日に発売される2nd Album WHITE ROOMで
YOSHII LOVINSONのプロローグは終わりを告げようとしている。
皆が現実を体感し、それが沢山の人の「記憶に残るライヴ」になれば、プロローグは終わりだ。』と、
そして『物語は、まだ始まったばかり』だと書いておられる。
「身の丈にあったプロモーション」って、どういう事だろう。
「at the BLACK HOLE」までは、全国ラジオ局行脚だった。
「CALL ME」ではラジオ出演とCS放送などでの音楽番組出演、音楽雑誌などだ。
昨年よりは、媒体は拡がっている。けれど、出来れば地上波の出来るだけ多くの
人たちが見られる番組にも出演して欲しいと思う。
今回の「CALL ME」は、今までのYOSHII LOVINSONを知らない層にも
アピール出来る曲だ。新たなファンを獲得して行って欲しい。
YOSHII LOVINSONの物語は、まだ始まったばかり。
これからどんなストーリーが展開していくのか、
その行方を培って行くのは、我々ファンも共に進む動きでありたいと思う。




わたしのDNAは大奥の女 - 2005年01月17日(月)

YOSHII LOVINSON公式ページのコラムが更新されたが
YOSHIIが昨年末にどっぷり浸かったという“昭和の流行歌”について語っている文章の中で
“わたしの城下町”を<わたしのDNAは大奥の女>と評しているのを見て
魂消た。
『<わたしのDNAは大奥の女>というプライドと恥じらいと、
情念がこちらの日本人としてのDNAに襲いかかる。
この初恋の少女は、確実に懐に小刀を持っている。』と書かれているのだ。
この人は、昨年放送されていた『大奥』を観ていたんだろうか?
菅野美穂が演じた薩摩藩から第13代将軍家定の御台所として送り込まれた篤子が
大切に胸元に携えたあの懐剣のエピソードをYOSHIIも観ていたのじゃないだろうか。
『歌詞を引用して説明するのは野暮』と書かれているけれど、
野暮を承知で言わせて貰う。
あの“わたしの城下町”の歌詞に、恥じらいゆれて心が燃えあがってゆく
日本女性の美と艶を感じるYOSHIIに改めて惹き付けられる。
「WHAT's IN?」でHYの新里英之くんとの対談で語っていたが
『今、自然が残っている日本の土地に暮らしながら出てくるものを
曲にしていきたいと考えたりしているんです。』という彼の思いが
とても強く伝わって来た。
洋楽への強い憧れとコンプレックスを長年抱え続けて来た彼が、
己の昭和の歌謡曲で培われて来た『日本語の美しさ、品、毒』を操る技を
また一層自覚したのだと思う。
昔、吉井和哉は『僕の場合、歌謡曲は血みたいなもの、つまり細胞として体に入ってるから』と言っていた。
どれだけROCKを演ろうとも、彼の中には日本人の血
(それも脈々と流れる古き日本の心)が拍動しているのだろう。

新里くんがHYのメンバーを「家族」と位置づけるのに対して、
YOSHIIがバンドのメンバーを「戦友」と捉えていたという話に、納得させられた。
YOSHIIにとっては、THE YELLOW MONKEYは死と隣り合わせの戦場の絆だったのだろう。
今、THE YELLOW MONKEYというビッグネームの重圧から開放されて、
身軽に開放された気分であろうけれど、彼の抱える孤独は、
もしかしたら活動中も解散後もそれ程変わらないのじゃないかとふと思った。
「孤独」というのは、何か違うな。
例えば「張り詰めた弦」のような、厳しさかな。
上手く表現出来なくてもどかしい。





2ndアルバム「WHITE ROOM」3月9日発売決定! - 2005年01月14日(金)

待ちに待ったYOSHII LOVINSONの2ndアルバム発売が発表された。
アルバムタイトルが「WHITE ROOM」!
「at the BLACK HOLE」に続く第2作目が「WHITE ROOM」・・・
自信の程が伺えて、YOSHIIの意識がとても開かれたのを感じて
非常に嬉しい。
1)PHOENIX
2)CALL ME
3) 欲望
4)WANTED AND SHEEP
5) RAINBOW
6) JUST A LITTLE DAY
7) FINAL COUNTDOWN
8) NATURALLY
9) トブヨウニ
10) FOR ME NOW
11) WHAT TIME
全11曲中、既発表曲は3曲、8曲は新曲だ。
「トブヨウニ」のカップリング「BROWN UP CHILDREN」も「HATE」も
「MUDDY WATER」も入らないんだ?
どれも凄く好きな曲だ。
「BROWN UP CHILDREN」と「HATE」は、前作「at the BLACK HOLE」の流れを
組む作品だったのだろうと思うから入らないかもとは思っていたが、
「MUDDY WATER」って今回のシングルで非常に新鮮で好きになったから、
これを敢えて抜いた2ndがどのようなクォリティーであろうのかと
とても期待が高まっている。
1曲目「PHOENIX」(これは不死鳥という意味だよね?)
2曲目「CALL ME」
3曲目「欲望」というタイトルの流れが特に惹き付けられる。
英語タイトルがずらっと並び、カタカナの「トブヨウニ」、
そして唯一漢字で「欲望」と題された3曲目。
「欲望」と聞いて、先ず思い浮かぶのはボブ・ディランのアルバム「欲望」だけれど、
ボブ・ディランが激しく切なく歌い上げて不朽の名盤となったように、
エリック・クラプトンが今だに演奏し続けるCREAMの「White Room」のように、
ビートルズの「ザ・ビートルズ」通称「ホワイト・アルバム」のように、
YOSHII LOVINSONというアーティストが内包する理想も現実も、諧謔も風刺も、
苦悩や哀しみも快楽も欲望も全部真摯に曝け出すアルバムであって欲しい。
タイトルを見ているだけで、想像が限りなく広がって心が踊る。
3月9日・・・待ち遠しい。





「CALL ME」発売! - 2005年01月13日(木)

YOSHII LOVINSON 4TH シングル「CALL ME」をやっと手に出来た。
ラジオで放送されたもの、そしてPVをもう何度も何度も聴いていたけれど、
CDで歌詞をじっくり見ながら聴く事の何と素晴らしい事だろう!
出だしの荒涼たる風の音?に被さって響き出すギターの音色から、
心の奥深くまで怖いくらいに入って来る。
“ONE DAY 今日も開かない
 折り畳みの真実が虚しい”
吉井の声・・・この人の声には、何故こんなに寂寥感が滲むのだろう?
切ない、けれど、それだけではない強さを感じる。
昨年吉井がインタヴューかで『これからは人を救う音楽を目指したい』と発言
した時に、私は「何という事を言い出したんだろう?あまりに崇高な大き過ぎる
理想と現実の重さに、吉井が潰されて仕舞うのじゃないか?」と怖くなった。
自分の事だけでも精一杯な筈なのに・・・という思いも正直少しあった。
だけれど、ここ最近の「CALL ME」プロモーションでの『神にCALL ME』という発言と、
そしてこの曲そのものから、今何故吉井が「人を救う音楽」を望み始めたかが
少し判った気がした。
“オレでよけりゃ必要としてくれ”
これは、吉井が、音楽家としての“生”(自分の真に目指す音楽を追求する為に
愛し培って来た最愛のバンドを終わらせ次のステージへ向かう)を受け入れたその
決意の歌だと思う。
ハッキリ言って仕舞うと、吉井が「罪」と感じたであろうその行為を
神の前で曝け出し、自分に何が出来るか考えた時
“たまに星がキレイだってことを”
“恋に罪に欲に胸に花に
 水に風に雲に空に星に
 永遠(とわ)に 永遠に 永遠に CALL ME”
歌って行こうと生きなければならないと強く心に定めたのではないかと思う。

わたしは、この曲を届けてくれたYOSHII LOVINSON に感謝する。
そして、この曲に心底共鳴出来た自分の琴線を誇らしく思う。
2曲目「MUDDY WATER」は、CDで初めて聴く事が出来たが、素晴らしい!
こういう曲が来るとは思っていなかったので、凄く新鮮で、
純粋に『格好イイ〜!』と嬉しくなった。
とても余裕が感じられて途中でのあの「仕掛け」に受けた。 
3曲目「FINAL COUNTDOWN」は、曲もラジオで聴いて気に入っていたが
歌詞を改めてみると、このひねり加減が凄くイイ!
これをLIVEで演っている姿を早く見たい。

オフィシャルのBBSに今朝早く本人からの書き込みがあった。
cobraさんに宛てたとても茶目っ気のある愛に溢れた書き込みだったけれど
『無事に発売です.本当にあなたのおかげです。出会えて本当に感謝です。
これからもよろしく。 』
その言葉の真っ直ぐさに涙が溢れて来た。
あなたが音楽を作り続けてくれる事が本当に嬉しい。
2ndアルバム、滅茶苦茶マジで楽しみです!




yumingの番組へのゲスト出演 - 2005年01月10日(月)

「音楽と人」を読んで『ひとりで立つ場所』をもう見つけちゃったんだなあ、と
少しばかり淋しいような気持ちでいたので、
今日夕方の松任谷由実さんのラジオ番組へのゲスト出演での話が心に沁みた。
『要所要所で帰りたくなるものですよね。長く続けたバンドは・・・
心のどこかにずっとある。』とYOSHIIが語って、ジョン・レノンが
「ダブル・ファンタジー」の頃、ヨーコと二人ニューヨークの公園を散歩している時、
ファンに
「いつまたビートルズをやるんだい?」と聞かれて「明日!」と答えている映像を
最近見て、「ダブル・ファンタジー」出た直後ジョンがあのような形で命を
落とす事が無ければビートルズがまた活動を始めた未来があったかも知れないと話していた。
その時点でビートルズが活動を終えて随分時間が経っていた訳だけれど、
バンドというものの拠り所の大きさをYOSHII自身も感じていたように思う。
それを受けてユーミンさんが『ジョン・レノンがビートルズがまた組むかどうかの
キーマン』だった事と『YOSHIIも同様にTHE YELLOW MONKEYがまた組むかどうかの
キーマンだからこそ、それだけ響いたんだろう』と仰って
「スターティング・オーヴァー」が掛かったけれど、好きな曲が尚一層、
切なく暖かく伝わって来た。
YOSHIIのファーストアルバムが自分で楽器を弾いたりした事で3年も掛かったのが
「スタジオを出たらそれで終わり」という人には弾いて欲しくなかった、
それ位曲を大事にしたかったというYOSHIIに
『プロセスまで映り込むのが音源』だと
答えておられたのが凄く印象的だった。
「音楽への方向性が定まっている」「ブランクを経てストロンガーになって
帰って来てくれたことが嬉しい」
ユーミンさん程長く第一線で活躍している大物アーティストに
評価して貰えるのがとても嬉しく誇らしい。
ラジオ出演は、こちらでは聴けない番組ばかりだったから、
全国放送は大変有難い。
坊主でも「妖しくセクシー」なんですね。良かった♪




ひとりで立つ場所 - 2005年01月09日(日)

「音楽と人」2月号YOSHII LOVINSONインタヴューを読んだ。
昨年の解散インタヴューや先日の「NEWSMAKER」を読んでから
大分耐性がついて来ているように思っていたけれど、
『「CALL ME」が最後の限界だった。』という言葉は、
改めて目にすると結構重いものだった。
ずっと「我慢」していたのかと。
活動休止を決めてからだけでも5年近くもの長い時間だ。
それだけの長い時間のうちにYOSHIIが抱えたものの大きさを思って暗澹とした。
大体において、本当の事を言えば、
バンドの解散を「離婚届けを出す」という表現するのも
私は、好きじゃない。
『新しい女ができちゃった』ってのは、何なのよ!?
せめて「パートナーシップの解消」と言いなさいよ。
って、結局おんなじ事なんだけど(笑)
けれど、この「NEWSMAKER」と「音楽と人」を読んで、
少々チクチク痛みを感じつつも最終的には、私も何かが吹っ切れたように思う。
『MITCH・IKEDAさんが「ファーストは大っキライ」って言うけどセカンドは大絶賛してくれて、
セカンドアルバムのジャケ写をやたら扉の前で撮ってくれた。』と
YOSHIIが話していて、その事が凄く納得出来た。
THE YELLOW MONKEYにきっちり幕を引いたYOSHIIは、「CALL ME」発売の今、
新しい境地に向かおうとしている。
YOSHII LOVINSONでのソロデビュー当時に、全身を纏っていたように見えた
ピリピリと張り詰めたバリアが消えて、
伸びやかにしたたかにソロアーティストとしての
枝葉を伸ばそうとしているようだ。
『ひとりで』というところにまだ淋しい気分に襲われる未練がましい私だけれど、
『ここは俺の場所だから』とYOSHIIがその持てる全ての才能を
高らかに魅せる事の出来る立派な幹を作って行って欲しい。




その人は神を見ん - 2005年01月07日(金)

神様に“CALL ME”という事について、自分の場合はどうだろうと考えた時に
思い浮かんだのは、中学校の卒業式で校長先生が卒業証書と一緒に一人一人に
色紙を手渡してくれて、私が頂いたのは
『幸いなるかな心の清き者 その人は神を見ん』という言葉だった事だ。
私はこの言葉をずっと指針として「良心や誠実、寛容さ」という事を大切にしなければ、と
思って来たけれど、この歳になってようやく
『心が清い』とは、そんな生易しい事では無いのじゃないかと考えるように為って来た。
人の心が一遍の曇りもなく清らかでいられる筈が無い。
偽りや穢れに染まり易い罪深い存在であるのが人であるなあ、と思う。
それでも神は『あなたを清い存在だと私は受け入れるよ。あなたを愛しているよ。』と、
そう慈愛を与えて呉れているのだろう。
その愛の大きさを感じ、その恵みに感謝して生きていく姿を
「幸せ」と呼ぶのではないかと思う。
宗教じみた事を言うようだけれど、私は別に特別な宗教を信仰している訳ではない。

けれど、「CALL ME」を聴いて、「後悔しない生き方」と言うものを考える時、
私はあの校長先生に貰った色紙が素晴らしい門出の品だったと改めて思うのだ。
人それぞれの「CALL ME」の受け取り方があるだろう。
YOSHII LOVINSONになってから吉井和哉の作る曲は、
「神」の存在を身近に考えさせられる曲が増えた。
自分の来し方生く末を深く見つめるゆえだろう。
「神」とは、己の持つ絶対的な指針であるのだと私は思う。
THE YELLOW MONKEYの休止、解散という人生の大きな節目を経た彼が
これからの音楽人生を見据える時、彼の行く手を照らすのは、
「神」というべき大いなる光なのだと思う。
確固たる信念や理想・・・、YOSHII LOVINSONは、「神」を見る人だ。





「CALL ME」PVについて - 2005年01月05日(水)

「CALL ME」PVで何故LOVINSONは戦車に腰掛けているのかずっと考えていた。
PVの意味を考える事なんて、以前「SWEET CANDY RAIN」PVにおいて
何故いちじくなのかをサリンジャーの「フラニー/ズーイー」といちじくの関係について
懸命に考えた挙句に、LOVINSONが何かのインタヴューで
『どうしていちじくなのか自分も判らない。PVのディレクターが持って来たんですよね。』とか
言ってるのを見て、かなりの脱力感に襲われたので、もうそういう恥ずかしい思いは
したくないのだけれど、気になるのだから仕方ない。
戦車はたぶん、“人が人の上を目指し”と歌われる、人という種族が追い求める
力や権力の象徴だろうと思う。
その戦車に「ジャストマリッジド」とハネムーンへ向かう
新婚の車につけるかのような空き缶を幾つもぶらさげ・・・あれは祝福の証だろうか?
銃弾が戦車の行く手を脅かす路を装甲の上に腰掛け砲塔にもたれながら、
熱唱するLOVINSONは、神様に
“CALL ME CALL ME
 電話一本でいつでも呼んでくれ
 後悔ないようにしとくぜ”と歌い掛けている。
「いつ死んでも良いぜ」と言うその言葉のままには、私は受け取れない。
『後悔しないように生きたい。このままではイケナイ。』という精一杯の叫びに
聞こえる。
感情を押し殺し非人間的である事をよしとしない、大切な愛するものを
守りたい・・・そういう願いの歌だと思う。
NEWSMAKERの押部さんによるYOSHIIインタヴューでこの歌の出来た背景について
知る事になったけれど、そういう事情を抜きにしても、
この歌は、「神に召される事を容易く受け入れる」というような悟りの歌ではない筈だ。
逆に自分の生きる意味とか使命とか、体の奥底から湧き上がって来る大きな力を
懸命に外へ向けて放散しようとするYOSHIIのアーティストとしての
決意表明のように私は感じた。
今回も「いちじく」の二の舞だろうか?
それでも良い。ともかく私はこの「CALL ME」の曲もPVも凄いと思う。
それだけだ。




THE YELLOW MONKEY LIVE AT TOKYO DOME - 2005年01月04日(火)

三が日も終わりようやくドームDVDをじっくり見る事が出来た。
これを見終って、私の中で昨年12月26日の「メカラウロコ15in東京ドーム」が
やっと終了したのだと思えた。
あの日ヒストリービデオ上映の後、メンバーが「JAM」を演奏してあっさり退場して、
私の意識は、宙ぶらりんのまま、あの場所あの時間に
ずっと佇んでいたように思う。
体だけが日常に帰って年末・年始を慌しく過ごして・・・
けれど今日、4年前私が大阪ドームで(本当のLIVEという意味では)唯一の
LIVEを体験したこの1月4日という日に、彼らの最後のステージとなった
この「東京ドーム」DVDを最初から最後まで通してじっくりと鑑賞出来た事は、
とても意味があったと思う。
WOWOWで見慣れていた筈のLIVEは、編集が加えられ随分と違って見えた。
随所でクローズアップされるロビン、エマ、ヒーセ、アニー其々の姿は、
彼らがこのLIVEにかけたエネルギーの凄まじさを見せ付けていた。
『沢山の希望と絶望と興奮をありがとう』
吉井和哉の言葉が突き刺さる。
「バラ色の日々」の前のMCで吉井の発した
『強力な人生を・・・悔いのない人になっていて下さい』
この言葉が重く響いて来る。
4年経った今、私は吉井にちゃんと報告出来る人生を送って来ただろうか?
「悔い」?
後悔は・・・無いよ。
決して上手な生き方じゃあ無いかもしれないけれど、自分なりの歩き方をして来た。
THE YELLOW MONKEYのファンとしてYOSHII LOVINSONのファンとして恥ずかしい
生き方は、して来なかったよ。
『出来るさ、出来るさ、イエローモンキーのファンだもの。』
何だか憎たらしい気もするけれど、この言葉は、私のお守りになっているかもしれない。
YOSHII LOVINSONの「CALL ME」プロモーション動画を幾つか見た。
『セカンドは、「CALL ME」が霞むくらいの良い曲揃い』なのだそうだ。
夏にツアーは本決まりらしいし、私は、「トブヨウニ」の3曲とこの
「CALL ME」がストライクど真ん中に来ているから、YOSHII LOVINSONが紡ぐ
音楽が楽しみで仕様がない。
THE YELLOW MONKEYを過去として断ち切るのではなく、
水脈を受け継ぎ自然に流れを導いていくような、そんな未来があればいいと思う。
このドームDVDを見る事で、とても清々しいある意味厳粛な気持ちになれた。
今日からまた新しいTHE YELLOW MONKEYファン暦が始まる。
「メカラウロコ15」で幕を下ろしたTHE YELLOW MONKEYがいつの日か、
第二の産声をあげる未来がある事を夢見て、4人其々の新しい音楽人生を
応援して行きたいと思う。
『誠実に誇り高く、自分らしく』そういう愛し方をして生きたい。
それが私の新年の誓いだ。




「R&R NEWS MAKER」YOSHII LOVINSON表紙インタヴュー - 2005年01月02日(日)

解散したからこそ、彼は、ここまで潔く語る事ができたのだろう。
そして、12月26日「メカラウロコ15」であの最後の「JAM」を体感したからこそ、
自分は、このインタヴューを心乱される事無く、
静かに受け止める事が出来たのだろうと思う。
以前から「SO YOUNG」は、(THE YELLOW MONKEYの)一つの時代が終わった
その惜別の歌だと感じていたけれど、インタヴュー中に
『「PUNCH DRUNKARD」ファイナルが(イエローモンキーの)ひとつの終わりだと
思っていた』という発言があって、私はあのツアーファイナル「3.10」の映像で
受けた感覚が合っていた事を実感した。
満身創痍で演り遂げたLIVEでTHE YELLOW MONKEYは真っ白に燃え尽きた・・・
そういう風に感じていた。
『その後は長いエンドロール』全速力で走り続けたマシーンは、動力が切れても
全ての動きを停止するまで、2001年1月8日まで(実質的には、2001年3月一杯位まで)の
かなり長い時間を要したんだろう。

2000年3月に吉井和哉が「解散」を切り出した時点で、本当は彼の中では既に
決着が着いていた事実を知らされたけれど、今ようやくストンと納得出来はするものの、
2000年11月の「活動休止発表」のあの時点では、私は到底受け入れられなかったろう。
「活動休止」から3年半経ってからの「解散」を時間が掛かり過ぎだとか、今更、とか
いう向きもあるだろうけれど、私にはこの時間が必要だった。
期待を寄せ続けられる吉井の苦しみを薄々察しながらも、待ち続けていたかった。
「未来がある」と信じる事が力だった。
NET上でも延々文章に綴り続けて来た。
その事を後悔はしない。
『あの4人でイエローモンキーだし、イエローモンキーは俺の全てだったから』
そう言い切る彼が、自分の求める音楽に忠実であろうとして、表現者として
誠実であろうとして、一生懸命築き上げて来たTHE YELLOW MONKEYという光り輝く宝を
壊した。
誰よりもTHE YELLOW MONKEYを愛する男がその決断で自ら負った傷の深さは、
如何ばかりかと思う。
新曲「CALL ME」で
“オレでよけりゃ必要としてくれ
 CALL ME CALL ME
 電話一本でいつでも呼んでくれ
 後悔ないようにしとくぜ”と神に歌い掛けるその意味は、
いつ命の尽きる最後の時が訪れたとしても
「後悔ないように生きたい」という切実な願いだったのだろう。
ドームの「JAM」は、今の4人ではTHE YELLOW MONKEYを演れないのだという事を
厳粛に受け止めざるを得ない切なく哀しいレクイエムだった。
でも、私はあれが「葬式」だったとは今も思えない。
今は、THE YELLOW MONKEY第一幕の幕間だ。
第二幕の幕があがる日がいつか来るんじゃないかと、勝手にそう思っている。






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