ちょうちょうの気持ち
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2006年02月27日(月) ブログを作ってみた

3年参加した題詠マラソンが今年はなくって

題詠100首というイベントができて
参加にはブログが必要だというので

つくったさ。

ほうぼうさがしたけど
あんまり気に入ったテンプレートがなくて

つかれた。

しかもトラックバックってなに!?
って感じで。

吹雪でだるだると一日過ごしつつ
台帳つくって
お雛さま出して
昼寝して
ビール飲んで
かんがえごとして
引越しやさんと話して
(引越し先、すげー田舎ですねぇって
ゆわれました・・・・中川より都会じゃん!
人口5まんにんだし、小学校には給食だってあるし)
友達から電話が来たり
メールが来たり
けっこう忙しいじゃん。

なーんて。

明日から無職です。

うしがみんないなくなるので
集団ドナドナですので
オットも無職だな。
生活費も出ないし
うしもいないし
猫はいるし



うし。

いなくなったら本当に
この町に存在する意義がなくなります。


おっと、ブログのなまえは

「きくとわたし」

短歌しかのっかりませんが。




2006年02月25日(土) 「その気持ち汲んでやれよ」と言う人の決して汲まないわたしの気持ち

引越し業者が決まらない・・・ことより
わたしの問題は消費税です。
財産を全て処分するにあたって
かかってくる消費税を
絶対
キープするように
再三オットに言っていたのですが
信用しないので
(借財と相殺されるだろうと)
国税局に電話させました。

結果

「消費税バッチリかかりますよ」

とゆわれたそうです。

というわけなので、消費税の分まで
返済金にしないでくださいねぇ。

わたしの気持ちは汲まなくて良いけど

国家の気持ちは

汲んでくれ。ww


2006年02月22日(水) もしも「はなくそ」と呼ばれて苛められたらどうするか

表題のテーマについて、剣道の帰りの車内で
話し合った。
後ろの男の子たち

「『食うぞ!』っていう」

と即答、即決。

はなよ、やはりあなたは大丈夫。

がんばれ!ってか。




3年以上も右腕にチタンを入れたままのオットであるが
かなりだるいたいらしく、どうせ来週には牛がみんな
いなくなっちゃうんだから思い切って、今のうちに
取ってしまおうということで、本日整形に受診した。
そうしたら癒着も無く、さくっと取れるらしいので
入院決定。
ますます人手の足りない我が家であるが、
引越しできるんだろうか!?

週明けから暖気で、国道の雪がすっかり解けていた。
これならオットも自分で運転出来ただろうに・・・
と、ちょっと損した気分。

そして深夜、辛夷の原稿を書き上げた。

必死。





2006年02月20日(月) 国が悪いのか!?

先日の歌会で、

かとうたいちせんせいが

「倉本聡という人は、なかなかすごい人だと思っていたけど
ドラマでうそを書いてて、がっかりした。
じゅんくんが離農したとき、『僕の心がけが悪かった』と
泣かせたけど、あれは違う。農業を守れない国が悪いんだよ
・・・・」

とおっしゃった。
たぶん、前日友人から我が家のことを聞いていてゆって下さった
のだと思ったけど。

わたし自身は、国がわるいと思うか、と聞かれれば



としかいいようがない。

ただ、心がけが悪かったとも思わないけど、

努力だけではどうにもならないこともあるというか、
くじ運が悪かったというか、
節目節目で進むべき道を間違えたのかもしれない、

というか

まあそんな感じで。

生活をうんときりつめて、
こどもたちも自分も修行僧のように
文化とか娯楽からも遠ざかって、
いわゆる

清貧

な生活をしていたら、
もう少し長持ちしたかもしれないけど
そんな生活は、やっぱいやだし。
ピアノの音がしない家も
歌集が積まれた枕元がない家も
猫が毛玉をおとしてあるかない家も
娘がかわいい洋服を一枚も持っていない家も

いやだ。

だからまあ、

国は悪くないけど

心がけもそう悪くなかったけど

我が家は淘汰されるんだなあ、と。


そういうことでどうでしょうか。


2006年02月18日(土) まひるまの雪の野原でぐいぐいと牛乳飲んで笑いあったね

うたかいでした。
お題は「飲む」

加藤多一せんせいがいらして下さったので
とてもスペシャルな歌会です。
が、せんせいのお話にみんな戸惑う部分も
あったりしたかも。
でも、面白かった。


 ふるいことば、ふるい語法をつかうと
 短歌チックにはなるけれど、
 あたらしい題材をうたったとしても
 ふるくさくなる。

 平凡イコール、すなお、ではない。
 平凡でないことをすなおにかくのが
 おもしろい

 生活感覚をことばでとらえなおす

 過去と思い出と歴史のちがい


ややフワコ語に変換されておりますが
こんなおはなしをしていただきました。


こどもたちは一日、スキーのバッチテスト。
あてが外れて5級の受検。もち合格でした。
バッチと受験料ふたりぶんは結構な出費だった
ので、バッチなくすな、と言いたい。


短歌の友人も同時期に転出することが決定し
ますますさみしい中川町。
ずっと広報にのせてくれるらしいので?
引っ越しても短歌は投稿します。たぶん。


2006年02月17日(金) 吹雪の中走りつつ物思いにふける

朝から吹雪いていたのに、小学校のスキー記録会が
めでたくも開催され、たいへんさむくて修行僧の気分
でした。でも、耐えられなくてロッジに逃げ込んで
ばかりいたので修業にもならないかー。
ビデオカメラも途中で撮影不可能になったくらいよ。
午後の親子ゲームは中止になり、手を叩いて喜んでしまった。


国道が閉鎖になっていなかったので、
夕方、名寄までピアノのレッスンに行った。
今日こそは言わねばならないことがあったのだ。
そして、「引越しがきまりましたー」と言ったら
「あーー、やっぱりーー」とか言いながらあんまり悲しそう
じゃないぞと思ったら、「実は時期を見て言うつもりだった
んですけど・・・」ご結婚されて、仕事も辞められると。
おめでとう!びっくりしたけれど、お互いに、心残りが
少ないと言うか、なんか良かったですねェ、こんなことも
あるんですねと多分お互いちょっぴり肩の荷が下りたような
そんな感じで笑い合いました。
きっと先生はいろいろ悩んでやめることを決意されたの
でしょう。もったいないけど、いつかまた復帰されますように。

帰り道。
辛夷のエッセイの原稿のことを考えつつ、そういえば
初めて中川町に向かって走っていたとき、オトイネップからの
川沿いの道を走りながら、白樺並木とか、やっぱりいいよねー、
内地の山は杉の木ばっかでキモチワルイよねっとか言って
盛りあがったよなあ、とか、このあたり一面エゾエンゴサクの
花でブルーに染まるところを、今年から見られないんだなあ、
とか、雪解け水が天塩川に流れこむ音も聞けないし、冬と春の
さかいめの、ある日唐突ににおってくる黒土のにおいとか
そんなのにも会えないかもしれないとか、考えてて、やっぱり
北海道はよかったなあって。まーしかたないけど。
根雪の季節がないと困るけど、窓から海が見えるという、
房総のあの風景にも抗えない魅力があるしね。

ゆきがなくてもうたえますように、と祈りつつ。

ここのところ実作モードだったのでとても日常生活に支障が
ありました。しかし、辛夷入会後、たぶん2度目だと思うんだけど
〆切前に詠草を出しました。すげえ


2006年02月16日(木) 70萬炎

ひっこしのみつもりのことですが。

ピアノを抜いて48万円だって。
すると、ピアノ入れたら70万は下らないということで、
くらくらしちゃっています。
れいぞーこや、しょっきだなを捨てて行ったくらいでは
解決できないでしょこれは。

でも、に○○うのお兄さんはわたしの入れたコーヒーを
飲んでくれなかったので、引越しはしてあげません!
と、高らかに宣言するのも・・・

引越しビルダーで見積もり依頼をしていたんだけど
は○と引越しセンターから回答がきて、やけに安い、
ピアノこみで50万切ってるよ〜ほんとにこの値段なら
ありがたやありがたや、ですがねぇ。
それにしても高い、たかいわやっぱり。


今日はとなりのにいさんに餃子を食べさせてもらいました。
メグはブログに載せると、餃子の写真をとりまくって
ました。


2006年02月12日(日) ひこうかい

辛夷の道北歌会がありました。

そして、初めて大きな歌会で、4首も披講しました。
そろそろこうゆう危険が身にふりかかって来る
可能性大だということに、今回はまったく
思い当たらず、ただ楽しみにしていたのに。
詠草とともに披講依頼(命令?)のメモが入って
いるのを見たときは泣けました。
とはいえ、辛夷に入ってもうすぐ4年ですから、
しどろもどろになるわけにもゆかず、2日前の
スーパー宗谷のなかでニコチン臭にまみれながら
ちゃんと原稿を作ったさ。
おかげでとりあえず無事に披講もおわり、先生にも
「よいひこうでした」と言ってもらえましたとも。
さて、意外なうたが時田先生のうたで、ちょっと
びっくりしたけれど、
馬とか土とか出てきたら、やや、と思ってしまうもんねえ。

懇親会はいつになく賑やかでした。
時田先生に、

「敗北だなんて思う必要はない」

とゆっていただいたのが
しみました。
ありがとうございます。
ご家族と車でいらしていたために少し早く退席されていた
時田先生と、またしてもときわ会館の玄関先で再会し、
道に迷って会館まで辿りつけないお嬢さんを先生のケータイを
奪ってナビして無事車に乗せて、それからわたしは

ないしょです。

最終バスに乗りそびれました。


2006年02月11日(土) 半日電話をかける

さて。
その後

大通りのdocomoショップにてケータイを充電してもらい
その間テレビ塔近辺をうろうろして時間を潰す。
やっぱりゆきまつりは夜だ。
ライトアップされて昼間よりずっときれいでした。
YAMAHAのブースがあって、透明なカプセルというか、
ドームの中にステージアがあって、子どもが演奏していた。
あれは希望者が抽選で弾くのかなあ。
札幌の子だけなのかな。
イルミネーションは暮れのホワイトイルミネーションを
残してあったらしい。
ダイオードの青がやっぱり目をひいた。
ハナはわたしのオススメのテレビとうさんではなくぶたの
耳かきを買い、メグは決断が遅すぎてテレビとうさんグッズを
買いそびれ、無事友人とも連絡がとれて、待ち合わせの場所へ。
そして夕食後、友人宅へなだれこみ?子どもたちおおはしゃぎ。
酔ってうっかり居眠りして夜中に起きたら、友人だけちゃっかり
ふとんに入っててわたしはただ転がっているではないか。
子どもたちがまだ漫画を読んで起きていたのでその布団に
入れてもらって寝なおした。

そしてよくあさであるが。
なんと今日はストーンズのライブの予約開始日で、
わたしもケータイ片手にえんえんリダイヤルすること約2時間。
結局電話は繋がらず、友人のイエ電が一度つながったものの
途中でエラーになって、どうすんだと思っていたら、
彼女の同僚がちょこちょこっと電話したらすぐに繋がって
なんなくチケットが取れてしまったという。
ああ、わたしたちの午前中は。
わたしも北海道に居たら一緒に行けたのになー。

今日は大倉山へ行くはずだったのだけど
そんなこんなで遅くなり、一緒に行くはずの親子も行けなくなり
ますますボルテージが下がって、結局コーチャンフォーで
タイムアウト。
でも、その前に札幌で1人暮ししている父に会ってきて、
父に会うのは実は憂鬱だけど、でも会えて良かった。
離農のことは弟から聞かされて知っていたのだけど
もとの職場に戻ると言ったら
「よかったなぁ、い○○○いまに死ぬんじゃないかって
心配していたんだ、あいつ死にそうだったもんなぁー
オレ、かわいそうでかわいそうで心配していたんだ」
といわれた。

ああ、そうだったんだ。

そんなふうな親らしいことばを聞けて、良かったよ。
ほんと。

その後親子は駅に向かい、なんだかんだと時間になって
またスーパー宗谷で帰宅した。
帰りはふたりとも爆睡で、あこがれのワゴンのお姉さんから
アイスを買えなかったのであった。
とても暑かったので2人とも真っ赤な顔をして寝ていた。



2006年02月10日(金) きしゃのたび

北海道のおもいでに。

こどもたちをさっぽろゆきまつりに連れて行った。
行きは喫煙車しかとれなくて
さぞつらかろうと思っていたら
ほんとうにつらかった。
いや昔はわたしとて
きつえんしゃじゃないと死ぬ!と思っていたのだが
最近ではタバコを吸っている人を見ても
うらやましくなくなった。
ああ、大人になったなぁ。
って、衰えたのか。
で、そんな苦しみに耐え、
翌々日の歌会の披講の原稿をまとめ、
娘は車内販売のおねえさんばかり気にして
息子は、なにしていたのかなあ、
ナルニア物語の3冊目(年が明けてからずっと
これじゃないかもしかして)を読んで、
はらへりがピークに達したころ札幌に到着。

札幌駅で待ち合わせしていた友達が、電車の遅れで
遅くなり、わたしたちは駅構内のロッテリアで
昼食をすることに。父ナシでは美味しいものを食べに
行ってもどうせ残るし、子どもの食べ残しまで食べられないし、
たとえ食べられても食べてはならないからだなので
もったいないからいいけど。

しばらくしてやっと友人が登場し、久々の再会の感動に、浸る。
それからまずは大通りへ。
こどもたちは巨大迷路めいろとうるさい。
ゆきまつり会場は思ったほどの人手ではなく、考えてみたら
平日のまひるまだから、そんなものなんでした、
そこそこの賑わいの中ぷらぷらしたのだけど、
お店ばっかりで。しかもキャラクターかわいくないし。
それなのにはなはすぐにひっかかって店先から
離れない。むかしのわたしのようだ?
HBCのステージでビンゴをやっており、まだカードが
ありま〜す!とアナウンスしているのでみんなで
カードをもらって、参加。100人中13人が景品をもらえる
という、(500人って思っていたけど絶対違う、
そんなにいなかったし。50人?かも・・・???)
まーとにかくそんなビンゴで、なんとメグが8番目にビンゴ!
いやもうびっくり。
ほかのビンゴさんたちとともにステージに上がり、
名前など聞かれて、もそもそと答えていた。
はなも「はなちゃーん、こんにちはぁー」と声を
かけられてちょっと機嫌をなおす。
なにしろメグがビンゴになってステージ前に歩いて行く時
わたしに蹴りを入れたのだ、むっきーって。

その後ビンゴさんたちはくじびきをして
北菓桜のお菓子セットをゲットしたのだが、
メグははずれのさるの絵のついたタオル・・・
ビンゴは予想外だったけど、やっぱりメグはメグだった。

さて、市民ボランティアと思われるやさしそうな
おじさまたちがさとらんど会場のパンフを配ってて
シャトルバスもすぐそばから出ているので、
つい乗りこんでしまったら、バスはすごいさむくて
しかもさとらんどすごい遠くて、地の果てまで連れて
行かれるかと思った。
着いたらもう夕方近くてはまかぜがびゅーびゅー吹いてて
死ぬほどさむいのに迷路も滑り台もびっくりするほど人が
並んでいて、とりあえず暖かいものでも食べようと
会館の中へ。そのうち滑り台終了のアナウンスがあり
それでも外に並ぶ気にはなれず食い気にはしる。
はながやきそばを食べたいというので、外の屋台で
買ってきたら、ねとねとするーと言って食べないので
どれどれと食べたらやっぱり傷んでいるではないか。
その日に作ったものであるはずなのに、なんで?
確かにお肉とかも乾いていたけど、まさか、
前の日のとかじゃあ、ないよねぇ?
でも、持っていったらすごくあっさりお金を返して
くれたんだよね・・・これは確信犯では?と
うたがっています。
ゆきまつり実行委員会にちくっちゃおうかな。
中で買った豚汁はとてもおいしゅうございました。

それから巨大迷路に行ったんだけど
メグはずっとテレビと違う、おもしろくないと
文句たらたら。
そして小さな氷の滑り台ではなだけ滑って
そのうち夕暮れがやってきて、バスに乗ってふたたび
大通りへ。渋滞でさらに時間がかかったが、
メグは隣りの席にかわいいおねえさんが座って
「なにが楽しかった?」とかきかれて
よろこんでいた。
楽しかったのは巨大迷路だってー
それしかしてないけど、
つまらないってゆってたくせに。
とちゅう、ケータイの電池が切れて、あせる。
今夜泊めてもらう友達と連絡が取れない。

いか次号


2006年02月08日(水) そういえば、

JOC、予選通過したらしい。
つぎは旭川地区予選かなんかで、
テープ信審査のみだけど。
びっくり。
そのわりみんな感動がうすいし。

オットにもまだゆっていない。


2006年02月05日(日) あいあることば

菱川善夫さんの講演会に行った。

行くだけで大変に疲れたので
さわりの部分、実は旭川高専の先生時代の
おもしろい話をしていたらしいのだけど、
すっかりこもりうた状態で。
ああ、もったいない。

『歌の海』という道新に連載された相聞歌のコラムから
の抜粋と、現在も連載されている『物のある歌』からも
数首引かれて、話をして下さった。
菱川先生は文章のとおり、話し方も穏やかで、
すっと入ってくるようなおはなしだったけど、
最後の質疑の中で、評論を書くときにはそのうたを
自分のもののように思う、作者に80%以上なりきって
書く、とおっしゃって、ああ、愛があるなぁーと
それだけでいたく感動した。
あいはだいじだ。

講演の後、本の販売があって、サインをしていただける
うえに500円も安いというのにつられて私もついつい
列に並んでしまった。
わたしの名前を書いて下さいながら(みんなに聞いていた
けどね)所属を聞かれ、「こぶしとたろうとはなこです」
と言ったらば、じゃあ結社誌を見てみますね、と言って
下さった。ほんとに見てね。
あーでも最近のはイマイチだからいやかも。


2006年02月03日(金) 蜘蛛の糸

きのう、のうきょうのひとがおこってやってきたそうだ。

わがやはさくねんあきにりのうをきめてから

なんでもかんでもかねめのものはたんぽとなって

ほけんきんもうしもきかいもぜんぶ

たんぽなのだ。

ねこはたんぽじゃない。

で、うしなんか、かってにうったりしないように

まいつきかぞえにきているんだけど

さくねんのくれ、あるひとが

「のうきょうはぜんぶもっていくからまるはだかに

されちゃうぞ、すこしはせいかつしきんがいるべ」

とゆってうしをかってくれた。

それはのうきょうのひとがうしをかぞえにきたひの

ばんだったそうだ。

わたしがそれをきいたのはすこしあとのことで

ひっこしだいきんとか、こどものがくひとか

あるいはらいねんしはらうしょうひぜいとか

しんぱいしていたら、そうゆうことで

どきどきした。

そしていちがつのすえ、また

うしをかぞえにやってきた。

「うったな」ってゆっているひとがいるのに

とくになんてことなくかえっていったそうだ。

さもありなんとおもっているのかとおもったら、

そうではなくて

どこかのいえのうしごやにうちのうしがいると

いうはなしをきいてから、きがついて

やってきたらしい。

すごくすごくおこって

もうかけいひはだしてやらない

とか

けいひもださない

とか

そのかねはどうした

とか

いっぱいゆっていったんだって。

むすこのどうきゅうせいのおとうさん。


だけど。

ほしょうにんをたてなくてはけいえいができないと

りのうをきめたとき、

おっとはものすごくつらかったのに

あっそう、ってかんじで

こうしゃのひとをつれてきてあやまらせて

あとはしらんぷり。

もうやめるんだからいくせいはうって

すこしでもさぎょうのふたんをへらすとか

なんにもさせてくれなかったくせに

いつぎゅうしゃでくびをつられるかと

どきどきしていたことも

しらないでさ。

それはるーるいはんかもしれないけど

あのときのうしをかってくれたひとの

ことばは

かんだたのめのまえにおりてきた

くものいとだったんだと

おもう。


のうきょうのひとがくれたのは

くびをつるろーぷ。

いつもろーぷのあなにくびをさしいれる

じぶんがみえていたんだって。

そのころのおっとの

ねがおは

こわかった。

いまは

なにもかもなくすし

ちょっとみじめだけど

ほっとしている。

ぜったいたすけてなんてもらえないから

めのまえにぶささがってきた

くものいとにしがみついた

だけさ。

ごめんよ、














2006年02月01日(水) きさらぎゆきのちはれ

オットの採用がなかなか決まらなくてぼやいていたら
すごく心配してくれていた元同僚に電話して、
とりあえずオットの採用決定と、わたしのパート不採用
決定を伝えた。

しごとさがさないとねーというはなしから

「ひとみさんは、プライドがあってあれかもしれないけど
おそうじのしごととか、ホテルのシーツこうかんとかの
しごともいいおかねになるとおもうよ、パートかけもち
したりね」
ってゆわれていやいやプライドなんて・・・と言ったものの

やっぱりそうじはいやだなあ。

だって、じぶんちですら片付けられないし。

もう、そうじきらいってか掃除してもきれいじゃないし。

そう、最近流行の兆しあり?の
「片付けられない女」ではないかと。

まえにそういう人がテレビに出ていて、自分は怠け者なんじゃ
ないかとか、すごくだめな人間なんだと思ってきたけれど
そういう病気なんだってわかって、ものすごく救われたって
言っていた。

わたしもきっとそうなのだわ、と思う。

はっはっ。

いやそれで。
元職場を去った後、住んでいた職員住宅がすごく汚いって
怒っていたんだって。
掃除して出たのになぁー、そして電話の彼女が掃除しなおして
くれたらしい。すみませぬ。
そんで、その家にまた住むんだよね。わたしら。


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