ちょうちょうの気持ち
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2004年03月22日(月) さくらのかほり

めぐがトイレで便器の後ろに漫画を隠そうとして
(やっぱりへんなやつ)消臭元を倒した。
いっぱいこぼれてから言うので手遅れ。
まだ新しい期間限定桜の香りの消臭元は大方トイレの床に流れ
雑巾にふき取られてしまった。
しかも、玄関までくさくって。
玄関を開けた途端に消臭元くさくってうんざりよ。
あーーあ。


夕方は草太が、学校の先生が学校に収める学年費などを滞納
していると言っていたと言うので、焦ったけど、年度初めに
払えといわれたものは入金済みである。
牛乳代後期の分が残ってて、それは会計の先生から聞いてて
草太に持たせたんだけど(しかしやつは忘れて行った)
草太が集金のプリントをくれなかったことがあるのではないかと
(よくある)学校に電話をさせたら、やっぱり払ったものの
ことだった。
いいかげんにしてよ〜。
貧乏人から二重取りするなっつか、ちゃんと確認してから言って
くれってかんじ。
(かなりやんわりと言ってるつもり)

おかがで胃が痛くなっちゃったわ、ご立腹のあまり。


2004年03月19日(金) 変な人

中学校で修学旅行の説明会があった。
べつに行きたくもなかったけど、草太がうるさいので
行ってみたら、やっぱり集まりが悪かった。
小学校の頃は懇談というと欠かさず出席していたような
お母さんでさえ、出て来ていない。
授業のほうはなんだかしらないけど説教の時間になって
いたらしい。熱いはなしが1時間以上続いたらしいが、
生徒は大して聞いていないようだったと、あるお母さんが
言うと、先生も「100%は期待していないが、なにか
あったときにすぐにこちらからアクションがあるという
ことはわかってもらえる」というようなことを言っていた。
まあ、そうなんだろうけどさ、授業を見に行こうなんて
思わなくて良かったよぅ。先生の演説を1時間も聞いていた
ら痩せちゃうかもしれない。で、その話が懇談でも出たけど、
いったい誰が不登校になりそうなのか、なんだか全く話が見
えないのであった。わかる人はわかっていて、わかったうえで
話は進められているんだけどさ。
出掛ける前にめぐにくれぐれもピアノを練習するようにと
言い含めてきたにもかかわらず、帰ってみたらなんと
1時間近くトイレから出て来ないと言うではないか。
またトイレで漫画なんか読んで・・・・ほんとおっさん
くさい野郎だぜ。ねちねちしかって、これで先週もあがれ
なかった2曲がまた上がれなかったらもう、ビデオも借りて
あげないし、漫画もゲームも禁止すると言ってやった。
漫画は読んでいないと力説するが、じゃあなんでトイレに・・・


そして、ピアノのレッスンのあと、めぐは妙に落ちつきがな
かった。
なんだかわからないけどうろうろして変な声を出したり、
教室を何度も出入りして、廊下の椅子の上にたたんであった
わたしの上着にすりすりしたり(コワイ)それをかけて寝転
がったり下の階の草太の教室の窓の外から目立つように覗いたり
走ったり。
あとで考えたら、ビデオを借りてもらえないのとか、いろ
いろ面白くないことが重なってじっとしていられなかったの
かも?先生にも「めぐむくん、きょうは変ですね」と言われて
しまった。「どこか(あたまでしょ)具合が悪いのかしら?」
(カッコ内はわたしの補足)とまで。

結局、めぐがあんまりキモチワルイので、めぐの分もビデオを
借りてあげた。もちろん、めぐちゃんごきげん♪である。
これできっと少しは奇行も緩和されたに違いない。


草太とレッスンの前にYAMAHAのお店のほうに楽譜を見に行った。
タンゴの曲のCDがなかなか来ないので、せめて音符を見て
やろうと思ったのだ。そうしたら思いがけず短い曲でちょっと
拍子抜け。これって”テンペスト”なんかと競うにはちょっと
ツライんじゃないかしらねぇー。先生とも相談して、他の未知の
曲も聞いてみようということになった。

というわけで草太の選択曲はなかなか決まらない。
本人あくまでもイヤイヤというスタンスを崩さないし。


2004年03月18日(木) トワイン

朝、牛が死んだ。
搾乳中に、もーとも言わずに。だからあんまり苦しまないで
逝ったのかもしれない。でも、前の晩からお腹がいたそう
だったからやっぱり辛かったんだろうなぁ。
お腹はガスでぱんぱんになっていた。
乾乳中から調子が悪くて、分娩後も腰が抜けたりガスが溜まった
り、磁石を飲んでいないことが判明して急遽飲ませたり、
なんだかんだで分娩してからもずーーっと牛乳が出荷できなくて
1週間ほど前にやっと出荷出来るようになったんだけど1ヶ月く
らいは牛乳を投げていた。たぶん、なにか異物が入っているのだ
ろう、ということは以前から言われていたんだけど、釘のような
ものなら磁石を飲めば改善されるけど針金ならダメ、もしくは
トワイン(草ロールを縛っている細いひも)とか・・・。
結局、原因を特定するために午後からお腹を切ることに。
とりあえず、死体を牛舎から運び出さなくてはならない。
牛舎の出入り口は常にごちゃごちゃしているし、ロープはもう
へたれになっていてぶちぶち切れるし(綱引きのロープみたいに
太いのに!)吹雪いてて寒いし(きのうの陽気はどこへ?)、
とにかく苦労してやっと牛を倉庫に移動した。家に上がれたのは
お昼過ぎ。弁当を朝のうちに持たせておいて良かったわぁ。

解剖の結果、胃の中にトワインがあったそうだ。でも、直接の死因
となったのは別の胃の潰瘍だったらしい。
トワインの固まりなんかいつ食べたんだろう?そんなもの目の前に
あるなんてことまずあり得ないのに。あったとしても普通食べない
と思うんだけど・・・・。


わたしの搾乳牛、今4頭しかおりません。
乾乳やら乳房炎やらなにやらやらやら。


2004年03月16日(火) 短歌フェスティバル

この行事はずっと続ける、と去年の挨拶で町長がおっしゃって
いたので安心していたけれど、やはり財政は厳しいらしく、
開催はするけどセレモニー部分を全てカットするらしい。
だけど、そうしたらフェスティバルじゃなくなるんじゃないのぉぉ?
と思うんだけど。いかがなものか。
生涯ROMすると決めていた中川町のMLに清水の舞台から飛び
降りるような気持ちで
先週投稿したけど、すっかりうっちゃら
れてるんでこっちに転載いたしまつ。


  短歌同好会の会報で知ったのですが、短歌フェスティバルが
  今年は大幅に縮小されるというか、ほとんどあってもなくても
  いいものになるそうで、驚いています。
  せっかく昨年記念講演をして下さった宮地先生が『短歌研究』
  誌上でご自身の連作のタイトルに中川町の名を冠して、
  短歌フェスティバルと中川町の宣伝に一役かって下さったという
  のに、残念でなりません。ていうか、表彰式も吟行会もレセプション
  も歌会もなーーんにもないってことは作品を募集して賞をくっつける
  だけってことですよね?そんなの、やる意味があるんでしょうか?
  そこまでするならいっそやめたほうが潔いのではないかと
  思うのですが、選者の先生方はどう思われているのでしょうね?
  生田原町のオホーツク文学館の短歌・俳句賞もやはり町村合併
  になってしまうと今までのような形で開催することは難しいという
  ことで、今年は豪華にやるというウワサです。非常に人気のある
  先生を講師にお招きしているとか。
  そこまでしろとは言いませんが、せっかく知名度の上がってきた
  催しをこんな、鮭の中骨だけを立派なお皿に乗せて出した・・・
  みたいな形にはして欲しくありません。
  町村合併してしまったら中川だけこんな催しを続けるわけには
  いかない・・・というのではなくて、合併することによって、他の町に
  とっても斉藤茂吉という財産が増えるのだ、というふうには考え
  られないのでしょうか。(もちろん、他町村の催しも)
  経費をかけない方法はあると思います。作品集を有料にして希望
  者だけに配布する(生田原町はそうです)とか、レセプションを
  エコミュージアムの食堂で行うとか、各賞の副賞をもっと簡素化
  するとか・・・・。
  あくまでも「短歌フェスティバル」という名前のものを続行するなら
  表彰式や記念講演、交流歌会などのセレモニーは欠かせないの
  ではないでしょうか。
  それが出来ないならいっそすっぱり止めるべきだと思います。
  あくまでも私の個人的な意見ではございますけど。





2004年03月15日(月) シャーベット

確定申告が終わった。
ほんとうは5日に呼ばれていたんだけど間に合わなくて
(スキーばっかしていたからねぇ〜・・・)10日に
伸ばしてもらい、お葬式のために急遽、前日に書類だけ
出して、今日やっとお呼ばれしてはんこをついてきたのだ。
今日で最後だからちょっとひやひやしちゃったよ〜
そんなわけで無事申告も終わったわけだけど、なんだか
のびのびになっていたので解放感いまひとつ。
でも、せっかくだからめぐとスキーに行った。
黄砂をかぶって雪が汚い。
もちろんだ〜れも居ないから、リフトも止まっていた。
おじさんも毎日これじゃ、退屈だろうなぁ〜
ゆきはざくざくのシャーベット状で、ぜんぜん滑らない。
なんか歩くだけで体力使う・・・(^_^;)
でもせっかくだから小一時間ほど滑ってから帰宅。
これならアイスバーンのほうがいいかも。
めぐは音威子府に行きたがっているけど、今度の週末、寒く
なるだろうか。寒かったら行くつもり。


2004年03月14日(日) 電話

よる、大学時代の友人から電話が来た。
M君のお通夜には間に合わなくて、夜の飲み会にはちらっと
顔を出したらしいのだけど、わたしたちは会えなかったから、
最後に会ったのは10年近く前じゃないだろか。
年賀状のやりとりくらいはしていたけれど、話すのも久しぶり。
「Kですが」と言われても、それが彼だと認識するまでしばし
時間がかかってしまったほどだ。
M君が亡くなって、なんかやっぱり、死んじゃってから集まる
のはだめだと思ったらしい。
そうだよねぇー。
で、オットにバンドをやろう、週イチで練習だ〜と言うんだが
どこでやるんだよぉ。


草太は午前中、部活に岩崎さんが指導に来てくださり、たっぷりと
練習して来たようだ。いいなぁー。


2004年03月13日(土) おそうじとコンサート

スキー日和だというのに、めぐの部屋に手をつけたが最後、
掃除で一日が終わってしまった。
ついでに押入れの中身・・・ひたすら溜めこんでいた本と
かビデオの整理もした。映画なんか、観たくなったら押入れを
探すよりレンタルしたほうが早いもんねぇ。古いのはくさって
いそうでコワイし。とかいいながらイカ天のビデオを捨てられ
なかったりする。

夜は札幌交響楽団の主席オーボエ奏者の岩崎さんのコンサート。
子供たちを連れて聴きに行った。はなはピアノの先生のドレス
にうっとり。途中、楽器を吹いてみたい人〜と小学生に振ったら、
だれもいなくて、なぜかハナが「吹いてみたぁ〜い」と口走り、
「音が出るかなぁ?風船ふくらませる?」と言われ、ハナは
大きく頷き(モチロン大うそ)マウスピースを咥えたのだが、
ぷよーーん、と音が出て、今度は楽器につけて吹かせてもらって
よわよわしい音を鳴らしてすっかりその気になっていた。
「おかあさん、あとで風船買ってね」とか言っちゃって。
それなのに、後半も「あと何曲でおわるのぉ〜」とうるさい。
めぐはアンコールの尾崎豊の曲にやけに反応して喜んでいた。
『北の国から』で聴いていたのかな。

夜はおそば。
なんか一日中麺類を食べていたような気がする。


2004年03月11日(木) ぼうぼう

いやもうなんのって。
ぼーーっとしているんだけど忙しいの。
きのうはオットとハナと3人で札幌に行った。
雪崩で死んじゃったMくんの葬儀に参列するためだ。
夜中の2時過ぎに出て、朝、野幌のパーキングでわたわたと
着替えて、朝マックして葬儀。
広島や東京からも学生時代の友人が駆けつけていて、ちょっと
した同窓会なみである。こんなことで集まるなんて悲しい。
でも、こんなことでもないと集まらなかったりもするんだよ。
弔辞を一番上の娘が読んだ。
すごくオモシロカナシくて、もう、かなしくてかなしくて。
小さい頃の彼女しか知らないんだけど、やっぱりM君の娘だよ、
良い子に育っているんだなぁーと思いつつ、また彼の人柄を
思って泣けてきた。
「おとうさん、おとうさんはわたしたちにいろいろなことを
教えてくれましたね。シャボン玉の作り方や、ことばの意味
などです。・・・・・おとうさんの写真を見ていて、思い出し
たんだけどね、おとうさんは、わたしが中学生かもっと大きく
なったら、道具を揃えて、はるか山に連れて行ってくれるって
言っていたよね、もうそれが出来ないんだと思うと、わたしは
残念でたまりません。・・・・・
おとうさんが死んじゃったなんて今でも信じられないけど、
頑張るのがキライなおとうさんが楽になれる一番良い方法だった
のかなぁって今では思います。でも、ほんとうに信じられない
んだけど。おとうさんは今まで、仕事や山のことなどでわたした
ちの学校生活などあまり見ることがありませんでしたが、これから
はずっとわたしたちを見守っていてくださいね。・・・」

あー、なんでこんなものわかりのいいことを子供に言わせている
んだよ、だめじゃん!と言ってやりたい。
いや、彼自身もそう思いながらどこかで聞いていたに違いない。
あーーあ、ほんとにあーーあ、って感じです。
あと5分早く掘り出してもらえたら助かったかもしれないとか、
そんなことを聞くとますますあーーあ、って。

葬儀のあと、繰り上げ法要に出るとか出ないとか言いながら、
とりあえず友人宅でごろごろして、ピザを食べて、結局繰り上げには
出そびれて、帰路についた。ハナは友人宅のおねえちゃんと楽しく
遊んでもらって児童館にも行きたいなどとほざいていたけれど、
それはまた今度のお楽しみとして、おさがりを山のようにもらって
ばいばーいと手を振って車が大きな通りに出る頃にはもういびきを
かいて眠っていた。せっかくなので江別のお友達の所にもちょっと
押し掛けて、カッコイイお兄さんになったりゅうくんの顔など見て
かなりよろよろしながら高速に乗り、運転を押し付け合いながら
なんとか日付が変わる前に、無事帰ることができた。なんともハード
な一日だった。


んで、今日は札幌から調律のお兄さんが来る日だったので、朝から
大掃除。一応、家の中は酷い状態であることは前もってメールして
おいたんだけどね、それでも一応はお掃除しなくちゃねぇ。
幸い役場からも呼び出されなかったのでひたすら部屋の隅に積み上げ
られているわけのわからないものたちを片付けた。
午後からは歌会で、これもまたはずせないのでちょっと遅刻したけど
出席。ひさびさに2首ともクソミソに言われて、失意のままに(うそ)
帰宅。
家ではまだ調律の真っ最中。いつもよーーく狂っているから時間が
かかるのだ。それに今日はハンマー調整もしてもらい、高音の響きが
ぐっと良くなった。けど、高かったわぁ。ピアノって安上がりなようで
あんがい維持費がかかる。でももうなんか、音が物足りない気がして
もう少し良い楽器が欲しいなぁ〜〜なんて、金もないのに思っている
今日この頃であったりもする。教室の小さめのアップライトでも、うち
のピアノよりずっと良い音なんだもん。だけど、草太の力で毎日弾いて
いたら、やっぱり音は悪くなって行くのかなぁ〜、ピアノもやっぱり
弾き潰す、とか言うしね。


2004年03月07日(日) 雪崩

きのう、旭岳で雪崩に巻き込まれた後輩が、今朝亡くなった。
一報が入ったときには母とその夫では??とか弟では??と
心配したけれども、どこからも連絡がないので安心して牛舎に
行って仕事していたら、搾乳中に草太がメモを持ってやって来て、
後輩の名前を告げたのだ。
オットとふたり、しばしぼーぜん。
だけど、草太の受けた電話の感じでは命に別状はなさそうだねと
話し合って、とりあえず自分の牛を搾って(途中、横蹴りする
牛をうんと離すのを忘れて隣の牛を搾ったときに珍しく足を
上げられて後ろに転んだらその横蹴りやろうに思いきり背中を
蹴られて踏みしめられて涙目になったりしながら)家に帰った。
とりあえず共通の知り合いなんで弟に電話したら、弟はニュースで
見たという。”意識不明の重態っていってたよ”ということばに
またしばしぼーぜん。
それから連絡をくれた知人に電話してみると、ご主人は既に旭川に
向かっていると言うので、なにかわかったら連絡をくれるよう
頼んで電話を切った。彼女とも、しばらくご無沙汰だったのだが
こんなことで近況を話し合うなんて・・・とちょっと悲しくなる。

それから数時間後に入った連絡ではやはり非常に厳しい状態である
とのことだったけれど、まったく現実感がわいてこない。
いつもひょうひょうとした感じで、そんな深刻なのは全然似合わない
んだもん。きっと、ぼーーっと起きあがって、
「いやぁ、マイッタマイッタ!」
なんて言うはずだと思っていた。

そして、朝。弟からの電話で彼が亡くなったことを知らされた。
やっぱり信じられません。
ぜったい、似合わない。
でもそれは誰よりご家族が思っていることなんだろうな。
取り乱す余裕もないくらいいろんなことをしなくちゃいけないし。
いやもう、なんとも。
数年前に一緒に旭岳に行ったことがあって、そのとき一度だけ
私もコース外を滑った。
たぶんそのあたりを今回も滑っていたのだろう。
新聞の記事にはことさらに「立ち入り禁止区域」ということが
書かれていたけれど、山スキーをする人たちは普通に滑っているとこ
ろで、私は「山スキー用のコース」だと思っていたよ。
あーなんか、それにしても。
ほんとにぼーぜん。
うそでしょ。


2004年03月04日(木) おひなさま

昨年子ども部屋にめぐの机が入ったので今年はいよいよひな壇を
出す場所がなく、茶の間のピアノの横にひな壇を出した。
狭いのなんのって!!
おひまさなもイヤそうだけど、出さないのとどっちがイヤか、
これは彼等にとっても究極の選択であるかもしれない。
猫たちの被害に遭うことも必至なので結局2日の夕方に出し、
夜は若い猫たちをみんな出したが3日の朝には牛車と市松さんが
つッ転がっていた。かわいそうに・・・・
最下段の毛氈のひらひらがどうにもそそるらしいのだ。
あと、御内裏さまたちのかぶりものとかぼんぼりもいけない。
とにかく、ハナが生まれて以来、年々お雛さまが滅びていくようで
悲しいったらない。

そんなこんなでひな祭り当日は、夕刻、ハナとケーキを求めて町を
さ迷い(結局コンビニで買った。最初からそうすりゃ良かった)
剣道があったのでちょっとおそめの夕食を楽しく食べて、例によって
みんな茶の間で寝てしまった。
私は夜中に起きて仕事したし、なんだかんだと二晩とも夜中電気が
煌煌とついていて、お雛さまは宴会ができなかった。ばあさんずと
ロビン以外の猫はしばれている外にまた放り出された。
(猫がこれだけだったらどんなにいいか・・・・毎日猫缶あげるのに)

そして今日。保育所でもそそくさとお雛さまを片付けているのを見て
私もさっさと片付けた。午前中はこれで潰れてしまった。
さーて、これで一安心、と思ったら。
写真を撮るのをすっかり忘れていたのだ。
はなとめぐが
「もう一度飾れーー!!」
と叫んだけど、あとのまつり。

そして、ひな壇だけがまだ茶の間を占領しており、物置になりつつある。
パパ早く片付けて下さい。


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