山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2004年10月30日(土) 体調悪し

ここ数日体調が悪い。汗をかく。冷や汗のようにじわっと出てくるのだ。そして体がだるい。デカドロンは飲んでいないのに、調子の悪い日が続く。来週の2日には病院へ行かなければならないのに心配だ。

それでも今日は昨日よりはまだましだ。きのうはテレビを見る気力もなかった。

昨日はいとこの浪岡実明が母の手伝いに来てくれた。母が知人宅を訪問するのを付き添ってくれた。

昨日は高舘の叔父も遊びにきた。しばらく親父と会話していった。元気でいるかと声を掛けられた。

今日のテレビ番組は見るべきものが少ない。午後はゴルフばっかりだ。そこで録画しておいたものを見た。こういうときにHDD&DVDプレーヤーが役に立つ。


2004年10月26日(火) お見舞い

日産城下店の表店長が見舞いに来てくださった。

市役所に入ってからこの方、自家用車は日産一辺倒である。ずうっとこの表さんの世話になっている。日産サニーといえば大衆車の代表だ。

現在私が所有しているのは「カミノワゴン」であるが、私がこんな状態で運転ができないため、車は娘夫婦に預けてある。先日何回目かの車検を取ったので、その車検証とステッカーを届けるついでに私を見舞ってくださったようだ。


2004年10月25日(月) 地震

新潟で大きな地震が発生し、甚大な被害が出ている。テレビを見ていて地震の第一報を聞いたときに、なんとなく大きな被害が無ければいいがという不安がよぎったが、それが本物となってしまった。そのニュースに接するたびに平成6年の三陸はるか沖地震を思い出す。

平成6年12月28日夜9時過ぎにその地震は発生した。当時私は港湾河川課に所属しており、その時刻には港湾河川課の応接で仕事納めの後始末をしていた。八戸市庁旧館3階のぼろい部屋だ。(夏はとても暑く、冬は超寒い。)

28日はその年の仕事納めの日で、夕方から各課で盛大に飲んでいた。私のところも大分飲んで、最後の後始末にかかっていたところであった。そこへ突然突き上げるような大きな揺れがやってきた。酔った私の目の前で事務所内の机や椅子がまるでシャッフルされるようにぐるぐると回った。書類の入っているキャビネットは軒並み倒れた。カウンターの上のものは床に落ちた。

あの時は幸い大災害は免れた。が、旧庁舎は建て替えを余儀なくされた。


あの時のことを思い出した。


2004年10月22日(金) テレビの番組

ホームページの表示が復帰している。やはりサーバのほうでなにかがあったのだろう。今日は正常に戻っている。

昨日ニューヨーク・ヤンキースが負けてしまったので、今日から大リーグを見る楽しみがなくなってしまった。松井がワールドシリーズで活躍する場面を楽しみにしていたのにほんとに残念である。

デカドロンの副作用から抜けてきたといっても、まだ少し影響が残っている。じっとしていてもじわりと汗をかく。非常に不快だ。もうそろそろ収まってもいいころだ。

金曜日のテレビ番組は平日とちょっと違う。何を見て過ごすか、新聞の番組表とにらめっこだ。いつものように「はみだし刑事情熱系」は入るが、「はぐれ刑事純情派」や「水戸黄門」は今日ははいらない。夜は日本シリーズや金曜ロードショーでもみて過ごすことにしよう。


2004年10月21日(木) ヤンキース負けた

デカドロンの副作用による辛さも三日間、いつものように続いた。どんな辛さかというと、筋肉の強張り、ひどい寝汗、喉の渇き、眠気、逆に眠れないなど、言い尽くせない。こんな思いをするならデカドロンはもうやめにしたいものだ。

それでもデカドロンは14日から17日まで服用、その後18日から今日まで4日目でやっと薬の影響が抜けてきたか。

最近ホームページが表示されない。サーバのメンテナンスかなんかが行われているのだろうか。

松井のヤンキースが負けた。残念。


2004年10月17日(日) 松井の2本のホームラン

デカドロン4日目、さすがに体がだるく辛くなってきた。ベッド上でだらだらしている。

アメリカ大リーグをみた。松井の2本のホームランなどでニューヨーク・ヤンキースが快勝した。その後もだらだらと眠る。映画やその他の番組もあまり見る気になれない。放送大学も聞きたいところだが、こんな状態で聞いても頭に入らないのは明らかなのでやめておく。

夕方、娘夫婦が孫を連れてやってきた。家の中が明るくなった。お風呂に入って帰って行った。いつでも遊びに来て欲しいものだ。

「濡れ手で粟の一掴み」これがキーワードの笑点を見ながら気を紛らすことにした。


2004年10月15日(金) DVDまとめ聞き

そろそろHDD&DVDレコーダーが本来の活躍を始めた。放送大学の講座の録画を始めたのだ。今年度後期の講座が10月日から始まり、その予約録画をし、聞き始めている。

今日はその録画を2件まとめて視聴した。まとめ聞きは頭に入れるのが大変だ。録画できると思うと安心して溜めてしまう傾向がある。ちょっと油断すると直ぐに溜まってしまう。溜めないように気をつけて追いかけていこう。


2004年10月14日(木) ハイドの寝場所

今日からまた例のデカドロンが4日間続く。覚悟してかかろう。

ハイドの寝る場所が最近一定してきた。

私の寝ている部屋にあるサイドボードの上に空の空き箱を一個置いているが、その中に入って眠るのである。ねこはそもそも狭いところや高いところが好きなのだそうで、ちょうど下に置いている小さなテーブルからパソコンラックを経てサイドボードの天井に上がり、そこに置いてある段ボール箱に入るのである。それにしても猫のジャンプ力には恐れ入る。

それでも飽きると人が恋しくなるのか降りてきて、私のベッドに上がってくる。その挙句に私の腹や胸に昇ってきて寝そべってごろごろ言いながらくつろぐのである。はじめのうちは我慢しているが、しばらくするとねことはいえどもさすがに重くなってくる。どこか別の場所へ行ってくれとばかりに押し返そうとするが、やつも必死に爪を立てて動かされまいと抵抗する。押し問答の末、やっとベッドから降りてもらう。こんなことを毎日やっている。


2004年10月13日(水) 通院日

今日は3週間ぶりの通院の日だった。前回までと違い、予約が取れなかったため、大体前回どおり10時半ごろを目処に出かけた。

受付を済ませ、採血を済ませた後、前回予約しておいた床屋へ行ってみた。ところが10時から11時半まで「出張中」の札が下がっているのだった。止むを得ず今回は理髪を諦めた。

2階の第3内科に戻り、待合室で待つ。車椅子に座ったまま12時過ぎまで待つのだからおしりが痛くなってきた。

やっと呼ばれて沼岡先生に対面する。血液のデータは前回とほとんど変わらず、現状維持というところだ。だいぶ落ち着いてきたようなので、移植も考えてみてはどうか、という提案もしてくださった。とりあえず今年中は現行のままとし、来年移植について考えてみることにした。

自宅に帰ったのは1時半であった。さすがに疲れた。

夕方には政策推進室の3人が来てくださった。もう遅いのでと玄関先での会話となったが、最近日記も一日おきで、サボっているのがばれているらしい。八戸出身の網野孝四郎氏が著わした「存在の証」という本を持ってきてくださった。


2004年10月11日(月) 映画

ここ2・3日映画をみている。
「アウトロー」    クリント・イーストウッド
「ターミネーター」 アーノルド・シュワルツェネッガー
「オリバー」     マーク・レスター
などだ。このところ、最近導入したHDD&DVDレコーダーが大活躍だ。何しろHDDにメディアの差し替えなしに200時間以上の録画ができるものだから、これはと思うものは、片っ端から録画しておく。そして、ヒマのときに思い出して鑑賞するのだ。ワンタッチで録画予約ができるのでまことに便利だ。しかも見た後にあわてて消去することもなく、保存できる。

中には以前に見たものもあるが、何回か繰り返し鑑賞するのもまたいいものだ。今日までに見たものでも今後また何度か見直すことがあるかもしれない。

なにしろ最近のテレビ番組にまとものものが少ないのにはがっかりさせられる。ニュースや映画のほかに観るべきものが少ない。残念である。


2004年10月09日(土) 台風のニュース

首都圏では台風22号が上陸したせいで、大混乱になっているようである。大雨や強風で交通機関に大きな影響が出ているし、街行く人たちも水浸しだ。NHKは番組を変更して、ほとんど一日中台風のニュースばかりになった。

台風が関東地方を抜けて東北地方に入ってからも止めずに台風のニュースを続けてほしいものだ。

昨夜BSで「坂本九音楽祭」があった。坂本九の歌を現在の歌手たちが、坂本の思い出を交えながら歌っていくというものであった。改めて坂本九はいい歌を残していると思った。


2004年10月07日(木) 願わくは

最近テレビを見ていて気になること。
「願わくば」
正しくは
「願わくは」
である。インタビューなどされて、「願わくば」と言う人が多い。

どうしても「ば」と言いたいのであれば、
「あわよくば」
がある。違わないように使用したいものだ。

今日は昨日までと違い、暑い日だった。汗ばんで何度も着替えをしなくてはならなかった。そして久しぶりにエアコンを使用した。


2004年10月05日(火) リンボウ先生登場

職場から郵便で荷物が届いた。ちょっとした書類や本などであった。その中に本が2冊あった。
・博士の愛した数式 小川洋子
・水素の時代     最首公司
川井部長が差し入れしてくださった。さっそく読んでみたい。

一緒に入ってきた文書の中に、毎日新聞社が出している「郊外に暮らす幸せ!」という雑誌のコピーがあった。記事は作家林望のインタビュー記事だった。
「郊外暮らしの思想はイギリスに学べ。私の理想の郊外は八戸です。」
だと。その根拠を探ってみたら、以下に引用してみる。


 私は常々、「余生は八戸で過ごす。」と言っています。
 八戸に、私は何の縁もないんです。でも、こう考えました。
 東京は、住むには暑すぎる。冷房なしで夏に暮らすのはほとんど不可能です。イギリスの気温ぐらいの場所はないかと探すと、岩手県以北なんです。それも太平洋岸。たいして雪が降らずに、冷房もいらない。豊かな平野を背景にして米があり、海産物がおいしい。海辺の街なので山海の珍味に満ちています。平地で、冬でも車で動ける・・・という条件を満たすのは「八戸」しかないという結論です。

なんという賢明な選択だろう。全くその通りである。雪が降らないだけでも大きな価値がある。そこのところを見通していて、林望はただのイギリスかぶれではないとい再認識した。

リンボウ先生のホームページ⇒http://rymbow.hp.infoseek.co.jp/


2004年10月03日(日) 鳥のさえずり

今朝おびただしい数の鳥のさえずりに目を覚ました。

我が家の敷地の隣には立派な庭地がある。これは八幡の鶴子まんじゅう屋さんの趣味で庭木を植えたり盆栽を並べたりしている数百坪の土地であるが、建物も無く庭木だけで、我が家に隣接しており、まるで我が家に続いた土地のように見えるのである。

この庭に今朝はたくさんの小鳥たちがきて一斉にぴーちくとさえずりはじめたのだ。それがまるで騒音のように耳について目を覚ました。これまでで初めてのことだ。我が家に近い側にナナカマドの木があるが、その実を目当てに鳥たちが集まったのだろうか。素敵な目覚めであった。


2004年10月01日(金) 慶長さんの講演会

先週の24日、八戸商業高校と八戸高校で「高校生のための講演会」として、慶長寿彰さんの「メジャーデビューしようよ」が講演された。その商業高校での模様を撮ったビデオが、いとこその1から送られてきたので、さっそく見てみた。以前商業高校に勤務していたのでお誘いがあったようである。

夢を実現するためには、彼の座右の銘でもある「明確な目標と強い意志が必要である。」このことを高校生たちに強調していた。


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