山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年12月31日(水) 【写真付】大晦日

退院する人は退院し、外泊の人は外泊し、部屋には私と伊藤さんと二人だけが残った。さすがに年末になって患者が少なくなり病院内が静かになった。

病院のおせち
病院の食事もおせちが登場した。
ごはんに年越しそば。
おせちには大きな数の子、昆布巻き、伊達巻、かまぼこホタテ、羊羹
などなど。とりあえずそれらしい料理はそろっていた。内容の充実度は別にして、こういう気持ちというか配慮がとてもうれしい。

大晦日といえば紅白歌合戦である。病院でも食堂を12時まで開放するという。でも病室のほうは私を含めて二人だけなので部屋で見ることにした。出場者でよくわからない名前があるのものだ。例えば
175R ⇒ 「イナゴライダー」だそうだ。ロックバンドだった。

もっと良くわからないことに、布施明に対する紅組の対抗馬が松浦亜弥【通称:あやや)というへたくそ新人歌手だったことである。布施の曲は「君は薔薇より美しい」という、あのオリビア・ハッセーを口説いたときの歌だとか。布施に対してとっても失礼なのではないだろうか。

最近キーの高い男性が多くなったのか、ファルセットを使う楽曲が流行である。流行だからといって安易にみんなやってほしくない。多すぎ。美しくもない裏声を出している輩が多いこと。やはり平井堅レベルにならないと使って欲しくないですな。


2003年12月28日(日) 裕次郎のカサブランカ

夕べBS2で石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」を鑑賞した。鑑賞は大袈裟か。見てすぐに気づいたが、これはかの有名な「カサブランカ」のパクリである。

ハンフリー・ボガートのリックをを裕次郎が、イングリッド・バーグマンのイルザを浅丘ルリ子が演じている。それを日本版に焼きなおして内容がそのままかぶっているから、次に何をしゃべるか大体判ってしまう。恥ずかしいくらいだ。といいながら、最後まで見てしまった。

国立国語研究所が外来語の日本語への言い換えの提案をしている。なかなか面白いのでリンクを貼ってみた。例えば
インフラ ⇒ 社会基盤
ポテンシャル ⇒ 潜在能力
グローバル ⇒ 地球規模
コア ⇒ 中核
コラボレーション ⇒ 共同制作
セクター ⇒ 部門

などなど。単純な言い換えの提案だけではなくそれぞれ詳しい解説もついているから一読してみてはいかがか。


2003年12月27日(土) メジャーリーガーをみる

今日は朝から腰が痛い。一日中ベッドの上だ。
こういう日は本を読むかテレビをみるか、はたまた寝てるか。
午前中は点滴をしている間眠った。

午後はBSで「メジャーリーガー」を見る。
松井
イチロー
野茂
長谷川

気が紛れた。

慶長氏のHPに記載があったが、山本晋也監督と成田で会ったとか。今日のテレビで(朝日系)わかったが北朝鮮はピョンヤンに行ってきたらしい。私からみれば明らかに相手のルートに乗った取材だと思われたが、最後に監督は「北朝鮮のプロパガンダに乗せられた取材だとは言わせない」なんて言っていた。


2003年12月26日(金) 【写真付】七福神宝船段飾り

昨日の夕方、突然娘夫婦がきた。歯が痛くて歯医者へ行ったら親父らずを抜かれ、痛みに耐えて勢いで仙台の光のページェントを見に行った。その帰りに医大病院に寄ったというわけだ。お土産にずんだ餅とさつま揚げ(笹かまぼこではない)を買ってきてくれた。

ずんだ餅は小さな箱に大きめの餅が4個入って、その上にずんだがたっぷりとまぶしてあった。1個は娘婿が、1個は妻が、そして1個は私がいただいた。そして1個残っているはずだったのに、昨日のうちに妻が食べてしまった。日持ちがしないからとかなんとか言って、夜のうちにこっそり食ってしまったらしい。俺へのお土産ではなかったのか。

さつま揚げはおでんのように串にさして揚げた手作りのさつま揚げだ。ごぼう味、人参味、イカ味、えび味があった。こちらは一人に一枚ずつ。私がいただいたのはイカ味だった。食堂の電子レンジでチンしてもらい食べたがなかなか美味であった。

田中さんからいただいたお正月飾り「七福神宝船段飾り」
途中まで書いている日記を覗いた妻が
「ずんだは私へのお土産だ。」
と言い張っている。どうかと思うが読者の皆さんはいかに。

何度かお見舞いにも来ていただいている旧来からの友人でお世話になっている田中ふさ子さんから、とっても素敵なお正月飾りを医大病院宛に送っていただいた。これは独り占めしておくわけにはいかないのでぜひ皆さんにお披露目したい。

「七福神宝船段飾り」
上段左から、毘沙門天、弁財天
中段左から、大黒天、布袋、恵比寿
下段左から、福禄寿、寿老人

この手の飾りとか人形に目の無い妻は大喜びで周りの患者さんたちの気を引くのに必死だ。みんなに見てもらいたいと、今度は集会室のほうにまで持って行って飾った。一足早いお正月であった。


2003年12月25日(木) おがまいなぐ

部屋の端っこの住人(じさま)は明日で退院だが、この人なかなかの神経質である。何かするとナースコールして看護婦を呼びつけ話し込んでいる。食事の後、私の妻がお膳を下げてあげようとしたら
「どうぞ、おがまいなぐ」
看護婦にやらせる仕事だといいたいらしい。それ以来妻はかまわないことにした。
それにしても、病室はいまどきの病院にしては珍しく7人部屋に7人満員だ。私たち血液内科の患者、脳梗塞で神経内科にかかっている患者、これはどちらも第三内科の分野かな。それに眼科の患者まで混じっている。まるで野戦病院のようである。


夕べJ-WAVEを聴いた。その中で「畠山美由紀」という歌手を紹介していた。あまりにカレン・カーペンターに声が似ているので自分でも驚いているというコメントがあった。番組では「Yesterday Once More」を歌っていたが本当にソックリだった。そのほかの歌もぜひ聴いてみたいアーティストである。

22時からは「Oh! My Radio」水曜日は平井堅だ。今週も聴いてしまった。Ken's Walkerのゲストはノルウェイの新進歌手マリア・ソルヘイムだ。なかなか素敵な人である。写真を見てもかわいいし。歌を聴いても癒される雰囲気あるし。

紹介サイトから

マリア・ソルヘイムの日本デビューアルバム。オリジナルタイトルは「Behind closed doors」で、本国ノルウェーでは二枚目のアルバムにあたる。現在21才の彼女は、15才から作曲と歌を始め、17才でデビューを飾った。小説も手がける多才なアーチストだ。アルバム発売のプロモーションのために来日、12月3日に東京でライブを行なう。


今日のニュースで知ったが、松井秀喜が公式ホームページを開設し、子供たちに対して野球教室を開く広報をしているそうだ。そこで早速のぞいてみた。さすが松井である。参加無料で200組の親子を招待するんだそうだ。来年も活躍間違いなしだ。


2003年12月24日(水) 【写真付】クリスマス・イブ

クリスマスイブの夕食メニュー
今日はクリスマスイブである。病院の食事にもケーキがつくという噂で、なかなかやるものだ。クリスマスをベッドで過ごさなければならないものにとっては、ちょっとした慰めになるだろうか。と期待していたら、朝も昼もケーキはつかない。夕食につくのかな。それとも単なる噂か。はたまた明日のクリスマス本番につくのか。といっているうちに夕食につくことが判明した。

今夜ののメニューを紹介しておこう。
米飯
クリームスープ
ローストチキン
グリーンポテト
フレンチサラダ
クリスマスケーキ
である。さすが医大病院、おしゃれである。

これまで普通の年なら、私の手作りのケーキでクリスマスを迎えていたはずである。といってもどんなケーキを作るかといえば、チーズケーキかチョコレートケーキ、あるいはいちごのショートケーキあたりだ。「ブッシュ・ド・ノエル」はまだ作ったことがない。見栄えをきれいに仕上げる自信がないのだ。昨年は下の娘がこの「ブッシュ・ド・ノエル」に挑戦していた。私もそろそろやってみようと思っていたあたりだったのに残念である。

もう一つクリスマスといえば、イルミネーションである。ここ2〜3年、我が家では庭の垣根に回してあるフェンスに、イルミネーションをつけ、12月に入ってから毎晩盛大に点灯していた。近所ではうちだけなので大変な評判になっていた。それが今年は点かないのだからあたりは寂しいに違いない。これを見たさにうちの前を通る人もいたくらいなのに。

ところでこの医大付属病院の看護婦さんで、またまたソックリさんを発見した。熊谷さんという看護婦さんが、私たちのマドンナ(だった)松浦富士子さんにあまりにも良く似ているのだ。顔かたちだけではなく、声や仕草までも似ている。もしかしたら姉妹ではないのと思いたくなる。最初に見かけたとき彼女と同級生である妻とも思わず顔を見合わせたぐらいだ。世の中には本当に良く似た人がいるものだ。


2003年12月23日(火) ネコ番組の日とチョンガキムチ

今日も腰が痛い。今日から痛み止めの経口モルヒネ「MSコンチン」2錠が再び投与されることになった。

今日はまるでネコの日だ。
午前中「マルタの猫」という番組を見た。マルタ島に住み。野良猫の世話をする人の、猫との関係を描いた番組だった。


午後からは「決定版ねこ大百科」を見る。昔は図書館で、本をかじるねずみから守るためネコを飼う習慣があったそうだ。

ネコ好きにはたまらない一日だ。

「どのネコも世界に一匹しかいないかけがえのないネコ」


先日福田先生からいただいた「チョンガキムチ」について、ちょっと書いておきたい。日本にはないタイプの小さな先のごろんとした大根で、サイズはちょうど10センチぐらいか。これをまるごとキムチで漬けてある。一本まんまがりっとかじる食感がたまらない。福田先生がはまるのもわかる。

ところでなんで「チョンガ」キムチなんだろう。その大きさ、太さ、サイズが何かを連想させるからか?え?いったい何?後で福田先生から聞いてみたい。


2003年12月22日(月) 短歌指南3

先日風子さんあてに最近詠んだ私の歌を送り、添削してもらったのが昨日届いた。「風子の短歌指南」を更新しておいたのでぜひ見て欲しい。添削してもらうとなるほどとうなずいてしまう。

今日も腰が痛い。今日は特に痛い。どうしてこんなに痛まなきゃいけないんだろう。いい加減に良くなってもいいのにな。

がまん、がまん。


2003年12月21日(日) 【写真付】チョンガキムチ

パソコンのデスクトップの絵を変えた。上小林さんという看護婦さんが自分のにゃんこの写真を持って自慢して歩いていたので、それに対抗して我が家のハイドをデスクトップに貼り付けてみた。

その後、その看護婦さんがちょうどやってきたので見せ付けてやった。かわいいだろう。

福田先生からいただいたチョンガキムチ
武蔵野大学の福田先生がホッケーの仕事でソウルへ行ってきたそうだが、お土産にチョンガキムチを買ってきてくださった。なんと今日、クール宅急便で岩手医大付属病院へ届いた。こういう「チョンガキムチ」というのがあること自体知らなかった。ここで広げては部屋中に匂いがするかと思い、妻のアパートで詰め替えてきてもらうことにした。今日の夕食は進みそうだ。

福田先生は、今度は北京へ行くのだそうで、こっちのほうもお土産を期待してしまいそうだが、あまりにずうずうしいのでおねだりは止めておく。中国のお土産はソンバンさんがいるからそっちにお願いしよう。

昨日政策推進室のメンバーが持ってきてくれた、秋に行われた「地方自治経営学会八戸地区研究大会」の模様を映したDVDを1時間ほど観た。長時間座っているのがつらいのでこのぐらいずつ小刻みに観ようか。それにしても我らの三村知事もなかなかの論客である。うちの市長でなくて良かった。




2003年12月20日(土) 【写真付】政策推進室全員集合!

政策推進室全員集合政策推進室のメンバーが全員岩手医大付属病院中病棟7階食堂に集合した。昨夜から一泊で繋温泉に忘年会を兼ねて宴会をしたそうで、その帰路に私のお見舞いも組み入れてくださった。政策推進室プラス次長11名がおいでくださった。

どの話題も楽しかった。部内でのあるハプニングの話や、やはりよしこちゃんの話は楽しい。普段の仕事量から見ると皆の顔色は比較的良い。健康そうだ。夜遅いのも規則正しい生活をしているのだそうだ。

昼は盛岡名物わんこそばに挑戦するそうだ。アルバイトのちはるちゃんとささやんには60杯がんばれ、磯ちゃんには120杯と注文をつけておいたが、さてどのぐらい食べられたろうか。誰も吐かないで食べただろうね。昨日のアルコールが逆噴射しないよう祈る。

次長は盛岡で宝くじを買っただろうか。岩手で年末の夢をかなえたいところだ。でも私も買ったから私の夢を奪わないで欲しい。次長には当たらないでね。

室長がお見舞いしてくださるときには、いつも思うのだが、抗がん剤の副作用により私の髪の毛が抜けて、ご自身と同じか私が勝つことを期待しているような雰囲気がある。今日もそんな気配を感じた。しかし残念ながら今のところ私のほうは室長に追いつきそうもない。

最後にみんなで集合写真を撮った。職場で集合できることを祈りたい。

ベッドで平井堅の「Ken's Bar」を聴いてみた。このアルバムはアコースティックなサウンドにこだわったというだけあって、ピアノやギター、ベースの伴奏で歌っている。ベッドで聴くには最高だ。最後に「見上げてごらん夜の星を」を坂本九とデュエットしている。今の時代だからできる荒業だ。

昨日は「ベスト・オブ・サラ・ヴォーン」を聴いてみた。


2003年12月19日(金) 軟性コルセットできる

軟性コルセットが出来上がった。午後4時過ぎに装具屋さんが持ってきた。こっちの装具屋さんもなかなかの勉強家で、以前八戸で作ったコルセットを見て研究していった。
「第10胸骨なんだから、これでは高さが足りない。骨に当たる所をフェルトを巻き込んで痛くないようにしてあげないと・・・。」
などと批評していた。つまり自分の方が優れていると言いたいのだろう。

東京のマリリンから、エラの「The Darn Hot」の中でどれがお気に入りかという質問がきた。そこで取り急ぎ全曲じっくりと聴いた結果、17曲から3曲を選ぶとしたら
1.I love you Porgy
2.Mack the Knife
3.Signing Off
の3曲を選んでみた。マリリンの応援掲示板への書き込みが、本名からマリリンに変わったのは、 もしかして「マリリン」の名前でジャズを歌っているのかと思ったりする。だったら俺のお気に入りの曲を歌ってくれるのかな。

歌詞を聴いていて思ったのだが、なぜか「ain't」が多用されていると思った。「am not」の短縮形と習ったが、歌詞だから語呂合わせの意味もあるのかな。

今日は選択食だったので、夕食のメニューを紹介したい。
・米飯
・みそ汁
・ピザ風チキン
・サラダ菜
・粉吹芋
・人参グラッセ
・卵豆腐
・あん
・れんこん金平
と、すごいメニューが書かれているのだ。全部で804kcalだ。でも良く見たらこのうち、サラダ菜、粉吹芋、人参グラッセが載っていなかった。どういうことだ。これは配膳ミスであろう。粉吹芋食いたかった。人参グラッセ食いたかったぜ。クレームするのも面倒なのであきらめて泣き寝入りした。


2003年12月18日(木) それいけ「看護婦ランキングB」

夕べクローズアップ現代「駐留続く米兵と家族」を観た後、20時からBS2で映画「バルザック情熱の生涯」を観た、2時間で終わるものと思って観ていたら、前編だけだった。今日も続きを見なければならない。睡魔に襲われず観られるかな。

昨夜からサリドマイドを飲む量が、夜寝る前に1個から2個へ倍増した。元々睡眠薬なのだからすぐに眠くなるだろうと思っていたが、それがなかなか眠くならない。

そこで22時からはJ−WAVEというラジオ番組を聴いた。水曜日は平井堅がDJをしている。今や人気絶頂であるがDJはへたくそだ。おしゃべりのところはまだ良いのだが、原稿を読むシーンではよく間違う。間違うとその文の先頭に戻って読み直すところがかわいい。

23時になっても眠くならない。J−WAVEは終わらない。強制的に目をつぶった。

今朝突然くしゃみが出たときに腰にズキッと痛みが走った。まずい。せっかく回復してきたのに一週間ぐらい逆戻りしたような気分である。トイレに立つのも慎重、慎重。

午後妻が買い物に行くというので、買い物を頼んだ。まず宝くじだ。発売期間は明日まで。所さんの赤穂浪士のコマーシャルを見るたびに妻に買ってくるよう話していたが、今日やっと買ってもらった。盛岡で2億円の夢をかなえたい。それと平井堅の「Ken’s Bar」とエラ・フィッツジェラルドの「『Too Darn Hot』The Best of Ella Fitzgerald」の2枚である。ゆったりとベッドの上で聴きたい。

さて、本日のメインイベント『看護婦ランキングB』

なぜランキングAかなくていきなりランキングBかというと、部屋によって担当する看護婦のチーム分けがされており、私の部屋はBチームの担当だった。今日から部屋が移るので、看護婦担当チームがBチームからCチームに移る。

そこでBチームのランキングを急いで付けておきたい。(しかし、全員マスクをしているので目だけの鑑定)

美人系・・・・・・・No.1 木戸場さん・・・・美しいがちょっとクール
          吉田さん、三上さん・・・声を出さないとどっちがどっちだかわからない。

かわいい系・・・・No.1 細田さん・・・・・美人系に入れても良いが、若いので先ずかわいい。
          後藤さん・・・・・・・・・・・背が高いが若くてかわいい
          中村さん、元田さん・・若くて仕草がかわいい
やさしい系・・・・・No.1 高橋さん・・・・・腰を痛めて寝込んだときに献身的に介護してくれた。
          山岸さん、佐藤さん・・どの看護婦さんも優しいが特にやさしい。
                        この二人も目だけでは見分けが付けにくい。


今日で看護短大の実習生の実習が終了した。今日は脚を洗ってもらった。専門用語では『足浴』というらしい。夕方、どうもお世話になりましたとあいさつにきた。

その後に教官が来て、実習にお付き合いいただいてありがとうございましたと挨拶に来た。おとなしい子なのでコミュニケーションがうまくいったか、何か不都合はなかったか、心配していた。とてもうまくやってもらったと話しておいた。


2003年12月17日(水) 新しい治療スタート

今朝は非常にだるくて起き上がるのが辛かった。そろそろサリドマイドの作用が出てきたか。

今日から新しい治療が始まった。サリドマイドの分量が増えるほかに、ステロイド剤であるデキサメサゾン(デカドロン)の点滴を午前中にした。サリドマイドとステロイド剤併用の治療が始まったのだ。

そして血栓を予防する皮下注射ヘパリンを午前10時と午後5時にした。1日2回の皮下注射なのでそれぞれ左と右にしてもらった。薬液が2ccもあるので痛い。よく揉まないとタコのようになる。

昼食後間もなく、シャワーをした。今日は実習生に手伝ってもらった。勝手がわからないらしくおどおどしていたが、妻が言うとおりにお湯をかけたり一生懸命にやってくれた。実習生には中年男のヌードを見るのも辛いだろう。

夕方5時にまたヘパリンの皮下注射をする。1日2回ずつだそうだ。

夕食時に車椅子からベッドサイドに移ろうと思い立ち上がったら、強い動悸とめまいに襲われた。横になって看護婦さんに助けを求める。血圧は正常だが脈が速い。数分横になっていたら元に戻った。一瞬治療のせいかと思ったがそうでもないらしい。


2003年12月16日(火) 治療法変更

夕べで痛み止めのコンチン錠(経口モルヒネ)の服用が終わった。7月の手術後ずうっと飲み続けていたコンチンだが、効いているのか」いないのか良くわからず、こちらの先生が「やめにしましょうか」ということで、やめてみることにした。もともと骨の痛みというのは感じていないのだから、なくてもいいのだろうという気がする。

今日は週一回の教授回診の日だった。いつものように石田助教授を先頭に十人ぐらいも来ただろうか。主治医の先生が経過と現在の治療法を説明した。サリドマイドが届いたのでとりあえず単独で投与している。

そこで助教授が単独の場合と化学療法を組み合わせた場合との有効率を質問したり、併用した場合の血栓の発生するリスクの問題とか主治医の先生と議論になった。その場は議論を打ち切り、あとで話をしよう、ということで次の患者さんに回っていった。

しばらくして主治医の先生がきて、やはり化学療法を組み合わせて治療することになった。効果の発現率がぐんと上がるのだ。血栓については、血液が流れやすくする注射をしながらリスクを回避する。効果が出て欲しい。

午後になって思いがけない二人が来てくださった。酒飲み友だちであるさくらさんとすみれさんである。新幹線で来たそうだ。トンネルばっかりだったでしょ、と聞いても、おしゃべりばかりしていて外の景色がどんなだったか全く覚えていないのだそうだ。よく盛岡で乗り越さなかったものだ。

さくらさんとは八戸高専の話題で、すみれさんとは書道クラブの話題で盛り上がる。本当にこの二人と話していると話題が尽きない。そのうち娘の婚礼写真を見たいという話にまでなった。見せびらかしたい妻は待ってましたとばかりに持ってきて見せていた。

最後に妻と私にクリスマスプレゼントまで頂戴した。本当に楽しいひと時を過ごさせてもらった。


2003年12月15日(月) ひじに溜まった水を抜く

散髪をしてもらった。こちらの病院に転院する前に前の病院でスポーツ刈りにしてもらったきりである。1ヵ月半もたちヤマアラシのようになっていた。

病棟の地下に床屋があるのだが、車椅子で行くのもままならないので、病室のほうにきてもらった。床にシートを敷いて、その上に車椅子を移動し、そこで散髪してもらった。そろそろ伸ばしたいので、裾を刈り、そろえてもらった。洗髪や顔そりができないので早いものだ。30分ぐらいで終了した。

やはり見た目にもさっぱりしたらしく、看護婦さんたちにさんざん冷やかされた。
「てっぺんももっと短くすれば良かったのにぃ。」
「かっこよくなったわよー」
「短いほうが白髪がめだたないんだよ。」
なんとでも言ってくれ。

ひじの腫れを診てもらうために整形外科に呼ばれた。リハビリなどで左腕の関節を使いすぎたために、水が溜まったのだ。
「抜きましょうね。」
と先生は太い針のついた注射を取り出し、
「ちくっとしますよ」
といいながら「ぶすっ」と刺した。「ちくっ」ではなく「ぢくっ」であった。10cc弱もあったろうか、水が抜かれた。水が溜まっただけで痛くはない。これは再発するらしいが付き合っていくしかない。


2003年12月14日(日) 霧の盛岡

今朝の盛岡は深い霧に包まれていた。朝7時前になって看護婦さんがカーテンを明けに来た。
「今日はすごいわよ。ロンドンみたい。」
へっ、ロンドンの霧を見たことがあるのか、と思ったら
「見たことがあるのかって思ったでしょ。行ったことないんです。」
私が突っ込む前にかわされてしまった。

隣のビルも見えないほどに乳白色だった窓の外も、朝食を済ませる頃には半分ぐらい晴れてきた。

午前中横になっているところへ、水道企業団の田中光彦さんが来てくださった。明日と明後日東京・埼玉に出張なので、1日早くでかけ、私のところに寄ってくださったのだそうだ。田中さんは一昨日寄ってくださった田中ふさ子さんのご主人である。娘の婚礼写真の話でいろいろと盛り上がる。彼とは青年活動や郷土芸能保存会などで長いお付き合いがあり、たいへんにお世話になっている。今回もたくさん励ましてくださった。

今日気がついたのだが、左ひじの関節が腫れている。数日前からなんとなく違和感があったのだが特に気にせずにいた。今日触ってみたらひじの骨が当たるべきところが、軟らかくふわふわしている。看護婦に相談したら、先生に診察してもらいましょうと言われた。先生は内科で専門外だから整形外科へ行けとか言われるんだろうな。


2003年12月13日(土) 副作用?は眠気

夕べから飲み始めたサリドマイドが効いている。さすがに元々睡眠薬として作られただけあって、1カプセルだけだったが今朝起きてからもまだまだ眠い。午前中2時間近くも眠ってしまった。

途中で主治医の鈴木先生に起こされた。
「眠いですか。」
眠っているところを起こしておいて、「眠いですか」は無いだろうと思うが、眠いと答えると、そのまま眠ってなさいというジェスチュアをして帰っていった。そしてまた眠りに落ちる。

昼食後、車椅子に座っているのに疲れてベッドに横になると、すかさず睡魔に襲われる。雑誌を読もうとしたが1ページも進まないうちに眠りに落ちた。3時ごろに目覚める。さすがにこれではまずい、昼夜が逆転すると思い、起き出す。

日中カフェインの入ったコーヒーなどを摂取し起きていて、夜は薬で眠るという具合にする方法もあるそうだ。今日は紅茶を飲んでみた。夜眠れなくなったりしないだろうな。紅茶は最近はやりのレディグレイである。やはり香りが抜群だ。

今日は病院にいながらインターネット・ラジオを試してみた。イングリッシュ・ジャーナルという英語学習雑誌の記事にあったカナダのラジオ局「Radio Canada International」である。このほかにVOAやBBCも受信できる。オランダやチェコの放送局も紹介されていた。退院したら聞きまくってやろう。


2003年12月12日(金) サリドマイド開始

今日は朝からみぞれが降っている。それも明るくなる頃には大粒の雪に変わった。盛岡は雪がけっこう降るそうである。

午前中に整形外科の診察があった。今まで硬いコルセットをしていたが、今度軟性のコルセットを作ることになった。午後にコルセットを作る専門の業者がくるそうだ。リハビリもそろそろリハビリ室でどうかと質問したら、軟性コルセットができてもう少し自由度が上がってからにしましょうということだった。

午後うとうとしていると、バスケットボール部の後輩で藤崎町で土建業を経営している小笠原康修氏が来てくれた。仕事が少なくて難儀しているそうだ。どこも不景気で大変そうだ。彼は本当にバスケットボールが大好きで、思い入れが人一倍強い。その分OB会への思いも強い。OB会の運営についてもいろいろと提案をしてくれた。わざわざ弘前から来てくれてありがたい。

とうとうサリドマイドが到着した。主治医の鈴木先生が薬の功罪について説明してくださる。サリドマイド単独では効果が発揮されたのが30%ぐらい、化学療法と併用した場合50〜60%ぐらいだそうだ。しかし副作用もあるらしく、特に深部静脈血栓を起こす場合があり、化学療法を併用した場合にリスクが高い。そこであまりからだの動きの良くない私の場合、血栓のリスクを回避するために、まずサリドマイド単独で投与してみることになった。数週間投与することになるだろう。

「様子を見て八戸の赤十字病院に、我々の仲間がいますから。」
あとはそっちで面倒見てもらえということだ。私としても八戸の病院に移れる方がありがたい。とりあえず今月いっぱいこちらで様子を見るという先生の話であった。

夕食前に、小中野で美容室を経営している田中ふさ子さんが、盛岡で行われた講習会の帰りだということで寄ってくださった。持ってきてくださったのは娘の花嫁写真。先日十和田のある写真館で撮影したときに、田中さん自身が持ち込みのカメラで撮影してくださったものだ。赤い内掛けや白無垢、黒の振袖、純白のドレスに赤のカクテルドレス、それを見た妻は大感激で何度も見返していた。


2003年12月11日(木) 輸血

今朝目を覚ましてみると快晴であった。窓越しに岩手山がきれいに見えている。岩手山がきれいに見えているとき、また近くに見えるときは外の気温が低く寒いことの証なのだそうだ。大船渡出身の看護婦さんが教えてくれた。

貧血状態が強くなってきたので午後から輸血をした。血小板とかいうのなんだろうけど、本当に真っ赤っかでどぎつい。2時半ごろからはじめて6時ごろまでかかってしまった。途中でリハビリの先生がきたが、輸血のチューブがつながっているのを見て、今日はやめておこうかということになった。リハビリの齋藤先生、赤いのを見るのが苦手なんだそうだ。病院勤務らしくもないぞ。

輸血をしている間、水戸黄門を観る。昨日は八戸、今日は青森が舞台だった。盛岡は過ぎてしまったか。今週はみちのくが舞台だったから見逃す手はなかったのに残念。


2003年12月10日(水) 看護短期大学の実習生

今日から看護短大の実習生がついている。一人の学生が一人の患者について、いろいろ学ぶらしい。

私付きの実習生は大槌町出身の千葉さんという小柄な美少女。午後から
「体の調子はどうですか?」
とやってきた。私の方は相変わらずで、腰の痛みも動かなければ発生しない。特にパソコンをいじっているときが姿勢が悪くなるので、長時間やらないようにしている。ということで、あとは世間話になる。

ちょうど年賀状作成ソフトをいじっていたので、年賀状の話になった。私は数年前までは版画を刷って賀状を作成していた。ひところ本当に凝って、多色刷りに挑み、最高で5色刷りぐらいまでやったことがある。いつも28日の仕事納めが済んでから、自室にこもって棟方志功になったつもりでうちこんだ。出来上がるのがいつも大晦日の夜で、除夜の鐘を聞きながら賀状を書いた。だから元日に届いたことがない。

それも平成6年に変わった。三陸はるか沖地震が発生したのだ。このときは年末年始、職場に出ずっぱりだったので、年賀状を作成するヒマが無かった。家にあった中古のプリントごっこを引っ張り出し、いい加減な賀状を作成して誤魔化したことがある。

これを機に私の年賀状も版画の熱が冷め、いい加減になってきた。昨年からはとうとうパソコンになってしまった。やってみるとなんて簡単なんだろう。絵を貼り付けて文字入力をして印刷、宛名入力なんかお手の物で一晩あれば自分の分ぐらいは入れてしまう。簡単でしょうがない。

実習生の千葉さんは出す年賀状の数も少ないので、すべて手書きだそうだ。でも手書きに勝る賀状はあるまい。一番温かみがある。誠意が伝わってくるというものだ。

毎年もらった年賀状を整理するとき、ある種のランク付けをしている。ジャンルごとに分けそのジャンルに順位をつける。そしてそれぞれのジャンル内でも優劣をつけるのだ。(これは全く個人的な遊びであり、他意はない。)私が分類したジャンルをランク付けすると次のようになる。
第1位 手書き
第2位 版画
第3位 その他の手作り
第4位 プリントごっこ
第5位 印刷

毎年年賀状は以上のような順に整理されている。


2003年12月09日(火) 痛み止め減らす

朝食後、婦長さんが各部屋を回っていた。
「今日は回診がありませんのでお知らせしておきます。」
今日回診予定の先生に出張者が多いため、今日の回診は取りやめになったのだそうだ。回診以外で婦長さんを見たのは初めてだ。
「回診があると、いつ来るかいつ来るかと、緊張して待っているんでしょ。」
その通りである。あんなにぞろぞろと十数人も来るのだから、緊張しないわけがない。早速午前中、お昼まで寝てしまった。

午後シャワーを浴びた。妻から背中の手術痕を見てもらったら、ずいぶん薄くなってきているそうだ。定点観測の写真を掲載しないうちに消えてしまっては大変。今度娘がきたときに撮影してもらわなければ。

今日の院内放送
「トイレでタバコを吸っている方がいらっしゃるようですが、院内は禁煙ですので、タバコは所定の場所でお願いします。」
これをきいた私、思わず
「誰だ、めっかったら一週間の停学だぞ。」
病室内大うけした。

今日から痛み止めである経口モルヒネが1錠減って、一日1回だけになった。普段痛みを感じていないので、減らしてみようということである。明日以降どうなることやら。痛みが出ないといいな。


2003年12月08日(月) タスクエラー

近所の、といっても実家八幡の近所の、消防団でお世話になった方のお嬢さんから、「山ちゃん宛てメール」をクリックしてもうまく送信できないというお話をいただいた。

これはリンク先を私のメールアドレスにしておいて、クリックしたらメーラーが起動するような仕掛けになっている。つまり普通はoutlook express が起動し、文章を打ち込み送信ボタンを押すと、自動的にメールが私のところへ送信される仕組みになっているはずだ。

ところが、彼女がいざ送信しようとするとタスクエラーが発生し、送信できないというのだ。


送信したあと、タスクにエラーが生じたとかで
1.送信者の電子メールアドレスが拒否されたためメッセージを送信できませんでした。
2.サーバーは接続を解除しました。サーバーまたはネットワークに問題があるか、またはアイドル時間が長すぎた可能性があります。


というメッセージがでるというのだ。これはいったいどちらに問題があるのだろうか。詳しい方、ご教示願えないだろうか。当方の設定に問題があるのであれば、これまでも送信に失敗した方がたくさんいらっしゃるかもしれないし、修正が必要だ。

掲示板にも書いたが、「山ちゃん宛てメール」で送信ができなかったということがある方、ぜひお知らせいただきたい。


2003年12月07日(日) 休職

午前中に新聞のスクラップをしているところへ、八戸高専バスケットボール部OB会の北川さんと工藤さんが来てくださる。上田さんも来る予定だったが、急遽仕事が入り来れなくなったとのことだ。

今日は工藤先生の運転できたそうだ。岩手県内は晴れているが、出かけるとき三八地区は吹雪いていたという。天気予報からいって盛岡も雪になるかと思ったらそれほど天気も崩れなそうである。

話題は専ら北川さんが通っているIT講習会のことに集中する。なにせ今はフリーの身、パソコン技術修得に専念している。しかし、今の時代、ワードやエクセルなどのソフトが使えるだけでは通用しない。ネットができなければ。北川さんにネットのできる環境を作るよう勧める。ネット社会だからね。本当に子供さんにパソコン取られちゃうよ。

ジュースやりんごのほかに、今回もたくさんの本や雑誌を差し入れてもらった。お借りした本から先に読んでしまわなければ。


午後になって政策推進室の山本さんが来てくれた。いわて銀河鉄道と青い森鉄道が、一周年記念で出している「盛岡・八戸乗り放題きっぷ」というのできたそうだ。期間限定で、盛岡・八戸間1日乗り降り自由で3,000円だそうだ。

職場からの書類もいろいろと持ってきてもらった。その中に辞令もあった。12月7日付で休職を命ぜられた。今後は2ヶ月ごとに経過報告をしなければならない。なかなか面倒なものである。

彼女にはいろいろとお世話になっている。前の病院では、彼女も通院していたこともあって、とても他人のような気がしない。本当にありがたい。


昨日の午後、「応援掲示板」を別のサイトに乗り換えてみた。今までのところは文字の大きさやフォントの形が気に入っていたのだが、表示件数が少ないのがたまに傷であった。今回のサイトでは100件まで残るので、かなり遡って読むことができると思う。せっかく書いてもらったのに、すぐに消えてしまうのはとてももったいないので。


2003年12月06日(土) 同級生交歓×2

昼食後、誰か来たと思い振り向いてみると、八戸高専時代の同級生高橋淳氏であった。昨年までは八戸の高瀬川工事事務所にいたのだが、4月からは仙台の東北地方整備局にうつり下水道を担当しているそうだ。同級生の岩舘が仙台出張の折に一緒に飲んだとき、私が入院しているということを知らされたそうだ。

そこまで話しているところへ、偶然というか示し合わせたようにその岩舘弘道氏がやってきた。家族旅行の途中に立ち寄ってくれたそうだ。三人で同窓会のようになった。他のクラスメートの話や、下水道行政の話など、時間がすぐに過ぎてしまった。

わざわざ来てくれて本当にうれしかった。

二人が帰って、ベッドに横になったところへ、今度は小中学校の同級生、松田一氏と岩舘幹悦氏が来てくれた。こちらは地元八幡の話である。特に松田氏は櫛引八幡宮の責任総代をしているので、神社の境内整備の話をしてくれた。私も総代になっているので、情報提供をしておこうというところだ。こっちの岩舘氏は酒屋さんに勤めているので、専ら酒の話を教えてもらった。3年ほど神戸の本社に単身赴任していたことがある。そのときの裏話も面白かった。

松田氏は神社のお祭りの様子や防災フェスタの様子を写したビデオをDVDに変換して届けてくれた。前回も消防団のポンプ車操法大会の様子を写したDVDをいただいた。こういう地元情報をもらえるのがありがたい。明日は日曜日、ゆっくりと鑑賞したい。


2003年12月05日(金) 久々シャワー

ずうっと寝込んでいたので風呂にも入れなかったが、今日やっと看護婦の手を借りてシャワーをすることができた。本当にさっぱりとした。天国である。

いつもどおりに清拭にやってきた看護婦さんが、
「山村さん、お風呂に入れてあげたいのよねエー。ストレッチャーに寝たままで入れるんだけど、それでやってみる?」
ときたものだから
「ちょっとの間なら立っていられるから、立ったままシャワーでお願いしたいです。」
「じゃあ、先生に聞いてみるからね。」

という具合で、主治医の先生は、本人の痛みがなければどうぞ、ということだったそうだ。私は問題ないという回答をして何日かぶりのシャワーを堪能した。


2003年12月04日(木) 日記補填

このたび、腰を痛めるまでは毎日欠かさずつけてきた「山ちゃんの仕方がねえさ闘病記」も残念ながら絶対安静の2週間の間があいてしまった。

そこで今日はその2週間の間にメモをつけていた何日か過去に遡ってつけてみた。15日間全部(14日から28日まで)というわけにはいかず、虫食いになってしまったが、ご容赦願いたい。2週間の苦闘の様子がいくらかでも伝われば幸いである。


2003年12月03日(水) 人生に無駄な時間はない

野球のシーズンは既に終了したが、今年はベッドの上で点滴をしながらメジャー・リーグを堪能した。松井、イチロー、野茂、特に松井のゲームをワールド・シリーズまで見た。(この中に新庄が入っていないのがとても残念。)病院のテレビ(ベッドサイド・シアターという)はBSが入るので、全くの見放題であった。

松井は日本ではいろいろと言われながらも、すばらしい活躍をした。そして最近目に付くのは、ゲームでの活躍もさることながら、彼の野球に対する姿勢を絶賛する番組が放送されていることだ。

松井の野球に対するひたむきさ、人間性の良さ、トーリ監督との信頼関係など、テレビで何度も放映された。このことは日本中の誰もが認めるところであろう。

しかし、わが国に残っている選手でも、いい選手がいた。今シーズン電撃的に巨人に移籍が決まったダイエーの小久保である。彼はシーズン当初大怪我をして今シーズンを棒に振った。そしてスラッガーである彼を抜きにしてもダイエーはペナントを制し日本一も取ってしまった。どんな気持ちで王監督の胴上げを見ていたのだろう。察するに余りある。

日曜の朝「ザ・サンデー」という巨人おたくの番組がある。その中で小久保は、1年間つらかったかとか、怪我はもう大丈夫かなどの質問に対し誠実に回答し、シーズンを棒に振ったにもかかわらず、
「人生に無駄な時間は無い」
と語り、リハビリと練習に打ち込む姿には感動すら覚えた。スポーツ界にはまだまだこういう若者がいるのだという気持ちにさせられた。

翻って自分を見てみたらなんだ。ちょっと腰を痛めたからといって、また1ヶ月無駄にした、などと思っていた。これも回復までの道のりの一部なのだと言い聞かせ、治療に専念することとしたい。

来シーズンは、松井、新庄のほかに、小久保にも注目したい。


2003年12月02日(火) 教授回診

火曜日は第三内科の教授回診の日だ。第三内科は石田助教授という人に、婦長、主治医、その他の医師、そして多分研修生らしき数名と、総勢十名ほどでぞろぞろとやってくる。

この石田助教授、マスクをしているので詳しい表情はわからないが、目の感じからいって私と同世代だ。しかも前々から思っていたが、同級生で舘分団4班の「杉本勉」にソックリだ。お話を聞いていても頭脳明晰そうで、この辺も似ている、と言っておこう。

婦長さんは、この教授回診が唯一最大の行事らしい。この十数人の集団に入っている看護師は婦長一人だけだ。しかも助教授にくっついてかいがいしく働く。でもちょっと太めだったので、私の次の患者さんに移るとき、他の先生とベッドとの間に挟まり、一瞬身動きがとれなくなり慌てていた。

女性の医師や研修生も多い。今日の集団の中には、おそらく女性医師1名、研修生が2名いたと思われる。その女性研修生の仲にもソックリさんがいた。あの若干腫れぼったいまぶた、ちょっと眠そうな感じ、背の高さ加減、ヘアスタイル、どれをとっても「佐々木結子」ではないか。さて、彼女は名札をつけていなかった。いったい研修生なのか医師なのか。

昼近くに母と娘が見舞に来てくれた。来るなり娘が
「おばあちゃんがうるさくて疲れた。」
と早速愚痴を言われた。母は八戸盛岡間の新幹線に初めての乗車であった。面白くていろいろと娘に話しかけたらしい。たった30分ぐらい黙って聞いてやればいいのに。どうせ旅費はおばあちゃん持ちだろう。
自宅に溜まっていた郵便物を届けてくれた。


2003年12月01日(月) 毛虫取り

今日から師走、早いものだ。地下の売店ではクリスマス・ソングかかかっているそうだ。

昨日から車椅子に座る練習をしている。これが普通にできないと食事もパソコンも、どれもまともにできない。ベッドで腰掛けるところまでは良いが、そこから立ち上がり車椅子に移動する数十センチが大変だ。太ももに力が入らない。2週間でこんなに落ちてしまった。

妻が買い物に行くというので、CHEMISTRYの最新アルバムを買ってくるよう頼んだ。先日次長が来たときに、八戸で行うJR関係ののイベントで呼ぶかもしれないという話を聞いていたからだ。

私「ケミストリーのCDを買ってきてちょうだい。」
妻「?、『毛虫取り』ってなーに?」

私は療養中に落ちてしまった腹筋が引きつって痛いのなんのって、大変な思いをした。今の私に「爆笑」が一番の敵だ。そして買ってきてもらったのは最新曲のマキシシングルであった。


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