lazarusの日記
lazarus



 礼拝メモ

マルコ:5
*意味の後付

気づきがパーソナリティの変化をもたらす
(しみわたるように

*コテコテのクリスチャン

言われない体験を聴く

孫育て

来週は奏楽奉仕

麦の会で話すことのまとめ。

2003年09月21日(日)



 Y氏との会話(編集

ひとが躓き
重い悩むことの大切さ。
そのことの正常さ。
ひとにわかってもらえないつらさは
ひとをおもいやる強さへ変容する。
痛みは
本人自身のもの。

わからなくても
聴くことができる。
理解できなくても
追随できる。
人の知恵。
そうしようと思いさえすれば。

2年先の私は
また別な事を思っているかもしれない。
それもまたよし。

「部分的に自分と同じ重荷を負うている人」
(コテコテのクリスチャンで信仰の躓きを自由に自己開示できる意)
と、初めて話せたと実感した。
「これまで、誰ともこの話題について話せなかったのですか?」
「そうなんです。」
このことは私にとってどんな意味を持つのだろう・・・。
いびつな結晶を持つ氷が溶け
美しい結晶を持つ固形物の再構成。または
流動的な液体のまま
結晶を形造らず透明な姿でそこにある・・・・。

氷の攻撃性、つめたさ、かたくなさ。
水のやさしさ、ゆたかさ、変容力。

人それぞれ負うている
使命は違っていると思うけれど
同じ重荷を感じているのかもしれない。
「自分」
それから
「ANOTHER」

2003年09月04日(木)
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