たーげぶっふ(日記)...ゆるげん

 

 

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パムと再会!! - 2004年01月19日(月)

世の中は4月ですが、まだ1月の出来事です。
もう少しお付き合いくださいませ。

仕事が終わって帰り道。
自分は某ターミナル駅で電車に乗ろうとするところ。
先ほど到着したばかりの電車からバラバラと人が降りて改札口へと一斉に向かっていく。
ブロンドの髪の華奢な外国人女性がひとりその中にいた。
ドキっ!
パムそっくりだ!
自分とその女性とはかなり距離があるので、ホンモノかどうかよくわからない。
去年の秋、アメリカへ行くときに成田空港で彼女そっくりな人がいてドキドキしたが、近くで見てみるとよく似た別人だったことがあった。
今回もまた別人かもしれない。
わしは、女性とは反対方向に歩いて電車へ向かった。
しかし、ムシの知らせがした。
「そばへ行って確かめるべきだ!」と天の声が聞こえたような気がした。

振り返ると、その女性は改札からまだ出ていなかった。
立ち止まって鏡で自分の顔を点検している。
わしは駆け足で彼女に近づいた。
心臓がバクバク!

ホンモノだった!
なんで日本にいるんだ?
一体何が起こっているだ?
頭が真っ白で英語なんか出てこない!
彼女を目の前にして逆上!
大コーフン!
あわわ状態になりながら、なんとか言葉をつなぐ。

わし:「こんなところで何やっているの?」
彼女は、目を丸くして驚きの表情。
パム:「ナニー?ドウシタノー?」
彼女は日本語でそう言った。
わし:「ピースボートはどうだった?」
パム:「面白かった。エキサイティングだった!12月にピースボートから帰った後、しばらくイギリスに戻っていたの。まだ日本に来て3日目よ。ところでまだNに行っているの?」
わし:「もちろん」
パム:「また近いうちに会いましょう!」
彼女は右手を差し出した。
わしは彼女の手を握る。
冷たい!
わし:「ものすごく冷たいよ!」
パム:「日本は寒いもの」
この日の刺すような寒さにしては、彼女は比較的薄着だった。
お互いに「グッバイ!」で別れた。

「会いましょう」は、もちろん社交辞令。
いつ?どこで?と具体的なプランはお互い口に出すことはなかった。
よほどの偶然がない限り、また会うことはないだろう。

去年の7月初め頃に彼女がNを去ることをサーシャから聞かされ、
7月半ばに彼女の最後のレッスンを受けた模様を伝えたところで日記を途切れさせてしまった。
その後のエピソードをここに書いておこうと思う。

パムに会える最後のチャンスは7月末の日曜日。
その日はTOEICの受験日だった。
迷わず試験会場へは行かずNへ直行。
パムのためには受験料の約6千いくらは惜しくない!

何がなんでも絶対彼女に告白しようと心に誓った。
なにしろ、彼女はNを辞めた後は、ピースボートに参加して世界中を巡る計画。
もしかすると、彼女に会えるのはこの日が最後かもしれない。
まあ、ピースボートに行こうとする人が、恋愛に縛られることなど眼中にないことは明白。
結果は見えているが、自分の思いを知ってもらうだけで充分。
悲壮な決意でNへ向かった。

午前中の通常2レッスンでは彼女に当たらず涙をのんだ。
まだ、午後のVOICEにチャンスがある。
4コマのうち、最後の1コマに彼女がアサインされていた。
行くしかないでしょう!
彼女は人気者なので、なかなか二人きりになるチャンスがない。
イライラとドキドキが入り混じった心境でVOICEをこなしていくも、時間は容赦なく過ぎていく。

いよいよ彼女のVOICE。
テーマはディスカッションの進め方。
ただ、闇雲に反論するのではなく、
"I know your point, but 〜"
といったセリフをはさんでスムーズに議論を進めていこうという試み。
彼女は飲みに行くのが大好きなので、帰りはいつも終電との戦い。
そこで、夜中の3時に電車を走らせるべきか?否か?を生徒さん2組に別れて議論する。

話が進んでいくうちに、パムが衝撃発言!
「わたしのルームメイトの彼が〜」云々……。
えーっ?
男と住んでいるの???
どういう話の流れで、そんな発言になったのかは記憶にない。
「告白するぞ!告白するぞ!」と勇んでいたのに、
そのヒトコトでヘナヘナと力が抜けていくのがわかった……。
もはや絶望か!?
最後のVOICEは、わしだけが暗ーい気分で終了した。

VOICEルームを出たところで、一部の講師陣と生徒さんで彼女を囲みお別れの言葉をかける。
みんなが見ている前でどさくさにまぎれて、イチかバチかのハグしますた!
最初で最後のハグか。。
抱きしめると、彼女の細さがダイレクトにわかる。
なんという儚さ。
一生このままでいたい。
しかし、実際に抱き合ったのはほんの5秒くらいだっただろう。

とうとう二人きりの状態にはなれなかった。
彼女がスタッフルームへ戻ろうとする。
彼女がドアを閉める瞬間に"I like you!"と言うのが精一杯だった。
彼女の耳に届いたかどうかはわからない。
もう一生会えないかもしれないけど、いい思い出をありがとう。
あのときの自分の素直な気持ちはこんなささやかなものだった。
だからそれ以上は追いかけなかった。

このあと、継続してNに通っているにもかかわらず、Nネタを日記に書けなくなったのは、仕事が忙しくなってしまったのが一番の理由だが、
心にぽっかりあいてしまった大きな穴のせいもあることは否定はしない。

面白い日記にするには、自分が楽しんで書かないとダメ。
自分がノっているときは、読者にもノリというか臨場感が伝わるような気がする。

もはや、ドキドキ・ワクワクの楽しみがなくなってしまったN。
彼女に会えるかどうかワクワクしながらNへ向かうこともないし、
チェックインのとき、「今日のレッスンはパメラです」と告げられたときの高揚感もありえない。
彼女の笑顔がどれだけ自分を癒してくれたことか。
ただあそこに英会話しに行くだけ。
まあ、Nは英会話するのが目的で、恋愛を探す場所ではない。
本来の姿の戻ったわけだが、
わさび抜きの寿司を食わされているような物足りなさはどうしようもない。
ノっていない状態で書いた日記をよその人が読んでもどうなのかな?と。

英会話ネタを再開できるかどうか?
自分でもわからない。
今後に当時の面白さを提供できる自信はないです。





台湾へ行きタイワ〜ン その4 最終回※ - 2004年01月03日(土)

台湾滞在4日目。
最後の日。
朝一番の飛行機で帰国するのみ。
飛行機の切符をもっと早めに確保しておけばヨカッタ……。
そうすれば、行きは午前中に台湾へ着いて、帰りは夕方にゆっくりも可能だったはずだ。
もう一か所どこかいいところを見れたかもしれないし、うめい食べ物にもうひとつありつけたかもしれない。

まだ真っ暗な明け方に起きて出発。
Mが空港まで送ってくれる。かたじけない!
まずはタクシーで台北車站方面へ。
タクシーは普通の道をのんびり行こうとしたので、Mが急いでいるので高速を通るよう指示。
そうしたら、タクシー飛ばす飛ばす。
これがちょっと災いして、高速道路でのろのろ走っていた軽トラに追突しそうになる(冷汗)。
べつにそんなに慌てなくても……。

台北の中心地で空港へいくバスに乗り換える。
道はガラガラだったので、順調に台北中正国際空港へ到着。
帰りもエバー航空なので第2ターミナルで降りる。
チェックインを済ませた後、出発までまだ時間があるので空港内をブラブラ。

中正空港


お土産屋をハシゴしてひやかす。
パイナップルケーキは、昨日信義路で買ったものよりも3倍ほど高かった。
買っておいてヨカッタ!
1000元だけ残して、お金を日本円に両替する。
また来るかもしれないから。
そのあと、朝っぱらからちょっと濃い目の話をしたりして、時間をつぶした。

出国審査の場所へ行くにもまた体温を測られる。
チェックインした後なのに、熱が38度以上あったらどうなるのだろう?
やはり強制的に隔離され、帰国はお流れになってしまうのだろうか?
滞在中はずうっと風邪ぎみで喉が痛かったのでちょっと心配だったけど無事パス。
現地で面倒を見てくれたMに感謝を表しつつここでお別れ。

A330-200


帰りの飛行機も行きと同じA330-200だった。
この日は満員にもかかわらず、今回も窓際に座れた。
機内食が配られた後に、飲み物が出てくるのは相変わらず。
メニューは覚えていない。
日本人のCAがひとり搭乗していたが、行きと同じ人だった。
帰りは順風なので2時間半くらいで成田に着いてしまう。
飛行機の対地速度も時速1000kmをゆうに越える。
着陸はRunway34R。
ウィンド・シェア(風向の変化)が激しかったらしく、片輪でタッチダウン(冷汗)。
南国から帰ってくると、日本はやっぱりヒンヤリ。
成田空港の館内に入ると琴の音が聞こえ、お正月だったことを思い出す。
和服姿の人もちらほら。

海外旅行に出かけて帰国が間近に迫ってくると、毎回決まって「日本に帰りたくない」病でウツになるのだが、
今回はそれが起きなかった。
日本に無事着いてホッとしたというか……。
人ごみの中では常にスリに気をつけていたし、お釣りの件も油断がならなかったし、緊張していたのかもしれない。

「台湾へまた行きたいか?」と問われれば、答えは「イエス!」
今回は台北市内をグルグルと回っていただけなので、
南の方とか海辺に行けばまた違った発見があるだろう。
夜市への免疫も少しはできたと思うので、
もしチャンスがあればもっと積極的に見てみたい。
中国語が少しでも理解できれば、もっと楽しい旅になったかも。

以上、
ゆるげんの初台湾旅行記でした。






台湾へ行きタイワ〜ン その3※ - 2004年01月02日(金)

台湾滞在3日目。

この日も台北市内を探検する。
まずは歩きで政治大学へ。
キャンパスを見学。
授業に駆けつける学生さんが大勢(お正月休みは旧正月!)。
大学の敷地はかなり広大で教室の移動は大変そう。

大学近くのお店で朝ご飯。
学校へ向かう前に朝食を取る学生さんで大賑わい。
料理を作るおばさんは大忙し。
この辺は、朝食を安く食べさせるお店が何軒かあって学生街の雰囲気。
ふつうの観光客はこんなところまで来ないだろうな……。
肉まんと昨日気に入った蛋餅をいただく。
蛋餅はお店によって微妙に味が異なるようだ。
どのメニューも安い!
わしの大学時代はまわりに安い食べ物屋さんがまったくなかったので、とても羨ましく思った。

バスでMRT木柵線の動物園駅へ向かう。
この駅のそばには台湾最大の動物園があるのだが、今回はパス。
このMRT木柵線は、ゆりかもめのような無人運転の電車だった。
しばらくは高架を走るので景色を見渡せて観光によい。
途中、病院の建物の中が駅になっているところがあった。
日本にもビルの中に駅があるところはいくつかあるが、病院は珍しいのでは。
忠孝復興駅で板南線に乗り換え、国父記念館駅へ。
孫文を記念して作られた国父記念館を見学。

国父記念


この建物の周りには花壇がいっぱいあり、カラフルなお花が咲いていてとても美しい。
館内には孫文に関する資料が展示してあるが、
昨日の蒋介石に比べるとかなり寂しい量であった。
あまり見るものもなくサクサクっと。

記念館をあとにしたわれわれは歩いて市政府方面へ。
この日になってようやっと天気がよくなってきた。
晴れ間が少し見えて暖かく、上着がまったく要らない。
市政府周辺は比較的新しそうなビルが多く官庁街のような雰囲気。
台北世界貿易中心というトレードセンターもあった。
再開発の真っ只中で、工事中な場所が目立つ。
横浜のランドマークタワーのような高層ビル台北101へ向かう。
文字通り101階建てで、ランドマークよりこっちのほうが背が高い(ちょっと悔しい)。

101


ビルの下6階がショッピングモール「台北101購物中心」になっている。
ランドマークプラザをもうちょっと大きくしたような感じ。
デパートのそごうも入っていて、高級イメージで売っているようだ。

101店内


まだ工事中のところが何箇所かあって、すべてのお店がオープンしているわけではないようだ。
地下1階は、まさにデパチカでグルメ街やスーパーになっていた。
お寿司や丼物などの日本食もあったので、駐在の日本人には喜ばれそう。
ただし、MRTの市政府駅からこのビルまでそこそこ距離があるので交通は不便。
駅からシャトルバスが出ているらしいが面倒くさいのは否めない。
桜木町駅から動く歩道で結ばれているランドマークのように、
駅から行きやすければ集客も増えるだろう。

ここのそばにある三越もブラブラと。
地下のフードコートがかなりの充実。
なにか食っていきたいところであったが、お昼にうめい小龍包が控えているのでがまん。

映画館が入っているワーナー・ビレッジもすぐそこにあるので探検。
このころ、日本で大人気の「ラスト・サムライ」は、まだ台湾では上映されていない。
ここの地下のフードコートにバーガーキングがあった!
悩んだ末に、食ってしまいました。
アメリカの店よりメニューが少ないようだったが、食うものはすでに決まっているので問題なし!
BSEなんて怖くない!
もちろん小龍包も食うぞ!

BK


MRT市政府駅から忠孝新生駅へ行き、さらにバスでちょこっと。
今日は地下鉄を駆使しまくりなのだ。
本場の小龍包をもとめて信義路の鼎泰豊へ。
お昼時をやや過ぎていたのに、店の前にはお客がわんさか。
日本人もいっぱい。
店内で大勢の料理人が包子をせっせと作っている様子が外から見える。
日本語がわかる店員さんからメニューというか注文票を渡される。
あらかじめ何を食べるかを印して店員に渡し順番待ち。
順番がきたら番号で呼び出されるしくみ。

順番がくるまでまだ時間がたっぷりあるので、並びの商店街でお土産を探す。
美味しいウーロン茶とパイナップル・ケーキをゲット。

鼎泰豊の名刺を見たら、横浜の高島屋にも出店していることを初めて知る。
知らなかった!!

順番がくると2Fに通された。
本場の小龍包はマンガ「美味しんぼ」で読んだ通り、
あつあつの肉汁がどびゅではふはふ」は本当だった!
口の中をヤケドしてしまいそう。
飛び出た肉汁を無駄にしないよう蓮華に乗せて黒酢と千切の生姜でいただく。
サスガでありました!
ほかにもスープ餃子、エビそば、蒸し餃子、チャーハンをいただきました。
意外にもチャーハンがとても美味くて美味くて。
お腹いっぱいになりすぎて苦しい。

腹ごなしにMRT中正記念堂駅まで歩く。
MRTに乗って台湾の原宿といわれる西門へ。
吟日族とよばれる日本に憧れている若者が集まる街。
戦時中、日本に占領された歴史のある台湾だが、親日派の人々がものすごく多い。
「日式」と書いてある看板は日本風のお店。
しかし、誤解された日本風がたくさんあり、それを発見するのが面白い。
回転寿司のメニューにとうもろこしをあぶらげで包んだイナリ寿司があったり。
ポスターには日本語のコピーが書かれていても、間違っている日本語だったり。
「有楽町」という洋品店にはあやしい文字で「アメリカ日本流行フーション」と看板に書いてあった。
多分「ファッション」と言いたかったのであろう(汗)。
「だいいち」というゲームセンターの垂幕には「はやらか・す-流行」の文字が……(意味不明)。中黒の点はいったい??
VOWネタには事欠かない街である。

歩き疲れたところで、スターバックスへ行き休憩。
コーヒーの味はまったく同じなので安心する。
この街が本当に盛り上がるのはやはり夜だそうで、
気だるい昼下がりではまだまだこれからという感じ。
この街にあったタワー・レコードはすでにつぶれていた……。

またMRTに乗っておしゃれなエリア頂好へ行く。
ここにもそごうがあったり、デザイナーズブランドのブティックがあったりでちょっと大人の街。
地上だけでなく地下街も発達していた。
Mの発案でこの街の英会話教室を冷やかすことに。
受付のお姉さんがとてもかわいい人でドキドキしてしまう<アホ。
Mが台湾へ来たばかりの日本人を装い、英会話のカリキュラムやら料金を聞き出す。
よくやるの〜。
ネイティブの講師も常駐しているようだ。
テキストを見せてもらった。
時事ネタを扱っていてなかなか新鮮な内容。
おれここで習おうかな……(妄想)。
自分は中国語話せないけど、あのお姉さんにもう一度会いたいと思った(熱しやすく醒めやすい)。

台湾での最後の晩餐は、六福皇宮(ウェスティン)でブッフェをいただく予定なのだが、
さきほどのバーガーキングと小龍包が効いてぜんぜんお腹が空かない!
商店街をひやかしたり微風広場(Breeze Center)というショッピングセンターに入っている紀伊国屋書店でシティ・ハンターの中国語版をお土産に買ったりして、
あちこち動いてみるもお腹のモタれはとれない。
意を決して超豪華な国際ホテルに突入。
あらかじめ予約しておいたのに、予約が入ってないとかでスッタモンダ。
結局は席につけたけど、ちょっと焦る。
料理は高級ホテルらしくゴージャス。
中華よりも洋食がメイン。
サラダで久しぶりの生野菜を食う。
職人がお寿司を握ってくれるコーナーもあった。
好きな具を入れて作ってもらう麺のコーナーが面白かった。
さきほどBKを食ったので、牛肉系を恐れずに食う。
ボイルした蟹は水分が抜けていてパサパサ。かなり残念。
果物はキウイ・パパイヤ・マンゴーな南国系がいっぱい。
ワックスアップルを生まれて初めて試す。
不思議な感触。

食べているうちに、デザートのコーナーがどんどん減っていく……。
日本のホテルだったら、お菓子がなくなったらどんどん補充していくはずだが……。
ここではとうとう補充ナシ!
ここで台湾のブッフェの鉄則を。
食べたいデザートは早めに確保すべし!
でないと、あとで泣きを見ることになる。
高級なホテルだけあって、料金も高級で「うひょー!」ですた……。
はい。

Mの家に戻ってテレビを見ながらビールを飲む。
あるチャンネルでかなり昔の新日本プロレスが放送されていた。
まさか10年ほど前に行われた武藤敬司VS高田延彦の一戦を台湾で見ることになるとは……。

試合終了のゴングとともに台湾最後の夜は更けていった。





台湾へ行きタイワ〜ン その2※ - 2004年01月01日(木)

元旦の出来事を4月に書いています(汗)。

台湾2日目は早起きして台北観光の王道を行く。

出かける前にMが朝食を買ってきてくれて恐縮。
すまぬすまぬ。
油条(長細い揚げパン)を豆漿(豆乳)につけて食べるのが一般的らしい。
油条は(通称:あぶらぼう)は横浜中華街でも売られているのでおなじみの味。
豆乳は冷たいのと暖かいバージョンがあった。
ゆるげんは豆乳が苦手。
「意外に好き嫌いが多いな>自分」
を痛感させられた今回の旅行であった。
米團(おにぎり?)はこの油条が中に入っていて見た目よりは美味かった。
蛋餅(中華風クレープ?)が最高に美味かった。
小麦粉の皮にツナが挟まっていて卵を絡めて焼いたものに醤油ベースのタレがかかっている。
これオススメです。はい。

台湾のテレビはお正月ムードゼロ。
淡々と朝のニュース番組が放映されている。
今ごろ日本では和服姿のタレントがあちこちのチャンネルで大騒ぎしているのだろうな。
ある局では「なんでも鑑定団」が中国語の字幕つきで再放送されていた。

お出かけはまず路線バス。

バス


料金は後払いで一律15元。安い!
バスを降りるときは停車する前にドアまで行く」のが台湾のやりかた。
そうしないと降り損ねてしまう。
日本の「バスが停車してから席を立つ」やりかたとは大違い。
数年前まではバスの運転がかなり荒かったらしく、
混雑したバスでは将棋倒しが日常茶飯事だったとか。

タクシーに乗り継いで中正記念堂へ。
運転手の人相をチェックしてタクシーを選んでいるMの姿が印象的であった。
中には柄の悪いタクシーがかなり存在するらしい。
事実、わしはこのときお釣を誤魔化されたっぽいのである。
台湾ではお金を払うときは「お釣はすぐに必ずチェック」が鉄則。
日本にいるときのように店員を信用してろくにチェックもせずお釣りをすぐ財布に入れてしまうと痛い目に逢う。
この後にも危うくだまされそうになるのであった。

朝の街は、お店があまり開いておらず、人通りも少なくて静か。
つくづく夜がいちばん元気な街なんだなと思う。
もちろん元旦の雰囲気はまったくない。
日本国内での「お正月はこうでなくてはならない!」みたいな暗黙の了解から開放されたところにいるのが逆に痛快だったりする。
昨日はすでに暗くてよくわからなかったのだが、建物の多くがかなり古そうなことに気がついた。
新横浜のラーメン博物館に再現されている30年前の日本のような感じ。
市街地の幹線道路は3車線確保されていてゆったりとしている。
東京のような窮屈さ・圧迫感は感じられない。

中正記念公園に着くとまずここの広さに圧倒される。
正面に記念堂、左右にコンサートホールと劇場がある。

中正記念


都市の中心部にかなりの面積を占めていることになる。
10時から始まる衛兵の交替式にぎりぎりで間に合う。

衛兵


蒋介石の銅像を前に衛兵たちのパフォーマンスが展開する。
ゆったりとした独特の歩き方や銃剣をカチャカチャ回すのが見もの。
ヘルメットが料理のボウルに見えてしまったのはわしだけだろうか?
階下は博物館になっていて、蒋介石の写真や衣服やクルマなどいろんなものが展示されていた。
中でも書斎にいた蒋介石のロウ人形がものすごくリアルでインパクトがあった。
この人は日本とゆかりがあったことがよくわかる。

次の目的地へ行くためにMRTの台大病院駅を目指す。
途中の横断歩道の信号が赤のままぜんぜん変わらない。
信号機の故障は珍しくないらしい。

MRTを中山で降りて三越へ。
Mのガールフレンドとここで待ち合わせ。
彼女に飲茶のお店を案内してもらうのだ。
大きめのビルの入り口には正体不明のデジタルカウンターをよく見かける。
ビルに何人いるかを示すらしいのだが目的は不明。

無事に彼女とも合流できたので、中山北路にある龍都酒楼へ飲茶を食いに行く。
どんな料理を食べたのかあまり記憶がないのだが、どれもみんな美味しかったのは覚えている。
多分シュウマイ系、春巻き系、大根餅系をいただいたのだはず。
メニューのデザートが「デザー」になっていた(VOWネタ)。

昨晩の夜市でうっすらといやな予感がしたのだが、
ビールと一緒に食事をいただく習慣がないのは本当だった。
メニューにビールが載っていなかった!
揚げ物系やシュウマイ類にはビールが合うのになあ……。
ビール党のわしにはあまりにもつらく試練のとき。
じっとガマンの子であった。

そのかわりお茶がとても美味かった。
何杯でも限りなく飲めちゃうから不思議。
んで、そのデザーがビックリ。
タピオカのココナッツミルクが出てきたのだが温かった!
日本式「デザート=冷たい」の公式を疑いもなく想定していたため、
ブハっと噴き出し寸前。
台湾の食は奥が深いのう……。

Mのガールフレンドは英語がしゃべれるので助かる。
話が進んでいくうちに驚愕の事実が!
彼女は台湾へ渡ってくる前にアメリカのバージニア・ビーチ(バージニア州)に住んでいたとのこと!
2年連続でわしがエアーショーを見に行った場所である。
まさにピンポイント!
そこからお話が広がってずいぶんと打ち解けた。

実は、彼女が今日来てくれることになったのには秘密があった。
もし、わしが夜市に大喜びだったら、この日はもっと大規模な夜市へ案内してくれることになっていて彼女は来ない予定だった。
彼女的には夜市へは5億回は行っているので今更珍しくもなんともないので。
しかし、わしが夜市にやや拒否反応を示したため急遽予定を変更。
かわりに飲茶へ連れていってくれることになったのだが、
Mは台湾滞在が長いくせに飲茶をまだ食べたことがなかった。
そこで飲茶の経験がある彼女にお呼びがかかったのである。
もし、彼女と会えなければバージニア・ビーチの楽しいお話もできなかったわけで……。
何が幸いするかわからないものだ。
シンクロニシティ?

わしら3人は他人から見ると、あやしい集団に映ったに違いない。
なぜなら、
Mとわしが話すときは日本語。
Mと彼女が話すときは中国語。
彼女とわしが話すときは英語。
と話す相手によって使う言語が異なってくるのである。
3つの言語がとびかうあやしい軍団……。
英会話を習っていてヨカッタ!
直におしゃべりするのと、通訳を通すのではやっぱり違うんです。

食事の後は故宮博物院へ。
お正月のため入場料タダ!
ラッキー!
例によって入り口で体温を測られる。
この博物館は想像をはるかに上回る規模!
展示物を丹念に見ていたのでは1日で回りきれない。
さーっと流していかないとダメ。
博物館の裏山にまださらにお宝が保存されていて8ヶ月に一度入れ替えがあるというから驚き。
紀元前の器なんて初めて見た。
清時代の象牙の精巧な彫刻に感心。
球の中に球があって、その中にまた球が全部21個重なっている象牙多層球は、
一本の象牙から作られているそうな。どうやって??
日本の蒔絵も展示されていた。
とにかく歩いても歩いても見終わらない。
よその日本人観光客についてたガイドの説明を盗み聞きながら感心したりして。
この博物館の目玉である、翠玉白菜(翡翠を彫って作った白菜の作品)と肉形石(東坡肉そっくりの作品)はよそへ出張中で見ることができなかった。
残念。
ある程度見終わった後、博物館の最上階にある喫茶店でお茶した。
けだるい午後をマッターリとくつろぐ。
ここでもウーロン茶が何杯でも入ってしまう。
このあと、博物館内のお土産屋でショッピング。
お土産を何点か購入したのだが、お釣を何百元も少なく渡されて焦る。
が、Mが猛抗議してくれたので無事正しい額を返してもらえた。
Mに感謝!
中国語できないのがもどかしい。
博物館の裏側に庭園があったので、しばらくここでお散歩。

庭園


入場料に10元ほど取られたように記憶している。
孔雀が飼われていたり、池にはたくさんの鯉が泳いでいた。
落ち着いた庭は喧騒から離れたオアシスといったところであろうか。

博物館を後にし「紅30」というバスに乗ってMRTの剣潭駅まで行く。
ここから公園を通りつつ丘を登って円山大飯店というゴージャスなホテルを見学しに行く。
小高い丘にその宮殿風のホテルはあった。
ここでも体温を測られた。
無事パスすると小さな確認済シールを肩の辺に貼られる。
館内は朱塗りで贅沢な空間を演出。
ロビーの中央には巨大なクリスマスツリー(笑)が飾られていた。

衛兵


お土産屋を冷やかしつつホテル内を見学。
ホテルの裏口には体温を測る係りがいない。
台湾の詰めの甘さ。
ここを出る頃にはだいぶ薄暗くなり風も強くなってきた。
Mが「寒い」と震えだす。
日本の厳しい寒さに順応してきたわしの体には生暖かい風に感じられた。
このギャップが面白かった。
夕食の予約時間までまだ余裕があるので、再びMRT剣潭駅付近に戻り士林夜市へ。
半端ではない人の多さと活気で台湾に来たことを改めて実感。
2日目にしてようやっと食べ物の匂いにもだいぶ慣れてきた。
ここでタピオカ入りのレモネードを買って飲んでみる。
予想よりは薄味だった。
夜市をぐるーっと回っているうちに、日がどっぷりと暮れてきた。

MRTで雙連へ行き、いよいよ晩御飯へ。
湘廚という食べ放題のお店。
テーブルは満員の大盛況。
食べ放題のメニューから食べたい料理を好きなだけ注文できる方式。
ビールはもはや諦めの境地(泣)。
日本の中華料理屋では見たことのない料理をいっぱい食べることができたし、どれも美味かった。
個人的にイチバン美味かったのがマーボー豆腐(笑)。
激辛だったけど、ご飯にかけて食べるとうめいのなんの。
しかし、例外がひとつあって海老マヨが大甘で泣きそうになった。
例の甘甘台湾マヨネーズのおかげでお菓子のような甘さ。
うげーっ!
最後に出てきた中華パン?が素朴に美味い。
温かいタピオカのココナッツミルクにはもう驚かなくなったゾ。

この日は歩き回ったのでかなりヘトヘト。
イビキがうるさくてMにはご迷惑をおかけしますた。
すまんすまん。

というわけで台湾2日目は「すまんすまん」に始まり「すまんすまん」で終わったのであった。
恐縮の1日。




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