◎ 反面教師。 ◎

相変わらず、うちのパパンは素敵な人です。
私の進学予定の大学を『最低の学校』と称し
独り暮らしの為のアパート探しにも乗ってきてくれません。

毎日楽しいかいパパン?
最近、貴方の肯定的なセリフを聞いた覚えがないよ。

可哀想な人ですね。
他人を否定しないと自分を肯定出来ないみたいです。
何か、おませさんな子どもが必死でツッパってるのに似ています。
「自分は一人で何でも出来るんだ!」って強がってるような。

パパンも可哀想な人なんだろうね。
虐待を受けた人が、自分の子どもにも虐待をしてしまうような。
それほど極端じゃなくても、人間ってきっと、自分が受けた教育を少なからず反映させながら子どもを育てていくんだろうね。

ツッパらなきゃ彼も生きていけなかったんでしょう。
悪気はないんだよ。私が一番楽な方法を考えてくれてるんだよ。
でもさ、そろそろ子離れを覚えようや?
人間、若い頃って多少危険でも未知の世界を体験したくなるもんやろ?
それを自分で経験して、危険を実感してそれを学習するんやろ?
だったらそろそろ、本当に子どものことを思うのなら過保護止めようや。
親離れしようとする子どもの足を引っ掴むの止めて下さい。
そういう人のことをきっと、『ウザい人』っていうんだと思うよ。

   − 2006年03月29日(水) −

◎ がぼ。 ◎

何かもうショックなんで記しとこう。
太った。
スポーツクラブに通い始めてから-kg太った。

………。

orz

何故運動を始めた時から急激に体重が上昇するのか。
「脂肪が筋肉になったから」という言い訳も通用しなさそうな増量。

取りあえず明日からまた、生活の見直しです。
ダイエッター相方に見捨てられないように頑張ります…。

   − 2006年03月23日(木) −

◎ 臨戦態勢。 ◎

母親と一緒にクリニックに行った。
母曰く、診察中の私は『まるで親の敵でも見てるような目』らしい。
心療内科なんだから、先生を信頼していることが一番重要だろうに
私は傍から見ても分かる程に先生に対して嫌悪オーラを発している。

クリニック変えようかなぁ、って本気で思ったり。
駅の近くにもう一つ心療内科があるらしいので、そちらを検討中です。
先生も手を妬いてるみたいだって、母親にも言われたしね。

「薬が効かない」って言ってんのに
「でも、独り暮らしするなら薬は減らさなきゃ」と。
アホか。
お前も医者の端くれなら、患者を楽にしてみろや。
カウンセリング効果が期待できないから薬にすがってんだろうが。

私の声は届いてんだろうか。
謎だ。

   − 2006年03月20日(月) −

◎ 大学生に、なれる。 ◎

今日は、大学の合否発表の日でした。
受かりました。
ずっとずっと夢見てた、『大学生』の名を手にする権利を得ました。
小学生よりももっと小さい頃から、何故か『大学生』に憧れてた。
自分もあのくらいになれれば、何でも出来るようになると信じてた。
現実は、私は結局はただの人間で、
出来ることより出来ないことの方が多い平凡な人で。
でも、あの頃の憧れの“私”には到底及ばないけれど
外見だけは、世間的には、あの頃よりも大人になったよ。
あの頃の私が今の私を見たら、がっかりするだろう。
真っ先に「どうして将来の夢が変わったの?」って言うだろう。
でも、好きなものは、最後にたどり着きたい場所は同じだから。
君の理想と、私の理想は同じだから。最後には納得させてみせるから。
少し形が変わってしまったけれど、許して欲しい。

そして私は、憧れの人が歌っていた『スタートライン』にやっと立てた。
いつだって振り返った先は辛さと苦しさばかりが渦巻いていて
後ろを向きたくなんてないのに、前を向く勇気もなかった。
後ろ髪を引かれるものなんて何もないのに
躓いたところから次のスタートラインまでが、とてつもなく長かった。
泥だらけになって必死で手を伸ばしても、その手を踏み潰された。
あの痛みは忘れない。忘れたら、気を許したら、今度は頭を潰される。
白いスタートライン。後ろは地獄だ。戻る必要は何も無い。
何が待っているかも分からない前へと、それでもただ踏み出せばいい。
留まる理由は何も無い。前へ、ただ、前へ。
――貴方が歌ってくれた場所に立てた。
あの人が蹴り出した足跡が見えた。
嬉しくて、愛しくて、涙が出そうだ。

   − 2006年03月17日(金) −

◎ 崩れるよりも 早く ◎

自分を支えるものを探さなくては。

生きづらくなったのはいつからだろう。
未来が嫌いになったのはいつからだろう。
狂うことを望むようになったのはいつからだろう。

カッターじゃ足りない。
もっと傷が欲しい。
今は私の身体に生傷はないけれど
進路が決まらなかったら、きっと私は昔に戻る。

考えることも面倒臭い日には「もう良いや」で流せるけれど
考える力が残っている日には、昔の苦しさを思い出して不安になる。
あの頃に戻るの?
あの頃、
全てに疎まれているような気がして、
親の視線が怖くて、
他人に助けを求めたかった。

嫌だ。
怖い、怖いよ、凄く。
全てから見捨ててもらいたくて
誰かに見止めてもらいたかった。
矛盾した感情ばかりが渦巻いて
相反する感情が共存しているわけだから、
何をしたって絶対に全てが満たされることはない。
解決策を見つけようと前を向くことすらできなくて
時間の感覚も、自分の存在も曖昧に思えたあの頃。

あの頃に戻るくらいなら
早く病院に放り込んでもらいたくて
でもきっとそれは叶わないから
それならもうこの世なんて要らない。

私を、消してよ。この世から。

   − 2006年03月13日(月) −

◎ シンダンショ。 ◎

通院医療費公費負担用に、病院から貰った。
自分の意見がどれだけ医者に伝わっていないのかが分かって笑えた。

1,病名
主たる精神障害 神経症性うつ病
従たる精神障害 社会不安障害,神経症性不眠症
身体合併症 慢性胃炎

2,発症から現在までの病歴(以下括弧内、心のツッコミ)
推定発症年月:昭和60年頃
(私、昭和63年生まれですが)
小学校4年生の時に体型のことなどでいじめを受けた。
(体型の悪口なんざ遡れば幼稚園から記憶にありますが)
中学校では水泳部に在籍していたが、顧問が嫌いで、アトピー性皮膚炎の悪化もあり退部した。
(三年間部活続けてたのに、途中退部したみたいな言い方するんですね)
喘息で学校を休んだ後の倦怠感が強くなり、●●クリニックを受診したが3回ほどで通院中断した。
高校入学後も気分の落ち込みや意欲の低下が続いている。
(ぶー。1年の頃は皆勤賞ニアミスなほどに良い子でしたー意欲ありましたー)
過去のいじめの体験を引きずっており、クラスメートと交流できず、除々に保健室登校になった。
(クラスが嫌だとか言った覚えありませんが。友人も作りましたが。保健室登校、除々にじゃなくて、初めて病院で診察してもらってうつ病の診断を受けたことを学校の先生に言った時に、クラスじゃキツいだろうっていう先生の勧めでその日の翌日から急遽始まったんですが)
H16/10/20に精神保健センターを受診し、10/23に当院を紹介受診した。
○○病院で入院治療を行ったが、抑うつは現在も治療抵抗性に続いている。

主なツッコミはこんな感じですか。症状のことは自己判断じゃ何とも言えないので何も言いません。
ってか、『治療抵抗性』って何だろう…?
治療に非協力的とか医者への反抗心が強いとか?(違うだろ
…常に医者を威嚇してる雰囲気があるってのだったら否めませんが。

   − 2006年03月07日(火) −

◎ 病院戻りたい。 ◎

けど 金 が な い 。 orz

金さえあれば今すぐにでも病院に転がり込みたい心境です。
いや、別に今日何かあったってワケじゃないんだけど。
家にいると何だか落ち着かなくてイライラします。
昨日・今日と早朝覚醒の時間がいつもより更に早まってるし…。
今朝なんか四時前に朝ご飯と称したパンを食べてました。
しかも量が半端じゃない…恐らく普通のパンの四個分くらい…。
何だこの異常な生活!あぁもう全部嫌んなってくる!
今日から風邪っぴきなせいで余計に思考が壊れてます。

っていうか父親、寝室で寝て下さい。
現在リビングのこたつで爆睡中。リビングから去れ…!

   − 2006年03月04日(土) −

◎ 忘れた頃に学校の文集に載ってた。 ◎

入院中に書いた詩が。

卒業式前日に、生徒の作文などから先生が適当にピックアップしたらしきものを集めた文集が生徒全員に配られたのですが、
それに…全国大会に出した私の詩が…載って…orz
最後の最後に何の嫌がらせかと思いました(涙
でもやっぱり…この頃の言葉の方が何かキレがあるなぁ…。
以前文芸の大会で、講師の先生が「物書きには奇人変人しかなれない」と
堂々と言い放ったことを妙に鮮明に思い出しました。

そして今日はネタがないんでその詩を載せときます…。


『モラトリアム』

流れるような夕焼けの中
焦げついたような 自分の足跡を辿る

夢を見る力は薄れ
未来を渇望することもなくなった
両手を広げ 空を欲する 幼く眩しい私は
夕焼けに 燃えるように溶けていった

胸を打つ温もりを保つことも
そこに刃を突き立て 止めることも
全ては他から与えられ 私はそれに従うだけ
手を伸ばして触れられるのは
望まず与えられた「義務」だけで

私の「権利」は何処にあるの?

桜が風に吹かれ その花弁を手放すように
私の心へと吹き荒ぶ風も 止むことなど知らず
涙の粒を産み落としては 次々に地へと還していった

いつか この風は止むのだろうか
傷だらけの自分を引きずり 必死で生きている今を
頬を濡らす事でしか 苦しみを伝えられない今を
少しでも 少しだけでも この先歩む道の上で
誰かの笑顔を作り出す 糧と出来る日が来るのだろうか

ほんの少しの希望を抱え
今日も私は風と闘う
空を千切りにする 鉄格子の中で
熱い鼓動の滴る 両の手を伸ばしながら


…最後の二節、心理的な比喩じゃなくて『本当に見たもの』だって気付いたの、
この詩を見た人の中に一体どれだけいるだろう…。
私は入院初期は特室に入ってたんで、
実際に部屋の窓に鉄格子があったんですよ。
で、最後の『熱い鼓動』ってのはアムカ後の血のことだったり。
そこら辺のことをもっと色々な人に説明したかったけど、
流石に真実をカタギの人に話すと引かれそうなんでここで暴露。

ふぅ、スッキリ。

   − 2006年03月01日(水) −

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