nomiの思考

ご意見・ご感想
ブラックブルー
2004年03月27日(土)

海は青い。海は広い。海は深い。海は全て
の命の源だ。

私達の体を構成する1番多くの要素は水で
ある。ならば、私達にも、逆らうことなく流れ
を変える、水と同じ性質が備わっていても
不思議はない。

私達は、青い水の惑星にいる。海の青、空
の青に強く惹かれる理由はここにあるのだろ
うか?

晴れた日の昼間に見る海や空は、穏やか
でいて友好的だ。しかし、私を強く魅了する
ものは、「夜の海」であり「夜空」だ。黒くて、
深くて、冷たくて、広いそれらに、かつては
とてつもない恐怖を感じては目を逸らしてい
た。

プールでも、海でも良かった。歩くも良し。
泳ぐも良し。深く、深くもぐるのも良い。静け
さと安らぎの中で、余計なものを、ひとつひ
とつ手放し、自由になる瞬間が心地良かっ
た。

そこには、自分が自分である意識さえも無く
なる、存在自体が「とろ〜ん」と水の中に溶
けてしまう、なんともいえない幸福感があった。
尾ヒレがつき、まるでイルカにでもなったよう
な気分になれたのだ。

あらゆる感情を無にする「心の安定」。あれほ
ど求めていたそれが、今は恐怖に変わる。
感情を無くすことの方が、相当に恐ろしく感じ
てしまうのだ。

集中しているも時そう。ふと気がつくと、心静
かに何かに没頭している瞬間があり、戸惑い
を隠せない。

瞬きする瞬間でさえも、思いっきり笑い、泣い
て、心配して、怒って、踏み潰されてもまた咲
いて、時にダンマリしながら、生きていたいと
願う。

心の奥底から沸きあがる感情を、上手にコン
トロールする力が備わってしまうことほど、表
現者にとって辛いことはない。

夜空を見上げ、夜の海を眺め、瞬きする瞬間。

人は閉じた瞳の奥で、何を見つめ何を考えて
いるのだろうか。自分以外の「他の世界」を追
い求める自分がいる。

青でもなく、黒でもない、「ブラックブルー」の
命が芽吹く。

心の波は驚くほど静かだ。夜空に散りばめら
れた無数に輝く星たちは、まだ私の頭上には
落ちてこない。



いい涙
2004年03月19日(金)

「お金の出ない涙は出さない主義なのに・・・(号
泣)」(白い巨塔:最終回より)

どんな人生であれ、最後の最後には、本物の涙
を流せる、流してもらえる、人生でありたい。

素直に涙を流すも良し。顔で笑って、心の中で流
すも良し。本当に、心を震わす出来事に出会い、
流す涙は、美しい。

決して「武器」としてではなく。
また、むやみに涙を流すことがないよう、その為
にも、「いい涙」を知っておかなくては。

そうじゃないと、どれが本物の涙だか、わからな
くなっちゃうよね。

「いい涙」って、どういうのだろう?

たとえば、何か目標に向かって進んでいる途中
は、何があっても、泣きたい気持ちは蹴り飛ばす。
結果が出て、そこまで頑張って、初めて流せるも
のなのかも知れない。

その結果が、どうであれ。

そういうことを、積み重ねていけば、きっと、本物
の涙の味が、わかるようになるのかな。



対立するということ
2004年03月15日(月)

「対立する場合の相手は自分にとって大切な
ものであることに間違いない」。

先日、友人からのメールに書いてあったことば
を引用させてもらった。わたしはこれを読んで、
目からウロコが落ちた。

「対立をするということは、ある程度、心を許し
あって、自分の中身を相手に伝えたからこそ
起こること。その時点で、その相手は、自分の
ことを伝えたい相手に変わりはない」。という
のだ。

対立が生まれたとき
相手を理解しようと努めるか、面倒臭いとその
場から退いてしまうか。また、その方法すら、
わからずに、思考が停止してしまうこともある
だろう。

1番良くないことは
問題そのものを、考えることから逃げてしまい、
何かがわかったような気になってしまうことな
のではないかと思う。

自分はどうだろう?
自分の物差し、価値観で、相手を理解した気
になること。
「何かがわかったような気になること」。
残念ながら、しばしばあります。

自分と関わる、すべての人と、良い人間関係
を築きたい。きっと、誰もがそう願うことだろう。
でも、現実はそうはいかない。
違う人間である以上、心底理解し合えることは、
ないのかも知れない。

だからこそ、真っ向から相手と向き合い、批判
し合うことが、大切なんじゃないかと思う。

自分の思いを、対立なくして、相手に適切に伝
えること。これは、実に難しいし、根気のいるこ
とだ。でも、その相手をわかろうとする「姿勢」
に、意味があるのではないだろうか。

その結果が、どうであっても、傷つくことを恐れ
てはいけない。誤解が生まれたら、とことん話
し合えば良い。わかり合えないことから、逃げ
てしまっては、人と人が存在する意味すら、き
っと、分からないままなのかも・・・?

そう考えると、「対立する」、「対立できる」とい
うことは、素晴らしい。

なかには、「悪意」に満ちたものも、少なくはな
いだろう。その辺の判断を間違わないように、
見極める目を持たなくては。

実は、これが1番難しいことなのかな。



たからもの
2004年03月11日(木)

「たからもの」って、何だろう?

慌しい毎日のなかで、ふと、何か大切なもの
を忘れてしまったような気がして、そんなこと
を考えてみた。

随分長い間、考えた。でも、考えても、考え
ても、明確な答えが見つからない。

あ・あい?
いやいや、「愛」だなんて、口が裂けてもいえ
ません。

決して、恥ずかしいという理由ではない。
最近、「愛」という言葉を、昔のように、簡単に
口に出来なくなってしまったのだ。

わたしには、その言葉の意味する深み、強さ、
広さが、分からない。だから、語れない。まだ
まだ、それを語るには、きっと色んな経験が足
りないんだと思う。

そんな問いを投げかけている中、先日、「たか
らもの」らしきものに、出会った瞬間があった。
それは、わたしの「たからもの」なのか、自分
以外の何かにみたものなのか、それさえも、
よく分からなかった。

「たからもの」って
探そうとして見つかるものではなく、ふとした瞬
間に生まれてはまた消えてしまう、掴めない大
切な想いかも・・・。

それが、何か別の「物質」に息衝くこともあるの
だろう。

「たからもの」も、人によっていろんな形がある
んだろうな。

みんなの「たからもの」って、何ですか?



心ある○○
2004年03月07日(日)

先日、新聞の連載で、絵門ゆう子さんの「がん
とゆっくり日記」を読んだ中で感じた怒りが、
日常にふいに訪れる、様々な出来事とリンク
して、わたしの心から離れない。

「抗がん剤が効く可能性は非常に低い」
そう説明したあと、その薬を使うかどうかの判
断を患者に迫った医師がいた。
何人もの患者を抱えているので、一人一人の
人生にかかわれない。自分で考えてこいと言
うのだ。

「治る?無理ですね。でも医者は何も悪くない。
悪いのはあなたの運ですから」と、そんな信じ
難い言葉を浴びせた事実があるという。

一体、人間の価値はどこにあるのだろう?

医師になれるほどの頭の良い人間が、意に
反し追い詰められた状況のなかで、必死に光
を追い求める人たちに対して、「心ない発言」
をすること。
医学と同じく、またはそれ以上に大切な、「人
の心」について、なぜ、考えることができない
のだろう?

人は、人生のなかで、どれだけ多くの「心あ
る医療」、「心ある○○」に、出会うことが出
来るのだろうか。

「こんなもんか」。

そんな風に、諦めたら、おしまい。
そんな風に、相手を苦しめることに、何も感
じなくなったら、おしまい。

でも、これって、とっても難しい問題だよねぇ。
ふぅー。




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