惜春別日乗
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2006年01月24日(火) 自分探し?自分て既にあるやん

今年が明けてから随分たってしまった。この日記がだんだん疎かになってるなぁ。実際問題、ああだこうだ思うことって少しずつ減ってきた。たまーに思い出したように考えるけども、発達障害についてはKaleidoscopeの方で書いてるし、詩の方も遅いながらもなんとかShine&Shadowの方で続いてる。そうなるとネタが減ってしまった。

といってもまあ、自分の人生そのものを見つめて思ったことを書くのを趣旨にしたわけなので、のんびりここも続けていきたいと思う。

つい最近また養老孟司氏の本を購入した。バカの壁、死の壁、無思想の発見ときて、今度のは「超バカの壁」。寄せられた相談から、一話完結の形で書かれている。論理的思考をしないとならないので、ちょいと読みやすいとは言いにくいけど、読み進むうち相づちを打っている自分を発見する。

その中で出てきたことだけど、「自分探し」というのは変だというのは私も同意見だ。自分は自分でここに既にある。理想と現実はあるだろうけど、「本当の自分」なんていうのは空論にしかすぎないだろう。何か違う気がする、というのは単に仕事や境遇になにがしかの不満や先行きの不安があるからなのではないだろうか。

私の座右の銘は「なるようになる」である。「なるようにしかならない」と言わないところがポジティブであると信じている。今与えられている状況をとりあえず頑張ってやってみる、何処までやれるかわからないが、「現在」にまず取り組む。ほんの少し前は見ないと躓いたりしてしまうが、あまり先は考えても無駄と思って見ないことにする。何故かというと、そんな先はいくらでも変化してしまうからだ。取り越し苦労をしたって、何も良いことはない。

この銘を自らの座右の銘にする前は、迷いの連続、不安だらけだった。いつも悲しみと苦しみに悶え苦しんでおり、愚痴を聞いてくれる友だちにいつもこぼすような日々。しかしその中の一人(私より一回りほど年上)が、「なるようになるさ。あまりくよくよ考えすぎるな。」と言ってくれたのだ。その言葉に強く打撃を受けた私は、ほとんど180度転換するように、もののとらえ方が大きく変わった。

自分がどうあったか、他人が評価して初めて「自分はこうだった」と言えるのであって、今生きている現在が想定と合わないからといって「自分でない」と思うのは違うのではないかと、私も思う。もっとのんびり生きられたら良いんだけどね・・・今の日本て、せかせかと時計に支配されてるような、機械に成り下がっているような、そんな感じがする。だから変なものの考え方が生まれて来ちゃうような気がしてならない。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow