日々の戯言置き場。
**ユリ**



 友達の車。

友達の車が昨日不運な事故によって
ぼこぼこになり、廃車になった。
まだ譲り受けてから3日しかたっていない、
雨だったし、いろんなことが重なって事故に繋がったけど、
怪我や負傷者はいなかったので本当によかった。
でも、確かに凹む・・・。
知り合いから譲り受けたものなので、
お金は払っていないみたいだし、
保険に入ってたぶんいくらか戻ってくるみたいだし。
その子は5年間運転をしてきたけど、
一度も事故をしたことがなかったんだって。
自分の車をもてるようになってから即行これだと
かなり悲しいですよね。
だから夜その子とずっと話をしていました。
授業中眠たかった・・・。

2002年09月30日(月)



 日中国交正常化30周年。

1972年、田中角栄氏が訪中し、
国交を結んで今日でちょうど30周年です。
だけど、未だに中国の人の間では
日本人嫌いの感情は残っています。
「中国事情」の所のネタは有り余る程持っているのに
なかなか更新する時間がない・・・・。
学校始まってしまったし、大忙しです!!

2002年09月29日(日)



 出会いについて。

友人が、旅行先で、異性と出会い、
恋に落ちたが、彼らは国籍が違い、
彼女は彼の国にあまり理解はなく、
結局別れることになってしまった。
お互い好きあっているので、友達関係は続くと思う。

私は、この出会いは、奇跡的なものだと思う。
奇麗事じゃなくて、本当にそう思う。
彼らは、お互いの国とは違う国で出会った。
帰国後、会うのもままならなくて、
別れてしまうのは自然なことだと思うけど、
でも、出会ったことは真実で、
好きになったことも真実なのだから、
彼らの中で、その出会いと気持ちは
「永遠」になると思う。
遠い国に住んでいても、
お互い励ましあうこともできるし、
意思の疎通もできるんだ。
大事な人間であることは変わりはない。

なんだか彼らが羨ましかった。

2002年09月28日(土)



 学校が始まっちゃった。

今日から学校が始まってしまいました。
また明日は土日で休みなんですけど。
でも大学では半年間留学いってた友達が
戻ってきて、凄く懐かしくて嬉しくなりました!
思い出話をこれからゆっくり聞こうと思っています。

2002年09月27日(金)



 QOOの謎。

久しぶりに買い物をしました。
キティちゃんグッズを買いました。
友達に送る予定でいます。

謎なのですが、コカコーラのQOOって
やっぱり日本の製品じゃないのかな・・・。
だって、QOOの由来ってビールとか飲んだあと
爽快な気分で「クーっ!!うまい!!」
といいますよね、それが由来みたいなんです。
だけど、それってアメリカの人も言うんですか?
あんまり耳にしたことがなくて・・・。
今度、コカコーラのお客様相談室に
問い合わせてみたいと思っています。

2002年09月26日(木)



 塾の先生。

明日は「新・愛の嵐」がクライマックスなのに
お出かけしなくちゃ−雨降るのかな?

今日バイトに行く途中で
高校のときの塾の先生に会った。
凄く久しぶりだ−3年ぶりくらい。
凄くお世話になったのに挨拶にいけなくて
だめだなぁ・・・。
今度ちゃんと挨拶に行こう。

2002年09月25日(水)



 あ〜〜いつもの生活だ。

なんだか日本に帰ってきて
ようやく落ち着いてきた。
今までは、寂しくて寂しくて
仕方がなくて悲しかったから。

今日バイトに行く途中で
とんでもないミスをしたり、
温かい気持ちになれたり、
色々あったけど、ようやく
バイトのみんなに再会して
気持ちが落ち着いてきたと思った。

また、中国旅行のパンフを眺めたり、
ぼーっと何も考えずに道を歩いたり、
中国旅行の妄想をしてみたり、
そんな生活が戻ってきた。

2002年09月24日(火)



 まったり遊ぶ。

今日は近所で同じ大学で仲良しの
友達の家に遊びに行った。
彼女が最近「スーパー貧乏」だそうなので
お金を使わずに遊ぶことになった。
お金を使わないで遊ぶのが久しぶりなので
なんか楽しかった。

HPの更新にまたはまり始めた。
ちょっとした所で凝ってみたりするのが楽しい。


2002年09月23日(月)



 お誕生日。

いつのまにやら、今日は私のお誕生日になっていました。
この年になると、嬉しくもないですね・・・
1年が早いです。
この1年は私にとってかなり価値のある時間だったと
自信を持っていえます。
いろんな人との出会いもあったしね。

2002年09月22日(日)



 中秋節。

今日は日本も中国も中秋節です。
月餅、いっぱい食べたなー。
日本のとはちょっと違っているけど。
でも、今日は月は見えないみたい。
雲に隠れちゃった。
夜が更ければ見えるようになるかな・・・。

2002年09月21日(土)



 メール。

夜、車校の先生からメール。
「今夜の月、とっても綺麗だよ。」

本当だ、見上げてみれば、
本当に綺麗な月だった。
月を見て感動したのは
久しぶりのことだった。

2002年09月20日(金)



 日本の大学に行く。

今日は授業登録でした。
昨日の今日でとても疲れたけど、
お昼から出かけました。
そしたら偶然、今までハルピンで半年間
留学しておとつい帰ってきたばっかりの
大学の友達にあいました!
きっと見た目は変わってないけど、
内面的には凄く変化があったと思います。
私もこの半年間、どんな風に変わったのでしょう。
あ、そういえば、西安から帰ってきて
少し痩せました。嬉しい!!

2002年09月19日(木)



 帰国・・・。

朝、早かった。

飛行機の中でうとうとしながら
見た夢も中国語で、ずっと中国のことを考えていた。
行く前は日本の友達と前日語り明かして泣いていたのに
今日は西安で会えた韓国人の友達を思い出して
涙がこぼれた。
いつか、釜山にいって、みんなに会えたらいいなぁ。
みんなに会うまでは韓国人は日本人に
冷たいと思っていた。
それを帰りの中国人のタクシーの運転手さんに
話をしたら彼は、「きっと、日本人が韓国へ行ったら
疎外されるかもしれないけど、ここは中国で
君たちは中国語を一緒に学ぶ仲間だから
うまくいくんじゃないか」って言ってました。

日本に帰ってきて、寂しさは募る一方でした。
もっと長くいたかったよー!!
もっといろいろ話したかったよー!!

スーツケース、20キロ超えてたけど、
罰金を払わされることがなくてよかった。

母に、久しぶりに再会したけど、
北朝鮮の日本人拉致問題の話になって
8人がなくなったと聞いて私は顔面蒼白になって
言葉が出なくなった・・・。
3週間前までは確か北朝鮮は
「全力で調査している」といっていたけど、
その調査の結果がこれだなんて
あまりにむごすぎるよ。
どんな気持ちでその人たちは死んだのか、
どんな気持ちで家族の人はそれを知ったのか、
考えるほど胸が締め付けられた。
日本と北朝鮮の今後はどうなるのだろう。
小泉さん、頑張れ〜〜!!

2002年09月18日(水)



 西北大学の友達と会う。

夜中、ずっと窓を開けられていた。
私は窓側に座っていたのだけど、
私が窓を閉めると通路側のおじさんが
窓を開けてくる。嫌がらせにしか思えない。
途中で上の棚から荷物を落っことして
私の腕に直撃でマジで痛かったけど
その人は謝ることもしない。
本当に嫌だ。日本人ってばれているのかな。
そんなわけで、風が冷たくて寒いし、
髪を梳かしたらすぐに櫛が真っ黒になり
ぞっとした。早くお風呂に・・・!!
とにかく帰りの電車は恐かった。
隣は恐いし、前に座ってるおじさんも
真顔でじろじろ見てくるし、
チャック全開だし(真剣に恐くて笑えない)
最悪だった。

やっとの思いで3時に西安に着いた。
タクシーに乗って寮に着いたらすぐにお風呂に入った。
その後西北大学にいる友達に会いに行きました。
彼女はテコンドーを通じて知り合ったという
中国人のめちゃくちゃ綺麗な女の子と
一緒に手をつないで来ていました。
中国の女の子はよく手をつないで歩いているね。
さて、私がめんを食べたいといったら
中国人の彼女のオススメのお店で
面銭というものをたべました。
暖かいそうめんって感じかな。
私は結構好み。
そのあと、私がCDを買いたかったので
連れて行ってもらいました。
10枚を買いあさったのだけど、
それでも日本で1枚買うのの半額くらいの
料金で買えちゃいます!うれしいー!!
また、中国人の友達の友達が
「明日日本に帰っちゃうし、たくさん買ったんだから、
このポスター譲ってよ!!」とお店の人と
交渉してくれて、周杰倫のポスターをもらいました。
嬉しいな!!

夜、明日はもう出発ってことで
韓国の友達に挨拶に行きました。
涙がこぼれた。
前、中国人の友達に
「こうして日本人が中国人や韓国人と
仲良くなるのって不思議な気がするよ」
といっていました。
私はそれほど違和感はなかったけど、
やっぱり中国や韓国の人にとっては
日本は憎むべき相手だと思っているので
違和感を感じてもおかしくないのかもしれない。
だけど、私はもっともっと、日本人と韓国人、
日本人と中国人が近づいてくれればいいなって
凄く思っています。
だから、彼らや彼女達にこれからも
たくさんのいい日本人に知り合ってもらえれば
凄く嬉しいなと思った。

2002年09月17日(火)



 都江堰へ出発!

朝7時に都江堰に出発しました。
秦の時代に作られた水利施設です。
他にも中国人団体が参加していて
広州や上海の人も来ていました。
上海の人は、一人で四川へ来ているらしく
飛行機で8千元払って2時間で
飛んでこれたそうですよ。
(私たちは西安から97元で16時間)
しかも、前私が1ヶ月だけ住んでいた
上海の住所と近いところに彼女も
住んでいるようで、話が合いました。
また、広州の人とは、以前から話をしたいと
思っていました。
それは、「無問題」の発音を聞くためです!!!!
以前杭州で広東省の人にあったけど、
その時に発音を聞くのを忘れてしまって・・・・。
帰国後に母に「無問題ってどう発音するの?」と
聞かれて、答えられなかったからです。
はい、今はちゃんとネイティブの発音を聞けました。

話はそれましたが都江堰は結構楽しかったです。
いつも中国で見ていた水より、ちょっと綺麗でした。

おひるご飯も四川料理でしたが、微妙でした。
スープは美味しかったんですが。
また麻婆豆腐でしびれていました(3回目)。

青城山は山登りが結構疲れました。
華山ほどじゃないけど・・・。

ホテルに戻ってからまた旅行者のお姐さんと
食事に出かけました。
今度は、火鍋です。
でも、今回の火鍋はちょっと違いました。
今までは好きなものをいっぱい具にしてたけど、
今回お姐さん達に任せたら
本当に薬膳料理になっていました!
前授業で聞いたけど、もともと火鍋って
健康によい食材が使われているって。
でも、私には理解しにくいものでした。
鴨の血とか、苦いウナギみたいなのとかも入っていて
怖かったよぉ・・・・。
お茶も体によさそうな味だし。
コレをいっぱい食べるから
この二人はこんなに綺麗なのかな・・・・・

さて、食後は10時半の電車で
西安に戻らなくてはいけません。
お姐さん達に送ってもらって写真をとって
お別れをしました。
おごってもらったし、
ホントいい人たちだったなぁ・・・。

帰りの電車は、今までの中で
一番ぼろい電車でした。
空調がないので窓開けっ放しだし、
煙草すいまくりだし、寒いし、
おじさんばっかりだし。
怖かった!!
特に隣に座ったおじさんが南京出身ときた。
これは、私たちが日本人であることをバラすと
絶対南京大虐殺の話に持ってこられるでしょう。
しかも見た目、凄く怖そうな人だ。ヤバイヤバイ!
友達と私は、とにかく寝たフリ作戦を決行。
話し掛けられたら終わりだし。
夜中、寝ていたらなんか私が怒鳴られていたけど、
寝ぼけていたし、よくわからなかったので
更に寝たフリをしていました。
窓閉めたいのに開けてくるし、
ほんと厄介なおじさんだ。
私たちに向かいあって座っているおじさん連中も
凄い恐そうだし、寝るしかない!!


2002年09月16日(月)



 楽山へ出発!

朝ご飯を食べてからさっそく楽山へ向かいました!
楽山は川に面した山の中に大仏があって
前から憧れていたところだったんです。

まず、到着してから船で大仏を見学し
写真をとりました。さすがにでかいです。
今度は近くまで行って見学することにしました。
時間がおしていたので早歩きで
大仏の顔の辺りまで上がりました。
近くで大仏を見たら頭のてっぺんが
ザビエルになっていました。
下から見たときは気がつきませんでしたが。
ばっちり写真に収めました。

帰ってからホテルの旅行者のお姐さんの
取り計らいで148元の部屋に90元で泊めてもらえました。
その後お姐さんに一緒に四川料理を食べに
連れて行ってもらいました。
最初に食べたワンタンと餃子はとっても美味しかった!
その後お店をかえてビールを飲みに
連れて行ってもらったのですが、そのおつまみが、
とっても辛い!しかもちょっと不思議なものでした。
おつまみは3品で、一つは鳥の足。
太ももじゃなくて、ほんとお肉のない
足の甲って感じの部分・・・・。
怖かった・・・。
もう一つは川にいるタニシ?みたいな貝。
しかも、山椒いっぱいでとにかく辛い!!
涙チョチョ切れでした。
更にもう一つは、コレはまだまともなほうで
コえびくらいの大きさのザリガニみたいな
甲羅のおつまみでした。とにかく辛い。
だけど、旅行者のお姐さん達二人は
「コレが四川よ!!」ともりもり食べていました。
二人は辛いもの大好きらしい。
私も日本にいるときは辛いもの好きだと思っていたのに
まだまだ甘かったようです。
ちなみに、この二人のお姐さんも、
さすが、四川の女性。
ものすごい美人です。背も高くて足も長いのです。



2002年09月15日(日)



 成都に到着。

朝になってもまだ電車の中です。
さて、途中で子連れのお母さんが降りましたが
そのあとその席に、もともと席のなかった
おじさんが座ってきました。
その人が本気でうるさい!!!!!!
とても落ち着きのない人でした。
日本に興味があるのかもしれないけど、
日本語をちょっと教えたら大声で発音するので
周りの人の注目を浴びてしまうし
本当に嫌でした。
2時に成都についた後もその人は大声で
歌を歌っていたりしたのでどこにいるか
遠くからでもすぐに分かりました。
つ・・・疲れる・・・。

さて、ついてさっそく帰りの汽車の
チケットを購入するも、また硬座。
あ〜〜〜またこの16時間が帰りも続くなんて。
まぁすぐに日本に帰るからいっか。

次はめぼしを付けていたホテルへ
人力自転車で向かいます。
初めて乗ってみたけど、結構楽しい。
だけど、タクシーより高い料金を取られて
腹が立ちました。
部屋は120元の部屋でした。まぁまぁです。

さてその後急いで成都の杜甫草堂と
武候祠へ向かいました。
杜甫草堂は杜甫がそこで作詞にいそしんでいたと
言われる所で、武候祠は三国志にまつわる所です。

帰り、雨が降ってきたけど麻婆豆腐を食べに行きました。
四川といえば、コレでしょう!やっぱり。
四川の料理は中国内でも美味しいと有名で
成都にある料理店ではまずい所はないって
言われるくらいなんです。
確かに、辛い中にも凄く美味しかった。
だけど、食べ物でしびれるのは
今日で2回目です。
前兵馬庸を見に行った時に食べたおひるご飯でも
舌がしびれるのを経験しましたが・・・。
日本ではこんなの経験したことなかったよー。


2002年09月14日(土)



 成都に出発です!

授業後、昨日の夜待ち合わせていた
西安交通大学の日本語学科の子とあって
飛行機のリコンファームをしてもらい、
一緒に銀行へ行ってきました。
その後やっと学費を払いました。
授業は都合があってあまり出れなかったので
少し安くしてくれました。
雨が降っていて少し寒いです。
雨が降るたびに寒くなっていきます。

その後、その日本語学科の友達と
部屋で喋っていたらテレビで
「男は辛いよ」がやっていました。

少し休んでからパソコンをして遊びました。

夜、まだ雨が降っていたけど、
日本人の女の子の友達と二人で
駅に出かけて成都へ向かう電車に乗りました。
16時間の旅の始まりです。
でも、普通の硬座だし、電気はつけっぱなしだし
音楽はうるさいし、寝るに寝られません。
私の席は、通路側で真中が友達で、
窓側が子供連れのお母さんの3人席です。
子供と二人で席を取っているので
私たちの座る空間が少ないです。
しかも、子供はよく泣いていました。
(狭いし硬いし当たり前です)
疲れる旅だ・・・・。
前に座っていたのは成都の女の子と
新疆ウイグル出身の昆明にある大学へ向かう
女の子でした。

余談ですが、ウイグルの女の子も可愛いんですが
成都の女の子は見とれちゃうほど可愛いです。
噂で以前から四川省の女の子はみんなカワイイって
きいていたので、さっそく楽しみになりました。
(↑変態)


2002年09月13日(金)



 語り明かす。

昨日は遅くまで起きていたけど、
ちゃんと授業にはサボらず出ているし、
居眠りもしません。
われながら頑張っているなぁと思います。

さて、授業の後すぐに友達と成都ゆきの
チケットを買いに行きました。
16時間も乗るのに、硬座のしか取れませんでした。
あ〜〜先が怖い。

帰宅後はラオスの子とバドミントンをしました。
っていっても、私は見ているだけでしたが。
見ているだけなのに、私は水までもらってしまって
大変気を使ってもらっちゃって申し訳ないです。

その後、なんと、夜から朝の7時まで
日本人の友達と私の部屋で語り明かしました。
話の内容は凄く色々だけど、
今まで本当に誰にもいえなかったことを
すべて明かしてしまいました。
出会って間もないけど、私にとって
この人は凄く大事な人だと思うし、
ここでなければきっと会えなかった人だから。
不思議な偶然だと思う。

もうすぐさよならだし・・・。


2002年09月12日(木)



 バドミントンその2

昨日は韓国の子とバドミントンをしたけど
今日はラオスの子達とバドミントンをすることになった。
昨日の今日なのでホント、右手が筋肉痛です。
このラオスの子達はバドミントンが得意らしく
なんかの試合で結構いいところまで行った様子。
写真を見せてもらいました。
実際に試合をしているのも見せてもらったけど、
なんか激しくて怖かったです。
タイ語が飛び交っていてさっぱりわからないし。
ちょっと大学でタイ語を勉強したけど、
自己紹介くらいしか出来ません。
でもとりあえず、やってないよりは
やっていたほうが話の種にもなるし、
やっていてよかったなーと思いました。
(最初ラオスって聞いたときは
「ラオスってどこだ?」とか思ってたくせに)

さて!夜は、昨日一緒に飲んでくれた
日本人のお友達に加えて、いつも遊んでくれる
韓国人の友達と、みんなで一緒に
韓国料理を食べに行きました。
しかも、日本人の友達(通称アニキ)のおごり。
美味しい〜〜〜〜!!
私、カルビをたべるのも、はさみで切るのも
ちぢみをたべるのも初めてでした。
楽しい、美味しい!幸せー!!

さて、帰宅後またそのメンバーでお酒を飲む。
更に大学で本科生だけど日本人の小林さんも加えて
のみました。なんかへろへろになって楽しみました。
また、寮内の階段でラオスの子がギターを持って
階段ライブをしているのを聞いたりしていました。
寝たのはまた、夜の3時でした。
(最近いっつもそんな時間・・・・)

2002年09月11日(水)



 バドミントンをする。

授業後、韓国の友達と、バドミントンをしました。
男の子3人と私女の子一人だったので明らかに
分が悪く、休憩させてくれませんでした。
かなり疲れた・・・。

夕方、洛陽から帰る電車で知り合ったおじさんが
私を訪ねて大学の寮まできました。
その時私は中国人の友達と一緒にいたので
彼はきまりが悪そうで、「ちょっと外に出ないか」
といってきた所を、その中国人の友達に引きとめられました。
寮のおばさんも心配してくれていました。
また、門から出てきたラオスの友達と挨拶を交わしている間に
そのおじさんは忽然と消えていました。
ラオスのこと一緒にその人を探しに行こうということに
なりましたが結局見つかりませんでした。

寮に戻ったらすぐに電話がなりました。
そのおじさんからでした。
彼は、もともと西安の人ではなく今仕事の都合で
西安にいるだけで、西安の土地感はないのに
私を探しにここまで苦労して寮を探し当てたとか
ラオスの子と話している間もずっと遠くで
こっちの様子を見てたとか、
20分間ずっと説教されていました。
私が話を阻む隙はありませんでした。
確かに彼の言うことはわかるけど、
だんだん本当に怖くなって
「一緒に遊ばなくてよかったー」と
強く思いました。

深夜は日本人の友達と、3人でお酒を飲みました。
ビールは微妙だ。チューハイのみたいぃ。
こっちのビールはなんだか気の抜けた感じ。
なんか、久しぶりに恋の話とかをきいたけど、
みんな大変そうね。

2002年09月10日(火)



 久しぶりに授業。

久しぶりに授業に行きました。
今までサボっていたわけじゃないけど、
いろいろ忙しくていけなかったので・・・。
そのあと、韓国人の友達と食事に行って
お話して、寮のネットで遊んでいました。

夜から、日本語学科の先生に
紹介していただいた中国人の
女の子の学生二人と食事に行きました。
連れて行ってもらったのは火鍋。
火鍋、結構苦手なんだよね・・・。
だけど、お店の外には並んでまっている人が多くて
店内もにぎわっている。
ここは特に美味しいから人気なんだって。
食べていたら、あまりに辛すぎて
涙が出ました・・・。
美味しいけどね・・・。
そうそうその女子学生の一人が
ビビアンスーに似ている美少女でした。
二人とも凄くしっかりしていていい子でした。


2002年09月09日(月)



 洛陽を後にして。

午前中だけ、洛陽にある三国志で有名な
関羽のお墓を見に行ってきました。
だけど、女の子二人で行って
なんだかとっても浮いていました。
私実は三国志ってよく分からなくて・・。

帰りは午前11時発の電車でした。
西安に向かいます。
2階建ての電車で私達は2階でした。
前に座っていた人は人のよさそうな
おじさんでした。安徽省出身らしくて
上海で仕事をしているのだそう。
西安へは今回仕事の都合で
いかなくてはいけなくなったそうだ。
いろいろ話し掛けてくれました。
そうそう、この人も、
「日本人女性は仕事をしないで家で主人を待つのか」とか
「日本人女性は穏やかで優しい」とかいってた。
今は違うんだけどね。
彼の奥さんはとても気が強いらしい。
まぁ、昔の日本人女性は今よりもっと
穏やかだったと思うけど、たしかに
こっちの女性と比べれば、今でも穏やかかなーと
思いました。

帰りの風景もとても奇麗でした。
だけど、何でもない所でよく止まっていました。
とても乾燥した土地が広がっていて
泥水で水浴びをしている子どもがいたり
牛を引いている大人がいたりしていました。
この農村の人々はどんな生活をしているのかな・・・。

さて、無事に西安についてからも、
前に座っていたおじさんがタクシーまで
送ってくれたりとか、一緒に歩いていました。
携帯の番号まで教えてくれたけど、
どうすればいいんだろ。

寮についてからインターネットカフェへ行った。
カフェでメールチェックをした後
寮のコンピューターが日本語を使えるように
してくれてただだからめちゃくちゃラッキーなの。
またよる遅くまで、韓国人の友達とお話してました。


2002年09月08日(日)



 少林寺へ行こう!!

さてさて、今日は昨日に続き
洛陽から少し離れた蕭山へ観光に行きました。
現地で申し込んだのでガイドさんは中国人の男の人。
38才って年相応にみえるおじさんでした。
農村住まいだから女の子と男の子、
二人の子どもがいるみたいです。
バスに乗り込んだらやっぱり日本人は
私達二人だけでした。
まず、玄奘法師の縁の地である玄奘故里、
永泰寺にいって見まくりました。
その後少林寺武校武術・芸術表演団の
生徒の皆さんによる少林寺の形を鑑賞。
みんな若いのに、すごくて、
小さい子もみんな一生懸命で、
とにかく私は少年達の筋肉にひたすら感動していた。
銅の棒を頭で割ったり、気合いを入れて
お皿をお腹にくっつけて取れないようにしたり、
また猿、蛙、鳥、蠍、蛇などの動物を
少林寺の形と一緒に演技したり。
私は一人で興奮気味でした。
みんな坊主頭で可愛らしかったよ。
写真を撮ったので、アップしますね。

他にも、少林寺の歴代法師のお墓である塔林や
変わった鳥がいっぱいいた百鳥林、
たくさんの仏像がいっぱいあった十方禅宗等
いろんなところへ連れていってもらいました。

また、民家みたいな所も通り過ぎましたが
どれもこれも門の所に「幸福の家」とかいてあって
なんだか面白かったです。

私達を乗せていってくれたバスも、ものすごく
ゆれまくるんです!!まるで、動物に乗っているかのよう。
車の中で眠りたい人や、車酔いをする人には
多分むいていないと思います。

そうそう、でもね、最後に回った中国最古の
寺だといわれる白馬寺では、門の所に
顔に怪我をした物乞いをしている女の子がいた。
私はその時は動揺して何もあげなかった。
でも、彼女は私が何もさしださないとわかると
母親らしきところへ戻って行った。
彼女の母親らしき人も顔に怪我をおっていた。
これは偶然じゃなくてわざとかも、と思ってしまう。
わざと、顔を傷つけたんじゃないかなんて
私の心の奥では疑っていた。
すごく悲しくなったけど、どうしていいかわからなかった。
後からあげなかったことを後悔してしまった。
他にもたくさん、物乞いをしている子は居るのだから
彼女にあげるのなら他の子にもあげるべきなのかも
と思ってしまうし・・・。


2002年09月07日(土)



 洛陽へ行こう!!

中国人の友達は、自分の家に、
また18時間かけて帰ってしまいまして、
今日は日本人の女の子の友達と
洛陽へ二人旅に出かけました!!
日本語しゃべれるってなんだか嬉しいー!!

彼女がすでに電車の切符を購入してくれていたので
朝から駅にいって電車に乗り込みました。
電車の中からの景色は、本当に奇麗!!
まさに、「世界の車窓から」という感じ。
山ばっかりなんだけど、日本の山とは
なんだか少し違っているんです。
元々私は電車の中や車の中では
寝ない人なので、景色を十分満喫しました。
また、車内は、音楽が少し流れていて
掃除の人や食べ物を車内で販売する人など
いろんな人が通りました。
また、前に座っていた中国人夫婦は
とても仲がよさ下で二人で寄り添って
眠っていました。
おじさんの鼻毛が少し見えました。

余談ですが中国ってとても埃っぽいので
鼻毛が伸びそうな勢いなんです。
結構鼻毛が長い人を見掛けます。
しかしながら、まつげが長い人はあまり見ません。
まつげと、鼻毛、同じような役割をしていると
思っていたのですが、実際伸びてくれるのは
鼻毛だけのようです。

さて、6時間かけて洛陽へ到着しました。
3時ごろ駅に到着したらすぐに呼び込みの
おばさんに捕まってしまいました。
ホテルの呼び込みを振り切って帰るときのための
切符を買いました。
その後また同じ呼び込みの人に捕まったので
見るだけ見てみよう、といってみることにしました。
私は警戒していたんですけど、旅なれた友達は
結構落ち着いていて、「まぁ、いいんじゃない?」
って感じでどっしりと構えていました。
実際いってみたら、結構奇麗。
しかも、値段表には150元と書いてあるのに
1泊100元にしてくれるって。
だから一人当たり一泊50元。
友達は、「こんなに奇麗で100元で泊れるなんて
今までなかった!」とかなりお気に召された様子だが
それを聞いて私はますます怪しいと思い
ホテルマンに聞いてみたり、お湯のチェックをしたり
備品のチェック、ベッドのチェックをした。
きっと、かなりいやな客だったと思う。
結局私達はそこで宿泊することに決め、
早速洛陽の一番有名な龍門石窟に行くことにした!
これは、中国の3大石窟の一つである。
70元を支払い(結構高い!!)見てみたけど
結構よかった。圧倒されました。石作りの仏像は、
所々顔の無いものがいた。明らかに削られた感じ。
唐の時代に作られたそうだが、現代までの間に
何かあったのだろうと思った。日本へ帰ってから
調べようと思った。宿題ができた。

他に、白園にもいってきた。
これは、白居易の縁の地。誕生記念碑等も建っていた。
しかし、7時半に門が閉まるはずなのに
私達が6時少し過ぎについたころにはもう
「下班」といって門を閉めようとしていた。
(つまり、もう仕事は終わり!ってこと。
あんまり人が来なかったので閉めようとしていた。
中国ではよくあることです。)
でも、私達は「30分だけ!!」といって
強引に急いで中を見せてもらった。
だけど、もう中も門が閉まっていたので
あまりよくわからなかったし
奥まで探索することができなかった。

さてさて、次は夕飯です!!
私達を龍門石窟や白園に案内してくれた
タクシーの運転手さんとそれまでに
結構いろんな話をして仲良くなった(つもり)なので
一緒にご飯を食べようという話になりました。
そこで彼がよく行く刀削面のお店に
連れていってもらいました。
そこはいかにも、大衆食堂という感じで、
私は今まで一度も行ったことのないような感じでした。
絶対に外国人が行ったら目立つし、浮いてしまうと
思いますが、運転手さんといっしょだったので
それほどは浮きませんでした。
刀削面もなかなかおいしかったし、
普通の生活では絶対に行けることのなかった
場所だったと思うのですごくいい経験をできたと思います。
しかも、運転手のおじさんは私達の分を
おごってくれました。
運転手さんは、顔はめちゃくちゃ恐いし、
絶対悪人面だし、自分で25とかいっているけど
明らかに25歳には見えないふけ顔だし、
自分の彼女を可愛くないとか性格悪いとか
平気で言えちゃう冷たい人かと思ったけど
こっちが笑いかければ笑ってくれるし、
妹や弟をすごく可愛いって言っているし、
多分、いい人なんだろうと思う。
だけど、そのお店で一人でビール瓶を
1本丸呑みした後運転していた。
彼は平気だといっていたけど、恐いよ。

さてさて、その後無事にホテルに戻り、
寝る準備をしていました。
この時、宿泊客が日本人男性だった場合
ホテルと娼婦が組んで、日本人男性の
泊っている部屋に電話して
女の子を送りこむそうです。
私達の場合はどうなんだろう、と思って
内心すごくわくわくしていましたが、
電話がかかってきた!とおもったら、
さっきのタクシー運転手だった。
しかも、用件が分からないままに
多分お金がきれて電話が切れた。
なんで運転手なんだ・・・と思い
がっかりして、眠りました。

2002年09月06日(金)



 博物館巡り。

今日は私達は碑林博物館と狭西歴史博物館に
いってきました。
中国の友達二人でいっていたんだけど、
たまに日本語のガイドの人がいたので
私はそっちの方へふらふらいって
話を聞いていました。
話によると、世界4大発明は紙、コピー
火薬、羅針盤らしいですね・・・。
そうそう、この博物館で、驚いたことは
以前の中国には相撲っていうスポーツが
あったみたいなんです!!!
私はこれは日本の伝統的なスポーツかと
思ってたのだけど違ったみたい。
中国には今はないから、中国人の友達も
中国からすもうが発祥したなんて知らなくて
驚いていたようですよ。
あ、あとね。秦の始皇帝陵に埋められていた
兵馬庸の馬は、足が短く顔がでかいので
モンゴルから運ばれていた様子。
だけど、漢の時代にはもう西域から
顔が小さく足の長い速い馬が伝わったので
漢の時代の兵馬庸にその特徴が見られるようです。
また、台湾の漢字の読み方は以前の中国の
漢字の読み方なので日本の今の読み方と
大変よく似ていると友達が教えてくれました。
そうなんだー。

あと、道で奇麗な絵を買いました。
友達がうまく値段交渉をしてくれました。
その絵は私はバラだと思って買ったのだけど
実は牡丹だったようです。見えないよー。

帰り、知らない人が後ろからついてきました。
私がとまればとまるし、私が曲がれば曲がるので
これはもしかしたら数少ない変態か?と思ったら
どうやら友達になりたかったようだ。
武漢から西安へ勉強にきている大学生の子だって。
建設の勉強をしているっていっていたよ。

2002年09月05日(木)



 お寺巡りをする。

今日は西安にあるお寺を巡りました。
私はお寺巡りが好きなので
とても楽しみにしていました。
行ったところはまず
中国密教の発祥の地であるカラフルな大興善寺です。
ドラゴンボールのクリリンみたいな
頭に6つ並んだ丸があるお坊さんがいたよ。
他にも652年唐の時代に文徳天皇の供養のために
高宗が建てた寺である西安の象徴の大雁塔、
684年に高宗を供養するために則天武后が
建立した静かな小雁塔、
日本人の観光客しかいなかった
空海が密教を伝授された寺院の青龍寺、
さらに西安の回族が集まるイスラム教の寺院である
清真大寺に行きました。
特に印象に残っているのはイスラム教の
清真大寺です。
結構なかには欧米人の観光客が目立ちました。
しかも、頭に白い帽子をかぶり、白い装束をした
いかにもイスラム教っぽい回族の人々が
たくさん崇拝にきていたんです。
回族は、回族の独特の言語があり、
漢族の話す言語が中国国内で標準語になっているので
回族の人々は学校で標準語を習います。
でも、結構なまりがあるようで、
一人の回族の人が私の友達(中国人、漢族)に
話し掛けましたが、なまりが強くて
友達はさっぱりわかってないようでした。
しかも、そのお寺の外側にはたくさんお土産やが
並んでいます。
ふと、私は、毛沢東のライターを発見して
いくらか聞いてみたら、10元くらいのかと思ったら
120元といわれて言葉が出ませんでした。
そのあと、そのお店の人と友達は口論になり
結局何も買わずに帰ったのですが、後で友達に
「あんなの5元でかえるって!外国人だと思って
ふっかけてきたよ!!もう話しちゃだめ!」と
怒られました。話しちゃだめっていわれても・・・。

また、今日は移動の途中で私達の乗っている
タクシーが前のタクシーにぶつかりました。
前のタクシーの人が出てきたけど、ぶつかった
運転手はごめんもいわず、
「当たっただけだ!大丈夫だ!!!」と
しらばっくれていた。
中国の場合ここで謝ってしまうと
莫大なお金を請求されるから謝っちゃいけないらしい。

あとね、帰りに大学校内のスーパーに売っている
4元のCDを3元に値切って売ってもらいました。
がんばりました。
「普通の日本人は4元を安い安いっていって
買っていくのになんで君は高いというんだ!!!」と
怒られてしまった。でも、いっか。
値切るのなんて日本じゃできないから楽しいんだ。

2002年09月04日(水)



 華山に登る!

今日は友達と華山に登ることにしました。
華山は中国の中の5岳のうちの一つでとても奇麗です。
とても楽しみにしていたのですが、
これがどうも甘かった様です。
さて、私は友達と華山にいく旅行社に申し込み
バスに乗り込みました。
このバスには私一人だけが日本人で
あとはみんな中国人です(私の友達も含み)。
華山に登る前に漢方薬を売っているお店に
連れて行かれました。
華山は薬草がよく採れるそうです。
その薬草は漢方薬に使えるそうですよ。
私は何も買いませんでしたが、買っている
中国人の人も何人かいました。
友達に不意に「あれ、なんて書いてあるの?」
といわれてみてみたら、どうやら
日本語で文字が書いてある袋に
薬草をいれてうられていました。
その袋に書いてあったのは紛れもなく

“燃えるごみ”

ごみ袋だった!!!
ここにいる日本人は私だけだったので
私だけが理解をできました。
友達と二人で笑っていました。

しかし、華山に登る少し前に、
私と友達二人だけいきなり降ろされて
ガイドの人に、車を乗り換えてっていわれたんです。
「やばい、日本人ってばれたかな・・・」
と内心思いつつ、必死で
「なんで二人だけ乗り換えなくちゃいけないの」と
言い張って戻りましたが、私はびっくりしました。
車がいっぱいで危ないから・・・といわれても
私は納得できなかった。
「やだなー恐いなー恐いなー」と思っていたけど
友達は「よくあることだから恐くないよ」と
平気な顔をしていました。
友達がしっかりものでよかったなぁ。

さて、ついてからロープウェイで途中までいってから
登りを開始しました。
始めは順調で景色を見ながら悠々と登っていたけど
だんだんまじめに疲れてきました。
上に行けば行くほど涼しくはなるけど
本当につらかった!!!
3、4時間くらい急な階段を登り続けたから・・・。
本当に汗だくになりました。
荷物もちの人も結構いて
(山頂の方で飲み物等を売るための)
本当につらそうだった。
頂上に着いたときは感動したけど、
もう登りたくないと思いました。
ひざが笑うって言う意味がこの年になって
本当に実感したと思います。
下りなんて、足ががくがくしてたので
滑ってこけてびっくりしました。無傷ですが。
後から聞いた話によると、華山では毎年
20人くらいの人が亡くなるそうです。

華山はうわさで聞いていたのと同じくらい
奇麗だったし、爽快で感動したけど
本気で疲れました。
私よりも年上の人がいっぱい登っていて
みんなすごいと思いました。

そうそう、その帰りにくたくたになって
駅の近くでいつも飲むジュースを買いました。
友達がそれを見て、何かに気がついて
他のと交換してもらっていました。
しかし、実際飲んでみたら、本物じゃなかった!!
こういう事ってよくあるらしい。
友達も、最初に見たときに、怪しいと思って
変えてもらったけど、どれも結局
偽者だったみたい。
以前、ここで韓国人の友達に
「ここの飲用水はのんじゃだめ。お腹を壊すよ」
といわれたけど、もしかしたら彼の買った
飲用水が、偽者だったのかもしれないなー。


2002年09月03日(火)



 阿部仲麻呂縁の地。

今日大学でテストがありました。
短期できているのは私以外に4人だけでした。

お昼ご飯は韓国人の友達が作ってくれた
キムチボックンバ(正式な発音は分からないけど
私にはこう聞こえました)を食べました。
結構おいしい!!!
ご飯とキムチと餃子を混ぜて食べるの。

午後はまた中国の友達と遊びに出かけました。
大学前の興慶公園に行きました。
そこは、阿部仲麻呂縁の地で、
記念碑もありました。池があってきれいでした。
池の中は汚かったけどね。
その後西安駅にいって友達の帰るとき用の
電車の切符を確保し、西安市内の中心部を
観光していました。
西安の中心部は城内っていって、
周りを城壁で囲まれています。
写真を撮ったのでそのうち載せますね。
西安市内はいろんなお店があって
マックやケンタッキーもあったよ。
鐘楼っていう西安の目印の建物にも上りました。
時間が来ると、音楽も演奏してくれます。
さて、西安にもやっぱりいました。物乞いの人。
しかも今回は子どもで足が悪いみたい。
今までの私ならきっとおかねあげてた。
だけど、わざと同情させるために怪我をするとか
そういう話を聞いてしまった今はそんな気になれない。
冷たい人間になってしまったのかな・・・。

そして夕方は回族の街へ行きました。
いろんなお店が並んでいます。
食品かお土産物が多いかな。
夕飯をここで西安名物だといわれる
羊肉泡膜(←ちょっと字が違う)をたべました。
なんか不思議な味でしたが友達は
おいしいおいしいっていって食べていました。
回族は、中国の民族の一つで、イスラム教を
信仰しています。顔は結構トルコ系やインド系の
顔つきの人が多いかなぁ。
お土産いっぱいかいいました。
「別のお店ではこれは、もっとやすかったよ!」
とかいってうそぶっこくと安くしてくれました。

寮に帰ったら日本語べらべらの中国人の学生がいました。
3年間勉強しただけで、こんなに話せるなんて!
日本へホームステイの経験もあるみたいだけども。
しかも、話す内容が普通の話じゃない。
「不良債権」とか「GDP」とか出てくる。
私もなんだかはなしについていけないわーとか
思っていた。でも彼は「なんでやねん!」とか「あほか!」
とか、突っ込みが関西風。凄い人だぁ・・・・。

2002年09月02日(月)



 憧れていた兵馬庸。

今日は3時間だけの睡眠でしたが
昨日西安に到着した中国人の友達と
西安観光をしました。
まず行き先はやっぱり兵馬庸。
これは日本にいたときから絶対行こうと思っていた
西安の目玉だったので早速行きました。
兵馬庸ではガイドさんもいっしょだったけど、
いっていることもよくわからないし
頭も回らないしで大変でした。
でも、そのスケールに圧倒されて
感動しました。写真いっぱいとりました。
また、秦の始皇帝陵も行きました。
暑かったので大変でした。
また、玄宗皇帝が楊貴妃とデートしてたっていう
華清池にもいってきました。
とってもきれいでしたよー。
でも、そんな優雅なだけの池ではなくて
そこで西安事変っていう事件も起こったそうです。
銃弾の跡がありました。
日本へ帰ったら詳しく調べたいと思います。

3時間睡眠だけでしたが倒れたりせず
意識はしっかりしていたのでよかったです。
だけど、中国人の友達にいられりつくせりだったので
大変申し訳ないと思いました。
中国の子は、私がありがとうっていうと、
「友達同士なんだからありがとうはいらない」って
いいます。中国では友達同士でありがとうを言い合うのは
なんだか他人行儀な感じみたいです。
でも、日本では友達同士でもありがとうって挨拶をするのが
仲良しでいられる秘訣だと私は思うので
いつもありがとうっていっていました。

今日は見るところがいっぱいで一日でフィルムを1本
使い切ってしまいました。
西安は見るところがたくさんでとても楽しい!
きてよかったと思いました。

そうそう、その中国人の友達に中国は変態は
どうなのかって聞いたら、あんまりいないそうですよ。
日本はいっぱいだよっていったらびっくりしていました。


2002年09月01日(日)
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