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2007年06月12日(火)
ZARD『負けないで』の知られざる誕生秘話

『FRIDAY』2007/6/22号(講談社)の記事「名曲『負けないで』直筆の歌詞も初公開〜『ZARD』坂井泉水、未公開・8枚の素顔写真」より。

【透き通る歌声でファンを魅了し続けた坂井泉水。その代表作を挙げる上で、やはりこれだけはハズせない曲といえば、デビュー2年目の'93年1月に発売された『負けないで』だろう。数ある彼女のヒット曲の中でも最大の約184万枚を超えるセールスを記録し、一躍、スーパーアーティスト・坂井泉水の人気を決定づけたこの曲は、ドラマのタイアップがきっかけとなって、アルバム収録用の1曲から”格上げ”されたものであるが、実は”知られざる誕生秘話”があった。
「あの曲は当時の会社で私が担当していたドラマ『白鳥麗子でございます!』(フジテレビ系)の主題歌になったんですが、実は当初、クラシックの曲を使う予定でした。他の歌手のタイアップ依頼も、そんな理由でずいぶん断っていましたよ。ところが、たまたま坂井さんの事務所スタッフから『一度、聴いてみてほしい』と渡された1本のデモテープが『負けないで』だったんです。聴いた途端『これだ!』と思いました。曲や詞のイメージがドラマにピッタリだったし、何より人を包み込むような”母性”を感じさせる、優しい歌声が素晴らしかった」(現テレビ朝日編成制作局チーフプロデューサー・黒田徹也氏)
 レコーディングの際、彼女はノートに書いた歌詞を持ち込み、スタッフと協議しながら繰り返し歌い込んでいった。この歌詞原稿からは、彼女が試行錯誤しつつ、詞の内容を入念に練り上げていった様子が見て取れる。ちなみに、『負けないで』は'92年秋にレコーディングされたが、このとき、彼女の歌い方をめぐって、本人とスタッフとの間では話し合いが繰り返されたという。
「問題となったのは、サビの”どんなに離れてても”という部分でした。坂井は『は』の後で、ブレス(息継ぎ)を入れ、続く『な』にアクセントをつけて歌う癖があった。出だしと比べると1オクターブ音域が上がる難しい曲なので、息継ぎしないと歌い切れないんですが、その場所が明らかにおかしい。そこで息継ぎの場所を変えたらどうか、と提言したのですが、結局、あの歌い方になったのです。もし、彼女がこちらの意見を受け入れて歌い方を変えていたら、曲のイメージも随分違ったはずだし、あれだけの大ヒットにはならなかったかもしれません」(当時のレコーディングスタッフ)
 また、歌詞が”別れた彼にエールを送る”という後ろ向きとも取れる内容だったため、シングル化にあたって『負けないで』というタイトルをめぐっても意見が分かれたが、結局、そのままで発売されることになった。つまり、『負けないで』は、坂井本人の歌詞や曲調に対する強いこだわりと、いくつもの幸運が重なって生まれた名曲だったのである。
 その後、『負けないで』は'94年春の選抜甲子園入場テーマ曲に選ばれるなど、「みんなにエールを送る」歌として人々の心に焼き付いてきた。関係者によれば、素顔の彼女もこの歌詞と同様、周囲を明るくさせることが好きな女性だったという。
「とても周囲に気を遣う人で、みんなを笑わせるのが好きでした。ときどき、オヤジギャグを飛ばしてましたね(笑)。それに大変な”聞き上手”でもあった。スタッフの誰もがついつい、彼女にはプライベートなことをペラペラしゃべってしまうんです。彼女の歌詞は日常のありふれた事柄を題材にしたものが多かったんですが、あれはスタッフから聞いた話を材料にしていたのかもしれません」

(中略)

 慶応大学病院に入院中も彼女は周囲への気遣いと優しさを絶やすことはなかった。病棟で知り合った女性患者の体調が悪化したとき、彼女はわざわざ女性の病室を訪れ、その枕元で『負けないで』を歌ってあげたことすらあったという。】

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 『FRIDAY』の記事だから……と、半信半疑でこの記事を立ち読みした僕は、その数分後、『FRIDAY』を持ってレジに向かっていました。この記事で紹介されている坂井泉水さんのレコーディングでのプライベート写真や手書きの歌詞原稿は、大学時代から『ZARD』の、坂井さんの歌声を聴き続けてきた(もちろん、ZARDに対する熱意みたいなものには波があったにせよ)僕にとっては、なんだかとても貴重なものに感じられたのです。手書きの歌詞の原稿も「普通の20代の女性が書いた」、親しみを覚えるものでした。なんのかんの言っても、僕はこれまでの人生で、坂井さんの曲を何千回と耳にしてきているのです。

 この記事で紹介されている、『負けないで』の「どんなに離れてても」というサビの部分、確かに当時の僕も気になってはいたんですよね。「どんなにはなれてても」にブレスを入れるとしたら、「どんなに はなれてても」というのが日本語としては自然なのではないでしょうか?
 でも、確かに坂井泉水さんは「どんなには なあれてても」って歌っていたんですよね。
 この「ちょっと不自然なブレス」っていうのは、なんだかとても耳に残る感じがしました。逆に「普通の歌い方」であれば、『負けないで』は、ここまで「記憶にも記録にも残る曲」にはならなかったのかもしれません。そういう、ちょっとアンバランスなところがあるほうが、バランスが取れすぎている曲よりも「気にかかる」ものですし。この歌い方は、坂井さん自身が「狙っていた」ものなのか「どうしてもそうなってしまった」ものなのかは、この記事からは窺い知ることはできませんが、いずれにしても、『負けないで』は、けっして「順風満帆に生まれたヒット曲」ではなかったようです。

 ZARDというのは、本当に不思議な存在でした。誰もがその曲と坂井泉水という人のことを知っていたにもかかわらず、ステージに立つことはほとんどなく、バラエティ番組で坂井さんが「素顔」をさらすこともありませんでした。しかしながら、だからこそZARDの音楽というのは、歌手の人生の栄枯盛衰に左右されず、聴かれ続けるのではないかな、と僕は思うのです。

 坂井さんが病室で歌ってあげたという歌のように、ZARDの曲は、これからもいろいろな場面で僕たちを励まし、勇気づけてくれることでしょう。

 優しかった君は、もう、いなくなってしまったけれど。