沢の螢

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ルーツ
2006年09月19日(火)

市内の某大学公開講座に通い始めて、10年を超えた。
自転車で15分ちょっとの処にあるこの学校は、ルター派の神学校を母体としてできた大学。
歴史は古いのだが、長いこと、私は存在を知らずにいた。
もとは神学科だけだったらしいが、今では、キリスト教学科、社会福祉学科、臨床心理学科と三つの学科を持つ大学になっている。
キリスト教精神が基本にある点は変わらない。
市内にはもう一つ、戦後アメリカ資本が創立したキリスト教系の大学があって、歴史は新しいが、総合大学的な学部を備えていて、規模としてはずっと大きく、知名度が高い。
キリスト教と名乗っていながら、神学科に類する学科はない。
この大学には、30代の中頃、日本語学を学ぶため、研究生として1年間通ったことがあった。
始めに書いた大学の方は、すぐ隣に塀を接して建っていながら、私の目に触れなかったのは、私自身が、宗教的な関心がなかったためもあるが、二つの大学が、長年の間、ほとんど交流がなかったことにも依る。

10年以上前のこと、連れ合いと散歩しながら、第二の母校である大学のそばに行った。
そのとき、大きな大学の傍に、隠れるようにひっそりと建つ二階建ての建物に気づいた。
それが、その後、縁を持つことになった大学だったのだ。
ちょうど春休みで、学生の姿が見えなかったこともあり、はじめは、市の文化施設かと思っていたのだ。
隣には、オリエント関係の美術館もあるので、その一部のようにも思えた。
門は開放してある。
入ってみると、緑に包まれた構内の奥に、いくつかの建物がある。
平屋か二階建ての小さなものである。
大学という雰囲気ではない。
中に入ってみると、玄関脇にチャペルがあり、さらに教務科があり、そこで始めて、大学であることが分かった。
名前は知っていたが、それがそうだとは知らなかったことになる。
「公開講座」のパンフレットがあり、4月からの、講座の案内が書いてある。
市内の図書館にも、置いてあったらしいが、宣伝も何もしないので、それまで知らずにいたのだった。
神学関係、社会福祉関係のいくつかの科目が並び、興味を惹かれた。

次の年、北森嘉蔵氏の講座を、そこではじめて受けた。
世界に名のある先生の存在も、その時始めて知った。
それまで縁の無かった、キリスト教の世界を知るのは、私にとって、大変新鮮で、先生の話も、魅力に溢れていた。
当時すでに80才を超えて、杖をつきながら、通ってこられた先生の講義を、2年間受けた。
受講生は、ほとんどが、北森神学に心酔している人たち。
無宗教に近い私のような受講生は、少なかったようだが、開放的な大学は、誰でも受け入れる雰囲気があり、それをきっかけにして、ほかの講座も受けることになった。
北森先生は、2年後に、退かれ、間もなく亡くなった。
著書「神の痛みの神学」は、私にとって、大変難しく、まだ理解に至っていない。

同じ頃に、比較文化を専門に他大学から移ってきた若手のU先生が、「日本の宗教風土」というテーマで、古事記を取り上げた。
この授業は、伊勢、熱田、奈良、京都の神社、仏閣、宗教的施設や学校を訪ねるという、フィールドトリップ付き。
6日間に渡り、学生やほかの先生方も混じって、15人程の、実り多き、旅となった。
その後、U先生の講義は、毎年受けている。
テーマは変わらないが、講義の内容は毎年違う。
単位を取れば、2度と教室には戻らない学生と違い、社会人受講生は、気に入った先生の授業を、何年でも受けることが出来る。
U先生は、授業に対して、充分準備をし、真摯な態度で臨み、決して手抜きをしない。
1時間半の授業で、退屈だと感じることはほとんど無い。
アメリカ、アジア、アフリカなどにも、積極的に行き、海外でのフィールドワークも、こなしている。
2年前から、市民大学でも、企画講座の中心的存在となって、魅力的なプログラムを、提供している。

今年も、U先生の授業を受けに、その大学に週一回通っている。
「キリスト教と文化」という科目名だが、前期は、「神の痛みの神学」をテキストに、比較宗教学。
今日から始まった後期の授業は、仏教やイスラム教と、キリスト教との比較である。
毎回、授業の始めに、「自分にとってのキリスト教との出会い」というテーマで、受講生が順番に指名され、それぞれの宗教的ルーツを語ることになっている。
前期の時は、私は、父が亡くなったばかりだったので、人の死と弔い方について、自分の思いを話した。
20人程の受講生のうち、現役の学生は5,6人、ほかは社会人である。



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