沢の螢

akiko【MAIL

My追加

歩く
2004年08月04日(水)

2年ほど前に見たテレビで、大変感動した番組があった。
兵庫県のある公立病院で、車いすを使わない介護に取り組み、その結果、いままで歩けなかった人たちが、少しずつ歩けるようになったという話である。
脳梗塞などで倒れ、手足に麻痺が残ると、車いすになり、本人も周囲も、歩けないとあきらめてしまうのが、これまでの常識だった。
でも、ある女性医師が、車いすというものが、歩く能力を奪っていることに着目する。
そして、生活動作の中でリハビリを行うことを提唱し、病院あげて取り組んでいく現場の三ヶ月を追っていた。
歩くことに、具体的な目標を、それぞれの人の生活の中から見いだし、それに合わせた訓練をする。
ある女性は、三ヶ月あとに控えた孫娘の結婚式に出たいという。
またある男性は、入院するまで花壇を作っていた。
そこで、療法士は、病室の廊下に四角いコンテナと、鉢植えの花をしつらえ、その場所まで10メートルの距離を歩くべく、リハビリを持ちかける。
動かない足に特別の靴をセットし、残った体の力を使って、毎日訓練した結果、歩けるようになったのである。その姿は感動的だった。

歩くということがいかに大切か、私も経験がある。
15年ほど前、大病して3ヶ月入院した。
全身状態の悪かった入院直後のひと月は、検査や診療を受けに行くのに車いすだった。
だんだん回復して、終わりの半月ほどは、なるべく病院内を歩くようにしたが、それでも、体力がびっくりするほど落ちているのが自分でも解った。
階段を下りるのに、手すりにつかまらなければならず、立ったりしゃがんだりの動作が出来なくなっていた。
筋肉は、使わなければ、年に関係なくだめになるのだと、痛感した。
退院してしばらくは、常用していた自転車が、怖くて乗れなかった。
元の体力に戻るのに、一月かかった。
それでも、まだ若かったので、アウシュビッツの囚人のように痩せた足も、元の大根に戻った。
1キロ以上重いものは持てないくらい衰えていた腕の力も、見る見る回復した。
今ならとてもこうはいかない。
いったん落ちた体力は、容易なことには、元には戻らないのである。

昨年8月、私は 足の指を骨折し、ひと月近く、ギブスをはめた生活をした。
骨というのは、どんな小さな部分でも、新しい骨ができるのに、そのくらいの時間がかかるらしい。
それまで、年齢平均一割り増しの骨密度だと言われて、得意になっていたので、まさか、自分が骨を折ることなど、予想もしなかった。
飲み屋の三和土で、下駄に足をかけた時、おろした位置が悪くて、ふにゃりとなった。
そのときは、ただの捻挫だと思っていた。
痛みがひどく、腫れてきたので、整形外科に行き、レントゲンで、骨が折れていることがわかった。
生まれて初めてギブスなどというものを付け、家の中では、キャスター付きの椅子で移動し、家事は夫にやってもらい、その状態で、夏が過ぎ、秋になった。
10月に入って、初めて1人で外出した時、少し怖かった。
骨を折った部分より、まわりの筋肉が、堅くなっていて、歩くのに、片足を引きずるような感じだった。
また骨を折るのではという思いが消えず、すっかり違和感なく歩くのに、更に時間がかかった。
1年たった今も、足元に神経を使う。
骨折する前とでは、スピードも、歩く姿勢も、衰えていることがわかる。
暑い夏の間は、散歩もままならない。
高原にいる間に、少しでも足を鍛えようと、毎日、少しの時間、歩いている。



BACK   NEXT
目次ページ