うなごと
nyauko



 【祖父】のコト。

木曜の午後、母からの電話。「祖父が危篤」だと。
祖母を亡くしてから、5ヶ月。

風邪を引き、心不全も併発し先月に入院。
それでも意識はハッキリしていて
「早く家に帰りたい」と何度も言っていた祖父。

私は土曜に、日帰りで見舞いに行く予定で
電車の切符も用意した矢先のこと。

2.3日前までは元気だったのに、急に血圧が下がってしまった。

母の「土曜まで、もたないかもしれない」との言葉に
木曜仕事終了後、そのまま20時上野発の電車で帰省。
22時過ぎに地元に着いて、病院に直行。

沢山の管に繋がれて、苦しそうに息をする祖父が居ました。
興奮して心不全を再発させないように
薬のせいで意識は朦朧としていて
私が来たことを、認識は出来なかったかもしれません。

一時間ほど、手を握り枕元で話し掛け
「また明日来るよ、今日は遅いから帰るね。おやすみ」
といって、姉と私と姪で実家に帰り着いたら
「亡くなったよ」と母から電話。6/9 am0:22でした。

心臓弁膜症。白内障。パーキンソン病etc・・・。
その度に手術を繰り返し、数年前からは足が悪く要介護状態でした。
最終的な死因は心不全。

これだけの病気を抱えながら よく頑張ったと
医師に言ってもらったそうです。


昔ながらの人だった祖父。海軍から帰って来て、祖母と結婚。
土建業を営み、大工さんや職人さんを何人も従えた人でした。
体も声も大きくて、やんちゃで勝手ばかりしていた人でした。

祖母や家族は祖父の言いなりで、いつも怒鳴られていたけど
初孫だった姉と私は、随分可愛がってもらいました。

介護状態になってなお、祖母を怒鳴り続け
やりたい放題だったのにそれに仕えた祖母。

祖母はあの世でやっと楽になったのに、祖父は祖母が居ないと
やっぱり寂しかったみたいです。追いかけるように亡くなりました。


祖母は亡くなる20分前に、私に電話をくれました。
私に何か伝えたかったんだろうと、家族には言われました。

祖父は私が到着して、1時間20分後に亡くなりました。
私が到着するのを、待っていたようだと皆に言われました。

私が来るまではと、祖父が頑張っていたのか
私が来るまでは待てと、祖母が祖父に言っていたのか

偶然と言ったらそれまでだけど、目に見えない
そんな不思議なタイミングは、あるんじゃないかと思います。
そう思いたい。


管を外されて、家に帰ってきた祖父は
祖母同様、眠っているように安らかな顔をしていて
あぁ本当に家に帰ってきて安心したんだなという
いい顔をしていました。


お正月だったので、通夜・葬儀が出来なくて
その分、家で家族と長く時間を過ごせた祖母と
友引だからと、通夜・葬儀をずらさなければならなくて
その分、家にゆっくり居られた祖父。

家族思いで、涙が出ました。
遺族で故人を囲みながら、思い出を語り合う時間があるのは
とても貴重だと思うのです。
一般的には亡くなって、すぐバタバタと葬儀になってしまって
悲しんでるヒマもないのに。

それにしても、月は違うけど、通夜・葬儀の日程が祖父母一緒って
偶然にしては仲良し過ぎるよね。なんて。


私は木曜の夜から実家にいて、日曜の夜に帰京。
明日6/12は仕事終わったらまた、実家に帰ります。
6/12通夜。6/13葬儀。

二人がちゃんとあの世で逢えますように。
見送ってきます。

2006年06月11日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加