うなごと
nyauko



 大切な人を失いました

一生忘れられない 1週間になってしまいました。

1/1 私の実家でのお正月。厄年のお札を受取。姉と初売へ。
1/2 夕方帰京。年賀状の返信等。
1/3 21時、祖母から電話。夜中の2時、祖母の訃報。
1/4 実家へ帰省。祖母に逢う。
1/5 祖母の化粧。親戚・来客の応対。
1/6 祖母密葬。
1/7 祖母の家で片付け。来客の応対。夜帰京。


時系列に並べると、上記のようにしか書けません。

まだ正月が明けていないので
通夜・葬儀は 来週12・13日に行う事になり
来週に再び 帰省することになりました。

仕事始めも、そんな訳でまだ始められずにいて。
日記を書こうと思っても、何をどう書いて良いか解らず。
滅茶苦茶な文章で、すみません。

実際に布団に横たわる 祖母に逢っても
部屋の中が お線香の匂いで一杯でも
冷たい祖母に 化粧をしてあげても
旅支度をして 入棺して 煙を見送り
お骨を見ても

家族同然だった 大好きな祖母が
もうこの世に居ないという事が 信じられない。

茶の間のいつもの席に 笑顔で座っている祖母が居ない。

人が一人居ないだけで こんなにも状況が変わってしまう。

状況を受け容れなくてはいけないと
家族全員が皆 必死で毎日をやり過ごしている。

それが今の現状です。

病気もせず、手術も入院もなく
年末年始、毎日逢って話をした祖母が?
1/3の夜21時、私に電話をくれた祖母が?

何もかもがいつも通りで、おかしな事なんてひとつもなかったのに。

検死の結果は「急性致死性不整脈」で
私に電話をくれた、その20分後に こと切れていた事が解りました。

泣いても泣いても、涙は幾らでも出るんですね。

「あの時ああしていれば」という仮定は、キリがないのですが
家族みんながそれぞれに、それぞれの想いで 自分を責めていて。
家族みんながそれぞれに、祖母への想いを持て余しています。


1/3に電話での訃報を受けてから、
ほとんど眠れず 泣くことしか出来ない私を
会社を休んで日帰りで、実家へ送り届けてくれた 夫に感謝しています。
年末年始に 夫婦別々に帰省したいと言った私の我儘を
快く許してくれた事にも。

もし年末年始に実家に帰って
元気な祖母に逢っていなければ
私は一生 後悔したかもしれない。

最後に祖母と話したのが私だと言う理由は 祖母にしか解らないし
そしてそれはとても 重いことだけれど
祖母の声を出来るだけ 忘れたくないなと思うのです。
写真は残っても 声は残せなかったから。


皆様には年始のご挨拶が出来なくて、ごめんなさい。
来週通夜・葬儀を済ませるまでは、祖母を正式に送り出すまでは、
ぐずぐずかもしれませんが、今年もよろしくお願いします。

2006年01月08日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加