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2003年08月06日(水) 『ウィー・トーマス』

脚本:マーティン・マクドナー
演出:長塚圭史
出演:北村有起哉(パドレイク)、佐藤康恵(マレード)、
  中山祐一朗(デイヴィー)、板尾創路(パドレイクの父・ダニー)
  三宅弘城(INLAのリーダー・クリスティ)、
  保村大和(ヤクの売人・ジェイムズ)
  六角慎司、加藤啓(クリスティの部下、ジョーイ&ブレンダン)


とにかくグロさが前面に出てきているのが失敗かと。
本来は、本人たちはしごく真剣に抵抗運動をしているという
彼らの馬鹿馬鹿しさが、もっと哀しくも笑える脚本だと思う。
話自体は、だから好きだったんだよなー多分。悔しいぞ。

パンフレットの演出挨拶が、既に不本意っぽいのですが。
コメントの4分の3を使って、自分ちの猫は家猫にしたいのに
母がOK出したから外猫になったという話を延々としていて。
その後やっと、少し舞台の話を始めたかと思ったら、
「歴史も文化も宗教観も違う日本では、『コメディ』という
範疇とは、別のところにたどり着いたかと思います」と発言。
「何でしょうね。B級すぷらった劇場なんですかね」って(^^;
何とも やる気なさげな文章は、いつもの彼らしいものとも
思えるけれど、観劇後だと演出の難しさに放棄気味?とも読める。
だーかーら、あなたがやってくれないと、どう面白い脚本だって
クソ(失礼)芝居になっちゃうんだってばよぉ(泣)

この舞台、原題は「イニシュモアの中尉」というらしいです。
なんでそのままにしてくれなかったのかな?確かに、この話は
パドレイクの愛猫ウィー・トーマスの死がきっかけになっていて、
オチも彼には違いないけれど、何だか違う気がする。
「中尉」というのは、パドレイクが自分で自分につけた階級で、
タイトルからして、子供の遊びと変わらないことをしていながら
銃を持って政治を語り簡単に人を殺す姿への皮肉があるってのに。

パンフによれば、皆、この本は面白い面白いと言っているのに、
なんでタイトルそのままの上演ぐらい出来なかったんだろうと思う。
「イニシュモア」という地名が、日本人に馴染みがないから?
それこそ馬鹿げた理由だと思うんですけどね。
私だって「イニシュモア」ってどこ?って状態だったけど、
そんなの問題なく、「中尉」だけで斜めに笑えたし。本当は
「息をもつかせぬ可笑しさで、歯止めも利かず、 どこまでも
突っ走るバイオレンス・ブラック・コメディ」なんだよねぇ。

役者は結構いい人をそろえていたと思うんだけれど、
マレードを変えてほしいと思った。声が全然通ってこないし下手。
なんでいきなり、モデルさんなんかが出てるのか不思議です。
保村さんの使い方は、あまりに勿体なすぎて非常に悲しい気分。
最初の方のダニーとデイヴィーだけの場面では、板尾さんと
中山さんの演技の違いが、すごく違和感あったけれど、だんだん、
デイヴィーの、年以上に世間知らずの子供っぽさや情けなさが
笑うしかないように感じられてくると、いいバランスに見えてきた。
パドレイクは悪くないけど、何だか少しまだ型どおりって感じ。
次に観る時には こなれているといいんだけど。

要は、観る側がどう慣れられるかということにかかってるのかなぁ?
グロに関しても「死体」とか「内臓」とかで脊髄反射の拒否反応せず、
物体として見えるくらいの乾きが感覚に実装できるといいのかも。
でもそれを最初から、日本人観客に求めるのって難しそう。
この話を、拒否反応なしに日本人に理解させようと思ったら、
リアル内臓とかを変えた演出が求められるのかという気も。
でもそうすると、この舞台の面白さは半減するんだろうなぁ・・。



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