一風変わった誕生日

そうなんです、僕、今日誕生日なんです。
28歳になりました。
でも、もう結構前に28になっていたような気がするんですよね。
理由は、わかってます。
今年に入ってから「何歳なんですか?」って聞かれた時に「今は27ですけど、今年で28になります」という答え方をしていたからです。
その方が学年がわかるから、「ああ、同い年ですよ」とか話がはずむかなあと思いまして。

昨日、演ぶゼミの授業があったんですが、休憩時間に入るやいなや「明日は、箕輪君の誕生日です!」とサプライズで祝ってもらって、すごく嬉しかったです。
今日も「誕生日おめでとうメール」が入って来たりして、本当にありがたいなあ、と思ってます。
みなさんのお陰で、僕は素敵に歳を重ねることができます。
本当にありがとう!

さて、そんな28のバースデーに何をしたのかと言いますと、生まれて初めて裁判の傍聴なるものに行って参りました。
「なんで、わざわざ誕生日に・・・。」って感じですよね。

僕と色々と関わりのある「劇団◇気球計画」の次回公演が裁判モノで、気球計画の人達は今、暇を見つけては裁判に足を運んでいるそうなんです。
そんな話を聞いて、「僕も行ってみたいな」とか言ったら、「今度、10日に行きますけど、どうですか?」と誘われまして。
おいおい、誕生日じゃねえかよ。
と思ったんですが、そんな誕生日もアリだなと思いまして、行くことにしました。
霞ヶ関の東京地方裁判所に行って来たんですが、いやあ、貴重な体験でしたよ。
計6本見ました。
論告あり証人喚問あり判決ありと、裁判で行なわれる大体のことを見ることができました。

いやあ、それにしても重い!
まあ、当たり前ですけどね。
だって、フィクションじゃないんですから。
現実なんですから。
判決が終わった後も、それに戸惑いを感じてその場をなかなか離れることができない遺族の方がいて、いたたまれなくなりました。
痴漢の裁判の論告では、どんな犯罪が行なわれたのかを検事さんが詳しく話していて、裁判というのはそういうものだとわかりながらも、すぐにでも記憶から消してしまいたい辛い体験をそこまで詳しく話さなければならなかった被害者の方の気持ちを思うと、辛くなりました。
後は、全然反省もしてないくせに「反省してますって言えば、刑が軽くなるって言われたので言ってます」みたいな被告人を見たり、休憩室で前の裁判が終わるのを弁護士と一緒に待っている痴漢の裁判の被告人に「どんなことしたんですか?」とある種憧れみたいな感じでひつこく聞いている人がいたという話を聞いたりして、
もうアホばっかりだ!
と怒りを感じました。

とにかく色々なことを考えさせられました。
今まで生きてきた中で、一番ディープな誕生日でしたね。
でも、そんな貴重な体験を誕生日にできたというのはいいことかもしれませんね。
極論を言えば、一番いいことは「犯罪が少な過ぎて、今日は裁判がありません」と言われて帰る、ということですが、人が人間として(「人が人との間で生きて、初めて人間になる」と金八先生が言っていたので、敢えてこういう表現を使います)生きて行く限り、犯罪がなくなるということはないのかもしれないな、なんて思ってしまいました。
2004年11月10日(水)

箕輪達昭な日々 / みの

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