Bonjour♪ソワレ日記
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2002年06月08日(土) さよなら南青山

越路吹雪さんに逢った時、「人生にはムダはない」と実感してはやいくとせ
シャンソンに巡りあうことも「青い部屋」を新生させたことも、
全て決められていたことの様に思います
その中で僕にとってかけがえのない場所があります
それが
南青山ojas LOUNGEでした
思い返せば丁度4年前の1998.06.20にはじめて「シャンソンチックソワレ」というイベントを
やりました、南青山ojasで
その時のタイトルは「土屋信太郎のシャンソンチックソワレ」
フライやーも自分で作ってピアノの人と2人、シャンソンを歌いまくる振りをして、
たくさんオリジナルも唄った2部構成のステージでした
それが全てのきっかけ&はじまり
オーナー&店長さんが偶然僕とおんなじ「土屋」姓だったため、
みんなでお店にいると紛らわしいから、スタッフのジュンくんが
「シャンソンチックソワレだからソワレでいいよな」
といって、南青山ojasだけでついた名前がソワレ
さして気にも止めずにはじめは照れ臭かったものの、今となってはこちらで呼ぶ人が大半です
アルバイトもやってたくさんの人と知り合って、笑って泣いて騒いでけんかして、
「青い部屋」を作る時にもみんながいてくれて、全てはここにあるのです
今のソワレくんの全ては、南青山ojas
続いた道をてくてく歩いて来ただけだけど、その間にはいくつかの大きな墓標があって、
その中のとっても大きなものが、南青山ojasなのです
5年めにさよなら、でもojasはまだまだこれから
さよなら、アデュー南青山、ここのファミリィであったことは、誇りです

ということでお別れパーティがあったのでした
もう、逢いたい人たくさんいた、りえままエルにジュンくんケンちゃんマチネにナオにツバサくん
エトセトラエトセトラ...
たまにやるオルガンのゴローちゃんと唄いました
もう、めちゃくちゃ、でも、哀しいからしょうがない
シャンソンを2曲、ojasはなくならないけどここで出会えたことを思うと淋しいね、と
みんなで話しました
なんでかな?ほんっとうにたくさんのソウルがここにはあるからな、結局泣いてました
みんなそれぞれいろんな思いがあって、泣こうが泣くまいがどうでもいいのだけれど、
とにかく僕はここには言い表せない思いが満載だから、しょうがないな
土屋さん、mimiさん、いろいろありがとう
アツイ夜のアツイ思いでは終わりじゃなくてはじまりね

飲み過ぎてゲーゲー吐いたこの僕の言葉
ジュン「なんだよ〜ソワレ〜トイレ占領してんじゃね〜よ〜」
ソワレ「...ラストゲロは頂いた」


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