Bonjour♪ソワレ日記
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越路吹雪さんに逢った時、「人生にはムダはない」と実感してはやいくとせ シャンソンに巡りあうことも「青い部屋」を新生させたことも、 全て決められていたことの様に思います その中で僕にとってかけがえのない場所があります それが 南青山ojas LOUNGEでした 思い返せば丁度4年前の1998.06.20にはじめて「シャンソンチックソワレ」というイベントを やりました、南青山ojasで その時のタイトルは「土屋信太郎のシャンソンチックソワレ」 フライやーも自分で作ってピアノの人と2人、シャンソンを歌いまくる振りをして、 たくさんオリジナルも唄った2部構成のステージでした それが全てのきっかけ&はじまり オーナー&店長さんが偶然僕とおんなじ「土屋」姓だったため、 みんなでお店にいると紛らわしいから、スタッフのジュンくんが 「シャンソンチックソワレだからソワレでいいよな」 といって、南青山ojasだけでついた名前がソワレ さして気にも止めずにはじめは照れ臭かったものの、今となってはこちらで呼ぶ人が大半です アルバイトもやってたくさんの人と知り合って、笑って泣いて騒いでけんかして、 「青い部屋」を作る時にもみんながいてくれて、全てはここにあるのです 今のソワレくんの全ては、南青山ojas 続いた道をてくてく歩いて来ただけだけど、その間にはいくつかの大きな墓標があって、 その中のとっても大きなものが、南青山ojasなのです 5年めにさよなら、でもojasはまだまだこれから さよなら、アデュー南青山、ここのファミリィであったことは、誇りです
ということでお別れパーティがあったのでした もう、逢いたい人たくさんいた、りえままエルにジュンくんケンちゃんマチネにナオにツバサくん エトセトラエトセトラ... たまにやるオルガンのゴローちゃんと唄いました もう、めちゃくちゃ、でも、哀しいからしょうがない シャンソンを2曲、ojasはなくならないけどここで出会えたことを思うと淋しいね、と みんなで話しました なんでかな?ほんっとうにたくさんのソウルがここにはあるからな、結局泣いてました みんなそれぞれいろんな思いがあって、泣こうが泣くまいがどうでもいいのだけれど、 とにかく僕はここには言い表せない思いが満載だから、しょうがないな 土屋さん、mimiさん、いろいろありがとう アツイ夜のアツイ思いでは終わりじゃなくてはじまりね
飲み過ぎてゲーゲー吐いたこの僕の言葉 ジュン「なんだよ〜ソワレ〜トイレ占領してんじゃね〜よ〜」 ソワレ「...ラストゲロは頂いた」
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