俺屍駄文(のみ) - 2005年08月12日(金) 夕日が山の端に傾く薄の広野。 揺れる薄の群れから穂の豊かな一枝を引き抜くと、片手にぶら下げたまましばらく歩く。 どこへ行くというわけでもない。 どんなに歩いても、振り向けばいつでもすぐそこに太照天の水硝子の宮殿はある。 何時までも沈む事のない永遠の夕日にきらめく、溶けそうに儚い朱の宮。 それを知ってから、彼は一度だって振り向いたことはなかった。 帰ろうと決めた時以外は、いつも真っ直ぐ前だけを向いて進んだ。 やがて向こうに、薄の群れからほんの僅かに頭を出した黒い影。 それはまるで野原に捨て置かれた舟のような、大きな岩だった。 てっぺんに登るのに大した労力は要らない。 片手に薄を持ったまま登りきると、 夕日が真正面に見えるいつもの場所に腰掛けた。 外に出ることを許されて数日、彼はいつも此処へ来ては沈まない夕日を眺めている。 焦れた太照天に呼ばれるまで、飽くことなく何時までも。 「久純の血を継ぐ子よ……」 今日もまた、透き通った女の声がそう呼びかけてきた。 いつもと違うのは、それが肉声である事だった。 こんなことは初めてだったから驚いて振り返ると、 裾も袖も長い茄子紺の着物を纏った太照天がそこに静かに佇んでいた。 精緻な細工が施された豪奢な金の簪を頭に飾った太照天は、 さらに驚いたことに右手を小さな女の子と繋いでいた。 年の頃は幾つくらいだろうか。 太照天の腰ほどまでしかない背丈の幼女は、 左手を傍らの女神に預けたままじっと彼を見つめている。 傾いた日の紅を弾いて鮮やかに輝く金色の髪。 真摯な光を宿した同じ色の瞳。 そして陽に照らされてもなお白い、透き通るような肌。 「時は来ました。貴方と貴方の娘と……貴方の血に呪いを掛けた、 朱点童子を討ち果たすべき時が」 貴方の娘、と言いながら、太照天は傍らの娘を見遣る。 幼い面に既に大人びたものを感じさせる表情を乗せた娘は、 瞬きさえしなければまるで人形のようにも思えた。 整った造詣は、将来の美貌を予想させる。 一年程という呪われた寿命さえなければ、娘らしい幸福を夢見られたであろうに。 片手の薄を振りながら、彼は小さく笑った。 「この子に名を付けておあげなさい」 「夢を見る、と書いて、夢見」 幼女の金の瞳と視線を結び合わせながら、彼は言った。 「それから」 不思議そうに首を傾げる太照天を一瞥すると、 岩の上から身軽な動作で飛び降りる。 「俺は、一夜」 「……?」 「短いならば、せめて一夜の夢の如く……。見に行こうか、夢見」 親から貰った名を封じて。 夢見の前に屈みこんで、薄を持たない方の手を彼女に伸ばす。 澄んだ瞳をした娘はひとつ頷くと、 太照天に預けていた手を外して彼の手と結び合わせた。 久純初代当主、一夜。 長女、夢見――母神、魂寄せお蛍 ...
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